ブログ 石内 鴻壮さんが書いた記事

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ただ、ありがとう。[ラグビー部リレー日記]

 written by 石内 鴻壮投稿日時:2017/12/14(木) 13:45

最後のリレー日記にこれ以上ない素敵な紹介をしてもらいました、4年学生コーチの石内です。
実は竹村と同じようなスタイルでこれを書こうと前々から考えていたので文体を横取りされた気分ですが、最後なので自分も素直な心境を綴ろうと思います。

竹村の紹介でコーチキャリアの方が長いといわれ、何を馬鹿な、コーチに転向したのは3年の春5月頃なのだから僅かにプレーヤーの方が長かろうとも思ったが、違う。彼女の言うとおりだ。1年生の夏7月に差し掛かるほどに自分はこの部に入ったのだから。

ただ毎日を無為に過ごす自分が情けなくて何かを変えたくてカッコイイ人間になりたくてした選択だった。自分は正しかったと思う。きっと最適な答だった。
色んなことがあった。2年目でたくさんスイカを着させてもらった。理想や期待と現実とのギャップに葛藤した。プレーヤーじゃなくなってコーチになった。右も左も分からず、己の無力さに辟易した。意気込んで高い目標を掲げた。予想よりもゴールは果てしなく遠いところにあって泣いた。
記憶の補正もあって、実際は今思い返すよりもずっと多くの辛いこと苦しいこと嫌なことがあったんだろうと思う。本当に純粋に楽しかったことなんて4年間のうちのほんの一部だけなんだろう。
それでも今僕はとても幸せだ。

僕をラグビーに関わらせてくれたすべての人に感謝します。
身体や学業との両立などを心配しながらも応援してくれた両親をはじめとする家族、ラグビーと出逢わせてくれ、今の自分の土台を形成し人生に色濃く影響を与えた高校時代の恩師や同期ら仲間たち、我々がラグビーをするため強くなるために尽力してくださった東大の監督コーチ、スタッフやOBの方々、ラグビー部の自分を温かく見守ってくれた高校大学の友人たちや地域の方々に心から感謝致します。

そして東大で一緒にラグビーをした先輩たち。託された思いを形にすることは叶いませんでした。僕らはまだまだ弱いです。今後後輩たちがそれを現実にしてくれることに期待しつつ、よかったらご飯なんかにでも行きましょう

後輩たち。僕の思い違いでなければ、君たちはまだ誰一人熊谷グラウンドに立ったことがありませんね。偉そうなことを言うようですが、あそこで観客のいるスタンドに向かって「ただ一つ」を歌う悦びは(僕の単純な性格も大いに起因するのでしょうが)一入です。是非とも来年以降その姿を見せてください。今年君たちを熊谷に連れていくことができず申し訳なく思います。責任を負うべき4年として、またコーチとして謝ります。
とはいえ、一緒にラグビーをしているときはもとより、プライベートでも、かわいい君たちと過ごす時間は本当に楽しいものでした。

何より同期たち。元々仲のいい学年でしたが、4年も一緒にいると時々言葉がなくても何を考えているのか分かるようになりましたね。だからこそあまり多くは語りません。ただ、ラグビーが楽しくなくて辞めたいとか逃げ出したいとか思った時も、いつもその存在が僕の原動力になりました。文字通り、苦楽を共にしてきた最高の仲間たちです。引退してからもよろしく。

成城戦後、勝てなくてごめんと自分に謝ってきた人達がいた。
対抗戦序盤に勝てなかった。負けが込んで雰囲気が悪くなった。自分も相当ピリピリしていた。そんな中で現状を打破しようと躍起になって奮闘したのは紛れもなく自分たち現役部員一人ひとりだった。対学習上智においては当に自分たち自身の力でもぎ取った勝利だった。成城にも結果的に敗れはしたが、あの試合には外からは決して見て取れないものが詰まっている。
だから謝る必要はない。寧ろ誇りに思う。一緒に闘ってくれてありがとう。

ひたすらに、ただ、ありがとう。

随分長くなりましたがご容赦願います。それから案の定、竹村の文体と酷似したメッセージ型になりました。繰り返しますがパクったわけではありません。自然発生的結果です。

さあ、次からはいよいよ学生首脳陣のラストランです。まずは部の渉外など常に大量のタスクに囲まれながら、一つ一つ卒なくこなし、大学院進学も実現した超ハイスペックの主務、藤永にバトンを繋ぎます。

斜陽[ラグビー部リレー日記]

 written by 石内 鴻壮投稿日時:2017/09/11(月) 12:21

奇しくも三年前の私と相通ずる内容の日記を書いた寶島からバトンを受けた4年学生コーチの石内です。

昨日の一橋戦後、グラウンドからの去り際に浴びた斜陽は2年前のそれとそっくりに見える、そう感じた。
時期的な意味で、それと自分が身に着けていたのがスイカではなくアップTやインカムだった等の点でも、むしろ客観的には去年のそれに近かったのかもしれないが。

コーチになって2年目になるが、グラウンド外にいる者としての限界を感じることが増えた。
勝つために必要なスキルや戦術その他のこと、少なくとも最低限のことはこれまでにやってきたはずだった。それは自分の無知・無力ゆえの慢心かもしれないが。だが選手個人レベルのもの、それは緊張の類のメンタルの強さとか目前の試合にかける思い或いは闘争心ないし勝利への渇望とかだろうか、については、思っていた以上に自分には如何ともし難く、自分が期待し要求する程度と多少の乖離が垣間見えることもあった。

それでもきっと勝ちたいという思い自体は皆が持っていて、同じ方向を向いていて、まだ何も終わったわけではない。

昨日は宛ら自分が試合に出るかのような強烈な緊張を覚えていた。もしかするとメンバーの誰よりも、あの時と同じくらいに。殊自分たちの代だけあって、勝ちたかった。悔しかった。泣けたなら楽だっただろうが涙は出なかった。

勝ちたい。「お前に来年ここでラグビーさせてやることができなかった、すまない。」という、最も敬愛する先輩の一人が、2年前の対抗戦最終節対成蹊戦後にやはり斜陽の差す熊谷のグラウンドで言い放った言葉を繰り返したくない。
全員に、各人に、より高次の full throttle を求めたい。そして自分自身も覚悟を決め、ひとまず筆をおく。

最後まで拙文を読んでいただき、ありがとうございました。
次は、長きに渡る怪我の療養も明け、一橋戦で華々しく復活を遂げた我等が副将、樋口にバトンを繫ぎます。

[ラグビー部リレー日記]

 written by 石内 鴻壮投稿日時:2017/04/25(火) 17:59

持ち前のイケメン力で新歓期にブイブイ言わせていた江崎君からバトンを受けました、4年の石内です。
紹介にあったように、彼とは色んな共通点があり、僕にとって最も親しい後輩の一人ですが、飯の誘いはフラれっぱなしです。精進します。

さて、先日の早稲田戦について触れようと思う。

それは今シーズンの初戦であり、春の最大のターゲットの一つであった。自分達の目標、近年の実績を真摯に受け止めているのかと責められても尚掲げることに拘った、入替戦出場の、謂わば道標となるべき戦い。
自分の内には勝利への渇望があり、その可能性も十分とは言わないまでも確かに感じていた。

だが結果は正に大敗。
道標が示したのは、自分にとっては残酷なまでに果てしない道程と我が身の無力さだった。
有限な時間の中でゴールを目指す以上、ここから更なる加速が必要不可欠であり、それができるのは究極的にはグラウンドで戦う者のみ。悔しいことに、学生コーチの自分ではない。あの日メンバーに向かって吠える自身の声は空しかった。
スイカを着た者も着なかった者も、どれだけの人間が、どんな道程を思い描いたのか。

何にせよ、まだ足りない。まだやれる。
ここで終わるわけにはいかない。そしてそれは自分も皆同じ。
悲観はしていない。する必要もない。だが一瞬の猶予もない。
明日からも決意と覚悟をもってグラウンドに立つ。ただ、ひたすらに、この道を行くのみ。

色々な思いが錯綜しながら推敲を加えたところ、何ともまとまりのない妙な文章になってしまいましたが、気を取り直して、
3年前の様子からは思いもよらない、迫力に満ちたプレーコールを聞かせてくれるようになった同期の宮原悠太にバトンをつなぎます。

前を向いて[ラグビー部リレー日記]

 written by 石内 鴻壮投稿日時:2016/07/08(金) 15:45

無邪気な笑顔が可愛らしい、計算された天然、B3の後輩荒木君よりバトンを受け取りました、3年の石内です。
リレー日記で公的に紹介されたことだし、後日新たな濃さのピンクのシャツでも買いに行こうかしらん…

さて、実はこの場を借りて関係者の皆様にお伝えせねばならないことがあります。
前回のリレー日記で、救急搬送される等ちょっとした災難に見舞われたお話をしましたが、その続きについてご報告させていただきます。一部の方々には直接お伝えできない無礼をどうぞお許しください。
あれから原因解明に努めるべく、諸々の検査をしました。具体的な内容については言及を控えたいと思いますが、結論としてラグビーを皆と同じレベルでプレーできなくなりました。この事実は自分にとって非常に残酷で、そうなったことは極めて不本意で、大変残念でなりません。最終診断を受けた日、病院からの帰り道で色んな想いが溢れてきて涙が止まりませんでした。
東大に入学して1年目の7月頃、自分の現状を省みて、本当に自分がしたいこと、自分がどうありたいのかを問うて悩んだ挙句決めた遅めの入部でしたが、当初より多少なりとも早くスイカを着たい、試合で活躍したいといった野望を胸に抱いていたのは紛れもない事実で、2年次に偶然も重なり幾許かその願いは叶い、3年としてこれから益々身を引き締めて頑張らねば、と思っていた矢先の出来事でした。まさか自分の身にこのようなことが起きようとは夢にも思わず、今でも時折、前回のリレー日記の題に反し、最後のスイカを着る試合となってしまった4月の慶應戦をはじめとする様々な場面で、ああすればよかった、こうすればよかったなどと思わないことはありません。
しかしながら、いつまでも暗く落ち込んでいてはいられません。前を向いて、一歩一歩踏み出していく必要があります。そもそもこうしてリレー日記を書いているからには今も自分はこの東大ラグビー部に在籍しているわけですが、プレーヤー継続が不可能と分かった瞬間にも部を辞めようという気は一切起きませんでした。具体的に自分がどうしたいかはさておき、部を続けたい、皆と一緒に戦いたい、そのために自分も貢献したいという気持ちは揺らぐことがなく、やはりそれほどまでに自分はこの仲間たちが心の底から大好きなのだと改めて気付かされました。その後、宋監督にも自分の意図を酌んでいただき、学生コーチとして部に携わっております。コーチとしては1年生よりも数か月分フレッシュで本当にまだ伸びしろまみれですが、グラウンドに立つプレーヤーの皆と同じ目線で極めて近い立ち位置で、自分がこれまでに得たラグビーの知識や経験、技術を皆に少しでも多く伝え、アドバイスしていければ…そんな気持ちで毎日の練習に楽しく顔を出しています。
自分が果たせなかった夢や今も胸の内にある思いは、頼もしい先輩やかわいい後輩、そして何より同期の皆にひとまず託して。
自分にできる形で貢献した結果、きっといつかそれが現実となって自分に返ってくることを信じて。

胸中を整理しながら筆を進めたら大変な長文になってしまいました。ご容赦ください。
最後までお読みいただきありがとうございました。次のバトンは3年で事実上唯一のB3プレーヤーとなってしまった石川(貴)に回したいと思います。

後悔が無いこと[ラグビー部リレー日記]

 written by 石内 鴻壮投稿日時:2016/05/09(月) 15:02

最近後輩たちにもチャーミングな素顔を見せてくれるようになった大畑さんからご紹介頂きました、3年の石内です。
コナンが大好きというのは間違いありませんが、実はそれ以上にドラえもんが大好きです。

私事ではありますが、つい先日、夕食後の歓談中(映画名探偵コナンの話で盛り上がっていた真っ最中)に倒れ、救急車沙汰になりました。失神・嘔吐・痙攣。極めて簡潔に当時の症状を述べただけでも未だにぞっとします。幸い、大事には至らず、また脳に異常等もなく、緊急の処置は不要ということで後日別の検査を控えてはいるものの現在日常生活は問題なく送れています。
ところで、倒れた翌日にとあるネット記事に出会いました。それは在学中に発症した癌との闘病生活を乗り越えたある大学ラグビー部員の話でした。きっと彼の苦しみや辛さは、ほんの一瞬倒れただけの私のそれとは比べ物にならないだろうけど、記事中にとても共感できる内容があったから簡単に紹介したいと思います。確か以下のような主旨であったと思います。
「癌を克服してからはとにもかくにも部活最優先だった自分のマインドは自ずと変わり、自分を支えてくれる、応援してくれる人たちの存在に気づいたことでその人たちを大切にしよう、できるだけ多く会ってたくさん喋って、決して自分の中に後悔が残らないようにしよう」
常々自分にとってできる限り後悔の無い人生を送ろうと考えていた私ですが、部活でも私生活でもまだまだやれること、やりたいこと、やらなきゃいけないことがあると気付かされた瞬間でした。

最後までお読みいただきありがとうございます。
次は5年生松田尚之氏よりお笑いサークル笑論法の系譜を継ぐ2年の文君にバトンを渡したいと思います。
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