ラグビー部リレー日記

For Beautiful Lips

投稿日時:2023/05/04(木) 18:26

同期プレイヤーの猿渡からバトンを受け取りました。2年スタッフの礒﨑結衣です。
いつも寡黙な猿渡がこんなことを思ってくれていただなんて、とても嬉しいです。身に余る言葉をありがとうございます。
猿渡は同期一大きいけれど同期一素直な少年の心を持った素敵な人です。ちなみに私はそんな猿渡のトークがいつも面白くて好きです。
猿渡が復帰したら、猿渡おかえりゲーム大会とかしたいです!まってます!!



"For beautiful lips, speak only words of kindness,
for lovely eyes, look for the good in others,

and for poise, walk with the knowledge that you are never alone."

美しい唇が欲しいのなら、美しい言葉をつむぎなさい。
愛らしい瞳が欲しいのなら、他人の美点を探しなさい。
そして、素敵な振る舞いがしたいのなら、1人ではないという自覚を持って人生を歩みなさい。


これは、オードリーヘップバーンが晩年に語った言葉です。そして私の大好きな言葉です。
美しい唇、愛らしい瞳、 素敵な振る舞い。どれも女性なら憧れるようなものばかりです。そして、ついつい、可愛らしいメイクをしたり、姿勢を良くするように気をつけたりと外見にだけ気を使って、これらを獲得したと考えてしまいがちです。でも、外見の美しさは内面から生み出されるものなのだ、そういうことをオードリーヘップバーンはこの言葉を通じて伝えたのだと思います。

ですがそれ以上にこの言葉には深い意味があるように思います。
美しい唇が欲しいのなら、美しい言葉をつむぐ、ということと、愛らしい瞳が欲しいのなら、他人の美点を探す、ということは、野蛮ではなく綺麗な言葉をつむいでいる唇が自然と美しくなり、他者の素敵なところを見つけることのできる瞳が自然と愛らしくなる、つまり、自分の美しい行いが自然と自分を美しくするという意味であると思います。
しかし、最後の、素敵な振る舞いがしたいのなら、1人ではないという自覚を持って人生をあゆむ、という一文は少し違うように思います。今までの、「自分の美しい行いが自分を美しくする」理論にあてはめるなら、素敵な振る舞いをしたいなら、強くありなさいとか、自分に厳しくありなさいとか、自分の内面を律する、という文章になりそうなところです。しかし、この言葉では素敵な振る舞いを作るのは1人ではないという自覚、ということになっています。これはどういうことなのでしょうか。

私なりの解釈ではありますが、この一文は、孤高であること、自分の内面だけを見ることが美しさではないということを伝えているのだと思います。素敵な振る舞いをしたい、だったら自分自身の内面をもっと磨かなくては、と自分の中に中に視点を向けていては、素敵な振る舞いがしたかったのにも関わらず、結局はなんだか姿勢のまるまった自己中心的な女性になってしまいます。そうではなくて、自分は1人では無い、周りに他者がいるということを常に理解することが大切で、他者への思いやりを忘れないだけでなく、自分のキャパシティを理解した上で時には頼ることのできる余裕を持ち、協調性を持って人生をあゆむことで、素敵な振る舞いができる女性になるのだ、そういう意味なのだと思います。


私がこの言葉に出会ったのは高校2年の冬でした。高校のクラスの友人が朝の礼拝で(私の母校はプロテスタント系で、毎朝礼拝がありました)、美しい唇が欲しいのなら、の一文をさらっと紹介していたのがきっかけでした。その一文が印象的で、帰宅してから調べてみたところ、続きの言葉にも出会い、この言葉が私にとって大切な言葉になりました。

高校2年の冬というと、秋に文化祭が終わり、受験勉強を本格的に始めなければならないのに燃え尽きすぎて何も手につかない~となっていたころです。というのも、秋にあった文化祭というのは、中学に入学してからずっと文化祭実行委員会に所属していた私にとっての集大成だったからでした。

私の学年の文化祭実行委員、通称文実は、中学の頃の経験者で長続きする人があまりおらず、経験者不足の代でした。そのため、ひょんなことから私が委員長を務めることになりました。
文実は中学1年生から高校1年生までの各学年10人ずつ、最高学年の高校2年生だけ11人の計51人が、10人ずつの5部門と委員長に分かれて構成されていました。この構成からもわかる通り、委員長という立ち位置は孤高の存在で、私が知っている歴代の委員長も仕事が早い一匹狼タイプで背中を見せて後輩を引っ張るようなかっこいい先輩しかおらず、全くもってそういったタイプでは無い私が委員長を務めることに大きな不安を感じていました。

そんな不安を取り除いてくれたのは、いつも同輩でした。こんな私で本当にいいのか、と文実委員長という看板に押しつぶされそうになる度に、委員長の形は人それぞれだよ、そんなゆいだから私たちは着いて行きたいと思うんだよ、もっと頼っていいよ、といつもいつも励ましてくれました。そんな彼女たちに支えられ、次第に私も1人で抱え込むのではなく、同輩に頼ったり、担当の先生に相談したりする中で視野を広げることが出来るようになりました。そして、視野を広げるということを学ぶと、自分に余裕が出て、今度は同輩をもっと気にかけたり、後輩を励ましたりということまで手が回るようになり、全ての歯車がかちっとはまり上手く運営が進むようになりました。そして結果として、コロナ禍ではあったものの、私たちのできる私たちなりの最高の文化祭を作ることが出来ました。この経験は私の大切な大切な宝物です。

このオードリーヘップバーンの言葉を知った高校2年の冬、この文実の経験とともにこの言葉は私の心にじんわりと染み込んできました。文実の時は私が自主的に1人ではないという自覚を持つことが出来ていた訳ではなく、心優しい同輩によって自覚させてもらったわけですが、1人ではないという自覚は孤高であろう、一人で完璧にみんなを引っ張ろうとするあまり視線の下がっていた私を確かに前向きにさせてくれました。そして、この実体験を通じて実感することのできたこの言葉は私が生涯心に留めておくだろう大好きな言葉になりました。

そして、先程は文実での経験を話しましたが、今もラグビー部の同期にはたくさん支えてもらっています。
私の小さな悩みを温かく受け止め聞いてくれたり、理路整然とした解決策を提案してくれたり、すごい熱量で悩みを吹き飛ばしてくれたり、達観したものの見方で悩みを悩みと感じさせないようにさせてくれたり、くだらないことで笑わせてくれたり、本当にたくさんの同期に色んな場面でさまざまな角度から助けてもらっており、本当に感謝しています。こんな素敵な同期に出会えてとても幸せです。そして、もっと私も助けてもらうばかりでなく、頼って貰えるように、もっと恩返しができるような存在になりたいです。



先日、私の中高の親友が20歳の誕生日を迎えました。彼女とは13歳で出会ってから、部活も委員会も一緒で、さまざまな苦楽を共にしてきたので、そんな彼女が20歳を迎えるという特別な瞬間を共に過ごせることがとても嬉しかったですし、なんだか感慨深かったです。そして、バースデープレートのケーキを取り分けて食べながら、私ももう5ヶ月で本当に20歳に、大人になるのだとやっと身に染みて実感しました。


20歳という特別な年を迎えるにあたり、もう一度このオードリーヘップバーンの言葉を心に留めたいと思います。
美しい言葉をつむぎ、他人の美点を探し、1人ではないという自覚を持って人生をあゆむ。孤高になるのではなく、思いやりを持ち、他者との関わりを大切にする。
そうすることによって、助けられるばかりでなく私も助けることの出来るような、美しい唇と愛らしい瞳を持った素敵な振る舞いのできる大人の女性になりたいと思います。



次は、お顔立ちの大人っぽさと言動の可愛らしさのギャップが印象的な3年生の倉橋さんにバトンを回します。
倉橋さんは試合でナイスキックや強いタックルを連発し男らしいかっこよさを炸裂させていらっしゃる一方、お話してみるととても物腰が柔らかく、穏やかで優しい素敵な先輩です。最近、倉橋さんの瞳はとってもきゅるっとされていることにも気づきました。

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