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ラグビー2年生[ラグビー部リレー日記]

 written by 小田 涼平投稿日時:2018/03/19(月) 12:54

バックスからフォワードへのコンバートを行い、今後更に活躍してくれるであろう頼れるナイスガイ、浦山さんからバトンを引き継ぎます。



東京大学合格が決まり、一人暮らしの大学生活が始まり、新歓期にサークル、部活を色々と見て周り、ラグビーに出会ったのは今は昔、長期にわたる合宿、日々の練習を、時に怪我、時に勉強に打ち拉がられそうになりながらも続けてきて、気づけばもう1年がたっていました。



昨年はラグビー未経験者としてチームに加入し、ジュニアコーチはじめ、先輩、同期の仲間に支えられてきて、ラグビーをしてきました。



もう自分にも後輩ができる時期が来たのだと思うと、これまでのように周りに支えられているばかりではなく、自分もこれまで支えられた分をチームに還元しなければならないということを感じる時期になりました。



そのためには、ラグビーの上達はもちろんですが、ラグビー以外の生活も見直していかなければと思います。というのも、あたまえのことですが、怪我をすると練習ができなくなります。昨年の僕自身もそうでしたが、練習出来ない期間は個人的に辛いだけでなく、人数が多くない僕達のチームにとってはチーム全体にマイナスになってしまうからです。



怪我を防ぐには、ラグビー自体の技術はもちろんですが、根本的に怪我をしにくい体作りをしていかなければなりません。現在4年生を中心に、チーム全体として、体作り、けがの対策への意識が非常に高くなっており、筋力トレーニングはもちろんのこと、今まで以上に柔軟性や、からだの安定性といったところにも目を向け、食事も量だけでなく質にこだわるようになってきました。上級生が生み出してくれているチームの波に乗り、個人的にも体作りにこだわっていきたいです。



一人暮らしの身の大学生なので、こういった生活に加え、バイト、勉強もこなしていかなければならず、肉体的にも精神的にも辛い部分はありますが、共に頑張る部活の先輩や同期、クラスや、高校時代からの友人らの支え、励みで頑張れています。この経験や仲間が今だけでなくこれからの僕自身の支柱となってくれるのだと感じ、感極まりながら、リレー日記を書き終えたいと思います。



新入生の皆さんへ



ここに書いて届くかはわなりませんが、部活生として大変な部分は確かにあります。しかしこれまで拙い文章ではありますが、書いてきたように、僕はそれでも頑張れるかけがえのない理由(仲間)も得ることができました。



ラグビーならではの雰囲気が僕は好きです、ぜひ味わいに来て欲しいです!



次は昨年新歓期ドレッドヘアで強烈なインパクトを与えてきた、れおさんにバトンを渡したいと思います。



 



 

コンバート[ラグビー部リレー日記]

 written by 浦山 裕矢投稿日時:2018/03/14(水) 23:48

   昨年に引き続きリレー日記のトップバッターを託されました、いつのまにか4年の浦山です。僕は東大ラグビー部で3年間センターをやっていましたが今年からフォワードのバックローにコンバートすることになったので、自分のポジションとその周辺的な話をしようと思います。初めて真面目な内容の文章を書こうと思うので応援してください。

   僕のラグビー人生は、高校入学時80kg超という恵まれた体格で入学した僕に一目惚れしたラグビー部の顧問の先生が熱烈な勧誘を施してきたことによって始まる。その顧問は僕が入部するなり「お前をNo.8に育てる」といい、僕は1年の頃はフォワードのロックとして試合に出ていた。2年になるとその顧問は「No.8になるためにバックスも経験しておいた方がいい」と言って僕をセンターにコンバートさせた。これが僕のセンター人生の始まりである。当時(?)パスやキックはおろかステップさえきれなかった(今とは比べものにならないほどという言葉を付け加えておく)僕は13番の背番号をつけ、ただただボールを持って(キャッチできた時に限っての話だが)直線的な猛ダッシュを披露し必ずゲインを切った。そんな僕には戦車やらロケットやら名誉と不名誉が相混ざった称号を与えられたが、気づいたら最後まで僕はセンターで、東大ラグビー部に入ってもそれは変わらなかった。

   そんな中今年度が始まる時に僕はフランカーに転向した。僕以外の人にとってはシーズンが始まったらいつのまにかフランカーになってたようにしか見えなかったと思うが、自分のなかでは一応色々な葛藤があったのだ。シーズンが始まる前に今年度の主将である石川と面談した時、フランカーやらないかと切り出された。今思えば石川の中ではかなり前から考えていたことなのかもしれないし他の同期も小耳に挟んでいたようだが、僕にとっては心底驚きで(今考えてみると自分のこのプレースタイルでフランカー転向に心底驚く方が客観的にはおかしいかもしれないのだが)完全に頭が真っ白になってしまった。石川に今年度のプレイヤーのポジション内訳を見せてもらうと、なるほどフランカーの欄は少なく、心許なかった。

   僕にとってフランカー転向は全くネガティブなものではなく不安と希望が入り混じったもので、フランカー転向にあたって僕が考えたことは3つあった。センターを去る恐怖、フランカーに行く不安、そしてフランカー転向に対する希望である。まず僕はセンターをかれこれ5年やってきたが、結局センターというポジションが気に入っていた。それはセンターをやっているとパスやキックをしたり激しいタックルなどのコンタクトもあり“ラグビーをしてる感”が満載だからだ。(それ以外はラグビーじゃないのかという異論は認めます)そして一番大きかったのは4年でセンターからフランカーという大幅なコンバートをしてやっていけるのかという不安だった。フォワードはやったことがあるがそれも5年前のことでフランカーは一度もやったことがない。またフォワードはセットプレーに対する比重が高いので新しくやることにかなりの完成度も求められる。しかしその一方でフランカーをやってみたい気持ちも少なからずあった。この3年間バックスとしてフォワードのプレーを見てきて、自分だったらこういうプレーをしてみたいとかこんなサインプレーができるとか色々と想像を膨らませてきた。それを実現するチャンスが目の前にあると思うとフランカーに転向することがかなり魅力的に見えてきたのだ。

   こうしてフランカー転向を果たした僕であるがここ数週間フォワードの練習をしてみると自分がフォワードに向いているという事実をひしひしと感じる(多くの部員はおそらくずっと感じていたであろう)。フォワードはやったことがあるので基礎的なことはわかるし、自分で言うのもなんだが飲み込みもそこそこ早い。飲み込みが早いと褒められるし、僕は褒められるのが好きなのでとても嬉しい。まあそんなことはともかく、新しいことに挑戦して文字通り昨日できなかったことが今日できるようになるような成長を4年になって体験するとは夢にも思わなかったし、もう一度ラグビーを始めているみたいな感覚でとても新鮮であり、とても充実している。とは言ってもいつまでもコンバートしたてのような気分ではいられない。4年FWとして下級生に背中を見せられるように、そしてフィットネスでも誰かに背中を見せられるように精進(世界一自分に似合わない言葉かもしれない)していきたい。

   最後までお読みいただきありがとうございます。拙い文ではありますが頭が回転しなくなるほどハードな練習とトレーニングを重ねていると思ってお許しください。次は僕の中で密かにフランカーも向いているんじゃないかと思っている、ウィングの小田にバトンを渡したいと思います。

全ては勝利のために[ラグビー部リレー日記]

 written by 松永 迪之投稿日時:2017/12/22(金) 18:56

FWリーダーの樋口より最後のバトンを受け取りました主将の松永です。
最後ということで今年一年の心境を書き綴りたいと思います。
表現が拙いところは何卒ご容赦下さい。



 勝負事において結果は全てを物語る。言い訳などいくら並べても仕方ない。どんな言い訳も結果の前には意味をなさない。その当時のチーム状況なども全て含めての勝負だ。その勝負に負ければ誰がなんと言おうと負けなのだ。だからこそ勝つことには大きな意味がある。勝つために必死になる。勝つことのみが今の自分の存在を肯定してくれる。
2勝5敗。それが今年のチームだ。どんな過程であれ、これが結果だ。受け入れるしかない。

 今年を振り返ったとき、一年前の主将決めを思い出す。同期数人に推薦されたが、いまいち覚悟が決まらず難航した。今まで人の上に立つ役を務めたことがなく、その器でもないと思っていた。とても主将は務まらないと思った。
 
ふと思い返せばこれまで何かと理由をつけては責任を引き受けることから逃げてきた。そのうち誰かがやってくれるだろう、と人任せにしてきた。そんな人生でいいのか。せっかく変わる機会があるのにまた逃げるのか。そう思ったとき、この同期がいればやっていけるかもしれないと思い、やらせて欲しいと言った。その時は半ば挑戦のような気持ちだった。
 
少しして12月末、母校の試合を見に行ったとき顧問の先生にいただいた言葉がある。
「リーダーとして誰かに推してもらえるのはとても幸せなことだ、上に立つ人間はこの人にならついていけると思ってもらわなければならない。」
そのとき覚悟は決まった。今まで見てきた先輩のようなカリスマ性もなければ、突出したプレーもできないが、誰より体を張ってやる。皆がついてきてくれるような人間になる、そう決めた。

 覚悟だけは一人前だった。しかし、実際はどうであったか。

 春の定期戦が始まる寸前に怪我をして戦線離脱、チームが春の一つの目標にしていた早稲田戦に出ることすら叶わなかった。それから合宿を経て対抗戦が始まり、4連敗してチームが苦しい時に迎えた学習院戦も、前節の怪我により出場できなかった。これでは体を張るどころではない。萩原はじめ他の首脳陣には随分迷惑をかけた。彼らがいなければこのチームは今日を迎えていないであろう。そのぶん出れる試合では全力を尽くしてきたつもりだ。

本当に長く苦しい一年だった。明日を迎えるのが怖い時期もあった。寝て起きると当たり前のように朝が訪れ、練習が始まる。例え目を背けたくとも休むことは決してあってはならない。そして練習が始まれば常に先頭にいなければならない。時の流れは残酷だ。どんなに追い込まれていても刻一刻と進んでいく。待ってもくれなければ急いでもくれない。朝は必ず訪れ、ただ無表情で過ぎていく。
 苦しいがしかしそれだけ真剣でもあった。これほどに全力で過ごした一年はないだろう。主将の道を選んだことに後悔はない。もし自分が主将でなければどんな今日を迎えていたか、そんなことは考えても意味はない。ただもっと違うやり方があったであろうかと振り返るのみだ。そしてそれを次の世代に生かしていくことしかできない。


 最後になりましたが、今シーズン関わってくださった全ての方に感謝申し上げ、最後のリレー日記を終えたいと思います。監督、コーチ、トレーナーの方々、OBの皆様はじめ応援して下さった皆様、保護者の皆様、温かく見守って下さりありがとうございました。結果で恩返しすることができず申し訳ありませんでした。ジュニアコーチの皆様、我々が至らないばかりに多大な迷惑をかけ、試合にまで出ていただくことになり申し訳ありませんでした。ありがとうございました。後輩諸君、体を痛めても試合に出てくれて、今日までついてきてくれてありがとう、明日の試合皆で勝って締めくくろう。同期のみんな、多くは語りませんが四年間楽しい時も苦しい時もみんなと過ごせてよかった、ありがとう。

 今年も残すところあと1日、やれることは全てやってきた。あとは最後の勝利のために全力で駆け抜けるのみだ。
 
主将 松永迪之
 

四年間[ラグビー部リレー日記]

 written by 樋口 潤司投稿日時:2017/12/20(水) 22:37

BKリーダーの萩原よりバトンを受け取りました、4年FWリーダーの樋口です。
今週末の京都大学戦にむけて、「最後の」コンタクト練、「最後の」スクラム練、「最後の」フィットネス、日々最後の日に向かっているのだと噛みしめながら練習に臨んでいます。




長かった四年間が終わる。
思えば上手くいかないことばかりだった。誰よりもチャンスは与えてもらってきた。一年では対抗戦に出る機会をもらい、二年では大きな怪我もなく経験を積み、三年ではほとんど試合に出させてもらった。だが、期待に応えるプレーには常に及ばなかった。その度、今年こそ、はそう思いやってきた。今年こそはレギュラーに、今年こそは信頼されるプレーヤーに。一歩一歩進んできた実感は確かにある。ただ一歩求めるものには足りなかった。それが私の四年間であったと思う。


とりわけ今年の一年は長くしんどかった。
体を張ることが取り柄の自分が怪我でグラウンドに立つことも出来ない歯痒さ、なにより副将として、リーダーとしての力不足は幾度となく痛感した。何か声をかけなければならない、決めなければならない、練習中、試合中そのような場面で分かっていながら明確な答えを示せないこともあった。悪い流れを感じながらそれを変えるだけの言葉が、プレーが出来なかった。後悔を述べても遅いことは分かっているが、それでも責任ある立場に立ちながら役割を果たせなかったことに情けなさを感じる。

ネガティブな話になってしまったが、これが正直なところだと思う。自分は結果に対して責任を負う立場だった。だからこそ、この一年をいい一年だったとは決して言いたくない。ただ、こうして終わりを迎えるにあたり感じるのは後悔だけではなく感謝の思いだ。
多くの人に支えられている、という当たり前のことを首脳陣となって本当に実感した。そして、最後まで共に戦ってきたチームの仲間には感謝を伝えたい。

この四年間も最後の京大戦を残すばかりだ。副将として、かつて憧れた先輩方のようなカッコいい姿を少しでも見せ、そして勝つことで締めくくりとしたい。


最後まで文章が下手で申し訳ありません。
次は主将の松永にお願いします。
 

副将として[ラグビー部リレー日記]

 written by 萩原 雅貴投稿日時:2017/12/18(月) 19:37

まさに、部を回している藤永からバトンをもらいました。四年萩原です。

 副将という立場になり、特に今年一年、多くの方に支えられて活動しているということを痛感しました。監督、コーチ、Jrコーチ、トレーナー、OBの皆様には本当に感謝しています。ありがとうございました。

 

 四年生の先輩方が引退する際に「四年の時が一番辛かった」と、過去に何度か聞いたことがあった。
当時下級生だった自分は、フィットネスもフィジカルも大学での練習を一番重ねた四年生が一番余裕もあるのではないか、と疑問に思っていた。長い間、本気でその理由が良く分からなかった。
それでも去年の11月頃、副将に就くことが決まったとき、「純粋にラグビーを楽しむのは今年までだ」と感じたことを覚えている。

 

 去年までの三年間、真剣にラグビーに取り組んだ自覚はある。
如何にしてパスがうまくなるか、速い球捌きが出来るか、DFで通用する体作りができるか、その時々であれこれ考えていた。練習でも良いプレーが出来たら嬉しいし、納得いかないプレーしか出来ないときは、焦りを覚えて自主練を繰り返した。
その過程が楽しかった。

 しかし、「チーム」に対して何か、声掛けをし、雰囲気を作ろうとし、鼓舞するような働きかけはしていなかった。
一部の選手がそういう働きかけをチームに対してしているのを、なんとなく見ているような、そんな選手であった。
そもそもそういう視点を持っていなかったから、チームに対しての声掛けも、なんとなく聞き流して、自分のプレーのことばかり考えていた。だから先輩方の言葉の意味するところが分からなかった。

 

今年は辛く長い、一年だった。


 これまでの三年間、もっと言えばラグビーを始めてからの六年間、無意識にリーダーに押し付けていた役回りを初めて担い、その難しさと、その辛さを実感した。
朝グラウンドに着いてみて、メンバーが揃わず、予定していた練習が出来なくなるのは日常茶飯事だし、遅刻、欠席、怪我人の多さなどに辟易することもしょっちゅうあった。
気の抜けたプレーや、責任感のないプレーをする人間には苛立ちを覚えることもあった。
また一方で、そういった事に対して、ある種自分のプレーを棚上げしてでも叱責しなければいけない事に、心苦さを感じた。
本当はこうしたいのに、こういう練習がしたいのに、できない。
自分の努力では変えられない条件の下で、それでも、迫り来る対抗戦に向けて練習を続けなければならない。
いっぺん立ち止まって一休みしたいけれど、背中を無理やりされている、そんなような気分の一年間だった。

 そんな理不尽なように思える環境であっても、四年生は、リーダーは、体を張り続け、チームを鼓舞し、先導していかなければならない。リーダーが体を張る、という言葉は去年までの三年間でも、何度も耳にしたが、その意味と重要さには気づいていなかった。
過去、下級生だった頃の自分からみた四年生達が、何食わぬ顔でしていたように思えたリーダーとしての役割は、想像を超えて大変なものだった。


 しかし、だからこそ、勝てた時は今まで感じていた勝利の喜びに加えて、また新しい嬉しさもあった。それだけでも副将をやって良かったと思えるくらいに十分な程に。試行錯誤した末に勝利するやりがいと、チームとしての成長と、プレッシャーが無くなる安堵のようなものが混じった喜びを感じることが出来た。

 学生として全力を尽くせる試合も京大戦のみとなった。
辛い日々で、試合の一つ一つの局面で、練習の中で、手足が痛かろうが、肺が苦しかろうが、自分の状況とは関係なく理不尽に訪れる大事な勝負所ではいつも頭に高校の顧問の言葉が浮かぶ。
 
 気持ちの問題だ

ラグビーを続ければ続けるほど、これが、安易な思考停止の末の根性論などではないことに気づく。七年やっても、ここが一番難しい。最後は気持ちの問題だ。
結果を出せなかった一年を払拭するような締めくくりにしたい。


次は、頼れるフランカーの1人、副将の樋口にお願いします。
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2025年10月

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