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最後の挑戦[ラグビー部リレー日記]

 written by 礒崎 竜之介投稿日時:2024/12/04(水) 18:19

グラウンド全体が地響きするようなファイティングスピリッツでチームを勝利に導いてくれたデルからバトンをもらいました、4年の礒崎です。初めて体験練習へ行ったときは「同期にいかついのがいるな」くらいに思っていましたが、思えば部で最初に仲良くなったのはデルだった気がします。カナダから日本に帰ってきてからは、チームを引っ張る役割も担ってくれて、彼の持ち前のエナジーと優しさには何度も救われました。年末に会うのが僕も楽しみです。

これまでラグビーのことはリレー日記で触れてきませんでしたが、最後なので少し真面目に書きたいと思います。

自分たちの学年の我が儘を通してもらい、倶楽部の協力もたくさんいただいたこと、下級生の頃から経験を積んだメンバーが多く残っていること、昨年主将の西久保さんがチームに残ってくれたことから、今年は何としても結果を出したい年だった。しかし、対抗戦では4勝しかできず、去年と同じ4位に終わってしまった。後がなくなった明学戦や最後の武蔵戦で負けた後は、悔しさよりも、歴史を作るための真剣勝負が負けて終わってしまうことへの喪失感が大きく、引退が近くなるのとは無関係に、自然と大学でのラグビー生活を振り返ることが増えた。

体重が60キロほどしかない状態で、中学卒業と同時にやめたラグビーにもう一度、しかもわざわざ東京大学に入ってまで挑戦するという選択は、冷静に振り返ると正気の沙汰じゃないが、無難な生き方ばかりしてきた人生を考えると、体験練習でジュニアコーチの人に煽てられ、良い気になっていたことを差し引いても、よく決断したな、と思う。

そもそも、入学当時ラグビーをやる選択肢は全くなかった。クラスの先輩に奢ってもらった流れでアメフト部の新歓タッチフット大会に二度行き、体育会もいいな、くらいには思ったが、そこで偶然出会った桑田という人に「ラグビーやってみない?」と誘われなかったら、ラグビー部の存在すらまともに知らないまま卒業したかもしれない。断りきれずに体験練習に行くと、アメフトのタッチフット大会でおとなしくしていたはずの桑田君が、実はラグビーに魂を売ったような人で、初回からハッスルプレーを見せられたことには面食らったが、元ラグビー部の自分にとって、ラグビー部の空気が合ってしまっていることも同時に感じた。その時から、結局ラグビー部に入るのかな、という「雰囲気」が自分の中で生まれ、ラグビー部への参加が増えていった。

とはいえ、当時の同期、先輩の皆さんには申し訳ないが、相応の覚悟を持って入部したわけではない。中学時代を通して、ラグビーは本当にきついし痛いし難しいものだと知っていたし、自分に才能がないことも自覚していたので、やっぱり無理だと思ったら辞めて、高校時代と同じくフェンシング部にでも入ろうとも少し思っていた。自発的にラグビー部の門を叩いたわけでは無い以上、なかなか覚悟を決められなかったのが正直なところだ。

実際、4年間で小さな挫折は多くあった。1年生の試合期や2年生の春には、同期が試合にたくさん出る中で自分は怪我ばかりでなかなか経験を積めず、2年生の秋から3年生までは、試合には多く出られたものの先輩やコーチの期待になかなかこたえきれない日々の連続だった。フォワード・バックスを行ったり来たりするのは楽しかったが、しっくりきたのは転向直後だけで、自分に飛び抜けたものが無いことを思い知ることの繰り返しだった。その他にも上手くいかないことばかりだったが、結局辞めたいという気には一度もならなかった。いつの間にか、大学生活をラグビーに捧げる覚悟ができていたのだと思う。

特に、2年生の頃に入れ替え戦で成蹊大が日体大に勝って昇格を決め、歓喜に沸いているのを目の前で見た時、単純だが自分もこの場に立って勝ちたいと強く感じ、そこから入れ替え戦という目標をより強烈に意識するようになったのを覚えている。

そして、4年生としては必ず目標を達成しようと意気込んで今シーズンを迎えた。最高学年ながら特に役職はなかったので、良くも悪くも自分の実力をつけてプレーでチームに貢献することに専念した。結果的に、幸いにも大きな怪我なく練習・試合経験を着実に積むことができた。ラグビー再開4年目にして、次第にできることが増えている実感もあって、ラグビーをする日々が純粋に楽しかった。シーズンが進むにつれてチームに信頼してもらえるようになったことは自信にもなって、より勝ちたいというモチベーションにつながっていた。毎年実力伯仲だが目標達成のためには絶対に負けられない上智戦や、負けたら終わりの明学戦前は流石に緊張してしまったが(ここで普段と心持ちが変わってしまうところに自分の未熟さがある)、それ以外は変に自分を追い込むことなく、良いプレーをすることに集中して試合に臨めていた。特に成蹊戦の試合直前はチームの一体感、高揚感も最高潮で、心身ともにベストの状態で臨むことができた。自信もなく、ミスせず試合を終えることばかり考えていた頃を考えたら、それなりに成長できたと思う。

一方で、チームの力を試合中にグラウンドで表現し、相手と勝負できるのは代表として出場している15人だけだ。ある意味他のメンバーの出場機会を奪って自分が試合に出続けており、4年生である自分の負けや失敗に「次の成長に役立つ」という意味合いが無い以上、春の学芸大戦、早稲田戦、夏の慶應戦、そして対抗戦の成蹊、明学戦と、悉く大事な試合で結果を出せなかった責任を負う割合も大きいと感じる。同じ結果なら、自分より未来ある後輩が試合に出た方が東大ラグビー部の未来にとっても有意義なことだっただろう。それほど、4年生としてフル出場するからには結果を出す責任があったと思う。「東大の6番」として、かつて6番をつけてプレーした先輩方や、同じポジションの後輩たちに恥ずかしくないプレーができたとは、今でも胸を張って言えない。

だからこそ、引退モードになることはまだせずに、最後に残った2試合では自分のラグビー生活を締め括るにふさわしいプレーをするために努力を続けたい。そして、自分のプレーを見て、お世話になった先輩に成長を見せられるような、あるいは何か後輩に感じてもらえるようなことがあれば、対抗戦後の時期に試合に出る責任を少しは果たせるだろうと思う。名古屋大や京大に勝っても、4勝3敗という対抗戦の成績が変わることはない。しかし、残りの2試合は今年のチームが強かったことを証明する本当に最後のチャンスなので、吉村組のメンバーとしての、そしてラグビー選手としてのプライドをかけてプレーし、必ず勝利したい。

やや重い内容になり恐縮ですが、12月初旬ということで、最後に向けた決意表明という形で書かせていただきました。最後に、ラグビー人生に関わってくれた皆さんに感謝の気持ちを述べたいと思います。

家族へ
勉強するはずだった大学で、ラグビーを再開することになるとは思わなかったでしょうが、4年間応援してくれてありがとうございました。

先輩、倶楽部の方、関わって下さった監督、コーチの方々へ
僕の、そしてチームの能力を信じて指導、支援して下さり、ありがとうございました。最後に成長した姿をお見せしたいと思います。

トレーナーの皆さんへ
怪我や不調の多かった自分がここまでプレーを続けられたのは、工藤さんはじめチームに関わって下さったトレーナーの皆さん、そして山手クリニックの方々のおかげです。ありがとうございました。

後輩へ
頼りない4年生だったとは思いますが、時に文句を言いながらもチームについてきてくれてありがとう。なりたい選手像をレベル高く持って、ぜひ目標達成してください。全員まだまだ強く、上手くなれます。 

同期へ
この仲間と目標を達成したいと本気で思えたからこそ、ここまで頑張れました。あと少し、一緒に頑張りましょう。

ラグビーを好きだと自信を持って言えるようになったのは皆さんのおかげです。本当にありがとうございました。

次は、バックスからプロップへの転向後、朝起きること以外の面では凄まじい成長を見せてくれた一木にバトンを渡します。同じ時期に股関節を怪我してリハビリ生活を送り、2年冬にはほぼ同時にフォワードに転向するなど、一木とは多くの時間を共に過ごしてきました。僕が一人暮らしの時は住む地域が近かったため、毎夜練後のように下北沢や明大前で一緒に食事したのも良い思い出です。最後まで一緒に試合に出られるように、お互い怪我なく頑張りましょう。

[ラグビー部リレー日記]

 written by 池田 怜央投稿日時:2024/12/02(月) 18:30

 1年生の河村からバトンを受け取りました、4年の池田怜央です。河村とはあまり喋る機会がなかったのですが、練習で素速いステップを切る姿が印象に残っています。あと3年間、頑張って欲しいです。
 

 今、フランスでこの最後のリレー日記を書いています。

 私は9月に東大教養学部を卒業し、パリの経営大学院に入学しました。東大ラグビー部を離れてもう4ヶ月になります。

 こちらでは、世界各国から集まった同級生に、「学部生の時何をしていたか」と良く聞かれます。正直に答えると、「ラグビー」の一言です。東大では、ラグビーが私の生活の中心で、四六時中ラグビーのことを考えるか、練習するかでした。今は、大学院でしっかり学業に励んでいます。

 

 今年の春シーズンは、自分にとって最後の対抗戦でした。皆でハードな練習を乗り越えて、いい試合を積み重ね、チームが対抗戦に向けて強くなるための、とても良いシーズンでした。東大ラグビー部を離れる前の九州大学戦も最高の経験でした。

 

 ただし、秋の対抗戦に出られないのは、一番寂しく、辛く、悔しいことでした。チームと一緒に最後の対抗戦の舞台で勝利し結果を出すことが、私にとっても4年間の目標でした。自分は遠く離れたフランスから、Youtubeのライブ配信で応援することしかできませんでした。

 

 しかし、東大ラグビー部に入部したことは、一切後悔していません。2020年秋入学後、キャンパス立ち入り禁止だったコロナ禍のもと入部しました。最初は一つ上の代に入り、西久保さんたちとはタメ口でした。数ヶ月後の2021年春に入学した代と一緒に0から部活を経験したかったので、そちらの一員になりました。そして、西久保さん達とは急に敬語になりました。日本語が第一言語ではない私は、1年生の時はSlackとLINEグループの内容を全てDeepLで翻訳して何とか理解していました。朝練、きついトレーニング、日本への適応。最初の2、3ヶ月間は疑いと試練の時期でした。勉強するために東大に来てなんでこんなにきついラグビーをしてるのか、絶対に無理だと何度も思いました。新しい環境で疎外感を感じた時期でした。

 

 でも、今4年間を振り返ると、入部した自分の決断は正しく、私は結局ラグビーをするために東大に来たのだと実感しています。最高の4年間でした。

 

 逆に、入部していなかったら今自分はどこに居て、何をしてるのかよく考えます。その違うマルチバースにいる自分がどんな人間になったのか知りたいです。

 

 フランスに来て、大学院のラグビー部でもプレーをしていますが、東大とは全く違う環境です。よくOB・OGの皆様が言われる「東大ラグビー部の恵まれた環境」でプレーをしていたことに改めて気付きました。素晴らしいグラウンドと施設で、何より最高のサポート体制でラグビーをさせてもらっていました。
 

 

 OB・OGの皆様、青山先生、コーチ陣の皆様、トレーナーの方々、S&Cの方々、ATの方々、先輩方、4年間自分を選手として、人として成長させて下さり、本当にありがとうございました。感謝の気持ちをお伝えします。

 

 同期へ、みんなと最高の時間を過ごせて、日本での大学生活を楽しめた。4年間ありがとう!あと2つの定期戦、思い切り楽しんで!

 

 後輩へ、みんなと部で過ごした時間はとても貴重でした。練習内外の姿を見ながら元気をもらいました。ありがとう。4年間ってあっという間に終わるから、毎日を楽しんで下さい。
 

 両親へ、4年間支えてくれてありがとうございました。遠距離のため、あまり会えませんでしたが、深夜や早朝に生配信で試合を見てくれて、応援してくれて本当にありがとうございます。心配や迷惑をかけてすみません。

 

 次は礒崎にバトンを回します。彼は東大ラグビー部のキーマンです。練習や試合ではあまり声を出さない礒崎ですが、プレーでチームを引っ張ってリードしてくれます。1年生から一緒に多くの試合を経験し、楽しい時間を過ごしました。2年生の時に、私がカナダに交換留学に行った時に、目に涙を溜めて送り出してくれた姿に感動しました。その時、礒崎と東大ラグビー部との強い絆を感じ、今は自分の家族だと思っています。年末に会えることを楽しみにしてるよ、ザキ。

 

WTBという夢[ラグビー部リレー日記]

 written by 河村 達哉投稿日時:2024/11/30(土) 23:57

福元さんからバトンを受け取りました。1年の河村です。福元さんは今シーズン、スクラムハーフとしてバリバリ試合に出場し、その安定したプレーでチームを支えていました。現在は怪我をされているようですが、これからも活躍を期待しています。





僕は高校時代にはバックローとしてプレーしていましたが、大学では10月の途中まで約半年間WTBとしてプレーしてきました。この選択には自分なりのこだわりがありました。以下、その理由を挙げます。



・トライゲッターとしての役割がかっこいい。

・タッチライン際で、やるべきことが明確な状況でプレーできる。相手とスペースをとった状態で対峙できる。

・強いヒットと低い重心を活かして相手ディフェンスを突破できる。

・一対一という言い訳不可能な完全なる勝負の瞬間を楽しめる。



しかし、現在はWTBを一旦やめています。(次の京大戦ではFLかCTBとして試合に出る予定です。)その理由は、今の自分にとってWTBのポジションをやるタイミングではないと感じたからです。

WTBでは練習中にボールを持つ機会やディフェンスの回数が相対的に少ないです。前提となるプレースキルがまだ不十分な今の状態では、他のポジションで自分のスキルを全体的に成長させることが優先だと考えています。立派なWTBになれるよう他のポジションでも邁進していきます。





今年ももう終わりに近づいてきました。最初はもっと楽な部活だと思っていましたが、実際に入部してみると、練習の頻度や朝の早さなどで、想像以上に大変な日々でした。

それでも、自分の好きなラグビーを思う存分楽しみ、東大ラグビー部の仲間と長い時間を共有できたことで、とても充実した7ヶ月間だったと思います。

残り1ヶ月は本当に一瞬で過ぎると思います。4年生ともあと少しでお別れです。新年に悔いを持ち込まないよう残り1ヶ月全力で頑張るつもりなので、引き続きよろしくお願いします!



次は4年生のデルさんにバトンを回します。デルさんは7月に海外へ旅立たれましたが、その巨体からは信じられないほど軽やかな動きでステッパーの僕を驚かせました。いつかまた一緒にラグビーをしましょう!

 

そろそろ冬[ラグビー部リレー日記]

 written by 福元 倫太郎投稿日時:2024/11/29(金) 09:12

百瀬海くんからバトンを受け取りました。3年の福元です。入部したころの海は自信に満ち溢れていたように記憶していますが、ラグビー部で1年半ほど揉まれたことにより少しおとなしくなったように思います。怪我を治して来シーズン大活躍して欲しいです!

紹介文で囲碁について触れてもらいましたが、奇遇にも先日母校の囲碁部のOB会に参加しました。この会は年1で開催されていて全駒と呼ばれており、現役部員とOB会に所属する人で対局し交流するという会です。
例年OB側は大学生から60歳ぐらいまでの幅広い年代の参加者が集まります。これがラグビーであれば全てのOBが現役生とバチバチに対戦することは無理でしょうが、安全面に定評のある囲碁では年の差関係なく真剣勝負を行うことが可能です。これは囲碁の素晴らしいところだと思います。


11月が終わりを迎え、最近急激に寒くなってきました。春は永遠に終わらないように感じた今シーズンも残り1ヶ月となりました。今シーズンは4年生の皆さんや西久保さんとプレーできてとても楽しかったです。4年生の皆さんや原さんには沢山お世話になったので最後いい形でシーズンが終われるといいなと思っています。自分にできる形で貢献したいです。


次は期待の新人タツヤくんにバトンを回します。タツヤくんの良いところはここでは書ききれないほど沢山ありますが、個人的にはラグビーが楽しくてたまらなさそうに練習する姿がすごく好きです。BKユニットの時は誰よりも声を出しており、一年生とは思えない存在感を示しています。これからも一緒に頑張ろう。

 

あの微笑みを忘れないで[ラグビー部リレー日記]

 written by 百瀬 海投稿日時:2024/11/25(月) 09:00

三上からバトンを受け取りました。2年の百瀬です。次のバトルでは一聡さんに負けないようDL頑張ろうと思います。三上と一緒なら次は勝てる気がします。冗談はさておき、三上は体が僕の二回り、いや三回りくらい大きいです。夏前に「僕少食なんです」と言っていて意外だなと思っていましたが弁当食べた後に学食で大メニュー2つペロッと食べてたのを見ました。これでも120kg界隈では少食なんだと驚いたのを覚えています。


 

 


 

11月下旬になり、あと1ヶ月くらいでシーズンオフになるので自分の今シーズンの振り返りをしたいと思う。


 

まずは昨シーズン終わりから書き始めたい。昨シーズン終盤にはB戦が何度かあったが、自分はほとんど出ることができなかった。全て自分の実力不足が原因だった。ある日、ショットガンという練習をやったが、終わった後大西さんに一人呼び出され、「お前は本気を出していない。もっと執着心をもて」と言われた。実力は出し切っているつもりだった自分はただ不甲斐なく思った。結果的に自分のラグビーモチベーションは下がり切ってしまった。冬オフに入ると自分からラグビーを遠ざけるようになった。ウエイトはしないし、自主練もほとんどしなかった。毎日友達と飲んで遊んだ。体重は激減した。この生活が続いていればいいのに、と思っていたがシーズンが始まってしまった。そして(自分にとっては)地獄のBBCが始まった。ラグビーに対するモチベーションがないのに辛い練習をするのは苦痛でしかなかった。しかも自分はフロントローであるにも関わらずBBC激弱だった。ある日疲れ切って部室の2階で横になり目を閉じていると寿太郎さんが「モモカイBBCこれだけ弱いと試合出せないな」といっているのを聞いてしまった。本来であればここで悔しくなって「もっと頑張ろう」と思うべきだろうが、今年試合に出れる展望が全く見えていなかった自分には刺さってしまい、「なんでこんなに辛いことしてるんだろう、どうせ試合出れないなら辛いことしないでやめた方がマシだ」と思いただただ悲しくなった。この時僕が部活に残っていたのは「ラグビーがしたいから」ではなく「新歓をしてみたかったから」だった。1年の時に新歓してる先輩達をみてかっこいいと思っていた。新歓だけやったらやめようと思った。だから最後だと思ってBBCは弱いなりに全部本気でやった。いざ新歓が始まると「ラグビーモチベーションが低い自分」と、「必死に新入生にラグビー部の魅力を語る自分」のギャップに苦しんだ。怪我人が多く翌日に対抗戦7sを控え人数不足だったためか、新歓試合に自分が出れることが決まった。昨年の新歓試合前後での自分の言動から、新歓試合の前は本当に緊張したし、モチベーションは相変わらず上がらなかった。その頃から副将のあきおさんからプレーのアドバイスをよくもらうようになった。あきおさんは最後に必ず「お前ならできる」みたいなことを言ってくれて、これが唯一頑張れる理由になった。そして新歓試合では前半15分の交代直前にあきおさんから「お前がもっといい流れにしろ」と言われて自分の中のスイッチが入った。試合中はクソみたいなプレーばっかりだったが1トライを取ることができた。これが契機となってか、少しずつラグビーモチベーションが上がっていった。

春シーズンは怪我人が多く人数不足だったため、結果的に2試合を除き、A戦ではリザーブに入れてもらった。昨シーズン、スクールカラーのジャージでさえもほとんど着ることができなかった自分としては、人が足りず経験をつませるという名目であってもスイカを着て戦うことができたのはかなり嬉しく貴重な経験になった。試合経験を積むたびに自分の不甲斐ないプレーに悩まされたが、少しずつ自分が強くなっているのを感じた。今となってはこの頃ちょっとずつでも強くなれたのは(やってる時はなんのためになるのかわからなかった)冬から春にかけてのBBCのおかげだということを実感した。そして自分の中で春シーズン一番印象に残っているのは防衛大B戦だ。この試合ではかなり自分のプレーがよく、苦手なLOスローも成功率80%だった。そして試合中盤細谷さんが怪我したことで、ゲームキャプテンに指名された。途中からのためゲームキャプテンとして特段やったことはないが、ここで選んでもらえたことは本当に嬉しかった。春シーズンを通して(夏とかも)あきおさんにはアドバイスを都度もらい、前向きな声掛けをしてもらっていた。正直これがなければ自分はラグビー部をやめていたと思う。あきおさんには感謝してもしきれない。

夏休みに入ると何もうまくいかなくなった。(正確にいうと元々うまくいっていなかったことを改めて実感した。)ただこの時は春シーズン終わりから始めた1番(PR)としてスクラムを組めるようになることだけを考えて頑張った。8vs8で組む練習をしてもらったが安富さんからお前は逃げていると言われた。慶應大戦のメンバーに最初は入っていたが、試合前日に変更で外された。菅平では自分としては1番での試合経験を積む絶好のチャンスだと思い挑んだ。1試合目のBのADではトライを取れたし2試合目のB戦はゲームキャプテンで、苦手なタックルもうまくいき始めた。両試合も思ったよりはスクラムを組めたのが嬉しかったが最後のB戦は自分のスクラムもフィールドプレーもクソで相手に全く歯が立たなかった。その試合の翌日8/22にBチーム最後の練習をしたがその練習の最後に無駄なことをして自分の今シーズン初の大きな怪我をしてしまった。(これについてHCを恨んでいるとかは全くないので誤解なきように)腓骨を骨折してさらに足首の脱臼をしてしまった。

1年生の時から大きな怪我をしたら部活をやめようと思っていたし言っていたので、やめようか一瞬迷った。(これがいかにダサいことかは今はよくわかる)。だが入院お見舞いに同期プレイヤー達が来てくれた時に、武村が「辞めるのはダメ」、と言ってくれたり、いろんな先輩から「早く戻ってこい」と言われるうちに迷いがなくなった。特に安富さんは度々LINEで話しかけてくれてその度に「早く戻ってこい」と言ってくださったのはだいぶ効いた。最後に決定的だったのは療養中、親に送ってもらって見に来た学習院戦であきおさんがアキレス腱断裂から復帰して(Aの)試合に出ているのを見たことだ。立場も学年も怪我の大きさも違うがアキレス腱断裂でもめげずになんとか復帰して対抗戦に出ているあきおさんの姿には勇気づけられた。DL期間中に辛いことをやって前よりも強くなって復帰しようと決意した。来年は絶対に対抗戦のメンバーに入りたいと思う。


 

今シーズンも残すところ1ヶ月で短いが、自分が出来る限りのことをやって強くなりたいと思う。


 

 


 

情けないリレー日になってしまったがあと少しで始まる最後のリレー日記への繋ぎ程度と思ってもらえれば嬉しい。


 

 


 

次は福元さんにバトンを渡します。福元さんはコミュ力が非常に高く、会話をすると楽しくなります。また、大学に入る前は囲碁で相当な実績があったそうです。囲碁といえばこの間読んだ中国の古文書に「橘中の楽」という言葉がありました。意味は「囲碁をする楽しみのこと」らしいです。福元さんも橘中の楽を求めているのでしょうか。

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2025年11月

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