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ラグビー部リレー日記
4年分の6ヶ月
投稿日時:2021/12/06(月) 18:32
常に明るく、エネルギッシュな4年のるーしーからバトンを受けとりました、4年の魚住です。るーしーも最後の紹介で言っていたように、彼はよく僕の家に泊まりに来てくれ、多い時は1週間の半分は泊まっていました。そのせいもあってか常に僕の家には、枕、布団、タオル、スポーツ着、麻雀牌、コンタクトレンズ、歯ブラシ、など彼の私物が大量にあり、僕の一人暮らしの平凡な部屋の中を彩ってくれています。そろそろ回収して下さい。本当にお願いします。
さて、るーしーの話をし出すとそれだけでせっかくの最後のリレー日記が終わりそうなので話を先に進めます。
最後ということもあり、僕のラグビー人生を3部構成にして振り返っていきます。
まず、第1章 ジュニア編。当時のジュニア制度は厳しく、未経験者は1年の時は基本的にずっとシニアには上がれませんでした。なので、1年生同士で割と楽しく、怪我もほとんどなかったので、気楽にラグビーができていたと今振り返ると思います。1年生の頃の僕といえば、一言で言うとクソやろうでした。プレー・私生活、共に隙がなく、完璧なイメージが定着してしまった今の僕からはあまりに想像できなさすぎて、後輩たちはかなり驚くことだろうと思いますが、当時はウエイトもろくにせず、練習にはたびたび遅刻する、来る時はいつもギリギリと言った最悪な部員でした。おそらく、当時の同期の中で、辞めそうな部員ランキングは常に上位に食い込んでいたと思います。詳しくは僕の2回目のリレー日記を参照して下さい。
次に、第2章 2,3年編。2年生になって、後輩が入ってきたことで少し部員としての自覚が芽生え始めてきた頃でした。また、上級生に怪我人が多く、深刻なプレーヤー不足に陥っていた頃、自分にチャンスが回ってきて、新歓試合とはいえ、チームのA戦で初めてスタメンとして試合に出ました。その試合ではたまたま割と活躍でき、自分はAのレベルでも通用するのだ、と初めてラグビーに自信が持てました。しかし、そんな個人的に波に乗っていた2年の夏に、前十字靭帯を断裂しました。前十字靭帯断裂はラグビー部内でも最も復帰までに時間のかかる怪我として浸透していましたが、その当時僕もまさか自分がなるとは思わず、周りに「前十字靭帯切れたら部活辞めるわ」と冗談を言うほどでした。正直すぐには実感が湧かず、ただ呆然と手術を受け、長い長い怪我人生活が始まりました。また、ほぼ1年かけて、その前十字靭帯断裂から復帰してすぐに再び前十字靭帯を断裂してしまい、もう1年僕は貴重なラグビー生活を怪我人として過ごしました。怪我のことは何回もリレー日記で触れてきたので、これくらいにしときます。これも詳しくは過去のリレー日記を参照してください。一言で言えば、ラグビー生活の半分以上を怪我人として過ごしたということです。
最後に、第3章 4年編。4年生としての最後の1年間も怪我人としてスタートしました。最上級生になったことで自分のプレーを知っている先輩方はみんな引退し、3年生以下の後輩たちは誰も僕のプレーを知らないという状態でした。そのことを後輩に言われることも多く、表面上は「まあ見とけよ」くらいの感じで軽く流していましたが、内心悲しい気持ちになっていました。心当たりのある後輩は猛省し、悔い改めてください。9月ごろにようやく復帰して、チームの戦力になるぞと息巻いていましたが、最初は2年間のブランクでろくなプレーが出来ず、チームのスタメンはおろかメンバーにも選ばれない有様でした。しかし、今年は対抗戦がない週にB戦が毎週のように組まれていて、そこで結果を出してアピールし、早くメンバーに選ばれると言った明確な目標があり、メンバーに選ばれていない屈辱感もバネにして、ひたすら練習に励んでいました。そして、対抗戦の成蹊大学との試合の時に、無事、メンバーに選ばれました。同期で僕だけ最後までスイカを着ることのできないのではないかと内心焦っていたので本当に嬉しかったです。今となっては残り、2試合。選ばれたことはいいものの、今のところ全く爪痕を残せてないので、残り2試合、死に物狂いでプレーします。
今、ラグビー人生を思い返すと、3年生までは本当にすっからかんでした。その分、4年生の後半のラグビーに復帰してからの時間は本当に濃密でとても楽しく、幸せな時間でした。メンバーに選ばれない悔しさ、仲間たちとの切磋琢磨、メンバーに選ばれた時の喜び、試合前の緊張感、普通の部員が4年間かけて経験することを僕は半年間で経験できたので、ある意味ラッキーなのかもしれません。
最後になりますが、僕は本当にラグビー部もラグビー部員も大好きです。後輩は「僕に対する敬意あるんか」と突っ込みたくなるほどグイグイいじってきます。でも、みんないいやつで、後輩たちのしょうもないいじりに何度も元気をもらいました。大好きです。引退したら飯行きましょう。
同期に関してはびっくりするくらい長い時間を一緒に過ごしました。練習後、来るなと言っているのに僕の家に来て、帰る時は強盗でも入ったのかというくらい部屋は荒れていました。それでも一緒にいるとめちゃくちゃ楽しいし、面白いやつばっかで死ぬほど笑わされました。僕が前十字靭帯を再断裂して、絶望の真っ只中だったときに、わざわざ東京から僕が手術をする関西まで「全員」で来てくれた時は本当に感動で涙が出そうになりました。本当にいい仲間を持ったと思います。大好きです。引退したらシェアハウスするメンバー以外とは少し会う機会が減ると思いますが、僕のことが恋しくなったらいつでもWACK HOUSEに来てください。来るもの拒まず、です。
次は、4年間でもしかしたら一番成長したかもしれない「高身長、高学歴のスポーツマンであり、ハーフ」という肩書き最強の男、永山にバトンを渡します。彼はその大きさや特徴的な言動にばかり注目されますが、優しかったり、意外と料理が上手く、家庭的な一面があったり、といい旦那さんになると思います。
さて、るーしーの話をし出すとそれだけでせっかくの最後のリレー日記が終わりそうなので話を先に進めます。
最後ということもあり、僕のラグビー人生を3部構成にして振り返っていきます。
まず、第1章 ジュニア編。当時のジュニア制度は厳しく、未経験者は1年の時は基本的にずっとシニアには上がれませんでした。なので、1年生同士で割と楽しく、怪我もほとんどなかったので、気楽にラグビーができていたと今振り返ると思います。1年生の頃の僕といえば、一言で言うとクソやろうでした。プレー・私生活、共に隙がなく、完璧なイメージが定着してしまった今の僕からはあまりに想像できなさすぎて、後輩たちはかなり驚くことだろうと思いますが、当時はウエイトもろくにせず、練習にはたびたび遅刻する、来る時はいつもギリギリと言った最悪な部員でした。おそらく、当時の同期の中で、辞めそうな部員ランキングは常に上位に食い込んでいたと思います。詳しくは僕の2回目のリレー日記を参照して下さい。
次に、第2章 2,3年編。2年生になって、後輩が入ってきたことで少し部員としての自覚が芽生え始めてきた頃でした。また、上級生に怪我人が多く、深刻なプレーヤー不足に陥っていた頃、自分にチャンスが回ってきて、新歓試合とはいえ、チームのA戦で初めてスタメンとして試合に出ました。その試合ではたまたま割と活躍でき、自分はAのレベルでも通用するのだ、と初めてラグビーに自信が持てました。しかし、そんな個人的に波に乗っていた2年の夏に、前十字靭帯を断裂しました。前十字靭帯断裂はラグビー部内でも最も復帰までに時間のかかる怪我として浸透していましたが、その当時僕もまさか自分がなるとは思わず、周りに「前十字靭帯切れたら部活辞めるわ」と冗談を言うほどでした。正直すぐには実感が湧かず、ただ呆然と手術を受け、長い長い怪我人生活が始まりました。また、ほぼ1年かけて、その前十字靭帯断裂から復帰してすぐに再び前十字靭帯を断裂してしまい、もう1年僕は貴重なラグビー生活を怪我人として過ごしました。怪我のことは何回もリレー日記で触れてきたので、これくらいにしときます。これも詳しくは過去のリレー日記を参照してください。一言で言えば、ラグビー生活の半分以上を怪我人として過ごしたということです。
最後に、第3章 4年編。4年生としての最後の1年間も怪我人としてスタートしました。最上級生になったことで自分のプレーを知っている先輩方はみんな引退し、3年生以下の後輩たちは誰も僕のプレーを知らないという状態でした。そのことを後輩に言われることも多く、表面上は「まあ見とけよ」くらいの感じで軽く流していましたが、内心悲しい気持ちになっていました。心当たりのある後輩は猛省し、悔い改めてください。9月ごろにようやく復帰して、チームの戦力になるぞと息巻いていましたが、最初は2年間のブランクでろくなプレーが出来ず、チームのスタメンはおろかメンバーにも選ばれない有様でした。しかし、今年は対抗戦がない週にB戦が毎週のように組まれていて、そこで結果を出してアピールし、早くメンバーに選ばれると言った明確な目標があり、メンバーに選ばれていない屈辱感もバネにして、ひたすら練習に励んでいました。そして、対抗戦の成蹊大学との試合の時に、無事、メンバーに選ばれました。同期で僕だけ最後までスイカを着ることのできないのではないかと内心焦っていたので本当に嬉しかったです。今となっては残り、2試合。選ばれたことはいいものの、今のところ全く爪痕を残せてないので、残り2試合、死に物狂いでプレーします。
今、ラグビー人生を思い返すと、3年生までは本当にすっからかんでした。その分、4年生の後半のラグビーに復帰してからの時間は本当に濃密でとても楽しく、幸せな時間でした。メンバーに選ばれない悔しさ、仲間たちとの切磋琢磨、メンバーに選ばれた時の喜び、試合前の緊張感、普通の部員が4年間かけて経験することを僕は半年間で経験できたので、ある意味ラッキーなのかもしれません。
最後になりますが、僕は本当にラグビー部もラグビー部員も大好きです。後輩は「僕に対する敬意あるんか」と突っ込みたくなるほどグイグイいじってきます。でも、みんないいやつで、後輩たちのしょうもないいじりに何度も元気をもらいました。大好きです。引退したら飯行きましょう。
同期に関してはびっくりするくらい長い時間を一緒に過ごしました。練習後、来るなと言っているのに僕の家に来て、帰る時は強盗でも入ったのかというくらい部屋は荒れていました。それでも一緒にいるとめちゃくちゃ楽しいし、面白いやつばっかで死ぬほど笑わされました。僕が前十字靭帯を再断裂して、絶望の真っ只中だったときに、わざわざ東京から僕が手術をする関西まで「全員」で来てくれた時は本当に感動で涙が出そうになりました。本当にいい仲間を持ったと思います。大好きです。引退したらシェアハウスするメンバー以外とは少し会う機会が減ると思いますが、僕のことが恋しくなったらいつでもWACK HOUSEに来てください。来るもの拒まず、です。
次は、4年間でもしかしたら一番成長したかもしれない「高身長、高学歴のスポーツマンであり、ハーフ」という肩書き最強の男、永山にバトンを渡します。彼はその大きさや特徴的な言動にばかり注目されますが、優しかったり、意外と料理が上手く、家庭的な一面があったり、といい旦那さんになると思います。
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