ブログ 2021/12

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自信[ラグビー部リレー日記]

 written by 石田 健太郎投稿日時:2021/12/14(火) 17:00

 いつの間にか頼れるFWリーダーになっていた純輝からバトンを受け取りました。4年の石田健太郎です。彼の日記内でも触れられていたジュニア期間を僕も一緒に過ごしました。当時はAチームに全く関われないことに歯痒さを感じたりもしていましたが、今になって思い返せば、同期と一緒に必死に汗を流したあの時間はとても貴重な大切な思い出です。

 3年前は万年ジュニアだった僕も、もう引退が目前まで迫ってきています。これからの部活関連の出来事ほぼ全てに「最後の」の枕詞がつきまとうことになり、そのことを自覚して以来より一層、引退というイベントの重さを身に沁みて感じています。
 さて、学生ラグビー最後となる今シーズン、僕はいくつか裏テーマを掲げていました。「怪我をしない」はそのうちの一つです。度重なる細かい負傷と脳震盪による長期離脱でロクにプレーできなかった2年目のような、チームに貢献できない惨めさを味わいたくなかったからです。そのために自分なりにやれることはやってきました。4時半起きがしんどくて食欲がない朝でも朝食を十分食べて増量に努めること、絶望的に体が硬くても毎晩ストレッチをすること、小さいことの積み重ねではありますがそれなりに続けることができたと思います。
 実際、僕は今シーズンを大怪我なしで生き延びることができました。僕自身が離脱しなかったことでチームにどれだけ貢献できていたか定かではありませんが、例えゼロ貢献だったとしても最後の1年間何もプレーできないよりかは幾分かマシだとは思いますし、そういう意味では良い締めくくりを迎えられそうです。

 最後のリレー日記になっても歯切れの悪い自己評価が改善することはありませんでした。心の底からの自信の無さが文面に表れています。この「自信」こそが、僕の中での最大のテーマでした。
 不思議なことに世の中には、どこから湧いてくるのやら自信に満ち溢れて生きている人間がたくさんいます。非常に皮肉めいた言い方のようですが、別に貶す意図があるわけでもなく、僕はそういう人たちが心底羨ましくて仕方ありません。
 昔の僕は線が細くて気も弱く、クラスの女子に嫌なちょっかいをかけられても何も言い返せず泣き寝入りしてしまうような子どもでした。今思い返せば他愛もないかわいい思い出とも言えますし、実際そんな性格でもそれなりに生活できていたので今更蒸し返すようなことでもないのですが、根っこでは自分の弱さに対して沸々と思うところがあったような気がします。
 そんなとにかく弱い自分を変えたいと思っていた折に、高校のラグビー部に出会いました。渡りに船とはまさにこのこと。体が大きくて中身もかっこいい先輩方と触れ合う内に、僕もラグビーを通して強くなれば自信も勝手についてくるだろうと思うようになり、ラグビー部以外の選択肢は頭から無くなっていました。ラグビーのラの字も知らなかった当時65kgの少年は、人生を変えうる大きな決断をしたのです。しかし蓋を開けてみると、それまであまり運動経験がなかった僕にとってラグビーは非常にハードなスポーツでした。2年目までは練習についていくのが精一杯で、ラグビーをする楽しさがわかり始めたのは高3の夏頃だったように思います。そして、ラグビーに楽しみを見出せるようになっても、自分に自信を持つことは全く別問題で、そのメンタルは引退までほとんど変わることがありませんでした。
 大学受験で東大に現役合格できたことすらも自信にはなってくれなかったので、自分を変える挑戦を続けるために東大ラグビー部の門を叩きました。大学ラグビーは高校までとはワケが違い、思いがけず更なる苦労を経験することになりましたが、その4年間の詳細については、今までのリレー日記でも何度か触れてきましたし、ここでは省かせてもらおうと思います。俯瞰的に振り返ってみて思うこととしては、最後まで確固たる自信を持つプレーヤーにはなれなかったということです。「今日はいいプレーができた」と胸を張って言えたことは一度もありませんでした。
 悪いことばかりではありません。まず身体はかなり強くなりました。体重は最高で101kgを記録し、ラグビーを始めた頃に比べるとほぼ1.5倍に膨れ上がりました。そのおかげでコンタクトやスクラムなど、少なくとも自分のプレーのいくつかの部分に関しては自信を持てるようになりました。それらの個別指導で後輩たちに頼ってもらえるようにもなりました。喜ばしい限りです。また、7年間も続けていれば当然と言えば当然ですが、分析やプライベートでの数多くの試合観戦の賜物でしょうか、ラグビーというスポーツに対する理解度がかなり深まったと思います。実際のプレーに繋がるかどうかは別として。(僕の場合はここを繋げるのが一番の課題だったわけですが)
 よかったことは挙げていくとキリがなさそうです。ありきたりな結論ではありますが、東大ラグビー部に入って本当によかったと心から思います。ラグビー部でないと経験できなかった出会い、挑戦、喜び、挫折、全てが今後の僕の糧になってくれると信じています。残りの2試合では、僕に出せる全てをぶつけてチームに最後の恩返しをしたいと思います。

 最後になりますが、4年間本当に多くの人にお世話になりました。朝練で4時半に起きる日も夜練で22時に帰る日も美味しいご飯を用意し、精神的にもずっと支えてくれた両親。下手くそな僕に指導をしてくださった先輩方、ジュニアコーチ、コーチ陣の皆さん。不器用ながら愛のある(と僕は信じている)接し方をしてくれた後輩たち。そして4年間一緒に戦った同期。皆さんのおかげで非常に充実した4年間を過ごすことができました。

 最後までお読みいただきありがとうございました。
 次は、爆発的な強いプレーでチームを引っ張り続けた吉田です。変なエピソードが多い彼は何を考えているかわからないときもありますが、その裡には誰よりも熱いものを持っていると僕は勝手に思っています。僕以上に怪我に悩まされ続けたであろう彼の4年間の思いは察するに余りあるものです。
 

挑戦[ラグビー部リレー日記]

 written by 松本 純輝投稿日時:2021/12/12(日) 18:14

北野からバトンを受け取りました4年の松本です。北野は普段はどぎついいじりやボケを披露する一方で、ラグビーをしているときには熱いハートでみんなを鼓舞してくれます。本当に頼もしいです。
ただ我が家に来るたびに何か持っていけるものはないかと物色するのだけはやめてほしいです。

改めて四年間を振り返ってみると、新しいことへの挑戦ばかりだったと思う。
2015年のW杯でラグビーに惚れ、大学からラグビーを始めたが、ただラグビーを初めてやるというだけでなく、自分よりも圧倒的に上手な集団の中に入ること自体が初めてだった。
自分はいつも先行逃げ切り型だった。生まれた時から体が大きかったから運動はそこそこできたし、中学受験の塾にもかなり早くから通い始めたから勉強もある程度はできた。
中学の野球部でも、ろくに練習せず少年野球の時の貯金で試合にでて、高校になって中学から始めたメンバーに追い抜かされると逃げるようにやめた。
何とかして追いついてやろうと思った経験なんてほとんど一回もなかった。

ラグビー部に入り、当たり前だが周りには自分より上手な人しかいなかった。同期には10年以上ラグビーをやっている奴もいれば、未経験者なのにやたらと体が大きいやつもいた。
先輩の試合を見ても、新歓期に「未経験者でも活躍できます」と謳っている割にはほとんど経験者しか試合に出ていなかったし、将来自分が試合で活躍できるのか不安しかなかった。
普通にやってもどうせ試合に出られないんだろうと思ったからこそ、開き直ってとにかく必死にやってみようと思えた。
そんな中で、経験者も含めて、同期とジュニアで一年間みっちり練習できたことは自分にとってすごく大きな経験だった。大学以前は様々な面で変なプライドがあって、同級生、ましてコーチにも自分からアドバイスを求めたことはなかった自分が、自分から人に聞くようになった。多分他の人は今までの人生で当たり前にこういうことをしてきたんだろうけど、
自分にとっては初めての経験だった。あまりにもレベルの低い話かもしれないけれど、今までで初めて一つのことに真剣に打ち込むっていうことをしてきた。

そして4年になりコアチームや、紆余曲折を経てF Wリーダーという、これまた経験したことのない立場にもなった。これまで自分はリーダーといえばせいぜい文化祭の出店の責任者くらい、組織の中で何も考えずについていくことの方が多かった。
初めての立場に何をすればいいのかもわからず舞い上がってしまい、口ばっかり達者になろうとした事もあったし、肝心の自分のプレーに注意が行かない事もあった。今塩谷と北野に「F Wリーダーの座を奪った」とリレー日記でいじられているけれど、それくらいの気概や積極性が自分に足りない事だとも思う。自分のダメなところ、自分の力不足なこと、頼りないことばかりがわかって、正直いってしんどいなと思い続けた経験でもあったが、それに向き合えただけでも成長しているのかもしれない。

完全に引退した人間のような書き方をしてしまったが、まだ僕たちには2試合残っている。そのうちの1試合はそれこそこれまで経験したことのないような舞台、人の前での試合になる。今からでも舞い上がりそうだが、自分はこの四年間経験したことのないことばかりの中で無我夢中でやってきたんだという自信を持って、体を張ってプレーしたい。

最後になりますが、四年間お世話になったチームのみんな、コーチの方々、特に同期には感謝してもしきれません。間違いなく今までで最も充実していた時間でした。
家族にも、自分の好きなことをやり続けるためにたくさんのサポートをしてもらいました。本当に感謝しています。

次は同じ分析チームのメンバーとして頑張ってきたイシケンにバトンを渡します。
彼には分析の仕事を雑に振ってしまったり、個人練習の相手をしてもらったりと色々と迷惑もかけてきましたが、150パーセントのやる気で嫌な顔せず応えてくれました。
 

ダビデの「強さ」[ラグビー部リレー日記]

 written by 北野 公一朗投稿日時:2021/12/10(金) 12:27

1年の新歓期からずっと一緒にいた永山からバトンをもらいました4年の北野公一朗です。
彼の成長を一番身近でみてきましたが、本当に立派になって誇りに思います。一年生の夏合宿の時のグラウンドからの帰り道でのやりとりがやっと果たされたようです。


対抗戦で勝った次の日の朝、何事にも代えがたいほど清々しくて気持ちいい。
朝の暖かい光を浴びれば前日にダメージを受けて痛む体もどこか心地よく感じる。言うなれば勝利の勲章。
上智戦の次の日なんかはこれからの東大ラグビー部への希望や期待などが入り混じって、松葉杖が必要なほど怪我していたけどすごい幸せだった。


でも自分の中で本当の意味で気持ちよかったのは上智戦の後だけ。
大勝した一橋戦、学習院戦で落ち込んでいた後の武蔵戦、いいトライを取れた成城戦、このどの勝利の後の朝も気持ちよかったけど、気持ちいいなと思うと同時に明学に勝ちたかったと言う気持ちが強くなる。



明学を倒したかった。倒して東大ラグビー部の歴史に俺らの名を刻みたかった。


ジャイアントキリングっていうものは勝負事の世界でもっとも尊く、かっこいいものだと思う。
弱き者が強き者を倒す下克上。記憶に新しいものだと2019年のW杯。日本がアイルランドに勝った瞬間はテレビの向こう側の出来事だったけど、心が痺れた。興奮がなかなか収まらなかった。当事者でなくてもここまで心が動かされる。当事者だったらどれほど嬉しいことなんだろう。想像すらつかない。

だからこそ明学を倒すというジャイアントキリングを成し遂げたかった。



ジャイアントキリングの語源にはダビデとゴリアテの話がある。
ゴリアテという3m級の武装している巨漢に、か細い羊飼いの少年が鎧や剣も持たずに石ころ一つで打ち勝つという物語だ。これだけ聞けばダビデつえーって感じだ。

でもよくよく話を見てみると、羊を守るためにライオンや熊を日常的に倒してるらしい。
なんやそれ。元から強いだけやん。全然ジャイアントキリングちゃうやんって思った。

ただ、ライオンとか熊に勝てるからってだけで、負ければ自分が死ぬだけでなく、自分の民族が全員奴隷になるっていう勝負にほぼ裸一貫で普通は出れない。
ダビデには石ころ一つでその勝負に挑むほどの勝算があった。それは神様の加護。ダビデは神様の加護があるから絶対に勝てると思って戦ったらしい。正直、信仰心とかわからんけどアホやん。


もし自分がダビデやったら絶対戦ってない。
鎧つけて武器持ってたら戦うかも知らんけど幾ら何でも石ころ一個で戦う勇気は全くない。それほどまでにダビデは神様の加護に対して強い信念を持ってたということで、そこまでの信念を貫くことは普通はできない。



ただ自分に足りてなかったのはそこやなと今になって思う。
なにも神様を信じるって言うてるわけじゃない。ただダビデみたいに絶対に勝てるという自信を何かしらによってつけてそれを強く信じ抜くということが大事なんじゃないかと思う。

ダビデにとっての神様。ラグビーに置き換えると例えばウェイトとか食事。サボらずに週5回やり続ける、毎日5食食べるとか。日々の不断の努力、それが俺らにとっての神様になるんじゃないかと思う。

神様を見つけた後はあとはそれを信じ抜くだけ。これが簡単そうで一番難しいと思う。自分に少しでも迷いがあれば信じ抜くことはできない。自分を納得させた上で信じ抜くことで初めて「強く」なれるのだと思う。



俺ら4年に残された時間は2週間だけだから、今から神様を探すのはもう遅い。ただ今年やってきたことを、今まで4年間積み重ねてきたものを強く信じ抜くことはできる。

今までのラグビー人生を信じ抜いて、全身全霊を残りの2試合にぶつけたいと思う。
ジャイアントキリングにはならないかもしれないけど。
ゴリアテに挑むダビデの「強さ」が少しわかるようになるかもしれないと信じて。



次はラインアウトキングの座だけでは飽き足らず、fwリーダーの座を途中で奪い取った純輝にバトンを渡します。
一年生の時のコンタクト練習では、僕と純輝と永山はタックルが下手くそすぎて別の練習をさせられていたので、このリレー日記の順番は何か運命かなと思いました。
 

理想の4年生[ラグビー部リレー日記]

 written by 永山 隼平投稿日時:2021/12/09(木) 01:47

 魚住からバトンを受け取りました4年の永山です。彼は数々のエピソードやキャラであまりよくないイメージがついていますが、一緒にいると本当に楽しい最高にワックな同期の仲間です。
長かったラグビー生活も一ヶ月を切り、残り京大と名古屋大の2試合となりました。最後のリレー日記になったので、最近この4年間を振り返って思ったことを書いていこうと思います。
今の自分は憧れてきた4年生の姿になれているだろうか。
 入部した時は、4年生の先輩方は、本当に威厳があって、何もかもが完璧に見えました。その一方で、当時の私は、体が大きいのにコンタクトを怖がって、トレーニングもサボってばかりで、先輩のいうことも聞かなくて、魚住の何倍もくそやろうでした。その時、どういうことをしたら4年生の先輩方のようなかっこいい人になれるかまったく想像できませんでした。
 2年生になってからは、後輩ができるようになり、少しでも馬鹿にされないように練習やトレーニングを励むようになりましたが、それでもついつい妥協したり、嫌なことから逃げていたりしていました。怪我人が増える中、2年生の春という早い段階で、スイカジャージをもらって試合に出ることになりましたが、結果としては何もできずただただ足を引っ張っていました。その時に、いつまでも成長しない自分に苛立ち、もっと強くなってチームに貢献しないといけないという責任感も少しずつ芽生えてきました。秋になると、徐々にラグビーも上達し、少しずつ自分のプレーに自信を持てるようになったと同時に、周りの人との実力や努力の差を実感して、もっと頑張らないといけないなと感じました。
 3年生のシーズン前半はコロナで、試合だけでなく、練習もできず持て余していました。その分、全体で練習できるようになってからは、たくさん声を出して、いきいきとプレーできました。この頃、タックルを怖がってばかりの自分も徐々にメンバー争いにも参加できるようになり、やっと自分も一人前のラグビー選手になったかなと自惚れていました。しかし、その後の対抗戦の明学戦でスタメンに選ばれましたが、緊張して何もできず、またしても自分の無力さを実感することになりました。また、その時に一個上の先輩の虎さんが4年生になって、いつものふざけているような感じとは違って、全力でチームを勝たせようとする姿を見て、私もこんなふうに変わりたいという気持ちを思い出しました。
 そして、4年生になって、どんどん活躍していこうと意気込んでいましたが、怪我を繰り返して、なかなか練習や試合に出られずにいました。チームに貢献できないでいることに焦りを感じ、復帰してからも4年生としていいプレーをしないといけないと自分にプレッシャーをかけすぎていました。そんな中でも、4年生の自覚からか、私はラグビーも人間としても一皮剥けて成長できたと思います。
 初めの話に戻ります。今年の対抗戦の結果は奇しくも3年前と同じ4勝3敗という成績になりましたが、本当に私はその当時の先輩方のようにかっこいい先輩になれたのでしょうか。私の1年生の時をよく知っている先輩たちや同期からはよく永山は変わった成長したと言っていただけますが、私としてはまだまだ理想の4年生には遠く及ばないと思っています。その点は、まだ2試合残っているので、できればかっこいいところを後輩たちに見せていきます。
 長いラグビー生活は、悔いがないとはいかないですが、本当に充実して、楽しい日々でした。最後に、ラグビー部のチームメイトや関係者の方々本当にありがとうございました。私がこうして4年間充実した毎日を過ごせたのは間違いなくみなさんのおかげです。
 次は、本当に面白い生粋の関西人の北野にバトンを渡します。少々ハードルを上げるようですが、彼の最後のリレー日記には大いに期待しています。

 

4年分の6ヶ月[ラグビー部リレー日記]

 written by 魚住 承吾投稿日時:2021/12/06(月) 18:32

常に明るく、エネルギッシュな4年のるーしーからバトンを受けとりました、4年の魚住です。るーしーも最後の紹介で言っていたように、彼はよく僕の家に泊まりに来てくれ、多い時は1週間の半分は泊まっていました。そのせいもあってか常に僕の家には、枕、布団、タオル、スポーツ着、麻雀牌、コンタクトレンズ、歯ブラシ、など彼の私物が大量にあり、僕の一人暮らしの平凡な部屋の中を彩ってくれています。そろそろ回収して下さい。本当にお願いします。

さて、るーしーの話をし出すとそれだけでせっかくの最後のリレー日記が終わりそうなので話を先に進めます。

最後ということもあり、僕のラグビー人生を3部構成にして振り返っていきます。

まず、第1章 ジュニア編。当時のジュニア制度は厳しく、未経験者は1年の時は基本的にずっとシニアには上がれませんでした。なので、1年生同士で割と楽しく、怪我もほとんどなかったので、気楽にラグビーができていたと今振り返ると思います。1年生の頃の僕といえば、一言で言うとクソやろうでした。プレー・私生活、共に隙がなく、完璧なイメージが定着してしまった今の僕からはあまりに想像できなさすぎて、後輩たちはかなり驚くことだろうと思いますが、当時はウエイトもろくにせず、練習にはたびたび遅刻する、来る時はいつもギリギリと言った最悪な部員でした。おそらく、当時の同期の中で、辞めそうな部員ランキングは常に上位に食い込んでいたと思います。詳しくは僕の2回目のリレー日記を参照して下さい。

次に、第2章 2,3年編。2年生になって、後輩が入ってきたことで少し部員としての自覚が芽生え始めてきた頃でした。また、上級生に怪我人が多く、深刻なプレーヤー不足に陥っていた頃、自分にチャンスが回ってきて、新歓試合とはいえ、チームのA戦で初めてスタメンとして試合に出ました。その試合ではたまたま割と活躍でき、自分はAのレベルでも通用するのだ、と初めてラグビーに自信が持てました。しかし、そんな個人的に波に乗っていた2年の夏に、前十字靭帯を断裂しました。前十字靭帯断裂はラグビー部内でも最も復帰までに時間のかかる怪我として浸透していましたが、その当時僕もまさか自分がなるとは思わず、周りに「前十字靭帯切れたら部活辞めるわ」と冗談を言うほどでした。正直すぐには実感が湧かず、ただ呆然と手術を受け、長い長い怪我人生活が始まりました。また、ほぼ1年かけて、その前十字靭帯断裂から復帰してすぐに再び前十字靭帯を断裂してしまい、もう1年僕は貴重なラグビー生活を怪我人として過ごしました。怪我のことは何回もリレー日記で触れてきたので、これくらいにしときます。これも詳しくは過去のリレー日記を参照してください。一言で言えば、ラグビー生活の半分以上を怪我人として過ごしたということです。

最後に、第3章 4年編。4年生としての最後の1年間も怪我人としてスタートしました。最上級生になったことで自分のプレーを知っている先輩方はみんな引退し、3年生以下の後輩たちは誰も僕のプレーを知らないという状態でした。そのことを後輩に言われることも多く、表面上は「まあ見とけよ」くらいの感じで軽く流していましたが、内心悲しい気持ちになっていました。心当たりのある後輩は猛省し、悔い改めてください。9月ごろにようやく復帰して、チームの戦力になるぞと息巻いていましたが、最初は2年間のブランクでろくなプレーが出来ず、チームのスタメンはおろかメンバーにも選ばれない有様でした。しかし、今年は対抗戦がない週にB戦が毎週のように組まれていて、そこで結果を出してアピールし、早くメンバーに選ばれると言った明確な目標があり、メンバーに選ばれていない屈辱感もバネにして、ひたすら練習に励んでいました。そして、対抗戦の成蹊大学との試合の時に、無事、メンバーに選ばれました。同期で僕だけ最後までスイカを着ることのできないのではないかと内心焦っていたので本当に嬉しかったです。今となっては残り、2試合。選ばれたことはいいものの、今のところ全く爪痕を残せてないので、残り2試合、死に物狂いでプレーします。

今、ラグビー人生を思い返すと、3年生までは本当にすっからかんでした。その分、4年生の後半のラグビーに復帰してからの時間は本当に濃密でとても楽しく、幸せな時間でした。メンバーに選ばれない悔しさ、仲間たちとの切磋琢磨、メンバーに選ばれた時の喜び、試合前の緊張感、普通の部員が4年間かけて経験することを僕は半年間で経験できたので、ある意味ラッキーなのかもしれません。

最後になりますが、僕は本当にラグビー部もラグビー部員も大好きです。後輩は「僕に対する敬意あるんか」と突っ込みたくなるほどグイグイいじってきます。でも、みんないいやつで、後輩たちのしょうもないいじりに何度も元気をもらいました。大好きです。引退したら飯行きましょう。

同期に関してはびっくりするくらい長い時間を一緒に過ごしました。練習後、来るなと言っているのに僕の家に来て、帰る時は強盗でも入ったのかというくらい部屋は荒れていました。それでも一緒にいるとめちゃくちゃ楽しいし、面白いやつばっかで死ぬほど笑わされました。僕が前十字靭帯を再断裂して、絶望の真っ只中だったときに、わざわざ東京から僕が手術をする関西まで「全員」で来てくれた時は本当に感動で涙が出そうになりました。本当にいい仲間を持ったと思います。大好きです。引退したらシェアハウスするメンバー以外とは少し会う機会が減ると思いますが、僕のことが恋しくなったらいつでもWACK HOUSEに来てください。来るもの拒まず、です。

次は、4年間でもしかしたら一番成長したかもしれない「高身長、高学歴のスポーツマンであり、ハーフ」という肩書き最強の男、永山にバトンを渡します。彼はその大きさや特徴的な言動にばかり注目されますが、優しかったり、意外と料理が上手く、家庭的な一面があったり、といい旦那さんになると思います。
 
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