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契機[ラグビー部リレー日記]

 written by 佐々木 凜投稿日時:2022/10/07(金) 16:15

主将の國枝さんからバトンを受け取りました、2年スタッフの佐々木です。
部活に全力を注ぐために今年は授業は諦めた、とあっさり言ってのけてしまうほどのラグビーバカなキャプテンは、普段のきらきらとした少年のような表情と、部活中の凜とした力強いまなざしとのギャップが魅力です。対抗戦が始まり、國枝さんの今シーズンにかける熱い思いがより一層伝わり、4年生と過ごせる残りの期間を大切に噛みしめて過ごしていきたい、と強く思っています。あ、今度私のグルメリストから糖質とタンパク質を十分に摂取できる良店をピックアップしてご紹介しますね。

私が学生レフリーを始めてからおよそ一年が経過し、つい最近B級認定に通ることができたが、私はまだまだ未熟なひよっこレフリーである。レフリーを始めてから私の部活生活は大きく変わったし、この1年間は怒涛の勢いで過ぎていったように感じる。でも改めて私が学生レフリーを始めた経緯や私の活動についてあまり話したことはなく、部員のみんなから聞かれることもあるので、今回はそんなこんなについてお話ししたいと思う。

そもそも、私はレフリーをやりたくてこの部活に入ったわけではない。たしかにラグビー自体は好きだったけれど、レフリーについて何の知識もないし、ラグビー選手としてのプレー経験がない私がレフリーをできるなんて、思ったこともなかった。1年生の頃、スタッフの先輩と面談をしたりして、「スタッフとしてどんな仕事がきつくてどんな仕事が楽しい?どんなことをしたい?」と聞かれることがよくあったが、私はいつも「きつい仕事は特にないし大体全部楽しいです。」とばかみたいに能天気な答えを言っていた。これは別に気を使って本心を言えなかったわけではなく、そもそもスタッフの仕事自体でなにがしたい、とかなにが楽しい、とか思ったことがなくて、私のモチベは常に「チームが強くなるために何か役に立ちたい」ということだけだったからだ。

なんだかあまりに利他主義で綺麗事のように聞こえるかもしれないが、ラグビーを選手として自分がやるほどの覚悟はなかった私にとって、それができる選手たちは素直に羨ましいし、尊敬しているし、そんな彼らに強くなってほしい、というのが自分のモチベーションでもあった。でも1年生の頃の自分にできる仕事は限られていたし、そもそも雑多な仕事も多いスタッフという立場で自分でなければいけない、という存在意義を見出すことは簡単なことではない。おそらくスタッフを経験した人ならみな1度は直面するであろう問題である。

そんなタイミングでふと思いついたのが学生レフリーという存在だった。高校時代も選手と一緒に駆け回っていた自分にとって、選手と一緒にグラウンドに立って、選手と近い距離間でラグビーに関わることができるレフリーという存在は魅力的に思えたし、なによりレフリーの先輩方が、その存在意義や楽しさ、自分にしかない関わり方ができると勧めてくれたのが大きかった。

これは始めてから気づいたが、自分自身の課題や成長を実感しやすいというのもレフリーをやるメリットだった。もちろん最初はやらなくてはいけないことの多さや、何もわからない自分の未熟さに絶望しそうになったが、色々な試合に出かけていって、色々な人からアドバイスをもらっているうちに少しずつ自分にできることが増えていくのは実感できた。高校時代から選手としてスポーツに関わることを辞めた自分にとって、自らのレベルアップのために努力をするというのは久しぶりで、モチベーションにもなった。もちろん楽しいことだけではなくしんどいこともやらなければならないし、誰も知っている人のいない試合会場に毎回一人で出かけて行っておじさんたちに文句を言われまくって帰ってくる、という孤独感や辛さを味わうこともあったけれど、その分自分の社交性や精神面は鍛えられた気がする。

そもそもレフリーとして自分が名をあげたい、とか評価されたい、なんて思っていたわけではなく、私なりにチームに貢献できる手段として始めた学生レフリーだったが、結局自分が上のレベルにならなければ、チームにもたらすことができるメリットは大きくならない、というのが事実である。そして、そのための努力がまだまだ足りていない部分が多いのもまた事実だ。まだまだ未熟な自分ではあるが、チームやレフリーの先輩方からも協力してもらっている分、もっと成長して、チームが強くなるという最終目標のために、チームと一緒に強くなっていきたいと思う。

次は、話がめちゃくちゃ面白くて、個人的にツボなごたつさんにバトンを回します。いつも陽気で、みんなをセンスのあるいじりで盛り上げてくれているごたつさんも、國枝さん同様ラグビーになると闘志みなぎる最強のフロントローに変身します。今週末の一橋戦でも最強のスクラムで相手が恐れおののく活躍を見せてほしいです。
 

興奮よりも速く、強く[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2022/10/05(水) 19:00

天才りさちゃんからバトンを受け取りました、4年の國枝です。
りさちゃんは、同期がジムでトレーニングしている時間、横にあるランニングマシーンで走りこみをするほどストイックで同期愛が強いスタッフです。いつも丁寧に仕事をしてくれていて、いちプレイヤーとして本当に頭が上がりません。いつもありがとうございます。

ラグビーのプレーの中で何をしている時が一番好きか。
部員と面談をする時によく聞いていた質問であるが、自分に問うとなると案外悩ましい質問である。
1年生の時に初めて新歓練習でラグビーをした時は、ボールを持って全力で走る、という本当にシンプルなプレーが最高に楽しくて、直感的に「このスポーツをやりたい」「これしかない」と感じて入部を決めた。
2年生の時もランプレーが一番好きだったように思う。ただ、他の選手と比較して自分が最も自信が持てるプレーはキックであり、飛距離が出て精度が高くなるにつれてキックもランプレーと同じくらい好きになっていったような気がする。

では、今はどうか。
もちろんランプレーもキックも好きではある。
けれども、一番好きなのは、というより最も魂が震えるのはタックルである。
決してタックルが得意なわけではない。むしろ、1.2年生の時はとても苦手だった。
ただ、身体が強くなり、コンタクト練習を重ねていくにつれて、徐々にコンタクトが楽しくなってきた。その中で、タックルで相手を芯で捉えて、仰向けにひっくり返す時の快感、興奮を覚えた。
ただ、試合の中で本当に気持ちのいいタックルができたのは、今年の九大戦の一回限りである。思いっきり走りこんできた相手のBKを芯で捉えて、仰向けにひっくり返した時の身体の衝撃と興奮は言葉では言い表せない。相手はその後、みぞおちでしばらく苦しんでいたが、これが大西さんのいうDominationなのだと、これがラグビーなのだと、自分の体、感覚を通して理解できた瞬間であった。

少し話が変わるが、僕の父親は僕と同じく大学でラグビーを始め、4年間ラグビーに没頭し、社会人になっても数年間、会社のチームでラグビーを続けたらしい。
父親は基本的に仕事人間で僕が小中学生の時はあまり家にいなかったが、家にいる時は大抵の場合、ラグビーを観ていた。
また、秋になると母校である一橋のラグビー部の試合観戦によく出かけに行き、僕自身も小学生のころ、訳も分からないまま父にグラウンドにつれていかれた記憶がある。
僕の知る限り、仕事と家族以外で、ラグビーは父の唯一の生きがいである。
そんな父は、昔から、家族でラグビーを見る際に必ず、「ラグビーはタックルだ」と言っていた。

一年生の頃から、先輩のプレーを見ていて一番かっこいいと思うのは、心が震えるのは強烈なタックルであったし、そういう意味では父の言葉は半分くらい理解できていた気がするが、最近になって、頭ではなくて、体で、魂で、その言葉の真の意味がわかってきたような気がする。

気づけば、対抗戦はすでに2試合終わっており、今週の日曜日は一橋戦である。
とにかく、1つ1つのプレーに集中して、1つ1つのタックルに全身全霊をかけて、血が滾るような試合がしたい。そして勝つ。

最後までお読みいただきありがとうございました。
次は、2年スタッフのりんちゃんにバトンを渡します。
先日、弛まね努力の結果、遂にB級レフリーの資格を獲得したりんちゃんは、いつもレフリーとして僕たちプレイヤーをサポートしてくれています。また、レフリーだけではなくてメディカルや広報の仕事までこなしてくれていて、本当に頼りになるスタッフです。
今度、オススメのグルメ、教えてください。
 

なんで、私がラグビー部に。[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2022/09/30(金) 19:00

秀才・佐川さんからバトンを受け取りました、1年スタッフの天才・工藤です。脳=筋肉というと語弊があるかもしれませんが、脳は約60%が脂質、約40%がタンパク質で構成されているそうなので、やはり受験生こそプロテインを飲むべきではないかと思います。

 

話は変わりますが、私はつい昨日まで佐川さんと挨拶程度のコミュニケーションしか取ったことがありませんでした。(1-6の関係ということで、見えない距離を感じていたのでしょうか。)そのため、佐川さんについて知っていることといえば部内でも有名な”素敵な趣味”に関することくらいでしたが、残念ながらご本人から公開NGが出てしまいました。本来、リレー日記の紹介文は執筆側の自由に委ねられているはずですが、あれほど切実にお願いされて裏切るほど私は冷たい人間ではありません。そこで急遽、昨日の夜練後に紹介文決定会議が開催されたというわけです。この場をお借りして、オブザーバー参加して頂いた先輩方にお礼申し上げます。
 

せっかくなので、昨日得た佐川さんに関する情報を共有したいと思います。

①実家が注文住宅:家を建築家に建ててもらったという共通点がありました。Googleストリートビューで見せて頂いたのですが、随所にこだわりが表れている素敵な住宅でした。個人的には、北海道の気候に合わせてつくられた長めのアプローチが好きです。
②三人兄弟:お姉さんと弟さんがいるそうなのですが、同じ兄弟構成で、同じく3回受験をした方がラグビー部にはもう一人いますよね。ジンクスだったら怖いです。
③コンバージョンキック:雪が積もったグラウンドでは当然のことながらコンバージョンキックができないそうですが、どうしてもやりたかった佐川さんは練習前にコンバージョンキックで使うところだけを自分で雪かきして強行していたそうです。また、冬は長靴でプレーしていたそうですが、ゴム手袋よりこっちの事実の方が衝撃です。
④つっぺ:スタッフの皆さん、佐川さんに「つっぺちょうだい」と言われたら、動揺せずに鼻に詰める綿を差し出してあげましょう。

 


 

さて、ようやく本題に入るが、初めてのリレー日記はラグビー部に入部するに至った経緯を書こうと思う。部員の皆さんは懐かしみながら、お読みください。

 

 

2月15日、東大合格。

不安やプレッシャーで枯れかかっていた私に、栄養たっぷりの水が注がれた瞬間。
大学での楽しみはサークル。受験勉強で力尽き、日本一の大学で学びたい!などという向上心はまだ湧き上がってこない。中高で体育会は十分味わったので、大学では楽器でもやろうと思っていた。チェロとか、ギターとか。

 

3月某日、Uターン。
一緒に東大に入学することとなった高校の友人と、どのサークルに入るつもりか、という話になった。
私はまだゆるっとしたサークルに入ろうとしている。みんなもそうだと思っていたのだが、サラッと裏切られる。
「私は部活入ろうかなって思ってるよ。だって本気でやらないと面白くなくない?」
あー確かに。サークルだとそのうち行かなくなりそうだし、勝負事じゃないと本気になれないんだった。
よし、運動部に入ろう。

 

3月28日、テント列。
(※テント列:部やサークルが道の両側にテントを連ね、間を歩く新入生を勧誘する。)
コロナにより規制が厳しくなったそうで、噂に聞いていたような強引な勧誘はなかったが、声をかけられて無視する勇気もなく、いろんな運動部で説明を聞いてLINEを交換し、ビラに至っては教科書が3冊くらい作れそうなほど受け取ってしまった。運動部に入ると決めた以上、運動部のテントを見かけたらどこでも入るつもりでいたが、この日はなぜかラグビー部に出会わなかった。そんなこともあり、まだラグビー部のことはうっすら存在を認知しているくらいだ。2ヶ月後にはラグビー部のスタッフをしているなんて思ってもみない。

 

3月30日、プレオリ。【運命の出会い その1】
(※プレオリ:初めてクラスメイトと顔を合わせる機会であり、ひとつ上の先輩(=上クラ)に履修方法などを教えてもらう。)
その日もJ先輩は派手なTシャツを着て、少し遅刻して教室に入ってきた。教室の端に立っているのに、存在感がすごい。私は自己紹介で、プレーヤーかマネージャーとして運動部に入ろうと思っています、と話した。
J先輩がその一言を狙ってプレオリに参加していることなど、この時点では知るよしもない。

 

4月1日、オリ旅行。
(※オリ旅行:クラスメイトと上クラと旅行に行くことで親睦を深める会。例年は1泊2日だがコロナの影響で日帰りだった。)
偶然なのか故意なのか、J先輩と同じグループになった。観光バスで鎌倉へ行き、ご飯を食べて観光した後、江ノ電に乗って江ノ島観光をするというプランだった。桜が7分咲きくらいの季節、すなわち、コートや薄いダウンがちょうど良い季節、J先輩は半袖半ズボンだが全く寒そうではない。食後のデザートにソフトクリームを食べることになったがJ先輩は口にしない。ソフトクリームは増量に適切ではないらしい。道を歩いていると突然J先輩は小走りでコンビニまで。ラグビー部では3時間に一回食事をすることが努力義務らしい。そして、中でもあんぱんは随一で優秀らしい。夜ご飯で行った回転寿司でもたまたま同じテーブルになった。満腹中枢が刺激される前の約15分でいかに食べ物を胃に送り込むかが勝負らしい。15分を過ぎてからは両頬にお寿司を詰めながら、運動部に入ることと、たくさんの部活を見て回って吟味することをおすすめしてもらった。その通りに、できる限り多くの運動部の新歓に参加することにした。

 

4月3日、サーオリ。【運命の出会い その2】
(※サーオリ:あらゆる教室にサークル団体がはびこり、新入生を勧誘するイベント。)
回るところは事前に大体決めていた。この時点での最有力候補は男子ラクロス部。だが、もちろんラグビー部にも顔を出す。ラグビー部なのに真正面に黒子のバスケが整列している。そこに待っていたのが、我らがスタッフ長、A先輩。すらっと背が高く、髪は腰に届きそうなほど長い。容姿端麗、敵をつくらなそうな柔らかな関西弁。いやいや、ほれてしまうやろ。

 

4月11日、スタッフ会。【運命の出会い その3】
ラグビー部がスタッフの勧誘のために企画してくれたスタッフ会。そういえばプレーヤーが駒場キャンパスで新入生をナンパして参加者を集めていたっけ。私を含め新入生が3人来ていたが、なんとそのうちの1人が高校同期であり、いま同じくスタッフとして活動しているYちゃんだった。スタッフ会は終始大盛り上がり。学年関係なく、プレーヤー/スタッフ関係なく仲が良いことが空気感から感じられる。帰り道にYちゃんと、ここ最近で一番笑ったね、と話したことが懐かしい。ラグビー部が有力候補に浮上した。

 

4月24日、タグラグビー大会。
(※タグラグビー:ラグビーのルールをもとに、腰につけたタグを奪われないようにしながらパスを繋ぎ、トライを目指す競技。)
タグラグビーというものが何なのかよくわからないまま参加したタグラグビー大会。女子には大きなハンデがあったものの、すぐにタグを取られてしまい、なかなか得点できなかった。この時痛感したのがラグビー場の広さ、そして緑に囲まれた空間で走り回る気持ちよさ。がたいの良いラガーマンが30人立つとそれほど広く見えないラグビー場も、いざ走るとなるとひろいひろい。ラグビーのルールは全然知らなかったが、この広いグラウンドの中で体をぶつけながらボールを奪い合い、インゴールまで運ぶのは相当きついスポーツだと思った。改めてラガーマンを尊敬する。木々で囲まれていつつも視界がひらけているグラウンドも、入部理由のひとつとなった。サブグラウンドから右前方を望むと建物がひとつもなく、綺麗に整えられた人工芝と桜並木と広い空だけが目に飛び込んでくる。建築を学ぶために東大に入学した私が、建物が見えないのが良いと言うと矛盾しているような気がするかもしれないが、否が応でも視界の大半が建物などの人工物に埋め尽くされる東京に住んでいると”何もない”ことが貴重なのだ。

 

5月1日、入部宣言。
上述した以外にも様々な経験や出会いをしたし、ラグビー部含めいくつかの部活から熱心に新歓して頂いた。J先輩の教え通り、本当に運動部を10個みて回ったのでそれぞれに捨て難い要素を発見し、どの部活に4年間捧げるべきかかなり迷った。4月末になっても、自分がプレーヤーとしてラクロスやヨットをするという選択肢も消えてはいなかった。そんな中で何故ラグビー部に入部すると決意したのか。「雰囲気がよかったから」ということももちろんあるが、それだけでは無い。
 

決め手⑴~女子だけの部活はもう御免~
私は変化が好きだ。その上、自分でも胸を張って言えるくらい順応性が高い。ゆえに、新しい環境にすぐ馴染んでしまい、すぐにまた新しいことをしたくなるのだ。中高女子校で部活をしてきた私には、女子だけの部活は正直飽きてしまっていた。新歓期にはしばしば「こんな男くさいところによく来てくれたね」と言われたが、むしろそれがいい。女子100%の世界から男子9割の世界にくると、男女のコミュニケーションの違いが顕著に分かり面白い。この違いについて話すと脱線してしまうので割愛するが、男子コミュニケーションは気楽でなかなか心地よい。

決め手⑵~スタッフ絶滅の危機~
サブタイトルの通り、今年はスタッフが入らない可能性が大いにあった。そもそも4月末で入部を真剣に検討していたのが私とYちゃんだけであり、二人とも他の部活とかなり迷っていた。私は最後の最後まで男子ラクロス部のスタッフと迷っていた。ラクロスもラグビーもスポーツとして面白いし、雰囲気も良かった。だが、決定的な違いがあった。それは、男子ラクロス部は既に5人の新入生スタッフを確保しているのに対し、ラグビー部はスタッフとしての入部確定者が未だいなかったということだ。なにも同情で入部したのではない。ただグラウンドの外で見守っているような暇なスタッフはダサいと思っていたし、寂しがり屋な性格上、より自分が必要とされているところに行きたかったのだ。

決め手⑶~ラガーマン最強説~
いろんな運動部を見て回ったわけだが、中でもラグビーは過酷な競技だと感じた。プレー中は陸上と格闘技と球技が同時進行。どれが欠けてもいけない。タックルを受けて吹き飛ばされても、スクラムで押しつぶされても、痛いなんて言えない。部活が終わっても食トレが待っていて、サイズアップのため、苦しくても食べなければならない。なんでこんなに苦しんでまでラグビーをするのだろうと不思議に思うこともある。だが、そんなキツさに耐えながら日々鍛錬している姿は間違いなくかっこいい。

 

 

こんな感じでラグビー部に入部することにした私。最初は、ドリンクをバケツで作り、お風呂桶で水筒に注ぐことさえドン引き状態だったが、例の順応性の高さのおかげで、夜練の片付け中に木からゴキブリが落ちてきても動じないくらいにはなった。

 

東大ラグビー部には、4年間飽きないくらいの魅力があると信じています。いや、それくらいの魅力を先輩方と未来の後輩とつくっていきたいです。

 

 

 

次は、主将の國枝さんにバトンを渡します。國枝さんはいつもブレない態度で部員に語りかけ、鼓舞し、自らの行動で手本を見せてくれる自慢の主将です。普段は獲物を狙っているような真剣な眼差しをしているのですが、試合に勝った後だけは解放感に溢れた屈託のない笑顔になり、その笑顔を見るたび、この一勝を得るためにしてきた努力の重みを感じています。少し話は変わりますが、私は性別問わず、動物問わず、筋肉が好きです。特に、競争馬の筋肉美には見るたび圧倒されるのですが、ストイックに鍛え上げられた國枝さんの身体は競争馬の筋肉に通ずるところがあり、いつも目の保養になっております。

 

北の国ラグビーあるある[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2022/09/28(水) 18:37

 
ボールを持ったら真っ直ぐ突っ込む怖いもの知らずの永安からバトンを受け取りました、4年の佐川です。彼は國枝キャプテンの前では普段よりスクワットを20kg重く挙げられるそうで、成長が楽しみです。是非、毎回國枝キャプテンの前でスクワットしてほしいものです。

今回のリレー日記のネタは何にするか非常に悩みました。そこで過去の自分が書いたリレー日記を読み返すと、北海道に関する話題に全く触れていないことに気づきました。東大ラグビー部で北海道出身の人は非常にレアで、ここ最近では3年に1人しか入部していません。北海道にまつわる話をここに残したいと考え、せっかくなら北海道のラグビー、北の国ラグビーあるあるという形で残したいと思います。私が高校生の頃に経験した冬のラグビーあるあるをいくつか紹介します。

1.転ぶの危険
雪の上でラグビーをするため転んでも痛くないと思う人がいると思いますが、実は全くの逆です。雪上ラグビーとは言っても、積もりたての雪(新雪)の上ではラグビーはおろか走ることすらできません(新雪を踏むと膝まで埋まることも)。そのため、雪が降り積もった日の練習は毎回踏み固めることから始まります。踏み固めるとその部分はほぼコンクリートのように硬く、転んで膝を打ったり、腰骨を打ったりすると激痛です。すなわち雪上ラグビーはほぼコンクリート上ラグビーと同義です。タックルを受け倒されるとほぼ100%腰骨を打つので、ボールキャリアーは簡単に倒れないような身のこなし方を覚えます。

2.手袋必須

雪上ラグビーの際は手袋が必須です。外気温がマイナスなのに加え、プレー中に手に雪が付着するため手袋なしでは冷たいどころではありません。下手すれば手が壊死します。手袋と言っても毛糸の手袋は全く意味を成しません。すぐに雪で濡れ、使い物にならなくなるためです。そのため、少しでも雪上ラグビーを心得ている人はスキー用の手袋をはめます。しかし、これもあまり得策ではありません。なぜなら、スキー用の手袋はその目的上冷たさから手を守ってはくれますが、ノックオンを促進させます。スキー用手袋は表面がツルツルしているのでハンズキャッチなど到底不可能で、ボールを全身で包むようにしてキャッチしなければなりません。大変不便です。そのため、十分雪上ラグビーを心得ている人は厚手のゴム張り手袋をはめます(下の写真)。これだと物理的に冷たさから手を守ってくれるだけでなく、手のひら全体に広がる滑り止めでハンズキャッチが可能となり、思い通りのプレーができるようになります。
出典:ジャンブレ

3.窒息死の恐れ
これは雪上ラグビーで最も恐ろしいことです。やったことがある人なら分かると思いますが、新雪の上にダイブすると、穴という穴に雪が入り込みます。口もその例外ではありません。口一杯に雪が入り込むと、その雪が邪魔をして空気を取り入れることができなくなり、一時的な呼吸困難に陥ります。このような状態になった場合は落ち着いてまず息を吐き気道を確保します。それから雪を手づかみで口から出すと同時に口内の温度で雪を溶かし水に変えます。このようなマニュアル的指導はいくらでもできますが、実際にこの状態に陥るとパニックになりそういった手順など忘れて無我夢中で口内から雪をひたすらかき出すことになります。私もプレー中に何度も新雪に頭から突っ込み、呼吸困難に陥ったことがあります。その度にいつか本当に死んでしまうのではないかと恐れていました。

一見過酷に見える雪上ラグビーですが、たとえ相手に抜かれても相手が新雪に足を取られ走ることができなくなれば自分は追いつくことができたり、ボールに雪が付着しすぎて通常の2倍ほど大きくなったり、ノックオンしても許されたりと一風変わったラグビーができるため非常に面白いです。ぜひ東大ラグビー部で冬季に北海道合宿をし、雪上ラグビーをしたいものです。

次は、天才のリサちゃんにバトンを渡します。リサちゃんは、脳も筋肉であるという親の指導方針のもと、プロテインを飲み見事推薦入試で東大に合格したそうですが、私もプロテインをもっと飲むべきだったのでしょうか。

 

理想と現実[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2022/09/26(月) 18:57

同じプロップの先輩である笹俣さんからバトンを受け継ぎました、一年の永安です。昨日の試合、お疲れ様でした。これ以上なく快晴だった昨日の天気は、笹俣さんの祈りの賜物でしょうか。スモブラでは、笹俣さんの意外な一面が見られることを楽しみにしています。

今回は初めてのリレー日記なので自己紹介を書きたかったのですが、もうすぐ10月なのでそれもどうかと思い、仕方なく別のことについて書きたいと思います。
僕は現在、一人暮らしをしています。体感的には東大生の半数ぐらいは一人暮らしな気がするので、何も珍しいことではないと思います。高校生の頃、僕はとても一人暮らしに憧れていました。自分で好きなものを作って食べられるし、他人のことを気にする必要はないしで、まさに理想の生活を思い描いていました。しかしそれは決して、怠惰な生活ではなく、しっかりと家事をこなし、学業と部活やサークル、バイトを全て両立させる、といった生活です。東京に引っ越してきた3月、そして入学式前後の4月ぐらいまでは確かにそれが実現可能と信じていました。月曜一限の出席なんて余裕だと思っていたぐらいには...

しかし、その夢は当然のごとく潰えるわけです。そもそも朝起きられない、よって一限は出られない。片付けが面倒になって自炊をしなくなり、外食が増える。掃除も毎日することがなくなり、部屋も汚くなっていく。始めようと思っていたバイトも、結局全然始めない等々。

なんでこんなことになってしまったのだろうと理由を考えた時、初めに出てくるのはやはり部活なんかに入っているからだということが挙げられるでしょう。もちろん僕もそう考えたことはあります。しかし、どう考えてもそれは違うのです。なんなら、朝練があることによって、崩れた生活リズムを強制的にでも正してくれるありがたい存在です。結構これをメリットに考えている部員もいるのではないかと勝手に思っています。朝が早すぎるという意見もあるかもしれませんが...

結局のところ、怠惰な生活を送るようになってしまったのは、大学生になってからに原因があるのではなく、元々の自分に問題があるのではないかと思っています。考えてもみると、実家にいた時でさえ、自分の部屋を片付けなくてしょっちゅう怒られていたぐらいなのに、一人暮らしでできるようになると考えるのはいくらなんでも烏滸がましいのです。最近ようやくバイトを探し始め、面接にも行ったところなので、これを機に、Aセメスターにも向けて生活リズムを正していきたいと思います。

次は、昨日の試合でスタメンの10番としてボールを捌いていた4年生の佐川さんにバトンを渡したいと思います。佐川さんは、バックスということもありあまり関わりがありませんが、引退までにもっと仲良くなって、お話ししたいです。
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