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ラグビー部リレー日記
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瀬をはやみ
投稿日時:2022/12/03(土) 19:00
五島からバトンをもらいました、佐藤です。彼は僕がお願いした学館委員の仕事を嫌な顔せず最後までやってくれるのでありがたいです。彼のことは入部するときにプレーヤーを選択していた世界線での自分だと思って応援していましたが、最近になって彼がスイーツやカフェ巡りなどが好きだという新たな一面を知って、僕の中でできていたピュアな彼の像が崩れてしまいました。
彼のためにトレーニング室で時間を使った人は他にもたくさんいると思うので、全員の時間と労力と想いを背負って頑張ってほしいと思ってます。
1番最初に書いたリレー日記の題名を「木綿のハンカチーフ」にした時から、題名は曲名や歌詞から引用しようと決めました。あまりにも内容と合っていないのも、単に曲名を取っただけでも、つまらないと思っていろいろとクンカクンカしながら考えるのが楽しかったです。最初こそメジャーな曲
(「木綿のハンカチーフ」太田裕美、「だんご三兄弟」、「天体観測」BUMP OF CHICKEN)
を使っていましたが、後半になるにつれて自分の趣味が顕著に現れる選曲で説明しないと伝わんないなと思っていたので、ここで何を使ったか説明して3年前の無謀な縛りを作ってしまった自分を供養したいと思います。
「Santa Tell Me」Ariana Grande、「世界の秘密」Vaundy、「トモダチ」ケツメイシ、「House」Lucky Kilimanjaro、「earth meal feat. asmi」Rin音
広義で解釈すれば和歌も歌の一つになるのでしょうか。
瀬をはやみ 岩にせかるる 瀧川の 割れても末に 会わんとぞ思ふ
この歌は百人一首という平安時代ベストアルバムにも収録されています。この歌がオチに使われている落語の演目もあります。現代語訳は
「川の瀬の流れが速く、岩にせき止められた急流が2つに分かれる。しかしまた1つになるように、愛しいあの人と今は分かれても、いつかはきっと再会しようと思っている。」
恋愛の歌と解釈されますが、作者の崇徳院の悲しい人生を踏まえればこのたった十数文字に自分の人生を重ねたのではないかと歴史ファンが想像できる余地がある好きな歌です。色々書いていますが、僕は和歌はこの歌しか知りません。この歌を知っていれば和歌も、歴史も、落語も知っているような顔ができるのでコスパがいいと言えるでしょう。おすすめの歌です。
思い返してみると今に繋がってるなという経験がある。思い出せないくらい小さい頃、僕は地元の駅で何時間でも電車を見ているような子供だったらしい。乗るわけでもなく駅構内から電車が行き来するのを見ていたそうだ。少し大きくなって砂遊びする時、高く盛った山の上から水を流して川を作るのが好きだった。どこへ行くかもわからない水の道に、顔をギリギリまで近づけて砂がけづり取られていく様子を見ていた。兄たちはサッカーが好きだった。地元のサッカークラブが優勝を決めた瞬間のことを覚えている。バカでかいスタジアムに満杯のサポーターが入る。よく知りもしない赤の他人と一つになる瞬間の熱気、振動を全身で感じた。父は車が好きだった。ゴーカートで車の運転の仕方を教えてもらった。小5のとき、クラスのスローガンはスクラムだった。高校時代ラグビー部だったその時の担任の先生とは、休み時間にタグラグビーをした。小6のとき初めてゲームを買ったシムシティというまちづくりのゲームだった。中学の時、4年後のラグビーのワールドカップが日本であることを知った。豊田スタジアムでも試合があるらしい。今のうちからルールを覚えなくてはとたまたまテレビでやっていた日本対南アフリカの試合を見た。高校の部活の顧問は高校の時ラグビー部で物理の授業の時に必ずラグビーの話をしていた。大学に入学して初めて話た東大生がラグビー経験者だった。サッカー好きの兄たちに対抗して自分はラグビーに詳しくなろうとラグビー部を選んだ。大学の授業でシムシティのような研究している学科があることを知った。研究室を選ぶとき、研究室紹介の遊んでいる様子の写真の中にゴーカートをしている写真があって久しぶりにやりたくなって研究室を決めた。人気の研究室だったけど、噂では部室が研究室に近いという理由で僕を選んでくれたらしい。研究テーマは地中の水の道を調べることになった。まさか大学生になって土いじりをすることになるとは思わなかった。
将来のことを考えて行動するのが苦手で、その時やりたいこととか、好きなことを選んでやってきた。電車を見ていたこと、砂遊びをしていたこと、ゲームが好きだったこと、担任の先生の高校の時の部活、父の趣味、出会い。そういう些細なものが今の自分の伏線になっていると思う。
正直、ラグビー部での4年間は、大変だった印象が強すぎて、こういうことを学んだとか、こういう面で成長できたとか客観的にまとめると逆に嘘になっちゃうのではないかという気がしてまだできない。まだ3週間くらいあるし。でも、将来振り返ったときこの部での出来事が、今に繋がってるなって思えるときが来たらなと思います。
瀬をはやみ 岩にせかるる 瀧川の 割れても末に 会わんとぞ思ふ
歌の解釈は人それぞれなので「いろんな出会いや経験が、いろんな分野への興味がいずれ将来の自分につながっていて欲しいな」と解釈することもできるのではないでしょうか。さすがにできなそうです。
最後になりますが、部活に関わってくださっている関係者の皆さん本当にありがとうございます。1年生の頃から3年間S&Cコーチとしてご指導いただいた林さんには、多くのことを教えていただきました。一番影響を受けている僕たちの学年が今シーズンいい試合ができたのは全部林さんのおかげだと思ってます。太田さんには、4年間常に道を示していただきました。太田さんがいなければ適当に部活をして、こんなに辛い思いをしなかったのかなと思っちゃう時もありますが、楽しさを知ることもなかったのかと思います。足元にも及ばない無能な後輩でしたが、僕なりに頑張っていたので許してください。飯奢ってください。両親には、年末帰ったときに直接ありがとうをいいます。大学生の私生活に保護者が関わってくるんじゃないよと思って碌に説明もせず、いろんなことを理由にバイトをせず生活費を稼ぐこともせず、ひどい息子ですが、何も言わずに援助してくれました。将来お金が貯まったら、インテリアのこと詳しくなりつつあるので、家のリフォーム監修します。同期や後輩のみんな、特にS&Cセクションの人たちには迷惑をおかけしました。すぐに機嫌が悪くなるし、仕事は遅いし、とてもリーダー向きな人格ではなかったのは自覚しています。自分たちで課題を見つけて解決していくことの面白さを忘れずに頑張ってほしいなと思います。
次は東大ラグビー部の特徴として挙げられる、ラグビー未経験者の枠、代表格、河内にバトンを渡します。地元も近いし、家も近いし、最初から仲良くさせてもらいました。1年の時からウエイトを真面目にサボらずやっていて、今では最強になってほんとにすげえなって思ってます。
1年の時、「家に観葉植物置きたいんだよね」と僕が言ったら、「あきらの家は汚すぎるからダメだよ」と言ったのを覚えているでしょうか。今は、僕の家は綺麗になりました。観葉植物も置いています。河内は漫画を読みにうちに来ますが、これは僕の勝ちってことでいいですか?
皆さんへ
投稿日時:2022/12/02(金) 18:52
今サッカーの興奮さめやらぬままリレー日記を書いています。日本代表の三笘選手と田中碧選手は川崎市の鷺沼出身で、僕の家の近所です。同じ出身の同世代の人が世界で活躍しているのを見て大きな刺激をもらっています。次戦以降も活躍期待しています。
最後のリレー日記では、皆さんに感謝の気持ちを込めて一人ずつ簡単にメッセージを送らせていただきます。
まずは、来年から最上級生としてチームを引っ張っていく三年生へ。
池田 朝早く来てコンタクト練しているのを見ていつも刺激をもらっています。
岩下り DLからの復帰楽しみにしています。
鈴木 またスモブラしましょう。
関戸 いつも元気に挨拶してくれてありがとう。
手島 めっちゃ重いプロテイン運んでくれてありがとう。
西久保 強すぎてびびっています。
橋野 超能力持ってそう。
前川 ディベートやったら勝てる気がしません。
安富 声一番出して練習引っ張ってくれてありがとう。
次に、来年のチームの中核を担っていくであろう二年生へ。
池上 背中でかくてかっこいい。
磯崎り 普通に清潔感ある気がするのに変なレッテル貼られてかわいそう。
一木 笑顔がチャーミング。
稲村 イギリスでも瞬足活かして頑張ってね。
奥山 ロッカー近くてよかった。
小野 ランのセンスえぐい。復帰楽しみです。
倉橋 ちょっとダミアンマッケンジーに似ている気がする。
桑田 一年の時からすごいと思ってました。来年以降B3を引っ張っていってください。
佐々木 いつも走り回って笛吹いてくれてありがとう。
塩谷 スポーツなんでも出来そう。身長ちょっと分けてほしい。
清和 リレー日記でたくさん俺のこと書いてくれてありがとう。
田村 FLとSHの二刀流すごい。
辻し つじつじ ラグビーの知識詳しすぎる。
デイビス 仲良くしてくれてありがとう。
デル 日本に戻ってくるのが楽しみ。カナダでも頑張ってね。
二宮 ユーモアの塊。天才だと思う。
本多 黙々とトレーニングに励んでいてかっこいい。応援しています。
美浦 いつもスモブラ開催してくれてありがとう。
森田 医進すごい、おめでとう。
雪竹 荷物たくさん運んでくれてありがとう。
吉村 ラグビー未経験者の星として応援しています。
大きなポテンシャルを秘めている一年生へ。
石澤 色んなポジション出来てすごい。
石割 走行量多くてすごい。
磯崎ゆ トッポギ美味しかった。ありがとう。
片桐 未経験なのにセンスすごい。
工藤 リレー日記面白かった。
齋藤 キャラ濃いし、面白い。
猿渡 一緒に山中湖入ったのはいい思い出。
辻き 明るくて元気でいいね。
永安 BBCもウエイトもめっちゃ頑張っててすごい。
福元 俺も駒東の囲碁部入ればよかった。
細谷 下の名前かっこいい。
宮田 まつげんみたいになりそう。
領木 逸材。
鷲頭 4年生のアルバム作成ありがとう。
渡辺 身体能力高くて羨ましい。すごい選手になりそう。
M1の垣内さん これからは(も?)同期としてよろしくお願いします。
最後に、一番長い時間を共に過ごした同期へ。
伊藤 いつもドリンク運んでくれてありがとう。食事調査もお世話になりました。
岩下ひ 常にハードワークしていて尊敬してます。
鵜飼 ビデオいっぱい撮ってくれてありがとう。
榎園 SNSの投稿いつもありがとう。
大山 プレーがかっこいい。
河内 常に刺激をもらってた。尊敬してます。
河野 シンスプのテーピングしてくれてありがとう。
國枝 いつもチームのことを考えてくれてありがとう。
後藤 またいつか勝負しよう。
財木 後輩に慕われてて羨ましい。
佐川 今度飲みに行こう。
笹俣 敬語からタメ口になってくれてよかった。
佐藤 一年の時、一緒にウエイトしてたのが懐かしい。
杉井 5454 山梨合宿の後一緒に荷物探しにきてくれてすごく嬉しかった。
谷田 ストレッチ会で体柔らかくなりました。ありがとう。
玉代勢 また服買いに行きましょう。
内藤 サンウルブズ見に行ったの懐かしい。
中村 就活のやつ教えてくれてありがとう。
原 もしまた定期戦があったらよろしくお願いします。
平岡 人気すぎて嫉妬してました。
廣瀬 また一緒に因数分解しましょう。
松元 研究室毎日行ってて部活も早く来てて尊敬してます。
三方 FWをまとめ上げてて頼もしかったです。
以上、部員69名へのメッセージでした。何回か確認しましたが、万が一誰か抜け落ちていたらごめんなさい。
OB、OGの皆様 ご支援、応援誠にありがとうございました。今後の東大ラグビー部もどうぞよろしくお願い申し上げします。
振り返ってみると4年間のラグビー部はあっという間でした。ラグビー部を4年間楽しく続けてこれたのは、ラグビーというスポーツの素晴らしさ、そして何よりみんなのおかげです。ラグビーというスポーツに巡り合い、かけがえのない仲間に出会えたこと、本当によかったです。ありがとうございました。ついに引退まで残り3週間。できることは全てやり尽くして最後の京大戦に臨みます。
次は、S&Cやマネジメントなどで献身的に部のために頑張ってくれたあきらにバトンを渡します。授業のない時間にはわざわざトレーニング室に来てウエイトのフォームをたくさん見てくれました。トレーニング室で一緒に過ごした時間は彼が一番多いかもしれません。
おつかれさま
投稿日時:2022/12/01(木) 15:11
平岡が言ったように、最近コルツのヘッドコーチに就任しましたが僕は来週からブラジルに行ってしまうのでほとんどサポートできません。コルツの人には大変申し訳なく思っています。地球の裏から応援しています。
幼い頃から僕の日常にはスポーツがありました。小学校に入る前から空手や水泳を始め、中学校からラグビーを始めて今に至るまで、どれも真剣に打ち込んできました。そのため、東大ラグビー部を卒部すると同時に自分の日常からスポーツがなくなってしまうことを想像すると、少し寂しい気持ちになります。中でもラグビーは練習外の時間も含めると最も長い時間を費やしたスポーツであるため、思うことが多々あります。ラストリレー日記では僕のラグビー生活全般を振り返りたいと思います。
先ほどラグビーを始めたのは中学校からと書きましたが、正確に言うと小学校6年生の秋からです。それまで空手を7年間やっていましたが、父から「屋外スポーツをやってみないか」と言われ勧められたのがラグビーでした。実際に体験練習に行ってボールの投げ方やタックルの仕方を教わりましたが、そのどれもが新鮮でした。それまでまともに球技をしたことがなかったのに加え、ラグビーボールの形も相まって面白そう、やってみようかなと思い始めたのがきっかけです。自分が通っていたラグビースクールは北海道バーバリアンズジュニアというクラブチームで、定山渓を本拠地としています。そこには天然芝のラグビー場が2面、ビニールハウスの室内練習場、クラブハウスなどがあり、今思えば僕のラグビー生活の中で最も良い環境でした。このクラブチームでの練習がその後のラグビースキルを全て支えていたと言っても過言ではありません。コーチも複数人常にいて、パス、キャッチ、コンタクトスキルを教わり、ひたすらそれを繰り返していました。恵まれた環境があり、中学3年生時にはクラブチームの全道大会2冠を達成することができました。
高校の進学と同時に岐路に立たされました。進学先の札幌南高校には空手部とラグビー部がありました。それまで10年間打ち込んできた空手を続けるか、その空手に区切りをつけてラグビー部に入部するかかなり迷ったと思います。結果的にはラグビー部を選んだのですが、もしここで空手部を選んでいたら今このリレー日記を書いてはいなかったと思います。なぜラグビー部を選んだのか、それはラグビーが面白いスポーツだとわかったからです。中学3年間でラグビーの面白さに惹かれ、また全道大会2冠の感動も味わい、このスポーツをもう少し続けていこうと思いました。しかし高校のラグビー部はそれほど甘いものではありません。グラウンドは土、監督もコーチもいない、週5、6の練習。ラグビーのキツさをそこで初めて知りました。試合ではほとんど勝てず、また2年時に肩を脱臼し、これから主将としてチームを引っ張っていかなければいけない時期に何もできずただただ悔しかった。3年時の予選大会でも何もできずに試合に負け、そのまま引退した。高校ラグビーは全体として苦い思い出の方が多かったと思います。そのため、もし現役で東大に進学していたらラグビー部に入部していたかはわかりません。もしかしたら全く別のサークル等に入っていたかもしれません。
しかし大学入学まで2年の猶予がありました。この2年間で苦い思い出が薄れたのか、またラグビーをやっても良いかもと思いました。1年の最初の頃はジュニア練習でラグビーの面白さを再び知り同期にも恵まれ、楽しいラグビー部生活を送っていました。特に金曜日の林さんセッションは楽しかったです。大多数は4限終わりに、自分と玉代勢と財木は5限終わりに(本郷5限後に来る五島という例外もいましたが)林さんのウェイト指導を受けていました。ウェイト初心者の僕達を林さんは笑いながら厳しく(?)指導してくださいました。しかし最初のジュニア試合で腰の骨を骨折してしまい、1ヶ月のDL生活を送ることとなりました。復帰して再びラグビーの練習に参加できると思い喜んだのも束の間、復帰後初めてのコンタクト練習で肩を脱臼してしまいました。この怪我のせいでそのシーズンは全くラグビーができないどころか、手術の日程的に夏合宿に参加することができず、同期との楽しい思い出も作ることができなかったのでひたすら悔しかったです。特に、そのシーズン最終戦であった京大との1年生試合で東大が後半怒涛の攻めを見せ、ゴシゴシ(五島)がトライをとった時は非常に盛り上がりましたが、怪我のせいでグラウンドの外から見ていた僕はその喜びをみんなとその場で分かち合えず寂しかったです。
2、3年生時はコロナの影響があり練習時間は短かったのですが、それでも初めてスイカジャージをもらったのもこの時期で、リハビリや練習をサボらず取り組んできて良かったと思えた瞬間がありました。その中でも印象に残っているのが3年時の対抗戦学習院戦です。前半に大量得点を許してしまい、後半の追い上げも虚しく僅差で負けてしまいました。その試合直後、杉浦さんが涙を流している姿を忘れることはありません。いろいろな思いを抱えて挑んだ試合で勝ち切ることができなかった、杉浦さんに勝ちをプレゼントできなかったと今でも思います。この試合を契機に、自分に厳しくなったと思います。プレーの正確性、判断、本当にそれで良いのか?を頻繁に振り返るようにしました。
4年時はコロナの影響も少なく、多くの練習と合宿を重ねることができました。念願だった合宿に参加できたり、菅平の地を踏むことができたり、ラグビー部生活は充実していました。特にBBCは今までの練習の中で最もキツく、体力だけでなく精神力も鍛えられたと胸を張って言えます。このシーズンのA戦はベンチやグラウンドの外から試合を見ることが多かったのですが、明らかにFWの力が増しているのを感じまた。このチームはフィジカル、メンタル共にシーズン中でも成長を続けているなと実感しました。僕は今コルツのヘッドコーチを任されていますが、コルツの人も常に成長を見せてほしいです。
大変なことも多々ありましたが、楽しい思い出も多く、特に人間的に成長できたラグビー生活でした。ラグビーに限らずここまでスポーツ漬けの毎日を過ごした自分にお疲れ様と言いたいです。まだ終わってないですが。
最後になりますが、監督はじめコーチの方々、OB/OGの方々、保護者の皆様、大変お世話になりました。様々な形で私たちを支援してくださり、ありがとうございました。また、両親には感謝してもしきれません。普段の生活だけでなく大怪我して生活に不自由が生じたときにも常に支えてくれました。今後ともよろしくお願いします。同期や後輩のみんな、楽しい時間をありがとう。
これで僕のリレー日記を締めくくろうと思います。他に言いたいことは色々ありますが、とにかく楽しい4年間を過ごすことができ幸せでした。
次は最近までピュアだとみんなが思っていた五島にバトンを渡します。一年生の頃から天然でピュアなやつだと思い込んでいましたが最近本当の五島を知り驚きを隠せません。またこの頃一発ギャグを披露しなくなりましたが、最後の最後に100連発かましてほしいです。僕は付き合います。
18年の財産
投稿日時:2022/11/30(水) 18:51
「なんでラグビーを始めたか」
ラグビー界隈ではよく聞く言葉である。初心者から始める人の多い東大ラグビー部では特によく聞かれ、1年生の時はそれを打ち明ける人が多い。おそらく模範解答は「激しさに魅力を感じた」とか「ワールドカップで好きになった」とか。自分の場合はもう単純に「騙されたから」。家でプラレールばっかりしてる自分(3歳)を不安に思った父親から「足が速くなりたいか?」と聞かれた。そしたらラグビースクールのグランドに連れて行かれていた。無論ラグビーなんて当時自分は知らないし、知っていたらほぼ確実に入っていなかった。ただ、その割には大学になっても続けたスポーツだったから父親のチョイスは正しかったと思う。ちなみに母親はテニスをやらせたかったらしい。申し訳ないけど、本当にそうならなくて良かった。ごめん、テニスは絶対にない。なんなら一番間違ってる。
では次に、
「なんでラグビーを続けたか」
こっちもよく聞かれる質問である。これに対しては、
「それしか出来ないから」「中高でもやったから流れで」「他にやれることがないから」「ラグビーが好きだから」「他のスポーツとかサークルに入る勇気がなかったから」
大体こんな感じになる。まあ大体どれを言っても合っている。正直惰性といえば惰性だし、自分自体、人生でなんでそのチョイスしたかとか考えるタチじゃない。そもそも始まりのところから自分の意思で始めてないから、特に目標とか野心もなくその時その時で楽しんできてた。
でも、18年くらいやってきてそれで済ますのもな、とは思う。何かしら自分はラグビーの魅力に惹かれている、流石に、多分何かしらは。そう考えると自分の中でラグビーを続けた要因は「大学でも続けろよ」って言われたから。多分そうなる。
ただ、これを言った人は自分とは全然長い付き合いでもない。高2秋と高3春の大会の時だけ組んだ合同チームのコーチに言われた。それなのに思い返すと自分にはかなり刺さっている。これは高→大の時だが、小→中でもスクールのコーチには「中学でもやるよな、続けろよ」って言われた。ラグビーはぶっちゃけ辞めちゃう人が多い。だからだと思うが、別のチームでも別の形でもいいから続けてくれ、とみんなよく言っていた。辞めるなよって後ろ向きな言葉っぽいけど、自分にはよく響いた。多分、自分はラグビーのこの温かさが一番好きだったんだと思う。
ラグビーやり始めた時はラグビー自体は全然好きじゃなかった。でも、スクールに行くと別の小学校だったり隣の市の子だっり、年上のお兄さんだったり、いろんなタイプのおじさん・お父さんのコーチがいたり。ラグビーやってなかったら知り合うこともなかった人たちと知り合ってプレーして、自分に目をかけてくれて、いいプレーあったらみんなが喜んで。そんな環境はすごく好きだった。そして自分がスクールから距離が開き出しても、気にかけて期待してくれて。今年の立教戦にもスクール時代のコーチが1人見にきてくれていたらしい。ホントに暖かい環境に自分はいたし、その財産が今になっても続いている。
中高時代も最終的に同期は3人になったし、今思えばほぼサークルくらいな感じのユルユルな部だったけど、色んな人たちとまた会ってOBや父親たちも元気な人が多くて。ぶっちゃけ規律とか真剣さはあんまだったし、ボロクソに負けたりロクな練習できずに合同チームで大会出るハメになったり、苦い思い出の方が多分多いけど、でも最後に麻布開成で組めて最後の大会で1勝できた。何よりも6年間で自分もいろんな立場や境遇を経験して、その中でいろんな学年や背景、学校の人とラグビーを舞台に熱意を持って集まって。合同チーム以外でも都選抜で知り合った人と菅平や大学の練習試合とかで再会したり、中には一緒にストラグとか通ってたやつもいて。秩父宮で合同や選抜チームのコーチとバッタリ出会ったり。ラグビー界は世間が狭いから、いろんな人と知り合ってまた再会して。いろんな人との縁をラグビーのおかげで持てた、これが自分がラグビーが好きな理由でラグビーからもらった財産。
大学でもいろんな人と知り合って、特に東大ラグビー部は一番濃い場だったし、一番ラグビーに向き合った4年だったし、一番多くの経験があった。1年生からリザーブに入れたこと、2年3年とA戦にほぼ出れなかったこと、B戦でもほぼ勝てなかったこと、Bチームではあるけどリーダー的な立場を経験したこと、4年になってBBCがバカきつくて、対抗戦にいきなりスタメンで出て、と思ったら外れて、また選ばれて、最後はとんでもないプレーかまして。プレーヤーとしては苦い経験も良い経験も、期待に応えたり応えなかったり。でも、みんなすごく熱意を持っていて、自分に色んな期待やサポートをしてくれて、そんな人たちとラグビーを通して4年間関われたこと、同じ目標に向き合っていたこと、そんな人たちに自分もいくらかは期待に応えられたこと。とても幸せでした。
とかいう癖にお前新歓ロクにしてないだろとか、去年1年生の名前全然覚えてなかっただろとか思い出した人、それはすみません。やっぱり人付き合い苦手な部分はどうしても否めません、それは許してください。でもラグビー通して18年、そして大学での4年、自分がラグビーに熱意を持った理由も一番大きな財産もこれだと思います。幸せな4年間をありがとう。
次はラグビー部最年長、東大ラグビー部で一番の文武両道をゆく佐川にバトンを渡します。最初はラグビー部でトップレベルの常人だと彼のことを思っていましたが、4年間多くコンビを組んできて悪い面とヤバい面が自分の中でどんどん強調されていきました。また、ヘッドコーチに就任した彼ですが今度ブラジルに研究出張に行くことになり、その間はブラジルからオンラインでコーチングするそうです。
手をつなぎながら/私は私
投稿日時:2022/11/29(火) 13:40
同期の安富からバトンを受け取りました、3年スタッフの手島です。
スタッフに転向してからも体は鍛え続けようと、エニタイムに所属し続けているのですが、授業と練習時間外のスタッフ業務で忙しく、ほとんど行けていません。お金を溶かしているに近い状況なので休会しようか、勿体無いから行かなきゃと思える環境に身を置こうかというのが最近の悩みです。いやいや、本物のトレーニーは時間を言い訳にしないって話ですよね。反省します。大学に入ってせっかく見つけた好きなことなので、引退後は何らかの形でまたプレーしたいと密かに思っています。余裕がある時にスクラム教えてください。
自分の話ばかりで紹介が遅くなりましたが、最近グラウンドの外から見ていると、安富ってカッコいいなと感じます。あまり誉めるとすぐ調子に乗りそうなので、深くは書きません。
さて、諸事情(詳しくは読み進めてください)により1年ぶりのリレー日記更新なので書きたいことはたくさんあるのですが、まずは本来なら5月にバトンを受け取って載せる予定で書き上げていたものを成仏させてください。
テストに落ちこぼれそうで凹み
何回も学校辞めたくなった
心のロッカー片付け
今すぐ帰りたくなったけど
ぎゅっと手をつなぎながら
道に迷わないように
前へリードしてくれた
同じ夢を持つ友よ
こんなに今の自分に刺さる歌詞はあるだろうか。
「手をつなぎながら」という曲の2番のサビ前からサビの前半の歌詞である。
昨年末から、自分の体調、学業の成績、将来への不安、上級生になることへの準備不足、自転車操業のような余裕のない日々、祖母との別れ、コロナ…本当にたくさんのことが積み重なり、それまでの生活が嫌になって、部活を手放そうとした。間違いなく時間的余裕は生まれ、代わりに勉強する時間と自分の望む「ていねいな暮らし」が手に入ると考えていた。
悩めば悩むほど体調が悪くなり、常に吐き気があって思うように食べられなかったり夜眠れなかったりするようになった。もう部活を辞めた方が良い、きっと自分にはそれが一番正しい選択だと思って同期に打ち明けたあの日、あるメッセージをもらった。
「俺の勝手だけど、なんとか残る道を探してほしい」
自分はチームにとって必要のない存在だと思ってしまっていたから、必要としてくれる人の存在がとても嬉しかった。どこまでも深く。そして、自分が手放そうとしていたものは「部活」の2文字だけでは片付けられないもっともっと重くて大きなものだったことに気がついた。
何週間もかけて悩んだ末に出した答えだし、誰に引き止められても気持ちは揺らがないと思っていたのに迷ってしまったが、それも無理はない。自分の周りにはこんなに素敵な人がいたのに誰にも相談せず一人で決めたからだ。その日から同期や先輩に相談し、もう一度考え直した。休んでいる間に周りはどんどん強く逞しくなって、前が見えないところまで置いていかれてしまっていたし、自分の咳喘息を考えるとこのチームでまたプレーをすることは現実的ではないと思い、スタッフに転向することを考えた。他のスタッフがどういうモチベーションで活動しているかはわからないが、自分を優先して一度辞めようとした自分には「自分のために生きる人生と人のために生きる人生どちらが幸せか」なんて問いが生まれてくる。フィロソフィーだ。
結論から話すと、後者の方が幸せだと思ってスタッフとして残る道を選んだ。人のために何かをしている自分が好きで、自分のためより人のための方が頑張れる自分がいる気がしたからだ。ネガティブになりきっていたからこそ、好きな自分でいられる道を選んだ。きっと辞めたら心のどこかで自分を責めてもっと自分を嫌いになってしまうと思ったから。
某予備校でアルバイトをしていた時、第一志望に受からなかった担当の生徒に「自分が進む道を正解だったと思えるように進めば、いつかきっと正解になるよ」なんて言葉をかけたが、そういう自分は同じ状況で同じ言葉をかけられても前を向けるほど強くないんだよな、無責任な言葉だったなと思ったことを思い出す。でも、今だけは、ここだけはそう思って前に進めるように強くなりたい。周りのみんなに負けないように強くなりたい。そして、あの時の自分の言葉に責任を持てるようになりたい。
何より大事な仲間のために、そして好きな自分でいるために、ラグビー部人生第二章、スタッフとして頑張りたい。みんなと同じ夢を持ち、その夢を一緒に叶えたい。
いつか汗や涙も
光る思い出に変わる
だから頑張って行こう
共に声掛け合って
卒業をする日まで
お読みいただきありがとうございました。
ちょうど自分の中で答えが決まっていて、少しずつ体調を回復させていたリハビリ期に書いたものでした。部活復帰そしてスタッフ転向のタイミングで説明すべきだったことを、他学年には説明できていなかったので、この日記を説明とさせてください。特に、しれっと現れた元プレーヤーの先輩に戸惑いながらも優しく接してくれた1年生のみんなには感謝しています。さらにその中でも、他の1年生も話しかけやすい雰囲気を作りたいからという本当なのか嘘なのかわからない理由で、会って1週間で「じゅんちゃん」とか「てっしー」とか呼んでくれた彦人には感謝しています。ありがとう。
半年前に書かれた文章が成仏できたところで、ここからは今書きたいことを書きます。
先日、ある先輩が「てっしーは女子スタッフだからな」と言っていたことを知らされた。男子スタッフがすべき仕事と女子スタッフがすべき仕事がはっきり分かれているとは思わないし、この多様性が認められ、ジェンダー平等が謳われている時代に古い考えの持ち主なのかなと思いもしたが、自分の知る範囲の歴代の男子スタッフがしてきた分析、レフリー、S&Cの仕事はどれもしていないから、そう言われるのも仕方ないのかもしれない。
その先輩が何を考えてそう言ったのかは知らないが、その言葉はスタッフとしての今の自分を考えるきっかけになった。
遡ること約半年、スタッフに転向することを自分の中で決め、スタッフ長のあしゃさん(谷田さん)と面談をした時に、プレーヤーからの信頼を勝ち取るのはかなり難しいし、私は4年になっても自信がない時がある。これって私じゃなきゃいけない理由がないなって思うことがある。3年の途中からスタッフになるなら周りの何倍も頑張らないと無理だよ。そんな話をしていただいた。
スタッフの先輩後輩の話を聞いたりリレー日記を読んだりしていると、「自分でなければいけない理由」、言い換えるなら「自分にしかできないこと」がプレーヤーからの信頼を得ているかどうかの一つの指標であるように思える。
今している部の仕事はいろいろあるが、どれもが専門的な知識を要するものではなく、やろうと思えば誰にでもできるものも多い。今シーズンは僕がスタッフに転向する前からスタッフ組織が回っていて、僕が何か新しいことを始めたわけではないから、今僕がしている仕事は全て「誰かがしていたこと=他にできる人がいること」なのである。仕事内容を見ると、「自分にしかできない」とは程遠い。
では仕事の量はどうだろうか。一つひとつはそれほど大きくないが、いろいろな仕事を抱えている。しかし、自分よりもたくさんの仕事をしているスタッフは周りにたくさんいるし、その多くの人が平然とこなしている。あれもしなきゃ、これもしなきゃ、それもできていない…といつも忙しそうにして周りまで不安にさせる自分とは大違いで情けなくなる。
何かしらの期限に追われ続けていることを思えば決して仕事は速くないし、仕事が丁寧と誉められたかと思えばその後すぐにミスをしたり、今日はうまくできなかったなと反省することが多々あったりと、仕事の質も高くない。
仕事の内容、量、速さ、質、何をとっても「自分にしかできないこと」を感じられず、まだまだだなと感じる。先輩スタッフに「スタッフ組織に欠かせない人物になっている」と言ってもらえたり、後輩スタッフに「スタッフに転向してくださって良かった」と言ってもらえたりしたが、これらはスタッフからの言葉であり、プレーヤーからの信頼はまだ得られていないというのが半年経った今の結果なのだろう。
(このような形で引用をしましたが2人の言葉をネガティブに捉えているわけではありません。スタッフからの信頼は間違いなくプレーヤーからの信頼への通過点ですし、自分を肯定させてくれるありがたい言葉です。読んだ時の嬉しさを今も鮮明に覚えているくらい嬉しい言葉でした。)
元々半年で得られるほど簡単な道のりではないと知っていたから、認めてもらえるよう頑張るだけだと思うのだが、何か一つでも「自分にしかできない」を見つけたくて、いろいろ探してみる。
そこで見つけたのが仕事のやり方だ。仕事のやり方と言っても形式的な話ではなく、自分には自分のやり方があるというものに近い。仕事のやり方を考える上で、武器になりそうな自分の性格をあげてみる。
①優しい
自分から言う言葉ではないかもしれないが、自分は優しいと思う。「優しい」にもいろいろな意味があると思うが、困っている人を見ると放っておけない、人のために動くことができる、人に寄り添うことができる、そんなところだろうか。街で体調が悪そうな人を見れば「大丈夫ですか?」と声をかけずにはいられないし、誰かがピンチの時は助けて、支え合いながら生きていこうと、綺麗事のように聞こえるかもしれないが本気で思っている。悩みやすい性格だからこそ、誰かの悩みに寄り添うことも得意だ。同期や後輩に相談されたら誰よりもとことん付き合ってあげられる自信がある。
プレーヤーもスタッフも、全員が心地よく活動できる環境を作りたいし、チームの強化には一見繋がらないそういうことも、どこかで強化につながる時が来ると思う。1番優しくチームのために動けるスタッフでありたい。
②怖さ
夏合宿中に、青山先生から怖い人がチームに1人いないとチームは強くなれないという話をしていただいた。そしてそのポジションになってほしいという話もしていただいた。過去にいくつかの“怖い”エピソードを生み出してしまっており、怖い怖いと言われるたびに納得し難い気持ちになっていたが、その日を境に怖さも必要なのだと思えるようになった。規律を守る強いチームになるために怖い人でいることは、他の人にはなかなかできないのだろう。「1番優しくて1番怖い人」は「自分にしかできない」に近いかもしれない。
③オタク気質
これは一スタッフとしてというより、来シーズン担当する広報責任者としての武器だ。広報セクションの仕事は東大ラグビー部の魅力を世に発信していくことだが、魅力を発信するというのは思ったよりもずっと難しいものだと思う。何かを人に薦めるとき、その人がその対象を本当に好きでなければ、そのおすすめは相手に響かない。そう考えた時、広報の仕事はオタク気質な自分に向いているなと思う。誰よりもチームを愛し、最近の「好き」とほぼ同じ意味として使われる「推し」ではなく、文字通り、言葉通りに「推し」ていきたい。今以上にたくさんの方から応援してもらえるチームにしたい。
もちろんたくさん学んで専門的な知識や技術を身につけ、仕事の内容、量、速さ、質、どれをとっても代わりのいないスタッフになるための努力を続けるが、私は私、自分しか歩けない道を歩いていきたい。
半年前に同期の前で「少しでも早くみんなに認めてもらえるようなスタッフになりたい」と決意表明をした時、橋野が「そんなに焦らなくていいよ。手島は手島のペースでやれば」と言ってくれたのを思い出します。その言葉に救われて今の自分がいます。残り1年と少し、自分らしく進んでいきます。
(橋野のこんなに素敵な面を知っている他学年はあまりいないと思うので、あえて最後に書きました。これからチーム全体をよく見て、もっとチーム全体のことも一人ひとりのことも知っていき、自分しか知らない好きなところをたくさん見つけていきたいです。)
2回分なのでかなり長くなりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。手島が書くとものすごくネガティブに読めてしまうかもしれませんが、とても前向きな気持ちで書いています。心配されそうなので一応。
さて!リレー日記ファンの皆様お待たせいたしました。
明日からは楽しみにしている人が多いであろう4年生の最後のリレー日記です。
かく言う僕も楽しみにしている1人です。4年生がもうすぐ引退してしまうことを実感し寂しさを感じたり、最高学年になる日が近づいている不安を感じたりしますが、先輩方が残す言葉をじっくり読みたいと思います。
文章はもちろん楽しみですが、4年間を共にした同期同士の紹介文も非常に楽しみです。
ぜひ皆さんも毎日読んでください!!!!
今シーズンはここ数年で1番多い(手島調べ)24人の4年生が明日から毎日更新していきます。
そのトップバッターを務めるのは平岡さんです。普段は愛されキャラでいじられキャラの可愛い先輩ですが、スイカを着て対抗戦で闘う姿はとてもカッコよかったです。
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