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システム[ラグビー部リレー日記]
投稿日時:2020/11/02(月) 18:18
東京大学では2年の夏に進学選択が行われる。この制度が東大の大きな魅力の一つであり、自分もこれを理由に東大を志望したということを覚えている。入学して1年半で大きな決断を迫られるこのイベントは2020年我々にも同じようにやってきて、2カ月前に(第2段階まで行ったものの)無事に終えた。
私の進学内定先は工学部のシステム創成学科になった。リレー日記を回してくれた主将の藤井さんや垣内さん、もっと上の代でも多くのラグビー部の先輩方が所属する(していた)学科であり、同期にも玉代勢がいたり、監督の青山さんもこの学科の教授である。2年のAセメスターから専門科目の講義もはじまり、忙しいながらも多岐にわたる学問を学ぶことができて充実した日々を送れているように思う。
講義の中にシステムについて学ぶものがある。システムとはそもそも何か、システムにはどのようなものがあってどのような挙動をするのか、システム創成学を学ぶとどのような問題が解決できるようになるのか、等のことを学ぶ。そのほかにもカオスとは何か、線型システムの特性など難しそうなことも学ぶ。
システムとは要素の集まりのことである。自然界や社会のものはほとんどすべてがシステムであり、階層構造をもったりシステムの中にシステムが内包されていたりする。
さて、東大ラグビー部はシステムの一つである。選手・スタッフ・コーチなどの要素の集合であり、各要素が秩序をもって行動している。東大ラグビー部の中にはセクションやパートと呼ばれるサブシステムがある。自分はスタッフや練習チーム・マネジメントなどに所属している。立場上、複数のセクションの活動にかかわることが多いが最近はセクション間の関係性が良好であると感じる。戦術チームと分析チームが協力して明学戦の戦術を提案してくれたり、S&CとMEDICALが連携を取り合って怪我人の管理をしたりなどといったことである。自分の知っているだけでも他にもこのような例はあるし、知らない部分でもこのような連携がなされている。また、形骸化しているセクションもないと言っていい。今年のチームはそういった意味でノンストップで走り続けていると感じている。コロナ禍により異例のシーズンではあるがこのままノンストップで走り抜けたい。要素間の関係性により、システムとして新たな機能や特性を示すことがある。これを「創発」というのだが、今年のチームでは創発が起きるような気もしている。
システムは物事の見方という捉え方もあり、要素の挙動に秩序を見出すことでそれがシステムとして見られるようになる。小学生の時に読んだ「スイミー」のような小魚が秩序をもって海の中を泳いでいる様子はシステムととらえられるが、無秩序で大小さまざまの魚が各々の進みたい方向に泳ぐ様はシステムとは言えない。また、同じ現象でも観測者によってシステムとするかどうかは変わってくる。
昨年度から学生レフリーとしてチームに関わらせていただいているが、レフリーという視点を持ったことでラグビーの見方が変わった。つまり、自分の中でのラグビーのシステムが変化した。以前はラグビーの勝敗を決めるのはプレーの精度や戦術といった要素だけだと思っていたが、レフリーへの対応によって勝敗がひっくり返ったり20-0点なら最大で変わってしまうようなことがあり得るのだと実感をもって知った。これを選手にうまく伝えてレフリーへの対応力を高めたり、どんなレフリーに当たっても反則しないようなチームにするのが学生レフリーの責務だ。これから対抗戦が始まっていく。この部分がどう結果として現れるか、不安ももちろんあるが、ワクワクしている部分の方が大きい。今年は対抗戦当日に行けないことが多いが必ずいい結果が聞けることを確信している。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
次は、復帰してスキルフルなプレーで魅了してくれる甲斐さんに回します。対抗戦終了まで甲斐さんがプレーし続けられるのを願っています。
"Update"[ラグビー部リレー日記]
投稿日時:2020/10/31(土) 20:24
怪我復帰後のいきいきとしたプレーが印象的な内藤からバトンを受けとりました、4年の藤井です。内藤に怖がられてる自覚は全くなかったです。今後は怖がられないように行動します。
今年は“Update”というスローガンを掲げた。今年のチームで最も大切にしたい価値観として、「前を見て、常に向上し続ける」「これまでの基準を変える」という意味を込めて、このスローガンを決定した。
そして、2月10日のキックオフからこれまでの間、本当にたくさんのことを“Update”してきた。スキル、フィットネス、アジリティ、ゲーム理解などはいうまでもないが、最近あらためて“Update”を感じている部分が二つある。
一つ目は、練習前の時間の使い方。チーム全体として、練習前部室に到着する時間がかなり早くなった。
着替えや栄養補給、備品の準備、テーピング、セルフアップなど、練習前にやるべきたくさんのことに対して、時間の余裕を持って行動している人が非常に多くなったと感じている。
固定化されていた練習用具の準備も、様々な人が手分けしてやるようになったし、セルフアップのクオリティはシーズン前と比べて段違いに高くなっている。これらのことだけでも、チームへのコミットの高さや、身体のケア(怪我の予防)への意識の高さなど、感じ取れることがある。
もう一つは、練習中のトーク。一つの練習が終わるごとにトークの時間を設けるが、そこで行われる会話もレベルが上がっている。それぞれがチームとしての課題を様々な視点から捉えて全体に共有できるようになり、解決策まで認識した上で次の練習に移れるようになったことは大きな成長だと感じる。これは自粛中に動画を見たり考えを整理したりする機会が多かったことからの影響かと思う。
以前は数人に固定化されていた話す人が増えたのは、練習中の思考が増え、それに対して自信を持っている証だろう。
これらは以前はできていなかったことだけど、今となってはみんなが当たり前のように行っていることだと思う。
このようなチームとしての水準の変化がまさに“Update”であるし、これからも今の「当たり前」に対して疑問を持ち、向上し続ける姿勢を持つことで、さらに成長し続けられる。
対抗戦開幕まであと一週間ほどに迫っているが、これからも“Update”を大切にすることを忘れずに進み続けたい。
最後までお読みいただきありがとうございます。次は最近「間違えて」坊主になったという原くんに回します。僕的には今の髪型は似合ってると思ってます。
映画とドラマ[ラグビー部リレー日記]
投稿日時:2020/10/28(水) 22:36
僕はつい最近君の膵臓を食べたいという映画を今更ながら見ました。金曜ロードショーでやってたのでなんか話題になってたし録画しとこうと思ってたやつです。夕飯を食べながら見ていたのですが、号泣しちゃって全然ご飯がたべれなくなってしまいました。友達と映画を見に行ったら絶対に泣くことはないのですが、1人で見るとなぜか泣いてしまいます。やはり映画等は一人で見るものだとつくづく思います。
泣くと心がスッキリしてリラックスできていいですね。普段映画は時間がかかるという理由であまり見れてないのですが、ドラマと比べたらお手軽だと考えてたまには見てリラックスするのもいいなと思いました。
また、最近ドラマで半沢直樹を見たのですが、内容が面白いのはもちろん、ドラマを見ることが一週間の生きがいのうちの一つにもなりました。もしコロナ禍で活力が湧かなくなった人がいればドラマを見ることをおすすめします。
次は部で1番怖いかもしれない藤井さんにバトンを渡します。主将としてチームを引っ張る姿勢は僕も見習わなければなりません。
子供心と秋の空[ラグビー部リレー日記]
投稿日時:2020/10/26(月) 17:30
榎園からバトンをもらいました、2年スタッフの谷田です。
えのきはいつも、落ち着いて周りをよくみている印象なので、リレー日記を読んで少し驚きました。彼女の感情の機微にも気づけるよういっそう仲を深めていきたいです。
あと1ヶ月も経たないうちに、20歳を迎えようとしています。あまり実感が湧かないけれど、いつまでも子供なのか大人なのかどっちつかずな気持ちで過ごす日々を考えたら、非常に重要な人生の節目なのでしょう。
でも、なにが変わんねん。そうとも思うのです。同期にはたくさん成人がいますが、彼らと話していると確かに(法的には)あるはずの「子供」と「大人」の差が、あるとはおもえないのです。だからといって、両親やOBの方々など大学生活の中で関わることのある「大人」を見ると、まるで自分とは別人種であるかのような、そこに大きな壁があるかのような、そんな気持ちになるのです。
一体なにが、私を大人にするのでしょう。「20歳」という数字ではないはずです。2022年には成人の年齢が18歳になってしまうことを考えると、18も20もただの数字であるように思えます。しかし、まがりなりにも成人を迎えるのだから、「大人になる」ことを考え、節目らしく決意新たに20歳を迎えたいと、そう思うのです。
私は子供でしょうか。
先日、幼稚園児とふれあう機会がありました。彼らは、なんでも楽しい世界に生きているように見えます。ボールが転がれば笑い転げ、地面の石にも面白さを見つけ出す才能があります。私はそんな才能を失ってしまった、だから子供ではなくなってしまったと感じます。あまりに陳腐な見方ではあるけれど、子供ではなくなるということは、成長云々ではなく、子供心を失ってしまうということだと、その意味で実は、世界で1番なりたくないものは「大人」なのだと憂いてしまいます。
私は秋が好きです。毎年夏が終わりに近づくと、秋の訪れに心が高鳴ります。どうして好きなのかはわかりません。自分が生まれた季節だからなのか、過ごしやすい時期だからなのか、ご飯が美味しい時期だからなのか。小さくとも理由はたくさんあると思います。ただ、1番好きなのは秋の空です。近頃は、朝練前に空を見上げながら歩いています。晴れの日はどこまでも青が澄み渡り、雨の日は秋の香りを深め、朝夕には燃えるような赤に染まり、ころころといろんな魅力を見せてくれますよね。子供の頃からの毎年の楽しみです。
しかし、それ以外の物事に関しては、心の動きが鈍くなってしまったように感じます。小さい頃は大好きだったパンジーをみても、「あ、パンジー」としか思わなくなってしまいました。そんな時にふと、自分が子供心を失ってしまったことに気付かされます。小さなことに感じる幸せを、大人に近づくとともに奪われていってしまっているように感じるのです。身の周りのちゃんと見れば楽しめるはずのものに、気づかなくなってしまいました。人間は失うものだから、今楽しめることを楽しむ、そんな子供心まで失ってしまっては、失った物を数えるばかりの大人になってしまいそうです。
だから、私は大人にはなりたくありません。仕事に忙殺されて苦しみに生きる人生は送りたくないです。20歳を迎えることで生じる責任は全うするつもりでありますが、失った子供心をもう一度育みたいです。それはもう子供心とは言えないのかもしれないけれど、つまりは秋の空をいつまでも好きだと感じられるような、心のゆとりのある生き方をしたいです。今の世の中では、余裕を持って楽しんで生きることは難しいのでしょうが、だからこそ身の回りにある、一見しょうもないかもしれない小さな楽しみを見逃さないようにしたいのです。
そんな大人になりたいとおもいます。
私のゆるゆるな決意文にお付き合いいただき、ありがとうございました。ゆるゆるな割には短くまとめられた気がします。
次は、どんどん頼もしくなっている内藤にバトンを渡します。努力を怠らず魅力を増し続ける彼を心から尊敬しています。
秋が来ると思うこと[ラグビー部リレー日記]
投稿日時:2020/10/23(金) 13:57
リーダーシップを発揮して2年生の皆をまとめてくれたり、嫌な顔ひとつせず頼み事を引き受けてくれたりと、様々な面でとても頼りになる同期プレイヤーのまつげんからバトンを受け取りました、2年スタッフの榎園琴音です。先日スタッフの間で、「スタッフからの評判いいプレイヤー、大体プレイヤーからいじられてる説(例外はあり)」という説が提唱されていました。彼もその1人です。
8日後の10月31日、20歳になります。成人という節目の年であると共に、わたしは(当たり前なのですが)今までお酒を飲んだことがないので、今年の誕生日をとても楽しみにしています。わたしの大好きな森尾登美彦の小説「夜は短し歩けよ乙女」には
「カクテルを飲んでゆくのは、綺麗な宝石を一つずつ選んでゆくようで、たいへん豪奢な気持ちになるのです」
「口に含むたびに花が咲き、それは何ら余計な味を残さずにお腹の中に滑ってゆき、小さな温かみに変わります」
などといった、お酒に関する素敵な記述がたくさんあり、それを思い返しては日々期待に胸を膨らませています。
そんな最近のわたしですが、毎年この季節になると、胸が締め付けられるような想いになります。きっかけは、2年前の11月4日。わたしの誕生日の4日後である、母方の祖母の誕生日でした。
2年前、高3で受験生だったわたしは、元々のストレスを溜め込みやすい性格もあって、鬱々とした日々を送っていました。私大のAO入試に友達が次々と合格していく中で受験への不安感は日に日に膨らみ、口に入れた食べ物を上手く飲み込めなくなったり、涙が止まらなくて1日勉強できなかったりと、今思うとかなり精神的に追い詰められていました。
山口に1人暮らす祖母は当時、肺炎をこじらせて慢性的に入院していたのですが、母はフルタイムの仕事で、わたしは受験で忙しく、なかなか会いに行けていませんでした。
また、祖母は頻繁にわたしにメールをくれていたのですが、わたしは余裕の無さからたまにしか返信できていませんでした。会いに行くのもメールの返信も、受験が終わればちゃんとできるのだから、今は仕方ない、といつも自分に言い訳をしていました。
2年前の11月4日には、河合塾主催の第2回東大オープンがありました。秋の冠模試といえば、受験前最後の大規模な模試であり、合格判定がかなり大きな意味を持つ、受験生にとってとても大切な模試です。さらにその日は高校の文化祭の最終日でもあったので、朝から模試を必死の形相で受けたのち高校へダッシュで向かい、終わりかけた文化祭を少しだけ回り…としている内に、わたしの頭から祖母の誕生日のことがすっかり抜け落ちていました。
祖母は毎週日曜日に電話をかけてくることになっていて、丁度日曜日だったその日の夜にもかかってきた電話をいつものようにとると、受話器から祖母の悲しそうな声がしました。
「今日はばあばの誕生日やけど…」
ドキッとし、すぐに謝っておめでとうを言ったのですが、続けて祖母は強い口調で、ずっと連絡を待っていたのに、寂しかったのにとまくしたてました。
祖母は本当に優しい人で、その人柄が滲み出ているのか、行く先々で知らない人に話しかけられたり、友達や親戚、職場の人など全ての人から愛されるような性格でした。いつもニコニコと「ええよ」と言うのが口癖でした。たった1人の孫であるわたしは祖母にとても可愛がられており、今までただの1度も、怒られたり責められたりしたことがありませんでした。そんな祖母から初めて向けられた、なじるような言葉と強い口調にあまりにも驚いたのと、大きな罪悪感から来る気まずさで、わたしはそそくさと母に電話を代わってしまいました。
なんだかモヤモヤしながらその後の1週間を過ごし、また日曜日にかかってきた電話を取ると、祖母はいつも通りの優しい口調でした。わたしは安心して、来年の誕生日は絶対にちゃんとお祝いしようと心に誓いました。そして、先週の出来事には触れることなくそのままお喋りを続けました。
その3ヶ月後の2月25日、祖母は亡くなってしまいました。
祖母の入院は、病気の治療のためというよりも経過観察のためという側面が強く、その時が来るのはもっと先だと誰もが思っていたので、突き落とされたような気持ちになりました。
そして、受験が終わったらすればいい、と思っていた祖母へのメールやお見舞いが、もう二度とできなくなってしまったことに気づき、この世界にはどんなに悔やんでも取り返しのつかないことがあるのだと知りました。
わたしは2年前、あまりにも受験に押しつぶされそうになっていました。そのせいで、祖母の誕生日の少し前に迎えた自分の18歳の誕生日も、当時のわたしにとっては「また受験まで1日近づいてしまった」だけに過ぎず、正直何がおめでたいのかちっとも分かりませんでした。どんなプレゼントよりも、ただ東大合格がほしいと思ったことを覚えています。
そんなこともあって、わたしはあの時「誕生日」というものへの感覚が少し麻痺していたのかもしれません。でも、その後無事東大に合格し、大学生になってから迎え、たくさんの人にお祝いしてもらってとても嬉しかった19歳の誕生日を振り返ると、あの時祖母はどれだけ寂しかったのだろうかと胸が痛みます。今自分が誕生日を忘れられたりないがしろにされたりしたらきっと物凄く怒るのに、本当に酷いことをしたとつくづく思うのです。
あの日わたしを驚かせた、祖母のきついなじるような口調も、単調な入院生活の中で感じた孤独やストレスが生んだものだったのでしょう。事実、祖母の遺品を整理していた時、祖母が看護師さんにかけられた無遠慮な言葉に傷付き、そのことへの怒りをぶつけたメモがみつかりました。祖母の誕生日以来、わたしが見た2度目の、そして最後の祖母の怒りの感情でした。生前の祖母はそんなことがあったとは口にしなかったけれど、幸せとは言いがたい感情を抱えて寂しく生きていた祖母に頻繁に連絡しなかったこと。常に味方でいてあげることができなかったこと。人生で最期の誕生日をあんな風に過ごさせてしまい、悲しませてしまったこと。そのあときちんと謝り直せなかったこと。全部全部、わたしに一生つきまとう後悔です。
祖母が亡くなった時、二度とこんな思いはしてはいけないと思いました。もうたくさんだ、二度と、身の回りの人を傷つけて、後から悔やむことのないようにしようと思いました。
でも、まだ道半ばです。
恥ずかしながらわたしには、自分で自分の機嫌を取るのが下手くそという、とても幼稚な一面があります。やっぱり今でも時々、自分の味方でいてくれる大切な人たちに対してイライラをぶつけたり、不機嫌になってしまったりします。
そうやって感情を爆発させてもそこから得るものは何も無くて、ただ後悔と自己嫌悪だけが残って、冷静になってから1人で落ち込むばかりです。自分があまりにも不甲斐なくて、泣きたくなります。
けれど、祖母と同じ血が自分にも流れているという事実が、わたしを少し強くします。
2月25日はわたしが東大を受験した日でした。祖母が息を引き取ったのは、最初の科目である国語が始まるのとほぼ同時刻だった、と後から聞きました。まるでそれは、わたしが苦しみながらも東大受験という舞台にたどりついた瞬間を待ってから祖母が逝ったようで、祖母は最後までわたしを想っていてくれたのだなと感じました。祖母は最期まで祖母でした。あまりにも優しい人でした。
せっかちなわたしと、のんびりした祖母。つい攻撃的になってしまうわたしと、どこまでも優しい祖母。身長だって、167cmのわたしと150cmもない祖母とでは全く違っていました。正反対ではあるのだけれど、彼女の孫なのだから、わたしも少しずつ成長していって、いつか祖母のような愛に溢れた人になれるのではないかという希望、そして、そうなりたいという気持ちとを抱いています。そうやって生きています。
そして、そうなるのだという決意と共に、20歳への一歩を踏み出します。
ばあばが大好きです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次は、関西弁がとても可愛い同期スタッフのあしゃにバトンを渡します。入学時、地方出身の人たちと出会う中で、飛び交う様々な方言にカルチャーショックを受けたのですが、その中でもあしゃが「○○してはる」と言うのを聞いた時に感じた、「ほんとに言うんだ!」という感動にも似た気持ちをたまに思い出します。地方勢が多い同期スタッフと喋っていると、ついエセ方言を使いたくなってしまいます。
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