ラグビー部リレー日記

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ボール・イン!

 written by 猿渡 崚正 投稿日時:2025/12/17(水) 19:00


 明るくイケメンの片桐からバトンを受け取りました、猿渡です。今年の春、片桐が2年間のブランクを経て復帰してくれたことが本当に嬉しかったです。同期が減ってしまった中、片桐がいることで同期やチームの雰囲気が明るくなりました。1年生の頃と全く変わらない片桐のキャラクターが僕は大好きです。一つ補足すると、僕は今のところ禿げていません。また、髪が薄いことが悪いことだとも思っていません。そのような考え方は、父や祖父をはじめ、僕の親戚の大半に対して失礼なあたるからです。

 最後のリレー日記を書くにあたり、内容についてかなり考えました。読んでくれる人が主に東大ラグビー関係者であることを鑑みて、東大生が好きそうなフォーマットで書いてみることにしました。誤りなどあれば、ご指摘をお願いします。





最終リレー日記



ラグビー人生に対する振り返りと反省および感謝

 
 猿渡崚正
 

要   旨   私のラグビー人生は怪我に悩まされたものであり、ラグビーに対する後ろ向きな感情もあった。しかし、素晴らしい仲間のおかげでラグビーを楽しむことができ、今の自分がある。ラグビーを通じて出会った皆さんに、心より感謝申し上げる。

 

キーワード   ラグビー、仲間、感謝、肩脱臼、ヘルニア、痛かった


1. はじめに
 
私はこれまで高校と大学で計7年間ラグビーをプレーし、今月末で引退となる。しかし、ラグビーに対する自信の考えや所感はこれまでほとんど明らかにしてこなかった。本稿では、私自身のラグビーと仲間への思いを表明する。


2.1 大学でラグビーを続けた選択とその結果
 大学ラグビーの結果について振り返ってみると、自分自身もっと努力すべきところがたくさんあり、怪我にも悩まされてしまった印象である。もともとラグビーは高校だけで辞めるつもりでいた。新歓のとき一緒に東大ラグビー部への入部について悩んだはずの石澤が、実は入部済のサクラだった[1]と知ったのもずいぶん後のことだった。
 結局毎シーズンのうち、半分から2/3程度しかグラウンドに立てなかった。今日は腰を悪化させずに練習/試合を乗り切れるだろうか、というマインドではやはり厳しい。2年生から対抗戦に出してもらって様々な経験を積み、勝利も敗北も味わってきた。自分のミスで負ける経験もして、責任とはどういうことか、身をもって学んできたはずだったが、自分たちの代で決めた目標の勝利を手繰り寄せることができなかった。特に同期にはずっと助けてもらってきただけに、申し訳ない気持ちが残っている。


2.2 ラグビー部に入った意義
 恥ずかしながら、ラグビーを始めてからずっと、辞めようかなと思いながら過ごしてきた。苦労して受験した末に入った高校や大学で、生活の多くをラグビーに費やすことへの悩みもあった。特に大学の後半では肩や腰の不調によってラグビー(特にコンタクト)への怖さを感じてしまうことも多く、そんな自分に対する失望感もあったように感じる。そもそも、ラグビーというスポーツそのものが大変キツい。ラックの勝負が決したら一回みんなで休憩する「Don’t use it」的なルールが導入されればいいのに、などと考えているが、今のところラグビー界は正反対の方向に進化を続けている。

 やや話がそれてしまったが、この7年ずっと待ち望んできた引退の日が、残り10日ほどに迫っている。引退して時間ができたらやりたいことは、表1の通りである。



表1 ラグビー部引退後の時間でやりたいこと



こうして考えてみると今まで部活のためにできなかったことが見えてくるが、同時に部活でしかできないことも見えてくるように思う。そして、部活を続けて良かったなとも感じている自分に気づかされる。


2.3 ラグビーを通じた出会いへの感謝
 上記の通りラグビーにマイナスな気持ちを持つことがどちらかといえば多い僕が、なぜ何年もラグビーを続けてきたのか、それはひとえに仲間の存在があったからである。嫌なことも仲間のために耐え抜こうと思えたし、落ち込んでしまったときに仲間に励ましてもらってなんとか立ち直ってきた。そんな仲間に出会えた僕は本当に幸せで、皆には感謝してもしきれない。「部にいることを目的にするな」等とよく言うが、良い仲間がいるだけに勝ちたいという思いが(実は)あり、それが今の悔しさの源でもある。ラグビーを通じた人との出会いは、本当に貴重なものであった。特に同期には本当に感謝している(図1)。
 自分にとってかけがえのない仲間がいて、仲間がいるからラグビーができて、ラグビーをしているから仲間になる。結局、痛くて怖くて辛いラグビーが、自分の人生にとって大切な存在になってしまい、今はラグビーそのものへの感謝や敬意までも抱いている。



図1  大切な同期 (a)2022年6月 (b)2024年7月



3. 謝辞
 
 大西さん
 僕の東大ラグビーは大西さんとの出会いから始まり、2年間教えて頂いたラグビーや哲学が僕の大切な財産になりました。入部した頃に期待してくださったような対抗戦での大暴れができなかったことが本当に心残りですが、それでも今の自分がいるのは大西さんのおかげです。ありがとうございました。

一聡さん
 ラグビーを楽しむとはどういうことか、身をもって教えてくださり、楽しくこの2年間を過ごすことができました。小さなスキルからラグビーの原理原則まで、何でも惜しみなく教えてくださる姿を尊敬しています。いつもありがとうございます。


杉本さん
 スクラムの基礎からサインプレーまで、ラグビーについてたくさんのことを教えていただきました。毎週本当に面白い貴重なコーチングありがとうございました。

工藤さん
 どこかが痛いとき、工藤さんがいらっしゃる安心感は絶大でした。特に肩や腰のことについては変化が起こるたびに相談に乗っていただき、とてもありがたかったです。将来の腰痛や肩痛に備え引退後も教えていただいたケアを続けていこうと思います。

笠原さん
 フィットネスがとてもきつかったですが、おかげで毎回少し自信をつけて復帰できました。ありがとうございます。

青山先生
 体のことを気にかけてくださり、また鼓舞してくださったこと、感謝申し上げます。推薦書など私的なお願いも快く引き受けてくださり、大変助かりました。4年間ありがとうございました。

川出さん
 優しく丁寧なご指導のおかげで、スキルの上達がみられたように思います(パスやキャッチなど、上手くなった、と言い切ることができないのが申し訳ないです)。体のことも常々気にかけてくださり、大変感謝しております。

けんたろう先生
 先生に誘っていただいてラグビーを始めたことで、僕の人生は大きく変わりました。高校生という時期に先生にご指導いただいたこと、本当に感謝しています。転任して偉くなられたと伺ったので、仙台に帰った際にはぜひお会いして、おすすめのおいしいお酒をごちそうになりたいです。

二高ラグビー部同期の皆
 高校時代を一緒に過ごせて本当によかったです。大切な思い出ができました。久しぶりに集まれるのを楽しみにしています。

先輩方
 部に誘ってくださったこと、優しく厳しくグラウンド内外で指導してくださったこと、食事に連れて行っていただいたことなど、感謝してもしきれないことばかりです。同時に様々なご心配、ご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。大変申し訳ありませんでした。

後輩の皆さん
 部で楽しくラグビーができたのは、皆さんのおかげだと思っています。金銭面に余裕ができたら、なるべく還元させていただきたいと思っています。


東大ラグビー部OB、OGの皆様
 皆様のご支援により、何ひとつ不自由のない大変恵まれた環境でラグビーをすることができました。貴重なコーチ陣や充実した医療体制なども含めて素晴らしい環境をご用意くださっていること、感謝の念に堪えません。全員にお会いできる機会もなかなかありませんので、この場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。

医療関係者の皆様
 練習に来てくださったSBC東京医療大学の上岡先生と学生の皆さん、執刀してくださった田崎先生、聖路加国際病院、西多賀病院の先生方、その他これまでお世話になった医療従事者の皆様、本当にありがとうございました。今後はなるべく病院のお世話にならないよう、健康に留意して生活していきます。

同期の皆
 4年間本当にありがとう。迷惑をかけることも多く、特に今年あまり貢献できなかったことは申し訳ないです。みんなに出会えて僕は本当に幸せだと思っています。今後もよろしくお願いします。途中で別の道に進んだ仲間にも、会える機会があれば嬉しいです。

家族へ
 苦労して入れてもらった高校・大学でラグビーをさせてくれて、本当にありがとうございます。金銭的負担と大変なご心配をおかけしてすみません。今後もよろしくお願いします。

このほかにも、これまでのチームメイトやコーチ、対戦相手、レフリー、応援してくださった方、ラグビーを通じてお世話になったすべての皆様に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。



4. おわりに
 最後のリレー日記は、往々にして後悔や不満に満ちた暗いものになりがちである[2]。勝利を求め、犠牲を払ってスポーツをしてきた以上それは当然だと思う。自分の至らない点について開き直るわけではないが、取り組みが不十分、結果が出ない、集団が一枚岩になれない、色欲に溺れている人がいる、といったことは、人間である以上容易に起こり得ることである[3][4]ただし個人的には、反省や後悔の表明はこの場ではなくても良いと考えている。僕にはあと10日間だけ仲間とラグビーをする時間が残っていて、大切な試合が控えているから、今後の人生にむけての反省はそのあとでも遅くはないように思う。残り少ない期間、部が少しでも明るくなればと考え[5]、あえて真面目さを前面に押し出さないリレー日記にしたつもりである。後から恥ずかしくなってしまったら、文章を書き直すかもしれません。

 毎日楕円球を追っている間に、中学を出たてだった僕はいつのまにか22歳になってしまった。この日々が終わる今年の12月28日は、間違いなく僕の人生における大きなターニングポイントのひとつになる。2試合勝ってその1日を最高のものとして終えることが、今の一番の目標である。五体満足に生んでくれた両親には申し訳ないけれど、もう少しだけ自分の体に無理をしてもらおうと思っている。


 次は、同じ工学部フロントローの細谷にバトンを渡します。1年生の頃はすかしたタイプだと思っていましたが、4年間で彼の素晴らしさに気づくことができました。いつもありがとう、本当に楽しかったです。これからもよろしくお願いします。



5. 参考文献

[1]石澤諒馬. "東京大学運動会ラグビー部リレー日記 第52話「復活の爆炎」". 2025.  https://www.turfc.com/blog_detail/id=2371. (2025-12-17閲覧)

[2]"東京大学運動会ラグビー部リレー日記2024/12". 2024.  https://www.turfc.com/blog_my_top/blog_id=21&date=2024-12. (2025-12-17閲覧)

[3]東京大学ラグビー部会報委員編. 『東京大学ラグビー部会報 第92号』. 東京大学運動会ラグビー部. 2025.

[4]伊藤明 (2022). 『恋愛依存症 苦しい恋から抜け出せない人たち』. 株式会社実業之日本社. 

[5]学年ミーティング議事録. 2025-01


駒場のフィン・ラッセル

 written by 片桐 広貴 投稿日時:2025/12/16(火) 19:22

優秀なフランカー石澤からバトンをもらいました、4年の片桐広貴です。石澤はゲントと共に今シーズンのFWを立派に引っ張ってくれました。特に思い出に残っているのは、対抗戦前の東農大戦でゲントがいない中、4年生一人でFWを鼓舞している姿を見て頼りになるなと感じました。もう一つは学芸大戦のノーサイド後に泣き崩れる姿。共に悲しめないことに悔しさと申し訳なさを覚えました。もちろんカーフキックも体が覚えています。

俺をラグビー部に連れてきてくれてありがとう。4年生になってもあの頃の熱いヤツのままでいてくれて、おもろい。

最後のリレー日記は夢(目標に近い)について。

ーラグビー部に復帰ー

夢の一つ目はラグビー部に復帰すること。2年生の4月に試合中に脳の大怪我を受け、6月にラグビー部を退部した。退部は仕方がない事だと思っていたし、後悔はあまりない。けれど今では部に残る道もあったと思う。部を離れていた時間も宮田がハーフで出場するB戦や先輩の代の対抗戦を見たり、ラグビー部から気持ちが離れることはなかったが部に戻ってくることは考えになかった。

きっかけになったのは辻翔太の最後のリレー日記を読んだ時、面白いを超えて心が痛くなり同期にこんな思いをしてほしくない、仮に辛い思いを味わうとしてもその側でその過程を知っていたいと思った。俺に何ができるかわからないけど何かしたいと感じた。

吉村組の京大戦を見て同期の京大戦は現場にいたいという感情を抱き、その夜に福元に電話して復帰したいと願い出た。かなり衝動的な思いだったが覚悟はあった。電話する手は震えていた。

同期や後輩の暖かさのおかげで部にすぐに馴染むことができた。練習はなんとかついていけたし、4年生として練習中の声出しや部室の清掃など規律の面でチームにいい影響を与えることができた。

それでも選手として試合復帰するまでは長い道のりで、脳の安全を確保するためにフルコンタクトは7月までできなかった。国公立大会や春シーズンの定期戦は見ることしかできず、仕方ないけど試合日になるとチームと自分がリンクしていない気がした。その分、復帰戦の東農大B戦や九大戦にメンバー入りできたことは嬉しかった。同期と公式戦前の緊張感や高ぶりを味わえてやっとチームと同じ方向を向けて安心した。ラガーマンに戻るという夢が達成された。

同期の思いを共有したいと復帰したが、どこまでそれが達成できたか正直わからない。俺が知らなかったことも間違いなく多くあると思うので、これからの最後のリレー日記がすごく楽しみでもあり、少し怖かったりもする。それでもこの1年間、同期と後輩たちとラグビーできてすごく幸せだった。


ー駒場のフィン・ラッセルー

理想とするラグビープレーヤーはフィン・ラッセルを思い描いてきた。目立ちたがり屋だからか、縦横無尽にキック、鍼の穴を通すようなパスで観客を魅了するプレーに憧れた。東大のBKに求められるプレースタイルかは怪しいが、おそらく1年生のときにつけられた「ファンタジスタ」という痛いあだ名がこの拗らせを加速させてしまった。

今シーズンの自分を振り返ると現実は当たり前に厳しく、プレーヤー復帰してから夏合宿前のB戦2試合では10番を務めたが、パスは繋ぐので精一杯だしキックはダイレクトタッチに飛んでいくし理想と現実は大きく乖離していた。しかし裏は見えるようになっていったしパスは投げた分だけ上手くなっていたと思うので希望は持てた。夏合宿ではA、B合わせて5試合あったので全て出場して対抗戦までに強みを確立したいと意気込んだが、初戦で右足首を骨折してしまいプレーできず終わった。

時を進めて武蔵B戦で復帰し、先日チェイサーズ戦にも出場した。またブランクが空いてしまったし、アタックの時間が少なく自分の成長やグラウンド上での価値をアピールできず悔しかった。

最後のリレー日記にこの夢を書いた理由は1年生の時に、勝負を決めるのはFWという近年の東大の風潮が嫌だったし、本気でチームを勝たせるBKプレーヤーになりたいと思っていたからその答え合わせをこの場でしたかった。今年のホームページに掲載した個人目標も「対抗戦で観客を湧かす」を掲げたが叶うことはなかった。今は現実が重くのしかかり、1年生の時のようにこの夢に対する熱量を持てていないし、グラウンドで好きなことができるのは当たり前を100%できる人のみが許されるので俺には土台となる実力が足りなかったと感じる。

こんなラグビー人生を歩んでしまいとてももったいないと感じるし、夢を抱いてワクワクしていた頃の自分に申し訳ないと思ったり、でかい夢を見るなと思ったりする。それでも今でも自分が対抗戦で活躍する姿を空想するし、夢が復帰を後押ししてくれた面もあるので夢を持ち続けることは俺にとって大切だった。

ー京大戦に出場するー

最後の夢はシンプルに京大戦に出場することだ。8/20に右足首を骨折してから目標日記を毎日続けてきた。京大戦に間に合うかどうかと言われてからモチベーション向上のために始めて、基本的には次の日の行動目標を記してきたが、8/20に書いた「京大戦に出場する」という目標は幸いにもリハビリが想定以上に進んだおかげで、今は京大戦で勝つという目標になった。

今シーズンメンバー入りした7試合全てで負けて、自分の甘さを痛感している。ラグビー歴2年で運動神経は平凡なのに練習を人並みしかしなかった弱さが表面化した結果だと思う。1年間甘えてきて最後の少しの間努力しただけで大きく変わるとは思えないけどそれでも最後まで、最後だけでも自分に厳しく練習する。

名古屋大と京大はメンバーに選ばれるかわからないけど、非常に残念ながら俺の裏ちょん大活躍で勝利に導けることはないだろう。それでも全員が100%を出せば勝てると信じているので一緒に勝利を掴みにいこう。

最後に感謝を伝えます。

川出さん、一聡さん、笠原さん、鳥飼さん
皆さんのおかげで僕が1年生の頃と部活の雰囲気が全く変わって、どっちが良かったとかではなく、僕たちの代に合った雰囲気の中すごく楽しい、成長した一年が過ごせました。ありがとうございました。

田崎先生、荒木先生
田崎先生は頭の怪我からの復帰、荒木先生は足首の骨折からの復帰を支えてくださりありがとうございました。お二人のおかげで僕のラグビー人生の後悔が大きく減りました。本当にありがとうございました。

東大ラグビー部のOBOG、支えてくださる皆様
僕の目に見えるところはもちろん、見えないところにおいても平素より多くのご支援を賜り、誠にありがとうございます。僕たちが当たり前のようにラグビーに打ち込めている環境は決して当たり前ではないということを4年生になって改めて実感しました。今後とも変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

お母さん
息子に負担を掛けさせまいと、自由にやりたいことをやらせてくれて本当にありがとう。その想いに甘えてしまったけど社会に出てから恩返しします。願わくば足の速い体に産んで欲しかったです。

お父さん
ありがとう。これからもよろしく。

ラグビー部のみんな
復帰した俺を優しく受け入れてくれてありがとう。東大ラグビー部の一員として誇りが持てるのは、メンツが試合で体を張ってくれて、楽しく真摯にラグビーに打ち込む仲間がいるからです。俺が復帰して良かったと思ってくれたらそれだけで幸せです。


最後まで読んでくださりありがとうございました!ラグビー勝って楽しもうぜ!


次はのびのび育って羨ましい猿渡にバトンを渡します。身体的にも精神的にものびのびと育った猿渡ですが、彼も僕と同じく怪我に苦しんだ選手です。ラグビーを引退すると全ての怪我(脱毛を含む)が治ると自称しているので、引退後は元気でフサフサな猿渡と会うのが楽しみです。
 

タックルも人間も腰は低い方がカッコいい

 written by 石澤 諒馬 投稿日時:2025/12/15(月) 19:00

てつからバトンを受け取りました。四年の石澤です。てつは最高にうれしいことを言ってくれますね。てつは落ち着いてるしすごく話しやすくて、そのうえノリもいいので、人にモテるんだろうなーとつくづく感じます。一年生のころはただひたすら飯を食ってハイボリュームで筋トレして体重を増やしてイキってました。最初はそうあるべきだと思います。体重増やして軽いやつにプレッシャーをかけましょう。

最後のリレー日記、何を書くか迷いました。

石澤諒馬 23歳 冬 
己の肉体と武術に限界を感じ悩みに悩み抜いた結果
彼がたどり着いた結果は
感謝であった
自分自身を育ててくれた部活への限りなく大きな恩
自分なりに少しでも返そうと思い立ったのが
四年に一回 感謝のリレー日記!!
気を整え 拝み 祈り 構えて 書く


音を置き去りにするまで感謝を伝えたいと思います。

今振り返ると、高校でラグビーを始めるなんてとんでもないことをしたなと思います。中学校の親友がラグビーをやっていて、彼の美しい色黒ナチュラルマッスルボディをずっと見させられたことで、脳に筋肉の魅力が刷り込まれていました。そいつとは今でも仲がいいし、ラグビーがもたらした最初の出会いでした。感謝。

高校でラグビーを始めたとき、グラウンドで当時一橋大学ラグビー部の筋骨隆々の先輩方に「なんでラグビーを選んだの」と聞かれたのがついこの前のように感じます。何も知らないガリガリの僕の「体大きくして強くなりたいです」という馬鹿みたいな回答に「君は素晴らしい選択をした」と言ってくれたことが今も僕の心に残っています。あのときはただの新入生を歓迎する言葉としか思いませんでしたが、今はその言葉の意味が分かります。ラグビーは僕を精神的にも身体的にも本当に強くしてくれたし、僕の人生を変える素敵な人々に出会わせてくれました。ラグビーに出会えたことに感謝。

国立高校ラグビー部の仲間は最初にできたチームメイトでした。同期先輩後輩コーチ含め、アツいやつが多く、高校の青春をすべてささげてほんとによかったと思います。僕らの次の代は花園予選もベスト8まで行ってくれたし、本当に誇りに思います。ありがとう。

同期は大学でも続けてくれている人が多くて、東工、一橋、早稲田GWなどなど各地で頑張るみんなに刺激をもらっていました。出会いに感謝。

ときは経ち、東大ラグビー部に入部。東大ラグビー部に入っていなければ絶対に出会えなかっただろうさまざまな人たちと出会いました。すべての出会いに感謝。

デル、デイビス、友志を筆頭に、PEAKや交換留学生のラガーマンとの出会いは完全に僕の人生を変えました。小中高日本で暮らし、太平洋も日本海も越えたことのない僕に、世界の広さを教えてくれたのは間違いなく彼らです。ラグビー部に入っていなかったら、こんなにも面白くて超優秀な仲間と出会えていなかったと思うと、本当に入って良かったなと振り返っても思います。どうか、PEAKの部員は途絶えさせないでくれ。海外勢、帰国勢、勧誘頑張って。世界との出会いに感謝。

そして同期、17人でスタートしたものの、違う道を選んだ仲間が7人、勇気を持ってチームを離れた仲間も、今はそれぞれの道で頑張っていると聞き、誇らしく思います。残った10人はいわずもがな、ここまで各々の役割をまっとうしてくれました。つかず離れずの距離感が良かったです。あと二戦、四年がやりきりましょう。そんな同期に感謝。

東大ラグビー部の一番の魅力は未経験から始められることでしょう。カレッジスポーツのようにどの大学もゼロから始める魅力もある一方で、ラグビーという参入障壁が高めなスポーツを大学から始められる環境はそうそうありません。そんな素人たたき上げの組織にたくさんの様々なバックグラウンドを持つ後輩が入ってくれました。共に成長し、さまざまな魂震える試合を経験できたことはぼくの一生の宝物になるでしょう。少ない四年を支えてくれた後輩に感謝。

今年のチームを成り立たせてくれていた存在として、欠かせないのは、5年目をプレイしてくださった安富さん、あきおさん、辻、一木さんの先輩方です。必要なポジションをこなすだけでなく、積極的にチームに働きかけ、勝利をもたらしてくださいました。この四人がいなかったら、今年のチームの様相は大きく変わっていたでしょう。残り二戦ですが、改めて、感謝。

スタッフ陣がいなければ、東大ラグビー部は存在しえません。僕らが毎日好き勝手楕円球追っかけまわしていられるのも、スタッフが裏でとんでもない量の業務をこなしてくれているからです。S&Cセクションも広常やのなちゃんが常にデータや声掛けを担当してくれていたおかげで成り立っていました。いつもありがとう。縁の下の力持ちに感謝。

監督、コーチ陣の方々は、いつも僕らに必要な努力や考えを見せてくださいました。川出さん、青山さん、一聡さん、杉本さん、永山さん、鳥飼さん、中垣さん、大西さんをはじめ、スポットで来てくださった様々なコーチの方の一人ひとりが刺激になりました。一緒に戦ってくれたコーチの皆さんに感謝いたします。

振り返ってみれば、怪我の多い四年間でした。一年生は急な増量で膝を壊しかけたし、二年生は眼窩底骨折から始まり、何度脳震盪疑いだったことか、三年は一年中腰痛と戦っていたし、四年はまたもや骨折、肩、膝など不良箇所ばかりでした。そんなとき、常に診察、リハビリ、ケアをしてくださっていたのが工藤さん、笠原さん、SBC東京医療大学の皆さん、田崎先生、荒木先生のメディカル陣の皆様でした。怪我をしても安心して部活に戻れたのは皆さまのおかげです。感謝。

OBの皆様、そして支援してくださる様々な企業の皆様。皆様がいなければ僕らは活動できませんでした。期待して支援してくださってる皆さまに結果としてお返しするべきですが、お返しできたといえるような結果が出せなかったことは、悔いが残ります。残り二戦、支援してくださっている皆様のためにも死力を尽くします。引き続き応援よろしくお願いします。これまでの支援に感謝いたします。

そして両親。頻繁に怪我をして帰ってきたり、いきなり多額の請求をしたり、増量のためにとたらふく食わせてもらいました、迷惑かけることも多かったと思いますが、時々見に来てくれたり、見守ってくれてありがとう、お父さん。お母さんも見守って、応援してくれていた気がします。今後はいただいた投資を優に超えるリターンを返します。感謝。

そろそろ感謝のリレー日記が読者を置き去りにしはじめたので、終わりにしたいと思います。
最後に、東大ラグビー部に入って本当に良かったと思っています。この4年間を誇りに思います。
感謝が足りないぞって方は言って下されば代わりに感謝の正拳突きをして差し上げます。
これまでの感謝も責任も背負って残り2戦、腰の低いタックルでチームに勝利をもたらします。

次は帰ってきたストライカー片桐にバトンを渡します。片桐の紹介は過去のリレー日記を一つ使って書いたことがあります。ぜひそちらもご覧ください。片桐には僕が変にとがってた時期に様々迷惑をおかけしました。圧倒的なチームのムードメイカーとしてリーダーシップを発揮してくれている片桐には、将来、日本全体のムードメイカーとして活躍してほしいと思っています。片桐の明るさに感謝。

パワーグリップの詩

 written by 須藤 哲之介 投稿日時:2025/12/01(月) 21:08

ゆうしさんからバトンを受け取りました、1年の須藤です。さすがゆうしさん、僕のステップの才能に気づいていましたか。僕はその動きのキレのなさからよく同期や先輩にフォワード転向いじりをされるのですが、僕のバックス的魅力に気づいてくれるのはゆうしさんだけです。最近はお互いDLにいることもあり話す機会が増えましたが、その唯一無二の着眼点やマイペースな話ぶりもゆうしさんの魅力のひとつです。いつも穏やかなゆうしさんですが、いつか必ず僕のプレーでWTF‼︎と言わせたいです。

 

 

僕は1ヶ月前に股関節を怪我してDLに入ってからというもの、日々のウエイトトレーニングに全精神を注ぎ込んでいる。ウエイトは恋愛などと違い、努力が必ず報われるから好きだ。そんなウエイトにおいて僕が愛用しているアイテムがパワーグリップだ。このアイテムは僕の握力をサポートしてくれ、鍛えたい部位より先に手が疲れてしまうのを防いでくれる。そこで僕はいつも僕を助けてくれるパワーグリップについて詩を書いたので紹介する。

 

 

 

詩「パワーグリップ」

 

なにを持つにも君だより

にじむ汗こそ生きる訳

金具のにおいは努力の証

力を貸してよパワーグリップ

 

ぼくに力がでないとき

いつも背中を押してくれ

きょうあすあさってそばに居て

勇気を分けてよパワーグリップ

 

手の皮やぶけ手の豆つぶれ

背伸びもせずに素手のみ信じ

そんな人らは憧れの人

そんな人らに実はなりたい

でもありがとなパワーグリップ

 

なにを持つにも俺次第

にじむ血涙で生きるだけ

君のおかげでここまで来たが

夢素手で掴むその日のために

いつか外すよパワーグリップ

いつか外すよパワーグリップ

でも愛してるよパワーグリップ

 

 

 

 

次は4年生の石澤さんにバトンを渡します。ラグビー部最強タックラーの石澤さんは僕が描く「4年生像」をまさに体現している先輩で本当にかっこいいです。グラウンド内では誰よりも真剣に練習にとりくみながらも俺たちに鼓舞、激励も欠かさずしてくれる本当の意味でのムードメーカーだと思っています。僕のロッカーは石澤さんのロッカーに近いのでよくその肉体を近くで見ますが、毎度背中がデカすぎて驚きます。石澤さんは何か1年の頃意識して人より頑張っていたことはありますか?

Marry Me Chicken

 written by 木村デイビス 友志 投稿日時:2025/11/28(金) 10:31

泉澤からバトンを受け取りました、3年の木村デイビス友志です。 「ゆうし君」と紹介されてドキッとしました。ゆうしくんと呼ぶのは俺の母さんとばあちゃんだけなのです。

泉澤は俺の走り方とかを真似したいと言ってくれましたが、君は100kgを超えているので、走るのは俺に任せて、スクラムやハードコンタクトを君に任せます。これで最強のコンビになる!最近B戦があまりなかったので、泉澤のプレーを見る機会は少なかったですが、来月にかけて多くのB戦が予定されているので、泉澤のプレーを見るのを楽しみにしています。

前回のリレー日記では玉ねぎの切り方について書いたので、今回も「料理」というテーマで続きます。今日は、俺がよく作るお気に入りの料理 “Marry Me Chicken Pasta” を紹介します。 この料理が “Marry Me Chicken Pasta” と呼ばれる理由は、あまりに美味しすぎて、食べた人が思わず「結婚したい」と言いたくなるほどだからです。 泉澤のリレー日記を読んで、どうやら一年生は彼女を探している人が多いんだなと気づきました。彼女ができたら、この料理で喜ばせて、もしかしたら奥さんになってくれるかも!

では、作り方を紹介します。(二人分)

材料 

  • 鶏もも肉(皮付き)2枚
  • 塩コショウ
  • オリーブオイル 大さじ2
  • バター 大さじ2
  • 玉ねぎ 1個
  • ニンニク 4片
  • トマトペースト 大さじ3
  • コチュジャン 大さじ2
  • チキンストック 100ml
  • 生クリーム 100ml
  • コチュカル 大さじ1
  • オレガノ 小さじ1
  • レモン果汁 大さじ1
  • パスタ


作り方

  • 鶏もも肉に塩コショウで下味をつけ、冷たいフライパンに皮を下にして置き、中火にかける。皮がこんがりするまで10~15分焼き、裏返して1分ほど加熱する。
  • 一度肉を取り出し、そのままのフライパンにオリーブオイルとバターを加え、玉ねぎとニンニクを炒める。
  • トマトペーストとコチュジャンを加え、濃い赤色になるまで炒める。
  • チキンストックを加える。
  • 軽く煮立ったら生クリームを入れ、さらにコチュカル、オレガノ、レモンの皮と汁、バジルを加える。
  • ソースが少しとろっとしたら味を整え、鶏肉を皮目を上にして戻し、弱火で煮込む。
  • その間に塩を入れたお湯でパスタを茹でる。
  • 盛り付けて完成。Eat.

​​​​​​​次は1年生のてつにバトンを渡します。 俺と同じように、てつも名字じゃなくて名前で呼ばれる数少ないメンバーの一人で、そういうところは俺たち似ています。 実は彼のステップは人にあまり知られていませんが、意外とすごくて予測できない動きをします。練習でてつを止めるのはちょっと怖いです、捻挫しそう。 最近は怪我をしてしまいましたが、DLで毎日一生懸命頑張っているのを見ています。復帰する日を楽しみにしています。
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