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ラグビー部リレー日記
2度目のラグビー人生
投稿日時:2021/01/20(水) 17:55
入部から4年間、無遅刻無欠席を貫いて超人っぷりを発揮していたのに最後の最後の名大戦でやっと人間らしさを見せてくれた太田からバトンを受け取りました副将の山口です。
太田の日々自分の自己ベストを出そうとし続ける姿勢には本当に感銘を受けました。
忘れもしない高3の11月、ラグビー都大会決勝。寒風の荒ぶ秩父宮の応援スタンドで僕のラグビー人生は終わった。試合は引き分けだったが抽選で負け、3年の引退が決まった。試合後に、死ぬほど怖かった監督が目を真っ赤にして話すのを見て、自分も涙が止まらなかったのを覚えている。
中学から始めたラグビーだが、高校のラグビー部ではメンバー争いにも絡めず不甲斐ない毎日を送っていた。しかし不思議とラグビーに心残りはなかった。高校の3年間で自分にラグビーの才能がそこまで無いことを実感したし、もう2度と楕円球を追うことはない。本気でそう思っていた。
しかし大学受験を終え、引退から10キロ近く体重も落ちた頃、ふと高校の監督から電話がかかってきた。「東大でもラグビーやるのか?」監督が怖かったからか、答え間違ってしまったのかわからない。心ではラグビーにはキッパリと別れを告げていたのに、自分はなぜか「はい」と答えていた。あそこでやらないと答えていたらどんな大学生活を送っていたのだろう。
そんなきっかけで始まってしまった2度目のラグビー人生。最初は大学生になってまでなんで早起きしないといけないのかと思いつつ嫌々グラウンドに向かっていたが、気付けば居場所ができ、気付けばライバルができ、気付けば一度辞めたはずのラグビーに夢中になっている自分がいた。
なんで東大ラグビー部では部活に熱中できたのか?その答えはたくさんあると思うが、一つは成長できる環境だったことにあると思う。
ラグビー面で考えてプレーできるようになり成長できたのはもちろん、自分たちで練習を考え、主体的にチームを運営する先輩たちを見てとてもワクワクしたのを覚えている。自分自身も下級生の頃からチームに様々な意見を言わせてもらっていた。
また個性を上手く活かせていたのも好きだった。
東大ラグビー部で出会った人々は今まで所属したどの組織よりも個性の強い人が多かった。しかしそんな性格も趣向もバラバラの人たちがラグビーの時はその特性を活かして勝利のために一つになる。そんな雰囲気が好きだった。
そんな東大ラグビー部の環境が好きで気付けば部活に没頭していた。そして気づけばチームの副将になっていた。
しかし最上級生として、迎えた最後のシーズンは思い通りにいかないことだらけだった。コロナの影響で4ヶ月近くラグビーができなくなってしまった上に、対抗戦も6位という結果に終わってしまった。
自分が試合に負けてしまって悔しかったのはもちろんだが、スタッフのみんな、コーチの方々、青山先生、O Bの方々をはじめ部を支えてくれた人たち、そしてこれまで僕を支えてくれた両親に結果という形で恩返しができなかったのが本当に申し訳ない。本当にそれが一番悔しくて今も心残りである。
しかしよく考えたらそれが、自分が東大ラグビー部で得たものなのかもしれない。ただきつい練習をこなすのに必死で、好きでもないラグビーをこなすだけだった僕が、副将として、支えてくれる人への感謝のためにラグビーをできるようになった。この4年間は本当に僕にとっての財産になったと思う。
奇しくも東大ラグビー部での引退試合も凍てつく空の下、応援スタンドで終えることになってしまったが、前回の引退試合と違うのは自分が試合に出られなくても心からチームのことを想うことができたことだった。
いろいろな人に支えられやり切ることができた4年間だった。本当に感謝で胸がいっぱいである。
2度目のラグビー人生は本当に幸せだった。
次は今年度主将を務めた藤井にバトンを回します。
僕の人生で彼ほど真摯に物事に取り組み、彼ほど頼れる人間は他に見たことがありません。
太田の日々自分の自己ベストを出そうとし続ける姿勢には本当に感銘を受けました。
忘れもしない高3の11月、ラグビー都大会決勝。寒風の荒ぶ秩父宮の応援スタンドで僕のラグビー人生は終わった。試合は引き分けだったが抽選で負け、3年の引退が決まった。試合後に、死ぬほど怖かった監督が目を真っ赤にして話すのを見て、自分も涙が止まらなかったのを覚えている。
中学から始めたラグビーだが、高校のラグビー部ではメンバー争いにも絡めず不甲斐ない毎日を送っていた。しかし不思議とラグビーに心残りはなかった。高校の3年間で自分にラグビーの才能がそこまで無いことを実感したし、もう2度と楕円球を追うことはない。本気でそう思っていた。
しかし大学受験を終え、引退から10キロ近く体重も落ちた頃、ふと高校の監督から電話がかかってきた。「東大でもラグビーやるのか?」監督が怖かったからか、答え間違ってしまったのかわからない。心ではラグビーにはキッパリと別れを告げていたのに、自分はなぜか「はい」と答えていた。あそこでやらないと答えていたらどんな大学生活を送っていたのだろう。
そんなきっかけで始まってしまった2度目のラグビー人生。最初は大学生になってまでなんで早起きしないといけないのかと思いつつ嫌々グラウンドに向かっていたが、気付けば居場所ができ、気付けばライバルができ、気付けば一度辞めたはずのラグビーに夢中になっている自分がいた。
なんで東大ラグビー部では部活に熱中できたのか?その答えはたくさんあると思うが、一つは成長できる環境だったことにあると思う。
ラグビー面で考えてプレーできるようになり成長できたのはもちろん、自分たちで練習を考え、主体的にチームを運営する先輩たちを見てとてもワクワクしたのを覚えている。自分自身も下級生の頃からチームに様々な意見を言わせてもらっていた。
また個性を上手く活かせていたのも好きだった。
東大ラグビー部で出会った人々は今まで所属したどの組織よりも個性の強い人が多かった。しかしそんな性格も趣向もバラバラの人たちがラグビーの時はその特性を活かして勝利のために一つになる。そんな雰囲気が好きだった。
そんな東大ラグビー部の環境が好きで気付けば部活に没頭していた。そして気づけばチームの副将になっていた。
しかし最上級生として、迎えた最後のシーズンは思い通りにいかないことだらけだった。コロナの影響で4ヶ月近くラグビーができなくなってしまった上に、対抗戦も6位という結果に終わってしまった。
自分が試合に負けてしまって悔しかったのはもちろんだが、スタッフのみんな、コーチの方々、青山先生、O Bの方々をはじめ部を支えてくれた人たち、そしてこれまで僕を支えてくれた両親に結果という形で恩返しができなかったのが本当に申し訳ない。本当にそれが一番悔しくて今も心残りである。
しかしよく考えたらそれが、自分が東大ラグビー部で得たものなのかもしれない。ただきつい練習をこなすのに必死で、好きでもないラグビーをこなすだけだった僕が、副将として、支えてくれる人への感謝のためにラグビーをできるようになった。この4年間は本当に僕にとっての財産になったと思う。
奇しくも東大ラグビー部での引退試合も凍てつく空の下、応援スタンドで終えることになってしまったが、前回の引退試合と違うのは自分が試合に出られなくても心からチームのことを想うことができたことだった。
いろいろな人に支えられやり切ることができた4年間だった。本当に感謝で胸がいっぱいである。
2度目のラグビー人生は本当に幸せだった。
次は今年度主将を務めた藤井にバトンを回します。
僕の人生で彼ほど真摯に物事に取り組み、彼ほど頼れる人間は他に見たことがありません。
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