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Bench Press[ラグビー部リレー日記]

 written by 本多 直人投稿日時:2024/12/21(土) 18:18

辻からバトンを受け取りました、4年の本多です。3年前の京大C戦で1番と3番としてデビューしてから、辻とは多くのスクラムを共に組んできました。先輩たちから、自分たちは「辻の代」だといじられるほど、常に話題の中心にいた辻に、なんやかんやでいつも楽しませてもらった気がします。彼の最後のリレー日記を読んで、こいつ大丈夫なのかと心配になった人もいるかも知れませんが、安心してください。母に買ってもらったアルマーニで全身を包み、怖がりでジェットコースターに乗れず、酔っ払うといつも以上に面倒くさくなる。彼はそんなかわいらしい人間です。誰よりも涙もろく、そして実は誰よりも仲間思いな辻の最後の勇姿を、暖かく見守ってくださると幸いです。





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幼稚園のころ、母が作ってくれるお弁当にはいつも梅干しが入っていた。

とても小さくてカリカリとしたその梅干しは、幼稚園生が食べるにはあまりにも酸っぱく、自分はどうしてもそれを食べることができなかった。昔から食べることが大好きで、「好きな食べ物は?」と聞かれたら、「全部!」と答えるような子供だったけれど、唯一梅干しだけは今も苦手なままだ。

幼稚園では、食べ終わった人は先生のところに弁当箱を見せにいき、空っぽであることを確認してもらうことになっていた。母はいつも「これは殺菌用に入れてるだけだから食べなくていいよ」と言っていたけれど、先生にはそんな言い訳は通用しない。

そこで自分はいつも梅干しを弁当箱の隅に押し込み、他のゴミで蓋をして、隠して先生に見せていた。なぜなら、誰よりも早く弁当を食べ終わることに必死だったからだ。1番になるためには、苦手な梅干しと格闘している時間などなかったのだ。



小さい頃の自分は、なんでもかんでも1番にならないと気が済まなかった。テストの点数はもちろん、楽器の演奏や図画工作だって誰よりもよい評価を貰いたかったし、実際頑張ればある程度そつなくこなすことができた。毎日誰よりも早く給食を食べ終わっていたことは言うまでもない。中学校に入っても、負けず嫌いで出たがりの性格は変わらず、3年間学級委員をやり続け、生徒会にも入った。成績は常に学年トップだったし、国語の課題でやった弁論で学校代表に選ばれたり、美術で作った彫刻が市民ミュージアムに展示されたりしたこともあった。



高校に進学する際にも当然、3年間勉強だけをして終わる気はさらさらなかった。そこで自分が目をつけたのがスポーツだった。中学校でも部活には入っていたが、本気で勝ちにこだわる環境に身を置いたことはまだなかった。偏差値よりも、「文武両道」を掲げる校風に惹かれて川和高校へと進学した。



選んだのは中学校でも入っていたハンドボール部。全国的にも有名な鬼監督の指導のもと、公立高校で未経験者も多い中、毎年県の上位に食い込んでいくチームだった。監督のコネで全国レベルの強豪校とも試合や練習ができる環境が整っており、ここならスポーツでも上を目指すことができると思った。



しかし現実はそう甘くは無かった。



待っていたのは今までに体験したことのない世界。5時に起きて朝練をして、午前中の授業の合間に早弁をして、昼休みに練習して、放課後も夜まで練習して。年末年始の休みは31日と1日だけ。当然授業も寝てばかり。常に監督の怒号が飛び交う中で、自分はただ練習についていくだけで精一杯だった。なかなか試合に出ることもできず、気づけば同期の中で、最も多くの時間をベンチで過ごした選手になっていた。



普通に頑張るだけじゃどうにもならない「スポーツ」という世界。どんなことでも1番になれると思っていた自分に突きつけられた負け組の現実。そんな自分を認めたくない防衛本能からか、悔しい、負けたくないという感情をだんだんと失っていった。そして、ただ日々の練習をこなすことそのものに価値を感じるようになっていった。つらい練習を乗り越えた仲間と馬鹿話をして笑い合う。そんな日常に救いを求めた。あれだけ負けず嫌いだった自分はもうどこにもいなかった。試合に出られなくて感じるのは、悔しさではなく、みんなと同じ場にいられないことに対する、疎外感や寂しさといった諦めにも似た感情だった。



東京大学運動会ラグビー部。

最後の学生生活でもう一度スポーツに打ち込みたい。

新しいことに挑戦し、何かを成し遂げたい。



自分はそんな熱い思いを持って入部を決めたわけでは決してなかった。



高校で部活を引退した時には、つらい練習や惨めな思いはもう懲り懲りだと思っていた。大学ではチャラチャラしたサークルにでも入って、いわゆる「普通」の大学生活を送ろうと考えていた。ただ一方で、「部活」という空間自体は好きだったし、長い時間を共に過ごした仲間と一緒にいることはとても居心地が良かった。結局大学でもそんな環境が恋しくなり、部活に入ることに決めた。ラグビーを選んだのにも大した理由はなく、怠惰な浪人生活でまるまると肥えた身体を見た先輩たちに、才能があるとおだてられたからに過ぎなかった。ラグビー部が強いなんてそれまで聞いたこともなかったし、東大の部活なんて大したことないだろう、自分でもついていけるだろう、そう高を括っていた。



入部してからの生活は楽しかった。常に監督の目を気にしていた高校時代とは違って、のびのびと練習することができた。早食いを極めていた自分にとって、体重を増やすことは苦でもなんでもなかった。個性豊かで面白い同期に恵まれ、充実した日々を過ごしていた。その一方で、いつかまわりに置いて行かれてしまうのではないかという不安もあった。OB、OGによる手厚い支援、美しい人工芝のグラウンド、プロのコーチによる指導。そして、高い志を持った部員たち。入部前に想像していたのとは違い、東大ラグビー部には高い目標を目指すことのできる環境がしっかりと整っていた。そしてなにより、試合に出ることが怖かった。どんな相手にも負けたくない、誰よりも上手くなって活躍したい、そんな気持ちを持たずに入部した自分にとって、重い身体を引きずって走り続けなければいけないラグビーの試合は、ただただ苦しいだけの作業だった。早くスイカを着て試合に出たいと息巻く同期たちの中で、自分は内心、ずっとジュニアの気楽な生活が続いてくれればいいのにと思っていた。



2年生の夏、左膝の前十字靭帯を断裂した。コロナにかかってしまったこともあって手術が遅れ、そこからまるまる1年間DLとしてリハビリ生活を送ることになった。診断結果を伝えられた時のことは今でもはっきりと覚えている。自分の周りだけ時が止まり、音がなくなってしまったような、あの奇妙な感覚を忘れることは、これから先もきっとないだろう。そこからの1年間、DLとしてみんなと異なるタイムラインで部活に参加する中で、自然と、練習後の談笑に混ざったり、一緒に昼飯に行ったりすることが少なくなっていった。ラグビー部の中で、自分の居場所がなくなってしまうのではないかと恐怖を感じた。練習のたびに誰かが怪我をすることを期待している自分がいた。新しくDLに誰かが入るたびに、表面上は心配しながら、心の中では一緒にトレーニングできることを喜んだ。その間は、がむしゃらにバトルロープやワットバイクに打ち込んだ。まわりはそれを見て、頑張ってるなと声をかけてくれたが、むしろ何もせずに練習を見ていることの方が辛かった。少なくとも身体的に自分を追い込んでいる間は余計なことを忘れられたし、一時的な達成感を得ることができた。



その一方で、どこかで安心してしまっている自分もいた。少なくともDLの間は試合に出てしんどい思いをしなくて済んだ。そして怪我をしたことで、逃げるための口実を作ってしまった。未経験者で入部したのに、1年間も遅れをとってしまったら、スイカを着れずに終わってしまっても仕方がないだろう、と。自分の中で、諦めるための大義名分ができてしまっていた。



そんな中でモチベーションになっていたのは、ウエイトトレーニングだった。ラグビーやハンドボールと違って、ウエイトは頑張れば頑張るだけ成長し、すぐに結果として帰ってきた。特にベンチプレスに関しては才能があった。人よりも腕が短い歪んだ骨格はベンチプレスに適しており、2年生の時点ですでに部内で一番の強さになっていた。もしベンチプレスがなかったら、もし膝ではなく上半身の大怪我をしていたら、今の自分はいなかったと思う。対抗戦Bにおいて、そして100年を超える東大ラグビー部の歴史において、自分よりもベンチプレスが強い人間は存在しないだろう。そのことは大きな自信につながった。



3年生の夏、練習に復帰した。当時チームは新ルールに対応するためにシングルタックルを導入しているところで、ブランクのある状態でもすんなりと合流することができた。なにより、久しぶりにみんなと練習ができることが嬉しかった。もう少しだけ頑張ってみるか、そう思った矢先に足首を捻挫した。復帰してから2週間かそこらの出来事だったと思う。それほど重い怪我ではなかったが、その後の夏合宿では1日も練習に参加することができなかった。合宿後に復帰した時には、Bチームにすら自分の名前はなかった。みんながADをしている中、自分はグラウンドの端で1年生とコンタクトの基礎練習をしていた。



対抗戦に向け、それぞれが気持ちを作っている中で、誰にも相談することはできなかったが、当時の自分はプレイヤーを辞めることを真剣に考えていた。S&Cのスタッフになって、4年生になったら主務でもやろうと思っていた。自分にとって試合に出て活躍することなどどうでもよかった。ただこの部活に居場所が欲しかった。プレイヤーではなく、違う道でチームから認められるようになろうと思った。



対抗戦第3戦、成城大学戦。思いがけず転機が訪れた。前節の一橋戦での不運なレッドカードによってあきおが出場停止になり、自分がリザーブに入ることになった。16ヶ月ぶりの復帰試合が、まさかの対抗戦デビュー戦。そんな自分がメンバー入りしなければならないほど、チームのフロントロー不足は深刻だった。5分にも満たない出場時間だったが、5回連続してタックルに入って、プレーに参加することができた。初めてラグビーの試合が楽しいと思った。チームメイトや応援に来てくれていた先輩たちが、おめでとうと声をかけてくれた。初めてもっと試合に出たいと思った。



結果的にこの年は残りの対抗戦全てでメンバー入りをして、日体大戦、武蔵戦ではスタメンとして試合に出ることができた。決して実力で勝ち取ったポジションではなかったし、ついていくのに必死でチームのことを考える余裕などなかったけれど、今できることは全てやろうと思うようになった。もう2度と怪我をしないように、身体のケアを徹底した。睡眠の質を高めるために、1時間前から電子機器を断ち、ストレッチとマッサージの時間にあてるようになった。ラグビー理解力を高めるために、隙間時間で試合を見るようになった。最後の京大戦では、スイカを着て80分間通して出場し、長い部活人生の中で初めて、自分が出た試合で涙を流した。こんな自分を信じてくれたチームに恩返しがしたかった。先輩たちを勝利で送り出したかった。それができない自分が不甲斐なかった。



4年生になって、S&Cセクションの長に就任した。チームの中で自分の明確な役割ができたのは嬉しいことだった。相変わらず試合ではしんどい思いがほとんどだったけれど、スクラムは楽しかった。ウエイトと同じで、スクラムも組めば組むだけ成長し、強くなっていくことを実感できた。大きな怪我もなく、春シーズンは全ての試合にスイカを着て出場することができた。今年のチームならば必ず入替戦に行けると信じていたし、その目標達成のために貢献したいと思っていた。あきおがアキレス腱を断裂した時、自分がその代わりにならなければと思った。せめてあきおが戻ってくるまでの間だけでも、東大の3番を守り続けることが4年生としての責任だと思った。



そんな中で、自分の足を引っ張ったのは、他でもない自分自身だった。今年1年はとにかく自分との戦いだった。



まわりについていくことだけに必死だった去年とは違い、今年は、冷静に自分自身を見つめ直すことのできる時間が増えた。そしてそのことが逆に、現状に満足している自分がいることを気づかせてしまった。高校時代の長いベンチ生活。そして、1年間のDL生活。その時に感じた、疎外感、無力感。もうそんな惨めな思いはしたくない、周りに置いて行かれたくない。それが自分の原動力だった。それは常に、マイナスからゼロを目指す作業だった。負けず嫌いだったあの頃のギラギラした自分は、もう戻ってこなかった。いいプレーをして、チームを勝利に導く。試合に出たその先にある、ゼロからプラスを生み出す行動。そのためのモチベーションの作り方を、自分は思い出すことができなかった。



それまでの部活人生で得たものといえば、自分を納得させるための言い訳作りが上手くなったことだけだった。現実を知り、諦めることを覚え、悪い意味で大人になってしまった。



頭で考える理想に、心がついていかなかった。常に自分の中に、矛盾を抱えていた。今日はいまいち練習に身が入らなかったな、今日はこなすだけのウエイトをしてしまったな、そんなことを思う日が去年よりも多くなった。本当に入替戦にいきたいと思っているのか分からなくなる時があった。鵜木に3番を奪われた時も、やっぱりダメだったかという諦めの気持ちが先行した。チーム状況的に、メンバーから外されることがないことは分かっていた。試合に出ることができるなら、スタメンでもリザーブでもどっちでもいいと思っている自分がいた。



今シーズン、試合に負けて、何度も涙を流した。1点差で敗れた国公立大会決勝の学芸大戦。ターゲットマッチに定めていた山中湖での慶應戦。そして、成蹊戦、明学戦。その度に、チームの勝利に貢献できなかったことへの、不甲斐なさ、申し訳なさでいっぱいになった。怪我で苦しみながらも、試合後にみんなの前に出て言葉を紡ぐ寿太郎の姿を見て、心が引き裂かれそうになった。自分の中のくだらない感情に振り回され、純粋に勝利だけを追い求め続けられないことで、激しい自己嫌悪に陥った。もしかしたら、これらも一種の悔しさと呼ぶことができるのかもしれない。けれど自分はそれをエネルギーに変え、行動に移すことができなかった。そこから目を背け、それまでと変わらない日々に戻るほうが、はるかに楽で簡単だった。





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村を一歩出た瞬間からもう捨てたはずだ”平穏”や”安全”なんて・・・!!

毎日命はって生きてるからあいつらは本当に楽しそうに笑うんだ!!

だからおれは海へ出ようと決意した!!

あいつらみたいにめェいっぱい笑いたくて!!

今ここで全力で戦わなかったおれにあいつらと同じ船に乗る資格なんてあるはずもねェ!!!

あいつらと本気で笑い合っていいはずがねェ!!!





漫画ONE PIECEにおける主要キャラの1人、ウソップのあるワンシーンです。



臆病で見栄っ張りで、いつもは逃げてばかりのウソップだけど、仲間がピンチの時には、どんな強大な敵にも立ち向かいます。高校時代に、一度は諦めたスポーツの世界だったけれど、この4年間で、昔の負けず嫌いだった自分を取り戻し、挑戦する楽しさを思い出すことができました。ラグビーの試合は怖かったけれど、仲間のことを思うと、どんな相手にも向かっていくことができました。明学戦で、スクラムペナルティからモールでトライを取って逆転したことは、僕の人生で最高の思い出です。歴史に残る入替戦出場を果たした代の一員になれたことを、とても嬉しく思います。ルフィやゾロにはなれなかったけど、ウソップくらいにはなれたかな。



最後はそんなリレー日記を書くつもりだった。



そんなリレー日記が書きたかった。



けど書けなかった。



すでに最後のリレー日記を書き終えた4年生、そしてこれから書く4年生もきっと、それぞれ形は違えど、ラグビーという競技と、今年の東大ラグビー部というチームに真剣に向き合っていた。自分はいったいどうだっただろうか。



3年末の学年ミーティングで、皆が思いを語る中、それをどこか他人事のように聞いている自分がいなかっただろうか。怪我をすることの苦しさ、試合に出られないつらさを、人一倍知っていたはずなのに、同期や後輩が苦しんでいる時、何か手を差し伸べることができていただろうか。本当の意味でのチームの一員、本当の意味での「仲間」になることができただろうか。そこそこ練習して、ちょろっと試合に出て、あとはみんなとわいわいやってるだけで満足の、ただ自分が傷つかず、楽しければそれでいい、ちっぽげなオナニー野郎にすぎなかったのではないだろうか。



最後の対抗戦になった武蔵戦。入って1本目のスクラムで、自分がコラプシングをして、チームの勢いを止めてしまった。なぜか終わった時には、一滴も涙は流れなかった。その日からずっと、自分に問いかけを繰り返す日々が続いている。



残されたのはあと2戦。このまま引退を迎えてしまえば、これから先も、何も成し遂げることのない、つまらない人生で終わってしまうことだろう。この4年間は、いったい何のための4年間だったのか。その答えの欠片を掴み取るために、走り、当たり、闘う。





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最後までお読みいただき、ありがとうございました。思えばこのリレー日記というコンテンツも、4年間の楽しみのひとつでした。自分が書く下品なリレー日記を、少なくともプレイヤーの皆さんには楽しんでいただけたようで嬉しかったです。みんなリレー日記を読むことは好きなのに、書く方になると腰が引けて、ありきたりな文章を書いてしまいがちな傾向があるように思います。自分が書くのはこれで最後になりますが、ぜひこれからも、リレー日記の文化を盛り上げていって欲しいと願っています。



加えてこの場をお借りして、お礼の言葉を述べさせていただきたいと思います。怪我から復帰した自分を厳しく指導してくださった大西さん。どんな試合の後でも固い握手を交わしてくれた一聡さん。いつも熱い檄を飛ばしてくれた青山先生。ウエイトと身体作りの楽しさを教えてくれた太田さん。選手の目線でサポートし続けてくれた原さん。怪我のたびにプレーするための方法を教えてくれた工藤さん。こんな自分を可愛がってくれた先輩方。こんな自分を慕ってくれた後輩たち。応援し続けてくれた家族。とてもここに名前を書き切ることはできませんが、4年間自分に関わってくれた全ての人に、心からの感謝を伝えたいです。本当にありがとうございました。



そして愛すべき同期たち。いつもは照れ臭くて言えないけれど、大好きです。これからも死ぬまで仲良くしてください。



次は我らがスタッフ三銃士の1人、もりぞーにバトンを渡します。会報セクション内で「改革女」の異名を取るもりぞーは、財務やメディカルでもその敏腕を轟かして東大ラグビー部を陰から牛耳っており、その仕事ぶりはOB・OGの方々からも一目置かれていたようです。派手な髪色がトレードマークな見た目とのギャップに、心を撃ち抜かれた部員も少なくないとか。日常的に会えなくなるのは寂しいけど、忙しい中でもたまに会ってください。

 

Vote[ラグビー部リレー日記]

 written by 本多 直人投稿日時:2024/10/24(木) 18:22

猿渡からバトンを受け取りました、4年の本多です。彼のことは心優しき大男だと思っていましたが、日常に対してとてもユニークな視点を持っていることを最近知ることができました。猿渡の学科もとても忙しそうなので一緒に両立頑張りましょう。


突然ですがここで問題です。これは、僕が住む神奈川県川崎市の選挙マスコットの画像なのですが、このキャラクターの名前は次のうちどれでしょうか。




 ① さきいかん

 ② かわさきいかのすけ

 ③ イックン
































正解は③の「イックン」です。

中学生のときに生徒会の企画でやった「ゆるキャラ名前当てクイズ」で同じ問題を出したことがあるのですが、なぜだかそのときは大きな笑いが巻き起こっていました。個人的にはキャッチーで可愛らしい名前だと思うのですが、思春期の感性はよく分かりませんね。


現在、第50回衆議院議員総選挙の真っ最中です。自分も昨日、期日前投票にいってきました。7月の東京都知事選でもそうでしたが、SNS等の盛り上がりを見ると、近年、世間の政治への関心というのは徐々に高まっているのではないかと思います。日本の選挙では投票率の低さがたびたび問題にあがりますが、今回はいったいどうなるでしょうか。

選挙に行かない人というのは、例えるならば、「今日何食べたい?」と聞かれて「なんでもいい」と答えるめんどくさい友達みたいなものだと思っています。そういう人に限って「じゃあラーメン食べに行こう」とか言うと、「ああでもラーメンの気分じゃないな」とか、後から色々文句を言ってきます。なんでもいいと答えた人は例えゲテモノ料理に連れて行かれようが黙って食べるしかないのです。

選挙も同じで、投票をしないということは、自分が収めた税金がどのように使われようが構わないと言っているようなものです。それなのに後から文句を言ってもどうにもなりません。場合によっては、「焼肉がいい」と答えたのに、ラーメンに行きたい人の方が多くてラーメンに行くことになってしまったり、あるいはいざ焼肉に行くことになったけど行ったお店が不味かったりすることがあるかもしれません。しかし少なくとも「ゲテモノ料理は嫌だ」くらいの意思表示はしておくことが大切なのではないかと思います。

ということで皆さんも投票にいきましょう。投票をするとなんか少しだけ気分が良くなります。


ちなみに最初に紹介した「イックン」ですが見た目によらず身長が2m15cmあります。生まれて初めてしゃべった言葉は「みんなで、いかないか。」だそうです。


次はフロント仲間の鵜木にバトンを渡します。鵜木はオフのたびに色々なところに旅行に行っているようで、その行動力がとても羨ましいなといつも思っています。選挙に関しては彼も色々と思うところがあるのではないでしょうか。

 

Jora[ラグビー部リレー日記]

 written by 本多 直人投稿日時:2024/05/11(土) 20:10

ガッツの代名詞モモカイからバトンを受け取りました4年の本多です。体重が伸びずに悩んでいるとのことですが、確かになりたいイメージが身近にあるというのは大切かもしれません。これからベイマックスなんかを推すようにすると、僕なんかより大きくなれるかもしれないのでおすすめです。

このリレー日記を書いている本日は最高気温26℃の夏日です。まだ5月も前半だというのに、こんなに暑くては夏本番はいったいどうなってしまうことやら。戦々恐々としている今日この頃です。

そもそも人間はどうして30℃程度で暑く感じてしまうように設計されてしまっているのでしょうか。寒さは服を大量に着れば耐えられますが、脱ぐ方には限界があります。多少低温に弱くなったとしても、もっと高温に耐えられるように人間は進化するべきだと思います。きっと急速な地球温暖化とやらで、環境の変化に我々の適応が追いついていないのでしょう。絵画にスープを投げたくなる気持ちも分かります。

しかし愚痴を言っていても状況は変わらないので、何か具体的な対策をとる必要があります。そこで自分がお勧めしたいことは(主に男性の方へ向けて)、上半身に何もまとわない状態、いわゆる「上裸」で生活するということです。先ほど、着る方はいくらでも着れるが脱ぐ方には限界があると言いましたが、まずは限界まで脱がないと何も始まりません。

状況によっては上裸よりも1枚何か着た方が涼しく感じる場合もあるとかいう説もあるようですが、そんなことは無視してまずは脱いでみましょう。肌に直接風が通ることで素早く汗を乾かすことができ、何より精神的な解放感によってさらに体感温度を下げることができます。

ただ非常に残念ながら、現代の日本においては、この上裸という必殺技は家の中などの限られた場所でしか使うことができません。自分はこの現状を変え、より広く自由に上裸になれる社会を作っていきたいと考えています。

まず大前提として、男性が公共の場で上裸になることはもちろん犯罪ではありません。例えば何かスポーツをする際には、現代においても公共の場で上裸になる例が多くみられます。水泳や相撲、ボディビルなどそもそも上裸がユニフォームとなっている競技もありますし、日常生活でも、上裸でランニングや体操を行っている人を見かけることがあると思います。ラグビー部においても、練習後にラグビー場を訪れれば、上裸でゴロゴロしている個体をたくさん見ることができます。

一方で、上裸になること自体は犯罪ではありませんが、誰かに通報されてしまった場合には、当然警察のお世話になることになります(なので上裸になる際はあくまで自己責任でお願いします)。法律で禁止されている場合はそれを変えれば良い話ですが、法律では認められているのに倫理的に難しい場合には、世間に浸透している価値観そのものを変えなければなりません。上裸に優しい社会を作るにはまだまだ先は長そうです。

上裸を解放するための1つの戦略として、自分が考えたのは「上裸をファッションにする」ということです。何万円もする高い服を買うよりも、何も着ていない状態の方がかっこよく見えるのであれば、当然皆そっちを選ぶようになります。海外では日本よりも上裸に対して寛容なイメージがありますが、その答えもフィットネス人口の違いにあるのではないでしょうか。まずは筋トレを広めることで、人間の生まれ持った肉体の美しさを世間に浸透させることが、上裸社会への大きな足掛かりになるのではないかと思います。体脂肪率30%近い自分が上裸で徘徊すれば付近の小学校に不審者情報の嵐が吹き荒れるでしょうが、誰もが惚れ惚れする肉体持っている人であれば、例え上裸であっても通報されることはないのではないでしょうか。バックスの誰かにかわりに実験してもらいたいです。

ちなみに僕の敬愛するプーさんは、上は赤シャツ下は丸出しで、上裸ならぬ「下裸」という非常に前衛的なスタイルで生活をしています。早く彼の境地に達したいものです。

次は2年生にして広報セクション長を務める仕事人、みくちゃんにバトンを渡します。対外広報はもちろんですが、部内に向けてもいつも試合や練習の写真を爆速で上げてくれて、とてもモチベーションになっています。いつもありがとう!!個人的に実はめちゃめちゃ面白い人なのではないのかと思っているので、とりあえず麻雀でもやりましょう。

Frequent[ラグビー部リレー日記]

 written by 本多 直人投稿日時:2023/10/03(火) 19:32

頼れるFWの兄貴分、我らが副将安冨さんからバトンを受け取った3年の本多です。期待に応えられるよう頑張ります。

 

前回のリレー日記では体重を増やすことの大変さについて書かせていただきましたが、今回はそれに伴うもう一つの悩みについて語りたいと思います。

 

体重を増やすために食べる量が増えると、必然的に増えるものがもう一つあります。それは排便の量です。入れる量が増えれば出る量も増える。極めてあたりまえのことです。

 

一方で、人間の直腸のキャパシティには限界があるので、量が増えるといっても、一度に大量に出せるわけではなく、結果的に頻度が増えることになります。自分の場合、朝起きて1回、朝食を食べて1回、家を出て駒場に着いて1回というハットトリックを決めるのが朝練前のルーティンになっていて、日中の分も含めると1日に5、6回はあたりまえです。

 

ここまではラグビーをしている人の中には共感してくれる人もいるかも知れませんが、自分の場合これに加えて、小の方も近いという体質を持っています。特に困るのが映画館で映画を観る時で、上映中に行きたくならないよう、始まる数時間前から体内の水分量を調節する必要があります。水分を抜きすぎても逆に喉が渇いて集中できなくなってしまうので、非常に繊細で難しい作業です。その他にも、長距離移動や睡眠などにも影響を及ぼので厄介です。

 

そしてこの2つの問題が合わさると、特に自宅にいる時に、さらなる威力を発揮します。どちらの頻度も高いということは、片方のタンクが満タンになった際、もう片方のタンクにもある程度の量がたまっており、放出可能な状態になっていることがほとんどです。そのため、かなりの確率で両方を同時に放出することになります。大をするついでに小もするという人は多くいると思いますが、自分の場合、小をしに行ったはずなのになぜか大をして帰ってくるという奇妙な逆転現象が起こってしまうのです。これによりどちらの回数も爆発的に増加してしまいます。幸いなことにこの現象は、する場所が分かれている家以外の場所では起こりえません。また、自分はウォシュレットを使わないので、するたびに何度も拭くことになり、その結果、、、、。

これ以上は自重することにします。

 

低俗な文章になってしまい大変申し訳ありませんでした。携帯をいじりながら食事中にこの文書を読んでしまった人は、マナーが悪いので自業自得です。反省してください。

 

次は1年生スタッフの福島優ちゃんにバトンを渡します。優ちゃんをはじめ今年の1年生スタッフは皆成長が著しく、すでに部に欠かせない存在になっています。いつも本当にありがとう!!こんなリレー日記の次に回してしまって申し訳ないです。

220lbs[ラグビー部リレー日記]

 written by 本多 直人投稿日時:2023/02/12(日) 18:29

バトンを受けとりました、新三年の本多です。怪我のことを含め、岩下さんにはいつも本当にお世話になっています。最近練習に入っている姿がとてもモチベーションになっていて、一緒にプレーする日が楽しみです。




ラグビーにおいて体重はとても大切だ。体重の重さはそのままコンタクトやスクラムの強さに直結する。現代の日本においては太っている人よりも痩せている人の方が好意的に捉えられることが多い。楽に痩せられるとうたったダイエットがバズり、ただのガリガリが細マッチョと呼ばれ賞賛される。しかし、ラグビーでは違う。体重が重ければ重いほど正義となる。時代の流れに逆行するイカれたスポーツだ。
 

新シーズンからS&Cリーダーとなり、体重について考えることが非常に多くなった。チーム目標を達成するために増量に励んでいる皆に声をかける一方で、肝心の自分自身は膝の怪我のせいで自由に体重を増やすことができず、非常に歯痒い思いをしている。いつも煽ってくる某G君に何も言い返せないのが非常に残念だ。早くタンクトップだけでなくラグパンも似合う男になりたいものです。
 

ラグビー部に入って改めて感じたことは、やはり体重は減らすよりも増やす方が実は難しいのではないかということだ。入部する前のある時期に自分もダイエットをしていて、3週間で8キロほど落とした経験があるが、正直ただ痩せるだけなら運動して飯を食わなければ誰にでもできる。しかし増量はそう簡単にはいかない。特に日々激しい練習をこなしながら体重を増やすには並外れた努力が必要だ。一日に何食もお腹がパンパンになるまで食べ、練習中にも吐き気と戦いながら食べ、そうやってやっと増量することができる。維持するだけでも大変で、ちょっと風邪をひいただけで、すぐに2、3キロ持っていかれてしまう。お金だってかかるし、骨や靭帯に負担がかかって怪我もしやすくなる。
 

「100キロを超えるのは才能だ」という言葉をちょくちょく耳にすることがある。簡単に調べてみたところ、日本人男性の中で体重100キロ以上の人はおよそ1%以下らしい。これはすごいことだ。ひと昔前に「三高」なんて言葉が流行ったそうだが、上位1%といえば、学歴でいえば東大、京大レベル、身長でいえば185cm以上、収入でいえば年収2000万円以上におおよそ相当する。増量のための努力を評価すれば、体重は一種のステータスとして見ることもできる。体重100キロ超えというステータスはこの世に蔓延るあらゆるマウントを破壊するのだ。

 

とは言ってみたものの、正直ラグビー以外の日常生活で体重が重くてよかったことなどひとつもありません。あらゆる動作に倍のエネルギーを使うし、電車で座る時なんか横の人に非常に申し訳ない気持ちになります。引退したらさっさと痩せて、ビーチとかでブイブイ言わせたいです。


 

次は最近ハーフの練習をしている永安にバトンを渡します。FWの自分としては少し寂しいですが、どうやら彼は天才的頭脳の持ち主らしいのでこれから楽しみです。

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2025年1月

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