ラグビー部リレー日記 2022/11

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18年の財産

 written by 平岡 憲昇 投稿日時:2022/11/30(水) 18:51

今年度からスタッフに転向し、自分と部の立場に真剣に向き合っている手島からバトンを受けました、平岡です。手島は怖さを身につけようとしているそうですが、個人的には今の3年で既に一番怖さがあると思っています。来年もしかしたらアシスタントコーチみたいな立場で関わるかもしれなくはないので、番長となった手島に目をつけられないよう、神奈川パート会で買収しておこうと思います。

「なんでラグビーを始めたか」
ラグビー界隈ではよく聞く言葉である。初心者から始める人の多い東大ラグビー部では特によく聞かれ、1年生の時はそれを打ち明ける人が多い。おそらく模範解答は「激しさに魅力を感じた」とか「ワールドカップで好きになった」とか。自分の場合はもう単純に「騙されたから」。家でプラレールばっかりしてる自分(3歳)を不安に思った父親から「足が速くなりたいか?」と聞かれた。そしたらラグビースクールのグランドに連れて行かれていた。無論ラグビーなんて当時自分は知らないし、知っていたらほぼ確実に入っていなかった。ただ、その割には大学になっても続けたスポーツだったから父親のチョイスは正しかったと思う。ちなみに母親はテニスをやらせたかったらしい。申し訳ないけど、本当にそうならなくて良かった。ごめん、テニスは絶対にない。なんなら一番間違ってる。

では次に、
「なんでラグビーを続けたか」
こっちもよく聞かれる質問である。これに対しては、
「それしか出来ないから」「中高でもやったから流れで」「他にやれることがないから」「ラグビーが好きだから」「他のスポーツとかサークルに入る勇気がなかったから」
大体こんな感じになる。まあ大体どれを言っても合っている。正直惰性といえば惰性だし、自分自体、人生でなんでそのチョイスしたかとか考えるタチじゃない。そもそも始まりのところから自分の意思で始めてないから、特に目標とか野心もなくその時その時で楽しんできてた。
でも、18年くらいやってきてそれで済ますのもな、とは思う。何かしら自分はラグビーの魅力に惹かれている、流石に、多分何かしらは。そう考えると自分の中でラグビーを続けた要因は「大学でも続けろよ」って言われたから。多分そうなる。
ただ、これを言った人は自分とは全然長い付き合いでもない。高2秋と高3春の大会の時だけ組んだ合同チームのコーチに言われた。それなのに思い返すと自分にはかなり刺さっている。これは高→大の時だが、小→中でもスクールのコーチには「中学でもやるよな、続けろよ」って言われた。ラグビーはぶっちゃけ辞めちゃう人が多い。だからだと思うが、別のチームでも別の形でもいいから続けてくれ、とみんなよく言っていた。辞めるなよって後ろ向きな言葉っぽいけど、自分にはよく響いた。多分、自分はラグビーのこの温かさが一番好きだったんだと思う。

ラグビーやり始めた時はラグビー自体は全然好きじゃなかった。でも、スクールに行くと別の小学校だったり隣の市の子だっり、年上のお兄さんだったり、いろんなタイプのおじさん・お父さんのコーチがいたり。ラグビーやってなかったら知り合うこともなかった人たちと知り合ってプレーして、自分に目をかけてくれて、いいプレーあったらみんなが喜んで。そんな環境はすごく好きだった。そして自分がスクールから距離が開き出しても、気にかけて期待してくれて。今年の立教戦にもスクール時代のコーチが1人見にきてくれていたらしい。ホントに暖かい環境に自分はいたし、その財産が今になっても続いている。
中高時代も最終的に同期は3人になったし、今思えばほぼサークルくらいな感じのユルユルな部だったけど、色んな人たちとまた会ってOBや父親たちも元気な人が多くて。ぶっちゃけ規律とか真剣さはあんまだったし、ボロクソに負けたりロクな練習できずに合同チームで大会出るハメになったり、苦い思い出の方が多分多いけど、でも最後に麻布開成で組めて最後の大会で1勝できた。何よりも6年間で自分もいろんな立場や境遇を経験して、その中でいろんな学年や背景、学校の人とラグビーを舞台に熱意を持って集まって。合同チーム以外でも都選抜で知り合った人と菅平や大学の練習試合とかで再会したり、中には一緒にストラグとか通ってたやつもいて。秩父宮で合同や選抜チームのコーチとバッタリ出会ったり。ラグビー界は世間が狭いから、いろんな人と知り合ってまた再会して。いろんな人との縁をラグビーのおかげで持てた、これが自分がラグビーが好きな理由でラグビーからもらった財産。

大学でもいろんな人と知り合って、特に東大ラグビー部は一番濃い場だったし、一番ラグビーに向き合った4年だったし、一番多くの経験があった。1年生からリザーブに入れたこと、2年3年とA戦にほぼ出れなかったこと、B戦でもほぼ勝てなかったこと、Bチームではあるけどリーダー的な立場を経験したこと、4年になってBBCがバカきつくて、対抗戦にいきなりスタメンで出て、と思ったら外れて、また選ばれて、最後はとんでもないプレーかまして。プレーヤーとしては苦い経験も良い経験も、期待に応えたり応えなかったり。でも、みんなすごく熱意を持っていて、自分に色んな期待やサポートをしてくれて、そんな人たちとラグビーを通して4年間関われたこと、同じ目標に向き合っていたこと、そんな人たちに自分もいくらかは期待に応えられたこと。とても幸せでした。
とかいう癖にお前新歓ロクにしてないだろとか、去年1年生の名前全然覚えてなかっただろとか思い出した人、それはすみません。やっぱり人付き合い苦手な部分はどうしても否めません、それは許してください。でもラグビー通して18年、そして大学での4年、自分がラグビーに熱意を持った理由も一番大きな財産もこれだと思います。幸せな4年間をありがとう。

次はラグビー部最年長、東大ラグビー部で一番の文武両道をゆく佐川にバトンを渡します。最初はラグビー部でトップレベルの常人だと彼のことを思っていましたが、4年間多くコンビを組んできて悪い面とヤバい面が自分の中でどんどん強調されていきました。また、ヘッドコーチに就任した彼ですが今度ブラジルに研究出張に行くことになり、その間はブラジルからオンラインでコーチングするそうです。

手をつなぎながら/私は私

投稿日時:2022/11/29(火) 13:40


同期の安富からバトンを受け取りました、3年スタッフの手島です。
スタッフに転向してからも体は鍛え続けようと、エニタイムに所属し続けているのですが、授業と練習時間外のスタッフ業務で忙しく、ほとんど行けていません。お金を溶かしているに近い状況なので休会しようか、勿体無いから行かなきゃと思える環境に身を置こうかというのが最近の悩みです。いやいや、本物のトレーニーは時間を言い訳にしないって話ですよね。反省します。大学に入ってせっかく見つけた好きなことなので、引退後は何らかの形でまたプレーしたいと密かに思っています。余裕がある時にスクラム教えてください。

自分の話ばかりで紹介が遅くなりましたが、最近グラウンドの外から見ていると、安富ってカッコいいなと感じます。あまり誉めるとすぐ調子に乗りそうなので、深くは書きません。


さて、諸事情(詳しくは読み進めてください)により1年ぶりのリレー日記更新なので書きたいことはたくさんあるのですが、まずは本来なら5月にバトンを受け取って載せる予定で書き上げていたものを成仏させてください。

テストに落ちこぼれそうで凹み
何回も学校辞めたくなった
心のロッカー片付け
今すぐ帰りたくなったけど

ぎゅっと手をつなぎながら
道に迷わないように
前へリードしてくれた
同じ夢を持つ友よ


こんなに今の自分に刺さる歌詞はあるだろうか。
「手をつなぎながら」という曲の2番のサビ前からサビの前半の歌詞である。

昨年末から、自分の体調、学業の成績、将来への不安、上級生になることへの準備不足、自転車操業のような余裕のない日々、祖母との別れ、コロナ…本当にたくさんのことが積み重なり、それまでの生活が嫌になって、部活を手放そうとした。間違いなく時間的余裕は生まれ、代わりに勉強する時間と自分の望む「ていねいな暮らし」が手に入ると考えていた。

悩めば悩むほど体調が悪くなり、常に吐き気があって思うように食べられなかったり夜眠れなかったりするようになった。もう部活を辞めた方が良い、きっと自分にはそれが一番正しい選択だと思って同期に打ち明けたあの日、あるメッセージをもらった。

「俺の勝手だけど、なんとか残る道を探してほしい」

自分はチームにとって必要のない存在だと思ってしまっていたから、必要としてくれる人の存在がとても嬉しかった。どこまでも深く。そして、自分が手放そうとしていたものは「部活」の2文字だけでは片付けられないもっともっと重くて大きなものだったことに気がついた。

何週間もかけて悩んだ末に出した答えだし、誰に引き止められても気持ちは揺らがないと思っていたのに迷ってしまったが、それも無理はない。自分の周りにはこんなに素敵な人がいたのに誰にも相談せず一人で決めたからだ。その日から同期や先輩に相談し、もう一度考え直した。休んでいる間に周りはどんどん強く逞しくなって、前が見えないところまで置いていかれてしまっていたし、自分の咳喘息を考えるとこのチームでまたプレーをすることは現実的ではないと思い、スタッフに転向することを考えた。他のスタッフがどういうモチベーションで活動しているかはわからないが、自分を優先して一度辞めようとした自分には「自分のために生きる人生と人のために生きる人生どちらが幸せか」なんて問いが生まれてくる。フィロソフィーだ。

結論から話すと、後者の方が幸せだと思ってスタッフとして残る道を選んだ。人のために何かをしている自分が好きで、自分のためより人のための方が頑張れる自分がいる気がしたからだ。ネガティブになりきっていたからこそ、好きな自分でいられる道を選んだ。きっと辞めたら心のどこかで自分を責めてもっと自分を嫌いになってしまうと思ったから。

某予備校でアルバイトをしていた時、第一志望に受からなかった担当の生徒に「自分が進む道を正解だったと思えるように進めば、いつかきっと正解になるよ」なんて言葉をかけたが、そういう自分は同じ状況で同じ言葉をかけられても前を向けるほど強くないんだよな、無責任な言葉だったなと思ったことを思い出す。でも、今だけは、ここだけはそう思って前に進めるように強くなりたい。周りのみんなに負けないように強くなりたい。そして、あの時の自分の言葉に責任を持てるようになりたい。


何より大事な仲間のために、そして好きな自分でいるために、ラグビー部人生第二章、スタッフとして頑張りたい。みんなと同じ夢を持ち、その夢を一緒に叶えたい。


いつか汗や涙も
光る思い出に変わる
だから頑張って行こう
共に声掛け合って
卒業をする日まで


お読みいただきありがとうございました。
ちょうど自分の中で答えが決まっていて、少しずつ体調を回復させていたリハビリ期に書いたものでした。部活復帰そしてスタッフ転向のタイミングで説明すべきだったことを、他学年には説明できていなかったので、この日記を説明とさせてください。特に、しれっと現れた元プレーヤーの先輩に戸惑いながらも優しく接してくれた1年生のみんなには感謝しています。さらにその中でも、他の1年生も話しかけやすい雰囲気を作りたいからという本当なのか嘘なのかわからない理由で、会って1週間で「じゅんちゃん」とか「てっしー」とか呼んでくれた彦人には感謝しています。ありがとう。

半年前に書かれた文章が成仏できたところで、ここからは今書きたいことを書きます。
 

先日、ある先輩が「てっしーは女子スタッフだからな」と言っていたことを知らされた。男子スタッフがすべき仕事と女子スタッフがすべき仕事がはっきり分かれているとは思わないし、この多様性が認められ、ジェンダー平等が謳われている時代に古い考えの持ち主なのかなと思いもしたが、自分の知る範囲の歴代の男子スタッフがしてきた分析、レフリー、S&Cの仕事はどれもしていないから、そう言われるのも仕方ないのかもしれない。

その先輩が何を考えてそう言ったのかは知らないが、その言葉はスタッフとしての今の自分を考えるきっかけになった。

遡ること約半年、スタッフに転向することを自分の中で決め、スタッフ長のあしゃさん(谷田さん)と面談をした時に、プレーヤーからの信頼を勝ち取るのはかなり難しいし、私は4年になっても自信がない時がある。これって私じゃなきゃいけない理由がないなって思うことがある。3年の途中からスタッフになるなら周りの何倍も頑張らないと無理だよ。そんな話をしていただいた。

スタッフの先輩後輩の話を聞いたりリレー日記を読んだりしていると、「自分でなければいけない理由」、言い換えるなら「自分にしかできないこと」がプレーヤーからの信頼を得ているかどうかの一つの指標であるように思える。

今している部の仕事はいろいろあるが、どれもが専門的な知識を要するものではなく、やろうと思えば誰にでもできるものも多い。今シーズンは僕がスタッフに転向する前からスタッフ組織が回っていて、僕が何か新しいことを始めたわけではないから、今僕がしている仕事は全て「誰かがしていたこと=他にできる人がいること」なのである。仕事内容を見ると、「自分にしかできない」とは程遠い。

では仕事の量はどうだろうか。一つひとつはそれほど大きくないが、いろいろな仕事を抱えている。しかし、自分よりもたくさんの仕事をしているスタッフは周りにたくさんいるし、その多くの人が平然とこなしている。あれもしなきゃ、これもしなきゃ、それもできていない…といつも忙しそうにして周りまで不安にさせる自分とは大違いで情けなくなる。
何かしらの期限に追われ続けていることを思えば決して仕事は速くないし、仕事が丁寧と誉められたかと思えばその後すぐにミスをしたり、今日はうまくできなかったなと反省することが多々あったりと、仕事の質も高くない。

仕事の内容、量、速さ、質、何をとっても「自分にしかできないこと」を感じられず、まだまだだなと感じる。先輩スタッフに「スタッフ組織に欠かせない人物になっている」と言ってもらえたり、後輩スタッフに「スタッフに転向してくださって良かった」と言ってもらえたりしたが、これらはスタッフからの言葉であり、プレーヤーからの信頼はまだ得られていないというのが半年経った今の結果なのだろう。
(このような形で引用をしましたが2人の言葉をネガティブに捉えているわけではありません。スタッフからの信頼は間違いなくプレーヤーからの信頼への通過点ですし、自分を肯定させてくれるありがたい言葉です。読んだ時の嬉しさを今も鮮明に覚えているくらい嬉しい言葉でした。)

元々半年で得られるほど簡単な道のりではないと知っていたから、認めてもらえるよう頑張るだけだと思うのだが、何か一つでも「自分にしかできない」を見つけたくて、いろいろ探してみる。

そこで見つけたのが仕事のやり方だ。仕事のやり方と言っても形式的な話ではなく、自分には自分のやり方があるというものに近い。仕事のやり方を考える上で、武器になりそうな自分の性格をあげてみる。

①優しい
自分から言う言葉ではないかもしれないが、自分は優しいと思う。「優しい」にもいろいろな意味があると思うが、困っている人を見ると放っておけない、人のために動くことができる、人に寄り添うことができる、そんなところだろうか。街で体調が悪そうな人を見れば「大丈夫ですか?」と声をかけずにはいられないし、誰かがピンチの時は助けて、支え合いながら生きていこうと、綺麗事のように聞こえるかもしれないが本気で思っている。悩みやすい性格だからこそ、誰かの悩みに寄り添うことも得意だ。同期や後輩に相談されたら誰よりもとことん付き合ってあげられる自信がある。
プレーヤーもスタッフも、全員が心地よく活動できる環境を作りたいし、チームの強化には一見繋がらないそういうことも、どこかで強化につながる時が来ると思う。1番優しくチームのために動けるスタッフでありたい。

②怖さ
夏合宿中に、青山先生から怖い人がチームに1人いないとチームは強くなれないという話をしていただいた。そしてそのポジションになってほしいという話もしていただいた。過去にいくつかの“怖い”エピソードを生み出してしまっており、怖い怖いと言われるたびに納得し難い気持ちになっていたが、その日を境に怖さも必要なのだと思えるようになった。規律を守る強いチームになるために怖い人でいることは、他の人にはなかなかできないのだろう。「1番優しくて1番怖い人」は「自分にしかできない」に近いかもしれない。

③オタク気質
これは一スタッフとしてというより、来シーズン担当する広報責任者としての武器だ。広報セクションの仕事は東大ラグビー部の魅力を世に発信していくことだが、魅力を発信するというのは思ったよりもずっと難しいものだと思う。何かを人に薦めるとき、その人がその対象を本当に好きでなければ、そのおすすめは相手に響かない。そう考えた時、広報の仕事はオタク気質な自分に向いているなと思う。誰よりもチームを愛し、最近の「好き」とほぼ同じ意味として使われる「推し」ではなく、文字通り、言葉通りに「推し」ていきたい。今以上にたくさんの方から応援してもらえるチームにしたい。


もちろんたくさん学んで専門的な知識や技術を身につけ、仕事の内容、量、速さ、質、どれをとっても代わりのいないスタッフになるための努力を続けるが、私は私、自分しか歩けない道を歩いていきたい。
 

半年前に同期の前で「少しでも早くみんなに認めてもらえるようなスタッフになりたい」と決意表明をした時、橋野が「そんなに焦らなくていいよ。手島は手島のペースでやれば」と言ってくれたのを思い出します。その言葉に救われて今の自分がいます。残り1年と少し、自分らしく進んでいきます。
(橋野のこんなに素敵な面を知っている他学年はあまりいないと思うので、あえて最後に書きました。これからチーム全体をよく見て、もっとチーム全体のことも一人ひとりのことも知っていき、自分しか知らない好きなところをたくさん見つけていきたいです。)

2回分なのでかなり長くなりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。手島が書くとものすごくネガティブに読めてしまうかもしれませんが、とても前向きな気持ちで書いています。心配されそうなので一応。


さて!リレー日記ファンの皆様お待たせいたしました。
明日からは楽しみにしている人が多いであろう4年生の最後のリレー日記です。
かく言う僕も楽しみにしている1人です。4年生がもうすぐ引退してしまうことを実感し寂しさを感じたり、最高学年になる日が近づいている不安を感じたりしますが、先輩方が残す言葉をじっくり読みたいと思います。
文章はもちろん楽しみですが、4年間を共にした同期同士の紹介文も非常に楽しみです。
ぜひ皆さんも毎日読んでください!!!!

今シーズンはここ数年で1番多い(手島調べ)24人の4年生が明日から毎日更新していきます。
そのトップバッターを務めるのは平岡さんです。普段は愛されキャラでいじられキャラの可愛い先輩ですが、スイカを着て対抗戦で闘う姿はとてもカッコよかったです。
 

進学選択のすすめ

 written by 安富 悠佑 投稿日時:2022/11/26(土) 23:42

 非常に弁が立つと評判の池田君からバトンを受け取りました安富です。女の子と連絡をとっているのは僕ではなく池田君の方で、女の子と楽しそうに通話している池田君の声が壁越しに聞こえてくるため、僕はしばしば傷ついています。加えてリレー日記でも強者の余裕から出る嘘をついて、これ以上人を痛めつけてどうしたいのでしょうか。



 この大学において、誰もが悩むのは進学振り分け、通称進振りです。そもそも絶対にやりたいことがある場合は、進学選択という制度がない(ほとんどそうですが)大学に行くことが多いため、この学校には偏差値のみを追い求めて生活をしてきたモンスターが少なくないのが現状です。大学入学後1年半でやりたいことが見つからない限り、進振りで頭を悩ますことになります。

 ラグビー部員も例外ではなく、そのような偏差値モンスターが散見されます。個人の趣向の領域なのでこれを評論するつもりはありませんが、こと進振りに関してはその習性のせいで苦労している人間を多く見てきたため、今後進振りを経験する後輩たちの参考となるよう進振りの罠を記そうと思います。

その罠とは、成績が点数化されてしまうことです。進振りのため、東大生は入試の後も点数による競争を強いられます。今後やりたいことが決まっている人は、希望の学科に行けるように点数を稼げばよいでしょう。しかし、決まっていない人はどうするのでしょうか。とりあえず勉強をして点数を高くする人、どこでもいいから勉強しない人色々居ますが、ありがちな問題として、持ってる点数で行ける範囲での一番点数の高い学部に行こうとすることがあります。これは、受験戦争を乗り切ってきた東大生の点数信仰という悪癖であり、他の人に言われないと気付くことのできない難しい問題です。

 例えば、点数が足りているので文3から法学部に進学しようと思ったとします。その場合、2Aセメスターから法学部に所属することになりますが、これが何を意味するか考えてみましょう。
 まず、法学部の持ち出し科目は2Sから始まるため、その分の不利があります。更に、法について考えている期間が違います。法学部に進学する生徒は、基本的に法学部の進学を考えている文1の生徒が大半です。入学時から法を意識しているため、前提知識に差があります。そもそも他の大学と比べ、教養学部を過ごさなければならず、2年と少しで法学を修了しなければならないことを考慮すると、状況は芳しくないと予想されます。

 次は、なんとなく工学部がカッコいいから工学部に進学しようと考えているとします。工学部は勉強意欲の高い生徒が集まっており、当然相対評価である成績は厳しいものとなります。また、卒業に必要な単位が大体90単位以上となっており、農学部の68単位と比べて非常に多いです。実験が時間を食う割に単位数が少ないため、想像以上にタイトなスケジュールが要求されます。中には、「俺は学部に所属してから勉強するんだ」と言っている人もいますが、歴史上そのような人が勉強したことはありません。

 以上のような厳しい状況を全て吹き飛ばす最強の手段も存在します。そう、留年です。留年を選択すれば、1年間余剰を生み出すことができ、ラグビーに集中ができます。その増えた1年間で残った単位を回収しつつ、ラグビーももう1年やってしまえば非常に充実した留年ライフを送れること間違いなしです。

 留年は嫌だ!という人は農学部に進学することがおすすめです。上記の通り工学部よりも必要単位が少なく、学部全体の雰囲気がのんびりとしていて、過ごしやすい環境になっています。授業も融通が利くことが多く、勉強したい人もそうでない人でも適しているといえます。やりたいことがない、という人は、まず農学部に進学しましょう。その後工学系がやりたいと気付いた場合は、農業の機械系に進学することもでき、なんなら工学部の授業を他学部履修して工学部の院に行くこともできます。

 まとめると、このリレー日記で言いたいことは、点数に惑わされずにとりあえず農学部に行けということです。



 次はスタッフに転身し頑張っている手島にバトンを渡します。選手時代に鍛えた大きな体は今も健在です。今度一緒にスクラムの練習をやりましょう!
 

粋な店 粋

 written by 池田 周貴 投稿日時:2022/11/25(金) 12:29

チームでも一二を争う俊足の持ち主である温人からバトンをもらいました、三年の池田です。温人はとにかく運動神経がいいなという印象で、いつの日だったか一年生数名でバレーボールをしていたときにとんでもないスパイクを打っていて驚かされました。まああとこっちは深掘りしませんが色男というイメージもありますね。笑


温人が粋について触れていたので、せっかくなので粋(すい)について書きたいと思います。

粋は東大北門を出てすぐのところにある、東大ラグビー部が代々お世話になっているお店です。店主のせきさんはラグビー部を長年応援してくださっている方で、ラグビー部のためにボリューム満点のご飯を破格の値段で提供してくださっています。もちろん栄養価も高くて、高タンパクのおかずがたくさん並んだ美味しいご飯を食べることができます。

僕は今は毎週木曜日の夜練の後に通わせてもらっていますが、お昼も営業していて、先輩方によるとキーマカレーが絶品だそうです。僕もまだ食べたことがないので近いうちに食べたいなと思っています。

ここまで読んで行ってみたいと思った人は是非僕に声をかけてもらえればと思います。特に増量中の人にはおすすめです。


次は同期の安富にバトンを渡します。彼はラグビー理解度が高く、思っていることをはっきり言ってくれる信頼できる人です。また同じアパートの隣の部屋に住んでいて、耳を澄ませば彼の生活音が聞こえてきます。そういえば前話していた女の子とはその後どうなったのですか。今度教えてください。
 

可愛い方言ランキング1位

 written by 渡辺 温人 投稿日時:2022/11/22(火) 21:00

塩谷さんからバトンを受け取りました。1年の渡辺です。
上クラである塩谷さんは僕と違ってクラスに友人が多くおり羨ましい限りです。また、入部した時にスパイクを買っていただきました。買っていただいたスパイクは半年使ってきてそろそろ買い替え時なのでまた期待しています。ちなみに必修の単位は全く問題ないです!



今回は僕の出身である福岡の方言、博多弁について紹介したいと思います。博多弁は可愛い方言ランキング1位らしいので、皆さんもぜひ覚えて使ってください。ネイティブが実際によく使うものをいくつか紹介します


「ばり」
有名なやつです。とてもの意味で、福岡の大体の地方で使います

「~やけん」
~だからという意味です。県外の人と話してるとき分かりやすいのか、これが一番突っ込まれます。

「とっとーと?」
とってるの?という意味です。これを使った早口言葉が有名です。

おっとっととっとってっていっとったのに何でとっとってくれんやったとっていっとーと!(「おっとっと」をとっておいてって言っておいたのに何でとっててくれなかったのって言ってるの!)

これがスムーズに言えればネイティブと言っていいと思います。福岡の人は全員噛まずこれ言えます。



最近になって少し薄まってきてしまっていますが、アイデンティティとしてこれからも博多弁は失わずにいきたいと思ってます。



次は3年の池田さんにバトンを渡します。池田さんは1年生でも何でも言えるとても話しやすい先輩です。最近粋(ラグビー部行きつけのご飯屋)に連れて行ってもらえず寂しいです。連れてってください
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可愛い方言ランキング1位
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素敵な予感
2022/11/16(水) 15:39
運動会のなかまたち
2022/11/14(月) 15:43
専用
2022/11/13(日) 10:41
囲碁で何学んでん
2022/11/09(水) 15:42
ラグビーは闘球じゃない!
2022/11/07(月) 15:55
最近のこと
2022/11/05(土) 22:20
「もちろん好きさ」「今やろうと思ってたところ!」
2022/11/02(水) 19:36
リレー日記です!

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