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始まり[ラグビー部リレー日記]

 written by 倉橋 直希投稿日時:2024/03/22(金) 14:19

同期の奥山からバトンを受け取りました、新4年の倉橋です。
奥山はこの間開催された学年会で行った謎解きで憲法第2条の穴埋めをヒントなしで即答したのはかっこよかったです。僕らが謎解きの本筋から大きく外れたところで悪戦苦闘しているなか、「これは大きいですね」と声をかけてくれたスタッフのことは忘れません。奥山はこんな感じで頭が良いだけでなく、試合中ともなれば力強いプレーを連発し、最後には本当に走れなくなるまで全力を尽くすような理想のラグビープレイヤーです。
モテるかどうかはともかく守田英正似と紹介された私ですが、これは自他ともに認めており、サッカー日本代表の重要な試合の前後にはラグビー部内だけではなく、同クラや高校同期、はたまた新歓で初めて会った一年生にさえも言われるほどです。競技は違えど東大の守田としてもっと活躍できるように頑張ります。

紹介文にも書かれましたが、私は同期内では早いうちから逆バリキャラを確立してしまいました。逆張りという言葉自体東大のラグビー部に入ってから初めて耳にしたので当初は困惑していましたが、今ではそんなこと言われても全く気にならなくなりました。逆張りと言われる理由の一つに僕の海外生活が長かったことが挙げられますが、今回のリレー日記ではそんな僕のラグビーとの出会いを書こうと思います。


それは中学1年の夏だった。父の転勤に伴いイギリスに引っ越し、現地の学校へ転校したのだった。これはおそらくどこに行っても一緒だが、やはり進学したり転校したりして新しい学校に身を置くとなるとどうしても不安が大きくなる。そして僕はそんなときには早めに友達を作ろうとするのだが、その不安は初日の昼休みに解消した。イギリスではもちろんラグビーは盛んだが、一番人気なスポーツはなんといってもサッカー。そんなサッカーを毎日昼休みに校庭で男子が全員やるのだ。男というのはとても単純な生き物で、一回楽しく一緒にサッカーやるだけで仲良くなってしまう。楽しいのはもちろんだが家に帰れば母に怒られる毎日だった。というのもサッカーは制服を着たまま革靴でやるので、それらが全部泥だらけになったまま家に帰るからだ。それがただの泥ならいいのだが、そこにはたまに何かしらの動物の糞がついていたりした。カモであれば匂いは全然しないのだが、雑食のキツネだった場合が最悪で... あとは詳しくは書きませんが、簡単にいうと男子中学生がやりそうなことをみんなでしてました。

汚い話は置いといて、二日目の学校の放課後ちょうど帰宅する前、ジョージといういかにもフッカーをやっていそうな友達が声をかけてくれた。(以下すべて倉橋による和訳)
「そういえばさ、明日ラグビーやらない?」
「明日?土曜日に?」
「そう、みんなやってるよ!」
「え、どこで?」
「ここで、明日9時に来て!」
「ここ?わかった、考えとく。」
ラグビーなんてやったことないどころか見たことないし、ルールは前に投げてはいけないということくらいしか知らなかった。情報はジョージがくれたものだけで半信半疑だったが両親と相談した結果とりあえず行って見学することにした。
そしてまた次の日、前の日に話をしていた場所に行ったら本当に人が集まっていた。みんな学校の体育着を着用して集まっているなか、自分一人だけ私服で行ったせいでめちゃくちゃ浮いてしまった。そして先生に目をつけられる。
「おう、君新しい生徒か?」
「あ、はい」
「誰か知っているか?」
「一応そこにいるオリーとかジョージとか
「その格好はなんだ?早く着替えて入りな!」
マジか。見学という概念は存在しないらしい。見学しようと思っていたものの運動着を持って行っていて助かった。そしてさらに前日に父にタックルの仕方とかされ方とかの基本を教えてもらったのも助かった。別に強豪というわけでもなく練習がきついというわけでもなかったので初心者の僕からしてみればちょうどよかった。しかも学校のチームだったからか次の週の試合でも少しばかりのプレータイムをもらえた。そんなこんなで週一の練習と試合という楽しいラグビー生活が始まった。

そんな僕がラグビーを始めた数週間後、タイミングよく2015年のワールドカップが始まった。衝撃を受けたのは開幕戦のイングランド対フィジー。そこで初めてラグビーがどんなスポーツかなんとなくわかった気がした。これまた逆張りと言われることを承知のうえで正直なことを言うと日本が南アフリカを破った試合よりも心に残っている。もちろん日本対南アフリカも感動したが、その前の弱かった時代を知らないうえに南アフリカの強さも知らない僕からしてみれば隣で父が泣き叫んでいる理由もわからないし行く先々で日本人である僕に対して「よくやった!」と褒めてくる人たちがよくわからなかった。
ワールドカップほど試合数が多く、ラグビーの楽しさを知るための教科書は存在しないわけで、ラグビーを始めてから一ヶ月ほどですっかり学校でのラグビーの話についていけるようになり、チームでもスタメンをとれるようになった。それから勝っても負けても楽しめるようになり、いいプレーをするとみんなから忍者だとか侍だとか呼ばれたことはいい思い出だ。


稚拙な文章でしたが、僕がラグビーを始めた流れはまさにこんな感じでした。これですっかりラグビー好きになったわけですが、再びラグビーをやる機会が訪れたのは大学に入った後でした。それについては残る2回のリレー日記のどちらかで書くと思います。

次は僕の同期の桑田でさえ弟みたいだと言った新2年の武村にバトンを渡します。彼は元気がよく純粋な人間ですが、だからこそ辻のような先輩にはくっつきすぎない方がいいと思います。

 

ポルトガル[ラグビー部リレー日記]

 written by 倉橋 直希投稿日時:2023/11/14(火) 17:47

いつも仕事が速いみくちゃんからバトンを受け取りました3年の倉橋です。どれだけ速いかというと、写真のアップロードが「史上最速か!!」と思うほど(僕の体感)速いです。しかし彼女は仕事が速いだけでなく話しかけてみるとなんとなく面白いので、まだ仲良くなりきれていないプレイヤーのみなさんは是非話してみるといいです。
優しい素敵な先輩という紹介を頂きましたが、このような紹介はこれで2回連続なので僕はおそらく本当に優しく素敵な先輩なのでしょう。このようなことを書いてくれるような仲間たちに囲まれているなんて僕は幸せです。

さて、いきなりですが僕は今年の春から新たな趣味ができました。ポルトガル語です。僕がポルトガル語を勉強しているというと「それ意味あるの?」とか「ああそれやめた方がいい」とかいろいろと心ない言葉をかけられてしまうことがありますが、そういう人に限って英語すらできない人が多いのでそういう人たちにはポルトガル語のことを悪く言う前に英語を勉強してほしいです。今回はそんな人もそうでない人にもポルトガル語とその母国であるポルトガルの魅力についてたっぷりとお届けします。

まず、ポルトガル語はどんな言語なのか。ポルトガル語は言語学的にはロマンス諸語に分類されます。要はラテン語から派生しているわけですが、ローマ人が来る前のイベリア半島にはケルト人はいて、その後もイスラム勢力に支配された時期もあったので、それらの影響も強く受けてます。同じ背景を持つスペイン語とはだいぶ似ているのでスペイン語に触れたことがある人にはポルトガル語は理解しやすいでしょう。
その後ポルトガル語はポルトガルの大航海時代の反映によって世界中に普及しています。現代では英語が国際的な共通語の役割を果たしていますが、この時代ではポルトガル語が異国間の交流で使われていました。結局は現在がそうであるように英語が世界的に普及しますが、ポルトガルの植民地では引き続きポルトガル語は使われ続け、現在に至ります。ポルトガルが旧宗主国というような国ではブラジルが一番有名ですが、実はブラジル以外にもアフリカやアジアなど世界中でちらほら使われています。そんな国に行くことがあったら僕を通訳として連れて行くことをおすすめします(自分や自分に近い人がギニアビサウや東ティモールに行く未来は見えませんが)。
ポルトガル語と一口に言っても実はポルトガルとブラジルでは大きく違うようです。それもイギリス英語とアメリカ英語やスペインのスペイン語とラテンアメリカのスペイン語が違うのとはわけが違うくらい違います。発音や言葉遣いが異なるのはもちろん、文の構造までもが違ったりするようです(詳しくはまだわかりませんが)。また、ポルトガルではそんなことないのですが、ブラジルでは書き言葉と話し言葉が違いすぎて大学入試では書き言葉をちゃんと読むことができるかを見る試験があるほど。ブラジルのサッカー選手などで文字が読めない人がいる話を聞いたことありますが、こんなに複雑だったら文字を読めない人がいても不思議ではありません。
最近勉強していて少しおもしろいと感じたのはポルトガル語では1週間の曜日を数詞を使って表すことです。なんとヨーロッパでこんなことをしているのはポルトガル語だけなんです。他はみんな天体にちなんで月火水木金土日なのにポルトガル語だけ日曜日、23456日目、土曜日というふうに表します。こっちの方が自然な気もしますが。日曜から金曜まではキリスト教における天地創造の日にちから来ていて土曜日だけヘブライ語の安息日から来ています。もともと月火水木金というのは古代ローマで使われていた呼称なのですが、キリスト教世界になったときにキリスト教風に数字で表したのがなぜかポルトガル語だけで残ったようです。

ポルトガルでスポーツといえばサッカーですが、ポルトガルのサッカーの魅力は僕が説明するまでもないので、今回はラグビーについて紹介します。もしポルトガルのサッカーがクリスティアーノロナウドだけだと思っている人がいたら後で個人的に僕に聞いてください。
ラグビーの代表の愛称は’Os Lobos’、「狼」。今年は2007年以来のワールドカップ出場ということで脚光を浴びました。さらに最終節でフィジー相手にワールドカップ初勝利をあげたことが話題になりました。しかしフィジー戦までにもウェールズやオーストラリアに善戦をし、ジョージアとは最後のプレーまで激闘を繰り広げていたので、フィジー戦の勝利はおかしなことではないと感じました。それもボールを展開し、どんどん前に出て行く観客を魅了するようなラグビーをするので、見ていて楽しかったです。
驚きなのは彼らの多くはアマチュアやセミプロでやっていることです。キャプテンがリスボンの歯科医であるだけでなく、他の選手でもパン屋や肉屋など副業をしながらラグビーをやっている選手が多いです。そのようなチームが世界的な選手たちが揃うチーム相手と対等に戦えているのを見ると勇気をたくさんもらえます。
数年前までは欧州ラグビーチャンピオンシップ(シックスネーションズの一つ下のカテゴリー)の下のカテゴリーにいたのに急激に力をつけてきたのは感心しました。この躍進の裏には若手の存在が挙げられます。2007年にポルトガルが初めてワールドカップに出場したときの代表チームを子供の頃に見た世代が影響を受けてラグビーをやってきたのです。そして彼らの多くはまだ20代前半なのでこれからの躍進にも期待していきたいです。

こんなにポルトガルの話をしていたらポルトガルに行きたくなってしまいました。そのうちラグビー部を卒部して暇な時に同期を何人か連れて行ってみたいです。全員で、と言いたいところですが、静岡に行った時でさえみんなバラバラに行動をしてしまったので、ポルトガルに行ったらバラバラになるだけでなくそもそも日本に帰って来れなくなっちゃう人が続出しそうで怖いです。それまでは神泉や代々木八幡にあるポルトガル料理を玉代勢さんと楽しみたいと思います。予習も兼ねて。

次は同期の塩谷にバトンを渡します。
彼は背中が大きいです。そして、強いです。3年前にお互い新歓をされている時に新歓飯を(なぜか)二人で食べに行ったのですが、スタッフになることに興味があると言っていました。プレーヤーになってくれてよかったです。
 

訪秋[ラグビー部リレー日記]

 written by 倉橋 直希投稿日時:2023/05/08(月) 17:33

いつもそのチャーミングな笑顔で人々を魅了するゆいちゃんからバトンを受け取りました、3年の倉橋です。そんなゆいちゃんのことを好きになってしまう人がいても不思議ではありません。ゆいちゃんは僕のことを大人っぽいだの男っぽいだの書いていましたが、僕の頭の中はそんなことないのでもっとお互いのことを知るためにももっと話したいです。

いきなりですが、僕は旅に出ることが好きです。今回のゴールデンウィークは合宿のためにどこかに行けるわけではありませんが、何日か連続のオフがあるときは毎回旅行を画策しています。これまでのオフでは京都、八丈島、淡路島、札幌、福岡、熊本と、全国各地に行きました。そのうちラグビー部を引退したら南米一周とかしてみたいものです。それまでにスペイン語とポルトガル語をマスターしなければ、、、オフがない時はない時で地図や写真を見ながら想像を膨らませています。バーチャル旅行といったところでしょうか。実際に行くのと比べたら屁でもないですけど意外と楽しいものです。
そんなこんなで今回のリレー日記は3月のオフを利用して行った秋田について書こうと思います。秋田といえば同期の礒崎が幼少期を過ごした地として有名ですが、それ以外秋田についての知識が乏しかったので、行ってみました。

初日、夜行バスで秋田駅に着いたら朝だった。朝7時前だからか駅のまわりは全然人がいない。駅のなかも全然人がいなかったうえに飲食店も空いてなかったので、市民市場に行って朝ごはんを食べた。朝ごはんの焼き魚定食を食べ終わったら駅の観光案内所に行けばレンタサイクルが無料で借りられることを調べてあったので、駅に向かった。しかし、なんとレンタサイクルは4月にならないと始まらないという。出鼻を挫かれた。そんなわけでこの日は歩きまくった。とりあえずこの日一番の目的地である秋田城跡に向かった。途中久保田城跡や秋田市民俗芸能伝承館、秋田市役所、八橋運動公園をよりながら。秋田市民芸能伝承館では小さい竿燈を持つ体験がおすすめ。一番大きい竿燈の重さは50キロにも及ぶらしい。どこもそこそこの距離があるのにいちいちバスを乗るほどの距離じゃないというのとそもそもどこに行ってもバスが一時間に一本くらいしかないから結局何時間も歩いてしまった。

ついに秋田城跡にたどり着いた。なぜここに行きたかったというと古代の水洗トイレがあるからだ。実は秋田城は奈良時代に日本の北の玄関口として政治的にとても重要な役割を担っていたらしく、当時の最先端の技術があらゆるものに使われていた。トイレからは当時外国人しか食べなかった豚肉などに特有の寄生虫の化石が発見されており、国際交流が盛んだったことがうかがえる。だがしかし、ここの水洗トイレも4月にならないと公開されないという。仕方なしに資料館だけまわって知識を深めた。
少し歩いたらポートタワーセリオンに着いた。おそらく秋田で一番高い建物。ここの名物だといううどんの自動販売機でうどんを食べようかと考えていた。なんと自動であつあつのうどんを作ってくれるらしい。でもなぜかどこにも見つからない。まさか、と思ったがそのまさかだった。ここ50年間休みなしにうどんを販売し続けた自販機がその2週間だけ修理に出されていたのだ。仕方なく駅の近くまで戻ってご飯を食べることにした。そこで調べておいた居酒屋に向かったらなんと月に2日しかない休みの日がその日だった。もうやってらんない。そんなわけ別の居酒屋で食べて飲んでいい気分。
ちなみにこの時点で泊まる宿がとれていなかった。というのも2日前に予約しようとしたらどのホテル予約サイトでもこの日に泊まれる部屋がなかったのだ。ホテルとか旅館の数は結構あるのに。しかも秋田で観光客らしき人が全然見当たらない。なんでやねん。結局この日は人生で初めてネカフェに泊まったのだが、思った以上に快適だった。後から母にネカフェに泊まったことを言ったら「そんなところに泊まって襲われなかった?」とかなり心配されたが、別にネカフェはそんなことがよくあるわけでもないし、いくらそういう人がいたとしても立派な髭を生やしてる餃子耳の人は襲わないでしょ。

日が変わって二日目。この日はドライブ。まず男鹿半島に行った。とりあえず男鹿半島と八郎潟干拓地を一望できる展望台に行った。世界三景と書いてある。そんなわけ。たしかに景色はいいけど世界中の景色と比べて三本の指に入るか?ツッコミはこれくらいにしておいて、その後は男鹿半島一周してからナマハゲ館に行った。ナマハゲは漢の武帝が男鹿半島にわざわざ漢から連れてきたらしい。まじで意味わからん。ツッコミどころしかない。そんなことはさておきナマハゲ館ではナマハゲ体験ができる。僕はしてないけど。ナマハゲに襲われる体験ができるこのイベントこそナマハゲ館の最大の強みだという。
それを体験せずに向かった次の目的地が伊勢堂岱遺跡だった。ここは実は縄文時代の環状列石がある世界遺産だ。もはや言う必要はないかもしれないがここもまた4月下旬まで公開されない。だがここの資料館はそんなことがどうでもいいくらいよかった。特に精巧に作られたジオラマがポイント。ぜひ秋田に行くときはみなさんもここに寄ってください。
夜は秋田に戻ってきりたんぽ。人生初のきりたんぽにわくわくしていたのだが、入ったお店がきりたんぽを注文した人に紙芝居を披露するところだった。いざ紙芝居が始まったら全部秋田弁。何も理解できなかった。友達はみんな理解できたとか。「そりゃ日本語なんだからわかるよ~」悔しい。

三日目は角館と田沢湖へ。内陸の方へいくと雪が多少残っていた。そんなこともあり、武家屋敷と枝垂れ桜で有名な角館だが、桜は一輪も咲いていなかった。桜の満開は例年4月の下旬。本当に行く時期を間違えた。その後に行った田沢湖は息を呑むような美しさだった。天気がよかったのもあるが。浅いところはカリブ海のような色をしていたのでつい入りたくなってしまい足だけ入ったが、信じられないほど冷たかった。せっかくなのでここでその時の写真を一枚。



ここまでたらたらと自分の秋田旅行について書いてしまいましたが、全体的にはいいところだったので旅行先としてみなさんにおすすめします。ただ、3月よりは4月下旬のほうがいろいろと見られてよいかと思います。

次は合宿で塩谷とともに完投賞を受賞したげんとにバトンを渡します。いつもスクラムやモールで相手を圧倒し続けながらもフル出場を続ける彼らには頭が上がりません。フィールドの内外できついときに頼ってくれるように僕もこれからより一層の頑張りをしていきたいです。
 

専用[ラグビー部リレー日記]

 written by 倉橋 直希投稿日時:2022/11/14(月) 15:43


実は最寄駅が一緒の福元からバトンを受け取りました、2年の倉橋です。僕は自分から共学の匂いがしたことはないし、自分をそんなに素敵だと思ったことはないのですが、福元がそういうのなら多分そうなのでしょう。来年から僕がハーフに転向するかどうかの真偽はとりあえず置いといて、グラウンドの中でも外でも福元以外のみんなにも素敵な刺激を与えていきたいと思います。

 

 
1週間後にサッカーのワールドカップが始まるということで最近はサッカーが盛り上がっているようですが、サッカーを見るのが好きな僕も例外ではなく、今から既にわくわくが止まりません。川崎フロンターレのサポーターの僕からすると今年は6年ぶりに無冠に終わってしまって悲しいわけですが、そんな気持ちを払拭するようなサッカーを日本代表にはしてほしいものです。

サッカーでもラグビーでもそれ以外のどんなスポーツでもそうですが、テレビで見るのと現地で生観戦するのとではやはり大きな違いがあります。僕は今年もサッカーを10試合ほど見に行ったわけですが、現地で観戦するのは別格です。五感で楽しめますし、臨場感溢れるなかで気持ちが高揚します。

そんななか僕がいつも注目するのはスタジアムです。球技を見るのであればどんなスポーツであっても球技専用しか勝ちません。何よりも観客席とピッチの間が狭いことで陸上トラックがある競技場とは得られる迫力が雲泥の差です。実際サッカーやラグビーの本場であるヨーロッパでそれらの試合が陸上トラックのある競技場で行われることはまずありません。どんなに小さな町のチームでもそれ相応の規模の専用スタジアムがあります。もちろん原則には例外がつきものでフランス代表が使うスタッドドフランスは陸上トラックがありますが、それでも普段陸上トラックは可動式の観客席と広めのグラウンドに覆われているのでそれほど気になりません。では、何がそんなに違うのか。これには自分なりに2つの答えを導き出しました。

まず、単純な見やすさ。サッカーを見るために無駄のない設計がされているため、ピッチと観客席の距離は近いし、観客席の傾斜も深めで見やすいのです。日本で最大の収容人数を誇る横浜総合国際競技場(通称日産スタジアム)は「横酷」と揶揄されますが、無理もありません。陸上トラックだけじゃなくて跳躍用のスペースや水濠と陸上競技場特有の緩い観客席の傾斜のせいで限りなくサッカーが見にくいのです。
次に、音。観客側からしても選手の声や激しい球際の攻防はテレビではあまり聞けない音であり、これが試合の迫力を生み出します。選手側からしても応援の声が近いので観客の熱が伝わってきます。いわゆるスタジアムの一体感というのが増していき、これがあの臨場感につながっていくわけです。特に札幌ドームのようなドームになったりすると音が反響して独特な雰囲気が楽しめます。少し話が脱線しますが、札幌ドームは野球やサッカー、ラグビーなどあらゆる競技以外にもコンサートを開催できるように作られているうえ、天然芝と人工芝を入れ替えることができるなど、世界にも類を見ないおもしろいスタジアムです。

こんなわけで球技専用のスタジアムのよさを述べてきましたが、駒場のラグビー場も負けていません。スタジアムではありませんし今の時期の落ち葉の処理は大変ですが、これまで述べたよさ以外にもピッチに覆い被さるような勢いの桜並木があったり(スタジアムではありえない)、立地のよさだったりたくさんいいところがあります。そんな駒場で毎日練習できる環境に感謝しながらこれからも練習に励みます。


次は同期のニノこと二宮にバトンを渡します。ニノは最近怪我も減ってきているうえに、あたりも以前より強くなっているのでこれからの飛躍に期待です。ただ、まだボディコントロールが苦手なようなので春にやったBTSのダンスを練習することをおすすめします。

アメフトとラグビー[ラグビー部リレー日記]

 written by 倉橋 直希投稿日時:2022/05/16(月) 20:33

イケメンでラグビー上手で勉強もできて性格もよくてコミュ力も高い、何をやっても完璧な財木さんからバトンを受け取りました、倉橋です。僕も同期の桑田と同じくかっこいい人間を目指しているので、いつも参考にさせていただいております。今度ご飯に行くときにたくさんコツを教えてください!

 

さて、最近は新歓も終わりを迎えており一年生の顔ぶれが固まってきました。そんな新歓の季節ですが、毎年ラグビー部とアメフト部で最後まで迷う人が多いようです。僕自身はアメフト部の新歓には行かなかったのですが、実はアメフトは7年間やっていました。コンタクトがないフラッグフットボールというタグラグビーにアメフト版みたいのを小学校を入る前から小学校卒業した後までずっと続けていました。最近はアメフトもたまにしか見なくなってしまいましたが、昔はシーズン中は毎週しっかり見ていました。テレビで好きなチームの生放送があるときは朝の3時に起きて見てから学校へ行き、かなり多くの選手の名前も覚えていました。アメフトをやる方でも全国大会で準優勝したり、チームでキャプテンを務めたりとかなり精力的でした。アメフトの理解度が高かったこともあるのか、僕だけ固定のポジションがなく、オフェンスとディフェンスのすべてのポジションをやったことがありました。そんなわけでアメフト漬けの日々だったわけですが、父の転勤があって続けるのが難しくなってやめてしまいました。

 

そこで出会ったのがラグビーなのですが、これがまたおもしろいんですよ。アメフトとラグビーを両方とも知らない人にはよくその違いがわからないと言う人もいますが、実際やってみたら似ているとはいえないほど違いました。違いを挙げ始めたらキリがないのでやめますが、その中でも局面での考え方では共通するものが多かったのです。今でもアメフトで培った考え方や技術を応用したりしながらラグビーをしています。

 

そんなところにおもしろさを感じつつラグビーをしたわけですが、ちょうど昨日で僕がラグビー部に入部してから一年が経ちました。1年生も同じように入ってくれるわけですが、「倉橋さん!」とさんづけで僕のことを呼ぶ人がいるのを聞くと実感が湧きます。僕はあまりきついことやつらいことが苦にならないタイプの人間せいで何事もあっという間に時間が過ぎてしまうので、今年もぼーっとせずに去年以上のいい年にしたいと思っています。応援よろしくお願いします!

 

次は財木二世とも呼ばれる同期の田村にバトンを渡したいと思います。彼も財木さんのように何でもできるタイプの人間で、みんなからの信頼が厚いです。今は彼は怪我して手術をした後なので早く復帰して一緒にプレーしたいです。待ってます!

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