ラグビー部リレー日記

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挑戦

 written by 福元 倫太郎 投稿日時:2025/12/27(土) 22:41

副将のゲントからバトンをもらいました、福元倫太郎です。ゲントは1年生からスイカを着て、常に激しいプレーでチームを引っ張り続けてくれました。ゲントがボールを持てば必ず前に出てくれるという安心感があり、とても頼りにしていました。また、僕が怪我でプレーできない期間もずっとグラウンドに立ち続け、先頭に立って戦い続けてくれました。このチームがあるのは本当にゲントのおかげだと思っています。1年間ありがとう。ラスト一戦、最高の試合にしよう。



初めて楕円級に触れたのは小学2年生の冬だった。当時幼稚園生の弟がどこでその言葉を覚えたのか、突然ラグビーをやってみたいと言い出した。そして、父に連れられて世田谷ラグビースクールの練習に参加した事がラグビーとの出会いだった。同級生がたくさんいて、みんな楽しそうに走り回っていた。それをみて心惹かれた。その後はボールを持って走ることの面白さに夢中になり、ラグビーを好きになることに時間はかからなかった。ラグビーのしんどさは知る由もなかった。

学年が上がり試合を経験するに連れて、少しずつ痛さとか、キツさとか、怖さを知った。体が小さく、足が速いわけでも、タックルがうまいわけでもない自分のチーム内での定位置は基本的にBチームだった。それでも、チームメイトやコーチ陣に恵まれ、楽しく充実した時間を過ごすことができた。

結局、小学6年生の夏の大会でもレギュラーにはなれなかった。とはいえありがたいことに、大会に参加するメンバーには選んでもらった。しかし、詳細は割愛するが、大会前日に怪我をした。当然、1試合も出られなくなってしまった。菅平の病院で絶望する僕の前で、気丈に振る舞おうとしてくれる父の姿を今でも覚えている。毎週練習に連れて行ってくれて、いつも応援してくれていた両親への申し訳なさで一杯だった。
その後の大会でチームは全勝した。ずっと負けていたチームにも勝つことが出来て、とても感動したし本当に嬉しかった。一方で、その結果に全く寄与出来ない自分が情けなかったし、悔しかった。大した努力もせずに、才能という言葉を使うのは逃げのようで嫌だが、人には得手不得手があること、向き不向きがあることは事実だと思う。ラグビーが自分にとっての「得手」でないことは小学生ながらに理解していた。

そして、中学1年生の時、ラグビースクールを辞めるという判断をした。土曜も学校があることとか、念願だった囲碁部に入部して大会に出たいから両立できないとか、色々な理由があったけれど、ラグビーが超好きで、自信があったらやめてなかったと思う。勿論、この時やめていなければ、囲碁の全国大会で優勝するという目標は達成されなかっただろうし、この判断を後悔している訳ではない。けれど、ラグビーをやめることで弱い自分とか、ダメな自分に向き合うことを放棄したことは確かだった。

結局、中3であまりの運動不足から運動部への入部を決意し、経験値があって比較的参加しやすいという理由で駒場東邦ラグビー部に入部することにした。しかし、合同チームということもあって、そこでのラグビーでは楽しくやることに終始した。そんな緩いラグビー部生活を終えて受験勉強に勤しんでいた高校3年生の冬、花園を見た。そこには、ラグビースクールの同級生がたくさん出場していた。高校から親元を離れるという覚悟をして花園出場を掴み取っている子もいた。僕の中で、ラグビーを真剣にやることは、これ以上なくしんどいことで、弱い自分とか、ダメな自分に向き合うことだと思っていた。だから、目標を達成し、花園で活躍する彼らの姿はとても眩しかった。彼らをとても尊敬したし、自分の中高時代の過ごし方は正しかったのか分からなくなった。というか、自分はそんな彼らに胸を張って会える人間ではないように感じた。


だから、浪人中から東大ラグビー部の存在は気になっていた。もう一度真剣にラグビーをやってみたい、そして中1の時ラグビーから逃げた弱い自分を清算したいと少なからず思っていた。けれど、才能がなければ、中高時代に直向きに努力したわけでもない自分が大学でラグビーをやることは烏滸がましいことのようにも感じていて、入部するかどうかはとても悩んだ。自分の中では入るからには何があっても、4年間やり通すことが必須だったし、覚悟を持つ事にも時間がかかった。結局、もう一度ラグビーに挑戦することを決意し、入部に至った。

1年生の1年間はあっという間だった。週5回の練習と、ウエイトについていくことに必死で、気づいたら1年間が終わっていた。最後の京大B戦は1秒もグラウンドに立てずに終わった。悔しい1年になったけれど、大学からSHにチャレンジし、垣内さんをはじめとした尊敬する先輩たちのもとで沢山のことを学ばせてもらった貴重な時間だった。

2年生の1年間は本当に不甲斐ない1年間だった。春先期待してもらい、大西さんにチャンスを頂いたのにも関わらず、疲労骨折をして離脱した。チームには全く貢献できずに、1年間を終えた。

3年生の1年間はとても濃かった。個人としても今年こそは出たいと思って、オフ中も毎日一人で公園に行ってパス練をした。そして、春シーズンからコンスタントにメンバーに選んで貰うことが出来た。この年のチームは、フィジカルで圧倒するラグビーという目標を掲げており、その目標に恥じない過去最強のフィジカルを持った選手達が揃っていた。また、5年生として西久保さんも復帰してくれて最も入替戦に近いチームだと感じていた。対抗戦でも最初の4戦を危なげなく勝ち続けた。そして、強い希望をもって成蹊、明学の試合に臨んだ。しかし、完敗した。特に明学戦は何も通用せず、後半途中からは思い返したくもないほどコテンパンにやられた。来年のチームはこの年のメンバーのほとんどが抜ける上、戦術の要であった西久保さんが抜ける。そうなった時、ここまでの3年間の延長線上にあるチームでは入れ替え戦には到底辿り着かないだろうということはすぐに分かった。自分達は変わらなければならないと感じた。

幸い変わることができる様に見えるところはたくさんあった。生活面では、規律正しくすること。時間を守ることや、道具を大切にすること。他にも、日々の練習への取り組み方のも改善の余地はありそうだった。練習中のムードとか、アップへの取り組みとか。ラグビー的にも、フィジカルだけでなく、フィットネスも重視することとか、基本的なボールの扱いが上手になること。DFで前に出ること。上げ出したらキリがなかった。だから、最後の1年間はあらゆる変化を全て受け入れて、取り組むことが重要だと考えていた。

そんなことを考えながら、望んだ1年前の名古屋戦、翌年の主将を努めることが決まってからの最初の試合であり、自分にとっては明学以来の復帰戦。プレーで周囲からの信頼を得ようと決意して臨んだ試合だった。しかし、キックチェイスに行ってタックルした瞬間、左肩がどこかにいったような感覚が襲った。自分でも何が起きたかわからなかった。完全に脱臼していて、手術が必要。復帰までは半年。受け入れられなかった。絶望しすぎて、涙も出なかった。
そして京大戦、手術を終え聖路加から帰る道中、一人で配信を見ていた。シーズン通して自分を信じて使ってくれたチームが、中学からの付き合いの寿太郎が主将のチームが京大にボコボコにされていた。来年の主将である自分がそこにいることすらできない情けなさと、東大ラグビー部の実力を突きつけられた絶望でぐちゃぐちゃの感情だった。

でも、チームとしても個人としても前を見て進むしかなかった。だから、片桐が考えてくれたone by oneというスローガンが僕はとても気にいった。明学に73-0で負けて、京都に76-12で負けたチームが、対抗戦全勝するためには止まっていられる時間は無かった。

最後の一年はあらゆる変化を受け入れることを心に決めた。実際、一聡さんがBBBという新たな練習を取り入れてくれたり、中垣さんが来て体の使い方を一から教えてくれたり、新しいことだらけだった。BBBでは基礎的なハンドリングにも着手し、夏からは、やるラグビーも大きく変化した。個人としても、一聡さんと鳥飼さんにたくさんのことを教えてもらい、どんどんラグビーが楽しくなったし、今まで見えていなかったことや気にしていなかったことにも気がつくようになった。

一方で、それと同時に自分の足りないところにもどんどん気がつくようになった。3年生の時は試合に出て、なんとかプレーすることで手一杯だったけれど、今年はダメな自分とか、弱い自分、出来ない自分をこれ以上ないほどに突きつけられた。Mの3人に素晴らしいスクラムを組んでもらって、辻に完璧スローを投げてもらって、ゲントにめちゃめちゃ体を張ってトライを取ってもらって試合をしている事に気づいていた。毎週のmtgで自分は主将として冷静に、客観的に現状を分析して、課題をクリアにしなければならない。これはこれでやらねばならない。

でも心の中の自分が「偉そうに課題指摘しているけど、お前はできてんのかよ」と自分に問いかけてくる。その自己矛盾みたいなものに自分は気づいていた。これ以上ないほどにダメな自分を自分自身に突きつけられ続けた。
ラグビーはダメな自分とか、弱い自分を教えてくれた。グラウンドの上では東大の肩書きは無力だし、力のないものは仲間を助けるどころか邪魔にしかならない。弱い自分や、ダメな自分を清算すべく大学でもラグビーを続ける覚悟をしたけれど、またダメな自分を突きつけられた。とても悔しいことであるし、未熟な自分を恥じなければならない。でも、これが現時点での自分なのだから、そこに向き合うよりないし、受け入れるよりない。今後の人生の糧にして成長するしかない。

対抗戦B全勝を目指して駆け抜けた1年間。結局3勝4敗の4位。反省することは山ほどあるけれど、後悔はない。その瞬間その瞬間で、ベストだと思う判断をしたと胸を張って言える。4年間を振り返り、大学でラグビーをするという選択をして良かったと心から思う。これだけ、等身大の自分に向き合わせてくれる環境は他にないだろう。東大ラグビー部に入部するという決断をして本当に良かったと思う。

明日、人生最後の試合がある。1年生の頃から憧れ続けた京大戦。先輩方が築いてくれたこのチームで、スイカのジャージを着て戦わせていただく誇りを胸に、自分の持っている全てを出して戦う。



最後になりますが、この4年間関わってくださった全ての方々に深くお礼を申し上げます。皆様のサポートなしにはラグビーをやり切ることはできませんでした。本当にありがとうございました。

青山先生
初めてのA戦だった2年生の東北戦後、「お前が試合を壊している」と言われたことは今でも忘れられません。今年、首脳陣mtgを通じて青山先生に耳の痛いことを言ってもらうことで成長できました。ありがとうございました。

川手さん
下級生の頃はSHのコーチとして様々なことを教えていただきました。今年1年間は監督として、日々の練習にも来ていただきとても感謝しています。怪我している時に、温かい言葉をかけてくださったことにも、とても感謝しています。ありがとうございました。

杉浦さん
お忙しい中、ラグビー面だけでなくチーム運営面に関してもたくさんのアドバイスを頂き、とても感謝しています。杉浦さんからのアドバイスを自分なりに解釈する中で少なからず成長できたと思います。ありがとうございました。

OB・OGの皆様
主将を務めさせていただく中で、皆様の支援の上にラグビー部の活動が成り立っていることを強く実感しました。ありがとうございました。

大西さん・吉田さん
大西さんにラグビーとは何かを教えていただきました。そして、一流と言われる方の、物事への取り組みを学ばせていただきました。2年生の時、SOとして吉田さんのもとでやったラグビーはとても楽しく、貴重な経験になりました。2年間ありがとうございました。

一聡さん
今年一聡さんと一緒にラグビーができて、とても幸せでした。直接のコミュニケーションを好むと思うので、文面はそこそこにさせてもらいます。

田崎先生、工藤さん、笠原さん、上岡さん
皆さんのおかげで、何度怪我をしても復帰することができました。本当にありがとうございました。

中垣さん
怪我をしている時から、会うたびに声をかけていただき、とても励みになりました。教えていただいたストレッチ、継続しようと思います。

杉本さん
ラグビー面だけでなく、人としてどうあるべきか、杉本さんの毎週のmtgから学ばせていただくことがたくさんありました。怪我している時に誕生日を祝っていただいたこと、とても嬉しかったです。ありがとうございました。

鳥飼さん
「明るいおじさん」としてBKユニット、全体練習を常に盛り上げてくださり、ありがとうございました。春先、ムード良く練習することと、精度の高さを求めることとでどうして良いかわからなくなっていたところ、鳥飼さんがきてくださりとてもありがたかったです。

先輩の方々へ
まず、復帰していただいたあきおさん、一木さん、辻、安富さん、1年間ありがとうございました。4人なしには1年間試合をすることすらできなかったと思います。感謝しています。
今まで様々なご迷惑をお掛けしたと思います。今年たくさんの先輩方が試合を見に来てくださり、とても嬉しかったです。

後輩へ
1年間一緒に戦かってくれてありがとう。プレイヤー10人しかいない代で、グラウンド内外共に様々な場面で後輩のみんなに助けてもらって活動できた1年間でした。本当にありがとう。ずっと応援しています。

同期のみんなへ
4年間ありがとう。最後1年間、みんなにたくさん助けてもらって、やり抜くことができました。本当に感謝しています。引退してもたまには集まろうね。

世田谷ラグビースクールでお世話になった皆様へ
世田谷ラグビースクールで、ラグビーに出会うことができて本当によかったです。僕が大学生になっても変わらず応援してくださる事がとても嬉しかったです。ありがとうございました。

駒場東邦ラグビー部でお世話になった皆様へ
楽しい時間を過ごさせていただきました。また、今年はグラウンドまで足を運んでいただき応援していただいたこと、感謝しています。とても励みになりました。

家族へ
小学生の頃から、どんな時も僕のやりたいことのために協力してくれて、サポートしてくれたこと、とても感謝しています。本当にありがとうございます。

他にも、ここには書ききれないくらいたくさんの方々にお世話になりました。ありがとうございました。




いよいよ明日は京大戦。チームとしてやれることは全てやってきた。この1年間の全てを出し切って必ず勝とう。

主将 福元倫太郎

愉快な4年間

 written by 領木 彦人 投稿日時:2025/12/26(金) 22:13

2年生の時から全授業を一緒に受けていたのに僕と残りの単位数の桁が違う金大くんからバトンをもらいました、4年の領木です。怪我で色々と苦しかった4年間だったと思いますが、それでも明るく部活に来ていた金大は本当に尊敬しています。来年も遊ぼうね。
 

僕はこの最後のリレー日記を読むのが大好きだった。1年生の時にジュニコの代の日記を読んで以来、毎年この時期が楽しみで仕方がなかった。部員たちが抱える葛藤や覚悟、表には出さない想い。それを知ることができるこの場所は、僕にとってラグビー部の深さを象徴するものだった。だからこそ、最後は僕も自分なりに、飾ることのない4年間を振り返りたい。
 

ラグビー部に入った理由は、シンプルで、ラグビーが大好きだったから。海外育ちの僕にとって日本の部活は憧れだった。父の影響で幼稚園の時に2年間ラグビーに触れていたこともあり、合格発表の日に父から大西さんの記事が送られてきたとき、僕は勝手に運命を感じて入部を決意していた。
 

1年生の頃は、とにかく楽しかった。甲斐さん、今塩屋さん、ルーシーさんたちとのジュニア練の居心地が良すぎて、ラグビー部の練習はタッチフットと2対3だけだと思い込んでいたほどだ。それでも、根が負けず嫌いな僕は「同期の誰よりも輝く」ことを目標に掲げた。春シーズンではベンチ入りを果たしたものの、最初にスタメンを掴んだのは同期の宮田。残りの春シーズンと夏合宿でも出場時間はわずか10数分。最後の京大戦でメンバー入りした石澤を横目に、選外となった自分を不甲斐なく思い、悔しさで胸が一杯になった。それでもB戦ではラグビーと勝負の楽しさを全身で感じ、4年生たちの最高に熱い背中を間近で見ることができた。充実した1年目だった。
 

2年生になり、「全試合Aでスタメン出場する」と誓った。ポジション争いをする先輩の動画を何十回も研究し、オフは増量と筋トレに捧げた。今の下級生は信じられないかもしれないが、毎朝6時にはグラウンドに立ち、ボールの空気入れや掃除をこなす、自分でも驚くほど真面目な部員だった。 努力の甲斐あり春からスタメンの座を掴んだが、パフォーマンスが伴わず、九大戦でスタメンを外されてしまった。今思えばよくあそこまで我慢して自分を試合に出してくれていたと思うが、悔しすぎて、安富さんに練習動画などを見せ、なぜ自分を出すべきかを直談判した。あの時の思いが、「二度とベンチスタートはしない」といういいモチベーションにはなった。 また、苦手だったタックルの克服にも励んだ。暇さえあれば金大を捕まえて練習に付き合ってもらった。その甲斐あって対抗戦では納得のいくプレーができたと思っていたが、名古屋戦の週、ある先輩に「人がいたら、げんとは試合に出てないよな」と漏らされた。その言葉で猛烈に火がつき、名古屋戦では意地の3トライを挙げた。 このように、2年生の時はとにかく悔しさをバネにがむしゃらに頑張って、個人としては非常に満足した1年だった。


その一方で、同期との差も感じた一年であった。怪我、実力、コーチとの相性など色々と理由はあったと思うが、シーズンを通して出場し続けた同期がいなかったのはなにかと複雑だった。シーズン中に大西さんに下級生の出場時間の少なさを指摘され、僕は頑張らないとなと思ってそのmtg直後にタックルの練習をしていた。その横で試合に出ていないのにふざけて遊んでいる同期の姿を見て、失望したことは未だに忘れらない。もっと自主練すればいいのに、もっと貪欲に練習に取り組めばいいのになどと思ってはいたが、彼らにアプローチして巻き込む力がなかった自分も弱かった。
 

そして、3年生。正直に言えば、ラグビーが最も楽しくなかった1年だ。 大西さんがチームを去り、指導者不在で始まった春シーズン。チームが緩むのではないかという不安は的中した。山学との合宿中、ユニットでボコボコにされた後の休憩時間にビデオも見ず談笑する4年生の姿。それを見て、僕は絶望のあまり練習を2日間無断で休んだ。 「なぜ3年の僕がサインを考え、モールを研究している横で、最上級生がふざけているのか」そう憤っていたが、結局は勇気を持って周囲に働きかけられなかった自分への言い訳に過ぎなかった。
 

それから春シーズンの終わりあたりで初めて本当に部活を辞めたいと思った。グラウンド外でも色々とチームに迷惑をかけたが、それとは別にただただラグビーがつまらなくなった。その当時の自分は1年や2年の時の貪欲さを失っていて、試合で自分に与えられた仕事をこなし、穴にならないようにさえすればスタメンで出場し続けられていた。そんな状態でも試合に出ることができたのが自分のラグビーに対する気持ちを失わせていた。所詮東大ラグビー部という弱小組織で、たまたま実力ではなく人数の関係などで試合に出ることができ、それで満足していただけだっだ。自分は結局その程度の人間だった。今までは大西さんという常に限界を突破することを求めてくる人がいたが、そのような人がいなくなった途端慢心して、自ら成長を追い求めることを辞めていた。また自分の弱いところが出てしまった。そんな状態でも僕を試合に選んでいただいていたあきお、寿太郎さん、原さんには今となっては本当に申し訳ないと思っている。その後の夏合宿も対抗戦も必要以上のことはせず、常に80点のパフォーマンスを出せばいいと思っていた。
 

そして迎えた最終学年。副将になった。自分がどのようなリーダーになるべきか模索していたとき、一聡さんとのミーティングで言われた一言が刺さった。 「今年のチームは、どれだけげんとが成長するかだからな」 と言われた。話すのは得意ではないし、歴代の副将のように品行方正でもない。せめてグラウンドでは先頭に立って体を張ろうと決意した。足が速いわけでも、体が特別強いわけでもない。だからこそ、一番分厚く、一番痛いところに、誰よりも先に突っ込んでいくと決めた。杉本さんに練習後に付き合ってもらい、苦手だったキャリーを磨き、基礎的なパスやキャッチをやり直した。 振り返ってみれば、4年間で最も成長でき、ラグビーが楽しかった1年であった。
 

結果として、僕たちの代は目標を達成できず、ギリギリでの4位。悔しさはもちろんあるが、今年の対抗戦は最高に楽しかったと言い切れる。 打倒東大を掲げた上智との初戦、悔しさで記憶が飛んだ成城戦、最高に気持ちよく勝てた一橋戦、2年前のリベンジを果たした学習院戦、最強のFWに真っ向から打ち当たった成蹊戦、そして勝てると本気で信じられた明学戦、創部初の入替戦進出を決めていた強敵武蔵との最終戦。 全ての試合にドラマがあり、一つひとつの勝負に没頭でき、後悔は全くない。


対抗戦は終わったが、幸いにも、まだワクワクする勝負が残っている。京大戦だ。 入学以来、一度も勝っていない相手。去年は歴史的な大敗を喫した。どうなるかなんて分からないけれど、楽しみで仕方がない。 自分のラグビー人生のフィナーレに相応しい試合にする。一個一個の勝負に没頭し、先頭に立って体を張る。 絶対に勝ちます。
 

こうして振り返ると、自分について色々なことに気付かされた4年間だった。 つくづく、自分には周りを巻き込むほどの勇気も力もなかったのだと思う。勝ちたいという思いは誰よりも強く、そのためにラグビーを研究し、自主練も欠かさなかった。けれど、どうしても周りを巻き込むことができなかった。20年かけて培われた他人の考え方を変えるのは無理だと思っていたし、しつこく言って煙たがられるのも嫌だった。 そんな不安を飲み込んで人に対してアプローチできるのが、杉浦さんや杉本さんのような本当のリーダーなのだろう。試合に出ていた人間として、周りを巻き込むのは僕の責任だった。そこから言い訳をして逃げていたことが、4年間で唯一の悔いだ。もっと勇気を出して、東大ラグビー部に良い文化を残したかった。
 

だが、それと同時に、心の底から楽しかったし、人として成長できた4年間だったと思う。特に怪我もなく、この3年間は脳震盪で出られなかった1試合を除いて全公式戦にほぼフル出場することができた。ラグビーの楽しさをたっぷり味わえたこの4年間は自分にとって一生の財産だ。
 

最後に感謝を述べたいと思います。


大西さん

大西さんがいなかったらここまでラグビーを楽しめていなかったと思います。本当に怖かったし、いまだに街中で大西さんの車を見るたびに吐き気はしますが、大西さんとの2年間で学べたものは一生忘れません。引退したらおいしい焼肉に連れて行ってください。
 

一聡さん
一聡さんとの出会いは刺激的でした。一聡さんのお陰でラグビーをもっと頑張ろうと思えたし、ラグビー以外でも人生のあらゆる生き方を学ことができました。特にこの1年間はお世話になりました。来年は暇なんで一緒に遊びましょう。


鳥飼さん、笠原さん、中垣さん

お忙しい中練習に来ていただいてありがとうございました。色んな世界を見せてくれて、非常に刺激的でした。お陰様で練習に行く楽しみが増えました。飲みに連れて行ってください。
 

青山先生、川出さん、東大ラグビー部OB、OGの方々

不自由なく4年間やり切れたのは皆様のサポートのおかげです。本当にありがとうございました。
 

杉本さん、永山さん

毎週水曜日が楽しみでした。高いレベルの世界でプレーしてたお2人の話しや指導を聞くとワクワクして、もっと頑張ろうと思えました。特に杉本さんにはこの1年間本当にお世話になりました。一緒にラインアウトについて考える時間が楽しかったです。
 

関さん、岩下さん

お腹空いてた時にいっぱい美味しいご飯食べさせてくれてありがとうございました。特にこの1年間は色々と付き合ってくれて感謝です。
 

後輩

あんまり模範的な副将ではなかったと思いますが、それでも付いてきてくれてありがとう。来年も応援してます。暇なんでいつでも呼んでください。


先輩
敬語も使えず生意気でしかなかったと思いますが、ラグビー部に入って続けられたのもそれを許容してくださった先輩方のおかげです。特にあきお、辻、一木さん、安富さんには感謝しています。また一緒にできて楽しかったです。


同期

4年間お世話になりました。ちょうどいい距離感が良かったです。引退しても何かに誘ってください。


毎試合欠かさず観に来てくれて、応援してくれてありがとうございました。お陰様で頑張れました。あと数年間はお世話になります。
 

次は我らが大将福元にバトンを渡します。この1年間僕がプレーに集中できたのも彼がmtgの資料を作ってくれたり、チーム運営してくれていたおかげです。本当にありがとう。京大戦では思う存分一緒に暴れましょう。

大航海

 written by 辻 金大 投稿日時:2025/12/26(金) 00:00

同じ九州出身のはるとからバトンをもらいました、4年の辻金大です。
はるとには僕がいつもダルがらみをするので基本邪険に扱われますが、それは他の人が近くにいる場合であり、2人の時には割と話を聞いてくれる、ツンデレなやつなんだと思っています。紹介が短かったことは残念です。名古屋戦後の様子を激写されてしまったので、京大戦の際には激写し返します。


ついに最後のリレー日記になってしまった。
ラグビーに出会ってもう10年になる。それなりに積もる話もあるので冗長な文章になってしまうが、お付き合い願いたい。


ラグビーには中学生の時に出会った。同級生のお父さんがラグビー部のコーチをしており、知ってる人だからという理由で何となく体験会に行ってみた。これまで体育以外ほとんど運動をしたことが無く、昼休みや放課後に積極的に外で遊ぶ子でもなかったので、とても新鮮な経験だった。部の雰囲気に惹かれたことや体が大きいことを褒められて、楽しそうだったから入部を決めた。もちろんきつい練習もたくさんあったが、中学ラグビーの3年間はとにかく楽しく、同期も多くて、さらにそこそこ勝つことが出来た。その当時の最高成績を更新して引退した。純粋にラグビーが好きで楽しかった。


高校へ進み、一緒の高校に進学した同期と共に入学式前からラグビー部の練習に参加した。みんなも続けてるし、別に他にしたいこともないし、とりあえずラグビーを続けようと思った。けど、そこでのラグビーは、中学までとは全く異なるものだった。まずサイズが全然違うし、コンタクト強度も高い、何より「楽しむ」というより「勝つ」ためのラグビーだった。中学での楽しいラグビーに浸かっていた僕にとって、そのラグビーはとても苦手だった。練習の多さや強度に耐えかねて、次々と同期が辞めていった。僕もそれを見ながら、「このままだとラグビーが嫌いになりそうだ」と思い、1年生が終わるころに部を去った。


時は進み、1浪して東大に合格した。「せっかく東大に入ったのだから勉強を頑張ろう、でも軽く運動したいからサークルとかも入りたいな、バイトも家庭教師とかしちゃって。」と新生活に思いを馳せた。一瞬、ラグビーのことが頭をよぎった。ラグビー部には原さんがいることは知っていたので、ご挨拶しよう程度にご飯に連れて行ってもらった。色々聞いてラグビー部楽しそうだなと思ったが、高校であんな目にあって今更プレーヤーをする気力もないし、スタッフも良さそうと思った。ご馳走になったし、一度だけ新歓に参加してみることにした。3年振りのラグビーはとても楽しかったし、ラグビー部の部員の雰囲気がとても良かった。そこで中学や高校の頃を思い出した。関わってきた同期・先輩・後輩など、僕はラグビーそれ自体ではなく、ラグビーに関わる人たちに魅力を感じていた。うまく言語化できないが、ラグビー部特有の温かい雰囲気がある。大学でも、それを感じられるような仲間が欲しいと思った。また高校で退部したことについて、見捨ててしまった同期・先輩のこと、そして中途半端に投げ出した自分への後悔が心の中で引っかかっていた。
だから、4年間絶対に続けることを目標に、良い仲間をつくるために入部を決意した。

同期はそこそこ多く、やはりラグビー部らしい雰囲気で楽しかった。練習は高校に比べてはるかにきつかったが、4年間続けることを絶対に曲げたくなかったので何とかしがみついた。経験者ということで試合に出る機会も多く、充実した1年生を過ごした。一方で、勝利への意欲とかシビアなポジション争いとかは苦手で、そこへどんどん挑戦する同期はすごいなと思った。

2年生になっても苦手は変わらず、自分のできる範囲でのレベルアップを続けた。1年生末からコンバートしたHOのおかげで、春から運良くA戦のリザーブを獲得した。でも自分はチームにとって重宝されるような強いプレーヤーでもないし、ただHOの控えがいないから当てはめられただけの地位だと思っていた。そんな中、秋シーズンスタート直後に練習で前十字靭帯を断裂した。大西さんにとても怒られたことを覚えている。スイカを着ることの自覚と責任を、自身の怪我を代償として実感した。
これまで中学校での3年間・高校での1年間ラグビーをしていて、歯を折った以外には捻挫などの軽い怪我すらもしたことがなかった。その理由は、準備運動をちゃんとやっていたとか、そこまで強度が高くなかったとか、軽いプレーしかしなかったとか、いろいろ理由はあると思う。周りの同期や先輩、後輩で怪我をする人はもちろんいたし、痛そうとか大変そうとか傍目から見て思っていた。だから自分は「怪我しない側」なんだと思っていた。そんな甘く、高を括る考えがダメだったんだろう。よりによって初めてにしては大怪我を負ってしまった。でも当時、最初は実感がなかったというか、自分よりも周りの方が驚いて心配していた。別に歩く分には普通に歩けるし、まだラグビーを続けるために手術するんだなくらいの気持ちだった。

3年生になり、コツコツとリハビリをしながら、チームの主力として活躍する同期をグラウンドの外で応援していた。みんなはあそこにいて、僕はここにいて、置いていかれてしまったように感じることも増えた。それでも腐らずにDLのみんなを巻き込んでBBCなどに取り組み、7月ごろに復帰した。夏合宿で試合復帰も果たしトライも取れた、久しぶりのラグビーがとても楽しかった。怪我で短くなってしまった残りのラグビー生活への意識や頑張っている同期の姿に刺激を受けて自分のプレーにも熱が入り、それまで漫然とラグビーをしていた頃とは違う気持ちが生まれ始めた。
その矢先にまた怪我をした。復帰してまだ3か月くらいだった。タックルを受けて起き上がろうとしたら、足首が脱臼して違う方向を向いていた。もうよくわからなかった。担架で運んでくれた上岡先生に「歩けるようになりますか」と聞いたことを覚えている。そこからは入院・手術・リハビリとなすがままに事が済み、また振出しに戻った。病床で観戦する試合では同期がみんな活躍している。来年のチーム体制の話し合いも始まりかけの頃だった。自分だけがまた遠くにいて、みんなチームのことや先の話をしているのに、僕は自分の今のことしか考えられない。そんな自分が嫌で、身に降り注ぐ怪我にもうんざりし、心が離れそうになった。
でも辞めなかった。それは4年間続けると決めた僕の小さなプライドかもしれないし、ラグビー部の存在が自分の中でとても大きいものだったこともあると思う。この状態の自分でも何かできることはないか、悩み考えた。
学年MTGを経て主務を任されることになった。ようやく何かしらみんなの役に立つことができると思えて、嬉しかった。

4年生となり、同期10人で最後の1年がスタートした。
主務としてはマネジメントを何も知らないところからのスタート。1年を通して首脳陣・コーチ陣・スタッフその他関係者へ様々な迷惑をかけてしまったことを申し訳ないと感じている。部内に対しても、もっと部の雰囲気や規律の部分からチームを支えることができたのではないか。僕の見てきた主務たちはもっと円滑にチームを動かし、プラスアルファで部全体を良い方向へ導くような効果も生んでいた。それでも今年の主務は僕で、それは同期に任された大切な役割なわけで、同じ4年生としてチームを引っ張る存在として対等であるために、自分の弱さと向き合いながらここまで続けることができた。
選手としてはリハビリを続けて春シーズン終わりに復帰を果たした。対抗戦も途中からリザーブに選んでもらい、3年の怪我の時には諦めかけていたプレーでの貢献も多少は出来たのかなと思う。けれどチームの勝敗を左右する大事な局面にはあまり関われず、悔しい秋シーズンだった。一方で、中学生以来のラグビーが楽しいシーズンだった。あの頃の気持ちを思い出すことができて良かった。

そしてついに、今週末の京大戦で引退を迎える。思うようにいかない4年間だったけれど、きついことも多い4年間だったけれど、もう数日で終わると思うと少し寂しい。最近何もかもがラストの機会となっていく、まだ実感は薄いけれど確実に終わりが近づいてきているのだ。


1年前の京大戦、長く一緒に戦ってきた1個上の先輩たちが悔し泣きしながらピッチを去った姿を今でも鮮明に覚えている。グラウンドの外で松葉杖をつきながら、涙を流してそれを眺めていたことを思い出す。
必ずリベンジを果たそう。


この場を借りてこれまでお世話になった方々へ感謝を述べたいと思います。

東京大学ラグビー倶楽部の皆様・執行部会の皆様
日頃より部の活動にご尽力・ご支援いただき、誠にありがとうございます。主務として関わる中で、様々な面で支えていただいていることを実感いたしました。至らぬ点も多々あったかと思いますが、大変お世話になりました。

青山先生
たびたび助言をいただきありがとうございました。「怖い・厳しい」主務になれず申し訳ないです。はるとと同じく、僕も「ピンチ・チャンスは男の花道」を大事にしたいと思います。

川出さん
運営面でもプレー面でも多くの助言をいただきありがとうございました。昨日のタックルの助言、京大戦で活かしたいと思います。

一聡さん
2年間お世話になりました。中々成長しきれないプレーヤーで申し訳なかったです。試合中の「きんたー!」の声ありがとうございました、最後の試合では誉め言葉として叫んでもらえるよう頑張ります。

大西さん
2年間お世話になりました。「ラグビー」とは何か、「ラガーマン」とは何かを学びました。今までと全く違うラグビーを知ることができ、大きく成長することができたと思います。BBCもCCも今となっては良い思い出です。

杉本さん
1年間お世話になりました。スローの技術向上はもちろん、毎MTGでのマインドやチームの統一感についてのお話がとても響きました。京大戦もSシェイプ・山なりのスローを連発します。

その他コーチ陣
中垣さん・鳥飼さんをはじめ、様々な方に協力していただいて今年のチームが形になったと思います。本当にありがとうございました。

メディカル陣
膝・足首と大変お世話になりました。膝を執刀していただいた鬼木先生、足首を執刀していただいた森嶋先生をはじめ、田崎先生、荒木先生、工藤さん、笠原さん、上岡先生、SBC東京医療大学の学生さん、熊本回生会病院・広尾病院の皆様、その他多くの医療従事者の方々に御礼申し上げます。大怪我をしてもまたラグビーができるようにしていただきありがとうございました。
また年明け広尾病院にはお世話になりますので、よろしくお願いいたします。

復帰していただいた4人
あきおさん・一木さん・辻さん・安富さん、この1年間本当にお世話になりました。グラウンドでの活躍はもちろん、プレー以外でも助けていただくことが多く、とても頼れる先輩方でした。最後までよろしくお願いします。

後輩
4年生が少ない中、みんなのおかげで今年一年戦うことができました。特にB戦で一緒に戦うことが多く、凄まじい成長スピードにたくさん刺激を受けました。これからもずっと応援しています。いつでもご飯いきましょう。

同期
4年間本当にありがとう。みんながいたから続けてこれたし、みんなのおかげで頑張ることができた。途中で違う方向へ進んだ人たちも、ここまで一緒に歩んできた人たちも、みんな僕にとってかけがえのない同期です。みんなにとっては調子のいいうるさいやつだったかもしれないけど、今後とも長く付き合ってほしいです。

熊大附中ラグビー部
ここで出会ったラグビーが、こんなに長く続くとは思ってもいませんでした。様々なステージで活躍する同期・先輩・後輩をインスタなどで見かけたり、菅平合宿で再開したり、いつも元気をもらっていました。少しずつ恩返しできたらと思います。今後もよろしくお願いします。

家族
いつも応援してくれてありがとう。高校ラグビーを途中で辞めて1浪してまで入った東大で、またラグビーをすることになるとは驚いただろうと思います。最年長なのに兄弟の誰よりも成長期で、帰省する度にたらふくご飯を食べさせてもらいました。家族の支えなしではここまで走り切ることはできなかったと思います。東大ラグビー部で満ちた4年間の生活は幸せでした。来年も社会には出ず学生を続けることになるのであと少しお世話してもらうことになりますが、何卒よろしくお願いします。


4年間続ける・良い仲間をつくるという入部当時の目標・目的は達成された。でも最後の1年でそれは少しずつ変わった。今は、ラグビーで勝つためにラグビーをしたいと思う。
最後の一戦、仲間を信じて自分を信じて、謙虚に泥臭く戦います。


次はFWの大黒柱、副将のげんとにバトンを渡します。ラグビーほぼ未経験から、恵まれた巨体と持ち前の貪欲さでメキメキと出世を遂げていきました。戦いにアツく、思考はクールに、ファッキンワンダフルなプレーヤーです。下級生のころ一緒にカフェや古着屋さんを巡っていたことがとても懐かしいです。あの頃の記憶を頼りに今もときどき渋谷・下北のカフェを訪れています。
常にフィールドでチームを引っ張ってくれてありがとう。これからは法曹に進むみたいなので、法律のことは詳しくないけど分からない日本語とかあったら遠慮せず聞いてね。
 

巨人の肩の上

 written by 渡辺 温人 投稿日時:2025/12/24(水) 21:29

瞳が綺麗で有名な鷲頭からバトンを受け取りました。4年の渡辺です。
鷲頭の低く強いタックルや、グラウンド内外での献身性は、地味どころか部全体の注目の的でした。大学では、BKのユーティリティープレイヤーとして試合に出続けていましたが、もう少し体重があれば、間違いなくフランカーとして活躍してたと思います。1年の頃吉野家大盛り3杯チャレンジで吐きそうになっていたとき、ミンティアを鼻に詰めて何とか耐えて頑張っていた姿が懐かしいです。それでも増量が進まなかったのは悲しくなりました。受験痩せしないよう細谷シェフを定期的に送ります。
鷲頭とはしょうもないゲームをよくしており、未消化の罰ゲームがいくつもあるのでこれからも長い付き合いになりそうです。50になったら、理子も連れてスカッシュしましょう。




毎年4年生がこの時期に書くラストリレー日記は、歴代の先輩方が部における様々な思いを綴っており、何度も読み返したくなる名文がたくさんあります。今回は特に僕の好きな&後輩に読んでほしいラストリレー日記をいくつか紹介します。僕の文章は読み飛ばしてでもぜひリンク先に飛んでください。



修蔵さん(2022卒)

ラグビーを楽しむ 

1年生当時の僕からみた修蔵さんは、体の強さとここぞというときのジャッカルが印象的なプレイヤーでした。そのため、日記を読んで初めてこのような思いを持っていた事を知り、正直驚きました。初めて読んでから3年間、折に触れてはこの文章を思い返しています。
特にバックスリーの選手や未経験で入部した人は、ぜひ目を通してください。広いラグビー場で、初めてボールを持って走ったときの、あの高揚感を忘れずにいましょう。ストラクチャーやプレッシャーに縛られすぎず純粋に勝負を楽しんでほしいです。ミスってフォワードに文句を言われても気にしない心持ちが大切です。

WTBという夢 河村は、この夢を忘れずに再来年ウイングとしてわくわくするプレーを見せてください。



 

関戸さん(2023卒)

乳幼児VS高校球児VSキュアブラック

ラストリレー日記は、これまでのラグビー人生の総括のようなものを書かなければならないという風潮のなか、関戸さんはいつもの日記通り突飛な妄想を書き連ねています。その勇気に感服します。
このラストリレー日記があったおかげで、僕もいつも通り「おすすめの○○」で何かを列挙する形にしようと覚悟が決まり、とはいってもちょっとは真面目に書こうと思った結果この内容に落ち着きました。
さすがM-1一回戦を突破しただけあって、関戸さんの妄想は抜群にテンポが良く、読んでいて小気味良さを感じます。僕が一番好きな関戸さんのリレー日記は
エルフのクレカです。
(すでに卒部してプロフィールが削除されている方のリレー日記は、「東大ラグビー部 関戸悠真」などと名前を検索エンジンにかけることで一覧のページが出てきます。)




辻翔太さん(2024卒)

容疑者Xの献身

ラッピングされてない生の感情が綴られています。やっぱりこういう文章は何かくらうものがあっていいですね。当時の状況を知らずに読んでも何か感じると思います。
辻さんは普段からこのリレー日記通りの人で、憚られるようなことを全て口に出すし声が大きいです。たまにイライラしてしまいますが、それはすべて僕が寝不足で調子が悪いときでした。そのため今シーズンは、ストレッチを身体のバロメータに、辻さんを心のバロメータに、一年を過ごしてきました。結局のところ辻さんは面白くて憎めない可愛い先輩ですし、ラグビーに真剣なところも尊敬しています。タッチキックからのキックパストライ、一回くらい実現させたかったです。生の感情でいうと、安富さんの文もおすすめです。
1209からの日記




雪竹さん(2024卒)

弱い虫

個人的に共感できない部分がありません。去年、この文章を読んでむちゃくちゃ共感しましたが、卒部が間近に迫った今読み返しても共感してしまいました。
僕は「ラガーマン」にはなれなかったですが、「ラガーマン」としてラグビーを全うできれば苦しいし、それが楽しいんだろうと思います。後輩の皆さん応援しています。
この思いに関連して、ゴタツさん(2022卒)の日記も刺さります。
過信すること



リレー日記はいつ始まったものか分かりませんが、パッと見れるものだけで2011年に遡ります。特にラストリレー日記を読むと、やはり後悔を感じる文章が多く、これまで20年以上達成できていない「入替戦出場」という悲願の重みをひしひしと感じます。紹介したもの以外にもたくさんの素晴らしい文章があるので、ぜひ時間のあるときに読んでみてください。



最後になりますが、この4年間のラグビー部生活で本当に多くの方にお世話になりました。

OBOG
4年間最高の環境で部活動を不自由なく続けてこられたのは皆様のおかげです。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

大西さん
大西さんに、ラグビーの何たるかを教わりました。下級生で何もできなかった自分を目にかけていただきありがとうございました。アンモニア好きだったので続けたかったです。

青山先生
「ピンチチャンスは漢の花道」肝に銘じて生きていきます。

一聡さん、川出さん、鳥飼さん、杉本さん、中垣さん
皆さんのおかげで楽しく練習することができました。話すたびに皆さんの情熱や誇りを感じて、こんな大人になりたいと思う存在でした。

田崎先生、工藤さん、上岡さん、SBC医療大学の方々、美月ちゃん
皆さんのおかげで何度怪我をしても復帰することができました。本当に心強かったです。美月ちゃんはメンターでもないのに毎回大量のテーピングお世話になりました

部員の皆さん
下級生で試合に絡めない頃から、怪我でチームに貢献できてないときまで、どんなときでも色々な方に気をかけていただき嬉しかったです。

同期
どんなに辛いときでもみんなに会えるから部活に来ることができました。みんな大好きです。全員でA戦に出れなかったのだけが心残りです。

家族
いつも全面的に応援してくれてありがとう。東京まで試合見に来てくれてうれしかったです。全部事後報告ですみません。できるだけLINE返してできるだけ帰省します。




次は金大にバトンを渡します。金太ではないです。
下級生の頃はラグビー部とは思えない金髪がトレードマークでしたが、今年は主務として大車輪の働きをしてくれていました。

いつかの対抗戦終わりに二人で焼肉にいったのが懐かしいです。夢を語り合いましたね。将来は共に九州を牛耳りましょう。鷲頭に比べて紹介が短くなってしまったので先日の名古屋戦後の様子を載せておきます。




 

セカンドの7番

 written by 鷲頭 一貴 投稿日時:2025/12/23(火) 22:50

シナモンが大好きな宮田からバトンをもらいました、4年の鷲頭です。これまでのリレー日記では、何度か宮田の名前を出させていただきました。書けるような話題がなく、宮田の名前を使ったことには多少の申し訳なさを感じています。この竹に免じて許してもらえればと思います。

 

さて、最後のリレー日記になってしまいました。自分のラグビー人生を振り返って、考えたことを書かせていただきました。拙い文章になっているとは思いますが、ぜひ読んでいただけると幸いです。

 

 

自分がよく思い出す言葉として、「セカンドの7番として死んでいく」という言葉がある。野球におけるセカンドで7番は地味な割にはやることが多く、オールマイティなプレーが要求される。あまり注目されないのにも関わらず、ミスをした時には叩かれたりする。世の中にはそういう役割の人も多いと思う。注目されるのが苦手な自分にとってそんなポジションが好きだった。ラグビーにおいても、いいアタックやトライをして注目されるよりも、いいタックルができた方が嬉しい。

 

高校のラグビー部のある練習で、高校同期のプロップだったやつの足に突っ込んでタックルしにいったことがあった。結果としてはタコ負け。次の瞬間空が上にあってびっくりした。ただ、何も考えることなく、とにかく足にタックルしにいけた感覚があった。その日の練習後に当時、バックスのコーチをしてくださっていた肥後先生にバックスからフォワードに移ってみないかと言われた。肥後先生曰く、その日のタックルを評価してとのことだった。もちろん、バックスで活躍する見込みがなかったからなのかもしれない。それでも、その日のタックルについて言われたことは嬉しかった。ポジティブに考えた結果、次の練習からはフランカーとして参加することに決めた。思えば、その日からタックルに対しての恐怖心が薄れていった気がした。その時からタックルも好きになっていった。

 

しかし、大学に入ってみると、体格の差にぶち当たった。自分より大きい相手に受け身のタックルばかりするようになり、再びタックルへの恐怖心を時々感じるようになった。この恐怖心はもちろん波はあったが、恥ずかしながら4年生の時まで続いた。キャリーしてきた相手に突っ込めずに、姿勢が高いまま来るのを待って相手を掴むだけの時が何度も多くあった。結果が良くても自分のタックルで素直に喜べなかったことも何度もあった。

 

3年生の時の明学戦でとても悔しい思いをしたのを覚えている。試合に負けたことが悔しいからではなかった。明学のアタックに翻弄され、どんどんトライを取られてしまうのを自分はグラウンド外でただ、見ているだけしかできなかったことが悔しかった。前半に石澤は負傷して退場、後半に福元が足を攣った時は、自分の実力がないせいで自分がチームの力になれておらず、何もできなかったのがもどかしかった。

 

このままでは、セカンドの7番どころか、打順が回ってくることもないかもしれないと焦った。そう思っていた矢先に名古屋戦でチャンスを頂いた。正直、緊張していたが、何とかもらったチャンスをものにしようと思った。けれども、現実はそんなに甘くなく、自分のミスで相手にトライされ、また東大のトライのチャンスを失ってしまった。ただ、幸いにも自陣のゴール前でのラインアウトからショートサイドにきたフッカーを自分のタックルでタッチに出してトライを防ぐことができた。今までで一番嬉しかったと思う。もちろん、自分のミスには正直落ち込んだが、そのタックルがあったからなんとか気持ちを保てた。タックルをやってきて良かったと思った。もちろん、石澤や湊みたいなビッグタックルができるほどうまくはないが、自分の中ではやっぱりタックルというものの存在が大きかった。

 

 

 

四年間を通して怪我も少なく、ここまでやって来れたのも恵まれていたと思う。それもあってか、この四年間の中で、多くのポジションを経験させてもらった。正直、自分には特出して長けている能力はないが、スクラムハーフやスタンド、B3、フランカーなど多くのポジションを経験できた。特にスクラムハーフは、当日に急に自分がハーフをやることが決まったコルツ戦の日から始まり、多くの経験ができた。2年生の時には全体練が終わって疲れ切った状態で、福元や宮田とたくさんパス練した。そんな練習をしていたにも関わらず、試合中には郵便屋になったり、千賀投手ばりの変化球を投げるピッチャーになって仲間を犠牲にしたこともあった。そんなこんなでなんとか成長できたと思う。

 

たくさんのポジションを経験し出してから、多くの試合に出せてもらえるようになったと思う。怪我人が出て、人が足りなくなれば、その都度いろんなポジションで試合に出させてもらった。都合のいい男にしてはありがたい経験をさせてもらった気がする。器用に全てをこなせたわけではないが、セカンドの7番に近づいた気がした。


残るは京大戦のみ。西久保さんがVoiceでも書いていたが、命をかけた試合になるようにしたいと思う。どんなポジションだろうが、自分のタックルでチームの勝利に貢献したいと思う。自分の命を犠牲にして、他人の命を救えるようになるためにも、僕の命を京大戦に捧げようと思う。

 

最後に感謝を述べたいと思います。

 

大西さん
2年間の中で自分が経験したことのないようなご指導をして頂きました。練習や試合、ラグビーそのものに対する姿勢などが自分にとっては想像をはるかに超えたもので、とても貴重な経験をさせて頂きました。ありがとうございました。

 

いっそうさん
凝り固まった考え方や、楽しくラグビーをやる中でも自分に厳しくするやり方を教えていただきました。何度も聞いた「わしずーっ!」の声をこれからも脳内で再生して頑張りたいと思います。ありがとうございました。

 

川出さん
スクラムハーフ、スタンド、B3、どのポジションをやる時も熱心に指導してくださり、本当に感謝しています。

 

鳥飼さん
仕事の合間をぬって、練習前のハーフ練習に付き合って頂きありがとうございました。試合の前後でも毎回声をかけてくださり、

 

笠原さん、中垣さん、永山コーチ、杉本コーチ
何度も駒場まで足を運んでくださり、チームのためにサポートをしてくださり、ありがとうございました。

 

青山部長、東大ラグビー部OB、OGの方々
陰ながらさまざまな面で、自分たちが不自由なく部活動ができるようにサポートしてくださり、ありがとうございました。

 

ラ・サールラグビー部の同期
稀に見る人数の多さだったけど、本当に楽しい代でした。一緒にラグビーをしてくれて、そしてそれぞれの地でもラグビーを続けてくれてありがとうございました。

 

両親へ
金銭面などで多くの心配をかけたりしました。今まで、サポートしてきてくれてありがとうございます。あと数年お世話になることと思いますが、必ず成長して親孝行します。


先輩方へ
先輩方が、今まで作り上げられた伝統のある部活で活動できるのを嬉しく思います。僕らが困っている時にさまざまな
形でサポートしてくださいました。ありがとうございました。


後輩へ
ラグビー部に入るという選択をし、また頼りない僕らの代を支えていただきありがとうございました。あと一週間僕らと一緒に戦ってくれると嬉しいです。これからの活躍も応援しています。

 

同期へ
熱湯みたいに刺激の強い代だったけど、楽しく過ごせました。刺激が欲しくなったら、また集まりたいです。

 

次は大親友のハルトにバトンを渡します。ハルトとはこの四年間でたくさん遊ばせて頂きました。今度も新たに良さそうなバイトがあったので、二人で挑戦してみたいと思います。鞆の浦には絶対行きましょう!理子ちゃんにもよろしくお伝えください。

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