受験生応援企画

もっと恐ろしく大きいもの

投稿日時:2023/02/16(木) 18:43

同期の温人からバトンを受け取りました、新2年の辻金大です。「金太」ではありません。かつて彼に聞いた受験エピソードで「世界史の大論述を捨てた」というものがあります(簡単に説明すると、60点満点の試験で30点が配点されている問題)。本人は「前日の数学に自信があったのと社会科目で同時に解く地理に時間がかかったから」と言っていました。そんな大博打を本番でする胆力は真似できないのですごいと思いますが、良い子の受験生の皆さんは必ず全ての解答欄を埋めるよう最善を尽くしてほしいです。

いよいよ国立2次試験まで残り10日ほどとなりました。この時期になると勉強の中身については各個人で把握して計画的に進めているでしょうから、勉強についてのちょっとしたアドバイスと受験に臨む精神について話していきたいと思います。


勉強について、残り少ない期間で出来ることは知識の集約に限ります。情報は一つにまとめていないと体系化もできないし、意味を成しません。散らばっていたノートや参考書、付箋などをどこか一ヶ所(ルーズリーフ、ノート)に集めて、それを最終確認に使いましょう。試験の時に自分を助けてくれるのは過去の自分しかいません。その「自分」たちを一覧できるようにして、自らの努力の明証として自信を持って試験に向かいましょう。訳のわからない自信よりも、確実に自分が記してきた実体の方が精神安定剤として安心を感じられるはずです。


次は精神面について。受験を前にして、いくら勉強しても不安になる人と自信満々で本番が待ちきれないという人の2種類の人間が現れてきます。
後者の場合は素晴らしい状態であると思います。その勢いのまま最後まで突っ走って、油断だけしないように頑張ってもらいたいです。一方で多くの人がそうではない、受験への不安で苛まれていると思います。僕自身は2度東大を受験していますが、浪人時の受験は人生で一番と言っていいほど不安にかられ緊張していました。本番1週間前から夜眠れなくなり、受験前日でも全く寝れず同行していた母と朝まで話していたことを覚えています。今振り返ってみて、それほど受験が怖かったのかというと恐らく緊張の原因はそれではないということに気づきました。受験そのものというよりも、ここまでの自分を創り上げてきた人たちからの期待を背負っていることに対して結果を示さねばならないという思いでした。自分の我が身可愛さではなく、人からの信頼に報いるための。
かの「走れメロス」における一説「私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。」が僕は好きで、これはメロスの帰還を信じる旧友セリヌンティウスの気持ちにメロスが全てを投げ打って応えようとするシーンです。
かの予備校講師林修先生は以前あるテレビ番組で、受験は10代のうちに何かに全力で取り組む手段として有用であり、その経験が今後の人生を分けるような人間力が試される場であると発言していました。
これ以上話を広げるとまとまらなくなるので止めておきますが、要するに受験は人生を左右する重大なイベントではあるものの、それ自体に大した意味はないということです。過度に試験問題に怯える必要はありません。それ以上に、期待を受けてそれに応えようと尽くすことが何よりも重要だと僕は結論づけます。


悔いだけは残さないように、全身全霊で足掻いて最後の瞬間まで闘いましょう。


僕も浪人をした身として、片桐くんの言っていた人間的な「深み」が備わったのかかなり精神論(人生観?)の文量が多くなってしまいました。だいぶ入試らしい本筋から離れてしまったかもしれませんが、世界史が得意だった僕はマムルーク朝第5代スルタンであるバイバルスが好きなので本番で出たらラッキーですね。


次は同期の千秋にバトンを渡します。彼は僕と同じく駒場に住んでいてよく話すのですが、未だに底が知れないやつだなあと思います。優秀な現役合格者ですが、なにか「深み」を感じます。その片鱗をぜひ受験生応援企画で見せてほしいです。
 

コメント

名前:
Eメールアドレス:
コメント:
ファイル

画像の英字5文字を入力して下さい。:
パスワード:

ブログ最新記事