ラグビー部リレー日記

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来年から、爆発するために

 written by 奥山 敦裕 投稿日時:2021/08/19(木) 18:00

いかつくて怖いタイプの巨体というよりは優しいオーラを醸し出すタイプの巨体の持ち主、いしけんさんよりバトンを頂戴しました1年の奥山です。いしけんさんには練習前後に僕が練習についていけているか声をかけてくださり、どれだけの安心感を与えて頂いたかわかりません。

明日から入院します。先月22日に前十字靭帯を断裂してしまったため、4日後の手術とリハビリのためです。廣瀨先輩しかり、前十を切った直後にリレー日記のバトンが回ってくるのはどうしてなのでしょうか。今回は地元での手術を目前に控えた今、想うことを書きます。部員のみなさんとはしばらく会わない日がこれからも続くので貴重な自己発信の場と勝手に捉えさせて頂きます。どうぞ最後までお付き合いください。


怪我をしたのはまだ練習を始めて3か月も経たないうちだったが、ここだけの話、高校ラグビー部で主将を務めていた時よりも真剣にラグビーに取り組んでいた。ラグビーは高校まででいいかなと思っていた受験期の自分からしたら考えられないほど夢中だった。実際、入部時の想像を遥かに超える質の高い強化体制のもと、ウエイトや食事にも拘り始めた結果、体はどんどんデカくなったし、技術面でも成長を感じられた。何より朝練がある日の前夜はワクワクが止まらず、今までで一番ラグビーを楽しめていた。より成長できる環境でプレーしたかったから、杉浦主将に「自信持って、早くシニアに上がって来いよ!」と声をかけて頂いたから、上級生との練習に合流することを決意し、スイカジャージを目指して歩み始めた。
けれどその矢先、先述の通り前十を切ってしまった。

怪我をしてしばらく東京に残っていた時は、積み上げてきたものが全て瓦解してしまった気がして何もかもがどうでもよくなった。人生初の一人暮らしで苦労しつつも着実に増やせていた体重は、たった1週間のうちにあきらさんに「奥山、ちっさくなったね。」と言われるほど減ったし、実際1週間で4kg痩せた。
たくさんの先輩方に期待を込めて頂いて、「怪我しないやつが一番成長する(から怪我するなよ)」とことあるごとに言われたことが脳裏をよぎり、自分を責めたて全く眠れず夜中に何度も目が覚めてしまった。
手術日が決まらず、先行きが真っ暗ななか、練習をサブグラウンドから見るだけの時間は思っていた以上にきつかったから、期末テストを全部受け終えて、早く実家に帰りたいと思っていたし、練習時間中もどうせ手術するからと術前リハを適当にこなして過ごしていただけだった。
カレンダーを見てまだ受傷して1か月も経ってない事実を知り、時の流れの遅さに絶望しそうになった。
実家で妹に勉強を教えることやリハビリをすることしか日課がない日々を自分が送っている今この瞬間も、上級生たちは対抗戦に向けて文字通り死に物狂いで強化集中練習に取り組んでいるし、同期、特に未経験で始めた奴らなんかは僕が復帰する頃には試合の経験値も積んで、見違えるほど強くなっているのだろうと思うと自分の無力さと共にやるせない気持ちでいっぱいになる。

でも。それは1週間ほど前までの話。

やるせなさは抱えつつも、ラグビーから完全に遠ざかった日々を過ごしていると、理由はわからないけれども少しずつポジティブな感情も生まれてきた。
AIG損保がTwitter上でALL BLACKSの選手らがどう怪我に向き合っているのかを紹介した動画に出会った。世界のトッププレーヤーである彼らは怪我をした時、ビデオ解析やプレーヤーへのアドバイスなどを進んでやるというのだ。そこには、ライバルが更に活躍できるよう、またチームが一番いい結果を出せるように少しでも貢献しようとする真摯な気持ちが垣間見える。僕もまだ今は、そして多分これからも同期が良いプレーをしたり、活躍したりしているのを見ると、嬉しさより、悔しい気持ちが勝ってしまうが、彼らが更に上達できるように、できるサポートはなんでもしていきたいという気持ちが芽生えた。
執刀医を務めてくださるお医者さまに手術の説明を受けた際、術後のリハビリがとても大事だと言われた。そして2日前、國枝さんがリレー日記で紹介されていた高校ラグビー部の先輩、廣瀨さんの行動。今まで一緒にプレーした記憶はないけれど、熱心に勧誘してくれたし、僕が今後取るべき行動を、身をもって示し続けてくれると思うととても心強く思えた。来シーズンこそは、火山灰が入り混じる土のグラウンドで大雨の日も練習した者同士、芝生のありがたみを感じつつ一緒にスイカを着て試合に出たいです。
この怪我も自分より体の強い先輩と衝突した結果起きたものだからある意味仕方なかったなと、開き直れるようになった。実際、体が強く機能性も高い先輩方の多くは全ての練習に参加し、試合でも活躍している。この期間はちょっと長すぎるかもしれないが、怪我を二度としない強く、しなやかな体を作り上げるために神様が与えてくれた時間かもしれない。
テレビを見ていると戦争やコロナで家族や友人を亡くした遺族の方々のこの上ない悲しい想いが伝わってくる。そのようなニュースを見た者が持つ感想としては不謹慎すぎるかもしれないが、前十を切っても生きている以上、それはかすり傷に過ぎないんじゃないかと思うようになった。それに加えて僕にはまだ大好きなラグビーをする時間が残されている。悲嘆にくれるのは、贅沢すぎる行為だ。前を向いて歩かなければならない。

目前には手術、リハビリという今まで経験したことのない大きな壁が立ちはだかっている。けれども、生まれてからここまで自分を支えてくれた方々。家が遠いのに夜練後、駅前のスーパーでの買い物を手伝ってくれ、今では僕を暇させまいと練習のフィードバックを求めてくる同期の辻。前十断裂の報告をした数秒後に慰めのLINEをくれた、僕と1年生の全く同じ日に前十を切るも今はスイカを背負う3年の財木さん。松葉杖をついてキャンパスから家に帰っている時にばったり会い、重い荷物を自身のチャリ籠に乗せてくれ、立ち寄ったスーパーでは昼食を奢ってくださり、そのまま家までついてきてくださった時、「代われるもんなら代わってやりたいけどなぁ」とポツリ呟いてくださったジュニアコーチの虎さん。二回も靭帯を断裂してもなおプレーヤーとしての道を諦めなかったジュニコの川端さん、4年の魚住さん。他にもあげるとキリがないがちょっとした気遣いや優しい言葉で僕を感激させてくれた先輩方、同期のことを思い出すとこの壁は破壊してでも、どんな形でもいいから乗り越えなければならないと強く思う。

乗り越えた先にある自分はどのような姿だろうか。高いモチベを持つ今の自分の想像より成長していないかもしれない。だけど、せめてラグビーできないという悔しさを誰よりも知り、ラグビーできる幸せを誰よりも感じられる人間になっていたい。それは、復帰時チームの最底辺にいる自分、チャレンジャーとして常に高みに手を伸ばし続ける自分を押し上げてくれる原動力となってくれるだろう。

もちろん、その過程でもう二度と一緒にプレーすることのない4年生が対抗戦で躍動し、目標を達成する姿が見たいです。数える日数しか一緒に練習してない1年の自分が言うのもおこがましいですし、勝手なことを言うようですが、今年のチームならいけると思います。華麗なプレー、泥臭く前進するプレー、熱いハート、全部瞼に焼き付けます。
そして最後に同期へ。先日、僕が通院のためにキャンセルしたミーティングで決めた俺らの代の目標、話し合いには全く関わらずあとから聞いただけだけど、心の底から一緒に成し遂げたいと思える目標だった。来年から爆発できるように、僕も皆の向上心を見習って、これからを過ごしていきます。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

次は同期スタッフのようこちゃんに回します。上では熱いこと書きましたが、今は素直にようこちゃん含め同期のみんなに早く会いたいです。
 

弱音

 written by 石田 健太郎 投稿日時:2021/08/18(水) 18:00

 いつの間にかフォワードになっていた國枝からバトンを受け取りました。4年の石田です。國枝は僕と違って間違いなく優秀なつかえる人間です。これからの東大ラグビー部に欠かせない存在だと思います。

 夏休みでやることが少なくなったため、ラグビーについて考える時間がかなり増えています。7年間のラグビー人生で一番考えている時期かもしれません。しかし僕は自他共に認める根っからのネガティブで、考え事をしているとすぐ落ち込んでしまうタチの人間です。好きで続けているはずのラグビーについて考えていても、すぐマイナスの方向に振れてしまうのが悩みどころです。
 最高学年になって考えることでもないような気もしますが、未だに「なぜラグビーをするのか」考えてしまうことがあります。こんなに多くの時間を割いてまで心底きついことに取り組み続けて、心身を疲労させることに意味を見出しづらくなってしまうことがあるのです。
 この問いは、高校でラグビーを始めたときから今の今まで、幾度となく反芻し続けていました。高校時代は、「自分で選んだことだから」というのが僕の中での答えでした。小中時代はこれといって長く打ち込み続けられるものがなかったため、高校生活では何かしらの拠り所が欲しいと思っていました。そんな時に出会ったラグビー部はとにかくかっこよくて、15歳の自分は安易に惚れ込んでしまいました。しかし、ラグビーはそれまで大したスポーツ経験を持ち合わせていなかった僕にとってとてもハードで、苦しいものでした。ラグビー自体の楽しさがわかり始めたのは高3になる直前くらいで、それまではただ自分の選択を裏切りたくないという、半ば強迫観念の入り混じった義務感に駆られてラグビーをしていたように思います。
 その義務感は今も多少は残っています。やはり自分で自分を裏切るのは嫌です。でも今はそれ以上に、自分のチームを裏切りたくないという思いも強くなっています。元を辿れば義務感と言っても相違ないようにも思えますが、これは自分以外の他者に対する責任であり、それを果たすための強い意志でもあります。いわば身体を突き動かすガソリンです。これがあるおかげで、チームが勝てた時は心の底から喜ぶことができるのです。
 しかし、僕は弱い。時々ガソリンが切れかけてしまいます。夏は暑くて練習もトレーニングもハードで、心が折れることもないとは言い切れません。弱い自分が本当に嫌になります。でもチームを裏切りたくない。この無限ループです。
 ループを断ち切るには心も体も強くするしかありません。現在行われている強化集中練習は、心身共に強くなる絶好のチャンスです。菅平合宿が無くとも、このチャンスを無駄にしないように全力で取り組み、最後の秋シーズンまで駆け抜けたいと思います。

 最後までお読みいただきありがとうございます。書き終えてから気づいたのですが、一年前にも同じような悩みをここで書き記していました。ネガティブ加減とメンタルの弱さは相変わらずでした。また落ち込んでしまいそうです。

 次は、抜群のセンスとスピードで上級生にも見劣りしないプレーを見せる奥山です。シニアに合流して早々に怪我で長期離脱をしてしまったのが残念でなりませんが、復帰後の爆発が非常に楽しみです。

原動力

投稿日時:2021/08/17(火) 19:00

一年スタッフの森田こと、もりぞーからバトンを貰いました。3年の國枝です。
もりぞーは、部室の二階とかケビンを綺麗に整理してくれるなど、周囲に気を配ることのできるスタッフです。また、プライベートでラグビー観戦にもいくみたいで、ラグビーが好きなスタッフが入部してくれるのはとても嬉しいです。今度、スモブラに遊びにいかせてください。

5月8日に右足首の怪我をした。
病院に行ったら捻挫(靭帯損傷)の2度と診断された。
3週間くらいで復帰できるよと言われた時は、痛みの割には復帰までの期間が短く思えたから嬉しかった。
でも、3週間経っても痛みが取れなかった。
流石におかしいなと思って、セカンドオピニオンに行った。

レントゲンを撮った結果、捻挫と一緒に剥離骨折もしていたことがわかった。
田崎先生に回復の仕方によっては、手術もあり得る、手術した場合は3ヶ月復帰にかかる、と言われた。
すでに怪我から一ヶ月。ここからさらに三ヶ月。合わせて四ヶ月の離脱。しかも、復帰できるのは9月頭で、夏の練習にも出れない。そう考えたら、マジで目の前が真っ暗になった。

今年は、とにかく春シーズンからスタメンをとる。そしてたくさん試合に出て経験を積む。そして自信を持って対抗戦に臨む。と意気込んでいた1月2月の自分が嘘のように、暗い気持ちになった。

次の診察では、とりあえず、手術はしないで、このまま経過を見ていこうと言われた。
7月下旬頃には復帰できるんじゃないかと言われた。

この三ヶ月間、結構、しんどかった。ラグビーもできない。学部もオンラインで全く楽しくない。コロナだから友達と遊んでストレス発散することもできない。コロナだから女の子と遊びにも行けない。いや、そもそも遊ぶ女の子がいない。マジで俺大学三年生なのに何やってんだろ、なんでこんなつまんない毎日過ごしてんだろって、冷静になると思ってしまう。
そういう意味ではDLでのトレーニングと、筋トレをしている時はそういうことを考えずにいられたからよかった。筋トレは何も考えずに、一生懸命になれるから高校生の時から好きだった。頑張っただけ目に見えて成果が出るのも筋トレの素晴らしいところだ。
トレーニングは好きだし、今がつまらないのは、辛いのは、ラグビーのせいではなくて、ラグビーをできていないから、というのは分かっていたから部を辞めたいとは思わなかったけれど、もし、手術になって、今シーズンプレーできなかったら?復帰しても怪我の影響でキックが蹴れなかったら?以前のように思い切りプレーできなかったら?と不安は考えだすとキリがなかった。同期や後輩が試合で活躍するのを見ているしかないのは悔しかったし、来年最高学年になる自分の立ち位置とかを考えるとすごいプレッシャーだった。だから、先のことはあまり考えないようにした。

ただ、この三ヶ月は無為ではなかった。もちろん、この三ヶ月、怪我をせずにラグビーをしていた方が何十倍も有意義であったことは間違いないけれども、それでも、フィジカルの強化を中心に、着実に前に進むことはできた。この三ヶ月のDL期間に関しては、本当に後悔がないし、やりきったと思う。そこには自信がある。
でも、それは、自分の力だけでできたことではない。本当にこの三ヶ月はDLを中心に部員に助けられた。

まず、廣瀬。
廣瀬は5月の下旬に怪我をした。
前十字靭帯断裂と半月板損傷。俺より全然重い怪我。
流石の廣瀬もかなり落ち込んでいて、何か励ます声をかけたかったけど、怪我したし俺らも彼女作るしかないな、みたいなしょうもない冗談しか言えなかったことを後悔している。ごめん。
DLのトレーニングやリハビリは、大量にメニューが渡されるから、練習時間内に全てやるのは無理で、全体練習が終わると、その後どれくらいサブグラに残ってリハビリをやるかは各自に任せられてる。だから、全体練習が終わるとさっさとリハビリを切り上げて帰る人も結構いる。
廣瀬は、怪我から3週間後の6月の中旬に手術が決まっていた。もし自分が廣瀬だったら、手術前は、どうせ手術するんだし、と思って適当にリハビリを切り上げていたと思う。だけど、廣瀬は、アフター練習も終わり、他の人が全員帰った後もニーベントウォークでグラウンドを周回するキツイメニューを黙々と続けていた。それを見て、あ、廣瀬は、練習時間をどう潰すかとかそういう考えじゃなくて、今日自分ができるベストを尽くそうとしてるんだな、って思った。
それを見て、その日から、DLのトレーニングに対する向き合い方が変わった。全体練習中はトレーニングに集中して誰よりも成長してやる、と思って毎回の練習に臨んだし、時間の許す限り、サブグラに残って、リハビリを頑張ろうと決めた。そのおかげで、課題だった下肢の筋力をかなり強化することができた。
それだけじゃなく、廣瀬は、朝早く来て、用具を準備してくれるし、用具の片付けも率先してやってくれる。模範的なDLだと思う。
廣瀬ありがとう。

それから、魚住さん。
魚住さんとはずっと一緒にDLにいた。
魚住さんは、弱音を吐くことが多いけど、なんだかんだ、こっちが提案した追加のメニューにも付き合ってくれるし、最後までチアアップしてくれる。魚住さんとトレーニングするのが楽しかったし、グラウンド外でもいじられキャラとして、散々、和ませてくれた。
魚住さんのおかげでポジティブな気持ちで練習に来れました、本当にありがとうございます。
一緒にスイカ来て対抗戦出たいです。

そして、垣内さん。
垣内さんは、DLじゃないのに、一番、声をかけてくれた。
大丈夫か、とか、焦んなよ、とか無理すんなよ、とか、顔をあわせるごとに言ってくれた。
心配してもらうことは、プレッシャーにもなったけど、素直に嬉しかった。
それから、全体練習後、毎回誰よりも遅くまで残ってアフターに励む垣内さんを見て、俺もリハビリ頑張ろう、と思えた。
慶應戦での垣内さんのキック、マジでかっこよかったです。
(慶應のベンチからも、あの9番上手いな、と声が出ていて、誇らしかったです。)
垣内さんみたいにアフター練習真剣に取り組みます。

それから、西久保。
西久保は俺の一ヶ月後くらいに俺と全く同じ怪我でDLに入ってきた。
最初は、キツイトレーニングの時、すぐ辛そうな声出すし、なんか演技くさいし、メンタル弱いなーと思った。体格の割にはウエイトも強くないし。でも、ラグビーめちゃくちゃ上手いし、めっちゃいい奴だし、2年生以下を引っ張っていく存在になって欲しいなと思っていたから、トレーニングで追い込んで、西久保のメンタルを強化しようと思っていた。
結果、成長しすぎて、モンスターが生まれてしまった。
DLに入ってきてから一ヶ月くらい経った日に、「なんか、最近、トレーニングがめちゃくちゃ楽しんですよね」と西久保が口にしたときは、めちゃくちゃ嬉しかったけど、この前、エルゴ2kを2セットやってるのを見たときは流石にストイックすぎてひいてしまった。
7月になると、西久保も毎日のように、全体解散後、1時間とか、長い日には2時間とか残ってリハビリをしていた。俺より全然頑張ってた。他の人の目とか気にせず黙々とやってるところ、マジでかっこいいなと思って見てた。
西久保を見ていると、ラグビーが本当に好きなんだなと思う。結局それが一番強いんだなと思う。
西久保、いろいろ話し相手になってくれたりしてありがとう。ラグビーの面で西久保に追いつけるように頑張ります。

他にも、
自分から進んでキツイwodをしようとする田村とか、
授業課題で忙しいのに毎回cc来てくれる彬とか太田さんとか、
ウエイトの後、グラウンドの端で残ってパス練してる平川と一木を見かけた時とか、
同期がダウンしてないのをちゃんと注意してたり、練習後に落ちてるゴミ拾ってくれる本多とか、
アフターで苦手なコンタクトの練習、人一倍頑張ってる池田とか
目ギラギラさせて積極的に練習してる、寿太郎とかスバルとか

挙げたらキリがないけど、いろんな人の言動がこの三ヶ月の自分の原動力になった。

先週、ようやく復帰することができたけれども、まだまだダメ。
今日の練習も本当に酷すぎて、自分でも情けなかった。
一年生の方が全然いい動きをしていたと思う。

対抗戦まで、もう本当に時間がないので、これからの練習でもっとアピールしていきたい。
この強化集中練習で信頼を得たい。
もっと強くなりたい。
対抗戦で勝ちたい。
明日からまた頑張ります。


次は四年生のイシケンさんこと石田先輩にバトンを渡します。
最高学年になって、ますます頼もしくなられたなと、最近よく思います。
今日のウエイトの時、腕太すぎて、思わず見入ってしまいました。
早くイシケンさんにつかえる後輩認定されたいです。

留学とラグビー部

 written by 森田 明日香 投稿日時:2021/08/13(金) 22:38

スタッフの先輩で、メンターとしてとても優しく接してくださる鵜飼さんからバトンを受け取りました。1年の森田です。ご期待に添えるようこれからも髪色はどんどん変えていきます!


初めてのリレー日記で何を書こうか悩んでいたのですが、せっかくの機会なので自分のことを書かせていただこうと思います。

大学に入ってから、特にラグビー部ではあまり話してこなかったのですが、私は高校1年から2年までアメリカに留学していました。それまで通っていた日本の学校は、特筆すべきこともなくダラダラしていたのにとても楽しい日々を送れて、温室栽培のような、居心地が良すぎる恵まれた環境でした。中高一貫だったのでそのまま高校3年間をのんびり過ごすこともできたのですが、ある日学校で開催された留学説明会に参加したとき、新しいことに挑戦して何かを成し遂げたい、外の世界もみてみたいと漠然と思っていた自分にとって、留学はぴったりの選択肢だなと感じ留学することを決めました。ビニールハウスの野菜も多少の雨風に晒された方が美味しくなるものです。

さて、私の留学先は、テキサス州にあるメキシコとの国境の街Laredoでした。そこは、私を含め多くの人が思い描くようなアメリカとは全く異なり、ほとんどメキシコといっていいような場所でした。実際、家からメキシコまでは車で5分ほどで、当時トランプ元大統領が壁を作ると言っていた国境の川には橋が架かっていて、自由に人々が往来し交流がとても盛んでした。1回の留学でアメリカとメキシコの文化両方に触れることができたのはとてもラッキーだったなと思います。

ただ、年配の方や移民の方は英語が話せない人が多く、街ではスペイン語が行き交っていました。私はスペイン語がほとんどできなかったので、ホストファミリーのメキシコ人のおばあちゃんには「うん」「チキンが食べたい」「ありがとう」くらいしか言えず、スーパーで知らないおじいさんにスペイン語で話しかけられたときは笑って誤魔化してしまい、いつももどかしさを感じていました。いつかおばあちゃんときちんと会話をしたいとずっと思っていて、大学ではスペイン語を選択しました。必修は今年で終わりですが、来年以降も続けたいです。

言語の面以外でも留学は想像以上に大変で、ホストファミリーと分かり合えなくて関係が悪くなり、家に帰りたくないと思ってしまうような時期もありました。学校帰り、最寄りのバス停から家までの道が本当に憂鬱でした。
家族をとても大切にするヒスパニックの文化と私の価値観の違いが主な原因だったのですが、そもそも私たちは数ヶ月前まで赤の他人だった外国人同士なわけで、考え方が違うのは当たり前なので、どちらかが無理に合わせるのではなく、違いは違いとして受け入れることも大事だなということを実感しました。

ちょっと深刻な感じになってしまいましたが、もちろん良いこともたくさんありました。
まず、とにかく食べ物が美味しいです。本場の味は日本で食べるメキシコ料理とは全然違うので、ぜひ一度食べてみてほしいです。メヌードという牛の胃袋を煮込んだスープと、メキシカンホットドッグがおすすめです。BBQも最高です。
あと、メキシコ人は陽気で愛が深く、いい人ばかりです。多少家でつらいことがあっても、学校で友達と過ごすと大抵のことは忘れて明るい気持ちになれたので、とても助かりました。

今はコロナで海外旅行が難しいですが、落ち着いたら早くホストファミリーや友達に会いに行きたいです。楽しいだけではなかった留学を乗り越えたという経験は自分の糧になりましたし、出会った人々との絆もとても深いものになりました。

この日記を書きながら思い返してみると、東大ラグビー部に入ったのは、留学を決めたのと同じような理由でした。大学生活はぼーっとしていたらあっという間だと思うので、部活に打ち込み、充実した4年間にしたいです。大変なこともあると思いますが、20人の同期と力を合わせて精一杯頑張ります。


次はいつも明るく、ストイックに練習に取り組む姿が印象的な3年の國枝さんにバトンを渡します。怪我から復帰されるのが待ち遠しいです!

モチベーション

投稿日時:2021/08/12(木) 10:06

怪我を乗り越えて試合でも活躍している同期の佐川からバトンをもらいました、3年スタッフの鵜飼です。彼の予想どおり、オリンピック女子バスケの試合は、テレビにかじりつきで見ていました。全員とてもかっこよかったのですが、特に町田瑠唯選手のドライブとアシストがかっこよすぎて大好きです。


皆さんには、自分の人生のポリシー、つまり生活する上で大切にしていることはありますか? 

私はいくつかあるのですが、その人生のポリシーの1つに、"過去は振り返らない"というものがあります。これは、何も顧みないということではありません。成功にも失敗にもこだわらないということです。もちろん、成功したときの嬉しい気持ちを思い出したり、失敗したときに反省したりすることはあります。特に反省は大切です。しかし、大事なのはこれから何をするかなのであって、過去に何をしたかではないと思っているので、できるだけ後悔はしないようにしています。

私がなぜこのような考え方をしているかといえば、もともとすごくネガティブだからです。放っておくとすぐ後ろ向きな気持ちになり、いつまでも前に進めなくなってしまうのです。
よかったことでも悪かったことでも、終わってしまったことに対してできることは何もないのだから、ずっとそれにしがみついていることに意味はないと考えることで、自分の気持ちを前向きにしようとしています。

しかし、その考え方をうまく使えないときがあります。特に、失敗したときやマイナスな気持ちを抱えているときに起こりがちです。頭では意味がないとわかっているのに、どんどん後ろ向きな思考に嵌っていき、抜け出せなくなるのです。


最近マイナスな方向に考えが引っ張られてしまったことがありました。
いつの間にか大学3年生になり、部活でも上級生になって、できることが増えたのと同時に責任も大きくなりました。そんなときに、ふと、自分が今までやってきたことを振り返ってしまいました。そこから、自分は部に貢献できているのか、本当に努力してきたと言えるのか、この部に自分の存在価値があるのか、などと考えが進み、自分が東大ラグビー部にいる意味はないのではないか、というところにまで到達しました。

こういう不安な気持ちを持ったのは、今回が初めてではなく、ずっと自分の中にあったものでしたが、今までは考えすぎないようにしてきました。それが、今回振り返ったことで自分の気持ちをはっきりと自覚することになり、まずいと思ったときには簡単には抜け出せないところまできてしまっていました。このような不安定な気持ちを抱えている間、かなり精神的につらい思いをしました。おそらく、私の部活でのパフォーマンスも落ちていたことだろうと思います。それを考えるとますます自分の存在価値がわからなくなって完全に悪循環に陥っていました。

正直に言えば、今でもこの不安が完全に払拭されたとは言えません。今後もなくなることはないと思います。それでも、今は思考の悪循環からは抜け出せたと感じています。そのきっかけになったのはやはり、「これからどうするかを考えること」でした。大事なのは、今まで何をしてきたかよりもこの気持ちをこれからの自分にどう繋げるかだと思えたのが、とても大きかったと思います。


何事もモチベーションをずっと維持するのは本当に難しいですが、気持ちが後ろに引っ張られたときこそ、"過去は振り返らない"というポリシーを思い出して、少しずつでも前に進んでいきたいです。
部活ができるのもあと1年半ほど、コロナウイルスの感染状況によっては、残り全部の期間ずっと部活ができるという保証もありません。
残された時間で部活のために何ができるか、上級生の自覚をもってしっかり考えて行動していきたいと思います。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


次は、1年生スタッフのあすかちゃんにバトンを回します。「もりぞー」の愛称で親しまれる彼女は、最近いろんな仕事にどんどん気づけるようになっていて、朝早い中頑張ってくれています。1年生にはとても期待しています!あと、次はどんな髪色になるのかもいつも楽しみです。
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2025年8月

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