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見えない何かに動かされて[ラグビー部リレー日記]

 written by 木下 朋香投稿日時:2021/01/15(金) 19:00

部内ダントツの「何でも屋」のたからからバトンを受け取りました、スタッフの木下です。倉上からの紹介文にあった「職人技」は運動神経や頭脳にとどまらず、彼の「修復技術」は私が出会った人の中で随一です。スパイクや自転車、部の備品などなんでも直していた印象があります。
「その節」とは1年生の頃真夏の外でのすれ違いざまにマクローリン展開がわからないと騒いでいたら、試験前にも関わらず丁寧に教えてくれた時のことでしょうか。その節は大変助かりました、ありがとうございます。




たくさんの観客に見守られ、ノーサイド間近のトライに大歓声が上がる。
グラウンドに立つ15人とベンチの選手やスタッフだけでなく、逆サイドにいる観客全員が歓喜に満ち溢れる。

 

この光景が見たかった。最後の年に実現させたかった。


 
言うまでもなく2020年度シーズン、最初の1ヶ月を除きいつでも真っ先に出てきた懸念点は感染症対策だった。
今まで当たり前にできていた試合にも開催のハードルがあり、観客を入れるなんてもってのほかだった。


2018年2月、2年生として新シーズンが始まり、私はやりたいと思っていたことの1つである広報活動を始めることになった。それまで最低限の報告のみがスタッフの業務としてあったが、ファンを集めるため、たくさんの人に応援してもらうべく動き出した。日常の更新だけでなく、新歓活動にもこだわりを持ち、数年使い続けていた立て看板を刷新、駒場祭での集客のためにビラづくりを行なったり、SNSのビジュアル化を試みたりして様々なコンテンツを作成した。その効果はすぐに数値で表れ、試したことが結果で返ってくることにものすごくワクワクした。


2019年秋、私たちが翌年の最上級生として部の組織全体を作るにあたり「広報セクション」をきちんと確立した。それまで2年間ワンオペで主導してきた広報活動も、ついに人を集めてセクションとして活動するようになった。一人ですることには限界があるけれど融通が効きやすく思いつきが反映しやすい分楽である。組織化したことでできることも増えたがどうしていいのか戸惑うことも多かった。
12月冷え込んだ部室で初めての広報セクションMTGを行い、観客動員数を伸ばすことを目標に、そのためのイベントやグッズ作成、SNSの更新などの戦略を立てた。



広報は部にとって「最悪なくてもいい」
マネジメントは部の基礎部分だしコアチーム(戦術、分析、練習)は言わずもがな必要である。メディカルもS&Cもラグビーを行うには不可欠だし、チームビルディングは組織をまとめるには避けては通れない。

だが、広報はしなくてもラグビーはできる。試合にも出れる。勝つこともできる。それでも、もっともっとやりたかった。
私たちの部の活動を、世の中に知ってもらって応援してもらいたいという思いがあった。


そんな思いに共感してセクションにコミットしてくれた後輩達の活躍ぶりは輝かしかった。
私がずっと口だけだったグッズ作りと販売、HPの改良、外部向けイベントの企画、OB会への広報、動画編集。
今まで見えなかった世界が見えて、嬉しかった。


自粛期間に入ると、むしろオンラインの広報の重要性が上がった。部を上げてyoutubeチャンネルを作り、セクションに関係なく部全体でSNSの広報に全員が何らかの形で関わった。練習ができないことは悔しかったけれど、新しい可能性にワクワクした。


2020年10月、対抗戦を目前にモチベーションムービーを作ることにした。その参考にすべく、これまでのPVを見返していた。


見返して、悲しくなって、悔しくて、涙が止まらなかった。


そこで見たものはトライの瞬間、一斉に上がる歓喜の声、グラウンドの一体感。
私が広報活動を行った2年間で観客は確実に増えていた自覚はあった。最後の年、どんなにたくさんの人に足を運んでもらえるか、後輩が作ってくれたグッズの緑色で観客席がいっぱいになるのかを見るのを楽しみにしてセクションを幕開けした10ヶ月前を思い出した。グラウンドで全員が沸き立つ瞬間が見たくて広報を始め、続けていたことを思い出した。

今年、この光景は見られない。試合ができるだけでもありがたい。頭ではわかっていても、でも観客を入れた試合がしたかった。OBが口々に現役に檄を飛ばす様子、親御さんの歓声、通りかかった小さい子が目を輝かせて試合を見ている姿、陰から見ている部員の彼女。
老若男女問わず、ルールも複雑なラグビーに見入って、声をあげて応援している様子が見たかった。


それでもできることは行った。オンラインの中継の宣伝も行い、実際試合を追うごとにより多くの人が見てくれていることが実感できた。


当初設定した目標は早々に実現不可能であることがわかった。私に東大ラグビー部員としての来年はない。
これまで、最後の年の歓声を聞くのが楽しみで頑張ってきたけれど、その光景はもう見ることができない。
それでもラグビー部のファンがどうやったら増えるのか、考え続けた。
目標を失っても頑張ることができる理由は何か、


私にとってそれは「東大ラグビー部」の一員としてのプライドや使命感だったのかもしれない。


広報以外の活動にも言える。
寒い夜に氷を作り、練習から離れて漏れた灯油をふき続け、無限に出てくるゴムチップを掃除する。
どれも「なんでそんなこと」思われるかもしれないが、やらなきゃいけないと思うのは東大ラグビー部をよくしていきたいという使命感だったのだろう。

私だけじゃない。入替戦出場という目標を失っても来る対抗戦に本気で臨み、京都大学戦があるかわからなくても年末年始に分析のビデオ集めに奔走し、トレーニングを行う。
東大ラグビー部の一員であるという自覚が、私たちをUpdateさせてくれてたのではないか。


少なくとも私は、恥ずかしながらこの意識が芽生えたのは4年生になってからだった。3年生までは自分がこれをした、自分のおかげで成果が残せたという自己肯定感を探してでしか生きていなかった。そんな私でも、目の前のことに必死で食らいついてできることを探し続けたことで東大ラグビー部としての使命感やプライドでここまで動けるようになった。
だから、今年観客が入らなくても、今年こうやってコツコツファンを集めて、来年以降に繋がれば万々歳だと思えてここまで進むことができた。


今年、シーズン終了決定から最終日までは丸1日しかなかった。正直どういう気持ちでいればいいのかわからなかったけれど最後に広報の後輩たちが主導して作ってくれた17分にわたる超大作のビデオを見て、4年間やってきたことが報われたような気がした。今年の数々の思い出深い試合映像、そして4年生の保護者の皆さんからのメッセージ。グラウンドでは見られなくても、最後にこうして1番身近で応援してくれている人たちの姿を見せてもらえた。私が秋に感じた悔しさは違う形で晴らされて、笑顔で卒部することができた。本当にありがとう。
こんな頼もしい後輩たちが、ラグビー部が、来年以降、ここからさらにどんなに発展していくのかを見るのを楽しみにしています。



そして、どうしても書きたかったスタッフに関しても一言書かせてください。
3人の4年生と8人の2年生、総勢11人と私の入部以来、そして今年のパートの中でも1番の大きな組織になった。
人数が多くてもスタッフは一人一人、埋もれることなく、東大ラグビー部のスタッフとして誇れる個性を持っている。
完璧に物事をこなし得たあつい信頼、1つ1つの仕事にこだわりを持ってできる熱意、勉強熱心で一人一人に寄り添った対応、黙々と先回りできる気配り高いリサーチ力と行動力、細かい仕事の正確さ、明るいながらも切り替えた時に発揮するリーダーシップ、強い責任感を持った人望の厚さ、流す情報への感度の高さ、新しくやりたいことを自ら貫く力、隠れて泥臭く努力できる力。
私は適当で楽観的で、至らない点も多かったかもしれないけれどこの11人のスタッフ組織のスタッフ長をできたことを心から誇りに思います。

来年以降、不安に思うことなく、もっともっとUpdateし続けて部を引っ張るスタッフ組織を期待しています。


 

私はこの4年間ラグビー部で得たことを胸に、引き続き「東大ラグビー部」を卒部した1人としてのプライドを持ち、また新たな場所で新しいプライドと使命感を見つけます。
グラウンドに応援に行ける日を、またそこで勝利の喜びをみんなと感じられる日を楽しみにしています。


 

最後に、
財務関連で細かいところまでお力添えいただいた橋本財務委員長、常に現役の立場になって力になっていただいた執行部会の皆様をはじめOBの皆様
現場で学生に寄り添い鼓舞していただいた青山監督、深津コーチ、大西コーチをはじめ監督コーチ陣の皆様
コロナ禍でもラグビー部の活動を応援いただいた学生支援課、守衛さんはじめ大学関係の皆様
悩んでいた私をラグビー部に強く勧誘し、卒部後も気にかけていただいた先輩方、
私の機嫌の浮き沈みも温かく受け止めて支えてくれた家族、
いつも優しく応援してくれた友人

誇れるチームを一緒に築いたチームメイト、
そしてこのチームを一緒に引っ張っていった同期。

多くの人に支えられ、この4年間を走り切ることができました。
心より感謝申し上げます。ありがとうございました。


 

次は例年とは異なる新歓活動に新歓代表として尽力し、落ち着きと風格を感じさせる存在であるやまけんにバトンを回します。
1年生の頃二郎系ラーメンの帰りにアイスまで食べさせられて(食べさせてもらって)から、財務や就活、授業などでなんだかんだお世話になり(お世話して)感謝しています。

嗚呼、素晴らしき同期達[ラグビー部リレー日記]

 written by 寶島 立之助投稿日時:2021/01/13(水) 19:00

明るい倉上からバトンを受け取りました、男の器が大きい宝島です。
私が駒場の近くに引っ越すまで彼とは一緒に帰ることが多く、そこでくだらない話をする時間は私の楽しみの一つでした。しかし、普段はそんなふざけた会話を交わす彼も場の雰囲気が真面目になればなるほど発言に抽象度が増し、内に秘めた「哲学」を披露してくれるようになります。周りの物事や発言について自分なりに解釈し、自らの考えに取り込んでいく彼の能力は目を見張るものがあり、理解度の高さや順応のスピードには毎度驚かされました。

さて、最後のリレー日記は私が4年間で一番楽しみにしていた試合の一つである京大戦に向けての意気込みを書くつもりでしたが、突如引退が決まり京大戦が無くなってしまったので困っています。何を書こうか迷いましたが、今シーズンについての振り返りは既に同期の何人かが綴っており、対抗戦でいい成績を残せず、入れ替え戦出場という掲げた目標とは程遠い結果となってしまったこと、2年前からターゲットとしていた明学戦でも大敗し、自らの内面についての弱さを痛感したことなど、感じたことは彼らとあまり大差がないので、ここでは同期のみんなに一人づつ感謝の気持ちを述べていきたいと思います。

倉上
今の自分が東大ラグビー部に所属しているのは少なからず倉上のおかげです。新歓セブンスで同じチームになった時にラグビー部に入ったらこんな奴が同期になるんだとワクワクしたのを覚えています。初対面の人間に対してそれほどまでの想いを抱かせることのできる人物にあったのは初めてで、その人柄は感服するものがありとても尊敬しています。紹介文にも書きましたが下級生の頃に住んでた家が倉上の母校のそばにあったこともあり何かと絡むことが多く、家で鍋をしたり吉祥寺で飯を食ったり、下北で急行に乗り換えると明大前で座れることを発見したりととても楽しかったです。話した内容はほとんど覚えていませんが多分くだらないことで盛り上がっていたんだと思います。

タクロー
久我山の家で鍋をする時には必ずいたのがタクローで、なんだかんだ一緒にいる時間が多かったと思います。いつもの様子を見ていると何も考えずに生きていそうな感じがするのに色々聞いてみるときちんと自分の考えを持っていて、タクローの意見で自らのことを考えさせられる瞬間が多々ありました。一緒にラグビーをできた時間は少ないですが、最後には同じバック5としてプレーすることができて本当に良かったと思います。
来年彼は彼の代名詞でもある三鷹寮を追い出されて今僕が住んでいる家の近くに引っ越してくるらしいので、その時にはまた鍋でもしましょう。


「お前顔おっさんやな」初対面の虎と自己紹介も交わさずに最初に言われたのはこの言葉で、率直にやばいやつと出会ってしまったと感じました。日常生活はチャランポランで先輩にタメ語で怒鳴りかけたり唾をかけてきたりしていて最初はただただ嫌いでしたが、ラグビーに対しての情熱は人一倍あり、誰よりもストイックに筋トレに励む姿や、下級生の頃から第一線で体を張っている姿は私にとって大変励みになりました。嫌いな筋トレを続けてこれたのは同期の虎が私より頑張っているのを間近で感じ、自分も負けてられないと思ったからに違いないと思います。最初は尖っていた虎も上級生になるにつれてだんだんと丸くなり、今では粋でよく一緒にご飯を食べる仲までなれたので良かったと思います。来年も粋で集まりましょう。

やまけん
やまけんと最初に仲良くなったのはバイトを紹介してもらって、一緒に夜までバイトしたところだと思います。私はやまけんに対し同期の数少ない一浪メンツとして勝手に親近感を覚えていました。彼も一緒だと嬉しいです。やまけんの緩い人柄にはとても安心感があり、絡むことも多かったですが、彼は結構ぶっ飛んだところも多く、思い出す出来事の中でここに書けることは少ないため、楽しかったとだけ書いておきます。
彼もまた怪我が多く、引退と復帰を繰り返していた人物の一人で、あまり一緒にプレーすることはなかったですが、十八番の裏キックををはじめとしてラグビーの理解度やラグビーそのものがうまいなと感じていました。今度もしラグビーできる日が訪れたらその時には踵を離して走れるようになってください。

吉村
敵を恐れずにDFや密集に突っ込んでいく姿は見ていてとても爽快である一方で絶対に敵対したくない人物の一人で、ジュニアの頃にはなるべくペアにならないようにしていたのを思い出します。途中脳震盪で長期離脱してしまい、ラグビーをする時間や日常を過ごす時間は他の同期と比べると少なかったですが、最後には彼とも同じバック5として試合に出ることができ、それをきっかけになんとなく仲が深まったのを感じ本当に良かったと思います。今は受験勉強で忙しいと思うので終わったら遊びにいきましょう。

松井
未経験者で入ってきたのにも関わらず、いつの間にか経験者と見分けがつかないくらいまで成長していて、その成長スピードには大変驚かされました。また、ラグビーに対する厳しさを持つ一方で、日常生活では私をはじめとして誰もが惹かれるその朗らかな人柄で周りを賑やかしてくれていました。この4年間が楽しかった理由の一つに彼の人柄の良さが挙げられると思います。
また下北の部室こと松井家には4年間を通して何度もお邪魔し、正太郎にも大変お世話になりました。ありがとうございます。これからも何度も行きたいと思っているのでよろしくお願いします。

矢野
矢野ほど自分の信念をしっかり持っていてそれに忠実に従って生活を送っている人物は今までにあったことがありません。今よりちょっとでかい矢野を新歓時に初めて見た時はラグビー部に入るのはやめようと思うくらい怖かったですが、今では矢野に出会えて本当に良かったと感じています。試合では一番近くで一緒にプレーでき、矢野が先陣切って体を張っている姿にとても鼓舞されました。また、入部時は「タックルの仕方がわかんねえよ」と言っていたのに最終的にはハードタックラーになっていたのは彼の人知れない努力とその継続の結果が現れているからだと思います。私の人生において一番信頼できる人物の一人で彼の言葉通り最強の人物です。
あと、次に紹介する前原とよく二人でいじりたおしてすいませんでした。

前原
同期の中でラグビー以外で関わった時間が一番長いのが前原です。日常生活で関わる中で何度も何度も笑わせていただきました。彼の類い稀なるお笑いのセンスにはただただ脱帽です。普段馬鹿みたいにふざけている彼も、芯にはしっかりと自分の意見を持ち、きちんと未来を見据えている様子をひしひしと感じ、比類なき逸材なんだと思っています。
ラグビー面に関して、彼はアタックのチャンスを見つける嗅覚が素晴らしくインパクトプレーヤーとして試合を沸かせる姿は脳裏にこびりついています。残念ながら彼の怪我が多かったこともあり一緒に試合ができる時間は少なかったですが、最後まで復帰を諦めずにトレーニングに励む姿はいろんな人の支えになったと思います。来年から社会人となる彼と関わる時間は今よりは確実に少なくなってしまうと思いますが、これからもずっと私を笑わしていただけると嬉しいです。

すずね
すずねには私の大きめの怪我から些細な怪我まで気にかけてくれて感謝しています。私がその怪我の助言に関して言うことを聞かないことも何度かありとても迷惑をかけました。すいませんでした。でもなんとかここまでラグビーを続けてこれ、最後にグラウンドに立ってられたのはすずねがメディカル長として部員の怪我に対してたくさんのことを気にかけてくれたからだと感じています。さらに最終学年となり新型コロナウイルスの流行の際にはあまりやりたくない担当を進んで買って出て部のコロナ対策に尽力してくれました。京大戦は世の中の情勢的に中止となってしまいましたが、名古屋戦まで無事に活動できたのはほかでもないすずねのおかげです。本当にありがとうございました。お疲れ様です。

ともか
最初見た時絶対に東大生じゃないだろと思わせるような華やかな見た目と、その見た目に負けないくらいの明るい性格を併せ持っているともかと話す時間はとても楽しかったです。特に最後の一年ではスタッフ長としてスタッフをまとめ、部のマネジメントや広報などプレーヤーとの関わりが比較的薄く、あまり見えない部分でめちゃめちゃ働いてくれて部の運営の大きな部分を担ってくれて感謝しています。おそらく僕が気づいていないだけで部の中でともかのおかげでできるようになっていることや成り立っていることはたくさんあると思います。日常生活でも色々とお世話になりましたが、書くとキリがないのでやめておきます。
それと、その節は逆に私に感謝してください。

太田
下級生の頃からその有能っぷりを発揮していた太田との関わりがぐんと増えたのは進振りの時に同じ進学先に進んだ時だと思います。同じ授業をうけ、同じ空きコマに、同じ場所でウエイトをする。当時はそんな日々がキツかったけど今はとても懐かしいです。そもそもS&Cのトレーナーとしての活動がしたくて入部してきたのにその有能さから主務を引き受けその仕事に忙殺されるようになった彼に対して私ができたことは何があっても「太田の頼みを断らない」ということだけのような気がしています。太田が部の嫌われ役を買って出て、部員の気を引き締めてくれたおかげで部の規律が保たれ、東大ラグビー部がここまでの素晴らしいチームになれたんだと確信しています。また注意する立場として自分に一切の妥協を許さない姿もとても尊敬していて、能力だけでなく人間としての内面も素晴らしいのだと感じています。長い間お疲れ様でした。ぜひ元学科のみんなとご飯なりゲームなりしましょう。

山口
まとまりのない4FWのリーダーとして1年間頑張ってくれた山口には感謝の気持ちしかありません。自らの中には誰よりも熱い気持ちがあるのにも関わらず、不器用でそれを表に出していくことができないのをそばで見ていて、もっと彼のことを助けられていたらと後悔の念を感じています。最後まで山口には甘えっぱなしですいませんでした。試合の中でも矢野と二人でDFに突っ込んでいく姿はとても頼もしく自分も頑張らねばと思わされました。図らずも最終戦となってしまった名古屋戦の勝利をグラウンドで一緒に味わいたかったです。私は山口のことが大好きですが、引退した今でも何故か怖がられているのでそろそろ懐いてくれると嬉しいです。

藤井
成城戦で藤井が抜けた後、グラウンドに立つ4年生としてチームをまとめなければいけないと強く感じたものの、自分は何もできず自らの無力さを感じると共に藤井がいかに凄かったか、そしてどれだけのものを背負って試合に出ていたかの片鱗を味わい、今まで自分が藤井に甘えっぱなしだったのだと痛感させられました。いつかに藤井にふざけ半分でなんでそんなに活躍できるかを聞いたことがあります。私は発達した四頭筋があるからとか膝が4つあるからとかふざけた答えを期待していたのですが、彼はさらっと「みんながちょっとサボっている中でずっと100%でやっているだけ」と言っていました。藤井の凄さはこの一切妥協しない部分にあると思います。叶わなかったですがそんな素晴らしい彼と最後まで一緒に試合に出たかったです。

最後になりますが、同期の他にもこの4年間お世話になった人は大勢います。
ラグビーの技術を教えていただいただけでなく日常生活でも可愛がっていただいた先輩方や慕ってくれてついてきてくれた後輩たち、ラグビー面だけでなく精神面や人生の教訓などたくさんのことを教えてくださった青山監督や、大西さんや深津さんをはじめとするコーチ陣の方々、私たちに対して期待し多大なご支援をしてくださったOBの方々、怪我をするから大学でラグビーはするなと言っていたのにも関わらず、黙って入部した私を応援してくれた両親、その他数えきれないほど多くの方に支えられて私の活動はあったと思います。


本当に4年間ありがとうございました。多くの人そして同期のみんながいたからこそかけがえのない時間になったと思います。
これからも関わりがある人が多いので変わらず仲良くしていただけると嬉しいです。



次はともかにバトンを渡します。

悔しさ[ラグビー部リレー日記]

 written by 倉上 僚太郎投稿日時:2021/01/12(火) 19:00

戦術チームとして1年間共に活動した前原からバトンを受けました、倉上です。紹介文で「明るい」だけは本当にやめてくれと頼んだのですが、それすらも彼には「フリ」に聞こえていたのでしょう。彼の底知れないお笑いセンスには、ただただ脱帽します。
 

このリレー日記を書くにあたって、東大ラグビー部での4年間か、それともラグビー生活10年間か、どちらを振り返るべきなのか迷ったので、とりあえず自分にとっての今シーズンを振り返り、そこから考えたことを綴りたいと思います。
 

2020年11月、僕は4年生にして初めて対抗戦のスタメンとしてグラウンドに立っていました。ここに来るまではとても長い道のりでした。1年生の頃はスイカを着ることすらできず。2年生ではAチームに入りながらも、スタメンには届かず。3年生では肩の手術でシーズンの大半を棒に振りました。4年生でやっと訪れたチャンス。相手は明治学院、1年生から一度も勝ったことがない相手。すごく楽しみで、歴史を塗り替えられると心から思っていました。
 

しかし結果は悲惨なものでした。自分の不甲斐ないプレーもあり、前年と同じくらいの大差をつけられて負けてしまいました。最もターゲットにしていた試合で、自分たちのラグビーをすれば勝てた試合でした。このときから自分はどんどん試合を楽しめなくなっていき、悪いプレーを重ね、4年生の対抗戦は、結果6位という順位に終わりました。その後チームが再び勝ち始めたときには、自分の姿はグラウンドにはありませんでした。脳震盪で離脱していた間に後輩たちがメキメキと力をつけ、自分に代わってチームの主力として活躍するようになっていたのです。
 

これが僕の、最後の対抗戦シーズンのまとめです。一言で言えば、本当に悔しいことばかりでした。4年生のシーズンにして、これまでの人生で一番「悔しい」、「辛い」シーズンでした。それとともに、これまでのラグビー人生に対しての後悔も込み上げてきました。もっと練習すれば良かった。もっとウエイトしておけば良かった。もっとストレッチしておけば良かった。もっと先輩から教われば良かった。もっと後輩達とコミュニケーションを取れば良かった。そんな今まで積み重なった思いが、一気に自分の中で溢れるような、そんなシーズンでした。
 

これまでネガティブな言葉を並べてきて、最後のリレー日記にふさわしくない内容になってしまいましたが、僕は決してネガティブな気持ちのまま卒部したわけではありません。こんな悔しい思いをしながらも、このシーズンを戦えて良かったと、心から思います。それは、僕が「悔しい」と思えていることに、満足しているからです。学生生活最後の年、「なんだかんだで楽しかったです」と言うこともできるだろうし、「みんなとラグビーできて幸せでした」と言うこともできるでしょう。どれも偽らざる僕の思いです。しかし僕はあのとき悔しかったことを絶対に忘れない、忘れたくないから、敢えてこの最後のリレー日記に悔しい思いを綴らせていただきました。
 

自分がこんな風に、試合後3日ぐらいはほとんど眠れなくなるほど「悔しい」と感じられるようになるとは、中学生の頃は思いもしませんでした。勝ち負けにあまり執着がなく、できれば戦うことから逃げたかったような少年でした。スポーツ、特に「戦い」が競技の根本にあるラグビーをしていく上で、自分のこのような性格はずっと消えぬまま、今でも大きな壁となっています。ですがラグビーを続けてきたことで、グラウンドの上ではまた違った自分が出せるようになりました。それが「アスリート」の自分です。一つ一つの勝負にこだわり、本気で勝ちたいと思い、どうやったら勝てるか本気で考え、そして何より、そんなプロセスを楽しいと思えるような、自分です。学生生活の一つのピリオドを心からの「悔しい」で終えることができるような、自分です。そんな自分を育ててくれたラグビーは、本当に偉大だと思います。周りのレベルの高さについて行けず何度も退部を考えた中学・高校時代、それでもなぜか続ける意味がある気がして、たくさん涙を流しながらも、ラグビーから逃げ出さなかった自分を讃えたいです。
 

この場で申し上げるのが適切かはわかりませんが、現役時はあんなに嫌いだった久我山ラグビー部に、今とても感謝をしています。久我山で味わった幾多の悔しい思いと、本当にわずかではありますが、成功したときの思いがあったからこそ、大学でもラグビーをやるという決断ができました。また久我山の同じグラウンドで同じ練習をしていた仲間たちが、大学ラグビーの第一線で活躍してくれたことは、少なからずモチベーションにつながっていました。
 

そして東大ラグビー部での4年間は、紛れもなく僕を成長させてくれました。妥協しそうになったとき、無理だと思ったとき、平気な顔して努力できる人間が周りに沢山いたことで、弱い自分でも努力できました。特に同期が頑張っていたり、結果を残したりしたときは、自分の中でも燃えるものがありました。ありきたりな表現になりますが、同期と一緒だから、4年間続けることができたと思います。
 

大したラグビー選手ではありませんでしたが、これからまだラグビー生活が続く後輩たちに伝えられることがあるとするなら、繰り返しになりますが、僕はラグビーで味わった悔しさを、絶対に忘れないということです。そんな人間が社会の片隅で生きているということを、辛くなった時に思い出して欲しいです。悩んだり壁にぶつかったりすることは本当にきついですが、そのきつさは決して間違ったものではありません。正しい方向に進もうとしているからこそ、きつい時があるんだと思います。
 

これまでの僕のラグビー生活に関わってくれたすべての人に、感謝しています。特に両親は、中・高・大と、僕が出場する、しないに関係なく、ほとんどの試合に応援に来てくれました。10年間のラグビー生活を通して、本当に有り余るほどの愛情を注いでもらいました。ありがとうございました。応援、お疲れ様でした。
 

ラグビーに向いている、向いていないという分類をするなら、僕はおそらく向いていない方に入るんだと思います。でもちょっとずつ、自分のペースで歩んできたこの10年間は、自分にとって全く無駄じゃなかったと思います。これから色んなことが起きて、色んな壁が自分の前に現れても、きっとラグビーで味わったたくさんの悔しさと、少しの嬉しさ、そして「アスリート」に少し近づけた自分が、助けてくれるはずです。僕を育ててくれたラグビーとラグビー部に、心からのありがとうを述べ、最後の言葉とさせていただきます。
 

次は、部内屈指の頭脳と大きな器を持つ宝島にバトンを回したいと思います。彼の繰り出すディフェンスはまさに「職人技」で、下級生の頃から嫌な顔一つせずに淡々と体を張り続けてくれました。本当にお疲れ様でした。

続けること[ラグビー部リレー日記]

 written by 前原 一輝投稿日時:2021/01/11(月) 19:00

同期の川端から受け取りました前原です。
彼と私は同期の中で怪我の多いコンビでしたが、彼は最終学年になって試合に出ることができており、ともにリハビリを続けていた仲間としてとても嬉しかったです。また、彼の特徴ある言動は何度も引用させて頂き、本当にお世話になりました。

1/10、東大ラグビー部を引退しました。99年の伝統を持つ京大戦の中止というあっけない幕切れで私たちの4年間に終止符が打たれ、入学時には果てしなく長く感じた4年という歳月も終わってみればあっという間でした。私たちが入学したときの4年生の方々は本当に大きくて、強かった記憶があります。新歓の時先輩方の姿を見て、自分は大学では絶対に通用しないと感じるほどでした。4年生になったら松永さんのようになっているのかなと思っていましたが、その背中すら見えませんでした。自分が引退する時期になって先輩方の凄さを改めて痛感しています。

自分の大学ラグビー生活は怪我に悩まされ続けた4年間で、ラグビーでの良い思い出は殆どありません。怪我なくプレー出来ていたのは1年生の対抗戦の時期まででしょうか。3年生で足首を粉砕してからはプレーした記憶すら殆どありません。ラグビーで思い出すことと言えば同期や後輩が試合に出て活躍するのを外から応援し、たとえ試合に勝っても心の底からは喜んでいない自分の姿です。仲間達のラグビースキルが飛躍的に向上するのをサブグラウンドでリハビリをしながら眺めるだけの自分の姿です。スクラム練習のときにただスクラムマシンの上に乗って練習が終わるのを待つだけの自分の姿です。
何度も心が折れそうになったり、ラグビーを辞めようと思ったこともありましたが、なんとか4年間続けてこれたのは、他でもない同期メンバーの存在と、怪我で殆どプレー出来ていないにもかかわらず常に気にかけて下さった深津さん、こんな自分に期待して声をかけ続けて頂いたコーチやOBの方々、そして家族のおかげです。
本当に感謝してもしきれないくらいです。ありがとうございました。加えて、川端が自分の紹介の時に書いてくれたような、数少ない出場試合で活躍できた経験、3年生の最後に一橋戦でなんとか復帰できたときの感動、グラウンドでしか見えない景色の素晴らしさ。そんな一瞬一瞬の美しい記憶が私の気持ちを途切れさせること無くつなぎ止めてくれました。そして何よりもラグビーが好きだから高校大学の7年間も続けてこれたと思います。ラグビーというスポーツに出会えて本当に良かったです。

そんな私ですが、これを読んでくれた後輩達に伝えたいことは「辞めないでほしい」ということです。実際私も部活を辞めようとしたことは何度もあります。
1年生、20泊21日の夏合宿。本当にきつかった記憶しかありません。週6の朝練と授業、バイトに忙殺され他に何も出来ない毎日。
2年生、初めて手術を経験し長期離脱することになったとき。それで心を病んで不眠症になったとき。
3年生、その復帰戦で足首を粉々にして1ヶ月ちかく自分一人で何も出来ない日々が続いたとき。リハビリを続け、なんとか復帰するが毎練習後まともに歩いて帰れなかったとき。
4年生になり練習に参加するが足首がまともに動かず再手術が決定したとき。最後の対抗戦に間に合わせようと練習復帰するも神経障害になり足が痺れて禄に走れなくなってしまったとき。

何度も辞めたくなるときはありましたが、先ほど書いた方々の支えと、もし復帰したら絶対に活躍できるという自分の中の自信があって続けてこれました。辞めたくなったときも周りを冷静に見てみれば、何も出来ず無力だと思っていた自分に期待してくれている人の存在や、ここで失ってしまうにはあまりにも勿体ないくらいに素晴らしい同期の存在が見えてきます。そして今まで自分が積み重ねてきたものが必ず自分の自信に繋がり、部活を続けるモチベーションとなるはずです。

さらに、続けることでしか得られないものも有ると思います。悔しい思いをし続けるのは本当につらく大変なことです。しかしその状況から逃げていては、これからの人生で壁にぶつかる度にすぐに逃げてしまうような人間になってしまうのではないかという思いが自分の中にあり、辞めたくなったときもここでやめたら成長は無いと自分に言い聞かせてきました。終わってみればこのマインドはかなり正しかったと思います。
前回のリレー日記を担当した川端は、はじめの2年は私よりも怪我がちでしたが常に諦めず練習を続け4年生になって試合で活躍し、有終の美を飾りました。未経験で入部しすぐに鎖骨を骨折した松井は経験者だらけのBKの中で素晴らしい活躍をしました。彼らはもし私だったら辞めたくなってもおかしくない状況で、彼らなりに努力を続け結果を掴みました。自分も、プレーヤーとしての復帰が絶望的になってからはこれまで学んできたラグビーのスキルや戦術的知識を後輩に伝え、彼らが成長することに喜びを感じることが出来るようになりました。腐らずにスキル練習や知識のアップデートを継続したことでラグビー部との新しい関わりかたを見つけ、チームに貢献できたと思っています。そんな成長が出来たのも辞めずに続けてきたからです。

まだまだ足りないところもあるかもしれないけれど、東大ラグビー部は「いいチーム」だと思います。間違いなくこれまでの22年間で一番好きになった、入ってよかったと思える組織でした。そんな「いいチーム」に出会い、そして入れることは本当に貴重な経験です。このチームで自分なりに精一杯の努力できる道を見つけて、自分らしく成長していけると、大学生活はかけがえのないものになると思います。

本当にキツくて逃げ出したくなったときは、逃げても良いと思います。しかし、そこで「辞める」のではなく一旦「お休みする」という形をとってでも、最後まで続けてほしいのです。私たちの同期も何人か途中で辞めてしまいましたが、残される側は本当に辛いものです。未だに辞めていった彼等を含めた全員で最後までラグビーをしたかったという思いは消えません。本当に辛くて逃げ出したくなったときや部活から離れたくなったときにも、まず「続けること」を選択してそのあとに「どう向き合っていくか」「どうかかわっていくか」を自分なりに考えてほしいです。きっと最善の選択肢が見えてくると思います。これが、大学ラグビー生活が楽しいものばかりとは言えなかった私だから伝えられる率直な思いです。

かなりネガティブな内容になってしまった気がしますが、伝えたいことは非常にポジティブなことなのでそれを読み取って頂けると幸いです。4年間本当にありがとうございました。ありふれた表現ですが、引退のときに思い出すのは仲間達とふざけあって笑い合った思い出ばかりです。これまでで最高の日々でした。

次は明るい倉上に回します。

4年間[ラグビー部リレー日記]

 written by 川端 拓郎投稿日時:2021/01/09(土) 19:00

同期の原虎之介からバトンを受け取りました4年の川端です。彼とは現在学科同期で、彼のせいで実験や授業で大変な目を見ました。何度ももう絶対手助けしないと思いながら、なんだかんだで手助けしてしまっている自分の甘さに辟易します。ラグビーと麻雀に向いている熱意をほんの少しでいいので勉強にも向けてくれると僕は助かります。



今回が自分の最後のリレー日記となるので、今こうして書きながらこの4年間を振り返っています。この4年間怪我には本当に悩まされました。怪我を抱えて入部したうえに、2回の手術とそれに伴う長期離脱、その他小さな怪我などで最初の3年は満足にプレーできませんでした。怪我するたびに本当にラグビーに好かれてないなと思ってました。ただ4年生の最後の1年は大きな怪我はなく終えることができ、たくさん試合にも出場して、すごく濃密な1年だったように感じています。



今シーズンの初試合は部内マッチでした。FBとしてプレーしたのですが、思えばこれがBKとして出場する最後の試合でした。ポジションが変わったからといって自分の何かが変わるわけではないですが、今思えば少し感慨深いです。ただこの試合の終了間際に肉離れをしてしまいました。このときは今年も怪我かよとすごく落ち込みました。



この怪我から復帰するとともにBKからFWにコンバートすることになりました。1年生から4年生の途中まではWTB・FBでプレーしてきたのですが、練習後に大西さんからFLをやってみたらどうかという提案をいただきました。試合に出るチャンスがあるならやりますとはっきり答えました。その翌日からFWとして練習に入り、5日後には定期戦の防衛大戦でFLとして出場しました。この試合は僕にとっての初スイカでもあり、緊張と不安がありながら試合にのぞみました。試合に出てしまうととにかく必死で、そんなに爪痕は残せませんでしたが、チームが勝利はできよいスイカデビューでした。



対抗戦は悔しい結果になってしまいした。初戦の明治学院大学、第3戦の一橋大学、順位決定戦の成城大学、3回も負けてしまいました。僕にとっての初めての対抗戦、そして最後の対抗戦、結果は6位でした。下から数えたほうが早いという結果、今年のチームは強くないんだということが自分にのしかかって、本当に悔しかった。



上智・一橋との三つ巴戦での勝利は格別に嬉しかった。やっと自分たちのラグビーができたように感じました。そして名古屋の地まで足を運び、名古屋にも勝利、相手がピックゴーばかりでFWにとってはすごくタフな試合でしたが、相手のFWをしっかり抑えて勝利を勝ちとれて、本当に嬉しかった。



そして年を越して昨日、京大戦がなくなり明日1月10日で引退することに決まりました。もう明日で引退してしまうのが本当に寂しいです。もう少しみんなとラグビーしたかったです。



ラストシーズンで初めてスイカを着てプレーして、本当の意味で敗北の悔しさ、勝利の喜びを体験しました。やはりラグビーはグラウンドで戦い、体感する以上のことはないと思います。怪我はしんどかったけど、4年間続けてきて本当によかったです。



最後になってしまいましたが、たくさん支援してくださいましたOB・OGの方々、監督、コーチ、今まで本当にありがとうございました。



次は同期の前原にバトンを回します。1年生の合宿での僕たちの初試合となったOB戦で彼が見せたDFラインを切り裂く力強いランが未だに脳裏から離れません。
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