ブログ 佐藤 琉海さんが書いた記事

考えるあたし[ラグビー部リレー日記]

 written by 佐藤 琉海投稿日時:2025/08/14(木) 09:47

河村からバトンを受け取りました、3年の佐藤です。正確なパスと言ってもらえて嬉しい限りですが、山中湖でのパスはブレブレだったのでもっと練習して最高のパスを投げられるように頑張ります。河村は下の名前でタツヤ呼びが広まりつつありますがまだ河村と呼んでしまうので頑張ってタツヤと呼んでいきたいです。タツヤは怪我する度に自己診断した病名を口に出す姿が印象的ですが、山中湖合宿では元気いっぱいのプレーを見せ、怪我なく最後まで走り抜けてくれました。もう誰も怪我させないでね。




昨日までの山中湖合宿を終え、福岡に帰省する飛行機の中で書いています。6泊7日の合宿前半戦を終え、部員それぞれに感想や反省があると思います。僕はと言えば、自然に囲まれて規則正しい生活ができ、ある意味でリフレッシュできたというのが素朴な感想です。ラグビーも部活も、突き詰めれば人生の暇つぶしに過ぎないという持論は以前のリレー日記にも書いた通りですが、まさに良い暇つぶしになったと思っています。こう書いていると、いささか斜に構えているように思えるかもしれません。実際これはニヒリズムと紙一重のところにあり、どうせ人生において何をしても無意味なのだからラグビーなんて頑張っても仕方がない、とやる気を無くしてしまうという可能性も否定はできないわけです。とはいえ生きる意味というものを理性的に考えていくと、結局は何をしてもいつかは死ぬのですから、ラグビーも部活も突き詰めれば人生の暇つぶしに過ぎないということ自体は一面の真理をついています。いかにもややこしいですね。中にはこんな面倒くさいことを考えて何になるのかと思う方も当然いらっしゃるかと思います。


というわけで今回書いていきたいのが、人生の意味を考え続けた先には何があるのかということです。かつて人間は考える葦だと言った人がいます。もっとも、巨漢揃いの東大ラグビー部員の多くは考えるニンジンや考えるエリンギとでも呼んだ方が相応しいと思いますし、そうなると考える葦と呼べるのは実は目黒くらいしかいないのかもしれないのですが、そんなことはさておき、考えるという能力自体は人間の強力な武器であることは間違いないでしょう。


その一方で、考えすぎるというのもまた考えものです。歴史を振り返れば、芥川や太宰など考えることが仕事とも言うべき存在である文豪は、考え抜いた結果自死を選びました(実際にはもっと複雑な事情があるのでしょうが)。考えるという機能は人間を幸せにしてくれるはずなのに、考えすぎることで不幸になってしまうというのでは本末転倒だと僕は思います。別の例を見てみましょう。僕はアオアシというサッカー漫画が好きで、Jリーグの超一流クラブユースでプレーする主人公の青井葦人はまさに考える葦そのもののような存在なのですが、作中には葦人が「考えに考え抜いた頭で、最後は本能で動く」というシーンがありまして、理性と野性の対比が鮮やかに描かれています。2つも例を挙げて言いたかったことは何かといえば、要するに考えるばっかりでは埒が明かないこともあるよねということです。そこで、どうしたら適度に、上手に考えられるかという問いが浮かんできます。人生の意味といった根源的なテーマなら尚更です。


しかし、これが中々の難問です。第一に、考えすぎてしまう人に考えすぎるなと言っても基本的に無理です。僕も同期の武村みたいに能天気に生きたいなと思って考えすぎないように生きようと試みたこともありますが、やはり気になるものは気になります。第二に、仮に考えなくて済むような外的環境を設定したとしても、考えていない自分がなんとなく嫌になってしまいます。例えば、まさに先日終えたばかりの山中湖合宿のように、(ラグビー以外は)考えなくて良い / 考える余裕がない環境に身を置くことで半強制的に考えすぎない状況を作ることは可能なのですが、それは一過性のものであって、結局は考えるべきことを後回しにしているに過ぎないのではないかという気持ちになります。


こう書いていると、考え続けたいというのが僕のポリシーであるように思えます。例えば、自分が納得できるような人生の意味を考え続けても答えは出ないけれど、それを考えたり考えなかったりしながら、人生の意味という神秘に迫ろうとしている自分でいたいというか、そういった自分に納得しているのだと思います。


なんとも歯切れの悪い終わり方になってしまいました。ここでYouTubeを見ていればそもそも何も考えなくて済むよね、と展開して僕がよく見ているYouTubeを紹介しようと思っていたのですが、あまりにも長く書き過ぎたので好きなYouTuberの名前だけ書いておきます。好きなものがあったら話しかけてください。


・はなおとでんがん
・ぼくわたチャンネル
・しらスタ
・Mリーグ切り抜き
・ABEMA将棋


それでは、菅平合宿も頑張ろう!!!


次は同期の伊藤くんにバトンを回します。伊藤くんはONE TAP SPORTSとDiscord botを連携してくれた超優秀なスタッフです。僕は工学部システム創成学科に在籍しているのですが、彼こそまさにシステムを創成する人材だと思います。なので伊藤くん、化学科なんて忙しい学科はやめてシス創に来ませんか。

 

部員に似ている有名人[ラグビー部リレー日記]

 written by 佐藤 琉海投稿日時:2025/05/12(月) 11:44

いとしんからバトンを受け取りました、3年の佐藤です。名前がかっこいいのは本当にその通りだと思います。お母さんありがとう。いとしんはつい話しかけたくなる可愛げのある後輩です。可愛い見た目をしておきながら実は肉食というギャップがさらに可愛いです。山中湖合宿で一回り成長したいとしんの今後のレフェリングに期待しています。

今回は部員に似ている有名人を紹介したいと思います。本当は写真を貼りたいのですが著作権とかに引っかかりそうなので各自で検索して確かめてみてください。

①すばるさんとインポッシブルひるちゃん
新歓ですばるさんに初めてお会いした時から、インポッシブルのひるちゃんに似ているなーと思いながら新歓を受けていました。すばるさんがガハハと笑った時の顔がめちゃくちゃ似てます。インポッシブルは勢いとしょーもなさで何も考えずに笑えるので好きな芸人さんです。昔のネタになってしまいますが、有吉の壁で披露していたJKボンバーズというネタが大好きで当時何度も見ていました。久しぶりに見返してみたらやっぱり面白くて爆笑しました。それとつい最近放送された水ダウの30-1グランプリのネタも面白かったです。気になる人は見てみてください。

②石澤さんと3時のヒロインかなで
これは入部して2年くらい経つまで気づかなかったのでちょっと難易度高めです。石澤さんがニコッと笑った時の顔がなんとなく似てます。写真を並べるとあー確かにとなるはずです。石澤さん曰くかえでさんの方が鼻が綺麗らしいです。フィジカルもかなでさんの方が優っているのではないでしょうか。

③鵜木とキングクルール
腹が出てるのとキングっぽいところが似てます。鵜木を攻撃すると下Bでカウンターが飛んでくるらしいので気をつけてください。

④西久保さんとマルコムマークス
スピアーズの試合を見ていて一瞬だけマルコムマークスが西久保さんに見えたので一応紹介しておきます。並べてみると若干似てなくはないかも、、くらいの感じですが、西久保さんの盟友である安冨さんには全否定されました。なお最近の西久保さんはすっかりおしゃれになってしまったのでもう似ていないかもしれません。

以上、部員に似ている有名人を紹介しました。他にも〇〇に似てる!と思ったことがある人は是非教えてください。

次は2年の細尾にバトンを渡します。細尾はラグビーの
分析をこよなく愛する期待のアナリストです。この前おすすめのラグビー解説アカウントを教えてもらったので僕もそれでラグビーを勉強してみようと思います。細尾は一目見てQuizKnockの河村拓哉に似てると思ったのですが、どうでしょうか。

超高齢化社会の今を読む[ラグビー部リレー日記]

 written by 佐藤 琉海投稿日時:2023/10/24(火) 14:03

 3年生の寿太郎さんからバトンをいただきました、1年の佐藤です。入部して半年が立ち、同期とも仲良くなってきました。(顔と名前は覚えました。)今年の1年生は人数が多いので、みんなで遊びに行くのも一苦労ですが、いつか遊びに行きたいなと思っています。寿太郎さんは、サラダにドレッシングをかけない硬派な先輩です。僕もドレッシングのかかっていないサラダのように、飾り気のないプレーでチームに貢献したいと思います。

 さて、みなさんは1年の谷脇が「超高齢化社会の今を読まない」というふざけたタイトルでリレー日記を書いたのを覚えているでしょうか。別に引退する訳でもない4年の岩下さんに「有終の美を飾らせます」と引導を渡す宣言をして出場した先日の防衛戦では、右腕一本で相手のタックルを弾き返して棒立ちし、自陣ゴール前のピンチでは相手チームのデコイに入るなど、いろいろな才能が爆発している彼ですが、それはさておき、今回はしっかりと超高齢化社会の今を読んでいきたいと思うわけです。

 4月からずっとラグビーをするか迷い続けて結局は入部してしまったわけですが、夏休みの某日に、高校の同期から「『俺、本当はもう一回ラグビーしたいんかなーっ』ていう一瞬浮かんできた感情に流されてしまったね」と言われました。核心を突かれすぎて胸が痛いです。これだけきついスポーツなのに、なぜかまたやりたくなってしまうという中毒性がラグビーの恐ろしいところです。というか、高校でも別にラグビーをするつもりはなかったんですね。後のキャプテンとなった同期に誘われなければ、僕は吹奏楽部にいたはずです。まあ、ラグビー部に入らなければここまで社会に適合できなかったと思うので、結果オーライということです。

 話を戻して、なぜまたラグビーをやりたくなってしまうのか。僕は、その答えは生きているという実感にあると思います。ラグビーの試合や練習はきつくてスリリングです。走り回り、相手にぶつかり、ちょっとでも気を抜くとやられてしまう。自分の心臓の鼓動がバクバク聞こえます。自分の先祖がいつか草原で狩りをしていた頃のような、野生的な動物としての自分が、そこには感じられるわけです。

 でも、私は今ここで間違いなく生きているのに、なぜ今更「生の実感」が必要なのでしょうか。それは、私たちは生きているのに、生きているという実感がないからだと思います。一見矛盾しているように見えますが、少しだけ説明をさせていただきたいと思います。

 昔は、人生には物語がありました。それは例えば、土地に縛られてひたすら農作業をすることかもしれないし、良い行いを積んで浄土に行くことかもしれません。この例で行くと、封建的社会と宗教が人生を意味づけていたということです。しかし、近代化により民主化が進み、また宗教も以前ほどの影響力を持たなくなってしまいました。そうすると、私たちには物語がなくなるわけです。何のために生きたらよいかわからない。言い換えれば、何かのために生きていなければ、生きているという実感が得られない。こうして、どうにかして生きている実感が欲しいというのが、現代人につきまとう欲望になるわけです。

 さらに言うと、これは超高齢化社会の今に特有の課題だと言えます。「昔は良かった」という言葉を聞いたことはあるでしょう。特に、「高度経済成長が続いていて、とにかく頑張って働き続ければより豊かな社会を手に入れることができると、みんなが前を向いていた時期」は良かったなあという文脈で用いられるそれです。つまり、昔はとりあえず国をあげて熱中するものがあり、それが人生に物語を与えてくれた。しかしそのような成長も終わり、本当に自分で物語を編み出さなくてはいけない社会が来ました。自由を与えられた代わりに、選ばなければならないという重荷を背負わされたわけです。よく言われる、自由の厳しさというやつです。

 では、何かに熱中し続ける人生を送れば良いのでしょうか。高校生の時は僕はそれで良いと思っていたのですが、少しおかしなことがあるのに気がつきました。高度経済成長の例でいえば、その前後を比べれば、後の社会の方が確実に豊かになっています。しかし、熱中するものがあるかどうか、という尺度で見るならば、豊かでないはずの経済成長期の方が幸せで、それが終わった今は不幸だということになってしまいます。「熱中」論は、不幸であるという幸せを導いてしまう。そして、今ここにあるはずの豊かさを享受できない。これが問題だと思うのです。

 これは、消費と浪費の違いにも現れます。消費は観念を追い求めることそれ自体に喜びを見出す無限に続く営みで、浪費は必要とされる以上の量を手に入れることで満足を得る、終わりのある営みです。この2つの言葉を使うならば、熱中に生の実感を見出そうとする人々は、人生を消費している。それでは終わりは来ません。我々はもっと、人生を浪費する必要があると思うのです。

 例えば、平安時代の貴族たちは、することがなくなった挙句にずっと月を見ていたわけです。それくらいしかすることがなかった。別にする必要もないことをわざわざするという意味において、これは浪費です。しかし、することがなくなった今の我々は、「すること」を作り出してしまった。それはゲームかもしれないし、漫画かもしれません。でも、一番大きいのは資本主義だと思います。公正な競争で豊かな社会を作ろうという目標を掲げているように見せて、本当の目的は競争そのものにあります。競争するという終わりのない観念を人々に消費させることで、とりあえず生の実感を満たしてあげている。そんな装置が資本主義だと思います。果たしてそのような生は健全なのか。これは本当にそれでいいという人もいれば、違和感を抱く人もいるでしょう。どちらにせよ、どのように100年規模の長い人生を生きるべきかを自分で考えなければならないというのが、超高齢化社会の今を生きる私たちに突きつけられた課題だということです。

 ここでようやく最初に話を戻せば、浪費だの消費だの言わずに、ラグビーによってフィジカルに生の実感を取り戻すというのが、最も原始的で本質的な方法ではあります。6限まで授業を受けた後に部活に行っていた高校でも、ひたすら勉強だけをしていたら気が狂っていたと思います。今思えば、部活で走り回って「俺、生きてるんだなあ」と感じることで、豊かな気持ちになっていたのです。ラグビーにかける思いは皆さまざまでしょう。しかし、根本まで辿っていけば、物語がなくなった超高齢化社会の今において、生の実感を得るための処方箋としてラグビーを選んでいる、そんな人の集まりがこの東大ラグビー部だと思います。こんなことをチームの価値観だと言ったら西久保さんに怒られるだろうなあと思いつつも、一面の真理はついているのではないだろうかと、防大戦を終え疲れた頭と体で考えていたのでした。

 次は、2年生の鷲頭さんにバトンを渡します。鷲頭さんは、すごく真面目な顔をしてものすごく不思議なことを言う先輩です。寿太郎さんの自転車を勝手に使ったのが見つかったときも、すごく真面目な顔をしていました。しかし、フィールドでの献身的なプレーは本当にかっこいいです。あと、鷲津とか鷲巣とかいつも漢字を間違えられていてかわいそうです。僕はそんな鷲津さんの後継者候補であるらしく、光栄に思います。

P.S. ところどころ國分功一郎先生「暇と退屈の倫理学」を参考にしました。興味がある人は読んでみてください。

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