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ラグビー部リレー日記
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挫折、そして超克
投稿日時:2022/12/09(金) 15:30
かわはるからバトンをもらいました、4年スタッフの鵜飼です。かわはるが2年前のお正月に家に来てくれて、家族共々とても楽しい時間を過ごさせてもらいました。はしゃいだ私がかわはるを連れ回して疲れさせてしまい、親に怒られたのもいい思い出です。また、私が院試でつらいときには、かわはるの優しさと気遣いに本当に救われました。ぜひ卒部してもたくさん遊んでください。
さて、この最後のリレー日記において何を書こうか非常に迷いましたが、やはり最後は私のラグビー部での4年間を振り返ろうと思います。
1年生。
大学に入学し、アットホームな雰囲気とラグビーというスポーツの面白さに惹かれてラグビー部に入部した。最初は朝練に間に合うように3時台に起きることで精一杯で、練習中はただ突っ立っているだけの指示待ち人間だった。また、1年生の終わりには、スタッフ全体の仕事(=ジェネラル)と対になる、専門性の高い仕事(=セクション)として、マネジメントと分析を選択した。学年内の仕事のバランスを考えてのことだった。
2年生。
相変わらずあまり仕事に気付けないままで、同期との差を感じ始めていたが、できるようになったこともあった。それが、この年の防衛大戦から試合ビデオに追加された「引き寄りビデオ」を撮ることだった。最初はぶっつけ本番であったためにあまり上手に撮ることができなかったが、分析のために勉強していたラグビーの知識も活かしながら、自分なりに様々な工夫をしつつ練習を重ねた結果、見やすい映像を残すことができるようになった。ここで初めて、自分は部に貢献できているかもしれないと思えた。
しかし、ビデオがうまく撮れるようになって少しずつ自分の存在価値を見いだせるようになった一方で、同時に、チームからの疎外感とスタッフからの疎外感という、二重の疎外感も感じるようになった。ビデオは、グラウンド全体を映す必要があることから、グラウンドから物理的に離れたところで撮るものだが、この物理的な距離によって、グラウンドにいるチームのみんなとの精神的な距離を感じるようになった。換言すれば、チームの一員であるという気持ちを感じることができなくなってしまった。さらに、ビデオというのはスタッフの仕事の中では、ジェネラルに分類される、専門性の高くない仕事である。試合中はビデオ以外にもたくさんの仕事があり、その中にはメディカルなど専門性が高く特定のスタッフしかできない仕事もある。スタッフの人員が限られている以上、ビデオの優先順位は低く、引き寄り以外のビデオ(全体を俯瞰する「引き」、個々のプレーに着目する「寄り」)は、プレーヤーが撮ることも多かった。また、スタッフ内で、ビデオはプレーヤーに撮ってもらい、別のところにスタッフを配置する方がいいのではないかという話になったこともあった。それはスタッフの人数が有限であることから生じる“仕方のないこと”であり、それを私も理解しているつもりだったが、やっと自分が部に貢献できていると思える仕事を見つけたのに、それはプレーヤーでもできるような、あるいはプレーヤーがやったほうがいいような優先順位の低い仕事なのであって、やはり自分はスタッフとして存在価値がないのだと思うようになった。ビデオはプレーヤーがやればいいという話のときは、私がやっていることは無価値だと言われているように感じた。それでも私はメディカルセクションに所属していないし、試合中は他に何か専門性の高い仕事ができるわけでもないため、基本的にビデオを撮ることが続いた。その結果ビデオは上手くなったが、疎外感や劣等感も増大していった。
3年生。
スタッフの先輩方が卒部され、自分たちはスタッフの最高学年となった。それにより、2年生の終わりからはマネジメントの仕事が増えるようになった。マネジメントの仕事では、OB財務やOB名簿の仕事を中心に行っており、その他に会報会計の仕事やスコア管理・会報掲載スコア作成なども行っていた。これらの仕事については、練習中に行うような種類のものではなかったため、基本的に家で部活外の時間で行っていたが、それにより、私はなんの仕事をしているのかよくわからない人になった。当然、なんの仕事をしているかもあまり伝わらない以上、特に評価されることもなく、時には本当に仕事をしているのかという疑念をぶつけられることもあった。自分で選択したセクションの仕事にこそもっとやりがいを感じられなければならないと思う一方、マネジメント系の仕事はコツコツ積み重ねて円滑に部活が運営できることに意味があるのであり、うまくいっていればいっているほど外部に仕事の様子は伝わりづらいため、そこに自分の価値を見出すのは難しいとも感じていた。私はマネジメントの仕事を嫌いだと思ったことはないが、他の同期スタッフと自分を比較しては劣等感を感じるということを繰り返した。このような精神状態であったことで、体調も崩しがちになり、私生活では勉強もすることができなくなり、まさに“どん底”と呼ぶにふさわしい状態だった。22年間の人生でこれほどすべてがうまく行かなかったことは後にも先にもなかった。
4年生。
4年生になってやっと、他人と自分を比べることの無意味さに気づいた。私は私のやるべきことをやっているのだし、ビデオだってやってきたからこそ上達もしたのだと前向きに捉えられるようになった。また、ビデオに関しては、試合中継に対するコメントで評価していただいたり、部内でも見やすいと言ってくれる人たちの意見に耳を傾けられるようになった。いかに自分が卑屈だったかを実感し、反省し、改めて残りの1年間はやれることを全力でやろうと決意した。やるべきことをやることで、少しは部に貢献できるはずだと思えるようになって、どん底からは脱出することができた。櫓の上からビデオを撮っていても、自分がチームの一員ではないと疎外感を感じることもなくなり、やっとグラウンドにいるみんなと同じ気持ちでいられるようになった。チームとしてやりたいラグビーができて試合に勝ったら感動し、やりたいことができずに負ければ悔し涙が溢れた。
ここまで4年間を振り返ってきて、楽しいこともつらいこともたくさんあったが、もし私がもう一度大学入学時に戻れるとしても、また必ずラグビー部に入ると思う。ラグビー部に入るという私の選択は、決して間違っていなかったし、この部活に入って、先輩や後輩、そして同期に出会えて、本当によかったと心から思う。
私はマネジメントの仕事や会報の仕事などを通じて、たくさんのOB・OGの皆様と関わらせていただきました。未熟故にご迷惑をおかけすることも多々ありましたが、皆様のお力添えで、無事に役目を果たすことができました。本当にありがとうございました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。
また、大学に入ったら勉強すると言っていたにも関わらず運動部に入った私をずっと応援してくれた両親にも改めて感謝したいです。朝早くまた夜遅くに送り迎えをしてくれたり、試合の応援をリアルタイムでしてくれたり、両親の協力や励ましがなければ4年間部活を続けることはできなかったと思います。本当にありがとうございました。
そして、後輩のみんなへ。
私はそんなに優秀な先輩ではなく、スタッフをはじめ、みんなにたくさん迷惑をかけたと思います。それでもついてきてくれて、一緒に部活をしてくれて、本当にありがとうございました。私は、この4年間を通して、コミュニケーションをとることがとても大事だということを学びました。ラグビーというスポーツ自体も、部活を運営するにあたっても、コミュニケーションは欠かせません。同じタイミングでラグビー部にいる仲間たちと、たくさんコミュニケーションをとって、お互いの考えを伝えあって支え合ってほしいと思います。コミュニケーションを円滑にするには、相手と自分はあくまで違う人間なんだということを理解して、柔軟な思考をすると良いのではないかなと思います。また、変えられるのは自分だけです。考えをすべて変える必要はもちろんありませんが、物事の捉え方を少し変えるだけで、見えてくるものがたくさんあると思います。もし何かうまくいかないことがあったら、視点を少しだけ変えてみるといいかもしれません。これからみんながもっと東大ラグビー部を良くしていってくれるのを楽しみにしています。
最後に同期へ。
私たちの学年は人数も多く、意見の方向性が合わなかったり、衝突したりもしたけど、いろんな人がいて毎日面白かったし、たくさんの思い出を作ることができました。みんなと出会えたことは私にとって一生の財産です。本当にこの学年でよかった。協調性に欠ける私を受け入れてくれてありがとう。
長文となりましたが、最後までお読み下さり、ありがとうございました。
次は、玉代勢にバトンを回します。
玉代勢は、その穏やかで優しい性格から、みんなに好かれている人気者で、誰とでも仲良くできる、私たちの学年に欠かせない存在です。また、ラグビーにおいても、1年生からスイカを着て4年間チームを引っ張り続けてくれました。パスフェイクがうますぎて、ビデオを撮っている私も騙されかけたことがあります。
さて、この最後のリレー日記において何を書こうか非常に迷いましたが、やはり最後は私のラグビー部での4年間を振り返ろうと思います。
1年生。
大学に入学し、アットホームな雰囲気とラグビーというスポーツの面白さに惹かれてラグビー部に入部した。最初は朝練に間に合うように3時台に起きることで精一杯で、練習中はただ突っ立っているだけの指示待ち人間だった。また、1年生の終わりには、スタッフ全体の仕事(=ジェネラル)と対になる、専門性の高い仕事(=セクション)として、マネジメントと分析を選択した。学年内の仕事のバランスを考えてのことだった。
2年生。
相変わらずあまり仕事に気付けないままで、同期との差を感じ始めていたが、できるようになったこともあった。それが、この年の防衛大戦から試合ビデオに追加された「引き寄りビデオ」を撮ることだった。最初はぶっつけ本番であったためにあまり上手に撮ることができなかったが、分析のために勉強していたラグビーの知識も活かしながら、自分なりに様々な工夫をしつつ練習を重ねた結果、見やすい映像を残すことができるようになった。ここで初めて、自分は部に貢献できているかもしれないと思えた。
しかし、ビデオがうまく撮れるようになって少しずつ自分の存在価値を見いだせるようになった一方で、同時に、チームからの疎外感とスタッフからの疎外感という、二重の疎外感も感じるようになった。ビデオは、グラウンド全体を映す必要があることから、グラウンドから物理的に離れたところで撮るものだが、この物理的な距離によって、グラウンドにいるチームのみんなとの精神的な距離を感じるようになった。換言すれば、チームの一員であるという気持ちを感じることができなくなってしまった。さらに、ビデオというのはスタッフの仕事の中では、ジェネラルに分類される、専門性の高くない仕事である。試合中はビデオ以外にもたくさんの仕事があり、その中にはメディカルなど専門性が高く特定のスタッフしかできない仕事もある。スタッフの人員が限られている以上、ビデオの優先順位は低く、引き寄り以外のビデオ(全体を俯瞰する「引き」、個々のプレーに着目する「寄り」)は、プレーヤーが撮ることも多かった。また、スタッフ内で、ビデオはプレーヤーに撮ってもらい、別のところにスタッフを配置する方がいいのではないかという話になったこともあった。それはスタッフの人数が有限であることから生じる“仕方のないこと”であり、それを私も理解しているつもりだったが、やっと自分が部に貢献できていると思える仕事を見つけたのに、それはプレーヤーでもできるような、あるいはプレーヤーがやったほうがいいような優先順位の低い仕事なのであって、やはり自分はスタッフとして存在価値がないのだと思うようになった。ビデオはプレーヤーがやればいいという話のときは、私がやっていることは無価値だと言われているように感じた。それでも私はメディカルセクションに所属していないし、試合中は他に何か専門性の高い仕事ができるわけでもないため、基本的にビデオを撮ることが続いた。その結果ビデオは上手くなったが、疎外感や劣等感も増大していった。
3年生。
スタッフの先輩方が卒部され、自分たちはスタッフの最高学年となった。それにより、2年生の終わりからはマネジメントの仕事が増えるようになった。マネジメントの仕事では、OB財務やOB名簿の仕事を中心に行っており、その他に会報会計の仕事やスコア管理・会報掲載スコア作成なども行っていた。これらの仕事については、練習中に行うような種類のものではなかったため、基本的に家で部活外の時間で行っていたが、それにより、私はなんの仕事をしているのかよくわからない人になった。当然、なんの仕事をしているかもあまり伝わらない以上、特に評価されることもなく、時には本当に仕事をしているのかという疑念をぶつけられることもあった。自分で選択したセクションの仕事にこそもっとやりがいを感じられなければならないと思う一方、マネジメント系の仕事はコツコツ積み重ねて円滑に部活が運営できることに意味があるのであり、うまくいっていればいっているほど外部に仕事の様子は伝わりづらいため、そこに自分の価値を見出すのは難しいとも感じていた。私はマネジメントの仕事を嫌いだと思ったことはないが、他の同期スタッフと自分を比較しては劣等感を感じるということを繰り返した。このような精神状態であったことで、体調も崩しがちになり、私生活では勉強もすることができなくなり、まさに“どん底”と呼ぶにふさわしい状態だった。22年間の人生でこれほどすべてがうまく行かなかったことは後にも先にもなかった。
4年生。
4年生になってやっと、他人と自分を比べることの無意味さに気づいた。私は私のやるべきことをやっているのだし、ビデオだってやってきたからこそ上達もしたのだと前向きに捉えられるようになった。また、ビデオに関しては、試合中継に対するコメントで評価していただいたり、部内でも見やすいと言ってくれる人たちの意見に耳を傾けられるようになった。いかに自分が卑屈だったかを実感し、反省し、改めて残りの1年間はやれることを全力でやろうと決意した。やるべきことをやることで、少しは部に貢献できるはずだと思えるようになって、どん底からは脱出することができた。櫓の上からビデオを撮っていても、自分がチームの一員ではないと疎外感を感じることもなくなり、やっとグラウンドにいるみんなと同じ気持ちでいられるようになった。チームとしてやりたいラグビーができて試合に勝ったら感動し、やりたいことができずに負ければ悔し涙が溢れた。
ここまで4年間を振り返ってきて、楽しいこともつらいこともたくさんあったが、もし私がもう一度大学入学時に戻れるとしても、また必ずラグビー部に入ると思う。ラグビー部に入るという私の選択は、決して間違っていなかったし、この部活に入って、先輩や後輩、そして同期に出会えて、本当によかったと心から思う。
私はマネジメントの仕事や会報の仕事などを通じて、たくさんのOB・OGの皆様と関わらせていただきました。未熟故にご迷惑をおかけすることも多々ありましたが、皆様のお力添えで、無事に役目を果たすことができました。本当にありがとうございました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。
また、大学に入ったら勉強すると言っていたにも関わらず運動部に入った私をずっと応援してくれた両親にも改めて感謝したいです。朝早くまた夜遅くに送り迎えをしてくれたり、試合の応援をリアルタイムでしてくれたり、両親の協力や励ましがなければ4年間部活を続けることはできなかったと思います。本当にありがとうございました。
そして、後輩のみんなへ。
私はそんなに優秀な先輩ではなく、スタッフをはじめ、みんなにたくさん迷惑をかけたと思います。それでもついてきてくれて、一緒に部活をしてくれて、本当にありがとうございました。私は、この4年間を通して、コミュニケーションをとることがとても大事だということを学びました。ラグビーというスポーツ自体も、部活を運営するにあたっても、コミュニケーションは欠かせません。同じタイミングでラグビー部にいる仲間たちと、たくさんコミュニケーションをとって、お互いの考えを伝えあって支え合ってほしいと思います。コミュニケーションを円滑にするには、相手と自分はあくまで違う人間なんだということを理解して、柔軟な思考をすると良いのではないかなと思います。また、変えられるのは自分だけです。考えをすべて変える必要はもちろんありませんが、物事の捉え方を少し変えるだけで、見えてくるものがたくさんあると思います。もし何かうまくいかないことがあったら、視点を少しだけ変えてみるといいかもしれません。これからみんながもっと東大ラグビー部を良くしていってくれるのを楽しみにしています。
最後に同期へ。
私たちの学年は人数も多く、意見の方向性が合わなかったり、衝突したりもしたけど、いろんな人がいて毎日面白かったし、たくさんの思い出を作ることができました。みんなと出会えたことは私にとって一生の財産です。本当にこの学年でよかった。協調性に欠ける私を受け入れてくれてありがとう。
長文となりましたが、最後までお読み下さり、ありがとうございました。
次は、玉代勢にバトンを回します。
玉代勢は、その穏やかで優しい性格から、みんなに好かれている人気者で、誰とでも仲良くできる、私たちの学年に欠かせない存在です。また、ラグビーにおいても、1年生からスイカを着て4年間チームを引っ張り続けてくれました。パスフェイクがうますぎて、ビデオを撮っている私も騙されかけたことがあります。
羅針盤
投稿日時:2022/12/08(木) 17:22
ごたつからバトンをもらいました、スタッフの河野です。練習後に「テーピングのおかげで捻挫しなかったわー」と言われた時には役立っていることが実感できてとても嬉しかった記憶があります。
ごたつは院試は受けていなかったようですが、なぜか来年も一緒に大学で勉強できるみたいです。頑張りましょう。
「テセウスの船」というパラドックスがある。物事を構成するパーツが全て入れ替わったとしても、入れ替わる前と後で同一のものと言えるのかどうかというアイデンティティを問う問題だ。これは以下のギリシャ神話を由来としてプルタルコスが投げかけたものだ。
テセウスがクレタ島(嘘つきばかりだと有名の)から帰還した船は長い間保管されていたが、老朽化に伴って少しずつ新しい部品に入れ替わっていった。その結果、元のテセウスの船の部品は一つもなくなり、全てが新しい部品になっていた。船の形や機能は元のテセウスの船と変わらないが構成する部品は全く異なってしまった。
部活をこのような視点で見てみるとどうだろうか。今の東大ラグビー部と私たちが卒部してからの東大ラグビー部は同じものと言えるのだろうか。外から見たら変わらず「東大ラグビー部」であるけれど、私たちはいないしまだ見ぬ新入生が仲間入りしてメンバーは変わる。そうやって少しずつメンバーが変わりながら100年余りの歴史を紡いできた。
「テセウスの船」の問題はさまざまな観点から議論がなされてきた。
アリストテレスは全ての事物は四原因で説明できると考えた。何でできているかという「質量因」、どんな形をしているかという「形相因」、誰がどのように作ったかという「動力因」、何のために存在するのかという「目的因」だ。
その中でも「テセウスの船」に対しては形相因が重要であるとしたそうだ。
東大ラグビー部においていえば、人々からどう見られるかということになるだろう。確かに代が変わっても同じ東大ラグビー部として認識されるし、登録するチーム名を変えるわけでもない。しかし、東大ラグビー部が存在するということは部員がいるということが必要不可欠であると思う。私たちの代は4年間部活を続けたのは24名だが、途中で辞めてしまった人も数人いる。4年間部活動を続けることは全くもって楽なことじゃないし、だからこそこれまで東大ラグビー部が存続してきて今も在る事は先代のOB・OGの方々の努力と継続の賜物であると思う。そして、これからも東大ラグビー部を続けていくためには今いる部員のみんなが辞めずに続けることが必要なのだ。
「目的因」で部活に関して考えてみる。何のために東大ラグビー部が在るのかということだ。つまり何をもって東大ラグビー部とするかということに終結するだろう。その答えは私たちが1年生の時にチムビのメンバーを中心に全員で考えた東大ラグビー部の理念にあると思う。HPのこのページ(http://www.turfc.com/recruit/mission/)にまとまっているので、1年生など見たことがない人がいればぜひ見てほしい。なぜ東大に入ってまでラグビーをするのか、なぜラグビー部でスタッフとして働くのか、きっかけがなければ考えることもなく無為に部活動の時間を過ごしてしまいがちである。この理念は部活全体のものであるので、個人レベルに落とし込んで自分の中で東大ラグビー部に所属して目指す目的を見つけることが大切になると思う。4年間は意外と長い。楽しいことばかりではなく、部活を続けることが辛くなったり自分の部内での存在意義がわからなくなったりすることもあると思う。その時に自分の中で考えた目的を思い返すことができれば、もう少し頑張ろうと思えるはずだ。
東大ラグビー部に所属している限り、全員が同じ船に乗って同じところを目指すことになる。代によって目指す場所は違うと思うが、全員が同じ方向を見ていなければ、目指す場所が遠ければ遠いほどそのゴールには到達できないのだと思う。全員が同じ方向を見るということが一番難しいということをこの1年で痛感したのだが。
私たちが卒部した後の東大ラグビー部は変わらず東大ラグビー部だけれども、変えるべきところは大いに変えて新しい東大ラグビー部にしていって欲しい。
今年、私は本当に入れ替え戦にいけると信じていた。結果4年ぶり3位という悪くない結果を残したけれども、元々掲げていた目標は叶わなかった。何が足りなかったのか、何が悪かったのか、どうしたらよかったのか。多分足りなかった要素は一つではないのだと思う。
目に見えて改善すべき点だけでなく当然だと思っていることでも、目指すゴールに辿り着くために本当にそのままでいいのかと疑ってかかって欲しい。そしてそれを全員で話し合って伝え合ってベストな解決方法を探し出して欲しい。
今まで見てきた先輩と同様に夢を託す側になってしまったことがとても悔しいが、その分心から新しい東大ラグビー部を応援しています。
最後に感謝の言葉を。
まず家族のみんな。せっかく大学生になって新しいことを始められるタイミングだったのに、我が子が主役にはなり得ない活動をすることに関して、複雑な気持ちを持っていたと思います。私の選択を尊重し、見守ってくれたことに本当に感謝しています。ありがとう。
先輩、後輩の皆さん。皆さんからはとても多くのことを学ばせてもらい、皆さんのおかげで楽しい4年間を過ごすことができました。特にスタッフの先輩には引退を間近に控えた今でも追いつくことができなかったなと感じています。偉大な先輩方でした。本当にありがとうございます。
スタッフの後輩のみんな。来年から人数も減ってとても大変だと思います。ただ、私はみんななら乗り越えられると思うし、乗り越える過程で得られるものは大きいと思います。悩んだりお互いにぶつかり合ったりすることもあると思いますが、力を合わせて悔いのないように頑張ってください。ご飯行くのはいつでも大歓迎なので、声かけてね。バイトしてお金貯めときます。
同期のみんな。人数も多くてまとまりはなかったのかもしれないけど、私はこの代でよかったなと思います。こんな私を受け入れてくれてありがとう。特にスタッフはそれぞれ一人一人からとても刺激をもらい、成長させてもらいました。出会えてよかったです。
最後になりましたが、OB・OGの皆様、日頃から多大なる支援、ご声援をいただきありがとうございました。
東大に入って知らない世界をたくさん見ました。刺激を受け続けた4年間でした。その4年間にはずっと部活がありました。しんどい時でも周りで支えてくれた多くの人がいたからこそ、4年間部活を続けることができました。本当にありがとうございました。ラグビー部に入ってよかったです。
次は鵜飼にバトンを渡します。
鵜飼との思い出はたくさんありますが、1番は2年前のお正月にお家にお邪魔したことでしょうか。弟の受験で帰省できずにしょんぼりしていた私には、鵜飼家の温もりが心に沁みました。鵜飼も院進するので、社会人として忙殺されるであろう他の女子4人に比べたらあまり気を遣わずに遊びに誘えますね。覚悟しておいてください。
ごたつは院試は受けていなかったようですが、なぜか来年も一緒に大学で勉強できるみたいです。頑張りましょう。
「テセウスの船」というパラドックスがある。物事を構成するパーツが全て入れ替わったとしても、入れ替わる前と後で同一のものと言えるのかどうかというアイデンティティを問う問題だ。これは以下のギリシャ神話を由来としてプルタルコスが投げかけたものだ。
テセウスがクレタ島(嘘つきばかりだと有名の)から帰還した船は長い間保管されていたが、老朽化に伴って少しずつ新しい部品に入れ替わっていった。その結果、元のテセウスの船の部品は一つもなくなり、全てが新しい部品になっていた。船の形や機能は元のテセウスの船と変わらないが構成する部品は全く異なってしまった。
部活をこのような視点で見てみるとどうだろうか。今の東大ラグビー部と私たちが卒部してからの東大ラグビー部は同じものと言えるのだろうか。外から見たら変わらず「東大ラグビー部」であるけれど、私たちはいないしまだ見ぬ新入生が仲間入りしてメンバーは変わる。そうやって少しずつメンバーが変わりながら100年余りの歴史を紡いできた。
「テセウスの船」の問題はさまざまな観点から議論がなされてきた。
アリストテレスは全ての事物は四原因で説明できると考えた。何でできているかという「質量因」、どんな形をしているかという「形相因」、誰がどのように作ったかという「動力因」、何のために存在するのかという「目的因」だ。
その中でも「テセウスの船」に対しては形相因が重要であるとしたそうだ。
東大ラグビー部においていえば、人々からどう見られるかということになるだろう。確かに代が変わっても同じ東大ラグビー部として認識されるし、登録するチーム名を変えるわけでもない。しかし、東大ラグビー部が存在するということは部員がいるということが必要不可欠であると思う。私たちの代は4年間部活を続けたのは24名だが、途中で辞めてしまった人も数人いる。4年間部活動を続けることは全くもって楽なことじゃないし、だからこそこれまで東大ラグビー部が存続してきて今も在る事は先代のOB・OGの方々の努力と継続の賜物であると思う。そして、これからも東大ラグビー部を続けていくためには今いる部員のみんなが辞めずに続けることが必要なのだ。
「目的因」で部活に関して考えてみる。何のために東大ラグビー部が在るのかということだ。つまり何をもって東大ラグビー部とするかということに終結するだろう。その答えは私たちが1年生の時にチムビのメンバーを中心に全員で考えた東大ラグビー部の理念にあると思う。HPのこのページ(http://www.turfc.com/recruit/mission/)にまとまっているので、1年生など見たことがない人がいればぜひ見てほしい。なぜ東大に入ってまでラグビーをするのか、なぜラグビー部でスタッフとして働くのか、きっかけがなければ考えることもなく無為に部活動の時間を過ごしてしまいがちである。この理念は部活全体のものであるので、個人レベルに落とし込んで自分の中で東大ラグビー部に所属して目指す目的を見つけることが大切になると思う。4年間は意外と長い。楽しいことばかりではなく、部活を続けることが辛くなったり自分の部内での存在意義がわからなくなったりすることもあると思う。その時に自分の中で考えた目的を思い返すことができれば、もう少し頑張ろうと思えるはずだ。
東大ラグビー部に所属している限り、全員が同じ船に乗って同じところを目指すことになる。代によって目指す場所は違うと思うが、全員が同じ方向を見ていなければ、目指す場所が遠ければ遠いほどそのゴールには到達できないのだと思う。全員が同じ方向を見るということが一番難しいということをこの1年で痛感したのだが。
私たちが卒部した後の東大ラグビー部は変わらず東大ラグビー部だけれども、変えるべきところは大いに変えて新しい東大ラグビー部にしていって欲しい。
今年、私は本当に入れ替え戦にいけると信じていた。結果4年ぶり3位という悪くない結果を残したけれども、元々掲げていた目標は叶わなかった。何が足りなかったのか、何が悪かったのか、どうしたらよかったのか。多分足りなかった要素は一つではないのだと思う。
目に見えて改善すべき点だけでなく当然だと思っていることでも、目指すゴールに辿り着くために本当にそのままでいいのかと疑ってかかって欲しい。そしてそれを全員で話し合って伝え合ってベストな解決方法を探し出して欲しい。
今まで見てきた先輩と同様に夢を託す側になってしまったことがとても悔しいが、その分心から新しい東大ラグビー部を応援しています。
最後に感謝の言葉を。
まず家族のみんな。せっかく大学生になって新しいことを始められるタイミングだったのに、我が子が主役にはなり得ない活動をすることに関して、複雑な気持ちを持っていたと思います。私の選択を尊重し、見守ってくれたことに本当に感謝しています。ありがとう。
先輩、後輩の皆さん。皆さんからはとても多くのことを学ばせてもらい、皆さんのおかげで楽しい4年間を過ごすことができました。特にスタッフの先輩には引退を間近に控えた今でも追いつくことができなかったなと感じています。偉大な先輩方でした。本当にありがとうございます。
スタッフの後輩のみんな。来年から人数も減ってとても大変だと思います。ただ、私はみんななら乗り越えられると思うし、乗り越える過程で得られるものは大きいと思います。悩んだりお互いにぶつかり合ったりすることもあると思いますが、力を合わせて悔いのないように頑張ってください。ご飯行くのはいつでも大歓迎なので、声かけてね。バイトしてお金貯めときます。
同期のみんな。人数も多くてまとまりはなかったのかもしれないけど、私はこの代でよかったなと思います。こんな私を受け入れてくれてありがとう。特にスタッフはそれぞれ一人一人からとても刺激をもらい、成長させてもらいました。出会えてよかったです。
最後になりましたが、OB・OGの皆様、日頃から多大なる支援、ご声援をいただきありがとうございました。
東大に入って知らない世界をたくさん見ました。刺激を受け続けた4年間でした。その4年間にはずっと部活がありました。しんどい時でも周りで支えてくれた多くの人がいたからこそ、4年間部活を続けることができました。本当にありがとうございました。ラグビー部に入ってよかったです。
次は鵜飼にバトンを渡します。
鵜飼との思い出はたくさんありますが、1番は2年前のお正月にお家にお邪魔したことでしょうか。弟の受験で帰省できずにしょんぼりしていた私には、鵜飼家の温もりが心に沁みました。鵜飼も院進するので、社会人として忙殺されるであろう他の女子4人に比べたらあまり気を遣わずに遊びに誘えますね。覚悟しておいてください。
過信すること
投稿日時:2022/12/07(水) 19:01
財木からバトンを受け取りました四年の後藤です。財木には本当にお世話になりました。浪人期からずっと一緒で、ラグビー部に入部する背中を押してくれたのも彼です。財木は私のことをドライと言いますが、私は仲良しだと思っています。悩みがあればいつでも相談してください。
最後の日記を書くにあたって、自分がラグビーを始めてから今までの歴史を書こうと思っていたのですが、つまらない話はやめてくださいと可愛い後輩前川くんに釘を刺されたため超簡単に箇条書きで説明して本題に入ります。
2015年 ラグビーW杯のJAPAN VS南アフリカを見て心震える。
2017年 高校の相撲大会で柔道部のでかいやつに勝つ。コンタクトの才能感じる。
2018年 浪人の下宿先で仲良くなった人が太田高校のめっちゃ強いNO.8でラグビーに憧れる。
2019年 東大合格。ラグビーかアメフトで迷うが、東大ラグビー部にはお前みたいな熱い奴が必要だ」と当時の現役の先輩に言われて、ラグビー部に入る。京大戦でスイカを着ることができた。
2020年 せっかくAチームに入れたのに、コロナのせいで何もできない。試合にも少ししか出られなかった
2021年 杉浦元キャプテンの鶴の一声でフロント転向。才能発揮。対抗戦全試合出場。
2022年 対抗戦B全勝を掲げて、やる気MAX。就活やめ、ラグビー専念。
大雑把に説明すると私のラグビー人生はこんな感じでした。次に本題に入りたいと思います。
皆さんはノミの実験についてご存知ですか?昆虫のノミは体長2ミリ程度ですが、実は30cmも跳ぶことができます。高さ20センチほどの瓶にノミを大量に入れると、ノミたちは当然のように、その瓶からはみ出すジャンプを繰り返します。しかし、瓶にフタをしてしばらく置いておくと、フタの存在があることにより、ノミたちは次第にフタのところまでしかジャンプをしなくなります。そして驚くべきことに、フタを外してみても、どのノミもフタの高さまでしかジャンプをしなくなり、瓶をはみ出してジャンプするノミはいなくなってしまうのだそうです。
さらに恐ろしいのは、瓶の筒の部分を外してみると、ノミの集団はまるでそこに瓶があるかのように、瓶の形に沿うような高さでジャンプし続けるのです。もうそこに瓶やフタは存在していないのに、「見えない枠」があるという思い込みによって、ノミたちは本来の力を失ってしまうのです。(Diamond Onlineより引用)
私はこの実験について、高校の恩師から聞いた時ハッとしました。賢い人は自分の実力を客観視できるから、できることしかやらなくなるそうです。当然少し賢い私は、例によって自分の実力を見極めて、やることを決めたり範囲を限定したりしていました。自分の限界を決めるのは自分自身とはこのことです。それから私は、自分のことは過信するように心がけました。東大なんて程遠い成績を取っていましたが、志望校は東大しかありえないと豪語していました。現役ではダメで、なんとか浪人して受かりました。
過信は愚かだと言う人がいるかもしれませんがそんなやつには言わせておけばいいんです。限界を決めてやりたいことができない方がもったいないです。自分の人生は自分で決めればいいし、自己肯定感なんて高ければ高いほどいいんです。世界にたった1人の自分自身を肯定してあげられないなんて、もったいないと思いませんか?少し話がそれてきたので、ラグビーの話に戻ります。
私はラグビー部に未経験で入部して、最初に一年生でスイカを着るという目標を掲げました。二年生では対抗戦Bで一番強いFWになると決めました。四年生では、チーム目標は、入替戦出場ではなく全勝入替戦がいいと啖呵を切りました。目標は常に高く、たとえ実現可能性がとても低いとしても、目指す価値のある、目指したいと思える、そのためなら頑張れる目標を立ててきました。残り定期戦2試合を残した今になっても、ラグビーはもっと上手くなりたいし、強くなりたいし、FWでもキックで活躍したいと思っています。四年間を振り返って、自分を誇れることは向上心を忘れなかったことです。現役のみんなに言えることは、限界なんてクソ喰らえだということです。はしたない言葉申し訳ありません。
こんな生意気なことを言いましたが、1人ではこれまで何もできませんでした。
東大ラグビー部を指導応援してくださった方々、家族のおかげで今までやってこられました。本当にありがとうございました。
次にスタッフのかわはるにバトンを渡します。かわはるは最後の一年間ほぼ毎日テーピングを巻いてもらいました。足首を怪我せずに、練習を続けられたのはかわはるのおかげです。ありがとう。
あと、院試絶対落ちる~~って言っていたのに無事合格してすごいです。同じ農学部として勉強頑張りましょう。
最後の日記を書くにあたって、自分がラグビーを始めてから今までの歴史を書こうと思っていたのですが、つまらない話はやめてくださいと可愛い後輩前川くんに釘を刺されたため超簡単に箇条書きで説明して本題に入ります。
2015年 ラグビーW杯のJAPAN VS南アフリカを見て心震える。
2017年 高校の相撲大会で柔道部のでかいやつに勝つ。コンタクトの才能感じる。
2018年 浪人の下宿先で仲良くなった人が太田高校のめっちゃ強いNO.8でラグビーに憧れる。
2019年 東大合格。ラグビーかアメフトで迷うが、東大ラグビー部にはお前みたいな熱い奴が必要だ」と当時の現役の先輩に言われて、ラグビー部に入る。京大戦でスイカを着ることができた。
2020年 せっかくAチームに入れたのに、コロナのせいで何もできない。試合にも少ししか出られなかった
2021年 杉浦元キャプテンの鶴の一声でフロント転向。才能発揮。対抗戦全試合出場。
2022年 対抗戦B全勝を掲げて、やる気MAX。就活やめ、ラグビー専念。
大雑把に説明すると私のラグビー人生はこんな感じでした。次に本題に入りたいと思います。
皆さんはノミの実験についてご存知ですか?昆虫のノミは体長2ミリ程度ですが、実は30cmも跳ぶことができます。高さ20センチほどの瓶にノミを大量に入れると、ノミたちは当然のように、その瓶からはみ出すジャンプを繰り返します。しかし、瓶にフタをしてしばらく置いておくと、フタの存在があることにより、ノミたちは次第にフタのところまでしかジャンプをしなくなります。そして驚くべきことに、フタを外してみても、どのノミもフタの高さまでしかジャンプをしなくなり、瓶をはみ出してジャンプするノミはいなくなってしまうのだそうです。
さらに恐ろしいのは、瓶の筒の部分を外してみると、ノミの集団はまるでそこに瓶があるかのように、瓶の形に沿うような高さでジャンプし続けるのです。もうそこに瓶やフタは存在していないのに、「見えない枠」があるという思い込みによって、ノミたちは本来の力を失ってしまうのです。(Diamond Onlineより引用)
私はこの実験について、高校の恩師から聞いた時ハッとしました。賢い人は自分の実力を客観視できるから、できることしかやらなくなるそうです。当然少し賢い私は、例によって自分の実力を見極めて、やることを決めたり範囲を限定したりしていました。自分の限界を決めるのは自分自身とはこのことです。それから私は、自分のことは過信するように心がけました。東大なんて程遠い成績を取っていましたが、志望校は東大しかありえないと豪語していました。現役ではダメで、なんとか浪人して受かりました。
過信は愚かだと言う人がいるかもしれませんがそんなやつには言わせておけばいいんです。限界を決めてやりたいことができない方がもったいないです。自分の人生は自分で決めればいいし、自己肯定感なんて高ければ高いほどいいんです。世界にたった1人の自分自身を肯定してあげられないなんて、もったいないと思いませんか?少し話がそれてきたので、ラグビーの話に戻ります。
私はラグビー部に未経験で入部して、最初に一年生でスイカを着るという目標を掲げました。二年生では対抗戦Bで一番強いFWになると決めました。四年生では、チーム目標は、入替戦出場ではなく全勝入替戦がいいと啖呵を切りました。目標は常に高く、たとえ実現可能性がとても低いとしても、目指す価値のある、目指したいと思える、そのためなら頑張れる目標を立ててきました。残り定期戦2試合を残した今になっても、ラグビーはもっと上手くなりたいし、強くなりたいし、FWでもキックで活躍したいと思っています。四年間を振り返って、自分を誇れることは向上心を忘れなかったことです。現役のみんなに言えることは、限界なんてクソ喰らえだということです。はしたない言葉申し訳ありません。
こんな生意気なことを言いましたが、1人ではこれまで何もできませんでした。
東大ラグビー部を指導応援してくださった方々、家族のおかげで今までやってこられました。本当にありがとうございました。
次にスタッフのかわはるにバトンを渡します。かわはるは最後の一年間ほぼ毎日テーピングを巻いてもらいました。足首を怪我せずに、練習を続けられたのはかわはるのおかげです。ありがとう。
あと、院試絶対落ちる~~って言っていたのに無事合格してすごいです。同じ農学部として勉強頑張りましょう。
ピンチとチャンスは漢の花道
投稿日時:2022/12/06(火) 19:18
“漢”の代名詞でもある笹俣からバトンを貰いました、財木です。
ささは日記からも分かるくらい熱くてカッコいい漢です。
ささからスクラムの組み方、難しさ、面白さ、全部教えてもらったと思う。
スクラムの最前列でいつも身体を張ってくれてありがとう。
滅茶苦茶かっこよくて頼もしい。
去年の立教戦後、大西さんと杉浦さんに呼び出されFWの転向を伝えられたときから、今日まで丸一年近く経っている。
FW転向した当初は毎日が全部新鮮だった。
今まで指をくわえて見ているしかなかったモールディフェンスに参加できた喜びもあったし、スクラムやラインアウトでトライを取れた時の喜びは今までの何倍もあった。
フロントのカッコよさに痺れたし、少しでも力になりたいと今でも思ってる。
そんなFWとして迎える最後一年が始まるとき、「突破口」というスローガンを自分の中で掲げた。
自分のチーム内での立ち位置を考えたときに、自分からアタックで盛り上げたい、
相手のディフェンスを自分から崩したい、突破口を開きたい。
そういう想いでこのスローガンを掲げた。
春先の頃はわりと上手く行っていたように思う。
BBCとかCCとか辛い練習に比べて試合は楽しかったし、自分も活躍できてうれしかった。
主将副将が不在でも勝ててたことが自分の自信にもつながった。
自分の役割を、完璧ではないものの果たせてる実感があった。
ただ夏以降自分の中でどうしたら上手く行くのかがずっとわからない。
対抗戦中もずっと悩んでいた。
どうして上手く行かないのかわからないし、どうして上手く行っていたのかもわからなかった。
最近廣瀬とそういう話にもなったけど、上手く行ってる時は上手く行ってることに無自覚だし、思い返しても要因がよくわからない。
自分のジャーナリングと試合を見返して、次はこういう目標で試合に臨もうと自分なりに試行錯誤をしたと思う。
でも結局対抗戦7戦で自分の満足のいく試合はなかった。
がむしゃらにやればやるほど空回っていくのが空しかった。
自分自身の置かれてる状況すら突破できていない。
ムラのある選手で、首脳陣も使いづらかっただろうなとは正直思う。
23歳にもなって、こんなにも自分のプレーを反省したりするとは思わなかった。
最後のリレー日記だから華々しい4年間を振り返りたかったけど鬱屈とした文章になっちゃいました。
それでもこの4年間は嘘偽りなく楽しかったです。
できることも少しは増えたし、今まで話すこともなかったような考えの人と喋ったり。
何人かは減っちゃったけど、一番人数の多い学年で楽しかった。
多分ラグビー以外でもこういった悩みができていくんだろうなと思いつつも、そのときもまた周りの手を借りながら解決出来たらなと。
次はごたつにバトンを渡します。
浪人期からの付き合いで、いい意味でドライで淡々としているごたつには色々と相談したと思います。
いつも汗で濡れてるくせに、水に濡れることが世界一嫌いとか、
「アホじゃん」に「天才だから」と返すのは治した方がいいと思う。
ささは日記からも分かるくらい熱くてカッコいい漢です。
ささからスクラムの組み方、難しさ、面白さ、全部教えてもらったと思う。
スクラムの最前列でいつも身体を張ってくれてありがとう。
滅茶苦茶かっこよくて頼もしい。
去年の立教戦後、大西さんと杉浦さんに呼び出されFWの転向を伝えられたときから、今日まで丸一年近く経っている。
FW転向した当初は毎日が全部新鮮だった。
今まで指をくわえて見ているしかなかったモールディフェンスに参加できた喜びもあったし、スクラムやラインアウトでトライを取れた時の喜びは今までの何倍もあった。
フロントのカッコよさに痺れたし、少しでも力になりたいと今でも思ってる。
そんなFWとして迎える最後一年が始まるとき、「突破口」というスローガンを自分の中で掲げた。
自分のチーム内での立ち位置を考えたときに、自分からアタックで盛り上げたい、
相手のディフェンスを自分から崩したい、突破口を開きたい。
そういう想いでこのスローガンを掲げた。
春先の頃はわりと上手く行っていたように思う。
BBCとかCCとか辛い練習に比べて試合は楽しかったし、自分も活躍できてうれしかった。
主将副将が不在でも勝ててたことが自分の自信にもつながった。
自分の役割を、完璧ではないものの果たせてる実感があった。
ただ夏以降自分の中でどうしたら上手く行くのかがずっとわからない。
対抗戦中もずっと悩んでいた。
どうして上手く行かないのかわからないし、どうして上手く行っていたのかもわからなかった。
最近廣瀬とそういう話にもなったけど、上手く行ってる時は上手く行ってることに無自覚だし、思い返しても要因がよくわからない。
自分のジャーナリングと試合を見返して、次はこういう目標で試合に臨もうと自分なりに試行錯誤をしたと思う。
でも結局対抗戦7戦で自分の満足のいく試合はなかった。
がむしゃらにやればやるほど空回っていくのが空しかった。
自分自身の置かれてる状況すら突破できていない。
ムラのある選手で、首脳陣も使いづらかっただろうなとは正直思う。
23歳にもなって、こんなにも自分のプレーを反省したりするとは思わなかった。
最後のリレー日記だから華々しい4年間を振り返りたかったけど鬱屈とした文章になっちゃいました。
それでもこの4年間は嘘偽りなく楽しかったです。
できることも少しは増えたし、今まで話すこともなかったような考えの人と喋ったり。
何人かは減っちゃったけど、一番人数の多い学年で楽しかった。
多分ラグビー以外でもこういった悩みができていくんだろうなと思いつつも、そのときもまた周りの手を借りながら解決出来たらなと。
次はごたつにバトンを渡します。
浪人期からの付き合いで、いい意味でドライで淡々としているごたつには色々と相談したと思います。
いつも汗で濡れてるくせに、水に濡れることが世界一嫌いとか、
「アホじゃん」に「天才だから」と返すのは治した方がいいと思う。
ぶのぶぶん
投稿日時:2022/12/05(月) 16:16
河内から日記を引き継ぎました、4年PRの笹俣です。彼とはこうして紹介をし合うのが思わず照れ臭いと感じてしまうほどの仲で、4年間で最も多くの時間を共に過ごしました。お互い元々寡黙なタイプなので、ここでは普段はなかなか言えないようなことを言わせてもらいます。ありきたりなことばではありますが、今まで本当にありがとう。そして、これからもよろしく。
「なぜ東大ラグビー部にいるのか」
そもそも、高校時に東大を目指した理由は東大アメフト部(War
1年の浪人を経て、無事東大に合格した。高3で10キロ増やし、
しかし、入部して早々、病んでしまった。東大生に多いいわゆる五
しかし、文武両道を体現したいという夢はまだ消えていなかった。
「東大ラグビー部で何を学んだのか」
未経験で、しかも途中入部。経験者との実力の差に焦りを感じつつ
しかし、2年生の前半はコロナ禍真っ只中で部活も自粛期間だった
3年生になって、またしても思いがけず、3番PRが自分1人しか
ラストイヤーはフロントパートリーダーをやらせていただき、至ら
初めの話に戻るが、文武両道を成し遂げられたかどうか(ここでは
ただ一つ確かなのは、病んでいなかったら僕はおそらく東大ラグビ
書きたいことを書こうと詰め込んだら冗長なリレー日記になってし
同期。思い出すと恥ずかしくなるほどイキっていた途中入部の俺を
家族。部活が忙しいことを理由に家の手伝いをサボるなど、多くの
多種多様な先輩・後輩とは濃い時間を過ごせました。
次はラストイヤーでFWに転向した財木に日記を引き継ぎます。僕
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