ブログ 佐川 正憲さんが書いた記事

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おつかれさま[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2022/12/01(木) 15:11

ラグビー部で最も幼く見える一方おじさんにも見える平岡からバトンを受け取りました、佐川です。彼は僕がラグビー部の中で最初に話した人で、その時から話している最中に全く目があわないので変なやつだなと思っていましたが、4年の時を経てやっとそのくりくりした目を向けてくれるようになりました。ただ、全体に向けて話すときは相変わらず目線が下に行っているのでそこは改善の必要がありそうです。
平岡が言ったように、最近コルツのヘッドコーチに就任しましたが僕は来週からブラジルに行ってしまうのでほとんどサポートできません。コルツの人には大変申し訳なく思っています。地球の裏から応援しています。

幼い頃から僕の日常にはスポーツがありました。小学校に入る前から空手や水泳を始め、中学校からラグビーを始めて今に至るまで、どれも真剣に打ち込んできました。そのため、東大ラグビー部を卒部すると同時に自分の日常からスポーツがなくなってしまうことを想像すると、少し寂しい気持ちになります。中でもラグビーは練習外の時間も含めると最も長い時間を費やしたスポーツであるため、思うことが多々あります。ラストリレー日記では僕のラグビー生活全般を振り返りたいと思います。

先ほどラグビーを始めたのは中学校からと書きましたが、正確に言うと小学校6年生の秋からです。それまで空手を7年間やっていましたが、父から「屋外スポーツをやってみないか」と言われ勧められたのがラグビーでした。実際に体験練習に行ってボールの投げ方やタックルの仕方を教わりましたが、そのどれもが新鮮でした。それまでまともに球技をしたことがなかったのに加え、ラグビーボールの形も相まって面白そう、やってみようかなと思い始めたのがきっかけです。自分が通っていたラグビースクールは北海道バーバリアンズジュニアというクラブチームで、定山渓を本拠地としています。そこには天然芝のラグビー場が2面、ビニールハウスの室内練習場、クラブハウスなどがあり、今思えば僕のラグビー生活の中で最も良い環境でした。このクラブチームでの練習がその後のラグビースキルを全て支えていたと言っても過言ではありません。コーチも複数人常にいて、パス、キャッチ、コンタクトスキルを教わり、ひたすらそれを繰り返していました。恵まれた環境があり、中学3年生時にはクラブチームの全道大会2冠を達成することができました。

高校の進学と同時に岐路に立たされました。進学先の札幌南高校には空手部とラグビー部がありました。それまで10年間打ち込んできた空手を続けるか、その空手に区切りをつけてラグビー部に入部するかかなり迷ったと思います。結果的にはラグビー部を選んだのですが、もしここで空手部を選んでいたら今このリレー日記を書いてはいなかったと思います。なぜラグビー部を選んだのか、それはラグビーが面白いスポーツだとわかったからです。中学3年間でラグビーの面白さに惹かれ、また全道大会2冠の感動も味わい、このスポーツをもう少し続けていこうと思いました。しかし高校のラグビー部はそれほど甘いものではありません。グラウンドは土、監督もコーチもいない、週5、6の練習。ラグビーのキツさをそこで初めて知りました。試合ではほとんど勝てず、また2年時に肩を脱臼し、これから主将としてチームを引っ張っていかなければいけない時期に何もできずただただ悔しかった。3年時の予選大会でも何もできずに試合に負け、そのまま引退した。高校ラグビーは全体として苦い思い出の方が多かったと思います。そのため、もし現役で東大に進学していたらラグビー部に入部していたかはわかりません。もしかしたら全く別のサークル等に入っていたかもしれません。

しかし大学入学まで2年の猶予がありました。この2年間で苦い思い出が薄れたのか、またラグビーをやっても良いかもと思いました。1年の最初の頃はジュニア練習でラグビーの面白さを再び知り同期にも恵まれ、楽しいラグビー部生活を送っていました。特に金曜日の林さんセッションは楽しかったです。大多数は4限終わりに、自分と玉代勢と財木は5限終わりに(本郷5限後に来る五島という例外もいましたが)林さんのウェイト指導を受けていました。ウェイト初心者の僕達を林さんは笑いながら厳しく(?)指導してくださいました。しかし最初のジュニア試合で腰の骨を骨折してしまい、1ヶ月のDL生活を送ることとなりました。復帰して再びラグビーの練習に参加できると思い喜んだのも束の間、復帰後初めてのコンタクト練習で肩を脱臼してしまいました。この怪我のせいでそのシーズンは全くラグビーができないどころか、手術の日程的に夏合宿に参加することができず、同期との楽しい思い出も作ることができなかったのでひたすら悔しかったです。特に、そのシーズン最終戦であった京大との1年生試合で東大が後半怒涛の攻めを見せ、ゴシゴシ(五島)がトライをとった時は非常に盛り上がりましたが、怪我のせいでグラウンドの外から見ていた僕はその喜びをみんなとその場で分かち合えず寂しかったです。

2、3年生時はコロナの影響があり練習時間は短かったのですが、それでも初めてスイカジャージをもらったのもこの時期で、リハビリや練習をサボらず取り組んできて良かったと思えた瞬間がありました。その中でも印象に残っているのが3年時の対抗戦学習院戦です。前半に大量得点を許してしまい、後半の追い上げも虚しく僅差で負けてしまいました。その試合直後、杉浦さんが涙を流している姿を忘れることはありません。いろいろな思いを抱えて挑んだ試合で勝ち切ることができなかった、杉浦さんに勝ちをプレゼントできなかったと今でも思います。この試合を契機に、自分に厳しくなったと思います。プレーの正確性、判断、本当にそれで良いのか?を頻繁に振り返るようにしました。

4年時はコロナの影響も少なく、多くの練習と合宿を重ねることができました。念願だった合宿に参加できたり、菅平の地を踏むことができたり、ラグビー部生活は充実していました。特にBBCは今までの練習の中で最もキツく、体力だけでなく精神力も鍛えられたと胸を張って言えます。このシーズンのA戦はベンチやグラウンドの外から試合を見ることが多かったのですが、明らかにFWの力が増しているのを感じまた。このチームはフィジカル、メンタル共にシーズン中でも成長を続けているなと実感しました。僕は今コルツのヘッドコーチを任されていますが、コルツの人も常に成長を見せてほしいです。

大変なことも多々ありましたが、楽しい思い出も多く、特に人間的に成長できたラグビー生活でした。ラグビーに限らずここまでスポーツ漬けの毎日を過ごした自分にお疲れ様と言いたいです。まだ終わってないですが。

最後になりますが、監督はじめコーチの方々、OB/OGの方々、保護者の皆様、大変お世話になりました。様々な形で私たちを支援してくださり、ありがとうございました。また、両親には感謝してもしきれません。普段の生活だけでなく大怪我して生活に不自由が生じたときにも常に支えてくれました。今後ともよろしくお願いします。同期や後輩のみんな、楽しい時間をありがとう。

これで僕のリレー日記を締めくくろうと思います。他に言いたいことは色々ありますが、とにかく楽しい4年間を過ごすことができ幸せでした。

次は最近までピュアだとみんなが思っていた五島にバトンを渡します。一年生の頃から天然でピュアなやつだと思い込んでいましたが最近本当の五島を知り驚きを隠せません。またこの頃一発ギャグを披露しなくなりましたが、最後の最後に100連発かましてほしいです。僕は付き合います。
 

北の国ラグビーあるある[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2022/09/28(水) 18:37

 
ボールを持ったら真っ直ぐ突っ込む怖いもの知らずの永安からバトンを受け取りました、4年の佐川です。彼は國枝キャプテンの前では普段よりスクワットを20kg重く挙げられるそうで、成長が楽しみです。是非、毎回國枝キャプテンの前でスクワットしてほしいものです。

今回のリレー日記のネタは何にするか非常に悩みました。そこで過去の自分が書いたリレー日記を読み返すと、北海道に関する話題に全く触れていないことに気づきました。東大ラグビー部で北海道出身の人は非常にレアで、ここ最近では3年に1人しか入部していません。北海道にまつわる話をここに残したいと考え、せっかくなら北海道のラグビー、北の国ラグビーあるあるという形で残したいと思います。私が高校生の頃に経験した冬のラグビーあるあるをいくつか紹介します。

1.転ぶの危険
雪の上でラグビーをするため転んでも痛くないと思う人がいると思いますが、実は全くの逆です。雪上ラグビーとは言っても、積もりたての雪(新雪)の上ではラグビーはおろか走ることすらできません(新雪を踏むと膝まで埋まることも)。そのため、雪が降り積もった日の練習は毎回踏み固めることから始まります。踏み固めるとその部分はほぼコンクリートのように硬く、転んで膝を打ったり、腰骨を打ったりすると激痛です。すなわち雪上ラグビーはほぼコンクリート上ラグビーと同義です。タックルを受け倒されるとほぼ100%腰骨を打つので、ボールキャリアーは簡単に倒れないような身のこなし方を覚えます。

2.手袋必須

雪上ラグビーの際は手袋が必須です。外気温がマイナスなのに加え、プレー中に手に雪が付着するため手袋なしでは冷たいどころではありません。下手すれば手が壊死します。手袋と言っても毛糸の手袋は全く意味を成しません。すぐに雪で濡れ、使い物にならなくなるためです。そのため、少しでも雪上ラグビーを心得ている人はスキー用の手袋をはめます。しかし、これもあまり得策ではありません。なぜなら、スキー用の手袋はその目的上冷たさから手を守ってはくれますが、ノックオンを促進させます。スキー用手袋は表面がツルツルしているのでハンズキャッチなど到底不可能で、ボールを全身で包むようにしてキャッチしなければなりません。大変不便です。そのため、十分雪上ラグビーを心得ている人は厚手のゴム張り手袋をはめます(下の写真)。これだと物理的に冷たさから手を守ってくれるだけでなく、手のひら全体に広がる滑り止めでハンズキャッチが可能となり、思い通りのプレーができるようになります。
出典:ジャンブレ

3.窒息死の恐れ
これは雪上ラグビーで最も恐ろしいことです。やったことがある人なら分かると思いますが、新雪の上にダイブすると、穴という穴に雪が入り込みます。口もその例外ではありません。口一杯に雪が入り込むと、その雪が邪魔をして空気を取り入れることができなくなり、一時的な呼吸困難に陥ります。このような状態になった場合は落ち着いてまず息を吐き気道を確保します。それから雪を手づかみで口から出すと同時に口内の温度で雪を溶かし水に変えます。このようなマニュアル的指導はいくらでもできますが、実際にこの状態に陥るとパニックになりそういった手順など忘れて無我夢中で口内から雪をひたすらかき出すことになります。私もプレー中に何度も新雪に頭から突っ込み、呼吸困難に陥ったことがあります。その度にいつか本当に死んでしまうのではないかと恐れていました。

一見過酷に見える雪上ラグビーですが、たとえ相手に抜かれても相手が新雪に足を取られ走ることができなくなれば自分は追いつくことができたり、ボールに雪が付着しすぎて通常の2倍ほど大きくなったり、ノックオンしても許されたりと一風変わったラグビーができるため非常に面白いです。ぜひ東大ラグビー部で冬季に北海道合宿をし、雪上ラグビーをしたいものです。

次は、天才のリサちゃんにバトンを渡します。リサちゃんは、脳も筋肉であるという親の指導方針のもと、プロテインを飲み見事推薦入試で東大に合格したそうですが、私もプロテインをもっと飲むべきだったのでしょうか。

 

小石川のススメ[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2022/06/13(月) 10:02

タックルが大好きな3年の池田からバトンを受け取りました、4年の佐川です。確かにご飯連れて行ったことがないので今度飯に誘ってみっちり教育したいと思います。

さて、僕は今文京区の小石川という場所に住んでいますが、この話をすると毎回なぜそこに住んでいるのか、部活の拠点が駒場なら駒場の近くに住めばいいのではと言われたり、小石川の周りに何かあるのかと聞かれたりします。そこで、今回のリレー日記を通して小石川の良さをアピールできたらなと思います。

まず1つ目は本郷キャンパスに近いということです。本郷キャンパスまで歩いて12分、自転車だと8分ほどで行くことができます。今の3年生が1限に本郷で対面授業があると起きるのが辛いと言っていますが、僕の場合は8:00に起きても十分間に合うのでそこまで辛くありません。加えて本郷での用事を終えて10分ほどで家に帰れるので自由時間を人より多く取ることができます。

2つ目は小石川植物園の存在です。僕の家から歩いて15分くらいの場所に小石川植物園という、東大が所有している植物園があります。普段は一般開放されていてお金を払えば誰でも園内に入ることができますが、東大生は学生証を見せると無料で園内に入ることができます。そこにはさまざまな植物があり、日本に自生していない植物も見ることができます。また春になると大きな桜並木が綺麗な花をつけるためお花見をする人で賑わいます(下の写真)。僕も自粛期間中などで散歩がてら何度か訪れたことがありますが、空気も綺麗で歩いていてとても気持ちがいいです。今度植物工場に足繁く通っている河内くんを連れて行きたいですね。

3つ目は東京のど真ん中にあるということです。小石川は地理的に都心部の真ん中に位置します。そのため東京の東西どちらにも行きやすいです。また小石川の周りに高層ビルが立ち並んでおり、すぐ近くには東京ドームやラクーアがあるためとても賑やかです。ザ・東京という感じがします(まあ渋谷に住んでいる玉代勢くんには敵いませんけど)。一歩外に出るとスーツ姿のサラリーマンや学生、またカップルが多数いるため自分も頑張らなきゃと思えます。

以上3つは僕が小石川に住んでいて特にいいなと感じることです。安いスーパーがなかったり学生向けのご飯屋さんがなかったりとデメリットはありますが、それらを除けばいい場所です。ぜひ今の1、2年生は学部で本郷に行くことになったら引っ越し場所の1つとして考えてみてください。

次はラグビー部副将のマツゲンにバトンを渡します。怪我で長い間離脱していましたがもう少しで復帰できそうでよかったです。
 

存在証明[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2021/08/09(月) 17:17

TWICEが大好きなじゅんきさんからバトンをもらいました。3年の佐川です。

先日東京オリンピックの閉会式が行われ、17日間にわたる全日程が終了しました。
オリンピックが始まる前までは、今年のオリンピックには全く興味がなく、ラグビーの7sだけ見れば十分かなと思っていましたが、いざ開催されると毎日各競技の結果をチェックし、日本人選手の活躍に胸を躍らせる日々を過ごしていました。

特に印象に残った競技は柔道です。日本人選手が金メダルを取った瞬間はもちろん、その後のインタビューで彼らが5年間もの間苦しい日々を過ごしていたと口々に言っていたシーンには感動を覚えました。中でも73kg級で優勝した大野選手のインタビューは特に感動しました。「リオデジャネイロオリンピックで優勝してから柔道が嫌いになったが、今回自分が何者なのかを証明するために闘うことができた」という言葉には、大野選手の覚悟や尋常でない忍耐力が見てとれました。同期の國枝も感服するほど、ストイックな選手です。

私は空手を10年やっていたということもあり、空手も見ていました。優勝候補と言われていた喜友名選手は決勝で圧倒的なスピードとキレ、力強さを見せつけ、1点以上の差をつけて優勝しました。また優勝しても一つも笑顔を見せず、畳で正座しひたすら感謝をしている姿には大変心を打たれました。決して驕らない、謙虚でひたむきな姿勢を、これほど空手道を極めた喜友名選手が見せてくれたことは大変意義深く、多くの人々に空手道の素晴らしい精神を知ってもらえたのではないかと思います。きっと國枝は喜友名選手もお気に入りリストに入れるでしょう。自分には喜友名選手ほどの素晴らしい精神を身につけることはできませんでしたが、空手をやっていて改めてよかったなと思いました。

他にも印象に残った競技は多々ありますが、オリンピックに出場している選手は共通して辛く苦しい選手生活を送ってきたという事実があります。私たちに置き換えて考えてみると、入れ替え戦出場という目標を達成するためにはそれ相応の辛く苦しい練習が必要だということです。今自分たちに足りないものを補う練習をひたすら行い、東大ラグビー部の存在意義を証明するために闘いたいと思います。

次は同期の鵜飼にバトンを渡します。今大会で日本の女子バスケは史上最高の銀メダルを獲得しました。バスケをやっていた鵜飼は相当興奮したのではないでしょうか。
 

将来を見据えて[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2021/04/09(金) 21:05

学科の話になるとまるで少年のように目をキラキラ輝かせて楽しそうに語る平岡からバトンを受け取りました、佐川です。平岡は最近どんどん体の一部がなくなっていくので心配です。今年度の新歓パンフレットのメンバー紹介ページで、業者の手違いで私の顔写真が安富の顔写真に置き換わってしまうという悲惨な出来事がありました。さらに私の紹介欄が安富の紹介欄の真下にあったため、尚更滑稽に見えました。しかし私と安富は瓜二つでないどころか真逆の存在であることを知ってほしいです。

3年生になって一層社会基盤の色が濃くなった学科の授業ですが、今のところ前期教養の頃とは違った心持で授業に臨むことができていると実感します。1、2年生時に履修した総合科目は自分の興味と点数の取りやすさで選んだものだったため、ほとんどの総合科目はモチベーションを維持することが容易でした。しかし3年生になってからは学科の授業を一通り取る必要があり、その中には初週受けてみてつまらないと感じたものも正直ありました。もし私のモチベーションが今までと同じだったなら、そのつまらない授業は取らないという選択肢を選んでいたかもしれません。しかし今の私は少し違います。自分の将来像を想い描いた時、そのつまらない授業は必ず役に立つもの、あるいは欠くことのできないものであると気づき、本腰を入れてその授業に取り組もうとする意識が芽生えるようになりました。

古市公威が土木学会初代会長に就任した際の演説で、彼は「本会の会員は技師である。技手ではない。将校である。兵卒ではない。すなわち指揮者である。故に第一に指揮者であることの素養がなくてはならない。そして工学所属の各学科を比較しまた各学科の相互の関係を考えるに、指揮者を指揮する人すなわち、いわゆる将に将たる人を必要とする場合は、土木において最も多いのである。」と述べています。指揮者であるためには枠組みにとらわれてはいけないと思います。すなわち、社会基盤学を習得するのはもちろんのこと、他学部他学科の素養を身につける必要もありえます。例えば途上国にインフラを導入する際、社会基盤の知識だけでなく、言語、プログラミング、現地の法律などの素養を身につけなければいけません。在学中にそれら全てを習得するのは困難ですが、将来を見据えて今のうちから可能な限り様々な分野に触れておきたい、平岡の言葉を借りるなら「探索」したいと思います。

次は最近調子が良い前川にバトンを回します。個人的には元早稲田のSH齋藤直人に似ていると思っているので今年の活躍に期待です。
 
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