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冬オフが明けて[ラグビー部リレー日記]

 written by 浦山 裕矢投稿日時:2017/02/22(水) 22:39

今年度のリレー日記トップバッターを務めます、1番、センター、浦山。俊足の1番バッターです。さて、今シーズンが始動して早くも3週間が経とうとしている中、大学は春休み、そして友達も特にいない僕は毎日部活と筋トレのみを繰り返す日々を送っています。リレー日記のトップバッター、普通であれば今年の抱負を宣言したり、ラグビーについて語ったりするのかもしれません。しかしながら今の僕の毎日には部活が有り余っているので、この冬オフを中心としたラグビー以外のことについて話したいと思います。

冬オフで1番大きな出来事は、5年ぶりに日本を離れ、ドイツへ旅行に行ったことです。デュッセルドルフに降り立ち、約6日間で、ケルンに寄ってからブレーメンまで北上、そこを拠点としてハンブルクにも足を運びました。このドイツ旅行は僕自身初のヨーロッパだったのですが、正直ヨーロッパだったらフランスやスペイン、イタリアなどのラテン系の国に興味があり、ドイツには微塵も興味がありませんでした。そもそも1週間もドイツに行ってすることがあるのか、ソーセージを食ったら終わりではないのかと思っていました。しかしそれは大きな間違いで、人々が今も暮らす日常の中に、何気なく広がる歴史ある街並みに僕は何回も魅せられました。見知らぬ土地を歩き回るという性癖がある僕は、ブレーメンの街を何十周も歩き回り、全ての小路を歩きつくしました。1ヶ月分くらい歩いたと思います。ブレーメンの街には自分の地元の街よりも地理に詳しくなりました。あと、ソーセージとハムとパンが美味しかったです。ドイツ旅行はそんな感じです。そんなこんなで冬オフを満喫し、リフレッシュしすぎた僕は体重を6kg増やし、人生で初めて体重90kgを観測しました。そしてBMIは30に達することで、東大ラグビー部BK歴代最高BMI(推定)として君臨することとなりました。今後BK歴が最も長いFW(推定)として君臨する可能性もありますが、なんとか得意のパスとキックに磨きをかけてBKにしがみつきたいと思います。結局最後部活の話をしてしまいましたが、最後まで駄文をお読みいただきありがとうございます。

次は、何かとキャラが被りがちなセンターの後輩、新2年の佐藤(誰?)にバトンを渡したいと思います。

赫奕たる日輪[ラグビー部リレー日記]

 written by 棚橋 春喜投稿日時:2016/12/23(金) 19:46

我らが副将津川より、今年最後のバトンを受け取りました、四年主将の棚橋です。
今年の総括は会報でさせていただくので、雑感のほどをここに残したいと思います。

私はこの季節、まどろみの中にある街を駆け抜けて、駅まで自転車を飛ばすのが好きだ。吹く風が頬に冷たいのも眠気覚ましにちょうどいい。暁闇は来る日輪を待ちわびている。
グラウンドにつく頃には、東が赤を帯びて、溶け始めた霜が芝の穂先で光っている。木々の間から差し込まれた陽光がグラウンドに数条の線を引く。そんな早朝のグラウンドが、私は好きだ。
寒さに手をこすりながら、硬くなった身体を伸ばす。ひなたはほのかに暖かい。今日も練習が始まる。

気づけば、四年間朝の駒場に通ってきた。雨もあれば雪が積もった時もあった。特に記憶に新しいこの一年は朝が毎日めぐるのが嬉しかった。
津川は私が悩んでいたといったがその何倍も楽しませてもらったと思う。結局ラグビーは楽しい。毎日、ラグビーができることに感謝である。
嬉しい日も、辛い日も同様に天体が周り、次の日のグラウンドに赴くことになる。一橋戦の先の見えぬ絶望の後も、成城戦の震える歓喜の後も、日は昇った。
日が昇る以上、前進を続けなければならない。時間の経過を傍観するのことは愚者の行いだ。青春を楕円に燃やすと決めたのならば、覚悟が必要だ。

自分は、主将として何ができたか。シーズン当初宣言した通り、体を張ることが私のレゾンデートルだ。それは全うできた。
しかし、目標とした勝利に手が届かなかった。結果に葛藤や懊悩も芽生えた。それでも、日が昇るのである。背を焦がされながら、前へ進まねばならない。
巡りくる毎日が、積み重ねた練習が、最後のこの一戦に私を到達させた。学生として迎える最後の一戦は感傷もあるが、何より楽しみでならない。
私は人前で泣くことが嫌いだ。歔欷すらも厭わしい。それでも勝って泣けるなら、それもありかなと思えてくる。
私が全力で、本気でできる最後のラグビーだ。黄檗のグラウンドにも、朝が来るのが待ち遠しい。

明日もまた、日が昇る。熱と光を、行く先に注いでくれ。

感謝[ラグビー部リレー日記]

 written by 津川 智之投稿日時:2016/12/22(木) 13:51

今年一年、私に対して数えきれない程の愛情表現を見せてくれた大畑からバトンを受け取りました。副将の津川智之です。4年間、特に四年生としての一年間が、苦しく悔しくなかったはずがありません。目標にも届きませんでした。ですが今は、やっと終わるという安堵の気持ちと多くの方への感謝の気持ちで、とても清々しい気分です。

後輩たちへ
チームビルディングの為の春合宿で、私は後輩たちに夢を持ってラグビーをしてほしい、その為に私は今年頑張るんだと泣きました。結果は自分の為に出すもんだ、誰かの為にとかそんなんじゃないと言う人もいて、それはそれで分かります。しかし私が苦しい時に歯を食いしばれたのは、後輩たちの存在が大きかったように思います。こんな未熟な自分についてきてくれた後輩たちに感謝しているし、尊敬しています。下級生の頃の自分は、彼らのようにチームに身も心も捧げていたのだろうかと反省しきりでした。後輩たちに何かを残したくてシーズンに入りましたが、私自身が彼らから学ぶ事も多かったです。

ロッカーメイトへ
そんな中でも特に感謝を伝えたいのは、部室のロッカーが近かったメンバーです。独り言を連発しながらせっせとテーピングに向かう梶村。半開きの口と開かない目、そのシルエット、何を言ってるか分からない滑舌の悪さ、そのすべてで私を癒してくれたブー。BGMの玉川。何だか自分に境遇が似ているなと勝手に思っている河合。練習前のその風景は、いつも私に勇気をくれました。大掃除の時に今のロッカーを選んで良かったと心の底から思います。みんなありがとう。

OBの方々へ
石河会長には今年一年、多くの叱咤激励のお言葉を賜り、本当に感謝しております。また、青山部長の有難いお話には、毎回心が洗われる気持ちでした。そして宮本様を始め日比谷高校のOBの方々には、一年生の頃からグラウンド内外で可愛がっていただきました。その他ここに書ききれない多くのOBの方々に支えられ、もうすぐ無事に現役生活を終える事ができます。有難う御座いました。今後とも御指導御鞭撻の程、宜しくお願い致します。

棚橋という男
どうせあいつは最後のリレー日記でも、私のような凡人には理解し難い日本語(褒めてます)を書くと思うので、私は分かりやすい日本語で、棚橋について少し書こうと思います。今年一番近くで見ていた自分には分かります。この男はタフすぎます。しかしその反面、ああ見えて彼も悩んでいた思います。誰よりもチームの事を考えていました。
去年までは、目を合わせたり話をしたりする事が最も少ない部員のうちの一人でした。それが今年苦楽を共にして、異常にからむようになりました。東大ラグビー部の主将は歴代で100人くらいいると思いますが、棚橋主将のもとで副将ができて幸せでした。

という事で紹介が長くなりましたが、次は主将の棚橋に回します。
辞書を片手に読む事をオススメします。

濃い1年間[ラグビー部リレー日記]

 written by 大畑 暁投稿日時:2016/12/21(水) 23:59

藤原からバトンを受け取りました、4年の大畑です。
対抗戦も終わり、引退まで残すところ京大戦のみとなりました。
最後のリレー日記ということで、今年1年を振り返って考えたことを書きたいと思います。
思ったことをつらつらと書き、まとまりのない文章になりましたがご容赦ください。


「もっと勝ちにこだわりたい。」
約1年前、来年どんなチームを作りたいか同期全員で話し合ったときに僕が言った言葉だ。
以前から、部活に取り組む姿勢の個人差が大きいと思っていた。もちろんみんな勝ちたいとは思っている。しかし、どうすれば勝てるのか自分で具体的に考え行動している人は少なく、大半は課された練習を最低限こなしているだけに感じていた。
やはり一部の人だけではなく、全員が高い意識を持って練習しなければチームは強くなれない。
全員が本気になって1つの目標に進む、そんなチームをつくりたいと思い今シーズンを始めた。


去年とはみんなの意識を変える必要があった。だから特に2、3月はハードな練習をしたと思う。なかには練習がきつすぎると感じた人もいただろう。だが、決して強くはない僕らにとって、目標を達成するためにはあれくらいの練習強度は必然だった。すべては対抗戦初戦の一橋に勝つために。


夏合宿は毎日6時半から早朝トレーニングを行った。栄養管理もしっかりしていたおかげで体もめきめき大きくなった。今までの練習の成果が出たのは朝日大戦だろう。後半までずっとリードされていたが、最後まで集中力切れることなく戦い逆転勝利した。僕は怪我で外から見るだけだったが、部員みんなに頼もしさを感じた。これなら一橋に勝てる、そう思えた。


対抗戦まであっという間だった。十分な努力をしてきたと思っていた。
しかし一橋には負けてしまった。ショックだった。目標としていた対抗戦5勝以上を達成するには一橋に勝つことが必須だった。今までやってきたことは何だったんだろうと負けて思った。なかなか気持ちを切り替えることができず、滝行に行ったりもした。


次戦の明学戦は、もう後がないと思いがむしゃらにプレーした。意地は見せることができたと思う。後半ラスト10分までは互角の戦いをした。だが最後には競り負けた。あそこで勝っていれば、その後の状況はだいぶ変わってただろうと思うと悔やまれる。


対抗戦一戦一戦について詳しく書きたいが、書くと長くなってしまうのでここまでにする。
結局3勝4敗で結果は出なかった。しかし意外と今、気持ちはすっきりとしている。それはこの1年間が非常に濃く、充実した日々だったからだ。思うとこの1年は本当にいろんな人に助けてもらった。監督、コーチの方々はもちろんのこと、前向きに頑張っている部員は学年を問わず僕を勇気づけた。
一方で、この1年間、仲間たちの悪い面もたくさん見えた。言い訳ばかりするやつ、上級生なのに体を張れないやつ、頻繁に欠席するやつ。それらを変えることができない自分の能力のなさにもイライラした。


部員にはいろんなやつがいたが、結果的には多くの人が身体的にも精神的にも成長したと思う。
後輩たちに願うことは、来年は絶対に今年のチームをいろんな意味で越えてほしいということだ。
今年は結果は出なかったが、今年やってきたことをベースにして来年後輩たちが結果を出してくれれば非常にうれしく思う。


最後になりますが、4年間僕のことを支えてくださった様々な方々、本当にありがとうございました。


次のリレー日記は、もう一人の副将津川が更新します。

 

悔いなく[ラグビー部リレー日記]

 written by 藤原 拓朗投稿日時:2016/12/20(火) 22:00

小沢よりバトンを受け取りました。藤原です。
数日前から最後のリレー日記で何を書くかを考えていましたが、結局考えがまとまらなかったので思いついたことを書いていきたいと思います。拙文ですがご容赦ください。

長かった4年間が終わろうとしている。入学時、何か必死に打ち込めるものをやろうと考えた際に真っ先に思い浮かんだのは中高で6年間やってきたラグビーだった。運動神経の決して良くない自分が結果を出せるのは多少のアドバンテージのあるラグビーしかないという消極的な理由もあったが、何よりもラグビーが好きだった。1年生ころはの経験者といってもお世辞にも強いとは言えないような高校出身の私では練習についていくのがやっとで何かを考える余裕もなく、自分が上達していることを実感できなかった。2年生になり多少の余裕が出てきたのか、自分が客観視できるようになり成長を実感できるようになってきた。先輩の怪我があったためではあるが初めてスイカをいただき、スタメンで対抗戦に出場できた。ラグビーを心の底から楽しんでいた。しかし3年生になってすぐに大怪我をした。前十字靭帯の断裂。全治8ヶ月の大怪我だった。病院でそう告げられた直後は実感がまったく湧かず、焦燥感も不安も何も感じなかった。だが時間が経つにつれて、ラグビーができない辛さ、同期や後輩が活躍している焦り、チームに貢献できない不甲斐なさなどの負の感情に飲まれてしまい苦しかった。それでも部に残ったのはラグビーが好きだからだけでなく、東大ラグビー部が好きだからだったと思う。

だからこそ4年に上がるとき自分から主務をやると手を挙げた。それまでチームに貢献できていなかった自分が大好きなチームに最大限貢献するためには主務になることが望ましい、長い間考え続けて出した結論だった。しかし実務はほとんど副務の藤永に頼りっきりになってしまい、チームに貢献できたかは疑問符が残る。
肝心のラグビーでも心残りが残る。シーズン開始時から人一倍努力しなければ怪我の遅れは取り返せないと思いながら練習した。特に今年のチームの方針は私の苦手とするパスラグビーだったのだから尚更だ。そんな努力が身を結んだのか、他のメンバーの怪我のためなのか、春の定期戦の数試合でスイカをいただき、夏にはAチームに定着できた。心の底から嬉しかった。そんな中対抗戦が始まり、一橋、明学とスタートで使っていただきながら貢献できず負けてしまった。失意の中にいる自分に追い打ちをかけるように病気になった。蜂窩織炎という傷口から細菌が侵入する病気だ。飛び抜けた実力があるわけでもなくチームが苦境の時に練習にいない人間がチームに信頼されるわけもなく、それ以来リザーブに入ることはあってもスタートにはなれなかった。

長々と書いてきたが結局言いたいことは私はまだ満足していないということだ。この際チームにとって自分がどうだったかは一旦横に置いておく。今更悔やんだところで何かが変わるわけではない。しかし自分がこの4年間で得たものを発揮し、この4年間を悔いのないものにする舞台がまだ残されている。4日後京都で集大成を飾り、悔いなく引退するためにも残りの日々をがむしゃらに頑張りたい。

毎度のことながらまとまりのない文章になってしまい申し訳ありません。
最後になりますが、物心両面で多くのご支援をくださったOBの皆様、お忙しい中、時間を割いてグラウンドまで指導にいらっしゃってくださった監督、コーチ、トレーナーの皆様、自分を引っ張ってくれた先輩方、楽しい時も苦しい時もともに歩んだ同期、こんな自分についてきてくれた後輩達、そして心配、迷惑をかけた時も常に応援してくれた両親と兄弟にこの場を借りて心からの感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。

次は副将の大畑にお願いします。
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2025/10/02(木) 23:50

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