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悔しさ[ラグビー部リレー日記]

 written by 倉上 僚太郎投稿日時:2021/01/12(火) 19:00

戦術チームとして1年間共に活動した前原からバトンを受けました、倉上です。紹介文で「明るい」だけは本当にやめてくれと頼んだのですが、それすらも彼には「フリ」に聞こえていたのでしょう。彼の底知れないお笑いセンスには、ただただ脱帽します。
 

このリレー日記を書くにあたって、東大ラグビー部での4年間か、それともラグビー生活10年間か、どちらを振り返るべきなのか迷ったので、とりあえず自分にとっての今シーズンを振り返り、そこから考えたことを綴りたいと思います。
 

2020年11月、僕は4年生にして初めて対抗戦のスタメンとしてグラウンドに立っていました。ここに来るまではとても長い道のりでした。1年生の頃はスイカを着ることすらできず。2年生ではAチームに入りながらも、スタメンには届かず。3年生では肩の手術でシーズンの大半を棒に振りました。4年生でやっと訪れたチャンス。相手は明治学院、1年生から一度も勝ったことがない相手。すごく楽しみで、歴史を塗り替えられると心から思っていました。
 

しかし結果は悲惨なものでした。自分の不甲斐ないプレーもあり、前年と同じくらいの大差をつけられて負けてしまいました。最もターゲットにしていた試合で、自分たちのラグビーをすれば勝てた試合でした。このときから自分はどんどん試合を楽しめなくなっていき、悪いプレーを重ね、4年生の対抗戦は、結果6位という順位に終わりました。その後チームが再び勝ち始めたときには、自分の姿はグラウンドにはありませんでした。脳震盪で離脱していた間に後輩たちがメキメキと力をつけ、自分に代わってチームの主力として活躍するようになっていたのです。
 

これが僕の、最後の対抗戦シーズンのまとめです。一言で言えば、本当に悔しいことばかりでした。4年生のシーズンにして、これまでの人生で一番「悔しい」、「辛い」シーズンでした。それとともに、これまでのラグビー人生に対しての後悔も込み上げてきました。もっと練習すれば良かった。もっとウエイトしておけば良かった。もっとストレッチしておけば良かった。もっと先輩から教われば良かった。もっと後輩達とコミュニケーションを取れば良かった。そんな今まで積み重なった思いが、一気に自分の中で溢れるような、そんなシーズンでした。
 

これまでネガティブな言葉を並べてきて、最後のリレー日記にふさわしくない内容になってしまいましたが、僕は決してネガティブな気持ちのまま卒部したわけではありません。こんな悔しい思いをしながらも、このシーズンを戦えて良かったと、心から思います。それは、僕が「悔しい」と思えていることに、満足しているからです。学生生活最後の年、「なんだかんだで楽しかったです」と言うこともできるだろうし、「みんなとラグビーできて幸せでした」と言うこともできるでしょう。どれも偽らざる僕の思いです。しかし僕はあのとき悔しかったことを絶対に忘れない、忘れたくないから、敢えてこの最後のリレー日記に悔しい思いを綴らせていただきました。
 

自分がこんな風に、試合後3日ぐらいはほとんど眠れなくなるほど「悔しい」と感じられるようになるとは、中学生の頃は思いもしませんでした。勝ち負けにあまり執着がなく、できれば戦うことから逃げたかったような少年でした。スポーツ、特に「戦い」が競技の根本にあるラグビーをしていく上で、自分のこのような性格はずっと消えぬまま、今でも大きな壁となっています。ですがラグビーを続けてきたことで、グラウンドの上ではまた違った自分が出せるようになりました。それが「アスリート」の自分です。一つ一つの勝負にこだわり、本気で勝ちたいと思い、どうやったら勝てるか本気で考え、そして何より、そんなプロセスを楽しいと思えるような、自分です。学生生活の一つのピリオドを心からの「悔しい」で終えることができるような、自分です。そんな自分を育ててくれたラグビーは、本当に偉大だと思います。周りのレベルの高さについて行けず何度も退部を考えた中学・高校時代、それでもなぜか続ける意味がある気がして、たくさん涙を流しながらも、ラグビーから逃げ出さなかった自分を讃えたいです。
 

この場で申し上げるのが適切かはわかりませんが、現役時はあんなに嫌いだった久我山ラグビー部に、今とても感謝をしています。久我山で味わった幾多の悔しい思いと、本当にわずかではありますが、成功したときの思いがあったからこそ、大学でもラグビーをやるという決断ができました。また久我山の同じグラウンドで同じ練習をしていた仲間たちが、大学ラグビーの第一線で活躍してくれたことは、少なからずモチベーションにつながっていました。
 

そして東大ラグビー部での4年間は、紛れもなく僕を成長させてくれました。妥協しそうになったとき、無理だと思ったとき、平気な顔して努力できる人間が周りに沢山いたことで、弱い自分でも努力できました。特に同期が頑張っていたり、結果を残したりしたときは、自分の中でも燃えるものがありました。ありきたりな表現になりますが、同期と一緒だから、4年間続けることができたと思います。
 

大したラグビー選手ではありませんでしたが、これからまだラグビー生活が続く後輩たちに伝えられることがあるとするなら、繰り返しになりますが、僕はラグビーで味わった悔しさを、絶対に忘れないということです。そんな人間が社会の片隅で生きているということを、辛くなった時に思い出して欲しいです。悩んだり壁にぶつかったりすることは本当にきついですが、そのきつさは決して間違ったものではありません。正しい方向に進もうとしているからこそ、きつい時があるんだと思います。
 

これまでの僕のラグビー生活に関わってくれたすべての人に、感謝しています。特に両親は、中・高・大と、僕が出場する、しないに関係なく、ほとんどの試合に応援に来てくれました。10年間のラグビー生活を通して、本当に有り余るほどの愛情を注いでもらいました。ありがとうございました。応援、お疲れ様でした。
 

ラグビーに向いている、向いていないという分類をするなら、僕はおそらく向いていない方に入るんだと思います。でもちょっとずつ、自分のペースで歩んできたこの10年間は、自分にとって全く無駄じゃなかったと思います。これから色んなことが起きて、色んな壁が自分の前に現れても、きっとラグビーで味わったたくさんの悔しさと、少しの嬉しさ、そして「アスリート」に少し近づけた自分が、助けてくれるはずです。僕を育ててくれたラグビーとラグビー部に、心からのありがとうを述べ、最後の言葉とさせていただきます。
 

次は、部内屈指の頭脳と大きな器を持つ宝島にバトンを回したいと思います。彼の繰り出すディフェンスはまさに「職人技」で、下級生の頃から嫌な顔一つせずに淡々と体を張り続けてくれました。本当にお疲れ様でした。

スポーツの論理[ラグビー部リレー日記]

 written by 倉上 僚太郎投稿日時:2020/07/28(火) 01:32

本人曰く「ラグビーの天賦の才能がある」財木からバトンをもらいました、4年の倉上です。財木が悩んでいたときに、僕と川端が部室前で色々と相談を聞いたのは、僕が1年生だった頃に、先輩に同じようなことをしていただいたからです。財木もいつか、後輩の相談を聞くことになるでしょう。そのときに少しでも僕らのことを思い出してくれたら嬉しいです。


 

(以下、一人称が「私」に変わりますが、気にせず読んでください。)


 

私はスポーツが好きだ。中学の頃からずっとラグビーというスポーツに触れてきて、大学でもやっているなんて、世の中の人から見たら「どんだけラグビー好きなんだ」「どんだけスポーツやるんだ」と思われると思う。


 

しかし私は、単なるラグビープレーヤーではない。大学に行き、多少なりとも学んでいる身である。もちろんラグビー選手としての私と、大学生としての私は、本来異なる場にいる人間であって、混同しすぎてはいけないことは分かっている。ただ、授業とトレーニングが同じ部屋で行われるような生活を、数ヶ月ずっとやってきたからであろうか、どうしても混同してしまうのである。なのでここでは、異なる論理を混同した、ちょっと突拍子もない意見を述べたいと思う。


 

私は今、卒論構想の佳境を迎えている。テーマはなんとなく定まり、読むべき文献もなんとなくはリストアップできてきた。熱意が足らず、まだ全然読み切れていないのだが。そしてそのテーマというのが、「生活保護受給者に対する偏見」だ。こういった部の公式な場で、社会問題について具体的に言及することが煙たがられるのは承知だが、なにせ今回のリレー日記はとにかく「混同」をしようと決めているので、あえて具体的に言わせてもらった。


 

先行研究に目を通していると、生活保護などをはじめとする社会保障を受けて生活をされている方に対して、「自己責任」という言葉を投げかける世論があることを、とても痛感する(もちろんケースバイケースではあるが)。この自己責任論は果たして正しいのだろうかと、私は引っかかるところがあるのだが、中には割と引っかからずに、「まあ自己責任だよなぁ」と納得する人もいると思う。おそらくそう思う人は、やる気と能力さえあれば、人は何にだってなれる、何だってできるんだ、と考えている部分が、多少なりともあるのではないだろうか。


 

少々乱暴な議論かもしれないが、上記のように、頑張れば夢は叶う!という論理は、スポーツにおいて多いように思う。このこと自体を私は否定したいわけではない。というかむしろ、そういう論理が、スポーツのレベルを上げていくし、スポーツを面白くしていくと思う。たとえば人よりも筋肉がつきにくいとか、人よりも運動神経が悪いとか、そういうことを言い訳にしていてはスポーツは面白くない。そういった逆境や、苦難や、どうにもならなそうなことから逃げず、自分にベクトルを向け続けていくことが、アスリートには求められる。「できないんじゃない。やるんだ。」と熱意を持って取り組むこと、これがスポーツをやる上で最も重要なメンタリティだろう。


 

さらにスポーツでは、勝つことは正しい。なぜなら勝利とは、正しい努力の結果だからだ。勝てなければ何が悪かったのか反省するし、皆勝利を目指して日々取り組む。何ら不思議のないことだ。


 

でもふと考える。スポーツをひとたび離れたところ、たとえば私がこれから研究対象にしていくであろう貧困問題の世界などでも、それは正義だろうか。とんでもない議論の飛躍であることは百も承知だが、ふと考えてしまう。言い訳せずに日々戦い続けろ、そして勝利を目指せ。負けたのなら、何が悪かったのか考えろ。自分にベクトルを向け、向上心を持って改善に努めろ。こういった論理がもしスポーツの世界を飛び出して、世の中一般の正義として捉えられるようになったらどうだろうか。


 

そのようなスポーツの論理の中で青春の多くの時間を過ごしてきた私は、おそらく社会に出ても、「ラグビーやってた人」だとか、「体育会系」というレッテルを多少なりとも貼られて生きていくだろう。でもだからといって、まるでスポーツの試合のように勝ち負けがハッキリしていているような世界を生きたいとは、私は絶対に思わない。勝ちでも負けでもないようなことがこれから何度も何度も起きて、自分にベクトルを向けるだけじゃ乗り越えられないようなことが何度も何度も起きると思う。そんなときでも、アスリートのように困難に立ち向かう強さを求められるのだとすれば、何だかとても生きづらいなと思う。


 

だから結局、スポーツはスポーツなのだ(自分で「混同します」と言っておきながら、結局「混同しちゃいけない」という結論になってしまった)。スポーツが世の中に与える影響は、本当に大きいと思う。アスリートはこれまでも、そしてこれからも、勇気を与え続ける存在だろう。でも誰もが彼らのように強くはないし、もっと言えば彼らも、私たちが思うほど強くはないと思う。私たちラグビー部は、今「強くなろう」としている。でも「強くなろうとする」ということと、「強くなくてはいけない」ということは、全く違う。弱いから、強くなろうとするのだ(そもそも東大ラグビー部は弱い)。根底には弱さがある。そしてその弱さが露呈することもある。それはスポーツの面だけではなく、世の中一般に言えることではないかと思う。だから弱さを認められなかったり、弱いものを否定したりする人間であっては、絶対にいけないと思う。勝者と敗者がいるのなら、敗者への最大限のリスペクトを。自らをエリートだと思うのなら、そうでない人への最大限のリスペクトを。分かっていても、なかなかできないことだ。

 


ここまでなんだか、スポーツを否定するようなことを書いてきてしまったが、そんな意図は全くない。私はやっぱりスポーツが好きだし、ラグビーが好きだ。それは多分、ラグビーが楽しいからだと思う。ラグビーは、勝っても負けても楽しいと思う。ただ、何もせずとも負けることはできるが、何かしないと勝つことはできない。せっかくやるのなら、何かしたい。だから私は、勝ちたい。

 

お前はスポーツ選手だろ、そんなことは勝ってから言え、と思われるかもしれない。しかし少なくとも東大ラグビー部は、「勝った者にしか発言権がない」組織ではない。私はそう思っている。だからこういうことが言える。素晴らしいことだと思う。


 

次は、センターパートで唯一清潔感のある廣瀬にバトンを回します。廣瀬とリモートで会うとき、毎回同じ服で、毎回同じ背景のような気がして、もしかしたら同じ動画をずっと流し続けているだけなのでは?と疑ったことがあります。

サバイバーズ[ラグビー部リレー日記]

 written by 倉上 僚太郎投稿日時:2020/03/16(月) 19:37

いつも不思議な言動で場を沸かせる五島くんからバトンを受け取りました、四年の倉上です。



 



【サバイブ】



自分の達成したいことに向けて、人に先んじて行動をすること。またそのさま。東大ラグビー部内のみで意味が通じる。サバイブする人を「サバイバー」と呼ぶ。





こちらの「サバイブ」という語彙は、私たち四年生の学年内で生まれ、瞬く間に部内に広まったワードです。誕生から2年経った今も、親しみを持って部員たちに用いられています。使い方は本当に人それぞれですが、例えばある同期とウエイトを一緒にしようと約束していたときなどに使えます。



「お前、今日一緒にウエイトするよな?」



「あ、ごめん今日勉強したいから昨日やったわ。言うの忘れてた。」



「うわ!サバイブされた!」



このようにして「裏切り」的な意味で使われることが多いです。この例文では、勉強によって日々を充実させるために、人に合わせるのではなく自分のスケジュールで行動してしまった人が「サバイブ」として非難されています。確かに「先にウエイトする」ことを知らせていなかったことは非難されてもおかしくありませんが、私は彼の「自分のためになる時間の使い方をする」という姿勢は大いに評価されるべきだと思います。



そもそもこの「サバイブ」という言葉が部内に広まったのは、自分の意思で行動を決定できる人がまだまだ部内に少ない証拠ではないかと思います。人と一緒じゃなきゃ嫌だとか、人に合わせたいと思っている人が多いからではないかな、と思ってしまうのです。かく言う私もよくこのワードを使って同期をイジっていますが、そのたびに「サバイブできる人は強いなあ」とも思います。サバイブせずにみんなと一緒にやった方が、幾分気は楽ですから。



少し話は変わりますが、先日テレビのドキュメンタリー番組で、ラグビー日本代表のトンプソン・ルーク選手の特集が組まれていました。その番組では、トンプソン選手のプレースタイルについて、「日本人よりも日本人らしい」という表現がされていました。これは「周りのために自己犠牲ができること」を指し示しているらしいのですが、こういった表現に私は少し悲しくなりました。トンプソン選手、ひいては全てのラグビー選手の自己犠牲は周りのためなのでしょうか。



もちろん自分だけのために体を張れるほど、私たちは強くありません。どこかでチームメイトのために、と思うこともあるでしょう。しかしその自己犠牲をした先に、誰にも味わえないような勝利の味、誰にも見られないような景色があることを、きっとトンプソン選手のようなトッププレーヤーは知っているのでしょう。誰のせいにもせず、自分が本気で達成したいと思ったことに向かっていける強さが彼らにはあるのです。



自分が実現したい未来は何なのか、それを実現するためにみんながラグビー部で活動をする。そんな部活でありたいといつも思います。そのために私たちは、やるべきこと、やりたいことを明確にして、意思を持って行動できる強い人間にならなければいけません。みんながそうなれば、「サバイブ」という言葉も、必要なくなるのかもしれません。



四年生としてのこれからの一年間、部員全員が高いモチベーションで部活にコミットし、目標に向かって自ら決定できるような集団を作っていきたいです。最高の「サバイバーズ」に、いつかなるために。



次は、「シュウ様」という愛称で親しまれ、一部では王子様的人気を誇る、大山くんにバトンを回したいと思います。

リアル[ラグビー部リレー日記]

 written by 倉上 僚太郎投稿日時:2019/08/08(木) 22:47

クールな印象ですが、話すととても腰の低い一年スタッフの琴音ちゃんからバトンを受け取りました、三年の倉上です。「背中に羽が見えている」と表現していただき、天にも昇る気持ちです。





今回は、私がここ一ヶ月ぐらいハマっている漫画に関する話をしたいと思います。井上雄彦さんの『リアル』という作品です。井上さんといえば、スポーツをする者なら一度はその名を聞いたことのある名作、『SLAM DUNK』の作者であり、バスケのイメージが強いかと思います。『リアル』もまた車椅子バスケを題材にした物語であり、努力や友情といった部分を描いている点では『SLAM DUNK』と近いと言えるかもしれません。しかしその物語の軸は、いわゆるスポ根漫画のように「勝利」や「敗北」にあるのではなく、それらを通じた「前進」にあるように思います。



物語全体をここで説明しようとすると長くかかってしまうので、概要だけ説明させていただきます。主人公は三人。骨肉腫で左足を失った戸川清春、大切な人をバイク事故に巻き込んでしまった高校中退の野宮朋美、野宮の元チームメイトで、交通事故で下半身付随になった高橋久信。この三人を中心にして、車椅子バスケを通じた人間ドラマを描いています。



私はこの作品を読んでいく中で、『リアル』というタイトルの意味を考えるようになりました。作中の彼らが直面する現実は、どれも困難なものばかりです。主人公たちだけではなく、その周りの人たちもみな、何か乗り越え難い現実にぶつかり、苦悩し、それは物語が終わるまで、いやきっと終わってからも続きます。



しかしこの作品はそういった現実と向き合う姿を、決して「かわいそうな障害者」だとか、「社会的弱者」の健気な姿として描くのではなく、激しく戦い、ときに敗れ、這いつくばってでも前進しようとする、実に「リアル」な姿として描こうとしています。そういった意味でのタイトルなのではないかと自分なりに解釈し、今自分が置かれている状況を客観的に考えてみようと思います。



5月に肩の手術を受けた私は現在DLに入っており、まだ当分ラグビーができません。東大ラグビー部でのDL生活はこれが初めてではなく、一年生の頃に少々、二年生時には3ヶ月の長いDL生活を送って来た私ですが、思い返せばその都度何かしらの「希望」を抱いてDLになっていた気がします。この期間を利用してめっちゃ強くなってやるとか、ラグビー以外のことでも、この期間にたくさん勉強しようとか、そういったことを考えていました。このように考えること自体悪いことではないし、目標を立てることは必要なことです。しかしDLに入り、プレーしていたときに抱えていたプレッシャーから解き放たれて、少し高い目標や希望を抱いてしまっていたのであれば、それは「リアル」と本気で戦う者のすることではないと思います。実際私の抱いた「希望」たちは具体的な目標になることなく、つまり客観的な評価がなされずに、なあなあになって復帰をしてしまっていたというのが現実です。



DLが直面する現実とは、何でしょうか。



一つには、怪我です。車椅子バスケをプレーする人たちのように、もう一生体のある部分が動かない、という状態ではもちろんないですが、一度抱えた怪我は、復帰後のプレーにも大いに影響してきます。それをまず認めなければなりません。思っているよりも強くはならない、そのことを受け入れるべきです。



そして怪我よりももっと強大な「リアル」が、チーム内での競争です。私を含めDLに入ると、チームのことが客観的に見られるようになるため、自分が上手くなったような気になります。しかし実際には、チーム内競争の中では最下位にいると思った方がいいでしょう。プレーできない選手に、ゲームの局面を打開することはできません。少なくともプレーしていなければ、自分の手ではどうしようもないことが沢山あるのです。



漫画の話に戻ります。私が『リアル』の中で最も好きなセリフの一つに、「別に勝たなくてもいい。ただ、負けるなよ。」というものがあります。これは半身麻痺を負った高橋に向けて、高橋の父が言った言葉です。自分の今の現状に勝とうとして、それを一生懸命否定したって仕方がない。それを直視して、押しつぶされないよう踏ん張れということです。



DLは決してラグビーがプレーできなくてかわいそうな存在などではありません。私たちDLは、怪我という現実に潰されて自分が本来目指していたものを見失わないように、踏ん張って、戦っている存在です。そう自分たちを奮い立たせなければいけないと思います。



怪我したことを言い訳にするのではなく、怪我という負債を抱えたことを認め、その上で常に戦っていこうと思うのです。最後に笑えるように、今ある環境で精一杯もがいていきます。



と熱く語ってきましたが、何はともあれ、ぜひみなさんに『リアル』を読んでいただきたいなというのが、一番伝えたいことです。今目の前にあるものに全力で挑んで行こうと、前を向ける作品だと思います。まとまりのない文章失礼いたしました。



 



次は、最近筆者へのイジりが一段と加速している二年生の北野にバトンを回したいと思います。彼は山中湖合宿にてサッカーゲームで私にボロ負けし、どうやら相当悔しがっているようです。大切な後輩を不覚にも傷つけてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

徒然草[ラグビー部リレー日記]

 written by 倉上 僚太郎投稿日時:2019/05/17(金) 23:25

テキパキした仕事ぶりでスタッフ業をこなしてくれている、同期の木下からバトンを受けました、三年の倉上です。彼女は頭の回転が早すぎるあまり、のんびりした性格の筆者がそれについていけないことが往々にしてあります。様々な人がいるものですね。




 先日、人知れずかなり悩んだ末に、肩の手術を受けました。人生で初めての手術でした。術後まだ一週間ほどしか経っておらず、この先どうなっていくのだろうという不安が頭をよぎりますが、決断したのは自分なんだから、ちゃんとこの決断をしてよかったねと思えるように、どうにかしなければいけない、自分で責任持って頑張らなければいけないと感じています。



 

手術の内容は詳しいことはここで説明する気は無いですが、結果から申し上げますと僕は現在右腕なしで生活をしています。これは本当に思っていた以上に難しい作業です。日々のなんとなく両手でやっていた行為をすべて一度解体して、ひとつひとつの動きにバラして、構成し直さなければなりません。みなさんは服を右腕から脱ぐか左腕から脱ぐか、意識したことはありますか。特殊なつくりの服でないとそこまで意識しないことだと思います。片腕が使えない人間は、まず使える方の腕から脱いで(これが既に大変)、次に使えない方の腕を脱いでいきます。着るときは逆で、使えない、動かない方の腕に袖を通し、背中にかけてから、使える方の腕に袖をねじ込んでいきます。こういった面倒な着方をするので、そもそも着られる服のタイプが限られています。ファスナーやボタンが前についているタイプの服でないと簡単に着られません。手術する二週間ほど前に奮発して買ったリーバイスの白のセーターも、しばらく着られません。結構お気に入りで、同期の松井も褒めてくれていたのですが・・・



 

こんな生活をしていると、月並みの表現になりますが、自分の生活が多くの人に支えられているな、支えられないと成り立たないなということがよくわかります。退院するとき、母が付き添ってくれました。僕が入院時に荷物を持って来すぎて、とうてい片手では持ちきれないぐらいバッグが重くなってしまったため、荷物の一部を紙袋に詰めて持って帰ってくれました。自宅から駅が歩くと少し遠いため、ほぼ毎日、時間が合えば、仕事から帰った父が車で駅まで迎えに来てくれます。現在、傷口から感染してしまう恐れがあるため衛生上部活に行くことが禁じられている僕は、本郷キャンパスで昼ごはんをラグビー部の同期と食べるとき、つい嬉しくて饒舌になり、うるさくなります。みんなと会うということがどれだけ自分の生活の中で大切な一部であったかということに気付かされます。



 

このように当たり前であったことが当たり前でなくなる機会というのは、考えてみればこうして長期離脱をするときぐらいしかないんじゃないかと考えるようになりました。そう考えることによって離脱を正当化してるところもあるかもしれません。しかし少なくとも、生活について深く考えること、当たり前のようにいてくれる周りの人に感謝すること、そういうことが増えたのは事実です。半年後に僕は復帰し、当たり前のようにラグビーを楽しみ、当たり前のようにトレーニングに汗を流し、当たり前のようにフィットネスメニューに苦しんでいることでしょう。だからそうなってからではもう気づくことのできない、ラグビーができる喜びや、普通に生活ができる喜びを、それが叶わぬ今のうちに、たくさん感じていきたいと思うのです。



 

急激な環境の変化に、まだ全然考えがまとまっていないので、そのまとまらないまま、感じているままを記してみました。特にこれといった答えのない、徒然草のように読んでいただければ幸いです。



 

続いては、数少ない三鷹パートの後輩の一人である二年の齋藤にバトンを回したいと思います。最近では同じ三鷹パートの某一年生がよく家に来るらしく、筆者もいつか彼が家に押しかけてくるのではないかと、恐れおののいております。
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