ラグビー部リレー日記 2018/12

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命題「強いチーム⇒良いチーム」

 written by 石川 悠太 投稿日時:2018/12/22(土) 17:41

 今年グラウンドで誰よりも体を張ったプレーをした副将の宮原よりバトンを受けました、主将の石川です。試合の流れを変えてくれたのはいつも彼だったと個人的に思っています。



 まず今年の東大ラグビー部が活動できたことについて、OBの方々、応援してくださった方々など、関係者の皆様にこの場を借りて感謝したいと思います。皆様の支援無しには我々はこれほど充実した部活動をすることはできませんでした。ありがとうございました。







 スポーツではよく「強いチーム」と「良いチーム」という言葉が取り上げられます。今年の東大ラグビー部でも例に漏れず使わせていただきました。では、果たして強いチームとは何でしょうか、良いチームとは何でしょうか?



 「強いチーム」は簡単です。勝つチームです。競争相手に対して勝てば強いと言えます。今の東大ラグビー部においては、対抗戦Bグループや定期戦で勝てば強いチームだったと言ってもらえます。つまりここで言う「強い」とは相対的な評価のことで、何らかの記録に残ったり、他人から評価してもらえる指標となります。

 それに比べると「良いチーム」を定義するのは難しいです。そもそもここで言う「良い」とは酷く曖昧で、宙ぶらりんな概念です。ただ誰しも「良い」に対する基準をなんとなく持っていて、心の奥底ではそこを目指していると思います。そこで前段に倣って「良い」を説明するならこれは主観的評価のことで、記録に残ったりはしないけれど、各人がそのチームに対して心に想うものとなります。



 それでは、この2つにはどんな関係があるでしょうか。僕が1年間考えて出した結論が、命題「強いチーム⇒良いチーム」です。このままだと誤解が生まれる可能性がありますので、対偶を取って説明しようと思います。対偶は「良いチームでない⇒弱いチーム」となります。自分達がやっていることが正しいと思えない、適切な積み重ねをしていない、自分達でさえ主観的にチームを「良い」と評価できない、そんなチームになってしまうと間違いなく弱いチームが出来上がってしまいます。これは各人の感覚ともマッチすると思います。さらにこの命題から分かることは、「良いチーム」は「強いチーム」の十分条件にはならず、必要条件にしか過ぎないということです。自分達は正しいことをやった、意識高く適切な積み重ねを続けたといくら思ったところで、どんな理由があったにせよ勝負に負けたら強いチームではなかったということになります。強さを求めるとは、実はそれだけ不確かなことであると言えます。

 よってこの命題を分かりやすく言い換えるなら、「良いチームなら必ず強いチームになれるとは限らないが、強いチームならば良いチームである」となります。



 前置きが長くなりすぎました。ここからが本題です。



 この命題を踏まえて僕は、目標を達成するために、東大ラグビー部を良いチームにすることこそが主将としての自分の役目だと自覚して1年間を過ごしてきました。良いチームになる、それこそが強いチームになるためにはまず、そして絶対に必要なことだからです。

 1年間を終えて今皆がどう思っているかは僕には分かりません。正直、東大ラグビー部が抱えている甘い部分から完全に脱却しきれなかったし、一人一人の意識、モチベーションを高く持っていけたかというとそんなことは無かったと反省している面もあります。ただ、ここでは多くは語りませんが、シーズン当初から「対抗戦Bグループ4勝」を目標に掲げ、何が必要でどういった方法でそれを達成するのかを考えたこと、そしてそれを踏まえて練習やフィットネス、トレーニングにmtgを部員皆が一丸となり積み重ね続けた結果、目指した場所に辿り着けた事は本当に価値のあることだったと思っています。理念として掲げた「人生を豊かにする」ことにも少しは近づけたかなと思っています。



 前置きの方が長い駄文になってしまいました。ただこれだけは言わせてください。



 皆が頑張ってくれて、目標も達成できて、掲げた理念にも近づけた。こんな「良いチーム」で主将をできて本当に幸せでした。皆ありがとう。



 余談になりますが、最近下級生が「来年は入替戦出場を目指せる、対抗戦A昇格を視野に入れてもいいんじゃないか」と言っているのを耳にします。今年が強くなかったと言うわけではないけれど、まだまだ目指せる上があることはたしかで、入替戦出場を果たしたらそれは本当に「強いチーム」になったと言えるでしょう。そこを目指そうと下級生が言っているのは、今年「良いチーム」ができて強くなる準備ができたと感じてくれているのかなと思っていて、4年冥利に尽きると感じている今日この頃です。重ねてありがとう。



 とはいえ、これを書いている今日は今年最後の試合である京大戦の前日です。最後の試合にビシッと勝って、「強くて良いチーム」で終わります。



 今後とも応援よろしくお願いいたします。





主将 石川悠太

 written by 宮原 健 投稿日時:2018/12/21(金) 23:59

 主務としてもスクラム職人としても仕事人ぶりが光った山田からバトンを受けました、副将の宮原です。

 「勝って、泣こう。」

 俺が1年生の時、新歓用の看板に刻まれていた言葉だ。この熱い言葉に惹かれて入部を決意したのを覚えている。

***

 4年生になるにあたり、目的と目標について考えた。
  
 「なぜ東大ラグビー部に所属するのか?」
  
 この問いに向き合い続けるうちに、自分なりの答えを出した。

 「自ら定めた目標を達成するという自己実現をするため」

 この自己実現こそが俺がラグビーをする目的であり、その過程で生じる熱量がラグビーの熱さであり、これを成し遂げたときに勝って泣くことができるのだと理解した。

 俺たちが入部してから一度も果たしていない対抗戦4勝を目標に定め、副将としてチームを目標に導くと誓った。俺は石川のようにチームを俯瞰してうまくマネジメントするようなことはできない。だから目の前のことに全力で取り組むことでリードするしかない。覚悟を持った。

 胸を張って言える。4年生としての1年間は、今までの人生で最も充実していた。

 試合に向けて課題を設定し、練習でそれに取り組み、試合で成果を確認し、また次の試合に向けて新たな課題を設定するというサイクルでどんどん強くなっていくのを感じることができた春シーズン。練習を考えて仕切ったり和田さんの課すハードなトレーニングをこなしたりで精一杯な日々だったが、成長を感じられたから気持ちは前向きだった。東北大・防衛大・九州大に全勝するという結果もついてきて、秋の目標に着実に近づいていると感じた。仲間が誇らしかった。

 だが、夏に大量にけが人が出てしまった。自分も菅平合宿初日に肩を怪我して一時戦線離脱した。春から積み上げてきたものが崩れ落ちていくような気がした。

 この時は一年間で最もリーダーの責任に悩んだ。今年のチームは目標に向かって本当に尊い努力をしてきたから、俺にはリーダーとしてその努力を結果に結びつける義務があった。チームを目標達成に導くことで、皆の努力の正しさを証明しなくてはいけないという使命感を持っていた。だから、大量の怪我でそれが成し遂げられないのではないかと怖くなった。

 しかし。悩みに悩んでから気づいた。悩んだって仕方ないと。変えられない条件を嘆くのではなく、今できる最大の努力をするしかない。限られたメンバーで試合に向けてベストの準備をする。肩が痛かろうがグラウンドに立ったら死ぬ気でタックルに行く。不器用だから目の前のことに必死で取り組むと決めたことを思い出した。やるしかなかった。
 
 そうして必死に戦っているうちに、対抗戦は終わった。4勝3敗。チームは当初の目標を達成した。自ら立てた目標を達成するという自己実現の喜び、目前だった5勝目を掴めなかった悔しさ。決して忘れない。
 
 これからの人生も、熱を持って生きていく。

 目標を設定して、必死で取り組んで、何度失敗しても立ち上がって、達成するために執念を持って勝負し続ける。そうやって生きていく。東大ラグビー部で学んだ生き方だ。そこには熱がある。

 だが、ラグビーを通じて目標に取り組めるのはこれが最後だ。

 京大戦、勝って泣こう。

 次は目標達成へとチームを導いてくれた主将の石川に回します。お前がキャプテンで本当に良かったよ。ありがとう。

回顧

 written by 山田 允 投稿日時:2018/12/20(木) 08:29

僕の主務の仕事をとても気に掛けてくれていた、頼れるバックローの望月からバトンを受け取りました山田です。

 

まず初めに、平素より多大なご支援・ご声援くださっている皆様に厚く御礼申し上げます。皆様のお蔭で、今シーズンも無事に終わりを迎えようとしております。今後とも引き続きのご支援・ご声援を賜れましたら幸いでございます。

 

最後のリレー日記ということで何を書くか迷った。主務としての回顧をすることも考えたが、やはり1プレーヤーとして今までのことを振り返ることにした。

 

崩れたモールに足が巻き込まれ、ブチッといういやな音がした。高校最後の大会の半月前、リスフラン靭帯の断裂だった。鎮痛剤と装具で何とかごまかし最後の試合には出たものの、当然ながら納得できるパフォーマンスではなかった。

だからだろうか。高校引退時は、もうラグビーはしないでいい、と思っていたのに、浪人を経てみたら、ラグビーをしたくなっていた。勧誘を受け、またラグビー部に入っていた。

当然ながら、大学のラグビー部というものは高校のころとは様相が違った。東大ラグビー部には人がいた。場所があった。環境があった。同期にも恵まれた。練習はしんどかったが、充実した日々を送れた。しかし、同時に悔しさの連続でもあった。

 

1年。ジュニアとして桜井コーチのもとで頑張った。一番印象に残っているのはBCマッチだろうか。残念ながら負けてしまいはしたが、Cチーム全員が一体となって戦った。

2年。初の対抗戦。1番としてスタートで起用していただいた。とても緊張したが、怪我で出れていなかった先輩の分も頑張ろうと思った。やっと手に入れた成城戦での勝利は忘れられないものとなった。だが、最後の武蔵戦。開始10分で怪我をした。足が折れていた。

3年、怪我の多い年だった。年始は前年の足の骨折のため、ギブスをつけてスタートした。足が治ったと思ったら、顔の骨を折った。初めての手術だった。合宿では指を怪我した。ただの突き指だと思っていたら、腱が切れていた。対抗戦は指にテーピングをして過ごした。対抗戦が終わってすぐにまた手術だった。年末は手に固定具をつけて迎えた。怪我で始まり怪我で終わった年だった。

4年、最高学年として、主務としてチームを引っ張る立場になった。同期の皆と考え、悩み、様々な変革を起こした。主務として、変化しつつあるチームの役に立てているか、常に考え続けた一年だった。プレーヤーとしては、手に怪我を抱えてシーズンをスタートし、春には肉離れをした。結局、東北大学、防衛大学校、明治大学との定期戦には一度も出場できなかった。しかし、昨年に比べたら圧倒的に怪我を少なく過ごせた。そして迎えた対抗戦。結果としては4勝という目標を達成したものの、最終戦の成城戦など、後悔が残ることも多々あった。そして先日の名古屋大学戦。ノータイム2点リードで迎えた名古屋大のペナルティーキック。交代してベンチに下がっていた自分は、Hポールに吸い込まれていくキックをただ見つめることしか出来なかった。

 

今週末の京都大学戦。4年間の東大ラグビー部としての最後の試合として、延いては10年間の及ぶ自分のラグビー人生の節目となる試合として、全力で挑もう。自分の出来る全てを尽くして、自分が今までに感じた悔しさを全て注いで、今年のチームを象徴とする試合にしよう。これまでで一番の喜びを手に入れよう。

 

拙文ではありましたが、最後までお読みいただきましてありがとうございました。残り少なくはありますが、今シーズン最後までぜひご声援いただけましたら幸いです。

次はFWリーダーとして最前線で体を張り、チームを引っ張り続けてくれた副将の宮原にバトンを回したいと思います。

誇り

 written by 望月 航平 投稿日時:2018/12/18(火) 16:21

バトンを受け取りました望月です。
最後のリレー日記となりますので、ラグビーを始めてから今までを振り返ろうと思います。

 
僕がラグビーと出会ったのは中学1年生の時だった。
部活に入って運動しようと意気込んだものの、それまでスポーツに真剣に取り組んだことはなかったし、苦手だった。走ることも投げることも蹴ることも自信はなかったし、とにかく下手だった。
そんな僕は経験者のいないラグビーと出会った。もちろんラグビーもなかなか上手くはならなかったけれど、人数の関係で1年生の頃から試合に出ることはできて、何もできないなりに楽しかった思い出がある。
高校生くらいになると出来ることも少し増えてきて、その度に練習や試合が楽しくなっていった。結局シード校には勝てずに終わったけど、高校3年生になる頃にはたまに相手をひっくり返せるようにもなっていて、その快感は到底忘れられないものだった。


その快感を忘れられなかったから大学でもラグビーを続けたのだろうか。もしくはただ居場所を求めていただけなのかもしれない。
とにかく他の部員のように熱い想いや信念を持っているわけではなかったので、自分の中に頼るべきものがなく、とりわけ周りの人に多く支えてもらったように思う。上手くいかない時や辛い時には、いつも側にいてくれる仲間がいた。
 
そんな仲間のためにいいチームを作る一端を担いたいと願った。
積極的に意見をぶつけ、皆の考えを引き出そうと動いた。一人一人が主体的に考えて、議論が活発になるよう試みた。
とにかくいいチームを作りたかった。
勝利だけを追い求めるのではなく、部員一人一人が自信と誇りを持って取り組めるチームにしたかった。
 
部活の雰囲気と勝敗が関係しているかは分からないし、純粋にラグビーの練習だけにエネルギーを注いだ方が強くなるのかもしれない。
でも、僕たちは信じていた。
東大ラグビー部に所属する意義や目的に正しく向き合って、真摯に取り組むことが人生を豊かにするのだと。
 
対抗戦が終わって、結果は4勝3敗。対抗戦Bグループ3位。
4年生はこの結果を誇りに思おう。必死になって取り組んできた証しなのだから。
そして3年生以下は東大ラグビー部が必死に繋いできた97年間の誇りを受け継ぎ、さらに高みを目指して頑張って欲しいと思っています。応援しています。

 
ラグビーとは出会ってから10年、ラグビーを通じて本当にたくさんのことを教えてもらいました。
 
信頼できる仲間のためにならキツいことも頑張れるってこと。

人は変われるんだってこと。

一瞬の決断やたった一つの行動で未来や結果は変えられるんだってこと。

環境ってのは与えられるものじゃなくて作り出すものなんだってこと。

負けた時に出るのが涙で、勝った時に出るのは感謝の言葉だってこと。

もうこのメンバーと日常をともにすることはないけれど、4年間の経験や仲間は僕の中で最も大きな財産となりました。いままで応援してくださった皆様には感謝しています。本当にありがとうございました。


次は主務とプロップとしてチームを支えた山田にお願いします。

覚悟

 written by 三浦 太郎 投稿日時:2018/12/17(月) 23:59

この一年間、選手以外の視点からチームを支え、勝利に欠かせない存在として活躍してくれた前川からバトンを受け取りました、四年生の三浦です。

特に戦術チームの一員として前川には本当に助けられました。

彼なくして今年の戦績が成し得なかったことは言うまでもありません。

 

まず初めに、今年のチームの活動を支えてくださったOBの皆様に感謝申し上げます。

皆様のご尽力無くして東大ラグビー部の活動は立ち行かないと改めて痛感いたしました。

また、試合の応援に来てくださった皆様、 ご声援ありがとうございました。

23日には最終戦である京都大学戦が控えておりますので、遠方ではありますが足を運んでいただけると幸いです。

 

 

 

遡ることおよそ一年。2017年の秋頃のこと。

我々は次年度のチーム作りのためにミーティングを重ねていた。

そこではチームの礎となる理念の部分から話し合い、一からチームを作り上げた。

そんな中、首脳陣等の役職を決める際に、私が副将になるという案が出た。

代々、早くからA戦に出場した選手が首脳陣を務めることが多く、一年生のころからスイカに袖を通していた私にその話が持ち上がるのは、ある意味予想されたことであった。

大変ありがたく光栄なことだ。

 

しかし私は断った。

首脳陣には就かないと初めから決めていた。

自分なりにチームへの貢献を考えた結果の判断であった。

そもそも副将を務められる器でないことは自分で分かっていた。

グラウンド外でもチーム全体に目を配り牽引していくことができる人材が今の四年生には多くいる。

各選手の状態やチーム状況を鑑みる必要のある役職には、それ相応の人物が就くべきである。

 

それよりも、私はグラウンドの中でトップに立とうと決めていたのだ。

チームの中心としてプレイで貢献するのだと。

グラウンド上のパフォーマンスのみで評価されることは、ラグビー選手にとって最も光栄なことだ。

多くの労力を必要とするグラウンド外での雑務からは無縁な立ち位置を私に与えてくれ、ある意味で最もラグビーに集中できる環境を与えてくれた同期には本当に感謝している。

 

何のためにラグビーをするのか。

今でこそ『目標に向けて真摯に努力しラグビーに取り組むことで人生を豊かにする』ためと答えられるが、去年までの私はそうではなかった。

それでも振り返ってみれば、同期に認められたいという思いが常に根底にあったように思う。

 

人を惹きつける力のある主将や、組織運営を始めとして様々な方面に豊かな才能を持つ同期に恵まれたことは本当に幸運だった。

四年間を共に戦い支え合った仲間のために、せめてグラウンド上では先頭に立ち、パフォーマンスで、結果で恩返ししたかった。

試合中の苦しい時も、こいつなら何とかしてくれると思われるようになりたかった。

実際にそうなれたかと言われるとその限りではないだろうが、それでもそのような覚悟が私を強くしたことは間違いない。

 

 

今年度のチームが始動してから、選手として、そして戦術チームのリーダーとして最も意識したこと。

それは、カルチャーを作るということである。

秋シーズンまでの計画に基づき、目の前の試合だけでなくその先も継続して勝つチームを作る。

そのためにもチーム全体には、戦術の大元となるコンセプトを繰り返しミーティングで伝えてきた。

コンセプトワードも定め、何度も言及した。

 

全ての戦術やターゲットには明確な理由がある。

それは戦術に限らず今年のチーム全体に言えることだ。

練習内容やウォームアップ、その時間まで全てに根拠がある。

それぞれを担当する者が、完成形ではないにしろ、最も良い形を追い求めた結果である。

それらを通し、東大ラグビー部はそもそも勝つ組織だ、というカルチャーが少しでも育まれたなら幸いである。

 

 

この四年間のほぼ全てをラグビーに費やしてきた。

そのことを後悔したことは一度もない。

まして部活を辞めたいとなど微塵も思ったことがない。

それほど東大ラグビー部での活動は魅力的ありで、自分を成長させてくれる場であった。

まもなくこの部は創部100周年を迎えるが、その歴史の一部となれたことを大変嬉しく誇りに思う。

 

 

最後になりましたが、未熟な私を温かく指導してくださった先輩方、そして支えてくれた後輩たち、そして何よりも最も長い時間を共に過ごした同期たち、本当にありがとうございました。

皆さまへの感謝の言葉を最後とし、筆を置きたい思います。

 

次は気が利く優秀なバックローとして、さらには数々の爆笑を生み続け部員から人気の望月にバトンを回します。

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