ラグビー部リレー日記

自己開示

投稿日時:2025/10/31(金) 13:42

3年の和田さんからバトンを承りました、鎧塚です。私としては、ヒットやステップが上手く、よく試合を左右するゲインをしていて尊敬している和田先輩に、経験者特有のテクさなどと言ってもらえてありがたいのですが、生態を知りたいなどと期待されても私としては普通の人間よろしく、起きては飯を食っては寝る、みたいなことしかしていないので、期待に応えられるか不安です。

しかし、文において敬語体で書くというのは些か不自然で気持ち悪いように思われる。そこで、本文では敬語を用いない非礼をお許し頂きたい。

今回のリレー日記、初めてのものであることを踏まえれば、私の根幹をなす部分について書いていくべきなのではないか、と思う。さらば、やはり、自分語りという形が良いのでは、そう思い至った。しかし、我が人生、語るに落ちると言えども、全て書き記すには余りにもこのリレー日記は狭すぎる。だがしかし、「産まれた、生きた、いつか死ぬ」では味気がない。そのような描写が許されるのはカエサルぐらいなものである。すると、余計な話はせずに、自己紹介における鉄板ネタだけを書き記すのが良いだろうか。まあ、余りにも繰り返し話している話ばかりではあるので、聞いたことがある人がいれば、ご愛嬌ということで済ませて欲しい。

2006/9/16、それが私がスイスのとある病院で現世に生を受けた日である。怠惰な性格は赤子の時からであるようで、出産の途中に寝てしまったらしく、それは母親と看護師を慌てさせたらしい。勿論、その時代の記憶などあるはずもないので、全て伝聞であるが。紆余曲折を経たものの、結局は無事に産まれることができたらしいというのは良かった。まあ、無事で無ければこのリレー日記を書いているのは誰なんだという話ではあるが。

小さい頃の私はそれはもう可愛かったらしい。泣かず喚かず、お人形さんのようであったという定評を頂いている。ありがたい。記憶が無い時代のことでも褒められるのは嬉しいことだ。(この褒められ方は「でも今はね~」が続く危険性が高いという意味ではあまり好ましくは無いというのは秘密だ。)当時、レーズンとラズベリーが好きだったらしいが、今では両方嫌いなのでにわかには信じ難い。親の言うことなので信じざるを得ないが。しかし、当時、牛乳・大豆・卵のアレルギーがあったことの方が驚きである。何を食べて生きていたのだろうか。霞とかだろうか。

言語を話すようになったのは割と遅い方であったようで、その時1番最初に覚えたのは「poire(洋梨)」だったらしい。その逸話を信じてフランス語選択にしたのだが、落単したので、まあ幼少期の記憶など大したこともないということだ。これから言語選択を行う諸君(このリレー日記を呼んでいる人にいるかは不明だが)は、ぜひともこのような軽率な判断をしないように。

さて、その後日本に帰国した訳だが、その頃にはアレルギーは全部治っていたらしい。何たる奇跡、僥倖である。料理のさしすせそと言って醤油、味噌を含めるほどにその2者を使う国で生きていくには大豆アレルギーはつらすぎる。この頃、幼稚園時代からインドア癖はあり、他の子らが外で遊んでいる間、中で1人でずっと本を読んでいたのを覚えている。そのような根暗に先生が愛想を切らして私だけ部屋にいる状態でドアの鍵をしめたということで他の子が心配してくれたらしいが、私としてはそのことも覚えていないので、まあ、そういうことである。

そして、時は進み小学生。何故か、もう一度スイスへと。三つ子の魂百までと言うぐらいであるし、帰郷の懐かしさを覚えるかと若干の期待を胸に秘め向かうも、18時間の旅の末に見たのは未知であった。それもまた一興ではあるし、趣はあると思うが。

そういえば、私が目を悪くしたのはこの時期であったと記憶している。布団にくるまりながらハリーポッターを読んでいたのが悪かったような気もするが、私としてはそれならば、今の方が酷いのでその内失明しないかの方が心配である。結局、眼鏡をかけて対応したのだが、作った1週間後にサッカーの授業で破壊し、怒られたのは記憶に残っている。

しかし、着いた当初は言語の壁は厚く、色々と大変だった。その中でも、一番鮮明に覚えているエピソードは、私が"strong"と"stupid"を覚え間違えており、腕相撲での力試し中に急に煽る謎人間となってしまい、喧嘩になったことである。あれは大変申し訳ないことをしたと思っている。

言語の壁を乗り越えさせてくれたのは寿司とサッカーだった。おやつの時間というものがあって、そこで寿司を持って行ったところ、みんな喜んでくれ、色々と話しかけてくれた。その後、クラスのみんなでサッカーをしたら仲のいい友達が沢山できた。その結果、できた友人の中でも一番怪エピソードが多いのがアナという友人である。その中でも、下らなくはあるがお気に入りの笑い話は、烏の話である。ある時、2人で公園で遊んでいた時、動かない烏を見つけたのである。あまりにも動かないし、捕まえてみようという話になって、私が捕まえた。そうしたら、その烏が妊娠中の雌だったようで、その親らしき烏達に襲われたというだけの話。だが、さすがに、あれは怖かった。もう二度と経験したくない。

小学5年生の時に日本に帰国したのだが、その時のことはあまり語りたくない。兎も角、公立学校が嫌いになって受験に精が出るようになったのがこの年であるということだけは事実である。小学6年生はそれよりはマシというか普通に楽しい1年であった。恩師のおかげである。ありがたい。

中学に入ってからは、凡百の一として過ごしてきたと思う。普通に部活でラグビーをして、体育祭では紅組のために戦って、文化祭では友人と動画制作をして、マラソン大会は出るには出て中盤で100人追い抜いてバテるなどをして、アニメを見て、ゲームをして。自由な生活であった。それくらいの人生だ。

しかし、この駒東ラグビー部はかくも不思議な部活で、各々クラスなどではバラバラのグループに所属していた割にはとても仲が良く、楽しくラグビーをしていた気がする。まあ、別にラグビーの腕前としてはそこまで大したことはなかったのだが。ここで話しても大した意味がないのでこれくらいにしておく。ちなみに、須藤とはこの時からの仲である。彼は非常にユニークでウィットに富んだ性格なので、彼のリレー日記には期待している。駒東内の文芸賞に出していた作品も非常に面白かったので。

他に話すべきことは受験期の話しかないが、『成就した恋ほど語るに値しないものは無い』ので、割愛させて頂く。さもすれば、これ以上駄文を書き連ねるのはペンとインクの無駄である。いや、これはインターネット上なので、情報の無駄と言うべきだろうか?兎も角、そろそろ次にバトンを繋ごう。

次に私がバトンを渡すのは、3年の定浪大喜です。私とはスモブラが一緒で、練習などでも様々なアドバイスを貰っている優しく尊敬できる先輩です。先輩からも愛されているいつも面白い先輩なので、私なんどよりも面白いリレー日記を書いてくれると期待しています。

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