ラグビー部リレー日記

留学とラグビー部

投稿日時:2021/08/13(金) 22:38

スタッフの先輩で、メンターとしてとても優しく接してくださる鵜飼さんからバトンを受け取りました。1年の森田です。ご期待に添えるようこれからも髪色はどんどん変えていきます!


初めてのリレー日記で何を書こうか悩んでいたのですが、せっかくの機会なので自分のことを書かせていただこうと思います。

大学に入ってから、特にラグビー部ではあまり話してこなかったのですが、私は高校1年から2年までアメリカに留学していました。それまで通っていた日本の学校は、特筆すべきこともなくダラダラしていたのにとても楽しい日々を送れて、温室栽培のような、居心地が良すぎる恵まれた環境でした。中高一貫だったのでそのまま高校3年間をのんびり過ごすこともできたのですが、ある日学校で開催された留学説明会に参加したとき、新しいことに挑戦して何かを成し遂げたい、外の世界もみてみたいと漠然と思っていた自分にとって、留学はぴったりの選択肢だなと感じ留学することを決めました。ビニールハウスの野菜も多少の雨風に晒された方が美味しくなるものです。

さて、私の留学先は、テキサス州にあるメキシコとの国境の街Laredoでした。そこは、私を含め多くの人が思い描くようなアメリカとは全く異なり、ほとんどメキシコといっていいような場所でした。実際、家からメキシコまでは車で5分ほどで、当時トランプ元大統領が壁を作ると言っていた国境の川には橋が架かっていて、自由に人々が往来し交流がとても盛んでした。1回の留学でアメリカとメキシコの文化両方に触れることができたのはとてもラッキーだったなと思います。

ただ、年配の方や移民の方は英語が話せない人が多く、街ではスペイン語が行き交っていました。私はスペイン語がほとんどできなかったので、ホストファミリーのメキシコ人のおばあちゃんには「うん」「チキンが食べたい」「ありがとう」くらいしか言えず、スーパーで知らないおじいさんにスペイン語で話しかけられたときは笑って誤魔化してしまい、いつももどかしさを感じていました。いつかおばあちゃんときちんと会話をしたいとずっと思っていて、大学ではスペイン語を選択しました。必修は今年で終わりですが、来年以降も続けたいです。

言語の面以外でも留学は想像以上に大変で、ホストファミリーと分かり合えなくて関係が悪くなり、家に帰りたくないと思ってしまうような時期もありました。学校帰り、最寄りのバス停から家までの道が本当に憂鬱でした。
家族をとても大切にするヒスパニックの文化と私の価値観の違いが主な原因だったのですが、そもそも私たちは数ヶ月前まで赤の他人だった外国人同士なわけで、考え方が違うのは当たり前なので、どちらかが無理に合わせるのではなく、違いは違いとして受け入れることも大事だなということを実感しました。

ちょっと深刻な感じになってしまいましたが、もちろん良いこともたくさんありました。
まず、とにかく食べ物が美味しいです。本場の味は日本で食べるメキシコ料理とは全然違うので、ぜひ一度食べてみてほしいです。メヌードという牛の胃袋を煮込んだスープと、メキシカンホットドッグがおすすめです。BBQも最高です。
あと、メキシコ人は陽気で愛が深く、いい人ばかりです。多少家でつらいことがあっても、学校で友達と過ごすと大抵のことは忘れて明るい気持ちになれたので、とても助かりました。

今はコロナで海外旅行が難しいですが、落ち着いたら早くホストファミリーや友達に会いに行きたいです。楽しいだけではなかった留学を乗り越えたという経験は自分の糧になりましたし、出会った人々との絆もとても深いものになりました。

この日記を書きながら思い返してみると、東大ラグビー部に入ったのは、留学を決めたのと同じような理由でした。大学生活はぼーっとしていたらあっという間だと思うので、部活に打ち込み、充実した4年間にしたいです。大変なこともあると思いますが、20人の同期と力を合わせて精一杯頑張ります。


次はいつも明るく、ストイックに練習に取り組む姿が印象的な3年の國枝さんにバトンを渡します。怪我から復帰されるのが待ち遠しいです!

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