ラグビー部リレー日記

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ラストイヤー

 written by 高橋 勇河 投稿日時:2019/12/17(火) 11:02

主務代理として活躍してきた下條よりバトンを受け取りました、高橋です。元々あまり仲の良くなかった僕ら同期の中心にいたのはいつも彼で、そういう意味で彼もまた非凡な存在なのだと思います。
以下、なかなか陰気臭い文章になってしまいましたが、これが自分自身が1年間向き合ってきた自分です。ご容赦ください。


定期戦全敗、対抗戦2勝5敗。昨秋の学習院戦の勝利からチームとして280日間、勝利を味わうことはなかった。

大学スポーツは最後には4年生力が物を言う、なんて言葉を何度も耳にしたが正にその通りだったと思う。ろくにタックルもできない自分。誰よりも走れず最初にくたばる自分。すぐに怪我で離脱する自分。練習中ありきたりのことしか言えない自分。リーダーらしくあれない自分。困ったらついついヘラヘラしちゃう自分。意志の弱い自分。言い出せばキリがない。今まで解決できなかった自分、目を向けてこなかった自分が私にとって一番の重荷となった。自分から練習チームのリーダーを志願したものの結局リーダーとして振る舞えなかった。リーダーの責務を果たせなかった。

そう考えると4年生としての1年間だけではなく、4年間通して常に何かが足りていないままだったのだと思う。3年生の時、来年最上級生として振る舞う自分を想像し、最善の準備と努力を積めていたのだろうか。プレイヤーとして足りないものを見つめられてただろうか。2年生の時、自分が既に後輩を持つ一人の先輩であることを自覚し、後輩を引っ張る存在になれていたのか。1年生の時、運よく名古屋戦で初めてスイカを着れて何となくそれで満足していなかったか。今振り返ると、自分が今の自分に誇れるような振る舞いをしていたと思うことは到底できない。4年生になってから気づいて、もがいても、結局は最後まで不足していたのだと思う。

自分一人の力で結果が変わる、なんて自惚れているわけでない。ただ、リーダーであるからこそ、練習を仕切るからこそ、もっと早くから自分自身で気づき、変わろうとし続けなければならなかったのだと思う。3年生までは後輩気分で過ごし、4年生になってからリーダーに立つ身としての未熟さに目を向けている場合ではなかったのだ。

結果が全ての勝負事で勝てなかった以上、これで良かったと締めくくる気など毛頭ない。それでも一方で、間違いないことが1つだけあって、この1年間は私の人生においては本当にかけがえのないものだった。ラグビー部に所属していなければ、これほどまでに何か1つのことに注ぎ込むことなどなかっただろう。悩みに悩んで眠れない夜もきっと来なかっただろう。そして何より、自分の弱い部分と真剣に向き合い、自分自身を変えるために戦い続ける機会もきっとなかったのだろう。平然と過ごしている日常に、死ぬ気で何かに立ち向かうという熱を与えてくれたのは間違いなくラグビーの存在だ。強く熱を帯びた1年間は嫌な自分を変えるきっかけにもなったし、成長の機会を何度も与えてくれた。ラグビーよ、ありがとう。そしてこれからも熱を帯びた毎日を過ごしていくことを約束したい。

そして、何よりも後輩たちには心から感謝しています。1年生ながら対抗戦にフル出場し続けてくれた三方。試合中には流れを変えるような力強いキャリーを見せてくれた吉田。練習から他の選手の見本となるようなプレーを重ねてくれた杉浦。怪我に苦しみながらも対抗戦を通して体を張り続けてくれた山口。そしてどの4年生よりもリーダーらしくあった藤井。他にもたくさんの後輩の支えがあってこそ、今年のチームが成り立ったと思っています。戦い続けてくれた後輩たちの努力を結果に繋げられず、申し訳ない。

いずれにせよ、悔いても悩んでも、今週末は最終戦。
4年生としての意地を見せると共に、まがいなりにも1年間悩み、もがいてきた成果を見せたいと思います。

そして何より、勝って泣こう。



次はチームビルディング担当としてチーム作りに貢献すると共に、本人も後輩たちから非常に親しまれている濃野にバトンを回します。僕と下條の分も彼らしい明るい文章を書いてくれるだろうことを期待しておきます。

Feel Special

 written by 下條 裕人 投稿日時:2019/12/13(金) 16:32

後輩からの人気がうなぎのぼりに上昇しているレオからバトンを受けました、下條です。

まず初めに、平素より多大なご支援をいただいているOBの皆様に厚く御礼を申し上げます。マネジメントや会報で皆様にはご迷惑をかけることも多々あり、ご指導を頂くこともしばしばでしたが、変わらず温かいお言葉やご声援をかけていただき誠に有難うございました。今シーズンも残り2試合を残すのみとなりましたが、今後ともご支援・ご声援を賜れましたら幸いでございます。

最後のリレー日記ということで4年間を振り返りたい。言葉で振り返れるほど未だきちんと整理できておらず、まとまらない上に長文となってしまうことはご容赦願いたい。

東大に入学して一番悩んだのはどのサークルに所属できるかだった。
高校までサッカーを続けてきたが、続ける気は無かった。サッカーは楽しかったが試合に出れず、ベンチから見守る僕にできたのはサポートすることだけだった。選手の一人でありながら自身の存在意義を裏方でしか見出せなかった自分自身が嫌だった。そんな自分を変えたかった。
だからラグビー部を選んだ。厳しい環境のもとでならきっと変わるんじゃないかという今思えば甘い期待もあった。クレイジーなスポーツであることは知っていたが、いやだからこそ自分の根本すら劇的にひっくり返すことができるんじゃないかと思った。それは他の人から見れば大げさで馬鹿げた悩みかもしれないが、その悩みは自分史上最も切実で、強烈だった。大きく変われるラストチャンスだとも思った。

実際にラグビーをやってみると想像よりもタフできつく、そして面白かった。
ひょろひょろの僕にとって練習はしんどかったが面倒見のいいコーチや先輩、(当時は)たくさんの同期に囲まれて続けることができ、上達も感じることができた。大きく強い相手にタックルするのはとても怖かったが、自分のタックルで相手が倒れるたびに自分の成長を身をもって感じることができた。部歌やエールのようなカルチャーも新鮮でとても好きだったし、何より自分が変われるんじゃないかという希望はより膨らんでいった。

2年生になるとチャンスにも恵まれた。前日の明治戦でノットメンツだった自分がオールスターに出してもらった。対抗戦にも出してもらった。とてもいい経験だったし楽しかった。

3年生になり上級生になったが、自分の目的にいわば固執しチームのことには何も関わっていなかった。ひどい上級生だったし実際先輩との面談でそれを口にした時、先輩が苦笑していたのを覚えている。それだけ試合に出て活躍するということこそ至高だと考えていたから、その分練習を頑張ろうと思った。またしても対抗戦に出ることができ、トライも取れた。これだけ成長の感覚と自信をつかむことができたのは今までで初めてだった。

4年は怪我からのスタート。
試合に出てチームに貢献するという自身の理想は少なくとも半年は叶えることはできなかった。諸事情ありチームマネジメントを任されることとなったが、半年後の復帰を見据え、今は頑張ろうと思った。
7月終わりに復帰。
タックルは前より下手くそになっていたが、練習していけば良くなるだろうと楽観的に捉えていた。試合に出れるのが嬉しかったしラストシーズンだから気持ちも入っていた、と思う。
9月対抗戦が始まりスイカを着て戦った。チームも連敗し悔しかったが、それ以上に衝撃的だったのは、試合を追うごとにひどいプレーを繰り返し活躍どころかチームの足を引っ張っていた自分だった。練習はすれど焦りだけが増し、ますます足手まといになっていった。チームマネジメントも中途半端で、4年生ながらチームに必要ないんじゃないかとすら思った。
そしてまた怪我をした。手術しなかった方の方を外した。
なんとかベンチに入れてもらうのがやっとだった。。覚悟を決めて新たなスポーツをはじめ4年という短くない年月を「自分」に注力した結果、試合に出て活躍するどころかチームに迷惑をかけるまでになっていた。同期や後輩が怪我を負って試合に出る中、自分はピッチの中でも外でも迷惑をかけ下を向く機会が増えていた。
 
そんな中自分なりに少しでも力になれればと思ってやったのが、Bチームとして対戦相手の再現をすることだった。4年生になって結局サポートに回っているというのも皮肉なもんだと思ったけど、ビデオを見て相手のアタック、ディフェンスの特徴を観察したり、ハイパントを練習してみたり、自分なりに全力でやってみた。
対抗戦最終戦、結局試合にはほぼ出られなかった。けれど勝ってとても嬉しかった。自分がでてない試合で勝ってこんなに嬉しかったのは初めてだった。久しぶりに感じた「変化」だった。

4年間でわかったのは自分は平凡な人だということだ。4年前から薄々わかっていたのかもしれないが、スポーツを変え環境を変えてもなお、試合に出て活躍するどころか、試合にも大して出れないままに終わった。リーダーという面からも、4年になり肩書きだけは増えたがカリスマ的に引っ張ることなどできなかった。
学んだのは自分にできることをやるしかないというこれまた平凡なことだった。頭では知っていたことを身をもって学べたのは良かったのかもしれない。
 ただ運がいいことだけは自分の唯一の取り柄だ。ここまでで経験し学んだことを発揮できる試合が二つも残っている。反省や後悔は後からすればいい。残りの時間を最高に濃く過ごしたいと思う。
 最後に青山監督、深津コーチをはじめとするコーチの皆様、僕に1からラグビーを教えてくれたJrコーチの皆さん、本当にありがとうございました。Jrコーチの中にはなぜか4年間コーチをしてくれた人もいますが、4年間ラグビーを続けることができ今の自分がいるのはその方のおかげです。ありがとうございました。
練習に付き合ってくれた先輩、今年必死に体を張ってくれた後輩にも感謝したいです。ありがとうございます。

 感謝をいうべき人はきりがないのでこの辺にしておきます。次は練習リーダーとしてチームを引っ張りこちらも後輩からの人気の高いゆうがに回します。



 

こいつでも

 written by 佐藤 伶央 投稿日時:2019/12/12(木) 01:31

新歓代表を立派に務め類稀な結果を残した角田からバトンを受取りました。4年の佐藤です。代々新歓代表は4月には半死半生といった様子でしたが、彼が割と平気な顔をしていたのは有能の証明だったのかもしれません。



自分の4年間、特に最後の1年間を振り返って見ると、様々な取り組みがひどく中途半端に終わってしまったなという気持ちが強いです。もっとも4年生になってやっと自身の取り組みを顧みる意識が生まれただけでそれ以前はなおさらそうだったのかもしれません。



もちろん反省はするべきですし失敗を意味あるものにできる唯一の方法ですが、自分の取り組みが如何に中途半端で至らないものだったかをここに書いても自分が辛いし、それを読む人たちも辛気臭い気持ちをするでしょうから自分が最もやりたかったこと、やろうとしていたことについて書こうかと思います。



去年の4年生が京大戦を終え引退されたとき、自分の中で一つ、楽しそうにラグビーをしなければいけないなということを思いました。去年の4年生は努めて楽しそうにラグビーをし、また日々の練習で部員の皆がラグビーを好きでいられるように工夫を凝らしていました。ラグビーを好きでいるということはラグビー部での活動を意義あるものにするための必要条件であることは明らかですが、同時にラグビーというのはタフで辛い側面も多く、好きでいることそれ自体が難しいとも思います。



去年の4年生はリーダーシップを持った1番上手い人たちが楽しそうにラグビーをプレーをすることで、ラグビーは楽しめる、楽しむべきものであるという範を示していました。また怪我をして満足にプレーできなかった人もそれぞれに出来る形でチームへ貢献しようとしていました。そこで今期の自分にできる、自分のするべきことの一つは、怪我ばかりしている奴でもラグビーは楽しめるぞ、ということを体現することではないかと思いました。



2年から3年の間に両肩を合わせて3度手術し、さすがに3度目の手術が必要になったときはウンザリしたし絶望的な気持ちにもなりましたが、腕を吊ったまま京大戦後の4年生の話を聞いているうちに、これだけはこの状態の自分にこそできることだ考えるようになりました。



2度続けて手術した右肩は中々調子が上がらず、思うようにトレーニングや練習ができないことでフラストレーションが溜まることもあり、結果が伴ったとも言い難いですが、それでもプレーすること自体には喜びがあり、日々の取り組みや競い合いは純粋に楽しかったです。



とにかく怪我をしようがプレーが上手くいかなかろうが、それ自体の良し悪しと別に、(僕の実際に反省するべき点はこの良し悪しですが)ラグビーは楽しいです。誤解を恐れない言い方をすれば、最悪でもラグビーを楽しむことはできます。



実際には皆の目にどう映っていたのか分かりませんし、復帰前の春先は練習中不機嫌なのか?と言われたりもして(単に僕の声かけの仕方が下手だっただけだと思います)思った通りの意味があったかは分かりませんが、「怪我ばっかしてるくせに楽しそうだな」「こいつでも楽しめるなら俺でもラグビー楽しめるだろ」などと思ってもらえていれば本望です。



 



次は部の屋台骨となってくれた下條にバトンを渡します。

For the team

 written by 角田 慎之介 投稿日時:2019/12/08(日) 16:41

1年間スタッフ長として大勢のスタッフをまとめるために試行錯誤し続けていたあやのからバトンを受け取りました角田です。


もうこれが私が書く最後のリレー日記である。
今までの自らの歩みを少し振り返ってみたい。

1年生の時、入学当初の私にはラグビー部に入部するという選択肢は全く頭になかったが、ラグビー部の雰囲気や先輩の人柄、ラグビーの魅力に惹かれていつの間にかラグビー部に入部していた。未経験者だった自分にとっては毎日の練習が新しいことばかりでジュニアの仲間と一緒にラグビーを徐々に知っていった。Jrコーチの方々の力が大きかったが部内マッチのBC戦でCが勝ったことは未だによく覚えている。

2年生の時はフロントローへの転向を決断した。自分にとってできることは何か考えた結果の転向だった。正直シニアの練習についていくので精一杯で、今思えば自分のことしか見えていない状態だったが自分なりには毎日を一生懸命過ごした。

3年生の時の明治戦で初めてA戦のスタメンになれた。明治戦の1週間前くらいからずっと緊張するほどだった。試合ではフィールドプレーは不甲斐なかったもののスクラムで明治相手でも組めるという自信が得られ、フロント転向を含めた今までの努力が実を結んだと感じ、嬉しかった。そして、夏に膝の怪我をした。長期間ラグビーができなくなったが4年のシーズンで活躍するためと思ってトレーニングやリハビリには気持ちが入っていた。

しかし4年になった復帰直後にまた膝を怪我した。復帰してチームの役に立とうと思った矢先の怪我で自分のリハビリは何の役に立ったのかという無力感を感じたこともあったが、チームのために自分にできることをしようと頑張り直し、対抗戦で戦うことができた。

これまでを振り返って考える自分の大きな変化は自分のためではなくチームのためにというのを自らのモチベーションの源泉にできるようになったことだと思う。

私が現役としてラグビーができるのもわずかである。今年の残る試合を勝ち、来年のシーズンを戦う後輩達に良いものを残せるように、チームのために悔いなくやり切ったと思える最後の2週間を過ごしたい。


最後にこの場を借りて。
今まで自分がラグビーを楽しめたのは、苦しい時も一緒にいた同期、普段は楽しくラグビーには真剣な先輩方・後輩達、技術面も精神面も指導してくださったコーチ陣の方々やOBの方々、そしていつでも支えてくれた両親のおかげです。今まで本当にありがとうございました。


次は、どんなときでもラグビーを楽しんでいたレオにバトンを回します。

自責で考える

 written by 大平 綺乃 投稿日時:2019/12/05(木) 01:00

自由人ながらこれと決めたことには努力を惜しまない大石からバトンを受け取りました、四年スタッフの大平です。

最後のリレー日記に何を書くべきか非常に悩みました。
悩んだ挙句、私が最近出会った考え方について書こうと思います。

この四年間は喜怒哀楽に満ちていた。
三年生までは日々の練習で「楽」を感じ、時に試合に負け「哀」を感じ、時に試合に勝って「喜喜喜」を感じることの繰り返しで、とても充実していた。
しかしながら、今年は少し違った。
二年生の頃から運動会総務部に派遣され活動に参加してきたが、四年になりそろそろラグビー部に集中したいと思っていた矢先、山中寮の寮長になってしまった。
夏が近づくにつれ、寮の業務と練習が重なり、スタッフ長ながら部活を不在にすることが増えた。
「最近練習にいないけどどうしたの?」
悪気のない言葉に余計に傷つき、全てが申し訳なかった。自分が時間を費やしてる仕事は部にほぼ還元されず、自分がいなくても部活は回っていく。何のためにラグビー部に所属しているのか分からなくなった。
そんな日々の中で、ちょっとしたことでも気落ちするようになった。
結局寮の仕事で菅平合宿に参加できないと分かった時、四年間で初めて部活を辞めることを考えた。

そんな時、ある人からこんな助言をもらった。
「困ったら全部自責で考える。無理矢理こじつけてでも自責で考える。人のせいにしない。人に期待しすぎない。自責で考える方が改善策も自分で見つけられる。」

何かつかえていたものが取れた気がした。
菅平合宿に参加できないという事実は変わらなかったが、自分なりに意義を見出した。
気持ちは大きく変化した。

The greatest happiness is to know the source of unhappiness.

山中寮の寮長になったこと。怪我をしてしまったこと。理不尽なこと。
何か原因はわからないけど上手くいかないこと。天気。タイミングの悪さ。
全てただの不運かもしれない。誰のせいでもないかもしれない。
それでも前進しなければならない。
理由が何であれ、落ち込み、歩みを止めてしまっては勿体無いと思えるようになった。

そして最後になりましたが、この四年間支えてくださった全ての方々に心から感謝します。
監督・コーチ・OBの方々・トレーナーの皆様。
私の支離滅裂な相談に幾度となく乗ってくださった先輩方。
怪我から復活しグラウンドに帰ってくる姿で勇気をくれた同期。
初々しい姿で部活をすることの喜びを思い出させてくれた後輩。
部活のオフを完全に把握しベストタイミングで食事に誘ってくれた友人。
何があっても部活を続けることを応援してくれた家族。
今こうしてリレー日記を書けているのは皆さんのお陰です。本当にありがとうございました。

とりとめのない文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次は新歓代表として部をまとめ上げ大成功を収めた角田にバトンを渡します。
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