ラグビー部リレー日記 2022/12

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かっぱえびせん

投稿日時:2022/12/18(日) 20:57

東大ラグビー部が誇る、仕事ができる美人マネージャーの伊藤若菜ちゃんからバトンを貰いました、杉井です。杉井ママは若菜ちゃんのことが大好きです。今度の京大戦でも若菜ちゃんに特別に差し入れを持ってくるそうです。若菜ちゃんの今日の服装も素敵でした。卒業後も素敵なファッションセンスのままずっといて欲しいです。ママ友の子とは今後どんな展開を見せるのか予想もできません。
若菜ちゃんからのフリに丁寧に答えていたら少しふざけた感じになってしまいました。でも若菜ちゃんと一緒にラグビーができて良かったと心の底から思います。今後ともよろしくお願いします。


高校生のころ、無理やり勧誘されてラグビーを始めました。あんなに毎日辛いと思っていたのに、もうすぐ引退かと思うと正直非常に寂しいです。本当は雑草魂というタイトルで日記を書こうかと思いましたが、やめます。

「何のためにラグビーをやっているのか。」この問いは全国津々浦々のラグビー部員によって何十万回も考えられた問いだと思います。僕も例によってよく考えていました。が、普段あまり物事を深く考えない僕にはこの問いはあまりに難しく、下級生の頃はシーズン最後の4年生のリレー日記を読んで、いつかは自分もこんな立派に素晴らしいラグビー人生を振り返る日が来るのだろうか、なんて思っていました。
さていざ、僕の最後の日記の番が来て、僕がラグビーをやってきた意味について深く考えました。が、特に高尚な答えは出て来ませんでした。結局俺って浅い人間だったのか、とがっかりして焦って真剣に考えましたが、それでも立派な答えは出て来ませんでした。

改めて冷静に、自分に正直に考えてみると、ただラグビーが楽しいから、好きだから、やってきた、続けてこられたというのが素直な答えだと思います。
対抗戦Aに所属しているような強豪チーム相手にラインブレイクした時、青天タックル食らわせた時、最高に気持ち良いです。
西久保君のナイスパスにお膳立てされて、逆転トライを演出したヒーローとしてみんなにちやほやされている時、最高に気持ち良いです。
練習中Bチーム一丸となってAチーム相手に一泡吹かせた時、最高に気持ち良いです。
ウォークADや4対3で仲間とやり合っている時、最高に楽しいです。
みんなとキツいコンタクト練習を乗り越えて抱腹絶倒の雑談をしている時、最高に楽しいです。
何より、試合に勝ってみんなで騒ぎながら調子に乗っている時、最高に幸せです。
思えば、ラグビーというスポーツは僕の性によく合っていたと思います。難しい技術を持っている人と同等もしくはそれ以上に、頭のネジ外してタテに、タックルに突っ込む人が評価される。始めたての時は、細く、足も遅い自分には全く向いていないスポーツだと思っていましたが、今振り返ってみると案外そんなことは無かったなと思います。


勿論、真剣に物事に取り組む以上、苦しい時、きつい時は何回もありました。チーム内でのメンバー争いは常にプレッシャーがかかるし、試合に出ても責任や覚悟という言葉が付き纏います。下級生の頃は仲が良い方だと勝手に思っていた僕らの代も4年のシーズン始まる時にはワンチームになりきれなかったような気がします(個人的に非常に心残り)。そもそも毎日の練習が大変辛いです。直近で言うと武蔵戦で2度目に肩を脱臼して、今シーズン公式戦に出すのは難しいと國枝主将に言われたときはさすがに心に来るものがありました(もういつでも準備OKなんで出してください!!)。
ただ、そういった時でも、自分で考えたプレーを毎日の練習で実験している時は最高に楽しいし、身体を当てあっている仲間・心から信頼できる仲間との雑談は相変わらず楽しいです。

じゃあお前はただ楽しいから、享楽的・刹那的にラグビーやってたのか、と言われると、それもちょっと違うような気がします。楽しいと同時に、楽しいのその先に、沢山のものを得ていました。闘争心、かけがえのない仲間、体力などなど、言葉にしてしまうと非常に陳腐になりますが、ガリ勉だった中学時代からは想像も出来ないほど多くのものをラグビーから貰いました。沢山の失敗を積み重ねることが出来ました。仲間と真剣にラグビーに取り組むこの過程自体に大きな価値がありました。
月並みな言葉にはなってしまいますが、ラグビーをやっていて良かったと心の底から思います。あの時勧誘してくれた秀さん、ありがとうございました。

コーチ・スタッフ・トレーナーの皆さん、先輩・後輩・同期の皆さん、育ててきてくれた家族、他全ての関係者の皆さん本当にありがとうございました。どちらかというと問題児で、沢山の人に迷惑を掛けたと思います。温かく見守ってくださりありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
特に深津さん・石川さん・今塩屋さん・杉浦さんには大変お世話になりました。センターとしての技術・心構えに始まり、沢山のことを教わりました。本当にありがとうございました。


最後になりましたが、来週の京大戦は非常に楽しみです。僕が4年間で一番楽しみにしていた試合です。もしこの日記を京大の皆さんが見ていたら、来週はよろしくお願いします。


次は三方君です。三方君については今更紹介するような仲ではないです。ただ、三方と出会えて、一緒にラグビー出来て本当に良かったです。今後ともよろしくお願いします。
 

ありがとうございました。

投稿日時:2022/12/17(土) 18:40

ゆきちゃんからバトンを受け取りました、4年スタッフの伊藤です。
ゆきちゃんのリレー日記では私は少々誉められすぎており恐縮の限りですが、一つ言えるのはそうやって人の長所を見つけ、恥ずかしがらずに伝えられるところが間違いなくゆきちゃんの偉大な長所です。そして、家に泊めたことを感謝されていましたが、私もゆきちゃんが泊まりに来ることで助けられていました。ゆきちゃんが泊まると、ゆきちゃんが帰る頃にはなぜか家のあちこちが綺麗になっているのです。お皿が洗われていたりお風呂が掃除されていたり。それで私はゆきちゃんのことを屋敷しもべ妖精みたいだなーなんて図々しくも思っていました。とにかく全く負担ではなかったので、これからも気にせず泊まりに来てくださいね。


最後のリレー日記を書くにあたって、私は何を伝えたいのか、知ってほしいのかとずいぶん考えました。きっと最後の機会だし自分のラグビー部人生を振り返ってみようかとも考えたけれど、いざ振り返ろうとすると、この4年間で経験してきた事や感情はどうしてもひとつながりの読み物としてまとまりませんでした。東大ラグビー部の一員として過ごす中で、個人としてもチームとしても語り尽くせぬほどたくさんの忘れられない体験があったし、その度に考えることや感じることも自分なりにありました。たとえば、栄養の仕事をはじめて任せてもらえて、先輩にも頼ってもらえたときの誇らしさ。担当選手が復帰して試合に出た時の喜びや、反対にDLになって帰ってきたときの無力感。試合に勝った時の嬉しさ、負けた時の複雑な思い。自分の中途半端さに対する自己嫌悪。しかしそれらは、当たり前だけども当時の私にとっては目の前で起こるイベントであって、一定の期間はモチベーションの源や悩みの種になったけれど、一つ一つのイベントが長い目で見た時に自分にとってどんな意味を持ち、自分をどう変えたのかなどは今まできちんと考えることができずにきました。だから、今さらそれらを無理矢理に私の人生というストーリーの中に位置付けようとすると、どこかに嘘やこじつけが生まれて、個々の記憶そのものが改ざんされる気がするので、今はやめておくことにしました。

代わりにこのリレー日記では、やはり部活を通して関わったみんな/皆さまに伝えたいことを書き残させてもらうことにします。私はものすごく筆不精なので、卒部してから色々な人にメッセージや手紙の類を送ることができるとは思えません。しかも人に対して直接ありがとう・ごめんなさい・褒め言葉全般を伝えることを恥ずかしい、照れくさいと感じてしまい、普段は目の前の人に対して思っていてもなかなか言えない人間なので、口頭で伝えることができるとも思えません。そんな面倒くさがりかつ悪い意味で恥ずかしがりな私にとって、絶対に期限内に書かなくてはいけないけれども、自分の書いた文章を意図した人が本当に受け取るかどうかは定かではないリレー日記という場は、私が人に何かを伝えようとするのにこの上なく適しています。今も、読んでほしいような、読まれないまま埋もれてほしいような気持ちで、書いては消し、書いては消しを繰り返しています。



同期たちへ
人数が多い分、色んな人がいて色んなコミュニティがあるこの代で過ごせて日々楽しく、幸せでした。まとまりがないという表現にもなるのかもしれないし、色々な考え方の人がいることは部を動かしていく上で時として障害になったこともあったとは思うけど、一人一人違った方向に個性の強い人が集まるからこそどんな人でも同期として受け入れてもらえるし、そんな懐の深さにもつながる多様性が心地よく、楽しかったです。

まずはプレーヤーのみんな。コロナを機に部活外での時間を一緒に過ごす機会はめっきり減っていたけど、その分、練習後に先輩や後輩も交えて喋る時間が大切で、とても好きでした。それと、プレーヤーのみんなは私にはできそうもないこと(毎日が過度な運動の連続であることや、毎日を部活に縛られた生活リズムで生きることなど。食事に関してはうるさくてスミマセン)を4年間続けてきたというだけでも私にとっては本当にすごい人たちでした。プレーヤー側に回ったことがない私にとっては、なんでそんなことができる?と不思議でさえありました。そして4年生になってからは、いつからかみんなの姿がこれまで慕ってきた歴代の4年生と重なって見えて、とても誇らしかったです。雨でも極寒でも酷暑でも全体練がキツくても妥協せずにユニット練をリードする姿や、身体中にガタがきて色々なところが痛くても練習や試合に出ようとする姿勢。練習後には自分の時間を使って後輩のコンタクトやキックの練習に付き合ってあげる姿。そして視点は違うけど、下級生とタメの友達のように仲良くなり、結果として4年生を近しい存在だと思ってもらうのに一役も二役も買ってくれていたこと。グラウンド内外でみんなちゃんと4年生してるんだなあと、ビデオを撮ったりしつつ眺めては思っていました。3年生のころまでは練習とかトレーニングの内容などなどについてなんやかんやと揉めたこともあったし、これまで見てきた4年生が自分の中でとても大きかったから、私たちの代はうまく4年生になれるだろうかと勝手に心配したこともありましたが、今となっては杞憂だったと思います。でも、大人になりきってしまったのかというとそんなことはなく、今でも誰かをおもちゃにしてみたり肘でつつき合ってコソコソと悪い話をしてみたりと悪ガキ感は1年生の頃から変わらないなあと思いますし、4年生になっても変わらない部分もたくさんあることが嬉しいです。

そして同期スタッフのみんな。1年生の頃から部活中の時間のほとんどを共有し、一緒に動いてきたみんなに改めて何を言えばいいのかよく分からなかったのですが、やっぱりありがとうとすみませんでしたという言葉に尽きます。部活外の時間では自分の専門性を存分に磨いて各々の仕事の裾野を広げに広げていくし、仕事は速くて正確だし、部活中には細やかなことにも気が付く優秀なみんなを見てすごく刺激をもらっていました。私は頑張ることを環境にある程度強制されないと頑張れないタイプなので、すぐそばで優秀さ、有能さを存分に発揮し、こうしちゃいられないぞという気持ちに何度もさせてくれたことをまずは感謝します。そして、未熟な私は仕事をしていてもみんなに手助けしてもらうことが多かったです。その節は大変ご迷惑をおかけしました。そしてお世話になりました。時間を共有しすぎて、感謝すべきことをあげたらキリがないし、謝っておいた方がいいことも数えきれないくらいあるから、伝わっていると信じてこのくらいで許してください。とにかく、仕事は遅いわミスはするわでてんでダメな私を仕事仲間として、友人として受け入れてくれたこと、一緒に仕事をしてくれたこと、部活内外での生活のほとんどを共にしてくれたこと、そしてそんな時間の中で私に対してしてくれたこと全てに心から感謝しています。私自身が当初目指していた理想の最上級生スタッフ像に到達することは結局なかったなと思うけど、4年スタッフ全体で見るなら、2年生の終わりに届くはずがないと思って見上げていた4年生スタッフ陣にも負けずとも劣らないパフォーマンスができていた自信があります。優秀な同期に恵まれ、そう思いながら卒部できて誇らしいです。



後輩たちへ

スタッフのみんな。スタッフになりたてで右も左も分からない状況だったみんなをもう思い出せないくらい、みんな一人前になってくれて頼もしい限りです。課題は多少見つかったかもしれないけど試合も下級生だけで回せていたし、日々の練習でも自分のやるべきことを自分で見つけられるし。私は先輩なのに、助けてもらうことが何度もありましたね。個人的には、現状のスタッフの仕事に対していい意味で批判的視点を持てていることにみんなの成長を感じています。例えば、水を補充してほしい人用のカゴを作った方が効率的ではないかと試してみたり、会報の仕事を今一度整理して会報委員の負担を減らしたり。最近では試合でLINE通話による連絡を試してみたり。指示されたことをやるだけではなくて、自分で部にとって必要なことやよりよい方法を考えて動けるようになった証だと思います。自分の成長速度が遅かった分、みんなの成長が嬉しく、眩しかったです。来年からは、これを生かして自分の専門の分野でやりたいこと、やるべきだと思うことにのびのびとチャレンジしていってください。
それと、人数の多い私たちが抜けることへの不安があるかもしれないけど、どうか気負わずに、スタッフの仕事も組織そのものも柔軟に変えていきながら楽しさを失わずに活動してください。私たちの代は人数が多かったから、その分各々が色々な分野に裾野を広げることができたし、結果としてスタッフ全体の仕事量は従来より遥かに増えていると思います。でも、それら全てを絶対に引き継いでやってもらうべきだとは私たちの誰も思っていないはずです(一部の、部の運営のためにどうしても抜かせない仕事を除く)。そんなの人数比的に現実的ではないし。どんな仕事があるのか、仕事の全貌を紹介する義務があるから紹介はするけれど、結局やるかやらないか選ぶ権利は全面的にみんなにあるでしょう。だから時には勇気を持って、今年あった仕事がもう必要なさそうだと思うなら切ってみたり、代わりにもっといいと思えるものがあったら失敗してもいいからどんどんチャレンジしたりして、みんなにとってもチームにとっても最適だと思えるようなスタッフ組織を作っていってください。陰ながら応援しています。


プレーヤーのみんな。今年は春のBBC期間や夏の合宿など、新しくてハードな練習の多い1年間になったと思いますが、まずはそんな中で4年生についてきてくれてありがとう。対抗戦期以降も、メンツとして試合に出てくれた人もA中心になりがちな練習に辛抱強く付き合ってくれた人も、そして怪我をして辛い思いをしながらもチームのために色々と仕事を請け負ってくれていたDLのみんなも本当にありがとうございました。
青山先生からもよく聞いたことだけど、やはり勝つための一番の近道はAチームの練習相手・ライバルたるBチームを強化することやその人数を増やすこと(≒怪我人を減らすこと)なんだと思います。だから、プレッシャーの中で試合に出ていくつもの勝利を見せてくれたメンツはもちろんのこと、Aを食ってやろうと練習を重ねるBチームのみんなや早く復帰しようとリハビリを頑張るD Lのみんな、綺麗事でなく誰の努力が欠けても勝てなかったと思います。シーズン目標達成はできなかったけれども、対抗戦3位という今年の戦績はメンツ・ノットメンツ問わず全員の努力の結晶です。ここまで頑張ってくれて本当にありがとう。来シーズン以降の試合を見に来るのが今からとても楽しみです。(地方で働くことになっても、対抗戦くらいは差し入れを持って観に来ます)
私のラグビー理解度はさして高くないからラグビーに関して語るのは結構気がひけちゃうので、この辺でやめておきますね。



歴代の先輩方へ
先輩方が現役だったころあんなに不出来で未熟だった(今も?)私も、4年生を終えて引退する時期になりました。自分が見送る側だった3年間は、あと○週間で卒部か~とどこかすっきりした表情で言う先輩方を見ては残された練習・試合を指折り数えて寂しい気持ちになり、いよいよ卒部されていく先輩方を未練たらしく見つめるばかりでした。4年生を送る会などなど、泣いているのは現役の方が多かった気もします。でもいざ自分が出ていくとなると、残り1週間になってもまだあまり泣きたいような気持ちにはなりません。遠征を控えて忙しい試合週が続き、まだ卒部するという実感がないだけですか?京大戦を終えたら急に寂しくなるものでしょうか。私には真相はまだ分かりませんが、先輩方が引退を目の前にして感傷に浸っている様子をあまり見かけなかった理由が少し分かった気がします。
長い前置きでしたが、先輩方にはたくさん可愛がっていただいたし、私の部活動にのぞむ活力になっていただきました。そして私自身の目指すべき最上級生像を示していただきました。私が1年生の時、野村組の4年生の皆さんは何もかも分かっていない私にラグビー・部活に対する献身、熱を背中で示してくださいました。当時の私にはそんな4年生の背中はあまりに大きく、1年生なりに憧れていたのを覚えています。2年生、3年生のときには、毎日面白おかしく生きていて(?)私とも変な話しかしないのにラグビーに関しては人が変わったように情熱的で献身的な藤井組、杉浦組の4年生に引っ張られて、そんな4年生になんとか勝ってほしいという気持ちをモチベーションにして部活に臨めました。そして、自分達が4年生になったら、後輩にそう思ってもらえるような代でありたいという目標もできました。私を含む当時の多くの後輩にとって、熱意や親しみやすさといった人間的魅力に溢れた最上級生でいてくださり改めてありがとうございました。卒部されるときには言えなかったし、今更ですがここで伝えておきたかったです。



青山先生、コーチ陣、ご支援・ご指導くださった全ての皆様
まずは今年のチームに大きな期待をお寄せいただいたこと、そしてチームが全勝、入れ替え戦出場を達成できると信じてご支援くださったことに深く感謝申し上げます。今年4年生として過ごす中で、皆様がいかに東大ラグビー部にとって不可欠の存在であるか、そして日々尽力してくださっているかを痛感いたしました。私が携わらせていただいた栄養という範囲に限定しても、皆様のご尽力がなければ実現しなかった取り組みが多数ございます。大西さんに仲介していただいて合宿の食事をラグビー部に適した内容に変えることができたり、青山先生やOBの皆様のご尽力・ご厚意によって多くの食品系企業に協賛していただけたりと、現役部員の体づくりの環境は今年劇的に恵まれていました。これらは全て、学生主体とは言いつつも大人の皆様方のご協力が不可欠でした。
ご期待とご支援に感謝すると同時に、入れ替え戦出場という結果をお返しできなかったことを申し訳なく思います。
来年以降にも意欲に溢れた後輩たちが控えております。私が申し上げることではないような気もいたしますが、来年以降のチームにもどうぞご助力いただきますようお願い申し上げます。




次は同期の杉井にバトンを渡します。杉井と私は不思議な関係性にあるようです。杉井とは電話したことがないのに杉井ママとは30分くらい電話でおしゃべりをしたことがあるし、杉井が話しかけてきたかと思ったら唐突に私服を褒めてくれるし。何を着ていても褒められるので若干の不信感がありますが、今のところは100%の褒め言葉として受け取って喜んでおきます。
そういえばお母さんから紹介されたママ友のお嬢さんとはその後どうなったのでしょう。
 

「伝える」

投稿日時:2022/12/16(金) 18:00

寡黙で口数は少ない方ながらも、その恵まれた体格や真面目な性格、包容力のあるオーラにより、グランド内でもグランド外でも常に存在感のある岩下からバトンを受け取りました、スタッフの中村優希です。彼は試合中でもバイト中でも会報委員の作業中でも、常に頼れる存在でした。彼のラグビー人生は悩みや葛藤も多かったようですが、私は彼が不平・不満を口にするところを見たことがありません。そんな自分に厳しい彼ですが、好きなアイドルについて語る時の無邪気な笑顔はとても可愛いです。岩下君は来春から就職すると思いますが、入社してからも業務に忙殺されず、そのラガーマンらしい体型をキープしてくれると嬉しいです。
 



ラグビー部のスタッフとして過ごしたこの4年間では、沢山の反省と沢山の学びがありました。
 

私がこれまで部活を続ける中で直面した壁は、大きく分けて2つありました。
 

主に財務やグッズ販売、会報委員等のマネジメント的な仕事を多く担当し、自分の持つ仕事の外からの「見えにくさ」故に悩んだこと、そして、中学生の頃からの持病である摂食障害と向き合い続ける中で耐えきれず部活の欠席が増えてしまい、自分が情けないと同時に部に対して申し訳なく、とても悩んだこと。
 

この2つの悩み共通の根幹には、「伝える」ことの難しさがありました。
 

ラグビー部での最後のシーズンとしての今年、私は練習や試合を欠席してしまうことが多く、思うように部活に参加できませんでした。4年生としての最後の1年間で思うように部に貢献できず、多くの方に多大なる迷惑をかけてしまったことを、まず謝罪させてください。本当に申し訳ありませんでした。何度か機会を逃し、皆の前で正式に謝罪の言葉を伝えられていなかったことを反省しています。
私も同じ4年生であるのに、本気で部活に向き合い勝利のための努力を怠らないプレーヤーや他のスタッフの足を引っ張ってしまい、とても不甲斐なくとても申し訳なく、そんな自分が嫌でした。部活のみんなに対する、部活を休むことに対する、Slackの文面では伝え切れない申し訳なさと自己嫌悪と悔しさは、いつも私の中にありました。


 

もっと力になりたかった。
もっと貢献したかった。
もっと側で支えたかった。



マネジメント的な業務を多く担当する私がすることのできる、東大ラグビー部が試合で勝つための直接的な貢献はごく小さなものかもしれないけれど、鵜飼のリレー日記にもあったように、マネジメント系の仕事はその積み重ねにより円滑に部活が運営できることに意味があります。選手との距離が遠い仕事であることや症状が安定しないことを嘆くのではなく、たとえ目立たない仕事であったとしても、たとえ駒場に行けなかったとしても、その時の自分にできる仕事を探してもっと貪欲に部活に取り組むべきであったという後悔は尽きません。


私が大学に入学した際にラグビー部への入部を決めたのは、勉強以外に何か打ち込むべきものを見つけ、闘病と受験勉強に消えてしまった中高生活を見返し、ラグビー部という組織の一員として目標達成に貢献する過程で自らも人間的に成長したいという思いからでした。

 

これまで何度も「もう絶対に部活を休まない」と決意しつつ復帰したにも関わらず、毎晩過食嘔吐が止まらないと流石に苦しく、実家療養の決断を繰り返した過去を鑑みると、表面的には成長していないのかもしれません。できることは全てやったけれど、何度願っても何度泣いても、病気は私の中から消えてなくなってはくれませんでした。
しかし、部活を含めた課外活動ほぼ全てを諦めた中高生活と比べると、財務や会報やグッズ製作等やりがいのある仕事をこなす楽しさを感じられたこと、長い休部期間を経てももう一度自分にできる仕事を頑張らせてほしいと思えたことは、成長であり財産だと感じています。

肝心の最後の1年間でスタッフ最高学年の1人として果たすべきであった役割を十分にこなせなかったことは、本当に悔しく、申し訳ない限りですが、東大ラグビー部には部活を通して成長できる環境があるというのは自信を持って断言できます。

 

4年の間で誰もが一度は部活をやめたくなる時期を経験するのではないかと思います。

人間は辛い時に成長するとはよく言われる言葉ですが、時に部活に対してネガティブな感情を抱いてしまうこと自体は恥ずべきではなく、それを乗り越えること、続けることに価値があるのだと思います。

自分が何のために部活に所属しているのか、その理由を無理に探そうとすると辛くなるだけです。スタッフであれば特に、自分が部活に所属する意義を他人軸で考えるのではなく、私が言うのも大変おこがましいですが、自分が所属したいと思うから所属している、自分がその組織のために力を尽くしたいと思うから所属している、シンプルなのではないでしょうか。

 

というのも、

自分は何のために何をやっているのか、本当に役に立てているのか、部に自分という存在が必要なのか、4年間で何度も悩んできました。外から見えにくい仕事が多いが故に仕事を頑張っても分かってもらえない気がして悲しくなり、しかし、誰かに頑張りを分かってもらうために仕事をやっているのではないからと開き直り、忙しくても直接的に部の強化につながるわけではない自分の仕事になんとか意義を見出そうとしてきました。

 

私に限らず、スタッフの全体の仕事を部内にもっと上手く発信していくべきだったのだと思います。上手く伝えられていれば悩みを少しは解消できていたのかもしれません。個人的には、スタッフが「陰」になりすぎないことが必要だと思っています。

がしかしそれ以上に、他人軸に振り回されすぎていたな、と感じます。

 

入部動機を改めて振り返ると、「人間的成長」という目標がありました。

練習への参加や試合で勝利するための努力の地道な積み重ねが成長に繋がるのであり、「今この瞬間に誰かに必要とされる」という他人軸ありきではありません。とはいえ「成長」だけをモチベーションに厳しい部活を続けることはできませんし、誰かの役に立ち、誰かに必要とされることは大きなやりがいに繋がります。難しいですね。

ただ私が感じたのは、誰かの役に立ち、誰かに必要とされること(誰かの役に立っており、誰かに必要とされていると自分が感じられること)だけが全てではないのではないかということです。ラグビー部の部員であれば、どの学年の誰であっても、プレーヤーでもスタッフでも、どのポジションであってもどの仕事が担当でも、大切な存在である、そう思いたいし、みんながそう思える組織であってほしいと願います。

 

私達の学年は、学年全体の人数にもスタッフの人数にも恵まれていました。

人数が多いからこそ成し遂げられた結果があり、見ることのできた景色があります。

スタッフ組織に関しては、私達が入部した頃のスタッフ組織と今のスタッフ組織は、全く異なります。それぞれのセクションが大きく成長し、スタッフが取り組むことのできる仕事の幅は大きく広がりました。ラグビー部の活動の幅も大きく広がりました。

一方で、スタッフ内では分業が進み、セクションの仕事の割合が増大したことで軋みが生じた部分も正直あると思います。仕事が細分化されていくことで個々の仕事に対するモチベーションの維持が難しくなったり、個々の役割が見えにくくなったり。仕事が固定化されて不満が溜まったり、仕事量が偏ってしまったり。

まだまだ途上です。

スタッフの後輩の皆さんには、仕事の効率性だけでなく個人の思いややりがいにも配慮して、抱えすぎず、溜め込みすぎず、貪欲に、柔軟に、そして楽しく、スタッフ組織をアップデートし続けて欲しいし、組織全体として成長し続けて欲しいと思います。もしも力になれることがあればいつでもご連絡ください。これからOGとして未来の東大ラグビー部の飛躍を見守るのがとても楽しみです。


 

………とここまで、やや重めの文章を書いてきてしまいましたが、

これらよりももっと先に、ラグビー部のみんなに感謝しなければならなかったことがあります。
 

欠席しがちであった私に対してこれまで不信感や疑問等の感情を抱いた人もきっといるのではないかと思いますが(それはその人が誰よりも本気で部活に向き合っている証拠だと思います)、そんな中でも、私を部員の1人として受け入れていただいたということです。本当にありがとうございました。特に最後の1年間では、休部明けの私にも最高学年だからこその難しさとやりがいと楽しさを感じる機会をくださり、とても感謝しています。復帰後、何の文句も言わず休部中の変化のキャッチアップを手伝ってくれたり、普通に話しかけてくれたり、気遣っていただいたり、そういった小さな行動が心に沁みましたし、復帰させてもらえる環境があること自体が、とても有難いことであるのだと気付きました。

私はこれまで自分にフォーカスを当てすぎており、自分の状況や感情ばかりに目が向き、周りの人々へ感謝の気持ちを持つことを忘れてしまっていました。


それを踏まえて、ここで特に感謝(と謝罪も)を伝えておきたい5人がいます。

部活でも部活以外の場でも、大学生活の一番多くの時間を共に過ごしたのが同期女子スタッフの5名でした。長いリレー日記になってしまいますが、5名1人ずつに改まって何かを伝えることができる機会は滅多にないと思うので、この場をお借りして書いていきたいと思います。もう少しだけお付き合いください。

 

若菜ちゃん

4年間、ほぼ毎週のように泊めてくれてありがとう。部活で悩んだ時も、病気が辛かった時も、若菜ちゃんはいつも近くで支えてくれた存在で、何回感謝してもしきれません。若菜ちゃんの包容力と人柄の良さは段違いです。神泉の家では、私が泊まりに行きすぎて一時期家主の若菜ちゃんよりも若菜家での滞在時間が長かったことは良い思い出です(その節は大変ご迷惑をおかけしました、、)。若菜家でお鍋を食べつつ映画やyoutube鑑賞をするオフが大好きでした。最近は、就職先の初期配属で地方に行くかもしれないと不吉なことを言う彼女ですが、勝手に地方に消えられてしまったら悲しすぎます。若菜ちゃんの初期配属がどこであっても、必ず遊びに行きますし、今度は是非私の家にも泊まりに来てくださいね。


鵜飼

財務や会報など、沢山の仕事を一緒にこなしてくれました。あまりリーダー気質ではなかった私にも辛抱強く付き合ってくれてありがとう。鵜飼のどんな仕事にも妥協せず丁寧に取り組む姿勢をとても尊敬しています。鵜飼とは行き帰りが一緒になることが多く、道中に雑談したり、一緒に授業を受けたり、そんなたわいのない時間がとても名残惜しいです。部活についての悩みは個人的に共感できる部分が多く、何度も力をもらいました。4年生では長かった院試受験勉強と部活の両立生活、私には想像できないほどきっととてもとても辛くて大変だったと思います。見守るばかりで十分に力になってあげられなくてごめんね。鵜飼はきっと立派な法曹になると思うので、将来私が困ったらどうか助けてください、、。


えのき

広報と、食べ物(主に差し入れ)に対する情熱が群を抜いているえのきは、4年間を通していつも私に刺激を与え続けてくれました。彼女は自身がものぐさな性格であると常々言いますが、私は彼女のメールに対するレスの速さにいつも圧倒されていましたし、緻密な写真加工や動画編集を忍耐強くこなす姿勢は誰にも真似できないものであると思います。えのきと一緒にグッズ製作やグッズ販売ができたことは、私にとってとても大切でかけがえのない経験になりました。彼女とは一緒に勉強したり作業したりすることが多く、水曜日の午後渋谷や5号館で過ごす時間がなくなるのがとても寂しいです。部活に関する話も沢山聞いてくれてありがとう。来年からは職場が近いみたいなので、是非是非仕事帰りにご飯とか行きましょう。


かわはる

かわはるの気遣いや思いやりは、何度も私の心を温めてくれました。小さな言葉がけでも本当に嬉しかったです。本当にありがとう。部活外では、泊まりに行ったこと、神社巡りをしたこと、コストコに行ったこと等、どれも懐かしい思い出です。思っていればいつか伝わる、というのは幻想で、気遣いも思いやりもその手間を惜しまず言葉や行動にしなければ伝わりません。メディカル長やコロナ対策大臣の仕事を通じてプレーヤーからの信頼も厚いかわはるの最も尊敬する部分は、彼女が人のための手間や苦労を決して厭わない点です。同期なのに助けてもらうことばかりで、彼女の背中はいつも私のずっと先にありました。残り期間僅かですが、かわはるの良さを少しでも多く盗めるように頑張ります!笑。


あしゃ

4年間を通じて(特に後半の2年間)、個人的に一番迷惑をかけたのがあしゃなのではないかと思っています。試合時の仕事割の調整やアフターの割り振り、普段の練習での配慮や練習外での気遣い、そして私から見えない部分でも、きっと沢山困らせたと思います。本当にごめんね。あしゃがいなかったら、私はもっと前に部活をやめてしまっていただろうと思います、ありがとう。スタッフ長としてスタッフ組織を引っ張りつつ、大西さんや首脳陣と連携して部のマネジメントを統括するというとても大変な仕事を抱えていても、あしゃは同期や下級生に対する気配りを常に忘れようとしませんでした。彼女の人を圧倒するキャパシティーとリーダーとしての素質は、卒部した後就職先でもきっと輝くだろうと確信しています。




沢山の反省と沢山の学びのある4年間でした。

最後まで4年生になりきれなかった私を見離さないただき、ありがとうございました。そして、東大ラグビー部の活動を支えてくださった沢山の皆様、本当にありがとうございました。幸いなことにまだ2試合控えておりますので、そちらもどうぞ応援よろしくお願いいたします。

繰り返しになってしまい恐縮ですが、4年生としての最後の1年間で思うように部に貢献できず、多大なる迷惑をかけてしまったことを最後にもう一度謝罪いたします。

ラグビー部得た経験を糧に、人生の次のステップに進みます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
 



次は、数々の伝説や武勇伝の持ち主である若菜ちゃんに繋ぎます。若菜ちゃんはスタッフ内のムードメーカーとして、たとえ仕事が大変な時であっても、いつもスタッフの雰囲気を明るく盛り上げてくれました。

彼女はその裏表がなく親しみやすい(+たまに抜けている?)性格の故にいじられることも多いですが、実はとても懐深く、仕事ができ、真面目な側面も持ち合わせています。彼女の尽力無くしては今の栄養セクションはありません。外部折衝や部内調整、データ整理や数えきれないほどの裏方の仕事など、本当に沢山の苦労があったと思います。そのような中で彼女が積み上げてきた、多大なる部への貢献に敬意を表し、私のリレー日記を締めくくらせていただきます。

少年は戦士になる

投稿日時:2022/12/15(木) 12:30

ゲームメイカー原くんからバトンを受け取りました岩下です。原くんと部活前にするラグビートークは色んな情報を教えてもらえて楽しかったし、レフリーって大変なんだなーって常々思ってました。トゥイッケナムで吹く原くんの姿を見るのが楽しみです。いつだったかのアウトレットでのTシャツの借りはいつか返します。
 

後輩に向けて書くのも恥ずかしいし追いコンで話せばいいし、とりあえず自分の13年間のラグビー人生を振り返る。お酒飲んだらモードに入ってしまったため、締め切りのだいぶ前(現在学習院戦翌朝)に書き始めてます。長くなりそうです。
 

小3の春休み、母に東芝のグラウンドへ連れていかれ楕円球と出会った。作られたコミュニティに入るのが苦手だった僕はとにかく辞めたくて仕方なかった。ラグビー自体も痛いしキツいし楽しくなかったし。変に気い使いな僕は親に辞めたいって伝え切れなくて、気づけば中学生になっていた。
中学も本当に嫌で嫌で仕方なかった。当時体が大きかった僕はそこそこ試合で動けてたけど、圧倒的なラグビーセンス、運動神経の差を感じてた。選抜でも全然活躍できなくて、置物のように扱われた。なのに3年でキャプテンに選ばれた。チームを引っ張るとか得意じゃないし、ラグビーも上手くないし、何で僕がキャプテンに選ばれたのかよく分からなかった。センスある子たちが割と揃ってたのに勝てなかった。勝たせることができなかった。選抜も結局骨折して最後のセレクションを受けられず(受けても受かんなかったと思うけど)、微妙な感じで中学ラグビーが終わった。相変わらずラグビーするのは嫌だったけど、ラグビーという競技の素晴らしさに気づき始めていたから、高校で続けることにした。
高校はなんか色々と辛かった。ストレスで白髪もめちゃくちゃ増えた。何度も部活をやめようと思ったし、実際に退部届を出したことも数回あった。高3の春に肩を脱臼し、大学でもラグビーを続けたかったから手術をした。気付けば僕のポジションで他のやつが活躍していて、勉強も成績がなかなか上がらず、一人で沢山抱え込んでしまった。僕のいないチームが数年ぶりに市大会で優勝したことで、僕を繋ぎ止めていた糸が完全に切れ、最後の夏合宿前に退部した。その後悔はずっと消えなくて、僕を引き留めてくれた同期が今でも夢に出てきたりする。プレーするのは楽しいと思えなかったけど競技自体は好きだったから、大学ではラグビーをしようと決めた。
 

大学の4年間もやっぱり辛かった。はじめの3年間も自分やチームのことで思うことがあって勝手に一人で悩んでたけど、今年が4年間で一番堪える一年だった。
去年の京大戦後コーチに呼び出され、プロップへのポジション変更の打診(という名の宣告)をされた。まあ身長高い人がロックやるのがいいだろうと感じてたし、新シーズン頑張ろうと思った。オフシーズンは他大学のプロップと会ったときにコツとか聞いたり、疲労骨折で鈍った下半身の強化に取り組んだ。
あれはいつだったか、慶応合同練の前な気がするし2月の終わりぐらいか。松元に、「後輩が育つまではロックやってもらうけど、対抗戦はプロップの控えで行くから」みたいなことを言われた。衝撃的すぎてなんと言われたか飛んでしまった。シーズン本格化前に対抗戦リザーブが決定。結局4年間ずっと同じ立ち位置、一回も対抗戦でスタメン入ることなかったな。どんなに練習してアピールしても結果が決まっていると思うと、急にモチベーションがなくなった。真面目だからBBCも筋トレもなんとかやってたけど、部の雰囲気の気持ち悪さとか就活のストレスとか色々あって3月の終わりに数年ぶりに体調崩して、4年間で初めて部活を休んだ。高校と同じ後悔をするのが嫌って気持ちだけで続けてたけど、トレーニングしたって意味ないしなってあの時期は正直思ってた。
転機は京王線沿い某強豪大学との練習試合。色々あってその日はスタートのロックで出場した。本当にダメダメで、これで僕のロック人生終わりそうだなと思いながら帰った。しかし翌練習のミーティング、コーチから珍しく褒められた。その試合から導入されたGPSのデータが良かったらしい。いつも通りのプレーだったのに急に評価が変わり、なんで今まで評価してくれなかったんだよとは思ったけど、一筋の光が見えたような気がして嬉しかった。
そこからは安定して試合に出るようになったが、チームは勝てなかった。山梨合宿で自信をつけて東京に戻ったが、直後の明大戦は1トライもできずに大敗、早稲田戦でも敵陣入ってもトライ取り切れずに結局惨敗。FWからビッグプレーが生まれなくて、いかに今まで松元に頼りきってたかを痛感した。僕がその状況を変えることはできず、自分がチームにとってプラスにならないことに焦りや不甲斐なさを感じた。コロナで国公立大会を棄権した時には、このまま春シーズン勝てないんじゃないか、暗いシーズンを送ってしまうんじゃないかと考えて怖かった。だから防衛に勝った時は本当に嬉しかったし、そこからしっかりと勝ち続けてチームの雰囲気も悪くならなくてホッと一安心だった。
夏オフが明けてからは不安との戦いだった。チームとしても個人としても不安要素は挙げればキリがないほど出てきた。一次合宿の合同練習は割といいイメージがあったけど慶應戦でFWの力不足体力不足が露呈。二次合宿は合同練習でも結構やられるシーンが目立ち、立教との試合もスクラムとモールが崩壊して何もできなかった。残りの合宿期間で修正したかったが一週間ほどの日程を残して合宿は中断。東京に戻ってからの練習は何だか気が抜けてて、自分もパフォーマンスが上がらなかった。自分の4年間の価値が決まると思うと、本当に怖くて、上智戦前は気持ち悪くて仕方なかった。
迎えた対抗戦。一橋に負けた。ターゲットにしていた成蹊戦、明学戦も勝てなかった。あっという間に3ヶ月が過ぎていき、学習院に締まらない試合をして最後の対抗戦が終わった。4勝3敗。東大ラグビー部の新たな歴史を作ることはできなかった。僕たちがプレーに集中できるようスタッフや首脳陣のみんなは動いてて、彼彼女らに申し訳ないし、これだけお膳立てされても結果を残せなかった自分が情けない。
 

大学の4年間でラグビー楽しくなるかなと思ってたけど、結局最後まで(あと2試合残っているが)楽しんでラグビーやることはできなかった。試合中に考えるのは、自分のミスに対する怖さとか試合の結果に対する怖さとかネガティブなことばかりで、目の前の勝負に対するワクワクとか強い相手に挑める高揚感とかそういったことは微塵も感じられなかった。自分が一番活躍してやる!みたいなことも一度も思ったことがない。モールとかスクラムで押してFWみんなで抱き合う時とか、ジャッカルが決まって部員の声が聞こえる時とか、試合中に喜びを感じられる瞬間はあった。でもそれは自分の恐怖が少し消えるから嬉しいだけであって、心の奥底からワクワクして楽しんだ試合はこの4年間で一度もなかった。

人生のどの局面も勝利をもたらすのは、遺伝的要素よりも闘争心と戦う能力であることの方が大きい。戦う能力を備え持つものもいれば、後に手に入るものもいる。そのスポーツを愛してやまなければいずれ必要なものは整うのである。

春合宿のMTGで大西さんが言った言葉だが、この言葉がずっと頭から離れない。
生来の戦士でない僕は、なんとかして戦士にならないとダメだった。逃げ癖や頑張りきれないという自分の性格は高校ラグビーや受験を通して分かっていたし、一つ一つの勝負に熱くなれないことにもラグビー部で過ごす中で気がついた。そんな自分の弱さを4年間で変えることは出来なかった。もちろんこの4年間は真剣にラグビーと向き合ったと思う。高校までとは比べものにならないくらい体づくりにこだわり、戦術的なこともしっかりと勉強するようになった。だけど、もっと根本の部分、戦う人間としての気持ちを変えることができなかった。だから最後まで目の前の勝負に対するワクワクを感じられなかったし、この程度のラグビー選手で終わってしまったんだろう。結局ラグビーは「気持ち」のスポーツだった。
僕は弱いラガーマンだったし、そもそも弱い人間なんだと思う。幸いなことにラグビー人生はまだ2試合残っている。最後くらいは自分の弱さと向き合い、自分に勝ってラグビー人生に一区切りつけたい。
 

23人の同期のみんな。あんま普段言えないけど、本当に大好きです。みんなと一緒にラグビーできたこと、ラグビー部で過ごした4年間は一生の宝物です。4年間ありがとう。
僕と同じチームになった全ての方々。一緒にラグビーができて楽しかったです。体をぶつけ楕円球を追った日々は大切な思い出です。
 

ここまでの13年間で僕を指導してくださった全ての皆様。本当にありがとうございました。この4年間だけでも青山監督、深津さん、大西さんをはじめ、本当に多くの監督・コーチに出会いました。ラグビーで学んだこと、みなさんからかけていただいた言葉を胸にこの先の人生を歩んでいきたいと思います。
 

ママが支えてくれなかったらここまでラグビーだけに集中した4年間、13年間は過ごせなかったです。本当にありがとう。パパもいつも試合の結果を気にしてくれて嬉しかったです。いつか僕のプレーを見せれる日が来たら嬉しいです。
 

13年間の中で僕のことを支えてくださった全ての人に感謝申し上げます。結果で恩返しできなくて本当に申し訳ないです。
 


追記 2022/12/14
高校までの僕はとにかく自分が嫌いで幸せなんて感じられないやつだった。大学の4年間も弱い自分を変えることができず後悔ばかりが残る。だけど、そんな自分をほんの少しだけど受け入れられるようになって、出来ないことだけじゃなく自分が出来ることにも目を向けられるようになった。色んな人とと出会い過ごしたこの4年間、ほとんど結果を残せなかったけど少しはチームに貢献できたこの4年間、負けて泣いて勝って抱き合ったこの4年間、本当に幸せな時間だった。幸せを知らず自分のことが嫌いだった僕が少しだけど変われたっていうだけで、ラグビー部での4年間は僕にとっては大きな意味を持つんだと思う。東大ラグビー部に入って良かったです。



13年間を振り返ると辛いことがほとんどだったし後悔ばかりの日々だった。楽しんでラグビーするなんて一回もできなかった。だけどラグビーというスポーツに出会えて本当に良かったと心から思える。これから先の人生、少しずつラグビーに恩返しをしていきたい。
 

次はマネジメント方面で部を支えてくれたゆきちゃんにバトンを回します。ゆきちゃんとは会報委員やインターンで一緒に作業することが多く、彼女の優秀さを間近に感じていました。日本を変えてくださるとのことなので、楽しみに待ってます。

10+α

 written by 原 大雅 投稿日時:2022/12/14(水) 13:00

えのきからバトンを受け取りました原です。この部の広報は4年前から大きく変化した部分の一つだと思いますが、その立役者は間違いなくえのきです。この部にいてこの部の良さを改めて実感できました。ありがとう。そんなえのき自身も今年は歌手デビューにMVデビュー、ラジオデビューとかなり体を張ってこの部のために頑張っていました。100周年記念ドキュメンタリービデオと併せてぜひご覧ください。去年のスモブラできていなかった気がするので引退したらやりましょう。

最後のリレー日記となりました。中学生で始めた時から今までのラグビー人生を振り返ろうかとも思いましたが、これからも僕のラグビー人生は続く(気がする)ので終わるときに改めて振り返ろうと思います。現時点で一つ言えることはラグビーに関わることができてよかったと心から思えることです。ラグビーは1人では絶対にできないし、プレーヤー以外も多くの方々の支えがあって初めてできるスポーツなので周りの人に感謝です。

4回目の対抗戦が終わった今、大学ラグビーについて思うことを。

勝ってたくさんいい思いをさせて貰えました。順位も4年間で右肩上がりに上がり、自分も多くの貴重な経験をさせてもらいました。1年生のときの最終戦・一橋戦での終盤のハラハラした時間帯を凌いであげた熊谷での勝利、コロナ禍で少ない試合ながらもあの年のラグビーを完成させた2年前の名古屋戦、去年の秩父宮での京大戦の劇的な逆転勝利、今年の対抗戦での4勝。

でも思い出すのは勝った試合よりも負けた試合です。

1点差の敗戦。2点差の敗戦。記憶は美化されるはずなのに、苦い思い出として留まり続けています。「ラグビー部にいる理由」なんてことはこの4年間で何度も聞かれたけど、「勝っていい思いをする」これ以上でも以下でもないと思うんです。なのに、思い出すのは負けた試合後のお通夜のようなチームの雰囲気と整理のつかないあの感情。

東大ラグビー部に入部した時と比べて自分の中で大きく変化したのは試合に「勝ちたい」から「勝ってほしい」に変わったことです。語弊があるかもしれませんが、これが今の自分の偽らざる感情です。2年生の対抗戦が転機でした。自分が頑張ってもチームの結果に直結しない。むしろ頑張れば頑張るほどチームにとって良くないんじゃないかといった錯覚に陥りました。結局、プレーヤーが中心です。どこまで行っても試合の主役はプレーヤーだし、そうあるべきだと思います。

とはいっても、やれることはやったという自負はあります。レフリングのトレンドは対抗戦Bグループ最速で伝えてきました。外のラグビーもかなり勉強しました。レフリーとして様々な経験をすることがチームへの一番の貢献と考え、チームに還元することを一番に考えて4年間過ごしてきたつもりです。やってきたことは間違いではなかったと胸を張って言えます。だからこそ負けたときは責任を感じたし、反省もしました。

勝敗は選手のものというある種の諦念と自責を果たしたという自負からくるある種の期待。ほかのどのチームに対しても抱かない感情でこのチームに携われて幸せでした。

今年は、中学・高校・大学と様々なカテゴリーでラストゲームをマッチオフィシャルとして担当させていただく機会に恵まれました。大学ラグビーは中学・高校に比べると得点差と実力差の乖離が小さい、つまり、実力が得点や失点となってよくあらわれると僕は考えています。これはスクラムのルールやフィジカルの違いが大きな原因です。だからこそ、大学ラグビーはいい準備をできたかどうかが勝敗のカギを握ると思います。いい準備というのは前日など直前のことだけではなくその年の春シーズンや前のシーズンも関係してきます。ひいては選手個人の人生も試合を決める重要な要素となります。そうしたバックグラウンドにスポットライトを当ててみるとまた違った面白さが楽しめる。しかもそれだけではなくラストゲームには思いも上乗せされる。印象的なゲームになることが多いです。だからこそ大学ラグビーは多くのファンがいるのかもしれません。

このチームのラストゲームはあと10日後です。


お読みいただきありがとうございました。
最後になりますが、レフリー活動を快く送り出していただいたチームの皆さんありがとうございました。大学入学時には想像もしなかった景色を見ることができました。家族も遠くから応援しているのが伝わってきてうれしかったです。ありがとう。
目の前のことを楽しむ人生をこれからも歩みたいと思います。

次は、ラグビー中もラグビー外でもワークレートの高い岩下に回します。
今年の対抗戦は岩下抜きには考えられないほど深いラグビー理解と強靭なフィジカルで大活躍でした。グラウンド外でも分析やプログラミングで大活躍でした。後輩思いな一面もある素晴らしい4年生だと思います。
そういえばこの代で最初に僕がLINEを追加したのは岩下でした。僕の高校時代のチームメートが岩下とつながっていたためです。ラグビー界ってやっぱり狭いですよね。
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