ラグビー部リレー日記 2024/9

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先生

 written by 佐々木 凜 投稿日時:2024/09/16(月) 15:59

同期の塩谷からバトンを受け取りました、4年スタッフの佐々木です。夏合宿では、慶應との合同練習後の午後オフに自主的にフィッツで追い込むなど塩谷のプレーや態度から4年としての自覚や責任、気迫を感じ、非常に頼もしく思っていました。早く怪我を治して対抗戦の舞台で暴れてくれるのを待っています。4年間で私の新しい面を知ったそうですが、まだまだ氷山の一角にすぎないので今後とも仲良くしましょう。

ついに9月に突入し、対抗戦も2戦が終わりました。このシーズンで結果を出すために過ごしてきた4年間を証明できるように責任と覚悟を持って、自分にできることを出し切りたいと思います。

突然ですが、高校時代大好きだった生物の先生の話をしたいと思います。若いイケメンの先生のリアコだったとかではなく、45歳くらいの小太りのおじさんです。私は文系だったのでその先生と実際に関わったのは1年間だけでしたが、たった一年でその先生は私の人生にとても大きなインパクトを残してきました。

その先生は、教科書も参考書も一切使わず、事前に公開している自分の授業の録画映像と手作りのレジュメ的なものをみてわからないことを授業中に質問しろ、というとても特殊な授業スタイルをとっていました。どの質問に対しても、先生はただ知識を回答するのではなく、なんでそうなると思う?と生徒に考えさせて、生物基礎にしては深すぎる本質的な話をしました。また、授業時間の半分くらいは大体先生の雑談で、自分の人生の挫折や教訓、自分が今までに教えてきた生徒たちの面白い話を無限にしていました。丸々1時間、先生の雑談だけで授業が終わった時も何回かありました。先生の話が上手だったこともありますが、先生が見てきた生徒一人一人の人間ドラマがめちゃくちゃ面白く、私は毎回ずっと雑談してくれないかなあと思っていました。あまりに受験対策向けではないので、当然中には反発し、勝手に自習している生徒もいましたが、私には先生の常識にとらわれない自由な感じが刺さりました。授業時間に間に合わないのが日常茶飯事で、帰るのがめんどくさいからと理科室にベッドを持ち込み、そこで寝泊まりしながら毎日カップ麺を食べて生活するなど、ぶっ飛んでいてめちゃくちゃ適当な感じなのに、生物の知識は誰よりも深く、過去に文部科学大臣優秀教員の表彰も受けるほど能力は高いというのも、カリスマ性が高くてかっこよかったです。私は生物の授業で先生と話したいがために、席替えでわざわざ教卓の正面の席を希望し、授業中は毎回先生の真ん前で、終始先生を凝視して話を聞いている、自他ともに認めるガチファンでした。

1年の最後の生物の授業の時に、先生は東日本大震災のドキュメンタリーを教室で流してみんなで鑑賞した後に、自分が当時経験したことを話しました。先生が勤めていた学校は避難所になり、避難者が増えすぎて食料や衣類などの物品が不足したため、隣の地域から物品を分けてもらおうとしたらそこは行政の管轄が違うから、と断られたこと。消息不明の家族を探して訪れた人に、それは個人情報だからと言って避難者の名簿を見せることが禁じられたこと。避難してきた原子力発電所の職員に「まだ世の中には報道されていないが近いうちに1号機以外の原発も爆発すると言われているから、先生たちだけでも私たちを置いて逃げてくれ。ここまで私たちのために避難所を運営してくれてありがとう。」と告げられたこと。先生はそれまで受験に特化し難関大学合格者を多数輩出することを目標に努力してきたのが、この震災をきっかけに、ルールに縛られ緊急時に柔軟な対応ができない行政や政府の無力さを痛感し、受験のための知識なんていざという時には何の役にも立たないと気づいたそうです。それ以降、先生は指導方針を大きく変え、本当に困った時に自分でそれを乗り越えて強く生きていくことができる能力を生徒につけさせることを目標にするようになり、最終的に今のスタイルに辿り着いたという話を初めて私たちにしました。自分は、震災当時小学校2年生で、県内で起きていた現実をあまり明確に認識できていなかったので、先生の話はとてもショックで涙が止まりませんでした。そして、これは私が将来行政で働いて、行政をもっと良くしたいと思う一つの理由にもなりました。

先生は、ただの生物教員ではなく、福島をもっと良くするために、生徒と地域や企業、大学との連携や、県内進学校同士の連携、さまざまなプロジェクトやセミナーなどの企画を立ち上げ実行していて、ある記事にはその型破りな行動力から「暴走特急」と呼ばれていると書いてありました。先生が、こうやって自分がやりたいことを勝手にやっていたら絶対に批判したり、文句を言ってくるやつもいるけど、そいつらを黙らせるにはまずは結果を出すしかない、と言っていたのも非常に印象に残っています。最初は文句を言ってきた人たちも、先生が生物の指導で、多数の合格実績を上げて結果を出し続けていたら次第に何も言ってこなくなったそうです。この年になっても自分の夢を持ち続けて、そのために行動して結果も出して周りに認めさせている、というのがかっこよくて痺れました。

先生が好きすぎて、バレンタインには手作りのお菓子を渡したし、先生が他の学校に異動になった時は、手紙も書きました。この話をしたら某後輩にパパ活などと言われましたが、私が貢いでる側なのでどちらかというと推し活です。先生の生き方はぶっ飛びすぎてなかなか真似できるものではないですが、いつか先生と一緒に福島のために仕事をすることを目標にして、それまでに私もかっこいい魅力的な大人になれるように頑張りたいと思います。

 次は、1年生スタッフの琴音ちゃんにバトンを渡します。新歓でも何回かご飯に行かせてもらいましたが、同期女子スタッフがいない中で、ラグビー部を選んでくれてありがとう。愛嬌溢れるかわいらしい見た目に反して1年生とは思えないほど度胸があり肝が据わっている逸材です。期待の新星琴音ちゃんがどんなリレー日記を書くのか、楽しみでなりません。

読書のすゝめ

 written by 塩谷 航平 投稿日時:2024/09/14(土) 23:48

こじろうからバトンを受け取りました4年の塩谷です。こじろうのイメージは生物部兼ラグビー部です。彼は高校時代に生物部にも入っていたようなので、高校時代に文化部だったもの同士仲良くしましょう。そんな彼のラグビーセンスは一級品なので、彼の復帰が待ち遠しいです。

さて、 突然ですが”読書"は怪我の多い私にとってモチベーションの源泉です。

いわゆる”経営者”たちが読むと言われている本には、先人たちがどのような価値観を持って激動の時代を生き抜いてきたのかが書かれています。一見スポーツとは関係ないように見えるこれらの本に私は支えられて怪我を乗り越えてきました。

怪我をすると、当然のことながらラグビーを自由にできなくなります。しかも概して怪我はラグビーのモチベーションが特に上がってきている時に訪れます。それは、挫折という言葉が正しいかわかりませんが、かなり心に来るものです。周りにどう思われているかはさておき、特にDLとしてサブグラウンドでみんなの練習を横目にトレーニングをしていると、ふとどうしようもない虚無感に襲われるものです。今自分はチームの役に立てていないと思うのです。

しかし、そんなある日、私は渋沢栄一の『論語と算盤』という本に出会いました。そこには日本実業界の父と呼ばれる渋沢栄一の人生のエッセンスが詰まっていました。詳しくは実際に本を読んでみて欲しいのですが、「まず誠実に努力することだ」という一節を読んで、その時自分がすべきことが明確になりました。そして、自分のためを超えて世の中のために何ができるのかを考えよという一節から、自分がプレーをするということ以外にもチームのためにできることがあるのではないかと気が付きました。これは人によってアプローチの仕方は違うと思いますが、確実にやれることはあります。それがグラウンドに落ちているゴミを一つ拾うことでもいいかもしれません。

これらはほんの一例ですが、”読書”を通じて私は自分の理想と向き合う時間を大切にするようになりました。これがラグビーにどう活かされるかは未だ不明ですが、少なくとも怪我という辛い期間の心の支えになると確信しています。

実際私は4年生の今になってもチームに迷惑をかけることも多く、こんなことを偉そうに言える立場ではありませんが、もし今この私の拙い文章を読んでいる人の中で怪我やラグビーでうまくいかないことがあって悩んでいる人がいれば、是非何かしらの ”本”を手に取って読んでみて欲しいと思います。例えそれが啓蒙書であれ、小説であれ、今の自分にできることは何か、目指したい理想の姿はどういうものかのヒントを教えてくれるでしょう。小説に至っては主人公の人生という全く自分とは違う人生をその世界に入り込んで体感することができる分、より分かりやすいかもしれません。

次は同期スタッフの佐々木凛に回します。彼女の部への献身性やラグビー愛は部随一と言えるでしょう。彼女とは一年生の時に同じクラスだったのですが、いろんな意味で当時は全く知らなかった面が4年間を共にして見えてきました。その4年間もあと四ヶ月しかないと思うと寂しいですが、最後まで一緒に頑張りましょう。

意識低い系

 written by 池田 琥士郎 投稿日時:2024/09/12(木) 13:22

石澤さんからバトンを受け取りました。一年の池田です。石澤さんは、新歓期からとても優しく接してくださり、笑顔が素敵な先輩です。フィールド上では力強いプレーが魅力で、今年の対抗戦でもプレーでチームを盛り上げてくださること間違い無いです。

1年生の池田です。1年生である上にいまだに1度も試合に出ていないのでこれを読んでいる方の中にはマジで誰だよ、と思っている方も多そうなので軽く自己紹介から始めさせていただきます。

出身は愛知県の旭丘高校で、高校からラグビーを始めました。高校時代は全学年で選手がギリギリ15人いないことが多くて大抵合同チームを組んでいました。(余談ですが、母校のラグビー部に12人も1年生が入ったみたいで今は20人近くいるそうです。)人数は少なかったですが、指導者や仲間に恵まれて、技術的にも精神的にも大きく成長できた3年間でした。

さて、駒場東大前駅からラグビー場に向かう途中に「東大生の5人に1人は卒業までに留年するんだって。」というまめしばの立て看があることをご存知だろうか。そういえば、この部活もなんだかんだ各学年一人ずつくらい留年しているような気がします。初めはそれが、入学後の学生の意識の低さによるものなのか、単位取得の難易度の高さによるものなのかがわかりませんでしたが、Sセメスターを過ごしてみておそらく前者だろうと言う結論に至りました。ではなぜ入学するために勉強をしまくってきた、高校時代はおそらく意識の高かった東大生が、意識低い系になってしまったのか、その理由を自分なりに考えました。
  • 自由を手にしてしまったから
担任などの制度がない大学では授業を休もうとも、すべて自己責任で誰も声をかけてくれない場合がある上に、授業中も好きなことをしていても咎められない授業も少なくないです。
  • 学んだ先に目標がない学生が少なからずいるから
大学に残って研究がしたいと望む学生がいる一方で就職や起業をすることを望む学生も多くいて、そういった人たちは学びそのものよりも卒業することを重視しがちだと考えられるからです。
  • 他のことに熱中してしまうから
サークル、バイト、部活、恋愛のように勉強以外にも大学生には没頭できることが多くあって偏りが出てしまうと勉学がおろそかになりがちです。
他にも様々要因はあると思いますが、留年しようが、しなかろうが、自分なりに悔いのない大学生活を送られればそれが1番いいですね。

さて、先日1年生の成績発表がありました。単位を落としまくった人、追試を受けることになった人、それなりに良い成績を取った人など、様々でしたがうちの代も誰かしらが留年してしまうのでしょうか、それとも全員ストレートで卒業することができるのでしょうか。

次は4年生の塩谷さんに回します。塩谷さんはフィールド上では力強いプレーが魅力の選手ですが、一方でいつも笑顔でとても優しくて頼り甲斐のある先輩です。対抗戦でも力強いプレーに注目です。

おいでシャンプー

 written by 石澤 諒馬 投稿日時:2024/09/10(火) 23:01

 磯崎さんからバトンを受け取りました三年の石澤です。ここでは親しみを込めてりゅうりゅうと呼ばせていただきます。りゅうりゅうとは山中湖合宿での部屋が一緒だったことでたくさん話せたので、僕の思考の深さに気づく機会にも恵まれたのでしょう。僕の人間的魅力に気付ける人は数少ないので、りゅうりゅうは優れた感性をお持ちなようです。去年の立教戦では両センターだったのに、気づけばお互いフランカーです。FWとして未熟な自分にとってはりゅうりゅうは見習うべき先輩であり、日々刺激をもらってます。







 さて、「見た目で人を判断するな」ということばがありますが、これは裏返せば、人は見た目に他人の印象を左右されやすい傾向にあるということです。人の評価は90%が第一印象だという話もあります。しかし、これは「自分」の認識の際にも当てはまると思います。簡単な例でいえば、「人は着る服のような人になる」的なことです。スーツを着ればなんとなくかしこまった自分になろうとするような気がするし、ラフな服を着ると心まで解放されてゆったりした人間になれる気がします。



 何が言いたいかというと、最近僕は坊主頭に自分が支配されているような気がします。わけあってぼくは頭を丸めたのですが、それ以来何をするにも、自分がどうしたいかより先に、坊主ならどうするかを考えてしまいます。例えば、サウナでもう出たいなと思った時、坊主はサウナからすぐ出るだろうかと考えてしまい、無理して長居してしまいます。その日はめまいがひどく起きました。人と話すときも、坊主の人間がこんなこと言うのは変だな、とか、理屈っぽいのは坊主道に反するとか、余計なことを考えてしまうことがあります。別に全てが悪いことではないのですが、僕はもうちょっとゆるふわに生きたいのに、このいがぐり頭がそれを許してくれないような気がするのです。



 要するに服装はもちろん髪型にもある程度人柄が宿るということです。特に周りの影響を受けやすい僕には、坊主による言動の拘束力はかなり強かったようです。しかし、よく言えば髪型ひとつでなりたい自分に近づける一歩になるかもしれないということです。



 一度自分に向き合ういい機会となった丸刈りですがここからは地道に伸ばして僕本来のゆるふわパーマヘアー目指して頑張りたいと思います。







 次は1年生のこじろう(以降いけこ)に回します。いけこは僕が新歓から関わっている数少ない1人です。両肩の手術でしばらくプレイは見れていませんが、練習中の細かい動きやパス、AD中の声掛けの一つひとつから彼のラガーマンとしての良さがひしひしと伝わってきます。また、あんなに生意気なのに嫌な感じが一切しないのも珍しいです。また1人東大ラグビー部を引っ張ってくれそうな人が来たなと密かに思っています。復帰待ってるよ。



 

夏の終わり、秋の始まり

 written by 礒崎 竜之介 投稿日時:2024/09/08(日) 22:05

トムこと中村くんからバトンを受け取りました、4年の礒崎です。中村は同じ本郷中学・高校出身で、僕が今のところ、唯一と言っていいほど先輩らしいことをしてあげられている後輩かなと思います。これからもたまに奢ってあげたいです。

8月に人生最後の合宿がありました。今年は自分にとって8年ぶりに菅平で合宿することができて嬉しかったです。今回はその思い出を書き残したいと思います。

練習では高地ならではの心肺機能のしんどさがありました。特に初日の練習では、グラウンドが慣れない天然芝ということもあり、全く体が動きませんでした。また、国士舘戦で肩を痛めてしまい、2日間DLに入っていたのですが、そこでのフィットネスメニューが本当にしんどかったです。辛いメニューを文句も言わずにこなしていた鷲頭は本当にすごいな、と思いました。対抗戦でも、その時のしんどさを思い出せば、きつい時も走れそうな気がします。結局、怪我がありながら3試合に出場することができ、これまでの合宿で最も充実したものとすることができました。

また、オフの時間も楽しく過ごせました。部屋は比較的広く使うことができましたし、寝る時にキャプテンと布団の配置でせめぎあい、隣で寝ている人が夜中に数回トイレで起き、自分が持参した枕が色々な人に触られたことを除いては快適に過ごすことができました。また、宿の周りには美味しい食べ物屋さんがたくさんありました。クレープ、ケバブ、アイスクリーム、カレーパン、どれもボリュームたっぷりで大満足でした。また、みんなでサニアパークへ観戦に行ったり、滝で靴下を紛失したりしたことも良い思い出です。

今回菅平で合宿ができたのは、高橋コーチ始め、多くの方の協力があったおかげです。この感謝を入れ替え戦出場という結果で示したいと思います。今日はなんとか勝つことができ一安心ですが、個人としては満足のいく出来ではなかったので、来週の上智戦に向けて頭を切り替えて、火曜日から再びラグビーに対して謙虚に、真剣に向き合っていきます。

次は今年FWに転向し、目覚ましい活躍を見せている石澤くんにバトンを渡します。同年代のはずなのですが、彼と話していると何年も上の先輩と話しているような気持ちになります。人生の先輩としてこれからも色々と教えてもらいたいです。
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