ブログ 二宮 樹輝さんが書いた記事

<<前へ

駒場の土[ラグビー部リレー日記]

 written by 二宮 樹輝投稿日時:2022/05/26(木) 18:27

 B級レフリーを目指して強化試合で経験を重ねる同期の佐々木からバトンをいただきました、2年の二宮です。
練習前に毎日走りこんでフィットネスを鍛え、練習でもレフリングを行って過酷な仕事をこなしています。
普段から付き合い悪くてごめんなさい、こんど同期みんなで遊びましょう。


 部員が日々集う駒場グラウンド。2006年からは人工芝となりましたが、その一枚下には長い歴史が積み重なっています。

 明治17年(1884)の平面図。そこには泰西農場と呼ばれる、西洋流の混合農業を研究する畑が広がっていました。農学に関する日本初の教育・研究機関、駒場農学校は1878年に開校。ドイツ農法にならって日本近代農学の発展に貢献しました。
 ちなみにクラーク博士で有名な北海道大学の前身が、アメリカ農法を学ぶ札幌農学校です。

 東大ラグビー部が創立される1921年になっても、駒場にグラウンドはありません。
 そのころ各地の研究・教育機関は統合を進め、駒場農学校も農科大学、農学部として東大を構成しました。1923年の関東大震災で多くの学部が壊滅的な打撃を被る中、木造建築が多い農学部の被害は軽微でした。900番教室の南に残る石碑は駒場農学60年の歴史を伝えています。

 1935年には第一高等学校が農学部と用地を交換。熾烈な入試をくぐ抜けて(旧制)高等学校に入れば、帝国大学にエスカレータ式に進学できました。現在は1、2年生が前期課程を過ごす教養学部のキャンパス。一高同窓会の「一高ここにありき」碑は、ラグビー場へ向かう学生を1号館と900番教室の間から静かに見守っています。
 一高の地図を見ると「蹴球場」の文字。野球場や陸上競技場にはさまれ、駒場グラウンドの姿がありました。試合記録によると、「駒場球場」に代わって1930年から「駒場グランド」が用いられるようになります。現在のグラウンドは1930年に設置され、東大ラグビー部の90年間の活動を支えてきたと考えられます。東京大空襲で多くの建物が焼失、残ったものも後に建て替えられた中で、駒場グラウンドは一高の風景を残す一角となったのではないでしょうか。

 駒場グラウンドはたくさんの名勝負の舞台になりました。長年にわたって続く対抗戦・定期戦、海を越えてソウル大学との試合も、この地で行われてきました。部室には、対戦校と交換したペナントや2021年の京大戦で獲得した谷村楯が並び、東大ラグビー部に刺激を与え歴史を外から支える他部の足跡が感じられます。

 ホームゲームとなると、慣れ親しんだ地で繰り返した練習を思い出し自信が湧く、と聞きます。私はこのような歴史をもつ駒場グラウンドに対して一層思いが強まります。
 駒場140年の歴史の一つになれるような試合を目指して精進してまいりますので、今後ともご声援をよろしくお願いいたします。


 次はパワーとスピードで東大XVを支える4年生のプロップ後藤さんです。フランカーで培った運動量を活かして100kgの巨体が高速で飛んできます。さらに練習でも部の最上級生としてあるべき姿を絶えず追求される、あこがれの先輩です。後藤さんのように首から脚まで太くなれるようにがんばります。

燃える抱負とモデルロールのはなし[ラグビー部リレー日記]

 written by 二宮 樹輝投稿日時:2021/09/20(月) 18:45

身長187cmの体格をもって先週末の試合も大活躍された永山さんからバトンをいただきました、1年の二宮です。私はいま脚の怪我で練習から抜けていますが、その間に自らの行いを省みる出来事があったので、ここでお話ししたいと思います。



私の妥協癖のひとつに、真面目に努力する人から自分を物理的に遠ざけてしまうことがあります。



例えば、1年生の多くは上級生とは別に練習する中、上級生に混じって鍛錬する同期が出ても、そのような人と一緒に自主練を行うことは少なかったです。皆が体重増加量を公表し切磋琢磨する中、同期が競争し合った1ヶ月が終わってみれば私の体重が増えていないということもありました。



自ら率先して打ち込まないのなら、より努力する人と一緒に取り組まずして成長はできない、という事実から目を背けてきました。せっかく同期には様々な方面で日々研鑽する人が多いのに、私もついていけるという恩恵を逃していました。



ある日、ジムでのウエイトトレーニングで、優秀な同期に空けられた実力差をどうにかして誤魔化したい、そんな気持ちからか思わぬ高重量を挙げたことがあり、今までぬるま湯で積み重ねた怠惰を痛感しました。



また、試合に出場するメンバーはその週のウエイトノルマが無いので、差を縮めるチャンスと思いジムに向かうと、試合の2日前にも関わらずトレーニングに励む同期の姿があり、私に足りないのはこのような前向きな姿勢であると強く思いました。



そうやって、私が怪我で離脱する前の最後の練習から1ヶ月が経ちました。その間に同期は上級生と合流して一層激しい練習に耐え、試合を経験し、B戦メンバー入りを目指して努力しています。私は今できる事をこなして、もう少し真面目でマッチョな人間になってフィールドに戻りたいというのが、当面の目標です。DLの先輩・同期、S&C・栄養担当のスタッフの方々に支えられながら頑張ります。

 



次はこれまた長身、怪我から復帰間近の同期、小野に渡します。小野は早く練習がしたいと言ってキックの練習に打ち込んできたので、特訓の成果がようやく発揮できることを楽しみにしています。

<<前へ

2025年5月

アーカイブ