ラグビー部リレー日記 2022/12

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Wonderwall

 written by 國枝 健 投稿日時:2022/12/23(金) 16:10

副将の松元からバトンを受け取りました。主将の國枝です。
相手を青天させるタックル、吹き飛ばすキャリー。真のラガーマンである彼のことを本当に尊敬しています。チームのために時には嫌われ役を買って出てくれたし、最後までFWをまとめあげてくれました。そして何より、試合で誰よりも身体を張ってくれました。彼の不器用なみんなへの愛が僕は好きでした。
このチームがあるのも本当に松元のおかげです。
本当に1年間ありがとう。お疲れさま。

今年の自分はシーズンに入る前に、個人的なテーマを何個か設定した。
そのうちの一つが、
「自分が誰よりもプレイヤーとして成長すること」である。
これは、チームが勝つために、主将としてあるために、そして自分が自分であるためにも、シーズンに入る前に自分自身で掲げたテーマであった。
春のBBC期間の練習は誰よりもタフで強くなってやろうという気持ちで全ての練習に臨むことができた。
ただ、シーズンが進み、グランドの内外を問わず、チーム全体としての課題や問題が出てくる中で、だんだんと意識がそちらの方に流れていった。夏の合宿期は怪我でDLにいたこともあり、チームが一つになるためにどうしたらいいか、というある意味、公の部分だけに集中していた。
また、対抗戦期間は、(特に一橋戦以降は)チームが勝つために、
B3として何が求められるのか、一発勝負のトーナメント(だと思って試合に臨んだ)において堅い試合運びをするためにどんなプレーをするべきなのかを考え、そのために練習を考え、絞り、実行した。プレイヤーとしての安定感を追求した。試合に臨む時は、このプレー(キック処理、ペナのタッチキック、ウイングとしてのDF、など)だけは絶対に俺に任せろということを強く意識して、覚悟を持って望んだ。武蔵、成蹊、明学戦では、自分に求められた最低限の責務は果たすことができたと思う。また、その練習、試合を経て、成長した部分は多くあり、自分はあの状況において、その時できるベストを尽くしたと思う。

ただ、学習院戦の自分のプレーは、今シーズンワーストだった。チャンスで2本もノッコンをした。自分が前半の東大のモメンタムを殺してしまった。雨を想定してゲームプランを練っていたこと、半年ぶりのフルバックだったこともあるが、自分がフルバックとしてボールを持って切りに行くという練習とイメージの準備、そして覚悟が甘かった。2回ノッコンをしてから、ボールをもらいにいく積極性を失った。最低のパフォーマンスだった。

学習院戦後の最初の練習(コルツ練習)での最後のトークで、大西さんがコルツの選手たちだけに向けて5分ほど話をした。
A戦に出たいという動機や、今の東大の選手の中の尺度で、自分の目指すべきプレイヤー像を決めるな。志を高く持て。オールブラックスでもワラビーズでも、トップレベルの選手のプレーを目標として、そこに絶対に到達できると信じて日々成長しろ。チャンスを貰ったら失敗を恐れずチャレンジしろ。1番目立つプレイヤーになれ。
簡単に言えばこのような内容であった。

その話を、輪の外の少し離れたところから聞いていた自分には刺さるものがあった。
対抗戦、責任感、安定感、堅さ、目の前の試合に勝つために自分は何が必要か。対抗戦期間中はそういう思考だった。その思考自体は、あの時あの状況、おいては間違っていなかったのだろうと思う。
ただ、大西さんの話を聞いて、いつのまにか自分の視座が低くなっていたことに気づいた。
その時に、改めて、自分が1番成長する、というテーマに立ち変えろうと決心した。ここに来てフルバックを自分がやることになったのも巡り合わせだと思った。残り1ヶ月、本当に誰よりも成長してやろうと決めた。
最後の1ヶ月は本当に楽しかった。対抗戦が終わり、肩の荷が少し降りたこともあるのかもしれないが、本当の意味でラグビーに没頭できた。前を見て勝負し続けることができた。最後の1ヶ月だというのに、4年間で1番成長できた1ヶ月だったと思う。周りの目にどう映ったかは分からないが、名古屋戦は個人としては今シーズン最も納得のいくパフォーマンスができた。
京大戦、残された最後の80分も、最後の最後まで自分らしい最高のプレーをしたい。後輩には、その背中を見てほしい。最後まで前を見て進み続ける自分を見てほしい。主将としても、1人の東大ラガーマンとしても。


対抗戦B全勝、入替戦出場を目標として設定し、駆け抜けた1年間。
結果は43敗。去年より成長を見せたものの、結果は43敗の3位。
一橋戦の屈辱的敗北。成蹊戦の最後の16分。完全に崩れた明学戦。今思い返しても、悔しいことばかりだ。自分の采配は正しかったのか、試合前週に緩んでいた選手に気づけたのではないか、シーズンを通してもっと全員のマインドフルネスを高める声がけができたのではないか。結果の責任は全て主将の自分にあるし、後悔は尽きない。
入替戦で全てを出し尽くし、勝利し、魂を震わせていた成蹊の15人を見て、その姿に感動し、そして、改めて心の底から悔しかった。入替戦のグラウンドに立ちたかったし、やっぱり、どうしても成蹊と明学に勝ちたかった。
勝利を本気で目指したここまでの仲間との日々、成長は確かに自分たちの財産となるだろう。でも、やはり、成蹊に勝っていたら、入替戦に出ていたら、絶対に人生は変わっていた。それは揺るがないし、取り返すこともできない。おそらく、一生の心残りになるのだろう。
後輩のみんなに夢を託す形になってしまって本当に申し訳ないが、みんななら絶対にできると確信している。自分を信じて、仲間を信じて、絶対に目標を達成してほしいと強く思う。



最後に、この場を借りてお世話になった方々に感謝を述べさせていただこうと思います。

大西さん。
進むべき道を迷ってしまった時、大西さんのあつさと真っ直ぐさに、僕自身が導かれていたと思います。未熟な僕たちをここまで心から信じてくださり、ご指導いただき、本当にありがとうございました。大西さんと歩ませていただいたこの1年間を一生大切にします。

青山先生、深津さんをはじめとした、監督、コーチ陣の方々。
主将としてどうあるべきか、チームをどう動かすべきか、様々な相談に乗っていただきました。部員の見えないところでも、本当に沢山のお力添えをいただきました。このご恩は、卒部後、OBとして微力ながら、返させていただこうと思います。

垣内さん。
心から尊敬しています。垣内さんなくしてこのチームはありませんでした。垣内さんとプレーできたことを一生、誇りに思います。

1年生。
個性の強いみんなが好きです。コルツ戦でのみんなの成長には本当に感動しました。来年は対抗戦で暴れまくってください。
猿渡、ラグビーやめんなよ。

2年生。
東大ラグビー部の歴史を変えるキーマンは2年生のみんなだと信じてます。本当に素敵な代だなっていつも思ってる。みんなとラグビーして、馬鹿話するのが本当に楽しかった。こんな俺と仲良くしてくれてありがとう。

3年生。
同期みたいなもんだと勝手に思ってました。西久保と安富が逞しくて、もう、なにも言うことがないな。最後の1年、最高の1年にして欲しい。3年間、本当にありがとう。

同期のみんな。
俺を信じてついてきてくれてありがとう。全てが終わったら、また語り合おう。
そして、これから先の人生もよろしく頼む。

両親。
2人の理解とサポートのおかげでここまでラグビー部に没頭することができました。素敵な仲間とかけがえのない時間を過ごすことができました。いつもは面と向かって言えないので、ここで言わせてください。
本当にありがとう。

他にも、ここに書ききれないくらいのたくさんの方にお世話になりました。本当に感謝しています。ありがとうございました。


最後の最後に、、、
最後の京大戦を前にして思うことは、やはりラグビーは最高のスポーツである、ということだ。ラグビーというスポーツの魅力については何度かリレー日記を通じて書いてきた。が、最後にもう一度だけいいたい。

ここまで魂が震えるスポーツはない。こんなに仲間と、心を、魂を通わせることのできるスポーツはない。
今シーズン、この仲間と最後の80分。

ラグビーに没頭して、仲間と魂を通わせて、死闘を制そう。

主将 國枝健

誇り

 written by 松元 暢広 投稿日時:2022/12/22(木) 18:30

主務の廣瀬からバトンを受け取りました、副将の松元です。
廣瀬はこの一年間、私生活も全てラグビーに捧げて主務として大車輪の活躍をしてくれました。個人としても性格や考え方、人生観などが似ている部分が多く、なんていう紹介文さえもやはり被ってしまいました。口に出すのは恥ずかしいですが勝手に親友だと思っています。何もやることがなくてただ港で寝転がるような弾丸旅行、また行きましょう。

「勝利」とは一体何なのだろうか。今年になって考えるようになった。

振り返るとラグビーに関わってきた去年までの6年間、そんなことは全く考えてこなかった。弓道部に入ろうとして、たまたま出会った湘南高校ラグビー部。そして高校でやっていて楽しかったからという理由で入った東大ラグビー部。去年までの自分は試合中、常に頭の中にあるのは目の前の相手をタックルで倒すこと、そして少しでも多くゲインすること。どうやって勝とうだとか、チームがどうだとか全くそんなことは考えておらず、ひたすらに自分のプレーのみに集中していた。勝ったら嬉しいし、負けたら悔しい。ただそれだけだった。

そんな自分が最高学年になった。シーズンが始まる前に学年MTGでみんなにラグビーをやる理由について聞いた。
「勝ちたいから」、「ラグビーを好きになりたいから」、「日常だから」、「東大にいるから」。
いろんな意見があった。個人個人でラグビーをやる理由なんて違うものであるはずだし、そこに間違いなんてものは無い。ラグビーをやるバックグラウンドが多種多様なのは東大ラグビー部の特徴であろう。
そんな中で今年の目標は
「対抗戦全勝で入替戦出場」
に決まった。
つまり4年生、ひいては自分達首脳陣は「多種多様なバックグラウンドを持つ部員と共に1つの目標、勝利に向かう」ことが責務であり、成し遂げなければいけないことである。簡単なことではない。自分は國枝みたいにチーム全体を見てマネジメントすることはできないから、勝利に向かうためにグラウンドで一番体を張ることを、覚悟を決めた。
目標を「対抗戦全勝で入替戦出場」、手段を「フィジカルで圧倒すること」としてシーズンは始まった。シーズン当初はBBC、CCを重ねて着実にフィジカルの強化を感じていくことができた。体重を増やし、その大きくなった体をどのように使うか、かなりきつい練習であったことは確かだが、練習を通してみんなのレベルアップを感じることができ、気持ちはかなり前向きだった。4月末に行った京王線沿い某強豪大学との練習試合ではDFにかなりの課題を抱えたものの、ゴール前ではトライを取り切ることができたシーンもあり、自分達のやっていることに間違いはないことを実感できた。

しかし、怪我をした。グラウンドで一番体を張ることが自分の責務だと考えていた自分は途端に自分のやるべきことを見失った。焦りしかなかった。明治戦や早稲田戦での大敗を見て、部員に対して厳しく接した。言わなくていいことも言った。その後のチームの連勝があっても、勝手に焦って、これじゃダメだと素直に勝ちなんて喜べず、チームのいいところになんて全く目を向けられず、悪かったところしかみんなに伝えることができなかった。
怪我から復帰してからもそれは変わらなかった。山梨学院戦や慶應戦、立教戦を通して不安が増えていった。去年の学習院戦がよぎって、チームが一瞬の綻びから一気に悪い方へ転がる気がして、自信なんて持てなかった。
そして迎えた対抗戦。
いつの間にか、勝ったことに喜べなくなっていた。やるべきこと、やらなければいけないこと、できなかったこと、そんなことに押しつぶされて、あれよあれよという間に対抗戦は終わってしまった。
勝ちを欲していたはずなのに、勝ったことから一番遠いところにいたのは他でもない自分だった。

今思うと多分勝利には二つあったのだと思う。自分に勝利することと、相手に勝利すること。自分は今年、自分に負け続けてしまった。やるべきことに、進むべき道に悩み、迷った。迷った末に相手に勝利することに喜びを感じれなくなった。でも迷う必要なんてなかった。自分が迷ったら、部員たちだって迷う。自分がするべきことは、自分達がしていることが正解だと信じて、進むことだった。
もしシーズン前の自分に声をかけられるのであれば、去年甲斐も書いていたが、「もっと肩の力を抜けよ。」と言ってやりたい。「勝ったら喜べ。大切なのは切り替えることだ、自分を信じろ。」と。正解かどうかなんてわからないけど、それが自分の出した一つの結論だと。
1年生から4年生まで対抗戦全試合に出場させていただいたけど、自分がプレーヤーとして成長できたかどうかなんて結局わからなかった。でもわからないならわからないなりに、今自分の持ちうる全てを、自分を信じて、みんなを信じて、明後日の試合にぶつけることで自分の大学ラグビーの幕を閉じたい。

この4年間お世話になった方々に感謝の思いを。
両親、コーチ陣の皆様、OB・OGの皆様、トレーナーの皆様、先輩方、後輩たち、本当にたくさんの方の力を借りて4年間、ラグビーをすることができました。本当にありがとうございました。皆様にかけていただいた言葉、皆様の姿、全てを自分の糧にして、一人の息子として、東大ラグビー部の卒業生として、そして仲間として胸を張って生きられるようにこの先の人生を歩んでいきたいと思います。ありがとうございました。

この場をお借りして同期に少しだけ。
同期へ。
人間的にも副将としても未熟でたくさん迷惑をかけました。みんなの目を気にして、みんなに嫌われたくなくて、みんなから離れようとしたこともありました。
本音を話すのは苦手です。
自分の底が見えるような気がするから。
本音を話すのは苦手です。
涙が出て来てしまうから。
でもここで書かなかったら一生自分の口からは言わない気がするので。

杉井と三方と國枝が後輩を巻き込んで馬鹿騒ぎしているのを見ているのが好きでした。
玉代勢と内藤が全く内容の無い話をしているのを聞いているのが好きでした。
財木とごたつと光と一緒に遊ぶのが好きでした。
鵜飼と平岡が野球の話をしているのを聞くのが好きでした。
原くんとしゅうぞうとゲームをするのが好きでした。
ゆきちゃんの周りに流れてるゆったりとした空気感が好きでした。
ささが彼女にデレデレになっているのを見るのが好きでした。
佐川と河内がしょーもないことで平岡をいじっているのを見るのが好きでした。
あしゃが後輩の前でカッコつけているのを見るのが好きでした。
五島が意味わからないタイミングで話に入ってくるのが好きでした。
かわはるにテーピングを巻いてもらうあの時間が好きでした。
えのきと若菜がなじりあっているのを聞くのが好きでした。
岩下が山梨学院から唯一学んできた叫び声が好きでした。
あきらの絶妙に心に刺さる毒舌が好きでした。
廣瀬とのんびり温泉に行くのが好きでした。

試合に勝ってみんなと一緒に喜ぶのが好きでした。

成蹊明学に勝って、入替戦に出て、みんなが、國枝がどんな顔をしているのかが見たかった。
本当に4年間ありがとう。


副将として後輩に残せるようなリレー日記をと思ったけど無理でした。リレー日記で書くことじゃない駄文だったかもしれません、すみません。
でもこれでいいと思っています。自分の身の丈に合った自分の言葉です。

最後にかつてリレー日記に書いた言葉をもう一度。
「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである。」
この4年間、ラグビー部での日々は決して楽しいことばかりではなかったけれど、いざ終わりになるとこんなにも失うことが悲しくなるほど、大切で愛おしいものでした。結果的には入替戦に出られず目標は達成できなかったけれど、まだまだ自分でもこの結果に納得はいってないし受け止めるにはちょっと時間がかかりそうだけれど、いつか自分でもこの4年間を、この1年間を誇れるようにまずは明後日の京大戦から。
もがいて、全力で、今までで一番を。

京大戦、勝って笑おう。

國枝組
副将 松元暢広

次は我らが主将、國枝にバトンを回します。今年のチームは國枝がいたからこそ、こんなにも下級生もついて来てくれる良いチームになりました。副将として全く力になれなかった気しかしなくて申し訳ない気持ちでいっぱいです。私生活でも部活動でもチームの規範となり部員一人一人に目を向ける良いキャプテンであり続けました。ありがとう。激アツだったよ、キャプテン。

彩り

 written by 廣瀨 健 投稿日時:2022/12/21(水) 17:21

あしゃからバトンを受け取りました、主務の廣瀬です。
彼女とは数えきれないほどLINEも電話もミーティングもして、本当に助けてもらいました。彼女がいなければ今年のチームは間違いなく機能しなかったと断言できます。三年生までも口先では感謝を伝えていたけれど、あしゃ始めスタッフの偉大さが本当に身にしみる一年でした。皆本当にありがとう。部員全員の努力の結果なので謝ることはしませんが、入替戦の場に皆で立ちたかった気持ちは今も変わりません。
 
あと三日で、僕のラグビー人生が終わる。ほぼほぼやり切った。
静岡への準備はもう少し残っているが、次こそ新幹線が止まらないことを祈るだけだ。

下級生の頃のことは既に書いてしまったが、ありきたりに振り返らせていただく。
 
僕がラグビーを始めたきっかけは父である。
小学生の頃には、家族のアルバムを見たり会報が家に届いていたこともあり、なんとなく父が東大ラグビー部だったことを知っていた。 自分から興味本位で頼んだのだが、中学生の時に父に連れられ初めて試合を見たのも東大ラグビー部だった。相手は防衛大学校で、子供からすると異常な体つきだった。ガリ勉軍団なんてどうせ負けると思ったのに、激しいタックルを繰り返す東大が勝利した。ミーハーな僕はこの試合を見て、父はこんなことをしていたのか、文武両道ってかっこいいと思い「東大に入ってラグビーをする」ことが人生の目標になり、高校・大学受験も限界まで背伸びをして頑張れた。
 
高校では迷わず入部した。卒業するまではスイカジャージがこの世で一番格好良く見えた。東大ラグビー部グッズのクリアファイルを使い、スイカを着たキューピーちゃんのストラップを鞄につけ、父の卒部記念レプリカジャージを寮の部屋にかざり、試合にもお守りとして欠かさず持っていった。ただ理想と現実は隔たりがあるもので、全く活躍できなかった。練習・試合をすればするほど惨めになり、理科職員室の前で退部宣言の練習をする度に顧問の先生に怒られることの方を恐れて言い出せず、三年間が終わった。もちろんいい仲間はできたし、かけがえのない経験ではあったがラグビー自体はトラウマになった。

浪人中は記憶がないが、スイカへの憧れも薄れていった。東大に合格してラグビー部の新歓に行ったが高校時代の苦い記憶を思い出し「このスポーツで進学校が勝つのは無理。」と思い、より勝てる可能性があるカレッジスポーツでボートと迷った挙句ラクロスを選んだ。夢を追っても同じように失敗してしまうことを、心のどこかで恐れていたのかもしれない。

紆余曲折を経て再び僕の夢を与えたくれたのもまた、東大ラグビー部の試合だった。杉浦さんの魂のタックルを見て、再び「スイカジャージを着たい。」と強く思った。
そこからは必死に食らいついてきた。試合に出られなくても、怪我で何もできない時も、出ても満足のいかないプレーばかりで嫌になった時も。
 
今年は幸運にもスイカを着る機会に多く恵まれた。前十明けのジャージ授与式では涙が出るかなと思っていたが、緊張してそれどころではなかった。対抗戦もあっという間だった。DLの時に忘れまいと誓っていたにも関わらず、出られない人のためにとかジャージを背負う誇りとか考える間もなかった。各試合での気持ちは既に多くの同期が述べた通りだ。
去年秩父宮で悲しい思いをした分、今年こそエコパでスイカを着るのを楽しみにしていたけれど、結局最後も怪我をしてしまい、明学戦がラストスイカになってしまった。

ただあまり後悔もない。
前十以降、いつ引退試合になってもおかしくないと思っていたから、必ずスパイクは完璧に磨いたしプレーのイメージもしっかりしたし僕なりに覚悟も決めて戦った。反省点だらけではあったが、毎回その日までの僕のベストパフォーマンスを出せたと思っている。


一年を通じたチームの戦績についても各々思うところはあるだろうが、僕としてはこう伝えたい。

「4年生はこの結果を誇りに思おう。必死になって取り組んできた証しなのだから。」

歴代の4年生のリレー日記を読んできた中で、強く印象に残っている望月さんの一文である。(直接お会いしたことがないのに引用失礼します。)
石川さんの代は4勝という目標を達成し僕らとは違う状況かもしれないが、簡潔ながらも前向きに自分たちの努力を振り返っていて非常に好きな表現だ。

プレイヤーもスタッフも、國枝組の一人一人が身も心も限界までやってきたと思う。常に先を見据えていたとはいえ、その時のベストを尽くしてきたと思う。
その結果が今年の戦績なのだから、胸を張ろう。

とはいえ、個人的には学習院、名古屋と不完全燃焼感がある。
大西さんのもとで間違いなく日々成長していると思うが、國枝組の力はこんなものではないと思う。
最後こそ、全員で熱い試合をしよう。



今年は主務という肩書きをもらったものの、とても良いマネジメントができたとは言えず多方面に多大な迷惑をかけてしまった。自分は謝るために主務になったのかと思うこともあった。僕でない方がうまく行ったこともたくさんあっただろうが、その度に僕を信頼し推してくれた人たちの存在が心の支えになった。偉大な主務だった太田さんのような強さがなく、しょっちゅう皆に弱音や愚痴を吐いてきたが、このチームのために仕事をすることを任されたことは本当に幸せだった。皆ありがとう。


この四年間ほぼ全てをラグビーに捧げてきた。
正直身も心も堪えたが、色々な人の支えがあり東大ラグビー部における自分の目標と信念を最後まで貫くことができた。
生まれ変わっても國枝組のいちプレーヤーとして、主務として過ごしたいと思える、そんな素敵な日々だった。


最後になりますが、
コーチ陣の皆様、OB・OGの皆様、保護者の皆様、田崎先生、工藤さん、飯塚さん、先輩方、後輩たち、同期、そして家族。
今まで本当にありがとうございました。

皆さんには感謝することが多すぎてここには書ききれなかったので、必ず別の機会に直接お礼を伝えさせていただきたいと思います。


最高のチームでした。最高の四年間でした。
ありがとう東大ラグビー部。


次は松元にバトンを渡します。彼とは性格や考えが似ていて、同期の中でも多くの時間を一緒に過ごしました。副将として人一倍危機感を持ち、部員に厳しく接してくれました。人目を気にしすぎる彼も、この一年で本当に強くなったと尊敬しています。ただ、グラウンドから家まで歩いて15分のくせに僕と財木とゴタツとしゃべるためだけにわざわざ電車で帰るのは意味不明すぎるのでやめてください。

綾織なす華やかなりし日々

投稿日時:2022/12/20(火) 17:19




 みんなの兄貴、三方からバトンを受け取りました、4年スタッフ長の谷田です。私も三方を兄貴として慕っている一人で、1年生の頃から仲良くさせてもらっていましたが、その温厚さと冷静さを兼ね備えた人柄に何度も救われてきました。人生をかけた相談をさせてもらったこともありますね。

 1年生の頃ラグビーなんか嫌いだとずっと言っていましたが、多くの人が三方なら4年間やり遂げるだろうと思っていたことでしょう。苦しい思いを何度も乗り越えて、東大ラグビー部の第一線で輝き続けてきた彼を心から尊敬しています。奇遇にも、就職しても近くにいるみたいなので今後ともぜひよろしくしてもらえると嬉しいです。



 今になって気づいた感情と、毎日噛み締めていた感情がある。
 その2つは時に相反するものであるし、時に共存するものである。両方が、今の私を形作っているこの上なく大切なものだ。



 4年間、必死だったな。
 最後の対抗戦を終え、振り返るとそう思う。

 勝ちたかった。
 春シーズンは、不安を感じていた。1年生の時は初めての対抗戦で正直右も左もよくわかっていなかったけれど、2,3年生の時は今年こそ勝てるのだと信じていたのに負けてしまったから、結局どうしたら東大ラグビー部は勝てるのか、今年のチームはこれまでのチームを上回るどんな要素を作っていけるのか、わからなかった。3年時も同じスタッフ長という立場で精一杯やったつもりだったので、さらに何をすればいいのかわからなかった。4年になってそれはどうなんだという焦りもあったし、かといって他の同期のみんなが具体的にどうやって問題を克服しようとしているのかもよく見えなかったから、道がないようで不安だった。でもきつい練習やトレーニングを乗り越えて体が大きくなっていく選手たちを見て、同期たちが最高学年として少しずつ成長していくのを見て、自分も持ちうる限りの時間を使ってやるべきことをやって。春の4連敗はあれどその後勝利が続いて少しは希望を持つようになった。
 夏はとにかく目まぐるしい日々だった。日々ハードに練習する皆の傍、合宿の準備に明け暮れ、下見しに山梨まで行ったりなんかもした。本当に部活だらけの日々で信じられないほど時間が早く過ぎた。合宿は、試合結果が芳しくないまま中止になってしまったけれど、濃い時間をたくさん一緒に過ごす中でいい感じにチームビルドされていると感じていたから結構前向きだった。対抗戦開幕時点では、今年は目標を達成するのだと信じていた。
 上智戦の前の日は、なぜか涙が止まらなくて眠れなかった。みんなのこれまで努力が報われますように、ついでに私の努力も報われますようにと強く願った。辛勝して安堵の涙も流した。
 でも一橋に負けた。4年間で一番悔しい敗戦だった。何もかも投げ出したくなる結果だった。大痛手の敗戦に沈むチーム。どう立ち直るか模索しなければならない大事な1週間だった。残りの試合で全勝すると信じるしかなかった。誰も怪我しませんようにと思いを込めて、いつにも増してケアマッサージ等怪我管理に打ち込んだ。マインドフルネスを高めるべく、チームオペレーションにもさらに気を使った。しかし、武蔵には勝てたものの成蹊明学と勝てなかった。そこからは何が足りなかったのか思いを巡らせる日々だった。だが正直まだ結果を受け入れ切れていないし、受け入れられる日はこないかもしれない。入替戦で1部に昇格し歓喜に沸く成蹊を目の当たりにして、あんなに悔しいとは。

 勝利のために、スタッフとしてできることはなんでもやってきた。ラグビー部で起こっていることを理解すべくできるだけ多くのセクションに所属した。ケアの資格やアスリートフードマイスター取得など専門的技能の勉強にも勤しんだ。チームのオペレーションに深く関わることになった今年は、大事な選手たちが少しでもラグビーに集中できるよう最大限に気を使ってきたつもりだ。首脳陣との連携から、日々の小さなことまで。スタッフ組織でも、運営と調整に文字通り心を砕いてきた。
 15人という、長い東大ラグビー部の歴史の中でも随一のスタッフの豊富さそしてそれぞれの熱心で的確な仕事は、今年のチームの強化を強く下支えしていたと改めてはっきりと言える。東大ラグビー部という組織は著しく進化した。私がスタッフ長を務めて全体が少し見えるようになったこの2年間だけでも、その中で私が行ったものだけでも、仕事の量は激増したし質も向上した。組織として強くなっていると肌身で感じていたし、それは紛れもない事実だ。

 一方で、ずっと不安だった。
 もっと何かできるのではないか。スタッフ組織はもっとよりよくできるのではないか。チームやスタッフがバラバラに向いているのではないか。選手の要望を汲み取れていないのではないか。私の仕事は形に残らないものが多い中毎日判断の連続で、選んだ答えは正しく結果に結びついているのか。
 そんな不安はあれど、色々相談してもらえる立場として弱音を吐かないように意識していたし、そもそも選手を見ればしんどいと感じる余地すらなかった。私がそんなふうに気を抜いていては部の運営に支障が出るという責任感もあった。練習中もそれ以外も、できることを探し続けるのが私の仕事だった。だから、毎日淡々とやるべきことをして、いつでも頼ってもらえるようになんというかカッコつけるようにもしていたのだけれど、力不足だったのかもしれないな。いろんなところでもっといいやり方があったのだろう。
 また、一旦自分が不安で必死であるということに気づいてしまうとラグビー部にマイナスな気持ちを持ってしまいそうで、それが嫌で気づかないようにしていた部分もあった。ちゃんと自分の不安に向き合っていればもっと気づけた問題があったかもしれない。実際今振り返れば、スルーしてきてしまった問題もある。私は強くあるためにそうしていたのだけれど、むしろそこに弱さがあったと今になって思う。



 4年間、幸せだった。
 これが毎日感じていた感情だ。

 4年前、ラグビーというスポーツの精神性が好きで、東大ラグビー部が背負っている伝統や充実した環境、規模感、雰囲気、そして対抗戦A昇格という夢に魅了されて、入部した。
 何事も経験してみることが大事だという考えもあって、高校までで経験してきた「選手」ではなくスタッフを選択した。でも普段は考えないようにしていても、高校までの自分を知る人たちに「『選手』をして欲しかった」と言われる度、引退の時に「選手」になるべきだったと後悔したらどうしようと不安に思っていた。正直にいうと、女子部がなく自分がやるという選択肢から最も遠いからこそラグビー部を選んだのもある。実際「選手」を選んでいたらどうなっていたかなと思いを馳せたことも何度か。
 そんな機会費用もあり、大事な大学生活の4年間を捧げるのだから、その対象は自分にとって近しく大事な人々であって欲しいと願い、4年間選手とのコミュニケーションを欠かさないようにしてきた。選手の性格・努力・悩みなど、理解するよう努力してきたつもりだ。勝利に貢献する上でもその理解が役立つと信じていた。同じチームの一員として対等に、選手に向かい合いたかった。
 しかし理解しようとすればするほど、私の”players first”の考えも邪魔して、どこまで行っても選手が味わっているラグビーの苦しみを共有できない苦しさを感じていた。ウエイトやBBCを乗り越えるみんなをみて、メンツ発表時の緊張した面持ちのみんなをみて、試合に勝って負けて感情をあらわにするみんなを見て、どこか置いていかれるような気持ちがあったのは確かだ。今まで書いてきたように真の最高学年としての1年を振り返ってみても、やはり頭に浮かぶのはスタッフとして見るチームの文化的なことが多く、選手との感覚の乖離があるかもしれない。スタッフが、選手はスタッフの仕事を理解していないとぼやくことがあるけれど、スタッフの選手たちに対する理解のなさに辟易した選手もいたのだろう。ラストリレー日記を読めば、初めて知る同期たちの苦悩があり、新たに知る一面がある。最後まで自分の未熟さを感じている。彼らに寄り添い切れていなかった。独り善がりだったのかもしれない。
 でもたとえ時に突き放されようとも、私が関わってきた東大ラグビー部の一人一人を、一貫して毎日を捧げられるだけの大好きで大事な存在として位置付けてきた。だから必死になることができたし、最後までやり遂げることができた。朝起きたらまずラグビー部のことを考えて、1日の中でラグビー部とたくさんのやりとりをして、夜は明日のラグビー部のことを考える。1年生の頃青山先生にいただいてから書きためてきたラグビーノート、日記、写真フォルダ。どこをみてもラグビー部ばかり。ここまで没頭できたことも、幸せに思う一つの理由だ。「スタッフに結果で返せなくて申し訳ない」と見聞きすることがあるけれど、私だって結果ももちろんとても大事なのだけれど、それはみんなが大事にしたいと思える存在でいてくれたからこそであり、むしろいただいてきたばかりだと言いたい気持ちもある。
 思い返してみれば辛いこともあったけれど、それに気づかないで走り抜けられるほどやりがいのある日々だった。今心からそう思えてよかった。心が震える瞬間に何度も立ち会わせてもらった。ラグビーに没頭するみんなは美しかった。4年間、支えさせてくれてありがとう。みんなの辛く楽しいラグビー生活を少しでも支えられていれば幸せです。


 2月のリレー日記に対しては、この文章をもって返答できそうです。


 最後になりましたが、改めて感謝の思いを。
 熱い想いと期待を寄せて支援してくださっている、OB・OG、青山先生、コーチ陣の皆様。皆様のサポートのおかげで活動できていることをいつも身に染みて感じておりました。ここ数年は例年にも増してご協力いただいております。チームとして結果で恩返しする事は叶いませんでしたが、私個人にとっては皆様のおかげで学びの多い大切な4年間になりました。この場を借りて、心から御礼申し上げます。

 同期のみんな。当たり前に一緒にいられる場所を作ってくれてありがとう。下級生の頃はラグビーなんか嫌いだという人の方が多かったような印象までありますが、それでも最後まで努力を続け、かっこいい4年生になったみんなをとても尊敬しています。そしてそんなみんなと時間と思い出、努力を共にできたことを誇りに思います。4年間ありがとう。今後も仲良くしてもらえると嬉しいです。

 スタッフのみんな。色々要求して無理させてしまったこともたくさんあると思います。ごめんね。非合理的で頼りない私を温かく見守ってくれてありがとう。どんな時も共に仕事をしてきて、いつも刺激をもらっていました。後輩のみんなは、来年以降大変になると思いますが、ラグビー部を本当に熱く思う優秀な皆さんなら、きっともっと東大ラグビー部を進化させられると思います。最初は初々しくて可愛い後輩だったのが、たくさん努力して成長していく姿を見て今はとても頼もしく思っています。とはいえ可愛い後輩には変わりないので、卒部しても相手してください。選手たちと協力して頑張ってね。

 後輩のみんな。目標達成に向けて無茶を繰り返す私たちについてきてくれてありがとう。今はまだ先の見えない練習ばかりで、辛いことがあまりにも多いかもしれません。でも努力家のみんななら必ず入替戦出場を果たしてくれると信じています。そして後輩スタッフはじめ応援してくれる人たちのためにも、それに値するよう心身共に自己研鑽を続けて欲しいです。最終学年までそばで支えることができないことが心から残念ですが、試合で応援できるのを楽しみにしています。ご飯いつでも行きましょう。

 先輩の皆さん。野村組、藤井組、杉浦組それぞれが大好きなチームでした。たくさんよくしていただいた上に、ずっと進むべき道を示していただいていました。大好きなその背中を懸命に追いかけて少しでも支えられた経験は私にとって本当に大切でした。ご飯のお誘いいつでも待ってます。

 両親へ。何かをため込んでは直ぐに「明日帰る」と言って帰省する私を温かく受け入れてくれたり、遠くからでもいろんな手助けをしてくれたりと、いつも誰よりも私を応援してくれていることを強く感じています。時間をかけて恩返ししていきます。いつもありがとう。



 最後のリレー日記まで長くなってしまいました。自分が部活を通して考えていたことや引退間近のこの気持ちをせっかくなので素直に綴っておきたいと思い、僭越ながらリレー日記にさせていただきました。ここまでお読みいただきありがとうございました。


 今年の残りの試合はついに京大戦だけになりました。昨年の秩父宮での東大100周年記念試合、今年のエコパでの京大100周年記念試合を両方経験させていただけるのもまた幸せなことです。先月静岡まで下見に行って一足先に会場を見せていただきました。あんなに素敵なスタジアムでみんながラグビーを楽しむ姿を見るのが本当に待ち切れません。楽しんで京大に勝ちましょう。


 次は、國枝組主務の廣瀬に渡します。廣瀬とは今年、二人三脚のような形でいろんな連携をとってきたので、ずっとそばで彼の努力を見てきました。彼の責任感の強さと東大ラグビー部への想いがチームの大黒柱の一本となったのは言うまでもないことですが、今年はイレギュラーで大変なことが本当に多かったです。それを選手との両立というあまりにも厳しい環境の中でやり遂げた廣瀬に、心から感謝しています。4年間お疲れ様、ゆっくり休みましょう。





 

幸せな地獄

投稿日時:2022/12/19(月) 16:30

大親友の杉井からバトンを受け取りました、三方です。杉井とは高校も大学も一緒で部活もずっと一緒で、なぜか大学のクラスまで一緒でしたが、プライベートでもほぼ一緒にいた気がします。僕の青春を杉井の存在無しで語ることは出来ません。俺らの魂は一生続きます。
昨日名大戦を終え、引退まで一週間を切った。あと一週間でこの苦しみから解放されると思うと嬉しくて仕方ないが、高校から計7年間、色んなことを犠牲にして取り組んできたラグビーが終わると思うと複雑な気持ちだ。引退して時間が経ってもラグビーに捧げた7年間を忘れないよう、この場を借りて振り返らせて頂きたい。

高校に入学してラグビーを始めたのは単純な理由からだ。中学までやってきた野球を続けるのに限界を感じていたこと、そしてラグビー部が全国を目指せるほど強く、3年間を捧げるのに値していたこと。ラグビーがどれだけ辛いスポーツかも知らず、そしてなぜ全国を目指せるレベルを維持しているのかも知らず、軽い気持ちでラグビー部の門を叩いた。

すぐに自分がとんでもない選択をしたことに気づいた。ラグビーは辛く、痛く、目の前の一日を乗り切ることに必死だった。3年間はあっという間に過ぎ(当時は悠久の時間に感じていましたが)、引退して思ったのは、もうラグビーをやることは無いんだろうなということ。大した選手じゃないことは分かっていたし、ラグビーを楽しいと思ったことは一度も無かった。大学に入ったら当時から敬愛していたビートルズのコピーバンドサークルにでも入ろうと思っていた。

ただ、ラグビーを通じて出会った仲間は最高だった。ラグビーは楽しくないけど、ラグビーで身体をぶつけ合うことでしか得られない絆が好きだった。大学生になり、東大ラグビー部に初めて見学に行ったときも高校と同じような暖かい雰囲気を感じてしまった。学生主体で練習を運営していたとか、同じように大学ではラグビーを続けないとだろう思っていた高校同期の多くが大学でラグビーを続けたとか、色々理由はあれど、結局あれだけやりたくないと思っていたラグビーを続けたのは、東大ラグビー部の「人」に惹かれてしまったからだった。

そして予想通り、東大ラグビー部でも、高校の頃とはまた異なる特長を持った素晴らしい同期・先輩・後輩に恵まれた。自分の人生はつくづく人に恵まれていると思う。毎日ラグビー部の仲間に会うのが楽しみだという気持ちは今も変わらずにずっと持ち続けている。

でも、やはりラグビーというスポーツ自体を楽しいと思うことはずっと無かった。これが僕にとっては非常に問題だったと最近になって思う。自分の内的成長や楽しみのためにラグビーをするということが出来なかったのである。自分の行動原理は常にチームに貢献すること、いやそんな高尚なものじゃない。チームに迷惑を掛けないこと、自分が大好きなこの組織に居続けることを目的にラグビーをしていた。ウエイトするのもラグビーのためだけだし、体重を増やすのもそのためだけ。フッカーとして今年はセットプレーリーダーとして、スクラムやラインアウトなどのセットプレーはプライドと責任を持って研究して練習したし、全員がマスターしなくてはならないDFは時間を掛けて練習したけど、他の人に任せられるATやフィールドプレーは自分の役割ではないと決めつけてそこまで深めようとはしなかった。

またそれとは別の問題もあった。7年間を通じて気づいたのは、自分はそもそも勝負に向いていない人間だということだった。相手を蹴落としてまで勝負に勝ちたいとは思えないし、行動するよりも先に頭で考えちゃうし、目の前の一つの勝負にこだわれない。学年が上がるごとにそんな自分を痛感して嫌になることが増えていった。

最終学年になっても、この2種類の弱さは中々変えられなかった。春シーズン始めには早稲田や明治相手に一矢報いることもできず、終盤にはスタメンを外れた試合もあった。ただ、結果が出なかったら次戦のスタメン落ちを示唆された山中湖の慶應戦や、それと同等の覚悟を持って臨んだ立教戦を通して、段々と納得のいくプレーが出来るようになっていった。集中力を高めるために自分がどのような準備をすれば良いか分かってきた。大学やプロのトップ選手がどのような表情、覚悟で試合に臨んでいるか知りたくなり、また単純に自分のプレーの参考にしたいという思いから、個人的にラグビーの試合を見る回数も増えていった。次第に人だけでなく、ラグビーというスポーツ自体に魅力を感じるようになった。

対抗戦はあっという間だった。納得のいくプレーが出来た試合、相手の雰囲気に飲まれてしまった試合、魂が震えるような熱量を感じた試合、負けて絶望を味わった試合。どれもラグビーでないと経験できないような感情だった。苦しみをチーム皆で乗り越えた先に現れる、ラグビーというスポーツの真の魅力がそこにはあった。

弱い自分は変わってないし、やっぱりラグビーは楽しいと思えないし、今でも練習前は憂鬱だし時には吐き気も感じるし、もう一度大学に入学してラグビーを選ぶかは分からないけど、大学でもラグビーを続けて本当に良かった。

最後になりますが、青山監督、深津さん、大西さんを始め、僕に厳しくそして優しく指導して下さった皆様、本当にありがとうございました。そしてラグビーに最適な環境を用意し、熱量を持って応援し支えてくださったOB/OGの皆様、本当にありがとうございました。後輩のみんな、頼りない先輩でしたが仲良くしてくれてありがとう。そして同期のみんな、逸材が多く、皆自分にはない尊敬できる部分を持っていました。色々ありましたが、この学年以外に自分の居場所は考えられません。ありがとう。

大学生にもなって家に何の還元も持ってこない息子でしたが、文句を言いながらも支えてくれた家族へ一番感謝を伝えたいです。この恩は引退してからゆっくり返していきます。


ここで終われば(多分)格好良い日記ですが、対抗戦の最終戦で集中力を欠いたプレーをしてしまったことが原因で、現在自分はリザーブにいます。本当に情けないし、今はラグビーをやってよかったとか関係なく、悔しい思いで一杯です。京大は個人的にもチームとしても思い入れのある最後の試合、1分でも長くグラウンドに立ちたいです。この一週間、最高の準備をして試合に臨みます。

次は2年もの間、スタッフ長としてチームを支えてくれたあしゃにバトンを渡します。あしゃは常に笑顔で僕らに接してくれますが、僕らの見えない所では多忙な業務をこなしていたため、心の内では僕の想像し得ない苦しみや想いを抱えていたことでしょう。本当にお疲れ様です。最近は4月からの社会人生活を不安視している姿が目立ちますし、いつ爆発しないか心配です。引退したら少しは休んでね。
 
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