ブログ 2022/12

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羅針盤[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2022/12/08(木) 17:22

ごたつからバトンをもらいました、スタッフの河野です。練習後に「テーピングのおかげで捻挫しなかったわー」と言われた時には役立っていることが実感できてとても嬉しかった記憶があります。
ごたつは院試は受けていなかったようですが、なぜか来年も一緒に大学で勉強できるみたいです。頑張りましょう。



「テセウスの船」というパラドックスがある。物事を構成するパーツが全て入れ替わったとしても、入れ替わる前と後で同一のものと言えるのかどうかというアイデンティティを問う問題だ。これは以下のギリシャ神話を由来としてプルタルコスが投げかけたものだ。

テセウスがクレタ島(嘘つきばかりだと有名の)から帰還した船は長い間保管されていたが、老朽化に伴って少しずつ新しい部品に入れ替わっていった。その結果、元のテセウスの船の部品は一つもなくなり、全てが新しい部品になっていた。船の形や機能は元のテセウスの船と変わらないが構成する部品は全く異なってしまった。

部活をこのような視点で見てみるとどうだろうか。今の東大ラグビー部と私たちが卒部してからの東大ラグビー部は同じものと言えるのだろうか。外から見たら変わらず「東大ラグビー部」であるけれど、私たちはいないしまだ見ぬ新入生が仲間入りしてメンバーは変わる。そうやって少しずつメンバーが変わりながら100年余りの歴史を紡いできた。

「テセウスの船」の問題はさまざまな観点から議論がなされてきた。
アリストテレスは全ての事物は四原因で説明できると考えた。何でできているかという「質量因」、どんな形をしているかという「形相因」、誰がどのように作ったかという「動力因」、何のために存在するのかという「目的因」だ。
その中でも「テセウスの船」に対しては形相因が重要であるとしたそうだ。

東大ラグビー部においていえば、人々からどう見られるかということになるだろう。確かに代が変わっても同じ東大ラグビー部として認識されるし、登録するチーム名を変えるわけでもない。しかし、東大ラグビー部が存在するということは部員がいるということが必要不可欠であると思う。私たちの代は4年間部活を続けたのは24名だが、途中で辞めてしまった人も数人いる。4年間部活動を続けることは全くもって楽なことじゃないし、だからこそこれまで東大ラグビー部が存続してきて今も在る事は先代のOB・OGの方々の努力と継続の賜物であると思う。そして、これからも東大ラグビー部を続けていくためには今いる部員のみんなが辞めずに続けることが必要なのだ。


「目的因」で部活に関して考えてみる。何のために東大ラグビー部が在るのかということだ。つまり何をもって東大ラグビー部とするかということに終結するだろう。その答えは私たちが1年生の時にチムビのメンバーを中心に全員で考えた東大ラグビー部の理念にあると思う。HPのこのページ(http://www.turfc.com/recruit/mission/)にまとまっているので、1年生など見たことがない人がいればぜひ見てほしい。なぜ東大に入ってまでラグビーをするのか、なぜラグビー部でスタッフとして働くのか、きっかけがなければ考えることもなく無為に部活動の時間を過ごしてしまいがちである。この理念は部活全体のものであるので、個人レベルに落とし込んで自分の中で東大ラグビー部に所属して目指す目的を見つけることが大切になると思う。4年間は意外と長い。楽しいことばかりではなく、部活を続けることが辛くなったり自分の部内での存在意義がわからなくなったりすることもあると思う。その時に自分の中で考えた目的を思い返すことができれば、もう少し頑張ろうと思えるはずだ。


東大ラグビー部に所属している限り、全員が同じ船に乗って同じところを目指すことになる。代によって目指す場所は違うと思うが、全員が同じ方向を見ていなければ、目指す場所が遠ければ遠いほどそのゴールには到達できないのだと思う。全員が同じ方向を見るということが一番難しいということをこの1年で痛感したのだが。

私たちが卒部した後の東大ラグビー部は変わらず東大ラグビー部だけれども、変えるべきところは大いに変えて新しい東大ラグビー部にしていって欲しい。
今年、私は本当に入れ替え戦にいけると信じていた。結果4年ぶり3位という悪くない結果を残したけれども、元々掲げていた目標は叶わなかった。何が足りなかったのか、何が悪かったのか、どうしたらよかったのか。多分足りなかった要素は一つではないのだと思う。
目に見えて改善すべき点だけでなく当然だと思っていることでも、目指すゴールに辿り着くために本当にそのままでいいのかと疑ってかかって欲しい。そしてそれを全員で話し合って伝え合ってベストな解決方法を探し出して欲しい。
今まで見てきた先輩と同様に夢を託す側になってしまったことがとても悔しいが、その分心から新しい東大ラグビー部を応援しています。



最後に感謝の言葉を。
まず家族のみんな。せっかく大学生になって新しいことを始められるタイミングだったのに、我が子が主役にはなり得ない活動をすることに関して、複雑な気持ちを持っていたと思います。私の選択を尊重し、見守ってくれたことに本当に感謝しています。ありがとう。
先輩、後輩の皆さん。皆さんからはとても多くのことを学ばせてもらい、皆さんのおかげで楽しい4年間を過ごすことができました。特にスタッフの先輩には引退を間近に控えた今でも追いつくことができなかったなと感じています。偉大な先輩方でした。本当にありがとうございます。
スタッフの後輩のみんな。来年から人数も減ってとても大変だと思います。ただ、私はみんななら乗り越えられると思うし、乗り越える過程で得られるものは大きいと思います。悩んだりお互いにぶつかり合ったりすることもあると思いますが、力を合わせて悔いのないように頑張ってください。ご飯行くのはいつでも大歓迎なので、声かけてね。バイトしてお金貯めときます。
同期のみんな。人数も多くてまとまりはなかったのかもしれないけど、私はこの代でよかったなと思います。こんな私を受け入れてくれてありがとう。特にスタッフはそれぞれ一人一人からとても刺激をもらい、成長させてもらいました。出会えてよかったです。
最後になりましたが、OB・OGの皆様、日頃から多大なる支援、ご声援をいただきありがとうございました。

東大に入って知らない世界をたくさん見ました。刺激を受け続けた4年間でした。その4年間にはずっと部活がありました。しんどい時でも周りで支えてくれた多くの人がいたからこそ、4年間部活を続けることができました。本当にありがとうございました。ラグビー部に入ってよかったです。



次は鵜飼にバトンを渡します。
鵜飼との思い出はたくさんありますが、1番は2年前のお正月にお家にお邪魔したことでしょうか。弟の受験で帰省できずにしょんぼりしていた私には、鵜飼家の温もりが心に沁みました。鵜飼も院進するので、社会人として忙殺されるであろう他の女子4人に比べたらあまり気を遣わずに遊びに誘えますね。覚悟しておいてください。

過信すること[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2022/12/07(水) 19:01

財木からバトンを受け取りました四年の後藤です。財木には本当にお世話になりました。浪人期からずっと一緒で、ラグビー部に入部する背中を押してくれたのも彼です。財木は私のことをドライと言いますが、私は仲良しだと思っています。悩みがあればいつでも相談してください。

最後の日記を書くにあたって、自分がラグビーを始めてから今までの歴史を書こうと思っていたのですが、つまらない話はやめてくださいと可愛い後輩前川くんに釘を刺されたため超簡単に箇条書きで説明して本題に入ります。

2015年 ラグビーW杯のJAPAN VS南アフリカを見て心震える。
2017年 高校の相撲大会で柔道部のでかいやつに勝つ。コンタクトの才能感じる。
2018年 浪人の下宿先で仲良くなった人が太田高校のめっちゃ強いNO.8でラグビーに憧れる。
2019年 東大合格。ラグビーかアメフトで迷うが、東大ラグビー部にはお前みたいな熱い奴が必要だ」と当時の現役の先輩に言われて、ラグビー部に入る。京大戦でスイカを着ることができた。
2020年 せっかくAチームに入れたのに、コロナのせいで何もできない。試合にも少ししか出られなかった
2021年 杉浦元キャプテンの鶴の一声でフロント転向。才能発揮。対抗戦全試合出場。
2022年 対抗戦B全勝を掲げて、やる気MAX。就活やめ、ラグビー専念。

大雑把に説明すると私のラグビー人生はこんな感じでした。次に本題に入りたいと思います。
皆さんはノミの実験についてご存知ですか?昆虫のノミは体長2ミリ程度ですが、実は30cmも跳ぶことができます。高さ20センチほどの瓶にノミを大量に入れると、ノミたちは当然のように、その瓶からはみ出すジャンプを繰り返します。しかし、瓶にフタをしてしばらく置いておくと、フタの存在があることにより、ノミたちは次第にフタのところまでしかジャンプをしなくなります。そして驚くべきことに、フタを外してみても、どのノミもフタの高さまでしかジャンプをしなくなり、瓶をはみ出してジャンプするノミはいなくなってしまうのだそうです。
 さらに恐ろしいのは、瓶の筒の部分を外してみると、ノミの集団はまるでそこに瓶があるかのように、瓶の形に沿うような高さでジャンプし続けるのです。もうそこに瓶やフタは存在していないのに、「見えない枠」があるという思い込みによって、ノミたちは本来の力を失ってしまうのです。(Diamond Onlineより引用)

私はこの実験について、高校の恩師から聞いた時ハッとしました。賢い人は自分の実力を客観視できるから、できることしかやらなくなるそうです。当然少し賢い私は、例によって自分の実力を見極めて、やることを決めたり範囲を限定したりしていました。自分の限界を決めるのは自分自身とはこのことです。それから私は、自分のことは過信するように心がけました。東大なんて程遠い成績を取っていましたが、志望校は東大しかありえないと豪語していました。現役ではダメで、なんとか浪人して受かりました。
過信は愚かだと言う人がいるかもしれませんがそんなやつには言わせておけばいいんです。限界を決めてやりたいことができない方がもったいないです。自分の人生は自分で決めればいいし、自己肯定感なんて高ければ高いほどいいんです。世界にたった1人の自分自身を肯定してあげられないなんて、もったいないと思いませんか?少し話がそれてきたので、ラグビーの話に戻ります。

私はラグビー部に未経験で入部して、最初に一年生でスイカを着るという目標を掲げました。二年生では対抗戦Bで一番強いFWになると決めました。四年生では、チーム目標は、入替戦出場ではなく全勝入替戦がいいと啖呵を切りました。目標は常に高く、たとえ実現可能性がとても低いとしても、目指す価値のある、目指したいと思える、そのためなら頑張れる目標を立ててきました。残り定期戦2試合を残した今になっても、ラグビーはもっと上手くなりたいし、強くなりたいし、FWでもキックで活躍したいと思っています。四年間を振り返って、自分を誇れることは向上心を忘れなかったことです。現役のみんなに言えることは、限界なんてクソ喰らえだということです。はしたない言葉申し訳ありません。

こんな生意気なことを言いましたが、1人ではこれまで何もできませんでした。
東大ラグビー部を指導応援してくださった方々、家族のおかげで今までやってこられました。本当にありがとうございました。

次にスタッフのかわはるにバトンを渡します。かわはるは最後の一年間ほぼ毎日テーピングを巻いてもらいました。足首を怪我せずに、練習を続けられたのはかわはるのおかげです。ありがとう。
あと、院試絶対落ちる~~って言っていたのに無事合格してすごいです。同じ農学部として勉強頑張りましょう。
 

ピンチとチャンスは漢の花道[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2022/12/06(火) 19:18

“漢”の代名詞でもある笹俣からバトンを貰いました、財木です。
ささは日記からも分かるくらい熱くてカッコいい漢です。
ささからスクラムの組み方、難しさ、面白さ、全部教えてもらったと思う。
スクラムの最前列でいつも身体を張ってくれてありがとう。
滅茶苦茶かっこよくて頼もしい。

去年の立教戦後、大西さんと杉浦さんに呼び出されFWの転向を伝えられたときから、今日まで丸一年近く経っている。
FW転向した当初は毎日が全部新鮮だった。
今まで指をくわえて見ているしかなかったモールディフェンスに参加できた喜びもあったし、スクラムやラインアウトでトライを取れた時の喜びは今までの何倍もあった。
フロントのカッコよさに痺れたし、少しでも力になりたいと今でも思ってる。

そんなFWとして迎える最後一年が始まるとき、「突破口」というスローガンを自分の中で掲げた。
自分のチーム内での立ち位置を考えたときに、自分からアタックで盛り上げたい、
相手のディフェンスを自分から崩したい、突破口を開きたい。
そういう想いでこのスローガンを掲げた。

春先の頃はわりと上手く行っていたように思う。
BBCとかCCとか辛い練習に比べて試合は楽しかったし、自分も活躍できてうれしかった。
主将副将が不在でも勝ててたことが自分の自信にもつながった。
自分の役割を、完璧ではないものの果たせてる実感があった。

ただ夏以降自分の中でどうしたら上手く行くのかがずっとわからない。
対抗戦中もずっと悩んでいた。
どうして上手く行かないのかわからないし、どうして上手く行っていたのかもわからなかった。
最近廣瀬とそういう話にもなったけど、上手く行ってる時は上手く行ってることに無自覚だし、思い返しても要因がよくわからない。
自分のジャーナリングと試合を見返して、次はこういう目標で試合に臨もうと自分なりに試行錯誤をしたと思う。
でも結局対抗戦7戦で自分の満足のいく試合はなかった。
がむしゃらにやればやるほど空回っていくのが空しかった。

自分自身の置かれてる状況すら突破できていない。
ムラのある選手で、首脳陣も使いづらかっただろうなとは正直思う。
23歳にもなって、こんなにも自分のプレーを反省したりするとは思わなかった。

最後のリレー日記だから華々しい4年間を振り返りたかったけど鬱屈とした文章になっちゃいました。
それでもこの4年間は嘘偽りなく楽しかったです。
できることも少しは増えたし、今まで話すこともなかったような考えの人と喋ったり。
何人かは減っちゃったけど、一番人数の多い学年で楽しかった。
多分ラグビー以外でもこういった悩みができていくんだろうなと思いつつも、そのときもまた周りの手を借りながら解決出来たらなと。

次はごたつにバトンを渡します。
浪人期からの付き合いで、いい意味でドライで淡々としているごたつには色々と相談したと思います。
いつも汗で濡れてるくせに、水に濡れることが世界一嫌いとか、
「アホじゃん」に「天才だから」と返すのは治した方がいいと思う。

ぶのぶぶん[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2022/12/05(月) 16:16

​​​​​​ 河内から日記を引き継ぎました、4年PRの笹俣です。彼とはこうして紹介をし合うのが思わず照れ臭いと感じてしまうほどの仲で、4年間で最も多くの時間を共に過ごしました。お互い元々寡黙なタイプなので、ここでは普段はなかなか言えないようなことを言わせてもらいます。ありきたりなことばではありますが、今まで本当にありがとう。そして、これからもよろしく。


 「なぜ東大ラグビー部にいるのか」

 そもそも、高校時に東大を目指した理由は東大アメフト部(Warriors)に憧れがあったというのが大きかった。中学・高校と野球を続けていたが、部活の4つ上の先輩が2人、東大アメフト部に入部し活躍しているという話を聞いた。東大に入って未経験のスポーツに身を投じ、およそ東大生には似つかわしくない体格になって私大を相手に奮闘している姿は、自分の目にはあまりにかっこよく映った。自分も運動部に入って、先輩方のように文武両道を成し遂げたいと考えるようになった。

 1年の浪人を経て、無事東大に合格した。高3で10キロ増やし、浪人時には週2~3で24時間ジムに通いながらさらに10キロ増量した。そのため、入学当時は既に90キロあり(今思えばあまりよろしくない太り方ではあったが)、新歓ではアメフト部や柔道部など、「大きな」人が活躍できるような運動部から多く声をかけていただいた。同クラに現主将の國枝、また上クラにルーシーさん、イシケンさんがおり、ありがたいことにラグビー部からも熱烈に勧誘いただいた。しかし、アメフト部の例の先輩2人にもお会いし、良くも悪くも自分の決意は揺らぐことはなく、かなり早い段階でアメフト部への入部を決意した。

 しかし、入部して早々、病んでしまった。東大生に多いいわゆる五月病で、原因は受験のストレスと大学という新しい環境への変化だった。一応断っておくが、アメフト部が原因では全くない。おかけで3ヶ月近く体調を崩してしまい、授業にも部活にも行けなくなってしまった。8月の頭から部活に復帰したものの、周りの1年生は既に身体的にも技術的にも成長しており、仲の良いグループもあるような感じだった。自分だけ取り残されている気持ちがあり辛かったが、まだまだ選手としては挽回できると思った。しかし同時に、理由がどうであれ、3ヶ月も休んでしまったことで失った仲間への信頼はどうやっても取り返せないと思った。苦渋の選択ではあったが、これ以上は部に迷惑をかけれないと思い、退部を決意した。

 しかし、文武両道を体現したいという夢はまだ消えていなかった。できることならどこかでスポーツを続けたい。そこですぐに思い浮かんだのがラグビー部だった。今考えれば身近に3人もラグビー部員がいるなど、縁がありすぎたのだ。8月末、すぐに練習を見学させていただいた。一人一人が熱い思いを持っている魅力的な集団だった。ルーシーさんがニヤニヤしながら言った。「お前は戻って来ると思ってたよ」。まさにその通りだった。

 「東大ラグビー部で何を学んだのか」

 未経験で、しかも途中入部。経験者との実力の差に焦りを感じつつも、逆にこれでレギュラーを獲れたら見返せる、という気持ちが常に自分の中にあった。毎練習後に教えてもらったこと、気付いたことをノートに書き留めた。技巧派でも頭脳派でもなかったので、身体と気持ちでとにかくがむしゃらにプレーすることを心がけた。1年生のシーズン末は急激な増量が祟って脛の骨を疲労骨折してしまった。おかげで半年近くのDL生活を余儀なくされた。

 しかし、2年生の前半はコロナ禍真っ只中で部活も自粛期間だったので、幸いにも他の選手との差を離されずに済んだ。2年生の秋、大きな転機が訪れた。同期の1人が部を辞めてしまったことがきっかけでLOからPRへコンバートしたのだ。スクラムはもちろん相手によって組み方は変わるが、それ以上にいかに基本に忠実に組めるかが大切だった。不器用な自分でも武器になると思った。その年はたまたまリザーブ入りすることはできたが、明らかに実力不足だった。他の選手の陰に隠れて試合を終えることがほとんどだった。

 3年生になって、またしても思いがけず、3番PRが自分1人しかいなくなってしまった。この頃からチームを代表して戦うことの責任を考えるようになった。スクラムは強力なバックファイブのおかげもあり、少しづつ形になっていった。リーグ戦績は目標には届かなかったが、相手をドミネーションする大西さんのラグビーを少なからず体現できた、個人的にも実りの多いシーズンだった。特に創部100周年を記念した秩父宮での京大戦の記憶は一生忘れないだろう。

 ラストイヤーはフロントパートリーダーをやらせていただき、至らない部分も多々あったと思うがなんとかやり遂げることができそうでひと安心だ。スクラムやモールで相手を圧倒する場面が増え、個人としてもフィールドプレーで少しづつ存在感を示せるようになった。対抗戦全勝というチーム目標は叶わなかったものの、全体で3位というあと一歩の成績を残せた。

 初めの話に戻るが、文武両道を成し遂げられたかどうか(ここでは「『武』の部分」)の答えは、引退までまだ1ヶ月弱あるので持ち越しておきたい。それに自信を持ってイエスと答えられるように、残りの期間はラグビーに全身全霊で取り組みたい。名大戦・京大戦で自分が今までやってきたことの証明をしなければならない。

 ただ一つ確かなのは、病んでいなかったら僕はおそらく東大ラグビー部にはいなかっただろう。しかしこの転機は結果として、他では代えられないような経験をもたらしてくれた。かけがえのない仲間。1人のラガーマンとして、それ以前に1人の人間として、いかに困難に立ち向かうのか。勝負に勝つということ。負けるということ。ラグビー部では、あまりにも多くのことを学ばせていただいた。この4年間を経て、性格が変わった、と度々言われることがある。冗談抜きで、人間的にも一回りも二回りも大きくなれたのだと思う。今まさに転換期にある東大ラグビー部には間違いなくその環境がある。

 書きたいことを書こうと詰め込んだら冗長なリレー日記になってしまったことをお許しください。最後にお世話になった方々にお礼を伝えてこのリレー日記を締めようと思います。

 同期。思い出すと恥ずかしくなるほどイキっていた途中入部の俺を温かく受け入れてくれたこと、本当に感謝しています。人数が多いために、ややまとまりのない代ではあったかもしれませんが、23人一人一人が自分の目標・やりたいことに向かって突き進む姿はとても刺激になりました。

 家族。部活が忙しいことを理由に家の手伝いをサボるなど、多くの迷惑をかけました。それでも日頃から応援をし、試合にも足を運んでくれてありがとう。家族の支えのおかげで部活を続けることができました。

 多種多様な先輩・後輩とは濃い時間を過ごせました。大西さん・青山先生をはじめとするコーチ陣の方々からの教えは深く心に刻まれました。OB・OGの方々の強力なバックアップのおかげで恵まれた環境でラグビーをすることができました。彼女は自分を最も応援してくれた存在で、試合を観に来てくれるたび力がみなぎりました。皆々様、4年間本当にお世話になりました。ありがとうございました。


 次はラストイヤーでFWに転向した財木に日記を引き継ぎます。僕が個人的にチームで1番のトライゲッターだと思っている財木ですが、彼なりの苦悩も多々あったことでしょう。彼は僕がラグビー部に転部してすぐ、右も左もわからないときに、特に声をかけて力になってくれたのを覚えています。困っているときの財木の存在は頼もしいの一言です。

感情の財産[ラグビー部リレー日記]

 written by 河内 拓仁投稿日時:2022/12/04(日) 19:00

いつの間にか現役部員で唯一の同郷となってしまった彬からバトンを受け取りました、河内です。
確かに最近、彬君の家で観葉植物に囲まれながら漫画を読み非常にリラックスした時間を過ごさせてもらっており、悔しいですが負けを認めざるを得ません。
今年はS&Cセクションのリーダーとして色々任せっきりにしてすいませんでした。部活が終わったらまた一年生の時みたいに一緒にウエイト行きましょう。

中一の春に、ラグビー部に興味を持っていました。偶々地元の中学校にはラグビー部があったのですが、入学してどの部活に入ろうかという時に、小学校までやっていたサッカー部と、何となくやりたかったラグビー部とで迷いました。担任の先生がラグビー部の顧問で、よく「One for all, All for one」がどうのという話もしていたのでそれもあるかもしれません。一週間の体験入部期間があり、両方の部活を体験しようと思っていたのですが、何となく先にサッカー部の体験に行きました。すると先輩に丸め込まれそれから毎日通わされ、結局一度もラグビー部の体験に行くことなくサッカー部に入部してしまいました。グラウンドの反対側で泥まみれになりながら楽しそうに楕円球を追いかけている集団のことが若干気になりつつ、中学を卒業しました。

高校では部活にしばらく経って行かなくなってしまい、他に特に力を入れる活動があるわけでもなく単調な日々を送りました。このこともあり、大学に入学して様々なサークルの新歓を見ていると中学時代の充実した生活や部活を通してできた仲間との絆などが恋しくなり、運動部に入ることを考えました。ラグビー部の新歓パンフレットを読むとラグビー未経験で入部する人も多いとも書いてあり、中学の時は行けなかったラグビー部の体験に行ってみようと思いました。ラグビー場に着くと、意味がわからないくらいデカい人ばかりでした。先輩はともかく新入生も経験者や高校でバリバリ部活をしていた人が多く、高校でろくに運動していなかった自分がやっていくのは無理に思えました。しかし、ラグビーをやってみたかったのと、一見無理に思えるからこそ4年間努力してどこまでいけるのか試してみたい気持ちもあり、入部しました。

入部してすぐ、考えが甘かったことに気づきました。練習はキツくついていくのがやっとで、いつまで経っても先輩に追いつけない気がしました。自分の努力は甘く、もっと厳しい努力をしている人がいくらでもいました。身体にも限界が来て、夏の終わりには疲労骨折をしました。DLにいる間に他の同期はメキメキと力をつけ実戦経験を積み、自分は大きく遅れをとりました。試合でまともにタックルすることもできないまま1年生のシーズンが終わりました。2年生になりシニアとして上級生に混じって練習するようになると、実力不足を直に感じる日々が続きました。
口に出したことはないのですが、苦しい時にはいつも部の人たちに救われていました。毎日アドバイスをしてくれて、僕がいいプレーをすると他人事なのに喜んでくれる先輩方。お世辞でも自分のことを目標(通過点)だと言ってくれる後輩。そしていつも一緒に頑張ってきた同期達。皆さんのおかげで練習に出続けることができました。

3年生の春シーズンには初めてスイカを着ることができ、またチームの勝利に関わることができました。努力が少し実った気がして、それまでやってきてよかったと思いました。
4年生として迎えた今シーズン開始時、ロックからフロント(1番)に転向しました。増量や1年間でスクラムが組めるようになるかといったことが不安で、最初國枝に話を聞いた時ははっきりした返事ができませんでした。1番として初めてスクラムを組んだ時、相手の3番に何もできずボコボコにされどんな工夫をしても全く改善できず、対抗戦に間に合わないのではないかと焦りましたが、色々な相手と組ませてもらい修正を繰り返す中でだんだんと形になっていきました。少しずつ勝てるようになっていったのですが、相手を押し切り、後ろを振り向いてロック、バックローと共に全員で喜びを分かち合うあの瞬間がとても好きでした。最後の年にフロントというポジションに出会えて本当によかったです。
結局今シーズンの対抗戦では1番のリザーブに入り、出場時間は長くないものの多くの試合に出ることができました。一つ一つのトライ、勝利がチームの4年間の集大成として心の底から嬉しかったです。一方で負けた時には4年間が否定されたような喪失感に襲われ、結果が重くのしかかりました。

 4年前の自分は正直無理な幻想を抱いていたのかもしれません。努力を突き詰めれず、対抗戦にスタメンで出ることはできず、チームとしては入れ替え戦に出場できませんでした。努力が全てを可能にするわけではないと思います。しかし、一つ確かなことがあります。それは、今年様々な場面で味わった感情はどれもラグビー部での自分なりの努力があってのものだったということです。スクラムで勝った時やチームが勝った時、そして負けた時。心の底から震えるようなあの感情はこの4年間でなければ人生で決して味わうことのなかった財産だと思います。

最後になりますが、監督、コーチ、OB/OGはじめ関係者の皆様、4年間大変お世話になりました。またチームの皆さん、僕を受け入れてくれてありがとうございました。4年間楽しかったです。両親には感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。

次は、今年一年対面でスクラムを組み続けた笹俣にバトンを渡します。
いつも一緒にいる彼と毎練習バチバチスクラムを組むことに最初は戸惑っていましたが、むしろ仲が深まってホッとしていました。
どれだけ荒れたスクラムを組んでも練習後に一緒に振り返りをしたあの時間が好きです。
 
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2022/12/23(金) 16:10
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2022/12/21(水) 17:21
彩り
2022/12/20(火) 17:19
綾織なす華やかなりし日々
2022/12/19(月) 16:30
幸せな地獄
2022/12/18(日) 20:57
かっぱえびせん
2022/12/17(土) 18:40
ありがとうございました。
2022/12/16(金) 18:00
「伝える」
2022/12/15(木) 12:30
少年は戦士になる
2022/12/14(水) 13:00
10+α
2022/12/13(火) 17:00
わたしの置かれた場所
2022/12/12(月) 17:50
ラグビーを楽しむ
2022/12/11(日) 17:38
部活動をするということ
2022/12/10(土) 19:00
深み
2022/12/09(金) 15:30
挫折、そして超克
2022/12/08(木) 17:22
羅針盤
2022/12/07(水) 19:01
過信すること
2022/12/06(火) 19:18
ピンチとチャンスは漢の花道
2022/12/05(月) 16:16
ぶのぶぶん
2022/12/04(日) 19:00
感情の財産
2022/12/03(土) 19:00
瀬をはやみ
2022/12/02(金) 18:52
皆さんへ
2022/12/01(木) 15:11
おつかれさま

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