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明日の足し算[ラグビー部リレー日記]

 written by 伊藤 若菜投稿日時:2020/07/11(土) 13:22

同期の玉代勢から何とも耳の痛い(?)紹介をしてもらいました2年スタッフの伊藤若菜です。彼はたからさんのおっしゃる通り渋谷生まれ渋谷育ちの超絶パリピ人間として部内で幅を利かせていますが、私は彼があわせ持つゆるっとした雰囲気が大好きです。
ちなみに好きな食べ物は散々迷いましたが、やっぱり人と一緒に食べるご飯が何よりおいしいなあと最近つくづく思います。(答えになってなかったらごめんなさい)

さて、自粛期間も早いものでもう4ヶ月ほどになります。せっかくの2Sで本来ならあんなことやこんなことも出来たはずなのになあ…と思わないこともないですが、やはり皆さんおっしゃるようにこういう時だからこそできることも確実にあって、今回はこの自粛期間中に私ができるようになりつつあることが一つあるのでそれについて書こうと思います。



自粛期間が始まってしばらくした頃から、いつのまにか常に意識していることがあります。それは、「明日の自分のために頑張る」というものです。何を頑張るのかというと、今日やらなかったら明日の自分が後悔するであろうことを明日の自分のために今日頑張るのです。これは私が思いついたのではなく、おそらく色々なところで言われていると思うのですが、ありきたりなようで私のやる気を引き出すには最適の言葉です。

具体的に日々どのようなことを頑張るのかというと、多くは本当にちょっとしたことです。例えば、生活面では、明日の朝体重計に乗った自分が悲しい思いをしないように今日食べ過ぎないようにしたり、明日雨が降りそうなら明日外出しなくていいように今日のうちに明日の分の食料品を買いに行っておいたりなどで、部活面では目標レビューのたびに立てている目標に明日や明後日の自分が苦しまないようにできるだけ前倒しで取り組むことです。

このように明日の自分のためを思って日々頑張ると何が良いのでしょうか。明日を落ち込まずに過ごせるというのも当然ありますが、最大の利点は、明日のためのちょっとした頑張りが積み重なるとそれがそのまま自分の長期的目標の達成につながるという点だと思います。例えば、卑近な例ではありますが、「明日体重計に乗る自分のために今日我慢する」が3ヶ月分積み重なればきっとかなりの減量に成功するでしょう。これは、結果が目に見えづらかったり結果を出すべき期限が遠かったりする長期的目標を見据えた努力が何より苦手な私からすれば、「3ヶ月後に◯kgまで痩せるために頑張る」よりはるかに実現しやすいのです。このような長期的目標をいきなり掲げたところで、私はきっと「まだ間に合う」と言い続けてギリギリまで本気で取り組めないでしょう。また、部活に関していえば、目標レビューという取り組み自体も私にとっては私の「明日のために頑張る」を支えてくれるものです。私は目標レビューで立てる目標をこれまでほぼ毎週S&Cやメディカルの本を範囲指定して読むというものにしていました。毎週指定範囲分の読書をするという目標を立て、次のレビューに間に合うようにそれを日々こなしていくことが、そのまま専門性を磨きたいという漠然とした長期的目標への具体的な道のりを歩むことに直結しています。そのため、目標レビューで立てる目標が、毎日積み重ねることで部活における長期的目標達成にいずれつながるような「明日の自分のために頑張る」べきこととして機能してくれているように思います。

また、明日のために頑張る、というよりはこれから遊ぶ自分のために頑張ると言った方がいいのですが、これにはおまけのような良いことがもう一つあります。それは、娯楽や趣味がより一層楽しくなるということです。私はやるべきことが残っていても目先の楽しいことをついつい優先してしまいがちですが、やるべきことを後回しにして好きなことをしているときには頭の片隅にやるべきことがちらついてしまい、好きなことをしているはずが100%の気持ちでは楽しめないのです。もしくは、その時は楽しくても、それをし終わった後に自己嫌悪と後悔に襲われてしまいます。これまでずっとその繰り返しで、今もまだこれは頻繁にやってしまいがちですが、やはりやるべきことをある程度片付けてから趣味の時間を取った時のほうが時間に追われることもなく趣味に没頭でき、後味も良いので、これを増やしていくのも今後の課題の一つとしていきたいと思います。



書き出してみると思っていたよりかなりシンプルな座右の銘(?)でしたが、私はこれを事あるごとに自分に言い聞かせることで、前よりも色々なことをコンスタントに頑張れるようになりました。もちろん上に書いたようなことを全て実践できているわけでは全くなく、色々と頑張れない日は多々ありますが、日々の小さな頑張りが積み重なってもっと大きな目標に手が届く日を楽しみにしつつ、コツコツと積み上げていきたいです。

次は同期スタッフの鵜飼にバトンを回します。彼女の切れ味抜群でスピード感溢れるトークは部員たちが彼女を愛してやまない大きな理由の一つです。私も大好きです。
 

好きな食べ物は[ラグビー部リレー日記]

 written by 玉代勢 弦尚投稿日時:2020/07/09(木) 12:44

ブラックジョーク的な紹介を宝さんにしていただきました、2年の玉代勢です。宝さんが自転車の修理を涼しい顔でするのを見た日から、僕の中で宝さんは一緒にチャリ旅をしたい人No.1です。
 

去年リレー日記は自分のところに1回しか回ってこなかったのですが、今年度は今回7月の時点で2回目になります。それも前回のリレー日記が回ってきたときには既にコロナウイルスの影響で部活動は休止となっており、単調な生活を送っていた僕にはもうリレー日記が回ってきたのか、と前回日記を書いたことが昨日のことのように感じられます。世の中の状況は目まぐるしく変化していますが、僕自身前回から大きく変わったと言えるものがほとんどありません。ですが、1つ変わったと言えることがあります。それはラグビーの試合や動画を見るようになったということです。前回の日記でも触れたのですが、コロナ禍以前の僕はスポーツの試合観戦というものがあまり好きではなく、ラグビーも例外ではありませんでした。しかし、家にいて暇な時間にラグビーの試合を見ていたら、次第に試合観戦の面白さに気づきました。試合を観戦していると、このプレーかっこいいなとか、こんなプレーしてみたいなと思い、実際に自分がやるにはどう動けばいいと言った想像が膨らみます。これは自粛期間に身についた良い習慣だなと思います。


 

先日、夕食を食べているとき、個人的にとても大きな発見をしました。それは、自分の大好物であったはずのトウモロコシを進んで食べようとしなくなっていたことです。好物が、好物ではなくなっていました。今まで、好きな食べ物は?と自己紹介などで聞かれたとき、小さい時からだいたいトウモロコシと答えていたのですが、今この質問をされたら確実にトウモロコシとは言えません。じゃあなんと答えるか考えてみたのですが、なかなかぴんと来る食べ物が出てきません。焼き肉、お寿司、ラーメン、カレー、いちご、、、思い浮かぶ食べ物の多くは好きなのですが、これだ!というものがないです。
思えば、好きな食べ物は何?という質問自体がとても曖昧です。第一、ほとんどの人にとって好きな食べ物は1つに限らずたくさんあるはずです。それにもかかわらずこの質問をするのには何か別の意図があるのでしょうか。例えば会話を広げるため、また、ご飯に誘いたい人に好きな食べ物を聞いて誘う店を決めるため、といったのはわかります。しかし、好きな食べ物をその人の印象や個性を知るために聞くということもあるみたいです。好印象を与える食べ物とはなんなのか、、全然わかりません。ネットで調べたら例えばハンバーグは子供っぽい印象、ステーキなら男らしく、スイーツは可愛らしい印象を与えるそうです。言ってることがわかるようでわからないような感じがします。トウモロコシは好印象なのでしょうか。
今まで挙げたような例以外にも好きな食べ物を聞く背後にはいろんな意図があるはずです。聞かれた理由を瞬時に察して回答しなければならないと考えると、「好きな食べ物は?」という問いはとんでもない難問のように感じられます。コロナの脅威が収まる頃までにはこの問題の答えを出せるようにしたいです。
 

次はよく食べたり食べなかったりする同期のスタッフの伊藤にバトンを回します。彼女には純粋に好きな食べ物を聞きたいです。

七夕[ラグビー部リレー日記]

 written by 寶島 立之助投稿日時:2020/07/07(火) 17:41

よく考えてみると共通点があんまりなくポジションも全然違うのに何かと接点が多い杉浦からバトンを受け取りました。4年の宝島です。彼もここ最近はずっと笑顔でとても幸せそうです。何かいいことでもあったんでしょうか。

今日はタイトルにもある通り七夕で77日ということですが、318日に部活動が急に活動中止になってから実に3ヶ月半もの間集まれていないという状況が、今年も豪雨で会えそうにない織姫と彦星の関係と似通っているように感じます。彼らはなんでこんな梅雨時を選んでしまったのか気になります。また、例年であればこの時期は春シーズン最後の追い込みの時期で、シーズンの集大成としての九大戦に向け当たり前のように練習していたかもしれないと考えると結構な時間が経ってしまったんだと実感します。この3ヶ月半の間にも、季節は春から夏へと確実に移り変わりつつあり、世間でもコロナウイルスの流行に対して何でもかんでも自粛が推奨され、外出や人と会うことなんてもってのほかといった考え方から、次第に最大限の感染対策と個人のそれぞれが注意を払うことを前提とした新しい生活様式を取り入れ、徐々に生活を取り戻していこうといった考え方にシフトしつつあるように感じます。しかし、新しい生活への兆しが見え始めているようにも感じられる一方で、実際のところテレビでは依然として毎日100人近く、最近は100人を超える感染者数が報じられ、警戒を怠らないよう叫ばれ続けていますし、大学でも授業は当たり前のようにオンラインで行われ、もちろん部活動も以前のように駒場にみんなで集まり、一緒にラグビーをすることは叶っていません。
こんな状況ですが僕自身はというと、最近は日々のトレーニングに加えて卒論に向けた準備や院試のための勉強などが始まったおかげで、思ったよりも多忙な日々を過ごせています。今回のリレー日記では、そんな中で感じた、今までの自分の行動や物事の選択と周りの環境の関係について書こうと思います。

突然ですが、道端で他人が荷物をぶちまけてしまっている状況を想像してみてください。この時、一緒に拾ってあげるか無視するかというのはもちろん個人の性格やその時の忙しさなどにもよるけれど、一般的な人が実際にその状況に遭遇してその人の荷物を一緒に拾ってあげるかどうかは、周りに他の人がどれくらいいるかで結構変わると思います。つまり、周りの人が多ければ多いほど自分が拾わなくてもいいかという気持ちが大きくなり、無視する人が多いはずです。

これは集団心理の一つで傍観者効果と呼ばれるもので、ある事件に対して周りに人がいると率先して動かなくなる現象です。同じような例は他にもあり、例えば、人が倒れていて周りに人がたくさんいるにもかかわらず誰も救急車を呼んでいなかったり、迷子で泣いている子に周りの大人が誰も救いの手を差し伸べず都会は冷たいなどと言われたりすることがこれにあたります。

この現象が起こる理由は、周りに人がいることで「自分がしなくてもいいか」とか「自分だけが行動して浮くのはやだしみんなと合わせるか」といったような感情が芽生えるからで、これはつまり、自分の行動選択の正当性を、他の大多数が同じことをしているという事実に委ねるということになります。このような効果が起こる例をみると、他人を助けるといった自分自身の将来にあまり関係のない選択においてばかりです。しかし、自分の今までを振り返ってみると自分自身に関係する結構大事な選択の場面においても、このような効果が理由の中で多くの部分を占め、選択を左右する要因となってしまっていることに気づきます。

高校でラグビーを秋まで続けた選択も、当時は春に不甲斐ない負け方をしてそのまま辞めたくはなかったからといって選んでいたはずだが、実際は同期が全員続けるという環境があったからであって、もし仮に誰も続けないとなったら自分もおそらく続けていないと思います。また、同期が全員受験勉強に専念するより部活を続ける選択をした理由も、秋まで続けたほうが本当に自分の利益になるかどうか考えたというよりも、それまで見てきた先輩方が全員秋まで続けていたのを見てきたというのが大きなはずです。さらに、浪人する決意をしたのも、一年余分にかかっても東大を目指したいと考えたからというより、実際は卒業生の半分ほどが浪人する旭丘の風潮があったからというのが大きいです。また、大学で今現在院を目指して勉強しているのも理系は修士まで行ってナンボといったような風潮に流されてしまっているように感じます。

こういう理由付けは正直複雑な問題について深く考えずに理由付けでき、責任も人数が多いほど少なくなるような気がするのでとても選びやすいため、自然と有力な理由の一つに数えてしまうように思われます。しかし、これを繰り返してしまうと自分が本当は結局何をやりたいのかということに対する答えがいつまでも出ず、重要な問題を後回し後回しにするだけで、何も解決しないまま事が進んでしまいます。
大学生になり、こういう複雑な問題のうちラグビーに関連していることに関しては、今までチームビルディングや4年生ミーティングなど様々なところで何度も話し合い深めていくプロセスを踏んでこれていて、コロナ禍でも部活を続けるモチベーションの基盤になっています。しかし、ラグビーにはあまり関係のない自分の将来の部分に関してはいまだに深く考えることはできていません。

コロナ生活でほぼずっと家で一人でいることで自分の内面に意識が向き始めていることや、スモブラで最近似たような話をして将来について考えることがあったこと、さらに研究室に配属された後で自分の研究を進めていったり、院試に向けての勉強を進めたりしている中でこのようなことを考えるようになりましたが、これをいい機会にし、生活のほとんどを占める一人の時間を利用してしっかりと自分の意志や将来について考えていこうと思います。

さて、文頭に書いたなぜこんな梅雨時に七夕が行われているかという事ですが、実は七夕が昔から伝統的に祝われていたのは新暦の7月7日ではなく、旧暦の77日であるため、本当はこんな梅雨時ではないそうです。旧暦に基づいて考えると今年の本当の七夕は825日ということになるらしいですが、その頃には晴天の下で部活も再開し、織姫と彦星もめでたく会えるようになっていることを願い、短冊に書きとめ掲げておきたいと思います。


次は、若者の街渋谷が産んだ超絶パリピ人間の玉代勢にバトンを回します。僕は彼のブラックジョーク的な笑いがとても好きです。
 

人生を豊かに[ラグビー部リレー日記]

 written by 杉浦 育実投稿日時:2020/07/03(金) 20:00

 グラウンド外では笑いで、グラウンド内では激しいコンタクトと巧みな戦術眼でチームを引っ張る前原さんからバトンを受け取りました。3年の杉浦です。

 世間では少しずつ日常を取り戻しつつありますが、大学では部活動はもちろんのこと、依然として対面の授業もできていません。そのような日々ではありますが、練習再開に向けて今出来ることに精一杯取り組んでいます。今回は、満足にラグビーができない中、モチベーションを保つために思案した、自分が東大ラグビー部に所属している意義に関して書こうと思います。最後までお付き合いいただければ幸いです。

 私がラグビーを始めたのは、家族の影響である。父がラグビーをしており、その関係で兄も幼少期からラグビースクールに通っていたため、物心ついた時から楕円球がすぐそばにあった。3歳から20歳の今に至るまで、人生の大半をラグビーに費やしてきた。その17年間の中でも東大ラグビー部で過ごしている時間にはとりわけ大きな価値を感じている。この価値を生み出している源は、東大ラグビー部の目的意識にあると考える。

 私なりの解釈ではあるが、東大ラグビー部の目的意識とは、「ラグビーに真摯に取り組むことで人生を豊かにする」というものであると考えている。高校時代まで「花園出場」といった具体的な目標は持っていたが、ラグビーをすること自体に深い目的や意義は持っていなかった。1年生の時、新歓をされる中でこの言葉を耳にして、とても強く私の中に響いたのを今も覚えている。

 「ラグビーに真摯に取り組むことで人生を豊かにする」という言葉には、ただラグビーをやっていれば良いわけではなく、その先にある何かをつかまなくてはいけないという意味がある。確かに、いくらパスやキックが上手くなったところで、実生活に役立つとは言えない。むしろ、ラグビーが上手いことを鼻にかけて、横柄な態度をとろうものならラグビーをやっていることはマイナスに働くだろう。

 では、「人生を豊かにする」ために「ラグビーに真摯に取り組む」とはどういうことなのだろうか。ここでの「ラグビー」は、競技シーンのみではなく、東大ラグビー部としての活動全体を指しており、グラウンドでのプレーが上達する以上に、東大ラグビー部という組織の中で人間的に成長することが「人生を豊かにする」ことにつながるのではないだろうか。

 今、私たちはラグビーをプレーすることは出来ない。だが、東大ラグビー部に所属している限り、人間的成長の機会はまだまだたくさん残されている。活動を再開したときに、胸を張って成長した姿を見せられるよう、今出来ることに真摯に取り組もうと思う。

 お読みいただきありがとうございました。次は、スモブラや練習チームで大変お世話になっている宝さんにバトンを回します。先日、幼少期の写真を見せてもらいましたが、今と変わりない素敵な笑顔でとてもかわいかったです。
 

東大ラグビー部の理念/有意義な自粛期間[ラグビー部リレー日記]

 written by 前原 一輝投稿日時:2020/06/30(火) 23:52

 関西人らしからぬ都会的なツッコミに定評のあると言われる内藤から紹介を受けました4年の前原です。今年度リレー日記2周目の1発目なので長文で真面目に書こうと思います。



 2020年は誰も予測し得なかった年になっています。新型コロナウイルスの世界的な広がり、BLM運動、オリンピック延期のみならず、世界的な蝗害やオーストラリアの森林火災などの大規模な環境問題もありました。特にコロナウイルスとBLM運動に関しては、世界史上で現代と位置付けられていた我々の生活様式や価値観を転換させうる力となっています。例えば、世界中で働き方が変わりつつある。それに伴い都市部一極化解消に向けた動きもちらほらと見られるようになった。移動を伴うグローバル化の波に陰りが見える。産業化の環境への悪影響が浮き彫りになる。フィンランドが経済と安全は二項対立で処理できない問題であることを体現する。アメリカでは国民国家の矛盾が表面化している。暴力装置が機能不全に陥り、ウェーバー以降の主権国家の前提に綻びが見える。我々はまさに歴史の転換点にいるのだという実感を情報の海の中でひしひしと感じます。



 これらのことはメディアを通じニュースとして知るところとなっていますが、我々学生の身としても肌で様々なことを感じ、考えさせられました。

 

 例えば授業でも多くの変化がありました。私は今学期の授業の殆どは愛知の実家で受けました。試験の形式についてはまだ具体的に公表されていませんがこれで単位取得、学位授与が認められるならば大学の所在地付近に住み、キャンパスに通う意味の重要な部分が否定されます。日本全国どこからでも同等の教育にアクセス出来ることになるからです。拡大して考えると、海外の大学教育へのアクセスも従来と比べ非常に容易になる可能性もあります。このように、特に実家が愛知県で東京で一人暮らしをしてきた私にとって、"東大生である"ことや"大学で学ぶ"ことはどういうことなのかについて深く考えさせられました。



 部活についてはここに書き切れないほど、特に4年生は自らの存在や組織の存在について観想したと思います。そのような中で私は、この期間は東大ラグビー部の"理念"を見つめ直すいい機会だったと感じます。

 4年生は今シーズン始動前、何度も何度もミーティングを重ねました。その中で何度も議論の種になったのは"目標"と"理念"でした。



 目標は結果ベースの具体的、定量的な指針であり、今年度は入れ替え戦出場を掲げました。これはその具体性からイメージし易く、それぞれの意見の相違こそあれ、最終的に合意を導くまでの筋道は全員が共有できるものでした。     



 それに対して理念は、抽象的で長期的な指針であって定義すらも曖昧で、それを言語化する必要性に疑問を持つ者もおり議論は難航しました。議論に際しこれまでの東大ラグビー部約100年の歴史を振り返り、青山監督やOBの方々から貴重なお話をお聞きし、外部の方々の力もお借りしながら思索を深めました。そして自分たちが何故東大ラグビー部に所属しているのか、東大ラグビー部という組織は何の為に存在しているのかという問いを立て、我々なりに不器用ながらなんとか答えを出しました。このホームページの「AboutUs」から「理念」のページに飛べますが、そこには我々が時間をかけて言語化した東大ラグビー部の理念が書かれています。勿論これはこの先何百年と続いていくであろう東大ラグビー部の歴史の刹那における解釈に過ぎず、これから何度も修正されていくことを願っています。

 しかし、理念を考えるなどといい、自分たちなりに格好の良い言葉を紡ぎはしたけれども、その意味を心の底から考え、理解出来ていた人は誰一人いなかったのではないかと思います。それが今、幸か不幸か我々の置かれている状況によってある種強制的に、考えざるを得ない事態に置かれました。当たり前過ぎてその重要性にすら気がつかなかった、「部員が集まって練習する」ということが禁止されました。存在が当たり前だった対抗戦、入れ替え戦が本当に実施されるのかも定かではありません。目標が、予想だにしなかった要因により根本から否定されうるという危うい状況に立たされています。それでもなお、私たちは誰一人辞めることなく東大ラグビー部に所属し続けており、いつになるか分からない再会の日を夢見てトレーニングや部員間の交流を続けています。その理由を考えると、自ずと理念に答えを求めるしかないのだろうと思います。

 理念に基づき自分なりに部活での存在意義を発見して、組織の為に個人が出来ることを最大限やりきる。理念は例え目標が揺らぎ、或いは無くなったとしても変わらず根底にあり続ける。だからこそ希望の灯を消すことなく、全員が同じ方向を向き毎日Updateし続けられている。この絶望的な状況により、そのような理念の存在意義を肌で感じることができました。

 補足すると、この考えは甲子園の中止が決まったとき特に強くなりました。ニュース映像をみると、どの監督も「甲子園が全てじゃない」と部員たちに説いていました。この言葉は活動の根底に理念が存在し、組織と個人に浸透していないと理解できない言葉です。理念がないと目標が喪失したときに自分たちの存在意義が一切無くなってしまいます。理念なき目標はそれを達成し得なかった(または目標が喪失した)とき自分たちの積み重ねた過去をも否定することになりかねません。東大ラグビー部には100年もの間脈々と受け継がれる理念があるからこそ困難にも立ち向かえているのだと感じます。

 書き始めたら長々と書いてしまいましたが、コロナにより部が窮地に立たされたことで、従来見逃されがちであった理念の存在意義を見直すきっかけになりました。その意味で、この先も連綿と続く東大ラグビー部という組織において非常に有意義な期間だったと感じています。むしろ、この歴史的経験を通じて、組織の存在意義や理念についてもう一度考え直すべきかもしれません。



 また、話は変わりますが個人としても非常に有意義な時間を過ごせました。従来のラグビー漬けの生活から離れることで自分の興味や将来について探求できました。特に就職活動を通じ自分を分析し、自己の存在を言語化する中で自分を深く理解できました。

 さらに、時間的・体力的余裕が出来たため、新しいことに色々挑戦するチャンスもありました。免許取得以来機会のなかった車の運転を何度も行いました。また、Queenや乃木坂の曲をピアノで計10曲ほどカバーしてみたり、長年やろうとしつつも手を出せなかったギターを購入して始めたりしました。この期間は暇さえあれば音楽に触れていました。今までラグビーに注いでいた熱が一気に音楽に流れ込みました。熱は音楽のみならず隠れていた知的好奇心にも広がりました。この3ヶ月で新書、文庫、専門書など30冊以上を読み、授業での学び以外に英語やドイツ語なども熱を入れて学習しました。トレーニングについては、自宅と公園でしか出来ないので、従来疎かにしがちだったディップスや懸垂などの自重トレーニングの重要性を発見しました。また、幼稚園入園以来最長の2ヶ月という外出予定の無い長期間を家族や可愛いペットと過ごすことが出来ました。

 このように、これからの人生で二度と無いほどの自由な時間を自己の再発見と、新たな挑戦・学びにあてることができました。



 この歴史的局面において、組織としても個人としても二度と経験出来ないような有意義な時間を過ごすことが出来たと思います。東大ラグビー部としては、これら組織/個人の経験が再開後に100%の力を出す糧になると信じて、部員全員で今出来ることに全力で挑み続けます。



 リレー日記で初めてこれほどの長文を書いたので少し恥ずかしいです。次はランニング記録アプリの新たな使い方を示してくれた3年の杉浦に回します。

 
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