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弱い虫[ラグビー部リレー日記]

 written by 雪竹 創太投稿日時:2024/12/24(火) 20:56

同期のモリゾーからバトンを受け取りました4年の雪竹です。
モリゾーには尊敬すべきことがたくさんあります。まず、頭がいいです。渋谷教育学園渋谷中学高等学校というエリート校を卒業し、部活をやりながらも勉強を極め、皆さんご存知進振りトップの医学部医学科に進みました。正真正銘のエリートです。憧れます。
そして何より強くて優しくてクールな心の持ち主です。本人は覚えてないかもしれませんが、昔「なんやかんや頑張ってると思うよ」と言われたのは嬉しかったです。なのにたまに真顔でズバッと心をえぐる一言を言ってくるクールすぎる一面もあります。
今、ラグビー部の唯一やなところは有る事無い事いろいろいじってくるところだと言っていたのでこれ以上はもう何も言いません。これからも是非仲良くしてください。


最後の日記なので4年間の正直な気持ちを振り返ってみました。暗く、情けない文章になってしまいましたが、温かい心で読んでください。

 

結局4年間で、自分は「ラガーマン」にはなれなかった。

ずっと憧れはあった。試合中、例え雰囲気が落ちても、下を向くことなく周囲を鼓舞し続け、自ら率先して泥臭くて痛くてきついプレーをしてチームを勝利に導くような、ラグビーを楽しむ戦闘民族。練習中だってそう。練習のフォーカスポイントを確認し、考え続けならがら練習に集中し、周囲にも目を配り続け、時には仲間に対して叱責し、チームがあらぬ方向へ行っていたり集中力が欠けているのに気づいたら、声を出して雰囲気を変え、同じ方向にチームを先導するカリスマ的なリーダー。そして、破壊的なキャリーや、青天タックルでチームや応援席の鬱憤とした雰囲気を一気に晴らしてくれるような、そんな誰もが憧れる正真正銘のラガーマン。かっこいいなと思っていた。なりたいなと思っていた。でも自分には到底なれそうもなかった。途中からなれないなと諦めてしまっていた。

 

ずっと、そういう性格だから、向いてないからと言い訳してきた。そして結局そのまま変わることなく、なんだかずっとチームにぶら下がりながら、駒の一つとしてセカセカと働いていただけだった。グラウンドに立ってはいても、どこか自分の心はここにあらずで、ミスしないこと、穴を開けないこと、試合後のミーティングで怒られないようにやり過ごすこと、とはいえ、何もしていないと言われるのも嫌だったからと少しくらいはプレーはしておかないとな、なんてことばかり考えていた。一人でラグビーをしていた。周りを巻き込んでチームの勝利に貢献しようとかなんて考える余裕もなかった。

 

努力してなかったわけじゃない。でもいつも、こんなもんでいいやと勝手に天井を作って辞めてしまっていた気もする。そんな自分に嫌悪感を抱きつつも、それでもどこか逃げてしまっていた気がする。そもそも4年間100%身も心もラグビーに捧げる覚悟があっただろうか。引退を前にして振り返ることが多くなった。

 

_________

 

長い4年間だった。終わってみたら短く感じると聞いていたけど、自分にとってはとても苦しくて長い4年間だった。僕は誰よりも心が弱かったので、何度も本気で辞めようと思ったし、辛いことがほとんどだった。選手としても鳴かず飛ばず。病気や怪我で部には迷惑をかけ続け、4年間練習前や試合前は吐き気でご飯は食べられなかった。知らない人がやってるラグビー自体にそこまで興味がわかず、試合も見ないので結局プロ選手の名前すらも全然覚えられなかった。4年間ラグビーをやり切れたこと自体、軟弱な自分にとっては奇跡に近いことだった。

 

思えば入部理由も希薄だった。新歓の時期、6年間続けた空手を大学でも続けようとルンルン気分で空手部へ行くと、流派も雰囲気も違ってとても落ち込んだのを覚えている。仕方なく空手は道場で続けることにして、何かしらコミュニティには入りたかったから行くあてもなくパンフレットをパラパラ見ていた。すると、たまたま家から近い駒場で週4朝練のみの健康そうな部活を発見し、これなら夕方の空手にも行けるしいいかもと思った。それがラグビー部との出会いだった。その時はラグビーのラの字も知らないし、受験期で知らないスポーツをわざわざテレビで見る習慣もなかったのでワールドカップで盛り上がってたことも知らなかった。

 

何となく新歓に行って、何となくご飯を奢ってもらって、何となく入部届けにサインした。長年の夢だったでかい体が手に入るという甘い誘い文句にフラフラとついて行っただけだったと思う。ラグビー目的ではなく筋トレ環境目的だったかもしれない。サークルと部活の違いも大して理解してなかったので、ラグビー熱だとかスポーツ熱だとかに触発されて入部してるみんなとは違い、覚悟とか決意とかは全くなかった。

 

そんなとんでもなく薄っぺらい理由で入部したため、入って1ヶ月くらいで入部を後悔した。ラグビーというスポーツがどんなものかよく分かってなかったので、なんでこんなきつくて痛いくて苦しいスポーツを選んでしまったのかと自分を恨んだ。しかも自分にはボールを投げるセンスが全くなかったので強度の低いパス練すらも下手くそで恥ずかしかったので嫌だった。経験者はもちろん未経験者でメキメキと上達する同期にずっと劣等感も覚えていたし、ルールを覚えたり、練習について行ったり、他の人のトークを理解するのだけで本当に精一杯だった。すぐ辞めるかもなとも思っていたし、心からラグビーを楽しんでいる同期を見て凄く羨ましかった。

 

最初の頃は楽しいことも多かった。初めてやる筋トレは新鮮でやっぱり楽しかったし、毎日吐くまで米を詰め込む生活はすごく辛かったけど、みんなで2時間以上店に居座っておかわりの量を競争したり、自転車でご飯屋さんを開拓する日々は楽しかった。どんどんとでかくなる体にも達成感を覚えていた。

 

みんなと過ごす日々はたのしくて笑顔でいることが多かったけど、ラグビー自体なかなか好きになれていなかったと思う。沈んだ気持ちで練習に向かう日々が続き、いつしか練習前には嫌すぎて吐き気が止まらなくなった。試合なんて80分もあることを知った時は絶望していたし、練習も週4なんて真っ赤な嘘で、練習週5・筋トレ週3-4と、ほとんどの時間をラグビーに費やすことになり、空手もやめざるを得なくなった。年が明けてから始まったBBCの時期なんて毎日が地獄だった。死ぬほどきつくて毎日朝が来ないことを祈りながら寝て、悪夢をみて、朝が来たことに絶望する日々を送っていた。”HEADS UP”とは名ばかり、青いタックルダミーを下を向きながら押す日々にモチベーションも続かず、何をやっているのかわからなくなって、真剣に同期に辞める相談をしたのもこのときだったと思う。つらかった。BBCが終わったあとのパス練だって、下手くそな自分にとっては恥晒しの時間で苦痛だった。かと言ってパスを上手くなってやろうと意気込んで練習するほどの気持ちの強さや向上心もなかった。疲れすぎて一秒でも早くグラウンドから出たかった。

 

競技的にもラグビー向いていないかもなと、ずーと思いながら過ごしてきた。元々一人でぼんやりと考えながら行動するのが好きだった。というか集団の中で声を掛け合って行動するのが苦手だった。子供の時から色んなスポーツをかじっていたけど、やっぱり続いたのは一人でやる個人競技だった。みんなに対して意見を発信したり、喋ったりすることが苦手で、そもそも頭の回転が遅いので、ラグビー理解度が皆無だったのも相まって何か喋ってもトンチンカンなこと言ってしまう。というよりラグビーやってる時は、目の前の巨体を止めることに必死で喋ることなんて思い浮かばなかった。考えても分からないし。ずっと違和感を抱えつつも、合わないからと投げ出すのもダサいなと思う自分もどこかにはいて、ダラダラとしがみついていた。

 

ただ、そんな感じで感情を殺して惰性で部活をやっていたくせに、2年生になって試合に出ることもぼちぼち増えるにつれ、不思議なもので悔しいという感情を強く感じることは多くなっていった。周りが活躍する中で試合で何もできなかった時は、誰とも喋りたくなくて早めに帰って1人でめちゃくちゃ落ち込んでいたし、メンバーから外された時は、家で泣くほど悔しがっていた。試合に出始めた頃は何とかスタメンからは落ちないようにと、せっかくの期待になんとか応えようと、ビデオを見返しノートとかもいっちょまえに書いてたりもして必死になっていた。ラグビーは嫌なくせに結果だけは欲しがった。ラグビーが好きなのか嫌いなのか、やりたいのかやりたくないのか、自分でもよくわかっていなかった時期だった。

 

でもやっぱりその代わりと言っていいのか、嬉しいことも増えていった。パスを投げようとすれば明後日の方向に飛ばすし、ステップで相手をかわそうとすれば滑ってこけ、タックルも飛び込むだけでずっと外していたりと散々だったので、大西さんにはずっと怒られていた。それでも(というかだからこそ)たまに褒められるとめちゃくちゃ嬉しかったし、今まで怒られていたことはすっかり忘れて、次はもっと頑張って褒めてもらおーとアホみたいに思っていた。半年に1回くらいでる「ナイスや雪竹」の言葉を聞く為だけに必死に頑張っていた気もする。國枝さんの代の先輩達にも練習中はいつも怒られていた気がするけど、なんやかんや期待してくれていたり、ごたつさんや垣内さんにプレーの後にたまに頭叩いてほめてもらえるのはすごく嬉しかった。

 

たまにだけどラグビーが楽しいと思う瞬間も増えていった。特にこの代の最後の京大戦はほんとに楽しかった。負けてしまったけど、國枝さんの50:22からデイビスモールを決めてみんなで抱き合った瞬間は今でも鮮明に覚えている。すごく集中していたから時間が過ぎるのもあっという間だったし、後半は一気に巻き返せたので絶対勝てると思っていた。だから負けたのはほんとに悔しかったし一緒にやってきた大好きな4年の先輩たちがこれでいなくなるのもすごく寂しかった。

 

今まであんまり考えたこと無かったけど、なんでラグビーをやっているのかと聞かれたら、こういう瞬間のためだった。チームの勝利だとか、チームの連携だとかは自分のキャパシティで考えることは全く出来なくて、自分のことでせいいっぱいだったけど、やっぱり練習を積み重ねたことが成果に表れてみんなで喜び合う瞬間はたまらなく嬉しいもんだった。苦しい練習が報われた瞬間はラグビーやっててよかったなと思えた。

 

ただ、よく考えてみると、この時期もただ先輩にぶら下がっていただけで、やっぱり心は成長していなかった気がする。グラウンドではファイティングスピリットを常に持ち、声を張り続ける。グラウンド外でも全てラグビーに捧げ、睡眠、食事、ケアを徹底して、怪我をしない強靭な体を作り、隙間時間は試合も見てラグビーIQを高める。そんなことはできていなかった。

 

3年生はそれが顕著だったと思う。春のBBCは、1年前と違って練習の最後にADがあったから結構毎日楽しくて、去年よりかはいい滑り出しだと思っていた。でもいつからか体調不良を繰り返すようになって、試合は出ず、山中湖合宿や夏合宿はほとんど参加せず、合宿を壊すことにもなってしまった。対抗戦が始まっても脳震盪を繰り返し、全然参加出来ていなかった。気持ちがどんどん落ちていき、パフォーマンスもダメダメだったので安富さんにもずっと怒られていた気がする。本当に迷惑をかけた1年だったし、自分自身もほとんど成長していなかった。

 

だから、4年生になったら今度こそはしっかりと上級生として活躍できるように頑張らないといけない、と思っていた。大西さんはいなくなってしまったけど、心から入替戦に行けると思っていたし、それに少しでも役に経たなければと思っていた。でも空回りすることが多かった気がする。シーズン初っ端に捻挫してから、またしても脳震盪を繰り返し、怪我でちょくちょく休むことが多くなっていった。確かに春はたくさん試合に勝ててチーム全体の自信にはつながった。けど、試合でいいプレーをしたいとは思いつつも、ミスが怖くなって積極的にボールを貰いに行けなくなったりして縮こまってしまうことが多かったし、タックルは今でも飛び込むだけで結局あまり成長できなかった。そんな感じで小さくなっている割にはカードを貰うような試合を壊すプレーをしてしまうこともあったりと上手くいかなかった。たまにいいプレーができてもそれをずっと続けることも出来ず、大事な試合で何も出来ないことが多かった。

 

それでもチーム全体として見れば成長していて、入替戦に行けると心から信じていたから、成蹊、明学、武蔵に負けたのはすごく辛かった。しかもその中で何ら仕事をなしとげていない自分にももっと嫌気がさしていた。ラグビーやる資格ないなって思ってしまってずっと落ち込んでいた。ほんとはみんなみたいに上手くなりたかった。バック5のみんなや、スクラムを最前列で組むフロント達は心から尊敬していた。清和や西久保さんのキャリーも石澤のタックルもすごいもんだった。みんなみたいにはなれなかったなぁ。というかそもそもなろうと全部捧げて努力しようとしていたのかすら怪しい。本気で全て捧げた人だけが結果を求める資格があるのに、自分はなんてわがままだろうか。悔しいと言う資格すらないのではないか。結局対抗戦が終わった後もしょうもない怪我をしてしまい、シーズンは終わりを迎えようとしている。

 

_________

 

こうやって4年間を振り返った時、自分があんまり成長してないことに気づいた。この4年間で得たことはなんだろうか。この日記を書くにあたって考えた。

一つ言えるとしたら物事はたいてい思った通りには行かないという教訓を得たこと。よく、ラグビー部に入っていなかったらどんな大学生活を送っていたかなと考えていた。入学前は当然空手部に入ると思っていたし、せっかく東大に入ったからには意識高めのサークルに入って英語もペラペラになって経済とかにも詳しくなってやるとかなんとか意気込んでいた。バドミントンサークルとかにも入っちゃったりして、ワイワイ楽しく過ごしてやろうとか思っていた。でも、そんな夢はすぐに崩れた。空手部が思ってたのとなんか違って、バドミントンサークルもあんまり馴染めなかった。意識高めのサークルにも行ってみたけど難しい話はすぐに眠くなるし、英会話の本も買ったのに目次しか開かなかった。やっぱり人生は思い通りに行かない。浪人してた時に、大学でやりたいことを数十個まとめて書いていた。今見返したら、筋トレとバイトの2個ぐらいしか達成していなかった。

そして、ラグビー部での経験もそう。入替戦も行けなかったし、かっこいいプレーヤーにもなれなかった。憧れているだけじゃダメだった。身も心も全部捧げないとだめだった。

 

 

寿太郎がシーズン最初に書いたvoiceがある。勝つためには「アスリート」にならなければならない、と書いてあった。正直これを読んだ時はよく意味がわかっていなかったが、今でははっきりと分かる。自分にはラグビーを楽しんで貪欲に勝利を求める純粋さがなかった。寿太郎のいう「趣味でラグビーをやっている人」だったのかもしれない。「ラガーマン」には程遠い。ラグビーが楽しいと思った瞬間をかけがえのないものとしてもっと大切にするべきだった。基本的にラグビーがきついスポーツであるのは当たり前なんだから、そんなことで気を揉むんじゃなくて、もっと楽しいこと、嬉しいことに目を向けるべきだった。そうすれば自分ももっとラグビーを愛して、ラグビーに集中して、「ラガーマン」に少しでも近づけたかもしれない。だから後輩には、特に今もがき苦しんでいる後輩には、ラグビー楽しい、と思った瞬間を思い出して大切にして、後悔のないように全力で取り組んでほしいなと思います。もしそんな瞬間がなかったとしてもきっと来るはずです。こんな自分でもきたので。応援しています。

 

こんな暗いこと言っているけど、もちろん楽しいこと、嬉しいことはたくさんありました。ラグビー外の時間はすごく楽しかったし試合に勝った時はやっぱりすごく気持ちよかった。泣いても笑っても残り1週間。そして残り1試合、京大戦が残っている。なんであろうと最後の京大戦は本当に勝ちたい。出場機会が与えられた時は、全力で走って、最後は勝って、ラグビーやっぱり楽しいなと思いたい。

 

最後になりますが、しょーもない人生しか過ごせていなかった自分にとって、ラグビー部に巡り会い、色んな人と過ごし、ラグビーをしてきた4年間は良くも悪くも本当にいい経験でした。ありがとうございました。

後輩へ
こんな感じの先輩だったので、舐めたことしか言ってこないふざけた奴ばかりだったけどなんやかんや憎めない可愛い存在でした。試合は必ず応援に来ます。頑張ってください。ご飯も頑張って奢ります。

先輩・コーチ陣へ
こんなフニャけた自分を優しく指導してくださってありがとうございます。ジュニコの藤井さんや杉浦さん、國枝さん、西久保さんの代の先輩方も本当にお世話になりました。毎年どんどんいなくなっていき寂しかったです。また遊んでください。そして大西さんには感謝しきれません。いろいろありましたが、この場を借りて感謝申し上げたいと思います。いっそうさん、1年間でしたが、お世話になりました。いっそうさんの独特な雰囲気が好きでした。ありがとうございました。

親へ
迷惑かけっぱなしでした。ご飯食べないといけないから、といつなんどきでもご飯を作らせた割には、もう食べきれないと子供のように残して、後で食べるからとラップして冷蔵庫で腐らせた大学生活でした。本当にごめんなさい。もうこれからはそんなに食べないので、皿洗い頑張ります。

同期へ
いつもおちゃらけた話しかしてないけど、みんなのことはラグビーの面でも勉強面でも人間性の面でも本当に尊敬しています。アホな自分を優しく迎え入れてくれてありがとう。みんなと過ごす時間はかけがえのないものでした。これからもよろしくお願いします。


次は我らが主務の美浦瑶子さんにバトンを渡します。ヨーコはいつでも笑顔で明るい人で、こっちがいくらふざけたことや、適当なことを言っても必ず笑って許してくれる優しいお姉ちゃんみたいな人でした。メンターでもあったので、ずっとお世話になっていましたが、その優しさにずっと甘えていた気もします。世話を焼かせてしまってすみませんでした。主務で忙しいはずなのに、忙しい素振りも一切見せず、いつも笑顔で部に献身してくれました。そんなよーこが4年間何を思い、何を感じたのか、次の日記が楽しみです。
あと、ようこと何かした記憶を探してみましたが、2年生の時、下北で1回だけ先輩たち含めて飲み会をした事しか探し出せなかったです。なんか悲しいのでいつか遊びましょう。

 

ランキング[ラグビー部リレー日記]

 written by 雪竹 創太投稿日時:2024/09/05(木) 21:54

薄毛がチャームポイントの宮田からバトンを受け取りました。4年の雪竹です。髪の毛、お互い守り抜きましょう。

書くことがないので、個人的な部員ランキングを考えてみました。



結婚したいランキング

1位 塩谷

2位 石澤

3位 一木



塩谷くんと石澤くんは漢としてかっこいいです。一木は可愛さと安心感



賢いランキング

1位 安富さん

2位 清和

3位 三上



安富さんは少し喋るだけで溢れる知性を感じることが出来ます。清和と三上は頭の回転が早い



 



努力家っぽそう

1位 おっくん

2位 寿太郎

3位 玉置



玉置は雰囲気で選びました



 



思いやりランキング

1位 鷲頭

2位 のなちゃん

3位 金ちゃん



みんな優しくていい人



長生きしそうランキング

1位 原田

2位 和田

3位 倉橋



どんな環境でもしぶとく生きそう





変な人ランキング

1位 河村

2位 原田

3位 ニノ



彼らは目が違います。総じて早口





以上です。次は唯一ゆっきーと呼んでくれる中村くんにバトンを渡します。何故かラグビー部に入ったのにダイエットをしていると風の噂で聞きました。減量のコツならいくらでも教えられるのでいつでも聞いてください。

ぜいたくは敵だ[ラグビー部リレー日記]

 written by 雪竹 創太投稿日時:2024/02/12(月) 12:22

貴族の鵜木くんからバトンを受け取りました、新4年の雪竹です。彼のとてつもない財力には膝を屈するしかありません。余りあるお金を僕に投資してみるのも1つオススメです。あと、褒めてる文章が探しても見つかりません。加筆修正しておいて下さい。



ちょうど先日法学部の試験が終わりました。死ぬかと思いましたがなんとか乗り越えることができて幸せな気持ちでいっぱいです。1年生の中には法学部に進もうかと考えている子も多いと思いますが、1~2ヶ月の間、受験生並に勉強する覚悟と余裕がない限りはすぐ留年するのでやめておいた方がいいです。農学部でほのぼのと虫でも探してましょう。

長い時間勉強するとなると、大変なのは食事量をいかにキープするか、ということです。僕は家で勉強できないタイプなので、図書館やカフェまで出かけて勉強するしかなく、加えて常に金欠なので外食で贅沢をする余裕なんてありません。そのため、ご飯の時間になったらわざわざ家に帰るしかなくなります。

かなりめんどくさいですが生活のためには仕方の無いことなので、試験期間中は料理時間を極限まで減らし、かつなるべく安く済ませられる料理を日々研究していました。今や写真フォルダは料理動画ばかりです。色々試行錯誤を繰り返しましたが、結論としてたどり着いたのは、料理をしないのが1番、ということです。いかにフライパンを使わないかが大切です。フライパンは料理に時間もかかる上、でかい洗い物が残るので狭い台所を圧迫します。

ここで活躍するのはレンジです。レンジはボタンを押すだけで、工夫すればなんでも作れるのでレンジを極めることが一人暮らしのファーストステップだと思います。

せっかくなので最近見つけたおすすめレシピを書こうと思います。ここ最近インスタで発見して作ってみたうどんレシピが簡単すぎる上にいくら食べても飽きないです。2ステップでできます。

①冷凍うどんに料理酒大さじ1と細かめのバラ豚肉をお好みの量加えて軽くラップをして500wで5:30チンします。

②そこに味の素3振り、塩コショウ3振り、ごま油小さじ1~2加えて完成です。

ぜひ作ってみてください。



次はどんな時でも素敵な笑顔を絶やさずプレイヤーを支えてくれている新3年スタッフのゆいちゃんバトンを渡したいと思います。ゆいちゃんが纏うほんわかした優しい雰囲気に癒されてる人も多いと思います。これからもサポートお願いします!

いつも大変お世話になってます[ラグビー部リレー日記]

 written by 雪竹 創太投稿日時:2023/07/05(水) 19:00

 



4年の橋野さんからバトンを受け取りました、3年の雪竹です。橋野さんがまさか僕のことを褒めてくれるなんて思いもしませんでした。やはり彼は考えてることが全く読めません。いつも「コ〇ス…」「〇ネ…」などと手を高く振りかざしながらながら脅してくる割に、たまに優しい声をかけてくれる橋野さんは天然DV男なのでしょうか。沼るばかりです。





最近コールセンターのようなところで働いています。企業に対してたくさん電話をかけて商材を売り込む仕事です(決して怪しい仕事ではあません)。今までとは全く違う仕事なので新鮮でとても楽しいです。

一応スクリプトが用意されているので、最初の頃はそれをただひたすらマニュアルに従って読むだけなのですが、慣れてくれば自分でより良いスクリプトに修正したり、自分で新しく考えたりします。その中で、自分でも効果があったなと思うフレーズを2つ紹介したいと思います



①「いつも大変お世話になっております」

単なる「お世話になっております」ではなくて、「いつも」と「大変」をつけることが大事です。初めて話す相手の人でも、「日頃からお付き合いある人なのかな?」と錯覚してくれるので、話を聞いてもらいやすくなります。たまに「いつもお世話になってねぇよ!」とブチギレてくる人もいるので、使いすぎには注意です。



②「ありがとうございます」

相手が何か言ったら、とりあえず心を込めて「ありがとうございます」と言うのが大事です。こちらの質問に答えてくれたり、向こうが質問してきたりしたときは、必ず「ありがとうございます。そちらになりますと…」のように謝意を示してから次のトークを行います。丁寧な印象を持ってもらえるので、話を聞いてもらいやすくなります。たまに、「(うちの商材)いらねぇよ!」とキレてきた相手に対して「ありがとうございます」とつい言ってしまい変な空気になることがあるので、使いすぎには注意です。



この2つは簡単にできるので、OB・OGの方や社会人の人と電話をする際に、是非とも実践してみてください。OB・OGへの電話が苦手な人がちらほらいるらしいですが、相談のります。





次は1年の期待の新星「ももかい」こと百瀬くんにバトンを渡したいと思います。彼は、部に対し積極的に発言する気概や、規律を重んじる誠実さ、部室で伊藤塾の勉強に励む真面目さなど、僕には無い素晴らしい側面を持つ優等生です。いつか彼に注意されないように、上級生として規律正しく真面目に部活動に取り組みたいと思います。

火曜日に生まれた女の子[ラグビー部リレー日記]

 written by 雪竹 創太投稿日時:2023/03/24(金) 19:00

可愛いイケメン代表のデイビスからバトンを受け取りました、新3年の雪竹です。デイビスは下北に引っ越してから自転車でキャンパスまで来るようになったので、自転車族の自分としては非常に嬉しいです。気軽に飯に誘えるようになり一緒に過ごす時間も増えました。これからもよろしくね。



最近ハマっていることにIQテストがあります。たまたま流れてきたTwitterのIQテストみたいなので凡人以下(97くらい)と結果が出て、なんだか悔しい思いをさせられたのがきっかけです。それからIQテストの問題を暇な時に解くのが趣味になりました。たまに面白いなと思った問題を誰かに出して、その人が悩んでる姿を見るのを楽しんでいますが、いざ自分が解くとなると全く分からずフラストレーションが溜まります。僕が尊敬するすばるや安富さんはスラスラ解いてみせるので、自分の頭の悪さには嫌になります。いつか天才型の人にも負けないような頭脳を身につけたいものです。

せっかくなので1つだけ最近見つけた面白い問題を紹介したいと思います。かなり有名な問題なので知ってる人もいるかもしれませんが、是非一旦考えて解いてみてください。



問題

「スミスさんには子供が2人いる。1人は火曜日に生まれた女の子です。では、2人とも女の子である確率は?」



どのような答えが出たでしょうか?

1人が女の子なら2人とも女の子である確率はもうひとりが女か男かの"1/2"だ、と答えたでしょうか?あるいは、年上と年下の区別をつけて、(年上、年下)=(男、男)(男、女)(女、男)(女、女)の4通りのうち(男、男)の可能性が消え、残りの3通りのうち(女、女)の1通りだけが求める確率だと考えて"1/3"だと答えたでしょうか?

これはどちらも違います。最初の解法は、“特定の一方が女の子“だと、条件を誤って解釈しているためです。正しい解釈は“少なくともどちらか一方が女の子"です。2つ目の解法は「火曜日に生まれた」という条件を無視しているためです。単純に「2人の子供がいて、ひとりが女の子の時、2人とも女の子である確率は?」という問題であれば1/3で正解です。「火曜日に生まれた」という条件がつくことで確率は変わるのです。曜日なんて関係ないじゃないかと思うかもしれませんが、実は深い関係があります。まずは数式を使って解いてみます。

曜日を考慮に入れる必要があるので、火曜日に生まれることを○、火曜日以外に生まれることを×、どの曜日に生まれてもいい事を△と置きます。まずは、"少なるとも1人火曜日生まれのの女の子がいる"という条件のもと、有り得る組み合わせを考えます。

(年上、年下)=

(○女、△男または×女)  7+6=13通り

(△男または×女、○女)  7+6=13通り

(○女、○女)  1通り

全部で27通りあります。これのうち2人とも女の子である組み合わせは6+6+1=13通りあるの採寸で、求める確率は13/27(約48%)となります。

最初に間違った例として取り上げた1/3(約33%)とは違う答えが出ました。「火曜日に生まれた」という条件がつくだけで確率が跳ね上がりました。何故でしょうか。

直感的に理解するために、条件を変えてみます。「1人は火曜日に生まれて、その日は1月1日で、体重は3012gで、血液型はA型の女の子であるとき」と変えるとどうでしょう。この条件がある子はほとんど唯一無二の存在でありほぼどちらかに特定できます。なので、ふたりとも女の子である確率は、もう一方の子が女の子か男の子かどうかの50%に限りなく近づきます。極端な例でいくと、「2人の子供のうち、1人が芦田愛菜ちゃんの時、2人とも女の子である確率は?」という問題であれば、もう一人の子は男の子か女の子かの2通りしか考える必要がないため、当然答えは1/2(50%)になります。

1人の女の子が持つ条件が、より唯一無二性を増せば増すほど、もう1人の子の独立性も高まるので確率は徐々に1/2に近づいていくわけです。反対に、条件がゆるくなれば"少なくともひとりが女の子"のみ条件に近づいていき、それは、"特定の1人が女性"という条件より緩く、確率における母数の数も上がるので、結果的に確率は下がるわけです。条件付き確率では、確率の分母と分子の関係が大事になります。

とても面白い問題ですね。IQテストと言うより数学の確率の問題に近いものになってしまいましたが、条件付き確率は直感とは異なることが多く奥が深いので、是非皆さん色んな問題に挑戦してみてください。ちなみに僕は何も考えず1/2と即答してしまいました。



次は新2年の天才まことにバトンを渡したいと思います。以前練習後にクイズを出した時に、まこと1人だけがスラスラ解いてくれた衝撃は今でも忘れません。知る人ぞ知るルービックキューブの問題では誰も思いつかなかった解法で瞬時に解き、僕らを驚かせくれました。今回の問題も涼しい顔して完璧に解いてくれたことでしょう。最近ではDLに入ってしまい、まことの力強いキャリーがしばらく見れなくなってしまい悲しいですが、猿渡と一緒に励ましあって元気に一緒にグラウンドに戻ってくるのを楽しみにしています。猿渡も元気だしてね。

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