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まだteenager[ラグビー部リレー日記]

 written by 宮田 尚弥投稿日時:2024/01/22(月) 10:09

立花からバトンを受け取りました新3年の宮田です。立花はいつの日か急にでかくなっていてびっくりしました。またプレーもところどころセンスを感じるところがあり今後が楽しみです。



 



最近の出来事では成人式があります。成人式前日には高校、成人式後には中学の同窓会が行われ懐かしさを感じる2日間でした。中高での出来事や今では目も当てられないような当時のノリを思い出せたりと思い出話に花が咲きます。やはり同窓会は結局いつも会うような人と固まってしまうのですが卒業式ぶりの人とも多く話せ、楽しい反面気まずい思いもします。



 



高校は卒業から2年しか経っていないこともあり、誰かわからないのは高校時代にも関わりがなかった人くらいで大学デビューしていても誰かはわかります。困難を極めたのは中学の同窓会です。人は5年あればだいぶ変わるのだと痛感しました。とはいえ僕も中学時代はメガネ卓球部ボーイだったので人のことは言えません。しかしメガネ坊主が金髪ロン毛になってたり、おとなしかったやつがホストになっていたり、かわいくてちょっと気になっていた子がそんなにかわいくなくなってたりと変化は目まぐるしくついていけません。また、誰かはわかっていてもいかつく怖い人もいくらかおり、中には手の甲の指の付け根あたりがズルズルになってる人も。思わず小指があるかどうか確かめてしまいます。それでも当時はそのうちの何人かと林間学校の班を一緒にする程には仲が良かったはずなのです。しかし今では怖くてこちらから話しかけることもできません。



 



このように見た目が変わったのは印象的ですが、話してみると意外と中身は変わってないのだなと感じます。なので話してみると誰かわかることはあるのですが、当然見た目ではわからないのでまず「俺のこと覚えてる?」と言われると気まずい時間が流れるのは必至です。まだ覚えているのが当たり前のように「久しぶり!最近どう?」と話しかけられる方が上手く誤魔化せます。来年同窓会の人は相手が自分のことを覚えていなさそうな時参考にしてください。



 



次は新2年の筑波です。夜練後みんなが着替えている中、真っ暗のグラウンドでLOのジャンプ練習を1人でしていたのが印象的です。寝坊はしますがその練習に対するひたむきさは見習いたいです。

2024スタート[ラグビー部リレー日記]

 written by 立花 幸樹投稿日時:2024/01/17(水) 19:36

新年、明けましておめでとうございます。新シーズン最初のリレー日記を担当します、新2年の立花です。
1/15より吉村組、2024年シーズンが始動しました。本格的な練習は2/5からとなりますが、オフ期間にできることも含めてチームの目標に向けて、日々努めて参ります。


さて、もう新2年生となってしまったわけですが、大学ラグビー部の4分の1が終わってしまったと考えるとあっという間です。まずは一区切りついたということで、今回のリレー日記ではラグビー部への思いを書こうと思います。

中高ほぼ幽霊部員でガリガリだった僕が大学でラグビー部に入ったなんて中高同期が知ると、みんな驚くわけですが、今ではラグビー部に入って良かったと心底感じています。新歓期は、特別なにか入りたいところがあるということはなく、ただなにも入らないのは良くないなぁ、なんて適当に過ごしていたばっかりに自分から新歓に積極的にいくことがあまりありませんでした。そんな時に高校の友達に誘われて行ったのがラグビー部でした。もともと、高校生の時に想像するいわゆる大学生サークルに入ると、その雰囲気についていけず僕の中で無理してそこに合わせた自分を装うような気がして、部活がいいなぁと考えていたため少し興味を持ちました。しかし、兄が大学のラグビー部に入っていたこともありその辛さはなんとなく感じていたので、どうも決断することができなかったです。中高部活に熱心に取り組んでいなかった僕が部活の中でも拘束時間の多いラグビー部に耐えられることができるのか、わざわざ日本一とされている東京大学にまで入って運動なんてしてていいのか。
しかし、こんなことを話していると兄に「ならラグビーだな」と言われ、突然2015の日本vs南アフリカ戦を流して、80分間フル解説を喰らいました。そこで必死に体を投げ込みトライを目指す姿勢やさまざまな策を講じてトライを目指す姿に憧れを抱き、入部を決意しました。

さて、こうしてラグビー部に入って1年生として過ごした期間が終わった今、改めてラグビーはとても面白い競技であると感じています。もちろんこれ以前にも基礎練習のタックル練習で体を当てることなど新歓期では味わうことのできなかった楽しさを感じていたのですが、この思いが大きくなったのは去年の対抗戦が終わってからの一ヶ月です。対抗戦の期間は、基礎的なスキルや試合で起こりうるなにかしらの状況を想定しての練習など、それはそれでとても楽しかったのですが、やはり試合に出られないもどかしさがありました。

対抗戦が終わると、コルツ戦をする機会が増え試合の面白さを実感しました。対抗戦シーズンも何度かミニゲームはあったのですが、試合には別の面白さがありました。勝つことができた試合はなかったです。しかし、メンバー全員が試合に向けた練習を重ねた上で出る緊張感やディフェンスが全く機能しない悔しさなどを感じられたのはとてもいい経験でした。そして、それと同時にそれらが全てうまくいった時に感じるものはものすごいのだろうとも感じました。ましてや、対抗戦で勝つということはこれとは比べ物にならないほどの時間や労力をかけて得られるものであるので、そんな経験を得られるこの部活に身を置けて幸せです。これからもこの恵まれた環境にいることに感謝しつつ、1日でも早くスイカジャージを着られるよう頑張りたいと思います。

次は新3年生の宮田さんです。宮田さんには、ショットガン練習で何回も殺されたり吹っ飛ばされたりしましたが、同じチームとなった時はとても心強く、普段あまり出さない熱い部分を見られてとても頼り甲斐のある選手です。来年の対抗戦で活躍する姿を期待しています。

モノトーン / カラフル[ラグビー部リレー日記]

 written by 西久保 拓斗投稿日時:2023/12/23(土) 14:30

いつもフィールド上でチームを鼓舞してくれた副将の安富からバトンを受け取りました、主将の西久保です。安富の俯瞰して物事を判断する力と何ものをも恐れずにずばっと指摘する胆力には、自分も何度も背中を押されました。彼は自分の良き理解者だと勝手に思っているので、また自分が尖り始めてきたらいち早く指摘してほしいです。安富は不憫キャラが定着してしまったので、少し褒め過ぎてしまいました。

あと安富のリレー日記に言及されている通り、早稲田戦の節で他にも気分を害されていた人がいたら本当にすみませんでした。

最後のリレー日記、暗い話から始めるのもあれですが、その話にもある「謎の病気」から書き綴ってみようと思います。

 

 

発症は6月の帝京戦後からだった。その頃チームは負けが続き、自分も学芸戦から不甲斐ないプレーを繰り返した。試合内容としても、強豪校相手にFWではセットプレーで互角に戦っているのにも関わらず、BKでエリアを取れない、ゲインを取れない、といった散々なものだった。FWに対して申し訳なく、BKとして情けなかった。

 

帝京戦後に自分の不注意で風邪を拗らせてから、目眩が止まらくなった。一日中遊園地のコーヒーカップに回らされているような感覚はもちろん生まれて初めてのことだった。夜も毎日3時間は寝付けないようになった。

 

面白いアニメを見ても、カーバンクルのぬいぐるみを買っても、どんな癒しを求めても、その症状は治らず、病院に行く他なかった。脳外科に行って、脳の異常を見たが問題なく、医者にはうつ病の一種ではないかと言われ、精神安定剤と睡眠導入剤を渡された。「西久保君は今、燃料が切れているから、頑張ろうとすればするほどに症状が悪化するよ」と医者に言われた。

 

あまりにショックで、病院を出た後の帰り道、泣き続けてしまった。自分の無力さを呪っても仕方がなかったが、もしラグビーの神様とやらがいるのならそいつを呪った。やり場のない感情が自分を襲った。

 

原因が本当にうつ病だったか、脳震盪の後遺症か、澤穂希と同じ目眩の病気だったか。今はすっかり回復したのでそんなことは今更どうでもいいが、この時期を超えて、自分の中に大きな心境の変化があった。

 

 

今年自分の掲げた目標は、東大の歴史に名を残すようなキャプテンになることだった。チームが入替戦に出るためには、キャプテンである自分が1番成長しなければならないと思っていたし、チームを推進させるために、時には自分が犠牲になることもあると思っていた。

 

しかしそんな綺麗事を言えるような状況ではなくなり、自分の目標は「フィールド上に立ち続ける」ことへと変化した。いちラグビープレイヤーとしては当たり前のことであるが、大西さんからはこのことを何度も忠告されてきた。

 

自分が危ないとなった瞬間は逃げてもいい、たまに情けないプレーだってあっていい、それよりも自分にとって大事なのは、グラウンドで勝敗が決まる時まで、キャプテンとしてグラウンドに立ってなくてはならないことだった。立ってさえいれば、いい結果が来ると信じてやり続けた。例えば練習でボロクソなプレーをして散々ダメ出しを食らった後も、我を忘れて危険なプレーに入り込むことがないように自分をコントロールさせた。

 

これは狂気に入るという点では間違っているのかもしれないし、勝負を放棄しているという見方もあるかもしれない。だが、自分の中でそれよりも大事な軸を決めた事で、物事の順序をつけられるようになったのは、それ以降のシーズンにおいて非常に大きな転機だった。

 

 

対抗戦直前にチームの価値観について考える機会があった。みんながラグビーをする理由について、勝利のため、自分の成長のため、ラグビーで出来た仲間のためなど、様々な意見があった。それぞれの意見はどこか繋がっているようで、バラバラなようで、どう纏められるのかは分からなかった。結果、今の東大ラグビー部が尊重しなければならない価値観を一貫して見出す事を自分は諦め、そのまま対抗戦に突入した。

 

最初の3戦、薄氷の勝利だった。しかし、その後4連敗した。チームポリシーを修正してもまた崩れてやり直しの連続。チームの一体感も敗戦を重ねるごとに薄れていくような気がした。池田がリレー日記に書いたように、勝ちが価値より先行する場合もあるが、負けが続いた時に、チームとして立ち返らなければならない軸が見えないまま勝利を追い求めていく事は精神的にタフだった。

 

東大の価値観が、大西さんのおっしゃる「感謝を知り覚悟を持った、勇者であり勝者たれ」なのか、今年のスローガンに掲げた「Conquer」なのか、東大の「Go low」の精神なのか。恐らく、絶対的に正しい答えなどなかったのだろう。

 

エゴを押し付けるようになってしまうが、だからこそ、来年のリーダーには、強い信念を持って、東大の価値観を決めてほしいし、チーム全体としてその価値観に大事にする習慣をつけてほしいと思っている。勝敗に関わらずチームとして前へ成長していけるように、ぶれない軸にみんなが向き合い続けてほしい。

 

 

最後になりますが、自分のラグビー人生を支えてくれた様々な方々への感謝の気持ちを添えさせて頂きたいと思います。

 

田園ラグビースクール、神奈川県選抜でお世話になったコーチの方々。
自分がラグビーという競技を好きになるきっかけを作ってくださり、ありがとうございました。自分が大学生になっても変わらず応援して下さるのは本当に嬉しかったですし、励みになりました。

 

開成ラグビー部でお世話になった方々。
正直あの頃のラグビーが一番純粋に楽しかったです。また皆さんでタッチフットしましょう。

 

青山先生、大西さん、吉田さんをはじめとした、監督、コーチの方々。
今年一年、僕たちだけではどうにもいかないことも、多くをサポートして頂きました。特に大西さんにはラグビーやチーム作りやキャプテンとしてのあり方など、様々なことを教えて頂きました。こんな僕たちに真剣に向かい合って下さり、ありがとうございました。

 

田崎先生、工藤さん、上岡さん、ATさんをはじめとするメディカルスタッフの方々。
怪我ばかりで色々と迷惑をおかけしました。皆さんのお陰で今ラグビーができる状態にあることを胸に刻んで、最終戦に臨みます。

 

東大ラグビー部の諸先輩方。
4年になって改めて皆さんの偉大さを感じていました。國枝さんをはじめ、今年一緒に戦ってくださった5年生の方々には特に頭が上がりません。本当にかっこよかったです。

 

同期。
どうしようもない代だったけどそんな代に居れて居心地よかったです。特に首脳陣の安富や池田にはこの一年、いろんな場面で助けてもらいました。これからも長い間よろしく。

 

後輩。
こんな自分が一年間続けてこれたのもみんなの支えがあったからです。ラグビー部に入ってくれて、このチームについて来てくれてありがとう。残りのラグビー人生謳歌して下さい。

 

家族。
この歳になってまでラグビーを続ける自分をサポートして下さり、ありがとうございました。父親は遠く離れたところからいつも自分の体調やラグビーを気にしてくれました。夜練後、遅くなっても、家で母親の作った美味しい夜ご飯が食べれることが至福でした。

 

OB・OGをはじめとした、いつも東大ラグビー部を応援してくださる方々。
皆様の温かいご支援、ご声援がいつも僕たちの支えになりました。最後の京大戦、そして今後の東大ラグビー部も応援のほどよろしくお願いいたします。

 


他にも数えきれない多くの方々の支えがあって今の自分があります。その感謝の思いを胸に明日の京大戦を戦い抜きます。西久保組としての最終戦。みんなで勝って終わろう。


主将 西久保拓斗

We are all just prisoners here, of our own device[ラグビー部リレー日記]

 written by 安富 悠佑投稿日時:2023/12/20(水) 20:49

最近課長から部長に昇進した池田からバトンを受け取りました副将の安富です。池田は俺とは逆で、フィールドでは酷いもんでしたが、フィールド外で色々と暗躍、もとい活躍してくれました。池田先生はモテモテで輝かしい人生を送ってきたみたいなので、今後ともご指導ご鞭撻の程をお願いします。


俺らの代が入部した頃は、新型コロナの影響で、対面で練習が出来なかった。新歓も芳しくなく、入部者は少なかった。経験者もなぜかSHばかりで、FWの経験者は0人だった。
大西さんを除いて、近しい人で俺らの代に期待していた人は居なかった。当然っちゃ当然だ。実力が足りないことは俺らが一番分かってる。2年生のとき初めて行われた、俺らが4年になったときの目標を話し合う学年ミーティングでは、目標としてですら入れ替え戦出場を掲げることは憚られた。


ただ、4年になるまで様々な経験をし、入れ替え戦出場は現実的な目標だと思えるようになった。それから、人生で最も苦しい1年が始まった。特に春シーズン中盤から後半にかけては非常に辛かった。勝てないチーム、難航する5年生との交渉、思うように動かない体、その他多くの問題があった。炎天下の中死ぬ気でプレーして惨敗した早稲田戦の後、謎の病気で欠場していた西久保が早稲田の選手と楽しく談笑していたときは、もう全て投げ出そうかとも思った。こう思ったのは、3年の春以来だ。


3年の春、初めてラグビーを本気で辞めようと思った。基礎体力の低さが露呈し、試合で試してもらえる機会すら無いかもしれなかった。それでもラグビーを続けた理由は、高校ラグビー部同期の何気ない一言だった。
大学生になってから、久しぶりに集まった。既に半分がラグビーを辞めていた。その中の1人がポロッと「いいよな、まだラグビーできて。」と言った。


何故かこの一言が響いた。同年代の人たちの大半が既に就職やその準備をしている中、呑気に大学でラグビーを出来ているという幸運を改めて実感した。


ラグビーを辞めたくなったとき、上記のことを思い出して踏みとどまる。ラグビーが出来ているというその事実だけで、既に一定の価値があるのだ。ただ、俺はそれだけで満足できる質ではない。やるからには勝ちたい。勝たねばならない。そう思い、ここまで来た。結果として、対抗戦は3勝4敗の4位だった。
目標であった入れ替え戦に出場できてない以上、当然満足できる結果ではない。しかし、この代の実力で4位という結果を得られたことは、奇跡に近い。この結果は、様々な人のおかげです。


今年の東大ラグビー部に関わって下さった皆さん、ありがとうございました。特に、俺らと一緒に戦って下さった5年生と、最後まで信じて指導して下さった大西さんには感謝してもしきれません。本当に、ありがとうございました。
5年生か大西さん、どちらか一方が欠けていたら確実にチームが崩壊し、対抗戦の順位は最下位でした。
下位だと日程の関係上、後輩たちが目標から遠のくので、上位に入り最低限の義務は果たせて良かったです。多分夜うなされて眠れないこともないでしょう。


後輩たちへ
多分ラグビーを辞めたくなる瞬間があると思うけど、ラグビーを出来ていることの素晴らしさを噛み締めよう。辞めてしまったら今後二度と真剣なラグビーを味わうことが出来ない。どんなことがあっても、命に別状がない限りラグビーを続けて、目標達成に向かって頑張れ。


幸いなことに、4年生にもまだ京大戦という本気でラグビーをする機会が残っているので、力の限り頑張ります。応援よろしくお願いします。



次は、我らがキャプテン、西久保にバトンを回します。入部当初は、挨拶でも問いかけでも返事はすべて「あぁ?」、好きな音楽を問えば「音楽?あんま聴かないね」(後によく聴くことが判明しました)と非常に尖った人間でしたが、今では性格も身体も随分と丸くなりました。どうやら進路が定まっていないようで、俺からはラグビーのプロを勧めています。リーグワンで活躍する日を楽しみにしています。

勝ちと価値[ラグビー部リレー日記]

 written by 池田 周貴投稿日時:2023/12/18(月) 12:03

フィールド上では異次元のアジリティで、フィールド外ではSEとしてチームを支えてくれた橋野からバトンを受け取りました、主務の池田です。僕の中で橋野といえば、いつかの対抗戦セブンズで自陣ゴール前から独走トライを取り切ったシーンが印象的です。何を考えているのかわからないとかサイコパスとか言われたりもする彼ですが、僕の中では多分ただのかまちょなんだろうという結論になりました。


東大ラグビー部で過ごすのも残り1週間というところでなんとも言えない感慨深い気持ちでいます。長かったようで短かったのか、短かったようで長かったのか、どちらも当てはまるような感覚でした。ただ歴代の先輩が言うように、4年の対抗戦が始まってからはあっという間にここまで来たという感覚です。


自分のラグビー人生は振り返られるほどのものではなく、そろそろ皆さんも飽きてきた頃だと思うので、特に主務として過ごした今年を経て、僕が考えたことを書き連ねることにします。


春シーズンは本当に苦しかった。怪我人も多くなかなか戦力が揃わず、東北との定期戦以外は勝てなかった。負け癖がついているようで雰囲気も重苦しくて、プレイヤーはもちろんスタッフもフラストレーションが溜まって辛い時期になったと思う。そんな中、このチームに規律を見直すために、東大ラグビー部としての価値観は何かを考える機会があった。


東大ラグビー部の価値観は何か。この問いに対して、東大ラグビー部にしか出来ないことは何か、東大ラグビー部だからこそ出来ることは何か、自分が東大でラグビーをする意味は何か、というような形で落とし込んで答えを考えていたように思える。


このような価値観はこれはこれで確かに大事であるが、一つ注意しなければならないのは、フィールドに「東大」を持ち込んでいる限り勝てないということである。フィールドに「東大」を持ち込めるほど、今の東大ラグビー部は強い組織ではない。東大プライドという言葉を時々耳にするが、僕はあまり好きではない。フィールド内に持ち込むべきはラガーマンとしての矜持それのみである。そしてフィールドでの勝利がなければ、上記のような価値観はほとんど注目もされないだろう。僕らの代は3勝4敗の代であり、仮にどれだけ僕らが上記のような価値観を尊重していたとしても、これ以上で語られることはないだろう。


何が言いたかったかというと、勝ちよりも価値があるかもしれないことも、勝ちなくしては価値がないということです。つまり勝たないと始まらないこともあるということです。そして何より勝たないと面白くないです。これを読んでいる後輩たちには、(言われなくてもやると思いますが、)やっぱり全力で勝ちを目指してほしいです。東大ラグビー部の価値観は何かという問いに対しては、まずは自分たちが目指すラグビーを固めて、勝ちを重ねた後に見えてくるものもあるのではないかと思います。


いよいよ残すところあと一戦。最終戦である京都大学戦もチーム全員で勝って終わりましょう。


最後になりますが、いつも僕を気にかけてくれた両親には感謝しきれません。おかげさまで何不自由なく楽しい4年間を過ごすことができました。心配と迷惑ばかりかけてすみません。今後はもっと帰省の回数も増やします。また、これを読んでくださっているかわかりませんが、大西コーチへの感謝も記したいです。下手くそな僕を気にかけてご指導くださったり、また僕が辞めようとした時に引き止めてくださったりと非常にお世話になりました。大西コーチなくして僕の4年間はありませんでした。


お一人お一人に書いているとキリがありませんが、その他も本当に多くの方にお世話になりました。僕の東大ラグビー部での4年間を支えてくれた皆様、本当にありがとうございました。


次は安富に回します。3年生からは隣人として一緒に過ごす時間も長かった彼ですが、フィールドでは副将としてほとんどフル出場をはたし、時には厳しい言葉を使いながら仲間を鼓舞してくれました。功労者の彼には、引退後ぜひ良いパートナー(広義)を見つけてほしいものです。西久保とともにこのチームを勝たせるために苦悩した彼が最後にどんなことを記すのか必見です。
 
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