ブログ 財木 一多さんが書いた記事

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ピンチとチャンスは漢の花道[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2022/12/06(火) 19:18

“漢”の代名詞でもある笹俣からバトンを貰いました、財木です。
ささは日記からも分かるくらい熱くてカッコいい漢です。
ささからスクラムの組み方、難しさ、面白さ、全部教えてもらったと思う。
スクラムの最前列でいつも身体を張ってくれてありがとう。
滅茶苦茶かっこよくて頼もしい。

去年の立教戦後、大西さんと杉浦さんに呼び出されFWの転向を伝えられたときから、今日まで丸一年近く経っている。
FW転向した当初は毎日が全部新鮮だった。
今まで指をくわえて見ているしかなかったモールディフェンスに参加できた喜びもあったし、スクラムやラインアウトでトライを取れた時の喜びは今までの何倍もあった。
フロントのカッコよさに痺れたし、少しでも力になりたいと今でも思ってる。

そんなFWとして迎える最後一年が始まるとき、「突破口」というスローガンを自分の中で掲げた。
自分のチーム内での立ち位置を考えたときに、自分からアタックで盛り上げたい、
相手のディフェンスを自分から崩したい、突破口を開きたい。
そういう想いでこのスローガンを掲げた。

春先の頃はわりと上手く行っていたように思う。
BBCとかCCとか辛い練習に比べて試合は楽しかったし、自分も活躍できてうれしかった。
主将副将が不在でも勝ててたことが自分の自信にもつながった。
自分の役割を、完璧ではないものの果たせてる実感があった。

ただ夏以降自分の中でどうしたら上手く行くのかがずっとわからない。
対抗戦中もずっと悩んでいた。
どうして上手く行かないのかわからないし、どうして上手く行っていたのかもわからなかった。
最近廣瀬とそういう話にもなったけど、上手く行ってる時は上手く行ってることに無自覚だし、思い返しても要因がよくわからない。
自分のジャーナリングと試合を見返して、次はこういう目標で試合に臨もうと自分なりに試行錯誤をしたと思う。
でも結局対抗戦7戦で自分の満足のいく試合はなかった。
がむしゃらにやればやるほど空回っていくのが空しかった。

自分自身の置かれてる状況すら突破できていない。
ムラのある選手で、首脳陣も使いづらかっただろうなとは正直思う。
23歳にもなって、こんなにも自分のプレーを反省したりするとは思わなかった。

最後のリレー日記だから華々しい4年間を振り返りたかったけど鬱屈とした文章になっちゃいました。
それでもこの4年間は嘘偽りなく楽しかったです。
できることも少しは増えたし、今まで話すこともなかったような考えの人と喋ったり。
何人かは減っちゃったけど、一番人数の多い学年で楽しかった。
多分ラグビー以外でもこういった悩みができていくんだろうなと思いつつも、そのときもまた周りの手を借りながら解決出来たらなと。

次はごたつにバトンを渡します。
浪人期からの付き合いで、いい意味でドライで淡々としているごたつには色々と相談したと思います。
いつも汗で濡れてるくせに、水に濡れることが世界一嫌いとか、
「アホじゃん」に「天才だから」と返すのは治した方がいいと思う。

ケから正す[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2022/10/24(月) 21:20

礒崎からバトンを貰いました、財木です。
モテる秘訣はむしろ合コンでブイブイ言わせている礒崎の方が知っているんじゃないでしょうか。
國枝の御眼鏡にかなうひとはそうそういないので色々と教えてほしいくらいです。
毎練習後お風呂に入らないことが秘訣…?笑

気づけば対抗戦ももう4戦終わってしまいました。
9月頭に始まった対抗戦ももう2か月経っています。
この1年の初めから後悔しないように後悔しないようにと練習に取り組んできました。
新歓pvなどの動画を見返してみても、チームとしてキツイ練習を積んできた自信はあります。
それだけに一橋戦での敗戦は本当に悔しかった。
試合中に聞こえた「あの東大に勝ててるぞ!」「このスクラムを耐えれば…」という言葉は悔しさを倍増させるものでした。
ただただ慢心していた、その一言に尽きると思います。

ごたつまつげんの書いたように、泥臭く相手をドミネートしなくてはならない。
あらゆる状況を予測して万全の状態で試合に臨まなくてはならないと痛感しました。

ハレはケの上に成り立つ。
試合での一瞬は、日常のすべてが集約されていると思います。
一橋戦が終わってから自分の日常をもう一度見直そうと思い立ちました。
おざなりになっていた勉学にも向き合い、日常を丁寧に過ごそうとしています。
それでも武蔵戦では気の抜けたタックルミスをしてしまいました。
最近思うように活躍できていないのも日々の雑さがにじみ出ている気がします。

数週間程度でどうこうなる問題とは初めから思っていませんが、次の成蹊戦では目立てるように、日常生活から正していきたいと思います。

次は1年の鷲頭にバトンを回します。先日の武蔵Bでのタックルは鮮やかなもので、タックルがまだまだ苦手な僕には刺激になりました。そんな鷲頭ですが、彼から唯一きたラインが「サインくださーい」とふざけてるので、僕は彼のことが嫌いです笑
 

孤独[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2022/05/14(土) 16:54

二年の中でもっとも僕のことを舐めているスバルからバトンを受け取りました、財木です。二年生の多くは敬語を使わず、“先輩”や“さん”をつけることもなく、「いっちー」と呼んでくる不届き者も蔓延る中、敬語を使った上で舐めてくる特殊なパターンがスバルです。
そんなスバルがフォロワーシップという単語を知っていることに驚きを隠せません。

五月に入ってから雨続きでジメジメとした天候が続いていますが、僕は雨の日がわりかし好きです。
傘の色が一つ一つ違うのも理由の一つですが、雨の日はみな平等に孤独だなと感傷に浸れるからです。
喋る人も少なく、聞こえるのは足音と傘に当たる雨音だけ。
目が合う人も一握りで、匂いも雨の匂いがほとんどです。
五感のほとんどがどの人でも均一で、傘によってひとひとりのパーソナルスペースが可視化されているように感じます。

現代はどんどんと個人の価値が上がっているように思います。
ひとりの時間が増え、ひとりでいることを許容してくれる場所が増えました。
ヒトカラ、一人焼肉、タイニーハウス。
一昔前では「家」を守ることが第一で、跡継ぎとなる男児を欲し、養子を組んででも家を守る、といった家主体の考えが主流でした。
しかし現代ではより個人に焦点が当てられ、自由恋愛が推奨され、結婚も個人の意思に依る部分がおおきくなっています。
衣食住や娯楽といった生活の基盤はよりひとりへと向かっているように感じます。

雨の日だけでなく晴れた日でも同じように感じることが多々あります。
イヤホンで聴覚を塞ぎ、マスクで嗅覚を閉ざし、視覚はスマホに奪われる。
建築の設計でも外に開け外に開けとコミュニケーションを生むように促します。
しかし、ひとりはそれほど悪いことではない気がします。
確かに傍から見たら孤独で、古き良き日本というような縁側で近所の人と、といった関係性は都心部ではないのかもしれませんが、
スマホを通じて常に外部と繋がっていますし、時間場所問わずして連絡を取れる現代はより密な関係性なように思います。

要するに孤独を楽しむというのはこれから案外大事だなということです。
そんな僕も最近、御朱印帳なるものを購入し御朱印を集めることにハマってます。
まだまだ始めたばかりでにわかもいいところですが、元々神社仏閣を見るのが好きだったので合わせて見ていけたらなと思ってます。

次は独特なセンスを持つ倉橋にバトンを回します。
倉橋は誕生日に同期から送られたというサングラスをかけ、グラウンドを闊歩しています。
イギリスにいっていたなど倉橋と共通点はありますが、あまり話したことがないので今度ご飯行きましょう。
 

宗教について[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2021/10/05(火) 23:40

愛嬌たっぷりな日香ちゃんからバトンを受け取りました財木です。
僕の母親や祖父母も同じ水戸出身ということもあってか、まだ会ったこともない家族からの好感度も高く、母親からは時折にちかちゃん可愛いねとLINEが来ます。
ちなみに母親が安富に触れたことは一度もありません…

「雨季乾季の差が激しく安定した作物が取れない、西欧や西アジア地域を中心に信じられているキリスト教やイスラム教といった宗教は、辛い現世を乗り越えれば幸せな天国へと導いてもらえる、という考えが根底にあるのに対して、四季がはっきりとしていて自然豊かな中国や日本を中心として普及している仏教や神道では、徳を積めば幸せな現世に来世も『戻ってこられる』という考えが根底にある」という主旨の文章を最近読みました。
今回はそれに感化されたこともあるので「宗教」について書いてみようかなと思います。

2018年のNHK調べによると、信仰宗教が無いと答えた人の割合は62%にのぼります。
しかし、同年のデータブックオブザワールドによると、日本人の宗教内訳は神道が84.9%、仏教が68.5%、キリスト教は1.9%で、他の国には無い「二重所属などにより100%を上回る」という表記があります。
僕自身も自分の宗教がわからず、イギリスにいたときに「君の宗教は何なの?」という質問の答えに窮していました。
無宗教と言いたくても、あいにく英語には無宗教なる言葉がなく(正確には通じず)、面倒になると決まって無神論者だと言っていました。
でも祈ることもあるので無神論者じゃないし、事あるごとに神社や寺でお守りは買うし、お正月は思い出したかのように初詣に行ったかと思えば、夏にはお盆休みを享受します。
最近では神道と答えることも多いですが、自分の宗教が何なのかよくわかってはいません。

今思えば、イギリスと日本とでの国民の最大の違いは宗教に対する考えにあったように感じます。
イギリスの公立中学校では「Religious Education」と呼ばれる宗教を学ぶ授業がありました。
その授業の先生は女性で髪を完全に剃っており、カツラをして授業を行っていました。
というのも、その先生は敬虔なユダヤ教徒であったために、婚姻後に剃髪しなければならなかったからです。
日本の小学校で黒髪の女教師しか見ていなかった僕にとって、毎日のように髪色や髪型が変わる先生や、それを当然のものとして受け入れている生徒に違和感しかなかったことは言うまでもありません。
お弁当に唐揚げを入れていくと、イスラム教徒の友達が一口貰う前に、これはハラールか、と聞いてきたし、当時一番仲良かった黒人の友達はいつも十字架のネックレスをしていました。
一学年100人程度の中学校なのにキリスト教由来の名前であるDanielは5人もいたし、イスラム教由来のMuhammadに関しては10人くらいいた気がします。

それまでは教えが厳しく破ってはいけないものというイメージが強かった「宗教」でしたが、それは人によるというのも大きな学びでした。
イスラム教徒の断食月であるラマダンの期間になると、水さえも飲めないからといって学校を欠席(公欠扱い)する生徒もいれば、飲み物は大丈夫といって糖質を多分に含んだ甘ったるいスポーツドリンクを飲むというようなグレーゾーンを攻める友達もいました。
日曜日の教会参列を気分でやめる子もいたし、一日5回の礼拝を全力の一回で済ませる子もいました。

宗教は飽くまでも日常の一部、と宗教学の先生が仰っていたのを覚えています。
日本は宗教が身近ではないというわけではなくむしろ身近過ぎて気が付かない、イギリスでは顕在化しているものが日本では潜在化しているというだけの違いなのかもしれません。
「いただきます」はキリスト教での食事前のお祈りに相当するし、イスラム教もキリスト教も神道も、礼拝はできるときに、という意味ではさほど違いないのだと思います。

ただ遺伝子組み換えなどの是非を問う際に必ずといってもいいほど出てくる「倫理観」については、こと日本に関して、イスラム教・キリスト教・ユダヤ教のような明確な宗教観があるように感じられないため、何を基準にしているのだろうという疑問は少し残ります。


次は同じ高校出身の田村にバトンを回します。
田村は僕と似ているところが多いからか「財木二世」と呼ばれることが多く、少し申し訳なく思っています。
同級生の辻君を正しい道に導いてくれることを切に願っています。
 

”型”をつくる[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2021/02/20(土) 23:17

同期の河内君からバトンを受け取りました財木です。
今シーズンもロッカーが隣になることを微塵も考えてくれないことが寂しいですが、
かわちは見た目に反してロッカーまわりの整頓が苦手な人で浸食してくる系男子なので隣になる人が少しかわいそうです。


再び部活動停止が始まり早一か月。
最初の方は試験勉強だの建築学科の最終講評に向けた準備などで慌ただしく、一か月遅れの「師走」であったような気がする。
試験期間も明けたころには自分のやらなきゃいけないことは筋トレだけになっていて、
時間のできた僕は色々な映画やドラマ、アニメ、小説などに浸った。

自粛期間で出会った多くの作品に登場する主人公は決まってその出自が特別だった。
アニメ『鬼滅の刃』の主人公「竈門炭治郎」も結局はヒノカミ神楽を継承する家系の長男だったし、映画『スプリット』の主人公「ケイシー・クック」が助かった理由も、誘拐犯ケビンと同様に家庭で虐待を受けていた背景があったからで、普通ではない特別な家庭で育った主人公が生き残る/成し遂げるといった趣旨の作品に集約される気がしてしまう。
(かなり捻くれた考え方かもしれないが)

就活を視野に入れるとこれからの自分の将来について嫌でも考えさせられる。
二年の後期にやっと建築学科に内定し、専門科目について学び始めてたった半年終わった今、息つく間もなく将来について考えさせられているのだ。
果たして自分は特別で、自粛期間に出会った作品の主人公たちのように特別なことを成し遂げられるのか。
「情熱大陸」や「アナザースカイ」などで取り上げられるような人生を歩めるのか。
高校までは特に理由もなく本気でそう信じていたが、その自信が今はない。
ただ、タナトフォビアで生きた証を遺したい自分には、伝記なんかを残せるような人間になりたいと心の底から思う。
インパルス板倉さんが言うように「人生は死んだ後の方が長い」のだから。

思い返すと、今までの人生で「幼少期の逸話」なんてものはなく、自分を特別だと確信したことは無い。
帰国子女の中では劣化版の自信があるし、高校受験は筑駒に落ちた。
一回目の大学受験でも受かると信じていたが、ものの見事に散った。
履歴書に並ぶ「開成卒帰国子女の東大生」というキラキラした経歴から想像される理想の自分と遥かに下にいる自分との差を思うとため息が出る。

芸大では、東大よりも遥かに高い倍率をかいくぐった生徒が、入学早々、
「卒業までにこの100人の中から一人の天才を生み出してください。残りの99人はその一人のためにいるのです。」と言われるらしい。
“One for All, All for One”の真意がここにあるとは僕は思いたくはない。

最近といっても半年近く経つが、新しく始めたバイトがある。
小学生相手に英語で算数などを教える塾の講師だ。
といっても小二で英検2級を取ったりする子がざらにいるため、僕よりも遥かに英語ができる子供たちに偉そうな顔をして九九を教えるような仕事だ。
そんな新しい環境で生まれて初めて「頭がイイ」ことをいじられるようになった。
嫌味もなく純粋に「流石東大。頭がイイね~」なんて言われた日には笑みが自然とこぼれるし、帰り道はルンルン気分でスキップで帰れる。
こっぱずかしいから「でも一浪なんで」なんて言うけれども褒められたら不快になる人なんていない。
ただ褒められ続けると恥ずかしさが勝って「他にももっと凄い人がいるんで」と言いながら、思い浮かべたやつとの差にまた落ち込む。

小さい頃から周りと比べて、自分を測ることが多かった。
特に鮮烈だったのが自分の姉の存在だろう。
たった二歳しか変わらないのに自分よりも遥かに頭が切れ、英語習得期間も早く、万能な姉。
幼いころからピアノを続けていて今では海外の大学院でピアノ科に所属している。
そんな彼女が誇らしく妬ましく疎ましい。
今現在の色々な選択肢で迷っている自分と対比したとき、僕よりも一回りも小さい段階でピアノ一つに絞って音楽の世界に飛び込んでいった彼女は僕にとっては眩しすぎる。
そんな姉はあまり人と比較しないような気がする。
自分をしっかりと持って生きていてカッコいい。

建築学科に入って「オリジナリティ」について考えるようになった。
学科に入って初めて自分が取り組んだ設計課題で、徹夜をし、何時間も机に向かって完成させた作品に対して「を破れ」と短く一言だけ言われた。
建築っぽい!と思ったのもつかの間、型って何だ?という思いでいっぱいだった。
建築に決して明るいわけではない自分に思い当たる型はなく、闇雲に誰もやったことのない設計をしても、ただただ見当はずれなゴミが生まれるだけだった。
恐らく今の自分に必要なのは「破るための」なのであろう。
これは建築だけでなく人生にも言えることかもしれない。

ラグビーでは幸運にもその型はあると信じたい。
そこからどう自分のオリジナリティを磨いていくか考える段階にあるのだろう。
去年で感じ始めていた手ごたえを目に見える形でグラウンド上で表現すること。
これを今シーズンの目標としたい。


長々と書いてしまいましたが、次は新たに主務となった津田さんにバトンをまわします。
津田さんとはさし飲みに連れてっていただいたり、家に来ていいよと言われているので可愛がられていると信じたいですが、小悪魔的なところがあるので正直不安です。
先輩の気が変わる前に家に行こうと思います笑
 
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