ブログ 2021/4

将来を見据えて[ラグビー部リレー日記]

 written by 佐川 正憲投稿日時:2021/04/09(金) 21:05

学科の話になるとまるで少年のように目をキラキラ輝かせて楽しそうに語る平岡からバトンを受け取りました、佐川です。平岡は最近どんどん体の一部がなくなっていくので心配です。今年度の新歓パンフレットのメンバー紹介ページで、業者の手違いで私の顔写真が安富の顔写真に置き換わってしまうという悲惨な出来事がありました。さらに私の紹介欄が安富の紹介欄の真下にあったため、尚更滑稽に見えました。しかし私と安富は瓜二つでないどころか真逆の存在であることを知ってほしいです。

3年生になって一層社会基盤の色が濃くなった学科の授業ですが、今のところ前期教養の頃とは違った心持で授業に臨むことができていると実感します。1、2年生時に履修した総合科目は自分の興味と点数の取りやすさで選んだものだったため、ほとんどの総合科目はモチベーションを維持することが容易でした。しかし3年生になってからは学科の授業を一通り取る必要があり、その中には初週受けてみてつまらないと感じたものも正直ありました。もし私のモチベーションが今までと同じだったなら、そのつまらない授業は取らないという選択肢を選んでいたかもしれません。しかし今の私は少し違います。自分の将来像を想い描いた時、そのつまらない授業は必ず役に立つもの、あるいは欠くことのできないものであると気づき、本腰を入れてその授業に取り組もうとする意識が芽生えるようになりました。

古市公威が土木学会初代会長に就任した際の演説で、彼は「本会の会員は技師である。技手ではない。将校である。兵卒ではない。すなわち指揮者である。故に第一に指揮者であることの素養がなくてはならない。そして工学所属の各学科を比較しまた各学科の相互の関係を考えるに、指揮者を指揮する人すなわち、いわゆる将に将たる人を必要とする場合は、土木において最も多いのである。」と述べています。指揮者であるためには枠組みにとらわれてはいけないと思います。すなわち、社会基盤学を習得するのはもちろんのこと、他学部他学科の素養を身につける必要もありえます。例えば途上国にインフラを導入する際、社会基盤の知識だけでなく、言語、プログラミング、現地の法律などの素養を身につけなければいけません。在学中にそれら全てを習得するのは困難ですが、将来を見据えて今のうちから可能な限り様々な分野に触れておきたい、平岡の言葉を借りるなら「探索」したいと思います。

次は最近調子が良い前川にバトンを回します。個人的には元早稲田のSH齋藤直人に似ていると思っているので今年の活躍に期待です。
 

深化と探索[ラグビー部リレー日記]

 written by 平岡 憲昇投稿日時:2021/04/08(木) 10:45

僕の母校とは対照的に中々校則が厳しめな学校出身の鵜飼からバトンを受けました、平岡です。僕の母校の自由エピソードを教えろと言われましたが、正式な校則自体が存在しない学校だったので何でもアリでした。僕の中での一番の自由エピソードは高3の最終授業後に出前をとって教室でピザパーティをした話が浮かびます。

4月に入り、3年の講義が始まった。僕は機械情報工学科といういかにも理系なところに進学したので講義も数学、物理、プログラミングといった、理系要素が非常に色濃くなっている。その中で、設計工学という講義で少し興味を引く話があったので紹介したいと思う。設計工学はその名の通り以下に優れた設計を実現するかという学問である。この設計というのは技術的なアプローチだけでなく、ユーザー側からはあまり挙げられていなかったことに気づく問題設定のアプローチや、全く新しい方法を用いて課題を解決する発想に関するアプローチなど様々な手法が求められている。ここで設計を行う際に大きく二つのベクトルがある。それが「深化」と「探索」である。深化とは一つ一つ積み上げて結論を導くような考え方で、探索とは今までと違うある意味飛躍的に結論を求める考え方である。このこと自体にどちらが良い、悪いということはないのだが、場面場面では結果的にどちらの考え方が正解だったのかということがある。講義中の例で挙げると、ウォークマンという製品は音楽を移動中にも手軽に聞くことができる、という当時はあまり挙げられていなかったニーズを見出してヒットした商品である。ここで面白いのはウォークマンが素晴らしいのは技術の点ではなく問題設定の点だったということだ。ウォークマンに必要な技術自体は既に存在していたのだが、音楽を外で聞くという発想が存在していなかった。仮に家に置くような音響装置をより高音質にしよう、という発想だけで考えていたらウォークマンは生まれておらず、今まで考えられていなかった点に目を向けるという「探索」的な思考が身を結んだ例である。ただし、このような成功例が多くはないのも事実であり、独創的すぎてヒットしなかった、むしろより高性能を求めるような「深化」的思考をするべきだったという事例も当然多い。

自分が今後どのようなキャリアを進んでいくかは分からないし、こんな理系的すぎる進路を取るのかは分からないがこの「深化」と「探索」というのは私生活に目を向けてもどちらも欠けてはいけない要素だと思う。深化ばかりで探索を全くしないのはあまりにもマンネリ化してつまらない生活であるし、逆に探索ばかりして深化をしなければ表面だけ取り繕って何がやりたいか見えてないようなことになりそうだ。ただ、今自分は大学という探索に打ってつけの環境にいながら深化だけをしているように感じる。社会に出てから新しい趣味を見つけたり新しい環境に入ったりというのは可能なのかもしれないが、今とは違って様々な制約があるだろうし時間も多くないだろう。やはり探索をするなら今だと思う。今の時点では何もアイデアはないのだが院生まで残り2年の中で何か1つ新しい価値を自分の中に作り出せればそれは自分の大きな財産となってくれるのではないか。

次は安富と瓜二つな佐川にバトンを渡します。

自由と責任[ラグビー部リレー日記]

 written by 鵜飼 丹郁子投稿日時:2021/04/05(月) 11:24

私を名前で呼ぶ数少ない部員の1人であるいしけんさんからバトンをいただきました、3年の鵜飼です。ご存じない方も多いと思いますが、実は丹郁子と書いてたかこと読みます。仕事人の名にふさわしい人間になれるように、一生懸命頑張りたいと思います。ラグビーについてたくさん教えてください。

 

昨年から猛威をふるっているコロナウイルスの影響で、私たちの生活にはたくさんの制限がかかるようになった。それにより、日々の生活が非常に不自由なものだ、と感じた人あるいは感じている人も多いことだろう。私も、本来であれば友だちとたくさん遊ぶはずだった大学生活が、家でオンライン授業を受けるばかりで、家族以外の人とほとんど会わないという退屈な日々になってしまったため、不自由になったな、と思わずにはいられない。しかし、おそらく多くの人よりは不自由さを感じていないと思う。それはなぜかというと、私のこれまでの学生生活では、ありとあらゆることを制限されていたからである。平たく言えば、校則がとても厳しかったのである。
 

私の母校は、カトリックの女子校で、生徒に修道女のような質素な生活を送らせることを是とする学校である(と少なくとも私は思っている)。したがって、服装や持ち物に対して、他の学校ではないような校則が多数存在する。

たとえば、髪型。肩についたら必ず結ばなければならない。(小学校では肩についたら二つ結び、肩より伸びたら三つ編みという決まりだったので、これでもすごく緩い気がしていた。)また、学校指定カバン以外の持ち込み禁止。ちょっと荷物が多いときに紙袋を持っていくのも原則禁止である。そして、携帯電話の持ち込み禁止。これは、他の学校でもありうる規定だが、問題なのは持ち込めるのが学校に届け出を出したキッズケータイのみだという点である。高校生にもなって、連絡先を3件しか登録できないキッズケータイをもたされるというのは、あまりに恥ずかしい。別にそこまでしなくても、学校に居る間携帯電話を預かるといった別の措置をとってくれればいいのに、と在学中何度も思った。さらに、傘や髪ゴムなどの色の指定。原則紺でなければならず、黒か茶でも可。髪ゴムはまだしも、傘で紺色のものを探すのは至難の業である。みんな大体無印○品の男物を持っていた。ビニール傘でもないのに、自分のものがどれかわからなくなることがとても多かった。ちなみに、ビニール傘も禁止である。

ここまででもかなり理不尽であると思われるだろうが、私がいちばん理不尽だと思うのは、マフラーに関する規定である。まず1つめは、マフラーは華美でないものに限り着用できる、というものである。一応、許される色の列挙がその後なされていたとは思うが、あまりに抽象的である。そもそも華美という単語に耳馴染みがないだろう。華美とは、「はなやかで美しいこと。また、はなやかすぎて不相応なこと。また、そのさま。派手。」という意味である(出典: デジタル大辞泉)。つまり、ここで言う華美なものとは、学生の身分に不相応な派手なものを指すと思っていただければ良い。では、“華美なマフラー”とは、どのようなものだろうか。おそらく、普通の中高生が持っているマフラーで、華美に該当するものはほとんどないだろう。まあ、強いて挙げるとするならば、すごい蛍光色の柄物とか、スパンコール付でキラキラを通り越してギラギラしたものとか、そのぐらいのものだろうと思う。いまのところ、そんなマフラーをつけている人を見かけたことはないけれど。しかし、実際には、紺地に赤のチェックが入っているマフラーも華美だとしてこの規定に引っかかる。(これは私の実体験なのだが、この経験を塾で話していたら、他校の学生が一斉に振り返り私のマフラーを凝視していた。)色の指定以外に、マフラーに関する規定はもう一つある。それは、ボリュームのあるものは不可、というものである。またしてもとても抽象的な基準である。この曖昧さにより、同じマフラーでも、先生によって許されたり許されなかったりしていた。さらに、この規定で却下されるのは、スヌードやネックウォーマー、もこもこしたあたたかいマフラーである。つまり、防寒性に優れたものは身につけられないのである。これは本末転倒である。防寒性の低い防寒具により、受験直前にもかかわらず風邪を引くんじゃないか、と高3のときはとても心配していた。やはり、数々の校則がある中でも、マフラーに関する規定が最も理不尽である。

 

ここまで、私の母校の厳しすぎる校則を紹介してきたが(今は廃止された規定もあるかもしれない、あくまで私の在学時の話である)、学校生活は決して悪いことばかりではなかった。いろいろ厳しくされたおかげで大抵の制限には動じなくなったし、礼儀も身についた。良い友だちもたくさんできた。在学中は、自由がなく息苦しさを感じていたが、今になって考えれば、あらゆることを決めてもらっていたことで、それに従っていればよく、とても楽だったと思う。

一方、大学生になり、ものすごく自由になっている。好きなものを制限なく身につけられるだけでなく、授業も自分のやりたいものを選択することができる。ラグビー部でも、自分のやりたい仕事をやらせてもらえている。本当にありがたい話である。しかし、同時に責任も伴う。自分のやることには自分ですべての責任をとらなければならない。自由を得るには責任を果たすことが必要なのである。

 

今年私たちはスタッフの最高学年になる。今まで先輩方に頼ってきたことを、自分たちの力でやり遂げなければならない。しっかりと上級生としての責任を果たしつつ、チームの勝利に貢献できるよう、一人ひとりの個性を活かして自由に活動を行っていきたい。

 

 

長文になってしまいましたが、最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

次は、かなり自由なイメージのある麻布高校出身の平岡にバトンを回します。自由な学校というのはどういうものなのかすごく興味があるので、自由だなと思ったエピソードなどあれば教えてほしいです。また、彼は本当にみんなに愛されているので、とても羨ましく思っています。

誰かのレコメンド[ラグビー部リレー日記]

 written by 石田 健太郎投稿日時:2021/04/03(土) 18:30

影の権力者である原ちゃんからバトンを受け取りました、4年の石田です。

 

つい先日会報の寄稿でラジオについて語ったばかりですが、懲りずにまたラジオの話をします。春の番組改編でラジオ界隈が軽いざわつきを見せており、ますますラジオ漬けの生活が加速しそうな予感がしております。

さて、ラジオ番組に欠かせないものといえば、音楽です。番組のパーソナリティーがその日の気分に合わせてかけることもあれば、リスナーからのリクエストに応えてかけることもあります。あまり音楽に詳しくない僕でも、自分の好きな曲が流れれば嬉しくなりますし、名前だけ知っていた程度の曲に今更どハマりしたり、今までの自分なら耳にもしなかったであろうジャンルの名曲に遭遇したりすることもあります。radikoCMのフレーズを借りるならば、誰かのレコメンドに毎日触れることができるわけです。

音楽は、人の心に寄り添ってくれるものだと思います。なんだか落ち着かせてくれる曲、聞いているだけで気分が上がる曲、耳触りの良いリズムやリリックが癖になる曲、本当にいろいろな曲との出会いが、自分の心に寄り添い、背中を押してくれるように思えます。そして、その出会いの積み重ねが自分の人生を豊かにしてくれるような、そんな気がするのです。

少し大袈裟な表現だったかもしれませんが、音楽、特にラジオの音楽にはそれだけのエネルギーがあると思います。時々このエネルギーに助けられながら、最高学年としてラストシーズンを突っ走っていこうと思います。

 

次は、ハイパー仕事人のたかこです。人手不足気味の分析セクション、非常に助かっております。

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深化と探索
2021/04/05(月) 11:24
自由と責任
2021/04/03(土) 18:30
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