ラグビー部リレー日記

モノトーン / カラフル

投稿日時:2023/12/23(土) 14:30

いつもフィールド上でチームを鼓舞してくれた副将の安富からバトンを受け取りました、主将の西久保です。安富の俯瞰して物事を判断する力と何ものをも恐れずにずばっと指摘する胆力には、自分も何度も背中を押されました。彼は自分の良き理解者だと勝手に思っているので、また自分が尖り始めてきたらいち早く指摘してほしいです。安富は不憫キャラが定着してしまったので、少し褒め過ぎてしまいました。

あと安富のリレー日記に言及されている通り、早稲田戦の節で他にも気分を害されていた人がいたら本当にすみませんでした。

最後のリレー日記、暗い話から始めるのもあれですが、その話にもある「謎の病気」から書き綴ってみようと思います。

 

 

発症は6月の帝京戦後からだった。その頃チームは負けが続き、自分も学芸戦から不甲斐ないプレーを繰り返した。試合内容としても、強豪校相手にFWではセットプレーで互角に戦っているのにも関わらず、BKでエリアを取れない、ゲインを取れない、といった散々なものだった。FWに対して申し訳なく、BKとして情けなかった。

 

帝京戦後に自分の不注意で風邪を拗らせてから、目眩が止まらくなった。一日中遊園地のコーヒーカップに回らされているような感覚はもちろん生まれて初めてのことだった。夜も毎日3時間は寝付けないようになった。

 

面白いアニメを見ても、カーバンクルのぬいぐるみを買っても、どんな癒しを求めても、その症状は治らず、病院に行く他なかった。脳外科に行って、脳の異常を見たが問題なく、医者にはうつ病の一種ではないかと言われ、精神安定剤と睡眠導入剤を渡された。「西久保君は今、燃料が切れているから、頑張ろうとすればするほどに症状が悪化するよ」と医者に言われた。

 

あまりにショックで、病院を出た後の帰り道、泣き続けてしまった。自分の無力さを呪っても仕方がなかったが、もしラグビーの神様とやらがいるのならそいつを呪った。やり場のない感情が自分を襲った。

 

原因が本当にうつ病だったか、脳震盪の後遺症か、澤穂希と同じ目眩の病気だったか。今はすっかり回復したのでそんなことは今更どうでもいいが、この時期を超えて、自分の中に大きな心境の変化があった。

 

 

今年自分の掲げた目標は、東大の歴史に名を残すようなキャプテンになることだった。チームが入替戦に出るためには、キャプテンである自分が1番成長しなければならないと思っていたし、チームを推進させるために、時には自分が犠牲になることもあると思っていた。

 

しかしそんな綺麗事を言えるような状況ではなくなり、自分の目標は「フィールド上に立ち続ける」ことへと変化した。いちラグビープレイヤーとしては当たり前のことであるが、大西さんからはこのことを何度も忠告されてきた。

 

自分が危ないとなった瞬間は逃げてもいい、たまに情けないプレーだってあっていい、それよりも自分にとって大事なのは、グラウンドで勝敗が決まる時まで、キャプテンとしてグラウンドに立ってなくてはならないことだった。立ってさえいれば、いい結果が来ると信じてやり続けた。例えば練習でボロクソなプレーをして散々ダメ出しを食らった後も、我を忘れて危険なプレーに入り込むことがないように自分をコントロールさせた。

 

これは狂気に入るという点では間違っているのかもしれないし、勝負を放棄しているという見方もあるかもしれない。だが、自分の中でそれよりも大事な軸を決めた事で、物事の順序をつけられるようになったのは、それ以降のシーズンにおいて非常に大きな転機だった。

 

 

対抗戦直前にチームの価値観について考える機会があった。みんながラグビーをする理由について、勝利のため、自分の成長のため、ラグビーで出来た仲間のためなど、様々な意見があった。それぞれの意見はどこか繋がっているようで、バラバラなようで、どう纏められるのかは分からなかった。結果、今の東大ラグビー部が尊重しなければならない価値観を一貫して見出す事を自分は諦め、そのまま対抗戦に突入した。

 

最初の3戦、薄氷の勝利だった。しかし、その後4連敗した。チームポリシーを修正してもまた崩れてやり直しの連続。チームの一体感も敗戦を重ねるごとに薄れていくような気がした。池田がリレー日記に書いたように、勝ちが価値より先行する場合もあるが、負けが続いた時に、チームとして立ち返らなければならない軸が見えないまま勝利を追い求めていく事は精神的にタフだった。

 

東大の価値観が、大西さんのおっしゃる「感謝を知り覚悟を持った、勇者であり勝者たれ」なのか、今年のスローガンに掲げた「Conquer」なのか、東大の「Go low」の精神なのか。恐らく、絶対的に正しい答えなどなかったのだろう。

 

エゴを押し付けるようになってしまうが、だからこそ、来年のリーダーには、強い信念を持って、東大の価値観を決めてほしいし、チーム全体としてその価値観に大事にする習慣をつけてほしいと思っている。勝敗に関わらずチームとして前へ成長していけるように、ぶれない軸にみんなが向き合い続けてほしい。

 

 

最後になりますが、自分のラグビー人生を支えてくれた様々な方々への感謝の気持ちを添えさせて頂きたいと思います。

 

田園ラグビースクール、神奈川県選抜でお世話になったコーチの方々。
自分がラグビーという競技を好きになるきっかけを作ってくださり、ありがとうございました。自分が大学生になっても変わらず応援して下さるのは本当に嬉しかったですし、励みになりました。

 

開成ラグビー部でお世話になった方々。
正直あの頃のラグビーが一番純粋に楽しかったです。また皆さんでタッチフットしましょう。

 

青山先生、大西さん、吉田さんをはじめとした、監督、コーチの方々。
今年一年、僕たちだけではどうにもいかないことも、多くをサポートして頂きました。特に大西さんにはラグビーやチーム作りやキャプテンとしてのあり方など、様々なことを教えて頂きました。こんな僕たちに真剣に向かい合って下さり、ありがとうございました。

 

田崎先生、工藤さん、上岡さん、ATさんをはじめとするメディカルスタッフの方々。
怪我ばかりで色々と迷惑をおかけしました。皆さんのお陰で今ラグビーができる状態にあることを胸に刻んで、最終戦に臨みます。

 

東大ラグビー部の諸先輩方。
4年になって改めて皆さんの偉大さを感じていました。國枝さんをはじめ、今年一緒に戦ってくださった5年生の方々には特に頭が上がりません。本当にかっこよかったです。

 

同期。
どうしようもない代だったけどそんな代に居れて居心地よかったです。特に首脳陣の安富や池田にはこの一年、いろんな場面で助けてもらいました。これからも長い間よろしく。

 

後輩。
こんな自分が一年間続けてこれたのもみんなの支えがあったからです。ラグビー部に入ってくれて、このチームについて来てくれてありがとう。残りのラグビー人生謳歌して下さい。

 

家族。
この歳になってまでラグビーを続ける自分をサポートして下さり、ありがとうございました。父親は遠く離れたところからいつも自分の体調やラグビーを気にしてくれました。夜練後、遅くなっても、家で母親の作った美味しい夜ご飯が食べれることが至福でした。

 

OB・OGをはじめとした、いつも東大ラグビー部を応援してくださる方々。
皆様の温かいご支援、ご声援がいつも僕たちの支えになりました。最後の京大戦、そして今後の東大ラグビー部も応援のほどよろしくお願いいたします。

 


他にも数えきれない多くの方々の支えがあって今の自分があります。その感謝の思いを胸に明日の京大戦を戦い抜きます。西久保組としての最終戦。みんなで勝って終わろう。


主将 西久保拓斗

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