ラグビー部リレー日記 2019/12

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こいつでも

 written by 佐藤 伶央 投稿日時:2019/12/12(木) 01:31

新歓代表を立派に務め類稀な結果を残した角田からバトンを受取りました。4年の佐藤です。代々新歓代表は4月には半死半生といった様子でしたが、彼が割と平気な顔をしていたのは有能の証明だったのかもしれません。



自分の4年間、特に最後の1年間を振り返って見ると、様々な取り組みがひどく中途半端に終わってしまったなという気持ちが強いです。もっとも4年生になってやっと自身の取り組みを顧みる意識が生まれただけでそれ以前はなおさらそうだったのかもしれません。



もちろん反省はするべきですし失敗を意味あるものにできる唯一の方法ですが、自分の取り組みが如何に中途半端で至らないものだったかをここに書いても自分が辛いし、それを読む人たちも辛気臭い気持ちをするでしょうから自分が最もやりたかったこと、やろうとしていたことについて書こうかと思います。



去年の4年生が京大戦を終え引退されたとき、自分の中で一つ、楽しそうにラグビーをしなければいけないなということを思いました。去年の4年生は努めて楽しそうにラグビーをし、また日々の練習で部員の皆がラグビーを好きでいられるように工夫を凝らしていました。ラグビーを好きでいるということはラグビー部での活動を意義あるものにするための必要条件であることは明らかですが、同時にラグビーというのはタフで辛い側面も多く、好きでいることそれ自体が難しいとも思います。



去年の4年生はリーダーシップを持った1番上手い人たちが楽しそうにラグビーをプレーをすることで、ラグビーは楽しめる、楽しむべきものであるという範を示していました。また怪我をして満足にプレーできなかった人もそれぞれに出来る形でチームへ貢献しようとしていました。そこで今期の自分にできる、自分のするべきことの一つは、怪我ばかりしている奴でもラグビーは楽しめるぞ、ということを体現することではないかと思いました。



2年から3年の間に両肩を合わせて3度手術し、さすがに3度目の手術が必要になったときはウンザリしたし絶望的な気持ちにもなりましたが、腕を吊ったまま京大戦後の4年生の話を聞いているうちに、これだけはこの状態の自分にこそできることだ考えるようになりました。



2度続けて手術した右肩は中々調子が上がらず、思うようにトレーニングや練習ができないことでフラストレーションが溜まることもあり、結果が伴ったとも言い難いですが、それでもプレーすること自体には喜びがあり、日々の取り組みや競い合いは純粋に楽しかったです。



とにかく怪我をしようがプレーが上手くいかなかろうが、それ自体の良し悪しと別に、(僕の実際に反省するべき点はこの良し悪しですが)ラグビーは楽しいです。誤解を恐れない言い方をすれば、最悪でもラグビーを楽しむことはできます。



実際には皆の目にどう映っていたのか分かりませんし、復帰前の春先は練習中不機嫌なのか?と言われたりもして(単に僕の声かけの仕方が下手だっただけだと思います)思った通りの意味があったかは分かりませんが、「怪我ばっかしてるくせに楽しそうだな」「こいつでも楽しめるなら俺でもラグビー楽しめるだろ」などと思ってもらえていれば本望です。



 



次は部の屋台骨となってくれた下條にバトンを渡します。

For the team

 written by 角田 慎之介 投稿日時:2019/12/08(日) 16:41

1年間スタッフ長として大勢のスタッフをまとめるために試行錯誤し続けていたあやのからバトンを受け取りました角田です。


もうこれが私が書く最後のリレー日記である。
今までの自らの歩みを少し振り返ってみたい。

1年生の時、入学当初の私にはラグビー部に入部するという選択肢は全く頭になかったが、ラグビー部の雰囲気や先輩の人柄、ラグビーの魅力に惹かれていつの間にかラグビー部に入部していた。未経験者だった自分にとっては毎日の練習が新しいことばかりでジュニアの仲間と一緒にラグビーを徐々に知っていった。Jrコーチの方々の力が大きかったが部内マッチのBC戦でCが勝ったことは未だによく覚えている。

2年生の時はフロントローへの転向を決断した。自分にとってできることは何か考えた結果の転向だった。正直シニアの練習についていくので精一杯で、今思えば自分のことしか見えていない状態だったが自分なりには毎日を一生懸命過ごした。

3年生の時の明治戦で初めてA戦のスタメンになれた。明治戦の1週間前くらいからずっと緊張するほどだった。試合ではフィールドプレーは不甲斐なかったもののスクラムで明治相手でも組めるという自信が得られ、フロント転向を含めた今までの努力が実を結んだと感じ、嬉しかった。そして、夏に膝の怪我をした。長期間ラグビーができなくなったが4年のシーズンで活躍するためと思ってトレーニングやリハビリには気持ちが入っていた。

しかし4年になった復帰直後にまた膝を怪我した。復帰してチームの役に立とうと思った矢先の怪我で自分のリハビリは何の役に立ったのかという無力感を感じたこともあったが、チームのために自分にできることをしようと頑張り直し、対抗戦で戦うことができた。

これまでを振り返って考える自分の大きな変化は自分のためではなくチームのためにというのを自らのモチベーションの源泉にできるようになったことだと思う。

私が現役としてラグビーができるのもわずかである。今年の残る試合を勝ち、来年のシーズンを戦う後輩達に良いものを残せるように、チームのために悔いなくやり切ったと思える最後の2週間を過ごしたい。


最後にこの場を借りて。
今まで自分がラグビーを楽しめたのは、苦しい時も一緒にいた同期、普段は楽しくラグビーには真剣な先輩方・後輩達、技術面も精神面も指導してくださったコーチ陣の方々やOBの方々、そしていつでも支えてくれた両親のおかげです。今まで本当にありがとうございました。


次は、どんなときでもラグビーを楽しんでいたレオにバトンを回します。

自責で考える

 written by 大平 綺乃 投稿日時:2019/12/05(木) 01:00

自由人ながらこれと決めたことには努力を惜しまない大石からバトンを受け取りました、四年スタッフの大平です。

最後のリレー日記に何を書くべきか非常に悩みました。
悩んだ挙句、私が最近出会った考え方について書こうと思います。

この四年間は喜怒哀楽に満ちていた。
三年生までは日々の練習で「楽」を感じ、時に試合に負け「哀」を感じ、時に試合に勝って「喜喜喜」を感じることの繰り返しで、とても充実していた。
しかしながら、今年は少し違った。
二年生の頃から運動会総務部に派遣され活動に参加してきたが、四年になりそろそろラグビー部に集中したいと思っていた矢先、山中寮の寮長になってしまった。
夏が近づくにつれ、寮の業務と練習が重なり、スタッフ長ながら部活を不在にすることが増えた。
「最近練習にいないけどどうしたの?」
悪気のない言葉に余計に傷つき、全てが申し訳なかった。自分が時間を費やしてる仕事は部にほぼ還元されず、自分がいなくても部活は回っていく。何のためにラグビー部に所属しているのか分からなくなった。
そんな日々の中で、ちょっとしたことでも気落ちするようになった。
結局寮の仕事で菅平合宿に参加できないと分かった時、四年間で初めて部活を辞めることを考えた。

そんな時、ある人からこんな助言をもらった。
「困ったら全部自責で考える。無理矢理こじつけてでも自責で考える。人のせいにしない。人に期待しすぎない。自責で考える方が改善策も自分で見つけられる。」

何かつかえていたものが取れた気がした。
菅平合宿に参加できないという事実は変わらなかったが、自分なりに意義を見出した。
気持ちは大きく変化した。

The greatest happiness is to know the source of unhappiness.

山中寮の寮長になったこと。怪我をしてしまったこと。理不尽なこと。
何か原因はわからないけど上手くいかないこと。天気。タイミングの悪さ。
全てただの不運かもしれない。誰のせいでもないかもしれない。
それでも前進しなければならない。
理由が何であれ、落ち込み、歩みを止めてしまっては勿体無いと思えるようになった。

そして最後になりましたが、この四年間支えてくださった全ての方々に心から感謝します。
監督・コーチ・OBの方々・トレーナーの皆様。
私の支離滅裂な相談に幾度となく乗ってくださった先輩方。
怪我から復活しグラウンドに帰ってくる姿で勇気をくれた同期。
初々しい姿で部活をすることの喜びを思い出させてくれた後輩。
部活のオフを完全に把握しベストタイミングで食事に誘ってくれた友人。
何があっても部活を続けることを応援してくれた家族。
今こうしてリレー日記を書けているのは皆さんのお陰です。本当にありがとうございました。

とりとめのない文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次は新歓代表として部をまとめ上げ大成功を収めた角田にバトンを渡します。

決意

 written by 大石 健人 投稿日時:2019/12/02(月) 12:12

3年生のトラからバトンを受け取った大石です。自分の貢献は本当に小さなものです。
トラはあまり運頼みの麻雀ばかりしているとまた不幸な怪我が襲ってくるかもしれません。ラグビーも麻雀も更なる実力UPを期待しています笑。

長かった4年間が間も無く終わろうとしています。
まず初めにこの場をお借りして、この1年間多大なご支援をくださった皆様に厚く御礼申し上げます。主務という立場ながらチームを長期間離れましたが、OBの皆様また部員の献身的なサポートにより充実した時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

~~~~~~
この4年間を経て自分は何を得たのだろうか。
プロラグビー選手になるわけではない自分が、学生生活のたくさんの時間を費やしラグビーから学んだことはなんだったのだろうか。

対抗戦での勝利・敗北。
日本代表・サンウルブズでアナリストとして働いた経験。

このような美辞麗句ではなく、ラグビー部を卒業する自分が本質的に何か成長できたことはあったのだろうか。
答えはおそらく今すぐにはわからない。少ししてふとした瞬間に感じるのだとは思う。ただそれを少しでも知りたいがために今リレー日記を書いている。

自分は元来戦略的で、ある目標や事象に対して最低限の努力で達成することを考える人間である。ただこの大学生活を振り返った際に、ことラグビーの分析に関しては他の誰よりも真摯に取り組んだ自負があった。
初めたきっかけはこれなら頑張れそうと思ったからであったものの、プレーヤーと異なりアナリストには勝ち負けがなく(アナリスト大会で競い合うみたいなこともない)成長を感じづらいため、当初は目標を自分で達成することができるのか不安に感じたのを今でも強く覚えている。そのため、自分としては珍しく後先のことをあまり考えず目の前の業務にとにかく集中するやりかたを選択した。というよりもその手段しか自分には残されていなかった。結局いくら慣れても最後まで緊張して後先を見る余裕は生まれなかったものの、結果的にこの選択が功を奏しコーチや周囲からの信頼を勝ち取ることにつながったのではないかと思う。そのおかげでラグビー部は引退するがラグビーは引退することなく、連綿とキャリアを続けることができた。
”今を生きる”ことの大切さを学んだ。


それに加えてプラクティカルな面では約2年ほど前から毎日個人的に日誌をつけている。毎日一個は必ず新しい学びやその時の思いを簡単にメモするようにしていた。
このリレー日記を書くにあたって、その日誌を初めてしっかり読み返した。海外コラミストの分析をメモしていた2年前のものや1年前の対抗戦分析の所感から、代表帯同中の戦術的なレビュー等の直近のものまでメモされている。

日記は良い。自分がどういう軌跡を描いたかすぐにわかる。
9ヶ月前の3/1に自分が何をできるようになったか意気揚々と記されている一方、6/17では白紙である。6/16に疲れたの3文字のみが殴り書きされているのを見ると何かに追い詰められていたんだろう。確かにそんな時期もあった。もう宮崎には正直二度と行きたくはない。
ラグビー以外のことは書いていないだろうか。ページをめくりにめくっているうちに数百ページの中で唯一精神的な言葉が記されている。
『ほとんどの人は努力が足りないわけではない。決意が足りないだけ。お前の日記もいつ終わるかな??笑』

これは今でも鮮明に覚えている。自分が尊敬するコーチに対して、才能を抜きに彼がどうしてABsにまで選ばれうる選手になれたかを聞いた時のブラックジョークであった。
心からそれを欲せられるか。真に勝ちを求めているのか。一流のアナリストに少しでも近づきたいのか。

これは誰にでも適用できると思う。目標の大小はそれを聞いてからあまり意識しないようにしている。ただ、自分で何か目標を立てた以上は”必ず達成する気概”をもつ大切さは少なくとも学べた。ダレるくらいなら簡単に頑張るとは言わない方が良いと思う。ちなみに上述のコーチは試合中内臓が破裂しても最後まで試合に出続けた逸話をもつ。最後は気合なんだろう。気合。テクニカルなことではない。
~~~~~~

以上自分の思いをあまり整理せずに述べてきました。
個人的な反省をしながらやはり最後は改めて周りのご縁に恵まれた時間だったと思います。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。次のステージでも常に初心を忘れず精進します。
この決意の言葉を最後として自分のリレー日記を終えたいと思います。

次は、様々な困難に直面しながら1年間スタッフ長をやりとげたあやのにバトンを渡したいと思います。


 

オーラスの内容

 written by 原 虎之介 投稿日時:2019/12/02(月) 11:36

試合中、相手がかわいそうな程ハードなヒットで何人もダウンさせているごたつこと後藤達哉からバトンを受け取りました。同じポジションの先輩として嬉しいような焦るような気持ちでいっぱいです。



 



さて、リレー日記も4年生を除いて最後になりました。どんなことを書こうか悩みました。最近思う将来の不安事や、来年最長学年となる上での思い、ラグビーの次に私生活で大事な麻雀のこと、色々考えた末今回は初めてDLとなって感じたことを書こうと思います。



 



僕は怪我する前までは、DLは自業自得だと思っていました。この3年間、ダウンは欠かさずやってきて、そのおかげでずっと怪我なくやってきました。DLに入っている人はダウンしてるのかな?と思う人が多かったので、完全にケア不足だろ、ただでさえ人数足りないのに…と少し怒りさえも感じていました。



 



しかし、忘れもしない6月13日、コンタクト練習で足を変に地面についてしまい、アキレス腱をきりました。僕は自分が痛がりだと思ってたので痛めた時、死ぬほど痛かったですが、捻挫かな?と思いました。しかし、翌日病院に行くと完全に腱がきれてるねと言われ、実感が湧かず、少しの驚きとなんだか肩の荷がおりた、ホッとした気持ちになりました。



 



チームとして負けが続いていて、イライラしつつも自分がどうやってチームを少しでも勝ちに貢献できるのかと悩んでいた時だったので、正直少し休めると思いました。



 



それまではチームについてひたすら考え、ラグビー命でしたが、自分がもう今年プレーできないと知り、チームの興味も少しずつ減り、youtubeがラグビーの動画でいっぱいだったのが、麻雀や、どうやって異性にモテるかという内容の動画が多くを占めてきました。



 



自分でも心のどこかで情けないと知りつつも、どうしてもどこかラグビーに、チームに燃えることができず、この時に僕が軽蔑してたDLの気持ちがわかりました。もちろん怪我しても戦術を考えたりチームに貢献することはできるし、むしろ怪我人の方がそうすべきです。練習ビデオのフィードバック等はちょくちょくしてますが、怪我する前までの本気さはなく、自分がいかに自己中心かもわかりました。



 



同じポジションの後輩や、未経験から始めた同期が試合で躍動している様や、重い怪我を押しきって試合に出る先輩を見ると本当に情けなさと虚無感でいっぱいでした。



 



しかしよかったことも何個かあります。



1つは怪我人の気持ちがわかったことです。こういった辛い気持ちがわからずに来年をむかえると、どうしてもDLに対する扱いが心ないものとなり、チームの信頼関係はなりたってなかったでしょう。



2つは自分の体がパワーアップしたこと。



LOスポットコーチの石神さんやs&cの林さんと相談し、対抗戦Aのバックローは僕の身長だと少なくとも93キロくらいは必要だと言われ、月2キロずつ体重をふやしています。今92キロになり、上肢の筋トレの数値ものびました。



 



3つはアキレス以外にもより怪我しないような体を作れていることです。今回のことでダウンだけじゃダメだとわかり、寝る前のストレッチや自分の体の硬い部分を知り、のばしたりと万全の体で復帰しようと思います。



 



来年バック5の争いはメンバーや人数という点でとても激しいですが、全く譲る気はありません。



 



復帰直後は体が思うように動かせなかったり、体力が落ちてたりと不安な点もありますが、最終的に僕は僕がライバルと思っている人達をぬかします。



 



以上が僕のリレー日記です。



読んでいただきありがとうございました。



 



次は4年生のスーパーアナライザー、大石さんにバトンを回します。なんとサンウルブズや日本代表の分析スタッフでもあり、今年のワールドカップの日本代表の勝利はほとんど大石さんのおかげといっていいでしょう。イケメンで頭もよく、麻雀が死ぬほど弱いのが玉にキズです。

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