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綾織なす華やかなりし日々[ラグビー部リレー日記]
投稿日時:2022/12/20(火) 17:19
みんなの兄貴、三方からバトンを受け取りました、4年スタッフ長の谷田です。私も三方を兄貴として慕っている一人で、1年生の頃から仲良くさせてもらっていましたが、その温厚さと冷静さを兼ね備えた人柄に何度も救われてきました。人生をかけた相談をさせてもらったこともありますね。
1年生の頃ラグビーなんか嫌いだとずっと言っていましたが、多くの人が三方なら4年間やり遂げるだろうと思っていたことでしょう。苦しい思いを何度も乗り越えて、東大ラグビー部の第一線で輝き続けてきた彼を心から尊敬しています。奇遇にも、就職しても近くにいるみたいなので今後ともぜひよろしくしてもらえると嬉しいです。
今になって気づいた感情と、毎日噛み締めていた感情がある。
その2つは時に相反するものであるし、時に共存するものである。両方が、今の私を形作っているこの上なく大切なものだ。
4年間、必死だったな。
最後の対抗戦を終え、振り返るとそう思う。
勝ちたかった。
春シーズンは、不安を感じていた。1年生の時は初めての対抗戦で正直右も左もよくわかっていなかったけれど、2,3年生の時は今年こそ勝てるのだと信じていたのに負けてしまったから、結局どうしたら東大ラグビー部は勝てるのか、今年のチームはこれまでのチームを上回るどんな要素を作っていけるのか、わからなかった。3年時も同じスタッフ長という立場で精一杯やったつもりだったので、さらに何をすればいいのかわからなかった。4年になってそれはどうなんだという焦りもあったし、かといって他の同期のみんなが具体的にどうやって問題を克服しようとしているのかもよく見えなかったから、道がないようで不安だった。でもきつい練習やトレーニングを乗り越えて体が大きくなっていく選手たちを見て、同期たちが最高学年として少しずつ成長していくのを見て、自分も持ちうる限りの時間を使ってやるべきことをやって。春の4連敗はあれどその後勝利が続いて少しは希望を持つようになった。
夏はとにかく目まぐるしい日々だった。日々ハードに練習する皆の傍、合宿の準備に明け暮れ、下見しに山梨まで行ったりなんかもした。本当に部活だらけの日々で信じられないほど時間が早く過ぎた。合宿は、試合結果が芳しくないまま中止になってしまったけれど、濃い時間をたくさん一緒に過ごす中でいい感じにチームビルドされていると感じていたから結構前向きだった。対抗戦開幕時点では、今年は目標を達成するのだと信じていた。
上智戦の前の日は、なぜか涙が止まらなくて眠れなかった。みんなのこれまで努力が報われますように、ついでに私の努力も報われますようにと強く願った。辛勝して安堵の涙も流した。
でも一橋に負けた。4年間で一番悔しい敗戦だった。何もかも投げ出したくなる結果だった。大痛手の敗戦に沈むチーム。どう立ち直るか模索しなければならない大事な1週間だった。残りの試合で全勝すると信じるしかなかった。誰も怪我しませんようにと思いを込めて、いつにも増してケアマッサージ等怪我管理に打ち込んだ。マインドフルネスを高めるべく、チームオペレーションにもさらに気を使った。しかし、武蔵には勝てたものの成蹊明学と勝てなかった。そこからは何が足りなかったのか思いを巡らせる日々だった。だが正直まだ結果を受け入れ切れていないし、受け入れられる日はこないかもしれない。入替戦で1部に昇格し歓喜に沸く成蹊を目の当たりにして、あんなに悔しいとは。
勝利のために、スタッフとしてできることはなんでもやってきた。ラグビー部で起こっていることを理解すべくできるだけ多くのセクションに所属した。ケアの資格やアスリートフードマイスター取得など専門的技能の勉強にも勤しんだ。チームのオペレーションに深く関わることになった今年は、大事な選手たちが少しでもラグビーに集中できるよう最大限に気を使ってきたつもりだ。首脳陣との連携から、日々の小さなことまで。スタッフ組織でも、運営と調整に文字通り心を砕いてきた。
15人という、長い東大ラグビー部の歴史の中でも随一のスタッフの豊富さそしてそれぞれの熱心で的確な仕事は、今年のチームの強化を強く下支えしていたと改めてはっきりと言える。東大ラグビー部という組織は著しく進化した。私がスタッフ長を務めて全体が少し見えるようになったこの2年間だけでも、その中で私が行ったものだけでも、仕事の量は激増したし質も向上した。組織として強くなっていると肌身で感じていたし、それは紛れもない事実だ。
一方で、ずっと不安だった。
もっと何かできるのではないか。スタッフ組織はもっとよりよくできるのではないか。チームやスタッフがバラバラに向いているのではないか。選手の要望を汲み取れていないのではないか。私の仕事は形に残らないものが多い中毎日判断の連続で、選んだ答えは正しく結果に結びついているのか。
そんな不安はあれど、色々相談してもらえる立場として弱音を吐かないように意識していたし、そもそも選手を見ればしんどいと感じる余地すらなかった。私がそんなふうに気を抜いていては部の運営に支障が出るという責任感もあった。練習中もそれ以外も、できることを探し続けるのが私の仕事だった。だから、毎日淡々とやるべきことをして、いつでも頼ってもらえるようになんというかカッコつけるようにもしていたのだけれど、力不足だったのかもしれないな。いろんなところでもっといいやり方があったのだろう。
また、一旦自分が不安で必死であるということに気づいてしまうとラグビー部にマイナスな気持ちを持ってしまいそうで、それが嫌で気づかないようにしていた部分もあった。ちゃんと自分の不安に向き合っていればもっと気づけた問題があったかもしれない。実際今振り返れば、スルーしてきてしまった問題もある。私は強くあるためにそうしていたのだけれど、むしろそこに弱さがあったと今になって思う。
4年間、幸せだった。
これが毎日感じていた感情だ。
4年前、ラグビーというスポーツの精神性が好きで、東大ラグビー部が背負っている伝統や充実した環境、規模感、雰囲気、そして対抗戦A昇格という夢に魅了されて、入部した。
何事も経験してみることが大事だという考えもあって、高校までで経験してきた「選手」ではなくスタッフを選択した。でも普段は考えないようにしていても、高校までの自分を知る人たちに「『選手』をして欲しかった」と言われる度、引退の時に「選手」になるべきだったと後悔したらどうしようと不安に思っていた。正直にいうと、女子部がなく自分がやるという選択肢から最も遠いからこそラグビー部を選んだのもある。実際「選手」を選んでいたらどうなっていたかなと思いを馳せたことも何度か。
そんな機会費用もあり、大事な大学生活の4年間を捧げるのだから、その対象は自分にとって近しく大事な人々であって欲しいと願い、4年間選手とのコミュニケーションを欠かさないようにしてきた。選手の性格・努力・悩みなど、理解するよう努力してきたつもりだ。勝利に貢献する上でもその理解が役立つと信じていた。同じチームの一員として対等に、選手に向かい合いたかった。
しかし理解しようとすればするほど、私の”players first”の考えも邪魔して、どこまで行っても選手が味わっているラグビーの苦しみを共有できない苦しさを感じていた。ウエイトやBBCを乗り越えるみんなをみて、メンツ発表時の緊張した面持ちのみんなをみて、試合に勝って負けて感情をあらわにするみんなを見て、どこか置いていかれるような気持ちがあったのは確かだ。今まで書いてきたように真の最高学年としての1年を振り返ってみても、やはり頭に浮かぶのはスタッフとして見るチームの文化的なことが多く、選手との感覚の乖離があるかもしれない。スタッフが、選手はスタッフの仕事を理解していないとぼやくことがあるけれど、スタッフの選手たちに対する理解のなさに辟易した選手もいたのだろう。ラストリレー日記を読めば、初めて知る同期たちの苦悩があり、新たに知る一面がある。最後まで自分の未熟さを感じている。彼らに寄り添い切れていなかった。独り善がりだったのかもしれない。
でもたとえ時に突き放されようとも、私が関わってきた東大ラグビー部の一人一人を、一貫して毎日を捧げられるだけの大好きで大事な存在として位置付けてきた。だから必死になることができたし、最後までやり遂げることができた。朝起きたらまずラグビー部のことを考えて、1日の中でラグビー部とたくさんのやりとりをして、夜は明日のラグビー部のことを考える。1年生の頃青山先生にいただいてから書きためてきたラグビーノート、日記、写真フォルダ。どこをみてもラグビー部ばかり。ここまで没頭できたことも、幸せに思う一つの理由だ。「スタッフに結果で返せなくて申し訳ない」と見聞きすることがあるけれど、私だって結果ももちろんとても大事なのだけれど、それはみんなが大事にしたいと思える存在でいてくれたからこそであり、むしろいただいてきたばかりだと言いたい気持ちもある。
思い返してみれば辛いこともあったけれど、それに気づかないで走り抜けられるほどやりがいのある日々だった。今心からそう思えてよかった。心が震える瞬間に何度も立ち会わせてもらった。ラグビーに没頭するみんなは美しかった。4年間、支えさせてくれてありがとう。みんなの辛く楽しいラグビー生活を少しでも支えられていれば幸せです。
2月のリレー日記に対しては、この文章をもって返答できそうです。
最後になりましたが、改めて感謝の思いを。
熱い想いと期待を寄せて支援してくださっている、OB・OG、青山先生、コーチ陣の皆様。皆様のサポートのおかげで活動できていることをいつも身に染みて感じておりました。ここ数年は例年にも増してご協力いただいております。チームとして結果で恩返しする事は叶いませんでしたが、私個人にとっては皆様のおかげで学びの多い大切な4年間になりました。この場を借りて、心から御礼申し上げます。
同期のみんな。当たり前に一緒にいられる場所を作ってくれてありがとう。下級生の頃はラグビーなんか嫌いだという人の方が多かったような印象までありますが、それでも最後まで努力を続け、かっこいい4年生になったみんなをとても尊敬しています。そしてそんなみんなと時間と思い出、努力を共にできたことを誇りに思います。4年間ありがとう。今後も仲良くしてもらえると嬉しいです。
スタッフのみんな。色々要求して無理させてしまったこともたくさんあると思います。ごめんね。非合理的で頼りない私を温かく見守ってくれてありがとう。どんな時も共に仕事をしてきて、いつも刺激をもらっていました。後輩のみんなは、来年以降大変になると思いますが、ラグビー部を本当に熱く思う優秀な皆さんなら、きっともっと東大ラグビー部を進化させられると思います。最初は初々しくて可愛い後輩だったのが、たくさん努力して成長していく姿を見て今はとても頼もしく思っています。とはいえ可愛い後輩には変わりないので、卒部しても相手してください。選手たちと協力して頑張ってね。
後輩のみんな。目標達成に向けて無茶を繰り返す私たちについてきてくれてありがとう。今はまだ先の見えない練習ばかりで、辛いことがあまりにも多いかもしれません。でも努力家のみんななら必ず入替戦出場を果たしてくれると信じています。そして後輩スタッフはじめ応援してくれる人たちのためにも、それに値するよう心身共に自己研鑽を続けて欲しいです。最終学年までそばで支えることができないことが心から残念ですが、試合で応援できるのを楽しみにしています。ご飯いつでも行きましょう。
先輩の皆さん。野村組、藤井組、杉浦組それぞれが大好きなチームでした。たくさんよくしていただいた上に、ずっと進むべき道を示していただいていました。大好きなその背中を懸命に追いかけて少しでも支えられた経験は私にとって本当に大切でした。ご飯のお誘いいつでも待ってます。
両親へ。何かをため込んでは直ぐに「明日帰る」と言って帰省する私を温かく受け入れてくれたり、遠くからでもいろんな手助けをしてくれたりと、いつも誰よりも私を応援してくれていることを強く感じています。時間をかけて恩返ししていきます。いつもありがとう。
最後のリレー日記まで長くなってしまいました。自分が部活を通して考えていたことや引退間近のこの気持ちをせっかくなので素直に綴っておきたいと思い、僭越ながらリレー日記にさせていただきました。ここまでお読みいただきありがとうございました。
今年の残りの試合はついに京大戦だけになりました。昨年の秩父宮での東大100周年記念試合、今年のエコパでの京大100周年記念試合を両方経験させていただけるのもまた幸せなことです。先月静岡まで下見に行って一足先に会場を見せていただきました。あんなに素敵なスタジアムでみんながラグビーを楽しむ姿を見るのが本当に待ち切れません。楽しんで京大に勝ちましょう。
次は、國枝組主務の廣瀬に渡します。廣瀬とは今年、二人三脚のような形でいろんな連携をとってきたので、ずっとそばで彼の努力を見てきました。彼の責任感の強さと東大ラグビー部への想いがチームの大黒柱の一本となったのは言うまでもないことですが、今年はイレギュラーで大変なことが本当に多かったです。それを選手との両立というあまりにも厳しい環境の中でやり遂げた廣瀬に、心から感謝しています。4年間お疲れ様、ゆっくり休みましょう。
幸せな地獄[ラグビー部リレー日記]
投稿日時:2022/12/19(月) 16:30
昨日名大戦を終え、引退まで一週間を切った。あと一週間でこの苦しみから解放されると思うと嬉しくて仕方ないが、高校から計7年間、色んなことを犠牲にして取り組んできたラグビーが終わると思うと複雑な気持ちだ。引退して時間が経ってもラグビーに捧げた7年間を忘れないよう、この場を借りて振り返らせて頂きたい。
高校に入学してラグビーを始めたのは単純な理由からだ。中学までやってきた野球を続けるのに限界を感じていたこと、そしてラグビー部が全国を目指せるほど強く、3年間を捧げるのに値していたこと。ラグビーがどれだけ辛いスポーツかも知らず、そしてなぜ全国を目指せるレベルを維持しているのかも知らず、軽い気持ちでラグビー部の門を叩いた。
すぐに自分がとんでもない選択をしたことに気づいた。ラグビーは辛く、痛く、目の前の一日を乗り切ることに必死だった。3年間はあっという間に過ぎ(当時は悠久の時間に感じていましたが)、引退して思ったのは、もうラグビーをやることは無いんだろうなということ。大した選手じゃないことは分かっていたし、ラグビーを楽しいと思ったことは一度も無かった。大学に入ったら当時から敬愛していたビートルズのコピーバンドサークルにでも入ろうと思っていた。
ただ、ラグビーを通じて出会った仲間は最高だった。ラグビーは楽しくないけど、ラグビーで身体をぶつけ合うことでしか得られない絆が好きだった。大学生になり、東大ラグビー部に初めて見学に行ったときも高校と同じような暖かい雰囲気を感じてしまった。学生主体で練習を運営していたとか、同じように大学ではラグビーを続けないとだろう思っていた高校同期の多くが大学でラグビーを続けたとか、色々理由はあれど、結局あれだけやりたくないと思っていたラグビーを続けたのは、東大ラグビー部の「人」に惹かれてしまったからだった。
そして予想通り、東大ラグビー部でも、高校の頃とはまた異なる特長を持った素晴らしい同期・先輩・後輩に恵まれた。自分の人生はつくづく人に恵まれていると思う。毎日ラグビー部の仲間に会うのが楽しみだという気持ちは今も変わらずにずっと持ち続けている。
でも、やはりラグビーというスポーツ自体を楽しいと思うことはずっと無かった。これが僕にとっては非常に問題だったと最近になって思う。自分の内的成長や楽しみのためにラグビーをするということが出来なかったのである。自分の行動原理は常にチームに貢献すること、いやそんな高尚なものじゃない。チームに迷惑を掛けないこと、自分が大好きなこの組織に居続けることを目的にラグビーをしていた。ウエイトするのもラグビーのためだけだし、体重を増やすのもそのためだけ。フッカーとして今年はセットプレーリーダーとして、スクラムやラインアウトなどのセットプレーはプライドと責任を持って研究して練習したし、全員がマスターしなくてはならないDFは時間を掛けて練習したけど、他の人に任せられるATやフィールドプレーは自分の役割ではないと決めつけてそこまで深めようとはしなかった。
またそれとは別の問題もあった。7年間を通じて気づいたのは、自分はそもそも勝負に向いていない人間だということだった。相手を蹴落としてまで勝負に勝ちたいとは思えないし、行動するよりも先に頭で考えちゃうし、目の前の一つの勝負にこだわれない。学年が上がるごとにそんな自分を痛感して嫌になることが増えていった。
最終学年になっても、この2種類の弱さは中々変えられなかった。春シーズン始めには早稲田や明治相手に一矢報いることもできず、終盤にはスタメンを外れた試合もあった。ただ、結果が出なかったら次戦のスタメン落ちを示唆された山中湖の慶應戦や、それと同等の覚悟を持って臨んだ立教戦を通して、段々と納得のいくプレーが出来るようになっていった。集中力を高めるために自分がどのような準備をすれば良いか分かってきた。大学やプロのトップ選手がどのような表情、覚悟で試合に臨んでいるか知りたくなり、また単純に自分のプレーの参考にしたいという思いから、個人的にラグビーの試合を見る回数も増えていった。次第に人だけでなく、ラグビーというスポーツ自体に魅力を感じるようになった。
対抗戦はあっという間だった。納得のいくプレーが出来た試合、相手の雰囲気に飲まれてしまった試合、魂が震えるような熱量を感じた試合、負けて絶望を味わった試合。どれもラグビーでないと経験できないような感情だった。苦しみをチーム皆で乗り越えた先に現れる、ラグビーというスポーツの真の魅力がそこにはあった。
弱い自分は変わってないし、やっぱりラグビーは楽しいと思えないし、今でも練習前は憂鬱だし時には吐き気も感じるし、もう一度大学に入学してラグビーを選ぶかは分からないけど、大学でもラグビーを続けて本当に良かった。
最後になりますが、青山監督、深津さん、大西さんを始め、僕に厳しくそして優しく指導して下さった皆様、本当にありがとうございました。そしてラグビーに最適な環境を用意し、熱量を持って応援し支えてくださったOB/OGの皆様、本当にありがとうございました。後輩のみんな、頼りない先輩でしたが仲良くしてくれてありがとう。そして同期のみんな、逸材が多く、皆自分にはない尊敬できる部分を持っていました。色々ありましたが、この学年以外に自分の居場所は考えられません。ありがとう。
大学生にもなって家に何の還元も持ってこない息子でしたが、文句を言いながらも支えてくれた家族へ一番感謝を伝えたいです。この恩は引退してからゆっくり返していきます。
ここで終われば(多分)格好良い日記ですが、対抗戦の最終戦で集中力を欠いたプレーをしてしまったことが原因で、現在自分はリザーブにいます。本当に情けないし、今はラグビーをやってよかったとか関係なく、悔しい思いで一杯です。京大は個人的にもチームとしても思い入れのある最後の試合、1分でも長くグラウンドに立ちたいです。この一週間、最高の準備をして試合に臨みます。
次は2年もの間、スタッフ長としてチームを支えてくれたあしゃにバトンを渡します。あしゃは常に笑顔で僕らに接してくれますが、僕らの見えない所では多忙な業務をこなしていたため、心の内では僕の想像し得ない苦しみや想いを抱えていたことでしょう。本当にお疲れ様です。最近は4月からの社会人生活を不安視している姿が目立ちますし、いつ爆発しないか心配です。引退したら少しは休んでね。
かっぱえびせん[ラグビー部リレー日記]
投稿日時:2022/12/18(日) 20:57
若菜ちゃんからのフリに丁寧に答えていたら少しふざけた感じになってしまいました。でも若菜ちゃんと一緒にラグビーができて良かったと心の底から思います。今後ともよろしくお願いします。
高校生のころ、無理やり勧誘されてラグビーを始めました。あんなに毎日辛いと思っていたのに、もうすぐ引退かと思うと正直非常に寂しいです。本当は雑草魂というタイトルで日記を書こうかと思いましたが、やめます。
「何のためにラグビーをやっているのか。」この問いは全国津々浦々のラグビー部員によって何十万回も考えられた問いだと思います。僕も例によってよく考えていました。が、普段あまり物事を深く考えない僕にはこの問いはあまりに難しく、下級生の頃はシーズン最後の4年生のリレー日記を読んで、いつかは自分もこんな立派に素晴らしいラグビー人生を振り返る日が来るのだろうか、なんて思っていました。
さていざ、僕の最後の日記の番が来て、僕がラグビーをやってきた意味について深く考えました。が、特に高尚な答えは出て来ませんでした。結局俺って浅い人間だったのか、とがっかりして焦って真剣に考えましたが、それでも立派な答えは出て来ませんでした。
改めて冷静に、自分に正直に考えてみると、ただラグビーが楽しいから、好きだから、やってきた、続けてこられたというのが素直な答えだと思います。
対抗戦Aに所属しているような強豪チーム相手にラインブレイクした時、青天タックル食らわせた時、最高に気持ち良いです。
西久保君のナイスパスにお膳立てされて、逆転トライを演出したヒーローとしてみんなにちやほやされている時、最高に気持ち良いです。
練習中Bチーム一丸となってAチーム相手に一泡吹かせた時、最高に気持ち良いです。
ウォークADや4対3で仲間とやり合っている時、最高に楽しいです。
みんなとキツいコンタクト練習を乗り越えて抱腹絶倒の雑談をしている時、最高に楽しいです。
何より、試合に勝ってみんなで騒ぎながら調子に乗っている時、最高に幸せです。
思えば、ラグビーというスポーツは僕の性によく合っていたと思います。難しい技術を持っている人と同等もしくはそれ以上に、頭のネジ外してタテに、タックルに突っ込む人が評価される。始めたての時は、細く、足も遅い自分には全く向いていないスポーツだと思っていましたが、今振り返ってみると案外そんなことは無かったなと思います。
勿論、真剣に物事に取り組む以上、苦しい時、きつい時は何回もありました。チーム内でのメンバー争いは常にプレッシャーがかかるし、試合に出ても責任や覚悟という言葉が付き纏います。下級生の頃は仲が良い方だと勝手に思っていた僕らの代も4年のシーズン始まる時にはワンチームになりきれなかったような気がします(個人的に非常に心残り)。そもそも毎日の練習が大変辛いです。直近で言うと武蔵戦で2度目に肩を脱臼して、今シーズン公式戦に出すのは難しいと國枝主将に言われたときはさすがに心に来るものがありました(もういつでも準備OKなんで出してください!!)。
ただ、そういった時でも、自分で考えたプレーを毎日の練習で実験している時は最高に楽しいし、身体を当てあっている仲間・心から信頼できる仲間との雑談は相変わらず楽しいです。
じゃあお前はただ楽しいから、享楽的・刹那的にラグビーやってたのか、と言われると、それもちょっと違うような気がします。楽しいと同時に、楽しいのその先に、沢山のものを得ていました。闘争心、かけがえのない仲間、体力などなど、言葉にしてしまうと非常に陳腐になりますが、ガリ勉だった中学時代からは想像も出来ないほど多くのものをラグビーから貰いました。沢山の失敗を積み重ねることが出来ました。仲間と真剣にラグビーに取り組むこの過程自体に大きな価値がありました。
月並みな言葉にはなってしまいますが、ラグビーをやっていて良かったと心の底から思います。あの時勧誘してくれた秀さん、ありがとうございました。
コーチ・スタッフ・トレーナーの皆さん、先輩・後輩・同期の皆さん、育ててきてくれた家族、他全ての関係者の皆さん本当にありがとうございました。どちらかというと問題児で、沢山の人に迷惑を掛けたと思います。温かく見守ってくださりありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
特に深津さん・石川さん・今塩屋さん・杉浦さんには大変お世話になりました。センターとしての技術・心構えに始まり、沢山のことを教わりました。本当にありがとうございました。
最後になりましたが、来週の京大戦は非常に楽しみです。僕が4年間で一番楽しみにしていた試合です。もしこの日記を京大の皆さんが見ていたら、来週はよろしくお願いします。
次は三方君です。三方君については今更紹介するような仲ではないです。ただ、三方と出会えて、一緒にラグビー出来て本当に良かったです。今後ともよろしくお願いします。
ありがとうございました。[ラグビー部リレー日記]
投稿日時:2022/12/17(土) 18:40
ゆきちゃんのリレー日記では私は少々誉められすぎており恐縮の限りですが、一つ言えるのはそうやって人の長所を見つけ、恥ずかしがらずに伝えられるところが間違いなくゆきちゃんの偉大な長所です。そして、家に泊めたことを感謝されていましたが、私もゆきちゃんが泊まりに来ることで助けられていました。ゆきちゃんが泊まると、ゆきちゃんが帰る頃にはなぜか家のあちこちが綺麗になっているのです。お皿が洗われていたりお風呂が掃除されていたり。それで私はゆきちゃんのことを屋敷しもべ妖精みたいだなーなんて図々しくも思っていました。とにかく全く負担ではなかったので、これからも気にせず泊まりに来てくださいね。
最後のリレー日記を書くにあたって、私は何を伝えたいのか、知ってほしいのかとずいぶん考えました。きっと最後の機会だし自分のラグビー部人生を振り返ってみようかとも考えたけれど、いざ振り返ろうとすると、この4年間で経験してきた事や感情はどうしてもひとつながりの読み物としてまとまりませんでした。東大ラグビー部の一員として過ごす中で、個人としてもチームとしても語り尽くせぬほどたくさんの忘れられない体験があったし、その度に考えることや感じることも自分なりにありました。たとえば、栄養の仕事をはじめて任せてもらえて、先輩にも頼ってもらえたときの誇らしさ。担当選手が復帰して試合に出た時の喜びや、反対にDLになって帰ってきたときの無力感。試合に勝った時の嬉しさ、負けた時の複雑な思い。自分の中途半端さに対する自己嫌悪。しかしそれらは、当たり前だけども当時の私にとっては目の前で起こるイベントであって、一定の期間はモチベーションの源や悩みの種になったけれど、一つ一つのイベントが長い目で見た時に自分にとってどんな意味を持ち、自分をどう変えたのかなどは今まできちんと考えることができずにきました。だから、今さらそれらを無理矢理に私の人生というストーリーの中に位置付けようとすると、どこかに嘘やこじつけが生まれて、個々の記憶そのものが改ざんされる気がするので、今はやめておくことにしました。
代わりにこのリレー日記では、やはり部活を通して関わったみんな/皆さまに伝えたいことを書き残させてもらうことにします。私はものすごく筆不精なので、卒部してから色々な人にメッセージや手紙の類を送ることができるとは思えません。しかも人に対して直接ありがとう・ごめんなさい・褒め言葉全般を伝えることを恥ずかしい、照れくさいと感じてしまい、普段は目の前の人に対して思っていてもなかなか言えない人間なので、口頭で伝えることができるとも思えません。そんな面倒くさがりかつ悪い意味で恥ずかしがりな私にとって、絶対に期限内に書かなくてはいけないけれども、自分の書いた文章を意図した人が本当に受け取るかどうかは定かではないリレー日記という場は、私が人に何かを伝えようとするのにこの上なく適しています。今も、読んでほしいような、読まれないまま埋もれてほしいような気持ちで、書いては消し、書いては消しを繰り返しています。
同期たちへ
人数が多い分、色んな人がいて色んなコミュニティがあるこの代で過ごせて日々楽しく、幸せでした。まとまりがないという表現にもなるのかもしれないし、色々な考え方の人がいることは部を動かしていく上で時として障害になったこともあったとは思うけど、一人一人違った方向に個性の強い人が集まるからこそどんな人でも同期として受け入れてもらえるし、そんな懐の深さにもつながる多様性が心地よく、楽しかったです。
まずはプレーヤーのみんな。コロナを機に部活外での時間を一緒に過ごす機会はめっきり減っていたけど、その分、練習後に先輩や後輩も交えて喋る時間が大切で、とても好きでした。それと、プレーヤーのみんなは私にはできそうもないこと(毎日が過度な運動の連続であることや、毎日を部活に縛られた生活リズムで生きることなど。食事に関してはうるさくてスミマセン)を4年間続けてきたというだけでも私にとっては本当にすごい人たちでした。プレーヤー側に回ったことがない私にとっては、なんでそんなことができる?と不思議でさえありました。そして4年生になってからは、いつからかみんなの姿がこれまで慕ってきた歴代の4年生と重なって見えて、とても誇らしかったです。雨でも極寒でも酷暑でも全体練がキツくても妥協せずにユニット練をリードする姿や、身体中にガタがきて色々なところが痛くても練習や試合に出ようとする姿勢。練習後には自分の時間を使って後輩のコンタクトやキックの練習に付き合ってあげる姿。そして視点は違うけど、下級生とタメの友達のように仲良くなり、結果として4年生を近しい存在だと思ってもらうのに一役も二役も買ってくれていたこと。グラウンド内外でみんなちゃんと4年生してるんだなあと、ビデオを撮ったりしつつ眺めては思っていました。3年生のころまでは練習とかトレーニングの内容などなどについてなんやかんやと揉めたこともあったし、これまで見てきた4年生が自分の中でとても大きかったから、私たちの代はうまく4年生になれるだろうかと勝手に心配したこともありましたが、今となっては杞憂だったと思います。でも、大人になりきってしまったのかというとそんなことはなく、今でも誰かをおもちゃにしてみたり肘でつつき合ってコソコソと悪い話をしてみたりと悪ガキ感は1年生の頃から変わらないなあと思いますし、4年生になっても変わらない部分もたくさんあることが嬉しいです。
そして同期スタッフのみんな。1年生の頃から部活中の時間のほとんどを共有し、一緒に動いてきたみんなに改めて何を言えばいいのかよく分からなかったのですが、やっぱりありがとうとすみませんでしたという言葉に尽きます。部活外の時間では自分の専門性を存分に磨いて各々の仕事の裾野を広げに広げていくし、仕事は速くて正確だし、部活中には細やかなことにも気が付く優秀なみんなを見てすごく刺激をもらっていました。私は頑張ることを環境にある程度強制されないと頑張れないタイプなので、すぐそばで優秀さ、有能さを存分に発揮し、こうしちゃいられないぞという気持ちに何度もさせてくれたことをまずは感謝します。そして、未熟な私は仕事をしていてもみんなに手助けしてもらうことが多かったです。その節は大変ご迷惑をおかけしました。そしてお世話になりました。時間を共有しすぎて、感謝すべきことをあげたらキリがないし、謝っておいた方がいいことも数えきれないくらいあるから、伝わっていると信じてこのくらいで許してください。とにかく、仕事は遅いわミスはするわでてんでダメな私を仕事仲間として、友人として受け入れてくれたこと、一緒に仕事をしてくれたこと、部活内外での生活のほとんどを共にしてくれたこと、そしてそんな時間の中で私に対してしてくれたこと全てに心から感謝しています。私自身が当初目指していた理想の最上級生スタッフ像に到達することは結局なかったなと思うけど、4年スタッフ全体で見るなら、2年生の終わりに届くはずがないと思って見上げていた4年生スタッフ陣にも負けずとも劣らないパフォーマンスができていた自信があります。優秀な同期に恵まれ、そう思いながら卒部できて誇らしいです。
後輩たちへ
スタッフのみんな。スタッフになりたてで右も左も分からない状況だったみんなをもう思い出せないくらい、みんな一人前になってくれて頼もしい限りです。課題は多少見つかったかもしれないけど試合も下級生だけで回せていたし、日々の練習でも自分のやるべきことを自分で見つけられるし。私は先輩なのに、助けてもらうことが何度もありましたね。個人的には、現状のスタッフの仕事に対していい意味で批判的視点を持てていることにみんなの成長を感じています。例えば、水を補充してほしい人用のカゴを作った方が効率的ではないかと試してみたり、会報の仕事を今一度整理して会報委員の負担を減らしたり。最近では試合でLINE通話による連絡を試してみたり。指示されたことをやるだけではなくて、自分で部にとって必要なことやよりよい方法を考えて動けるようになった証だと思います。自分の成長速度が遅かった分、みんなの成長が嬉しく、眩しかったです。来年からは、これを生かして自分の専門の分野でやりたいこと、やるべきだと思うことにのびのびとチャレンジしていってください。
それと、人数の多い私たちが抜けることへの不安があるかもしれないけど、どうか気負わずに、スタッフの仕事も組織そのものも柔軟に変えていきながら楽しさを失わずに活動してください。私たちの代は人数が多かったから、その分各々が色々な分野に裾野を広げることができたし、結果としてスタッフ全体の仕事量は従来より遥かに増えていると思います。でも、それら全てを絶対に引き継いでやってもらうべきだとは私たちの誰も思っていないはずです(一部の、部の運営のためにどうしても抜かせない仕事を除く)。そんなの人数比的に現実的ではないし。どんな仕事があるのか、仕事の全貌を紹介する義務があるから紹介はするけれど、結局やるかやらないか選ぶ権利は全面的にみんなにあるでしょう。だから時には勇気を持って、今年あった仕事がもう必要なさそうだと思うなら切ってみたり、代わりにもっといいと思えるものがあったら失敗してもいいからどんどんチャレンジしたりして、みんなにとってもチームにとっても最適だと思えるようなスタッフ組織を作っていってください。陰ながら応援しています。
プレーヤーのみんな。今年は春のBBC期間や夏の合宿など、新しくてハードな練習の多い1年間になったと思いますが、まずはそんな中で4年生についてきてくれてありがとう。対抗戦期以降も、メンツとして試合に出てくれた人もA中心になりがちな練習に辛抱強く付き合ってくれた人も、そして怪我をして辛い思いをしながらもチームのために色々と仕事を請け負ってくれていたDLのみんなも本当にありがとうございました。
青山先生からもよく聞いたことだけど、やはり勝つための一番の近道はAチームの練習相手・ライバルたるBチームを強化することやその人数を増やすこと(≒怪我人を減らすこと)なんだと思います。だから、プレッシャーの中で試合に出ていくつもの勝利を見せてくれたメンツはもちろんのこと、Aを食ってやろうと練習を重ねるBチームのみんなや早く復帰しようとリハビリを頑張るD Lのみんな、綺麗事でなく誰の努力が欠けても勝てなかったと思います。シーズン目標達成はできなかったけれども、対抗戦3位という今年の戦績はメンツ・ノットメンツ問わず全員の努力の結晶です。ここまで頑張ってくれて本当にありがとう。来シーズン以降の試合を見に来るのが今からとても楽しみです。(地方で働くことになっても、対抗戦くらいは差し入れを持って観に来ます)
私のラグビー理解度はさして高くないからラグビーに関して語るのは結構気がひけちゃうので、この辺でやめておきますね。
歴代の先輩方へ
先輩方が現役だったころあんなに不出来で未熟だった(今も?)私も、4年生を終えて引退する時期になりました。自分が見送る側だった3年間は、あと○週間で卒部か~とどこかすっきりした表情で言う先輩方を見ては残された練習・試合を指折り数えて寂しい気持ちになり、いよいよ卒部されていく先輩方を未練たらしく見つめるばかりでした。4年生を送る会などなど、泣いているのは現役の方が多かった気もします。でもいざ自分が出ていくとなると、残り1週間になってもまだあまり泣きたいような気持ちにはなりません。遠征を控えて忙しい試合週が続き、まだ卒部するという実感がないだけですか?京大戦を終えたら急に寂しくなるものでしょうか。私には真相はまだ分かりませんが、先輩方が引退を目の前にして感傷に浸っている様子をあまり見かけなかった理由が少し分かった気がします。
長い前置きでしたが、先輩方にはたくさん可愛がっていただいたし、私の部活動にのぞむ活力になっていただきました。そして私自身の目指すべき最上級生像を示していただきました。私が1年生の時、野村組の4年生の皆さんは何もかも分かっていない私にラグビー・部活に対する献身、熱を背中で示してくださいました。当時の私にはそんな4年生の背中はあまりに大きく、1年生なりに憧れていたのを覚えています。2年生、3年生のときには、毎日面白おかしく生きていて(?)私とも変な話しかしないのにラグビーに関しては人が変わったように情熱的で献身的な藤井組、杉浦組の4年生に引っ張られて、そんな4年生になんとか勝ってほしいという気持ちをモチベーションにして部活に臨めました。そして、自分達が4年生になったら、後輩にそう思ってもらえるような代でありたいという目標もできました。私を含む当時の多くの後輩にとって、熱意や親しみやすさといった人間的魅力に溢れた最上級生でいてくださり改めてありがとうございました。卒部されるときには言えなかったし、今更ですがここで伝えておきたかったです。
青山先生、コーチ陣、ご支援・ご指導くださった全ての皆様
まずは今年のチームに大きな期待をお寄せいただいたこと、そしてチームが全勝、入れ替え戦出場を達成できると信じてご支援くださったことに深く感謝申し上げます。今年4年生として過ごす中で、皆様がいかに東大ラグビー部にとって不可欠の存在であるか、そして日々尽力してくださっているかを痛感いたしました。私が携わらせていただいた栄養という範囲に限定しても、皆様のご尽力がなければ実現しなかった取り組みが多数ございます。大西さんに仲介していただいて合宿の食事をラグビー部に適した内容に変えることができたり、青山先生やOBの皆様のご尽力・ご厚意によって多くの食品系企業に協賛していただけたりと、現役部員の体づくりの環境は今年劇的に恵まれていました。これらは全て、学生主体とは言いつつも大人の皆様方のご協力が不可欠でした。
ご期待とご支援に感謝すると同時に、入れ替え戦出場という結果をお返しできなかったことを申し訳なく思います。
来年以降にも意欲に溢れた後輩たちが控えております。私が申し上げることではないような気もいたしますが、来年以降のチームにもどうぞご助力いただきますようお願い申し上げます。
次は同期の杉井にバトンを渡します。杉井と私は不思議な関係性にあるようです。杉井とは電話したことがないのに杉井ママとは30分くらい電話でおしゃべりをしたことがあるし、杉井が話しかけてきたかと思ったら唐突に私服を褒めてくれるし。何を着ていても褒められるので若干の不信感がありますが、今のところは100%の褒め言葉として受け取って喜んでおきます。
そういえばお母さんから紹介されたママ友のお嬢さんとはその後どうなったのでしょう。
「伝える」[ラグビー部リレー日記]
投稿日時:2022/12/16(金) 18:00
寡黙で口数は少ない方ながらも、その恵まれた体格や真面目な性格、包容力のあるオーラにより、グランド内でもグランド外でも常に存在感のある岩下からバトンを受け取りました、スタッフの中村優希です。彼は試合中でもバイト中でも会報委員の作業中でも、常に頼れる存在でした。彼のラグビー人生は悩みや葛藤も多かったようですが、私は彼が不平・不満を口にするところを見たことがありません。そんな自分に厳しい彼ですが、好きなアイドルについて語る時の無邪気な笑顔はとても可愛いです。岩下君は来春から就職すると思いますが、入社してからも業務に忙殺されず、そのラガーマンらしい体型をキープしてくれると嬉しいです。
ラグビー部のスタッフとして過ごしたこの4年間では、沢山の反省と沢山の学びがありました。
私がこれまで部活を続ける中で直面した壁は、大きく分けて2つありました。
主に財務やグッズ販売、会報委員等のマネジメント的な仕事を多く担当し、自分の持つ仕事の外からの「見えにくさ」故に悩んだこと、そして、中学生の頃からの持病である摂食障害と向き合い続ける中で耐えきれず部活の欠席が増えてしまい、自分が情けないと同時に部に対して申し訳なく、とても悩んだこと。
この2つの悩み共通の根幹には、「伝える」ことの難しさがありました。
ラグビー部での最後のシーズンとしての今年、私は練習や試合を欠席してしまうことが多く、思うように部活に参加できませんでした。4年生としての最後の1年間で思うように部に貢献できず、多くの方に多大なる迷惑をかけてしまったことを、まず謝罪させてください。本当に申し訳ありませんでした。何度か機会を逃し、皆の前で正式に謝罪の言葉を伝えられていなかったことを反省しています。
私も同じ4年生であるのに、本気で部活に向き合い勝利のための努力を怠らないプレーヤーや他のスタッフの足を引っ張ってしまい、とても不甲斐なくとても申し訳なく、そんな自分が嫌でした。部活のみんなに対する、部活を休むことに対する、Slackの文面では伝え切れない申し訳なさと自己嫌悪と悔しさは、いつも私の中にありました。
もっと力になりたかった。
もっと貢献したかった。
もっと側で支えたかった。
マネジメント的な業務を多く担当する私がすることのできる、東大ラグビー部が試合で勝つための直接的な貢献はごく小さなものかもしれないけれど、鵜飼のリレー日記にもあったように、マネジメント系の仕事はその積み重ねにより円滑に部活が運営できることに意味があります。選手との距離が遠い仕事であることや症状が安定しないことを嘆くのではなく、たとえ目立たない仕事であったとしても、たとえ駒場に行けなかったとしても、その時の自分にできる仕事を探してもっと貪欲に部活に取り組むべきであったという後悔は尽きません。
私が大学に入学した際にラグビー部への入部を決めたのは、勉強以外に何か打ち込むべきものを見つけ、闘病と受験勉強に消えてしまった中高生活を見返し、ラグビー部という組織の一員として目標達成に貢献する過程で自らも人間的に成長したいという思いからでした。
これまで何度も「もう絶対に部活を休まない」と決意しつつ復帰したにも関わらず、毎晩過食嘔吐が止まらないと流石に苦しく、実家療養の決断を繰り返した過去を鑑みると、表面的には成長していないのかもしれません。できることは全てやったけれど、何度願っても何度泣いても、病気は私の中から消えてなくなってはくれませんでした。
しかし、部活を含めた課外活動ほぼ全てを諦めた中高生活と比べると、財務や会報やグッズ製作等やりがいのある仕事をこなす楽しさを感じられたこと、長い休部期間を経てももう一度自分にできる仕事を頑張らせてほしいと思えたことは、成長であり財産だと感じています。
肝心の最後の1年間でスタッフ最高学年の1人として果たすべきであった役割を十分にこなせなかったことは、本当に悔しく、申し訳ない限りですが、東大ラグビー部には部活を通して成長できる環境があるというのは自信を持って断言できます。
4年の間で誰もが一度は部活をやめたくなる時期を経験するのではないかと思います。
人間は辛い時に成長するとはよく言われる言葉ですが、時に部活に対してネガティブな感情を抱いてしまうこと自体は恥ずべきではなく、それを乗り越えること、続けることに価値があるのだと思います。
自分が何のために部活に所属しているのか、その理由を無理に探そうとすると辛くなるだけです。スタッフであれば特に、自分が部活に所属する意義を他人軸で考えるのではなく、私が言うのも大変おこがましいですが、自分が所属したいと思うから所属している、自分がその組織のために力を尽くしたいと思うから所属している、シンプルなのではないでしょうか。
というのも、
自分は何のために何をやっているのか、本当に役に立てているのか、部に自分という存在が必要なのか、4年間で何度も悩んできました。外から見えにくい仕事が多いが故に仕事を頑張っても分かってもらえない気がして悲しくなり、しかし、誰かに頑張りを分かってもらうために仕事をやっているのではないからと開き直り、忙しくても直接的に部の強化につながるわけではない自分の仕事になんとか意義を見出そうとしてきました。
私に限らず、スタッフの全体の仕事を部内にもっと上手く発信していくべきだったのだと思います。上手く伝えられていれば悩みを少しは解消できていたのかもしれません。個人的には、スタッフが「陰」になりすぎないことが必要だと思っています。
がしかしそれ以上に、他人軸に振り回されすぎていたな、と感じます。
入部動機を改めて振り返ると、「人間的成長」という目標がありました。
練習への参加や試合で勝利するための努力の地道な積み重ねが成長に繋がるのであり、「今この瞬間に誰かに必要とされる」という他人軸ありきではありません。とはいえ「成長」だけをモチベーションに厳しい部活を続けることはできませんし、誰かの役に立ち、誰かに必要とされることは大きなやりがいに繋がります。難しいですね。
ただ私が感じたのは、誰かの役に立ち、誰かに必要とされること(誰かの役に立っており、誰かに必要とされていると自分が感じられること)だけが全てではないのではないかということです。ラグビー部の部員であれば、どの学年の誰であっても、プレーヤーでもスタッフでも、どのポジションであってもどの仕事が担当でも、大切な存在である、そう思いたいし、みんながそう思える組織であってほしいと願います。
私達の学年は、学年全体の人数にもスタッフの人数にも恵まれていました。
人数が多いからこそ成し遂げられた結果があり、見ることのできた景色があります。
スタッフ組織に関しては、私達が入部した頃のスタッフ組織と今のスタッフ組織は、全く異なります。それぞれのセクションが大きく成長し、スタッフが取り組むことのできる仕事の幅は大きく広がりました。ラグビー部の活動の幅も大きく広がりました。
一方で、スタッフ内では分業が進み、セクションの仕事の割合が増大したことで軋みが生じた部分も正直あると思います。仕事が細分化されていくことで個々の仕事に対するモチベーションの維持が難しくなったり、個々の役割が見えにくくなったり。仕事が固定化されて不満が溜まったり、仕事量が偏ってしまったり。
まだまだ途上です。
スタッフの後輩の皆さんには、仕事の効率性だけでなく個人の思いややりがいにも配慮して、抱えすぎず、溜め込みすぎず、貪欲に、柔軟に、そして楽しく、スタッフ組織をアップデートし続けて欲しいし、組織全体として成長し続けて欲しいと思います。もしも力になれることがあればいつでもご連絡ください。これからOGとして未来の東大ラグビー部の飛躍を見守るのがとても楽しみです。
………とここまで、やや重めの文章を書いてきてしまいましたが、
これらよりももっと先に、ラグビー部のみんなに感謝しなければならなかったことがあります。
欠席しがちであった私に対してこれまで不信感や疑問等の感情を抱いた人もきっといるのではないかと思いますが(それはその人が誰よりも本気で部活に向き合っている証拠だと思います)、そんな中でも、私を部員の1人として受け入れていただいたということです。本当にありがとうございました。特に最後の1年間では、休部明けの私にも最高学年だからこその難しさとやりがいと楽しさを感じる機会をくださり、とても感謝しています。復帰後、何の文句も言わず休部中の変化のキャッチアップを手伝ってくれたり、普通に話しかけてくれたり、気遣っていただいたり、そういった小さな行動が心に沁みましたし、復帰させてもらえる環境があること自体が、とても有難いことであるのだと気付きました。
私はこれまで自分にフォーカスを当てすぎており、自分の状況や感情ばかりに目が向き、周りの人々へ感謝の気持ちを持つことを忘れてしまっていました。
それを踏まえて、ここで特に感謝(と謝罪も)を伝えておきたい5人がいます。
部活でも部活以外の場でも、大学生活の一番多くの時間を共に過ごしたのが同期女子スタッフの5名でした。長いリレー日記になってしまいますが、5名1人ずつに改まって何かを伝えることができる機会は滅多にないと思うので、この場をお借りして書いていきたいと思います。もう少しだけお付き合いください。
若菜ちゃん
4年間、ほぼ毎週のように泊めてくれてありがとう。部活で悩んだ時も、病気が辛かった時も、若菜ちゃんはいつも近くで支えてくれた存在で、何回感謝してもしきれません。若菜ちゃんの包容力と人柄の良さは段違いです。神泉の家では、私が泊まりに行きすぎて一時期家主の若菜ちゃんよりも若菜家での滞在時間が長かったことは良い思い出です(その節は大変ご迷惑をおかけしました、、)。若菜家でお鍋を食べつつ映画やyoutube鑑賞をするオフが大好きでした。最近は、就職先の初期配属で地方に行くかもしれないと不吉なことを言う彼女ですが、勝手に地方に消えられてしまったら悲しすぎます。若菜ちゃんの初期配属がどこであっても、必ず遊びに行きますし、今度は是非私の家にも泊まりに来てくださいね。
鵜飼
財務や会報など、沢山の仕事を一緒にこなしてくれました。あまりリーダー気質ではなかった私にも辛抱強く付き合ってくれてありがとう。鵜飼のどんな仕事にも妥協せず丁寧に取り組む姿勢をとても尊敬しています。鵜飼とは行き帰りが一緒になることが多く、道中に雑談したり、一緒に授業を受けたり、そんなたわいのない時間がとても名残惜しいです。部活についての悩みは個人的に共感できる部分が多く、何度も力をもらいました。4年生では長かった院試受験勉強と部活の両立生活、私には想像できないほどきっととてもとても辛くて大変だったと思います。見守るばかりで十分に力になってあげられなくてごめんね。鵜飼はきっと立派な法曹になると思うので、将来私が困ったらどうか助けてください、、。
えのき
広報と、食べ物(主に差し入れ)に対する情熱が群を抜いているえのきは、4年間を通していつも私に刺激を与え続けてくれました。彼女は自身がものぐさな性格であると常々言いますが、私は彼女のメールに対するレスの速さにいつも圧倒されていましたし、緻密な写真加工や動画編集を忍耐強くこなす姿勢は誰にも真似できないものであると思います。えのきと一緒にグッズ製作やグッズ販売ができたことは、私にとってとても大切でかけがえのない経験になりました。彼女とは一緒に勉強したり作業したりすることが多く、水曜日の午後渋谷や5号館で過ごす時間がなくなるのがとても寂しいです。部活に関する話も沢山聞いてくれてありがとう。来年からは職場が近いみたいなので、是非是非仕事帰りにご飯とか行きましょう。
かわはる
かわはるの気遣いや思いやりは、何度も私の心を温めてくれました。小さな言葉がけでも本当に嬉しかったです。本当にありがとう。部活外では、泊まりに行ったこと、神社巡りをしたこと、コストコに行ったこと等、どれも懐かしい思い出です。思っていればいつか伝わる、というのは幻想で、気遣いも思いやりもその手間を惜しまず言葉や行動にしなければ伝わりません。メディカル長やコロナ対策大臣の仕事を通じてプレーヤーからの信頼も厚いかわはるの最も尊敬する部分は、彼女が人のための手間や苦労を決して厭わない点です。同期なのに助けてもらうことばかりで、彼女の背中はいつも私のずっと先にありました。残り期間僅かですが、かわはるの良さを少しでも多く盗めるように頑張ります!笑。
あしゃ
4年間を通じて(特に後半の2年間)、個人的に一番迷惑をかけたのがあしゃなのではないかと思っています。試合時の仕事割の調整やアフターの割り振り、普段の練習での配慮や練習外での気遣い、そして私から見えない部分でも、きっと沢山困らせたと思います。本当にごめんね。あしゃがいなかったら、私はもっと前に部活をやめてしまっていただろうと思います、ありがとう。スタッフ長としてスタッフ組織を引っ張りつつ、大西さんや首脳陣と連携して部のマネジメントを統括するというとても大変な仕事を抱えていても、あしゃは同期や下級生に対する気配りを常に忘れようとしませんでした。彼女の人を圧倒するキャパシティーとリーダーとしての素質は、卒部した後就職先でもきっと輝くだろうと確信しています。
沢山の反省と沢山の学びのある4年間でした。
最後まで4年生になりきれなかった私を見離さないただき、ありがとうございました。そして、東大ラグビー部の活動を支えてくださった沢山の皆様、本当にありがとうございました。幸いなことにまだ2試合控えておりますので、そちらもどうぞ応援よろしくお願いいたします。
繰り返しになってしまい恐縮ですが、4年生としての最後の1年間で思うように部に貢献できず、多大なる迷惑をかけてしまったことを最後にもう一度謝罪いたします。
ラグビー部得た経験を糧に、人生の次のステップに進みます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
次は、数々の伝説や武勇伝の持ち主である若菜ちゃんに繋ぎます。若菜ちゃんはスタッフ内のムードメーカーとして、たとえ仕事が大変な時であっても、いつもスタッフの雰囲気を明るく盛り上げてくれました。
彼女はその裏表がなく親しみやすい(+たまに抜けている?)性格の故にいじられることも多いですが、実はとても懐深く、仕事ができ、真面目な側面も持ち合わせています。彼女の尽力無くしては今の栄養セクションはありません。外部折衝や部内調整、データ整理や数えきれないほどの裏方の仕事など、本当に沢山の苦労があったと思います。そのような中で彼女が積み上げてきた、多大なる部への貢献に敬意を表し、私のリレー日記を締めくくらせていただきます。
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