ブログ 百瀬 海さんが書いた記事

BMI17[ラグビー部リレー日記]

 written by 百瀬 海投稿日時:2024/05/08(水) 18:59

金ちゃんからバトンをもらいました。2年の百瀬です。金ちゃんは呼称の通り後輩からも親しみやすい性格でありながら、僕のような後輩に対しても非常に優しくしてくれる良い先輩です。僕はHOなため金ちゃんの直属の後輩なので、金ちゃんからは様々なことを教えていただいています。僕も金ちゃんのような先輩になれるように頑張りたいですが、金ちゃんの変態的な部分だけは見習わないようにしたいと思います。



 



このリレー日記は山中湖合宿から帰ってきて書いたため、山中湖合宿について書こうと思ったのですが、合宿において自分については特に何もなく、他人のことを書こうにもそれは様々な観点から難しいと思ったのでやめておきます。僕は高校時代ラグビー部に所属していましたが、中学時代は水泳部に所属していました。今回は中学時代の水泳部の話を書こうと思います。



 



僕の中学には屋外に25m、(確か)5レーンのプールがありました。屋外プールだったのでそこそこ気温がないとプールが使えず、5月から10月頃までしかプールで泳げませんでした。そのため11月から4月頃までは平日は主に陸トレと言われるトレーニングをしていました。ただ、陸トレ期間でも別に大会や記録会がないわけではなく、3週に1回程度は記録会等がありました。陸トレは日によって内容は異なりますが、大体校舎周り(体感200~300m程度)を10周程度走り、筋トレ(腕立て、背筋、腹筋)をやり、さらにバランスボールやゴムでのトレーニングを行いました。正直このトレーニングが泳ぐ際に役立っていたのかはわかりませんが、全く運動ができない僕にとっては基礎的な筋トレは必要であったと思います。もちろんラグビー部でやるようなしっかりとした筋トレではないし、今と違って食生活など全く気を使っていなかったのでBMIは17くらいで、泳ぐのには困りませんでした。(今思えばもっと筋肉つけたほうが早く泳げたような気がする。)陸トレ期間でも唯一土曜の午前は市民プールに行って泳ぐ練習をしました。土曜はそれのみならず、その公園で5km程度走りました。陸トレ期間は正直全然楽しくなく、やはり水泳部に入ったのだからずっと泳ぎたいと思っていました。陸トレ期間が終わると、やっとプール開きです。プール開きではまずプールを掃除するところから始まります。掃除が終わるとプールに水を入れ塩素を入れます。そうするとプールで泳げるようになります。プール開き以降はひたすらに泳ぐのですが、様々なメニューがあります。基本的なメニューはまず準備体操してアップで100~300m程度泳ぎ、その後ビート板や、ブイを使って4泳法の各ポイント(キックや水をかく動作)を練習し、最後は普通に泳ぎます。平日は時間の関係であまり泳げませんでしたが、休日や夏休みは合計で3~5km程度泳ぎました。休日や夏休みの練習ではメニューが終わった後は、ボールやフィンを使って遊びました。正直プール練は自分の中では結構きつくて、この期間で一番楽しかったのは最後の遊びでした。もう書くことがないので水泳部のことについてはこれくらいにしておきます。



 



ここ何年かしっかりと泳ぐことをしていませんが、ラグビーをやめたら健康のためにおそらくまた水泳を始めるので誰か一緒に泳ぎに行きましょう。



 



 



次はフロントローの先輩である本多さんにバトンを渡します。本多さんはウエイトがめちゃくちゃ強く、スクラムでも圧倒的な力を発揮するフロントの鑑です。過去のリレー日記を見返すと、本多さんは「僕が今の体型になったのはプーさんに囲まれて育ったから」と書かれています。僕もプーさんに囲まれれば本多さんのように大きくなれるのでしょうか...

なぜまたラグビー[ラグビー部リレー日記]

 written by 百瀬 海投稿日時:2023/07/07(金) 00:01

最近何かをとられたという雪竹さんからバトンを受け取りました。ご愁傷様です。1年の百瀬です。雪竹さんはいつもニヤニヤしていて何を考えているのかわかりませんが、試合では素晴らしいプレーをしているのを見てギャップがいいな~と思いました。

初めましてなので軽く自己紹介をします。国立高校出身で高校時代はラグビー部に所属し、部長をやっていました。ポジションは主にHoでしたがFlやNo.8もやったことがあります。高三の10月末までプレーしていました。


早速ですがそもそも、僕は東大に入ってラグビーをするつもりがあったわけではないです。その理由は大きく2つあります。
1つ目は高校選手時代に比べて体重が10kg以上落ちてしまっていたからです。受験生時代ストレスで胃の調子が悪くなってしまい、食べる量が激減してしまったからです。ちなみにその影響で今も胃は不調です。
2つ目はラグビーというスポーツがどういうものかを知っていたからです。ラグビーは正直とても辛いです。高校時代から常々思ってきました。目の前にどれだけ俊敏な奴が来ても、どれだけ巨大な奴が来ても、その人がボールを持っていたら絶対に止めなければなりません。しかも常に走り続けることが求められます。さらに、ラグビーは熱中すると抜け出せなくなってしまいます。これは辛さを超える楽しさ、達成感があるからですが、ラグビーの熱中性は凄まじいです。高校生時代僕は3年間ほとんどラグビーのことしか考えていませんでした。授業中は先生の話を聞かず前日の練習や試合のことを振り返り、オフの日や昼休み、朝などはとにかくウエイトをしていました。おかげさまで勉強をする時間は無くなってしまい、結果自分は浪人することになってしまいました。この熱中性を持ったラグビーをもう一度して自分は大丈夫なのだろうかと考えていました。

ではなぜまたラグビーをやる気になったのかを話したいと思います。これも理由は2つあります。
1つ目は高校時代チームメイトで一個上の石澤諒馬さんから勧誘を受けたからです。僕の合格が決まってから諒馬さんに会ってとても驚きましたが、諒馬さんは高校時代とは比べ物にならないくらい大きくなっていました。そして自分も諒馬さんのように大きくなりたい、と思いました。また、高校で一緒にプレーしてた人と大学でも一緒にプレーするのは面白いかもしれない、と思いました。
2つ目は僕の中に残っていたモヤモヤ感です。高三の秋大会、国立高校(僕の母校)は東京都予選準々決勝まで進みました。僕は当時2番で試合に出ていました。準々決勝の相手は國學院久我山、超強豪校でした。僕たちはなんとかして勝ちたいと思い試合に挑みましたが、結果は3-161で惨敗でした。同じルールでラグビーをやっているのにここまで差がつくのか、と思いました。東京都ベスト8までいったため、すごいと言ってくれる人はいましたがその嬉しさよりも、悔しさの方が大きかったです。この悔しさがおそらくモヤモヤ感の原因でした。「あんな試合を最後にラグビー人生を終えていいのか」そう自分に問うと答えはNoでした。

こんな感じでラグビーをまた始めました。やるからにはガチでやります。3年後自分たちが4年生になったときに強いチームでいられるようにするために自分が1年生の中でリーダーシップをとって頑張っていきたいと思います。


つぎは、スター小野さんにバトンを渡したいと思います。小野さんは先日行われたオールスターにてボールを持って果敢なプレーをし、ジャッカルを決めていてカッコよかったです。僕も小野さんのようなプレーができるように練習に励みたいと思います。

2024年5月

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BMI17
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地団駄を踏む
2024/05/03(金) 17:23
いらすとや4
2024/05/02(木) 12:37
明日走れるかな

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