ラグビー部リレー日記 2018/12

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失敗を糧に

 written by 川北 航平 投稿日時:2018/12/09(日) 22:45

  1年間、チームビルディングに自分の人生かけて取り組んでいた鎌田からバトンを受け取りました、4年の川北です。今回は自分のラグビー人生を振り返ってみようと思って書きました。

 私と同じようなことを考えている人も多いかもしれないが、人生においては何をやっても失敗や挫折があると思う。すべてが上手くいくなんてことはよっぽどのスーパーマンにしか当てはまらないことで、失敗と上手く付き合うことがいつも大切だと思っている。改めて振り返ったとき、私のラグビー人生もまた例外ではなく失敗の連続だった。


 私がラグビーを始めたのは12歳のとき、中学に入学したときである。これは後に大学の学部の授業で習った話なのだが、人は今後の人生に関わるような重大な選択ほど深く考えずに直感やフィーリングで決めてしまうらしい。ラグビーを見たことすらなかった私も、特に何も考えずにラグビー部に入ることを決めた。この選択は今でも正しかったと信じて疑わない。
 中学では部員が少なく1年から試合に出してもらえたが、自分はラグビーをよくわからずチームもほとんど勝てなかった。高校でも環境に恵まれて1年のときから、なんなら中3くらいから上級生に混じって試合に出ることができ、少しずつラグビーに慣れてきた私は仲間と1勝でも多く勝ち上がることを目指した。しかしシード校を破って県8強まで行った3つ上の代と1つ下の代に挟まれて、私が試合に出ていた3年間はシード校相手に1勝もできなかった。最終戦である甲南高校との定期戦も3年間一度も勝てずに引退した。

 大学でもあまり悩まずにラグビー部を選んだ。熱心に新歓を受けたアメフト部に入るという選択肢もあったが、結局ラグビー部を選んだ。当時はあまり理由を説明できなかったが、後にしっかり考える機会に恵まれた。
  2年のときに検見川で合宿を行い、自分が東大でラグビーをする意義について考えた。この時私がたどりついた答えは、今ラグビーに取り組んで得られるものが、今後の自分の人生において自信や糧になる、という理由だった。これは今年度から東大ラグビー部が掲げる理念・目的と近いものとなった。
 高校まではラグビーに対する取り組みも残してきた結果も満足のいくもではなかった、そこで私は今後の人生の糧になるべく大学でもラグビーをがんばる道を選んだ。

 大学でもラグビー人生はすべて順調ではなかった。1年のときはほとんどジュニアで過ごしたが、しばしシニアに上がるチャンスを頂いた。しかしまったく練習についていけずにすぐジュニアに戻された。自分がスイカのジャージを着るのはいつになるだろうかと気が遠くなった。
  2,3年ではケガ人の関係で思ったよりも早くスイカを着る機会を頂けたが、試合ではスクラムなどで足を引っ張りまくり戦力になれているという実感はまったくなかった。対抗戦ではパフォーマンスが悪くてスタートを外されることも多かった。それでもいつも試合に出して頂けたのはすごく幸運だった。首脳陣やコーチ陣に感謝しないと、と思っていた。
 高校のときからそうだったが、公式戦にのぞむ際に下級生のときのほうが特にモチベーションがあがりやすかった。自分を使って頂いた先輩たちに恩返ししたい、その気持ちで毎年戦っていた。だからそれぞれ対抗戦初勝利となった一昨年の成城戦と昨年の学習院戦、それから悔しくて試合後に号泣してしまったそれぞれ最終戦の武蔵戦と成城戦は強く印象に残っている。

  4年になり、チームを引っ張らなければならない立場になった。しかし心も身体も強くなりきれなかったのかもしれない。過去3年間、自分は幸運にも大きなケガはなかったし多少のケガでも気にせずにプレーしていた。一方今年はケガで離脱することが多くなった。順調に進むチームとは裏腹に、私はラグビーに集中できない日々が続いた。そして夏合宿、夜も寝られない首の痛みに襲われた。東京に帰ると頚椎椎間板ヘルニアと言われた。
 対抗戦開幕を目前にして、私はかつてないほどラグビーについて、チームについて、自分について考えた。自分が得意とする、あるいは自分がすべきようなプレーが試合でできるかは不安しかなかった。こんな心身不安定な状態で試合に出てチームに貢献できるのか悩んだ。先輩のため、というモチベーションも今回はない。それでも私は対抗戦を最後まで戦いぬくことを決意した。戦う以上どんなプレーでもしようと決めた。
 対抗戦の自分のパフォーマンスについては、褒められた内容ではなかったかもしれない。しかしチームは目標となる4勝を達成した、自分はその一員になれた、それは誇りに思っていいと思う。同時に私はまた最終戦に勝てなかった。今年は泣く余裕もなく、試合後は虚無感が支配していた。あまり悔しく感じなかったのは、今年の結果にある意味自信を持てたからかもしれない。

 私は人生の糧になると信じてラグビー部に入った。また、東大ラグビー部の理念は人生を豊かにすることである。目標達成したこと、対抗戦の最終戦に勝てなかったこと、それらはあくまでも過程でしかない。私は失敗ばかりしていたラグビー人生の中で、それでも確実に成長してきた。失敗を乗り越えることの大切さを知った。高校卒業の時にはそれを思えなかったが、今改めて振り返った時にこれは自信を持って言えると思う。大学ラグビーを終えて、あの時のような未練はない。それがこの4年間の成長だと思う。

 私は来年からは社会人になる。本気でラグビーをやることはもうないだろう。そんな私の人生でラグビーから何を生かせるだろうか、私の人生は豊かになったのだろうか。一番大切なのはそこだと信じている。失敗を繰り返し、その度に成長できた自分のラグビー人生。これからの人生もおそらく失敗ばかりだろう。人生は上手くいくことばかりじゃない。だからこそ、失敗を糧に成長できるかどうか、ラグビーを通じて人生を豊かにしたと言えるかどうか、私のこれからの人生でその真偽を問われると思う。これからの人生においてラグビーで学んだことを大切にしていきたい。自分はラグビーのおかげで成長できたんだと胸を張れるようになりたい。



 とは言え、私はまだ現役の選手である。対抗戦は終わったが、まだ2試合残されている。勝ちたい、そして成長したい。残り2週間、難しいことは考えずに、明快な目標に向かって突き進もう。それがこのリレー日記を書き終えた私の正直な気持ちである。


 長々と書いてしまいましたが、最後までお読み頂きありがとうございます。
 次は様々な困難に直面しながらも1年間スタッフ長をやりとげた4年の城戸にバトンを渡したいと思います。

ステージ

 written by 鎌田 明宏 投稿日時:2018/12/08(土) 00:00

最近やたら幸せそうな江崎からバトンを受け取りました。4年の鎌田です。

まず始めに、我々の活動を支えてくださった全ての方に御礼申し上げます。
特にこの1年間、4年生として部の中枢に関わることで、我々の活動は支援してくださっている方の協力あってのものというものを感じました。来年以降、私も一OBとして後輩を応援していきたいと思います。

 

 

 

 

2年生の時分だった。私は東大ラグビー部にいる意義がわからなくなった。
一つに、何人もの仲間が部を去っていったことがある。
彼らは口を揃えて「他にしたいことができた」と言った。
必死に引き止めたが、その努力もむなしく、部から離れていった。
部活を辞めた人間が幸せになる未来が見えず、部にいた方がいいと思っていた。しかしながら、この部にいたら何ができるのか、この部で4年間を過ごす価値がどんなものなのかを説明することはできなかった。

 

もう一つ、自分も「他にしたいことができた」と思ったのだ。
当時私は、同年代の東大生が起業した会社でバイトをしていた。その会社では、私と同じ世代の東大生が、生活のほとんど全てを捧げて、働き、学ぶことで将来の糧としていた。彼らはみな独立して自分の会社を立ち上げることを夢として持ち、必死だった。
そんな彼らに対して、何も考えず部活に属しているだけの自分がどこか情けないような気もした。将来スポーツ選手になるわけでもない自分がこのまま部活を続けるより、彼らのような人生を歩んだら、と何度も思った。

 

 

しかしながら、私はこの部を離れようとはしなかった。
明確な理由はない。なんとなく同期に希望を感じる、その程度だった。
だからこそ、私はこの部にいる明確な理由が欲しくて、自分の存在価値を必死に考えた。

 

悩んだ末に出た結論は
「自分が東大ラグビー部を最高の組織にする」
という挑戦であった。

 

もし、東大ラグビー部が最高の組織になれたらどうだろうか。ただ思考停止してラグビーをするだけの場ではなく、目的に向かい真摯にラグビーに取り組むことで、一人の少年が青年として大人になっていく場になれたら。

東大ラグビー部の人間は社会から大きな期待を受けている。同期をみても官僚になるものや日本を牽引する企業に入るものがいる。個人の能力いかんとは別に評価の舞台に立たされ、責任を負わされる。そんな人間だからこそ、立派であってほしいし、立派でなければならない。
だからこそ、東大ラグビー部は個人が人間的成長を果たすべき場でなければならない。そんな組織になるような手伝いが自分にもできた時に、自分も一人の青年となっていくのではなかろうか。



この挑戦は私を奮い立たせた。
他のどんなことより魅力的に思え、大学生活の残り全てを部活に捧げる覚悟ができた。

 

 

 

 

 



長かった対抗戦も終え、4年間が終わろうとしている。
私の挑戦はどうだったのであろうか。

 

最高の基準なんてものはなく、周りの人間がどれくらい変わったかなどを定量的に評価することはできない。
まだまだ周りも自分も理想からは離れた位置に立っているかもしれない。
しかしながら、今年は「良いチーム」だったからこそ目標を達成できたと思う。苦楽を共にした仲間たちも、私の目には見違えるほど大人になったように映る。
そんな組織に自分が関われた、少しでも良い方向に持って行けたと思うと、この4年間の価値を感じる。
この部を選び、大学生活を捧げるという選択をした自分を誇りに思う。

 

 

しかし忘れてはならないのは、この4年間の価値を決めるのはこれからである、ということだ。
我々が社会に出て、この組織で得たものをどのように還元していくことができるか。
自分の挑戦の真の結果はそこに現れる。

 

 

 

 

これにて私の最後のリレー日記とさせていただきます。
次は、もしかするとこの4年間で一番一緒にいたかもしれない川北にお願いしようと思います。

東大ラグビー部でよかった

 written by 江崎 敬 投稿日時:2018/12/06(木) 23:37

圧倒的なラインブレイク力を誇り、だれからも認められる存在となった浦山からバトンを受け取りました、4年の江崎です。

先日、長かった対抗戦シーズンが終わり、残すは名古屋大戦と京都大戦となった。近頃は引退を強烈に意識するとともに、東大ラグビー部での様々な記憶が、ふとした時に思い出される。

1,2,3年生まで3年間と、4年生の1年間は、大きく違うものだった。

4年生になると、望む望まざるにかかわらずチームのリーダーになる。学生スポーツの宿命だろう。そしてチームの活動を学生主体で行っていくと決めた今年は、リーダーとなる4年生が、組織の在り方や、日程、戦術、練習などを自分たちで作り上げていくこととなった。ただ前で皆を鼓舞すればいいわけではない。4年生になったとたんに、やるべきことは大きく増えた。

ちょうど1年前、自分たちでチームを作り上げていこうとしたとき、まず気づいたのは自分の無知さだった。いいチーム、いい組織とは何なのか、人の前に立って引っ張るには何が必要なのか、チームとして正しい努力を積み重ねるためにはどうすればいいのか、何一つわかっていなかった。同期の、後輩たちの部活に捧げているエネルギーを正しい方向に導くために、リーダーはそれを学ぶ責任がある。

何も知らなかった自分に、かねてから組織論を学んでいた同期の鎌田は、目的や目標、組織の在り方について教えてくれた。キャプテンの石川はリーダーに必要な態度、資質を学び教えてくれた。人がやる気を出すのはどうすればいいかなど、自分でも本を読んでいろいろ勉強した。学んだことをベースに、東大ラグビー部にあうであろう最善の方策を考えて実践した。

するとチームは面白いようにいい方向に進んでいった。日々自分たちが強くなっていることを感じた。とても驚いたし、とても楽しかった。シーズン中に問題が起きるときも多々あったが、それがだれの責任なのかをはっきりさせて解決を促した。そして全体で考えるべき問題は全員が本当に納得いくまでとことん話し合った。

それを積み重ねた末に、目標としていた対抗戦を戦った。4勝3敗。目標達成である。なんとなく立てた目標ではなく、自分達が明確なプランを立てて、責任をもって導くと断言した目標だからこそ、達成できたことに大きな価値がある。

しかし、一番大切なのはそこではない。目標の達成のために努力したその先に、自分たちの果たすべき目的がある。自分たちが東大ラグビー部で活動する目的は、“ラグビーに真摯に取り組むことで人生を豊かにする”ことだ。

目標達成のために、信頼できる仲間たちと必死に考え、話し合い、行動し、努力したその経験が、自分の中にかけがえのない財産として残った。この経験が、自分の人生を豊かなものにしてくれるのだろう。うまくいったことも、うまくいかなかったこともすべて意味がある。ラグビーに真摯に取り組んだからこそ、である。

自分一人では、到底こんな経験などできなかった。恵まれた仲間に出会えて、一緒にラグビーをすることができて本当によかった。みんなありがとう。自分がこの東大ラグビー部の一員でいれたことを誇りに思います。

お読みいただきありがとうございました。次は大きな怪我を抱えながらも対抗戦シーズンを戦い抜いてくれた鎌田に回します

 

仲間と成長

 written by 浦山 裕矢 投稿日時:2018/12/05(水) 23:59

ボールを持つといつの間にかトライを取っている東大ラグビー部のスピードスター、荒木からバトンを受け取りました、パワフルなアタックでチームを牽引する浦山です。
いつのまにかこれが最後のリレー日記となってしまいました。これまでくだらないことしか書いてこなかったことを若干後悔しております。




紹介にもほのめかされていたように、私は東大ラグビー部随一の非行少年だった。いつもニコニコしてどんな人とも分け隔てなくそこそこに仲良くできるような人間、とは程遠い存在で、ラグビー部でのこの4年間、いろいろな人に迷惑をかけてきた。迷惑の内容を書くのは諸々の理由により控えさせていただくが、私のことをよく思っていない人は少なくなかっただろう。そんな状況ではグラウンド内でいくら奮闘してもなかなか評価されず、一方で私は評価されないことに苛立ちを覚え、ひねくれたりしてまた自分の評価を下げた。さらには、これからという時期に毎度のように怪我をしてグラウンドから離れたり、本当に苦しい時分をを過ごした。


今になって振り返ってみると、自分は自ら“与える”ということができていなかった。うまく説明するのは難しいが、ここでいう“与える”というのは、他人から何かをしてもらう前に自分が他人に手を差し伸べたり、善意を持って接するというような意味で言っている。隣人愛brotherly loveとでもいうのだろうか。その時の私は、何もしてもらえないなら何も返さない、頑張っても評価されないから頑張らない、そんな殺伐とした人間だった。


しかし、今シーズンの初め、チームのために自分の時間を大きく割いて動き、何の見返りも求めることなく他人のために働く同期を見て気づいた。自ら善意を与えていれば自ずと周りから善意は返ってくるし、そうして絆や信頼が生まれてくるものだと。これは何も同期だけのことではない。東大ラグビー部に関わる人々の中には無償で部のために動いてくれている人が監督コーチ陣を含めOBの方々にもたくさんいる。4年になって自分の小ささを痛感させられた。しかし、その時自分がチームのためにできることは何もなく、せめて誰の助けも借りずに自分の力で立つのが精一杯だった。4年になって周りから、更生したとか、激変したと言われるが、自分の力で立つだけでそこまで言われる自分が恥ずかしくもあったし、自分というより環境が変わったのだと思う、これだけ自分が助けられ、与えられて、さすがに自分も変わらないわけにはいかなかった。
しかし、シーズン序盤に自分のペナルティ走に付き合ってもらっていた自分が、夏頃には他の仲間のためにプラスアルファでペナルティ走を走ったり、分析の仕事でチームに貢献したり、徐々に自分から“与える”ことができるようになった。最後には少し4年生らしく、先輩らしくなれたのかもしれない。


そして、そんな自分を常に支えてくれたのが同期である。自分が精神的に病んでいる時や、半分チームから見放されているような時も同期は自分とちゃんと向き合ってくれたし、時には気にかけてくれ、時にはというには多すぎるかもしれないが、笑いのネタにしたりもした。同期無くして今の自分はない。そんな同期には本当に感謝しているし、私が4年間ラグビー部を全うできたのは誇張ではなく本当に同期のおかげだと思っている。本当にありがとう。



自分に似合わぬ〇〇真面目な文章を最後まで読んでいただきありがとうございます。
次は東大ラグビー部きってのイケメンで、試合中でも必ずキメ顔で写真に映るWTBの江崎にバトンを渡します。

 

ものさし

 written by 荒木 裕行 投稿日時:2018/12/02(日) 23:25

 


 

  対抗戦を共に戦ってくれた頼もしい後輩、杉浦からバトンを渡されました4年の荒木です。 杉浦のリレー日記にも書いてあります通りここからは4年によるリレー日記となります。


 

 


 

  9月から始まった長かった対抗戦は、あっという間に終わりました。まずはこの期間大きな怪我なく終えれたこと、そしてobの方々を始め多くの方に応援いただいたことを嬉しく思います。ありがとうございました。


 

 


 

  結果は4勝3敗。今年の目標である対抗戦4勝は達成しました。もっと勝てた、結局4勝しかできなかったという声もあります。確かに今ならそう言えるかもしれない。しかし開幕前では4勝も十分ハードルの高い目標だった。


 

 


 

  自分は大学ラグビーについて全く知らずに東大ラグビー部に入部しました。そこにいたのは馬のような足を持つ人、見たことないくらいでかい人。東大ラグビー部はきっと強いんだ、と思った。しかし、早慶明には圧倒されるし、対抗戦ではなかなか勝利できない。自分よりも数段上手い先輩方でさえ手の届かない敵への道のりは果てしなく思えた。


 

 


 

  そんなこんなで1年が終わり、2年3年もすぐに過ぎていった。気づけば4年。自分達にはこの3年のものさししかない。確実に毎年努力はしていた。しかし勝てなかった。だから何か大きく変える必要があった。しかし、それでうまくいく保証はどこにもない。


 

 


 

  結局、今年は4勝というものさしが残った。このものさしの延長上に入れ替え戦,A昇格があるかもしれないし、その前に限界が来るかもしれない。しかし、確実にこれまでとは違うものさしを残せたはずだ。


 

 


 

  残り3週間。ここからはまた違う戦いになる。とりあえず今年の目標は達成された。「ラグビーを通じて人生を豊かにする」ために、最後は勝って終わりたい。そして、自分が一番最初に憧れた「グラウンドを自由に走り回る」ラグビーをしたい。そうした先にきっと豊かな人生が待っていることを信じて。


 

 


 

  最後になりますが、ここまでラグビーを続けられたのも周りの方々のお陰に他なりません。僕をラグビーに出会わせてくれた武藤先生。再び大学でラグビーを続けるきっかけを与えてくれた先輩方、同期。今年一緒に戦ってくれた後輩達。応援をしてくださる方々。どんなに肩が外れようとも、他に大きな怪我をしようともみんなのお陰でめげずにやり抜くことができました。ありがとうございます。そして、これからもよろしくお願います。


 

 


 

これで、僕のリレー日記は終了となります。次はパワフルなアタックでチームを牽引し、過去の面影がもはやどこにも見えなくなった同期の浦山に回します。


 

 


 

  

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東大ラグビー部でよかった
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仲間と成長
2018/12/02(日) 23:25
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