ブログ 2022/12

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わたしの置かれた場所[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2022/12/13(火) 17:00

修蔵からバトンを受け取りました、4年スタッフの榎園琴音です。修蔵とは、1年生の秋にほぼ喋ったことがない中、2人で試合の偵察に送り込まれたことが懐かしいです。お互いのことを知らなすぎて逆に話すことしかなかったというのもありますが、1日を通して居心地の悪さや気まずさを感じることが全くなく、意外な嬉しさを感じたことを覚えています。その後、部活で話す頻度はさほど高くなかったものの、修蔵も言っているように今年はちょくちょく遊ぶ機会に恵まれ、毎度楽しい時間を過ごさせていただきました。修蔵に対してなぜかいつも必要以上に自己開示してしまうのですが、よければまた色々と話を聞いてください。
 

来年の春に社会に出る予定ですが、別段記者になるわけでもなく、期限に迫られて一般に発信する長い文章を書く機会は今後当分なさそうです。入部当初から今日に至るまで、ラグビー部のリレー日記という文化がわたしにとってとても愛おしく、大切なものでした。最後までお読みいただけますと幸いです。
 

結局のところ、ラグビー部のスタッフって、わたしには難しかったなあ。

そんなことを考えながら、残り数回となった部活に日々足を運んでいます。

思えば、生まれてから大学に入学するまでの間、わたしの人生にはラグビーのラの字もあったことがなく、ラグビー選手にスクラムを組む人とそうでない人がいることすら知りませんでした。

入学直前の3月末。テント列の出口でフロントのプレイヤーの巨体に進路を絶たれ、その誘いに根負けして奢り飯に連れて行かれた。そこから全てが始まりました。

新歓期間の自分なりの葛藤を経ていざラグビー部という場所に身を置いてみれば、程度の差こそあれラグビーとの深い関わりの中で生きてきた人との出会いが数多くあって、世の中には物心ついた頃からラグビーがある環境でしか生きてこなかった人すらいることを知りました。

そうした人たちとの出会いを新鮮に感じ、彼らとの関わりが自分の人生に生まれ、同志になる機会を与えられたことを喜ばしく思っていたあの春から4年経ち振り返る今思うのは、彼らと同じ魂を抱いて過ごせた日々では必ずしもなかったということです。

ラグビーというスポーツへの理解は最後まで追いつかなかったし、理解する姿勢も足りませんでした。ラグビー部のスタッフをしていると、わたしが「ラグビーが大好き」であるという、当たり前のような前提をもって話を振られることが多くありますが、そう形容される自分はあまりしっくり来ませんでした。

他者の勝敗を自分のものとして捉えるということがどうしてもうまくできませんでした。私が勝利を全身全霊で望んでいた時、結局その感情は「勝ちたい」ではなく「勝ってほしい」に過ぎませんでした。その対象も、自分になんらかの還元をもたらしてくれて、個人的に強い信頼や敬愛の念を覚えた数名に過ぎませんでした。

巷で話題の東京大学の女子学生率よりもさらに低い数値、15%前後の女子部員率には最後まで順応できませんでした。そんなの入る前からわかっていたことじゃないかと言われたらそれまでなのですが、女子校を卒業した後、全く新しい環境に飛び込んでみたくもあったし、なんとなくうまくやっていけそうな気もしたのです。結局、仲が良いと自信を持って言えるプレイヤーは数えるほどしかできなかったし、部室にいると今でもたまに疎外感を感じます。

苦しみは自分自身の個人的な事象にだけではなくて、構造自体に対しても存在しました。男性のみから成る選手と、女性大多数のスタッフ。大学に入り、授業で性役割分業や女性がこれまで歩んだ歴史を改めて学ぶと、自身が選んだこのスタッフという役割にもそれらの産物たる側面があると思わずにはいられませんでした。同時に、そうした構造の構築に加担している自分への嫌悪感も4年間うっすらと抱え続けていました。ラグビー部に限った話ではないですが、どんな要因があるにせよこのスタッフの男女比というものは異常かつ何かしらの弊害を伴っているのではないかと思っており、今書いている卒論もそんなことをテーマに設定しています。

元々の自分の性格に上記のような感情も相まって、「他者を支える」という、スタッフをしているとどこかで必ず要求される役回りがとても嫌いだったし、自分の中でうまく噛み砕くことができませんでした。性格のみならず、自分の特性のことを考えてみても、人のことを考えて動くといったことは全くもって向いていませんでした。

様々な視点の中に、簡単には形容できないそれぞれの苦しみや悲しみ、怒り、悔しさ、やるせなさ、違和感、劣等感など様々な感情があり、じゃあそれらはわたしの人生における自己成長のために絶対に必要なものだったのかと言われると、素直には頷けないものも多いです。

今のわたしには、この東大ラグビー部という組織との出会いを「運命」などという単純で甘美な言葉では片付けられません。

なぜこの組織に吸い寄せられたかも、4年間自分がこの組織にいるべきだったのかどうかも、今のこのぐちゃぐちゃな感情では到底達観して説明できないです。ただ一つだけ言えるのは、今4年前に戻れるなら、絶対に東大ラグビー部には入部しないということです。
 

じゃあお前にとってラグビー部での4年間は無駄だったのか、と言われるとそうは言い切れないから今こんなにも感情がぐちゃぐちゃになっているのです。

これは自慢のように響くかもしれないし、正直な話いくらかその意味合いもあるのだけれど、あるOBの方に先日「あなたは今年の広報をよくやったと思っている」と言っていただき、ああこれでよかったのだと、安堵に似た感情を抱きました。

これでよかったのだ。

全部最初からやり直せるとしたらそうはしていないかもしれないけれど、目の前にある今この瞬間を最大限一生懸命に生きたからこそ辿りついた境地や感覚というものが、これまで部活を続けて来る上で幾度もありました。そしてそれを作り出してくれたのは、大体の場合広報でした。

ラグビー部の広報には常に、わたしのやりたい何か、わたしをワクワクさせる何か、わたしを突き動かす何かがありました。それらにひとつひとつ取り組んでいるうちに4年間が終わろうとしています。

取り組んだ個々のものをここで振り返ることにあまり意味は感じないし、書き連ねたものをジットリと眺めていたら、なんだか1人で自己満足に陥ってしまいそうでやめておきます。それではそれらの取り組みの動機は何だったのかというと、人様に胸を張って言える美しいものから、この部に自分が存在する意義をなんとか作り出さなくてはいけないという焦りや、自分が作り上げたものを人に肯定されて自尊心を保ちたいという虚栄心など、利己的なものまで様々でした。

けれど、動機はなんであれ、一つ一つの取り組みにはこの部にとって何かしらの価値があったのではないかと思うし、何よりやっている自分がいちばん強く価値を感じていました。

初めは、2学年上の先輩スタッフであり、この部の広報の創設者であるともかさんの主体的な仕事ぶりを見て「なんだか楽しそう」と思っていただけでした。

当時、広報は部にとって「最悪なくても良いもの」であり、その中で目的意識を持って価値を発揮することが大切だというようなことが言われていました。広報がなくてもラグビー部という組織はなくならずに動いていくし、ラグビー部でラグビーをすることはできる。
わたしも確かにそうだと思ったし、でも1年生の終わり頃から実際に広報の仕事をやってみて、そこにあるものをあるがままに言葉にする作業や、新しい何かを企画して形にする作業はとても自分に合っていたしやはり楽しかったから、なくても良いものに取り組むのもなかなか悪くないぞなどと思っていました。

気持ちが変わり始めたのは3年生になってからだったでしょうか。
1つ上にスタッフがいなかったから、3年生から2年間も広報責任者を務めさせていただきました。元来行きあたりばったりな性格のわたしには、最も決定力のある立場で過ごせたこの2シーズンという時間はとてもありがたく、焦ることなくああでもないこうでもないと色々考えることができたし、その中で立場や考えも少しずつ変化していきました。

OBOGの方、保護者の方、ファンの方など外部の方との関わりが増え、昨年は創部100周年を受けた記念事業にも関わらせていただきました。その中で感じたのは、楽しさよりも、自分のつまらないプライドよりも「使命感」でした。

自分が直接関わっている訳ではないものにお金を払い、支援しようと思うこと。時間を割いて試合を見に行こうと思うこと。決して当たり前だと思ってはいけないことではないかと思いました。東大は強豪ではないからそうした方の数もある程度限られてはいて、けれどだからこそ大切にしたいし、そしてその人たちがこのラグビー部という組織の現状に関心を持っているのなら、その需要に応えるべく情報発信を行っていく義務があると思いました。

そして、100年の歴史やその中でこの組織が培ってきたアイデンティティを振り返った時、これは必ずや受け継いでいくべきものだと思いました。
この歴史が、歩みが埋もれないよう、そして先人たちに恥じぬように組織の力をさらに高め、広げ、次に繋げる努力をするのが、歴史ある組織に属す者の任務だと。

自分にしかできない仕事などこの世にいくらも存在しないと思っているので、上記が「わたしでなければできなかった」などと言うつもりは毛頭ありません。けれど、去年今年と、それを先頭に立って遂行する立場にあったのは他でもないわたしで、わたしはその遂行に意義を感じていました。

だから、投げ出すことなくここまでやって来られたのだと思います。

特に、3年生の9月~4年生の3月にかけて、広報セクション総出で半年がかりで作成した100周年記念ドキュメンタリービデオは、この部のスタッフとしては珍しく、部活を理由に現役での就活を諦めそうになるほどの時間と労力と胆力を要するものでしたが、同時に、部活を理由に就活を諦めても後悔しないと当時本気で思えたほど、大きな価値を感じながら真剣に取り組めたものでした。きっと、わたしにとって一生の誇りです。

同時に、広報に取り組む上では取り組んだ分だけの美しい景色を見させていただきました。

コロナの影響を受け2年生の時にグラウンドから消え失せた観客を、4年生になって、やっと再び制限なしで迎えることができるようになりました。わたしが作ったグッズで緑色に染まる観客席。

対抗戦初戦の上智戦では、長きにわたって東大ラグビー部をみつめ続けた、東京大学ラグビー倶楽部 山田会長に、「駒場史上最も多い観客だった」とのお言葉をいただきました。

そしてA戦では、愛に溢れた差し入れを両手で抱えきれないほどいただくようになりました。

他にも感動はそこかしこにありました。
それは、メールやSNSでの文字上で、電話での音声で、そして試合会場で。
普段から会っているわけではなく、ひょっとすると名前と顔が一致することもなく終わる関係性。それがわたしの活力でした。

日本の躍進に大盛り上がりし、現在大詰めを迎えているサッカーワールドカップでは、スペイン戦での逆転シュートが決まった直後、拳を天に突き上げ男泣きに泣くサポーターが「涙腺ニキ」として話題になりました。その映像を見て、気づけばわたしも泣いていました。

理由をうまく説明することはできないのだけれど、何かを応援するという感情に触れることがわたしはどうしようもなく好きで、それができるのがこの部の広報でした。

ただそれだけではなくて、所属する組織にあるものをあるがままに、しかし魅力的に伝えるという作業への興味、もっとできるようになりたいという想いは尽きず、将来社会のどこかで企業広報に携わるという夢もできました。

部活がどうしようもなくしんどくなった時、何かに失望して東大ラグビー部を嫌いだと思った時、もうこんなことはやめて他の組織の広報がしたいな、と思ったこともあります。実際、この部活である必要はどこにもなかったのでしょう。1年生に戻ったら入る気はないのだし。もしかしたら広報である必要もなかったのかもしれないです。良いようなことばかり書いてきましたが、広報に付随する、人とこまめにコミュニケーションを取ったり地道な確認を行ったりといった作業は別に最後まで苦しかったし、できることならいつでも逃げ出したいものでした。

けれど、東京大学で過ごした4年という年月の間わたしがいたのはやはり東大ラグビー部で、そこでわたしが向き合っていたのも東大ラグビー部を応援する人たちでした。

新歓期に葛藤を経て入部したと冒頭で述べましたが、今思えば当時のわたしはこのラグビー部という組織をあまりに狭い視野で捉えており、一人前に葛藤しているようで実はほぼ何も考えられていなかったのではないか、と折に触れて思います。

けれど、その過程が何であれ、わたしは確かに1年生の春に東大ラグビー部に入部しました。何に導かれたにせよ、正しいと信じたその判断がたとえどれほど愚かで後悔を伴うものだったとしても、わたしが選んだのは他のどの組織でもなく、東大ラグビー部でした。

結局、わたしには東大ラグビー部しかなかったのです。

「置かれた場所で咲きなさい」という言葉があります。

東京大学で与えられたこの土壌での4年間で、豪華絢爛ではないかもしれないし、満開でもないかもしれないけれど、わたしなりの色の花を開花させられたのではないかと思います。

これでよかったのだ。

何かを残し、得られたという確信を持って、この部を卒業したいと思います。
 

感謝を伝えたい方がたくさんいます。

OBOGの皆様、保護者の皆様、ラグビー部を応援してくださる全ての皆様
日頃より厚いご支援を賜り、心より感謝申し上げます。
皆様と関われる時間がとても好きでした。時たま日頃の業務への感謝をお伝えいただく機会に恵まれましたが、私の方こそいつも皆様に支えられていましたし、皆様の存在がなければどこかで潰れていたかもしれません。
4年という長い時間の中で思いがけない出会いと繋がりをいくつもいただき、引退したら個人的に報告したい方が何人もいます。入部した時には想像すらできなかったことです。幸せなことです。

特に執行部会の皆様には本当にお世話になりました。3年生の後半から100周年事業絡みでコンタクトを取ることが増えましたが、私に常識が欠けていても、何だか詰めが甘くまとまりのないことを言っていても、常に温かくご指導いただき、助けていただきました。
来春から社会人になる身として、こうありたいと思う一面をお持ちの方がたくさんいらっしゃいます。

青山先生、大西さん、深津さん、コーチ陣の皆様
何度失敗しても、期待に応えられなくても、必ず現役の味方であり続けてくださりありがとうございました。学生主体とはいっても結局最後は大人の力に頼らざるをえない存在でしたが、未熟な私達をご指導くださりありがとうございました。

先輩、同期、後輩の皆様
わたしにとってこの東大ラグビー部という場所は、今まで過ごしてきたどの環境とも違う非常に特異な環境でしたが、その中で常に色々な刺激があり、飽きることがありませんでした。時間をかけて向き合っていただいた方もたくさんいらっしゃいます。大変お世話になりました。

特にスタッフの皆様
この部のスタッフは皆真っ直ぐで、より良い何かをしたいという想いに溢れていると思います。学年を問わずどの人にも、尊敬できる何かがありました。
後輩の皆さんは来年大きな変化に直面すると思いますが、好きなように仕事を進められる喜びは格別です。伸び伸びと前向きに乗り越えていってください。

ともかさん
先日、ともかさんの最後のリレー日記を改めて読み直して胸が締め付けられました。
低学年の頃から一から積み上げてきた広報の集大成である最後の1年が、2020年というコロナとの闘いの1年に重なり、どれほど悔しかったでしょうか。
けれどこの2年間で、ともかさんが種を蒔き水を遣ってきたものが花開いていくという感覚を幾度も持ちました。
ともかさんの「この部に広報の体制を構築したい」という想い。コロナ禍でも常に前向きに、今できる最大限の、そして最も新しい広報を続けた姿。あまりにへなちょこなわたしを忍耐強くご指導くださった日々。2年生で部活をやめようとしていた私へかけてくださった「琴音ちゃんがいなくなったらこの部の広報は終わる」という言葉。全てがあってこその、その後のわたしの2年間でした。本当にありがとうございました。来年以降は、頼れる後輩たちが広報を受け継ぎ、さらに広げてくれます。

家族へ
受験期の闘いを経て、大学入学後はゆっくりできると思いきやこんなことになり、さぞかし驚いたことと思います。
当初は反対もされましたし、おっしゃる通りスタッフは向いていませんでした。とんでもない早朝に起きてはゴソゴソ、日付を超えた遅くに帰ってきてはゴソゴソと終始ご迷惑をおかけしましたが、というか現在進行形でご迷惑をおかけしていますが、見守ってくれてありがとうございます。来春に家を出ることに免じてあと2週間ご容赦ください。ぴょるちゃん(犬)も、春休みはたくさんお散歩に行きましょう。

そして、わたしに寄り添ってくださった全ての皆様
4年間を通して、様々な方がわたしを支えてくださいました。時に泣き喚き、時に言葉もなく気落ちし、時に怒り狂うわたしをなだめ、前向きな言葉で後押しをしてくださいました。ありがとうございました。まだまだ半人前な存在ではありますが、少しずつ誰かに何かをお返しできるような優しい人間になりたいです。

これほどまでにたくさんの方の力を感じた経験は未だかつてありません。本当にありがとうございました。
 

次は、東大ラグビー部の生き字引たる学生レフリー、そしてスタッフの原くんにバトンを渡します。入部時の寡黙なイメージとは裏腹に、実はおしゃべりな人だったため高学年になってからはわりかしたくさん話しました。しかし口下手な側面もあり、何を言っているのかよくわからないところをぐっと堪えながら話を聞いていたところ、かなり的を得たことを言っているのに気づき、ほう、と思うことも多々ありました。わたしは4年間を通して常に何かに追われ焦っていたので、常に精神的余裕があり、仕事を頼まれても嫌な顔をせずに引き受けたのちそつなくこなせるところをとてもリスペクトしています。部旗の件などはありがとうございました。
結構誉めたので最後に一点だけ苦言を呈させていただきますが、練習前後のスタッフの仕事はもうちょいやっていただけないものでしょうか。待ってます。

ラグビーを楽しむ[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2022/12/12(月) 17:50

内藤からバトンを受け取りました、大山です。内藤とは、富山県の人だと勘違いしていたファーストコンタクトから始まり、家にお邪魔してサッカーを見たり一緒にゲームをしたりと、1人でいがちの自分にしては多くの時間を共にしたように思います。ゆるっと話しながらチャリで帰る時間は楽しかったです。最後の2週間はぜひまた一緒に帰りましょう。



 



 



さて、ついに僕にも最後のリレー日記が回ってきてしまいました。最後ともなれば名残惜しい気持ちが湧いてきてすらすらと筆が進むかとも思いましたが、そんなことはありませんでした。これまで通りどんな事を書くか迷ってしまいます。そもそもリレー日記として何かを書き残すに値する生き方をしていない気もしていますが、それでも普段どんな事を考えながらラグビーをプレーしてきたかについて書いてみたいと思います。



 



 



「今の自分を入部当時の自分が見たらどう思うのだろう」



これは今年、特にこの秋の対抗戦期間中に頻繁に考えてしまうことです。このことは、怪我でまともに動けなかったり、チームについていくのでやっとだった昨年までは考えもしないことでした。しかし、プレイヤーとしてもそれなりに成長し珍しく怪我に苦しむこともなく試合に出られているからこそ、自分のラグビーについて色々と考えてしまうのかもしれません。



 



あまり認めたくありませんが、上の問に対する答えは「つまらないウイングになったな」というようなものな気がしています。そう感じる理由は、やはりその頃と今とでプレースタイルやそこに現れる精神性に違いがあることが大きいように思います。簡潔に表すと、学年が上がるにつれてラグビーを心から楽しみ挑戦することができなくなってしまったのではないかと思います。



 



少しだけ話は逸れますが、僕がこれまでずっと理想としてきた選手像は「ボールを持ったら何かが起きそうな選手」「見ていてワクワクする選手」というものであり、高校時代も含めた7年間、常にそのような選手を目指してきたつもりでした。いつでも積極的にボールを要求し、ボールを持ったらまずは必ず外勝負を考える。速い相手とのマッチアップを楽しみつつ、綺麗に抜き去ることを全力で試みる。そんな選手でいたいと思っていました。東大ラグビー部内ではしばしば、各々がボールを持ったら必死のコンタクトでタックラーを乗り潰す、という意味で「強いプレー」という言葉が聞かれましたが、僕にとっての「強いプレー」とはタックルをかわし相手に触れさせないことでした。ヒットをすることはむしろ相手を抜くことを諦めた末の選択肢、くらいに思っていました(僕個人の能力バランスや価値観で考えた場合には、という意味なので、誤解しないようお願いします)。



 



このような理想像を持ってラグビーに取り組んできたつもりでしたが、4年生となった今年は無意識にではありますが、楽な方へと流れてしまっているように感じています。大外でボールをもらっても、外に押し出されるのが怖くてとりあえず内に切り込んでおく。ランで相手を振り切れそうな間合いでもパスを選択する。このような、勝負を避けるような選手になってしまいました。ミスは少ないかもしれませんが、個人的にはつまらないウイングです。



このように変わってしまった大きな理由は、最高学年になってミスに対するプレッシャーや自分が戦犯となることに対する恐れをこれまで以上に感じてしまっているからかもしれません。自分はスポーツにおいてはメンタルが強い方だと思っていましたが、そんなことはなかったようです。同期のプレイヤーから「安定している」とか「飄々としている」とか表現してもらった事もありましたが、自分の中では常にどこか弱さを感じたまま最後の1年間を過ごしていました。



 



ここまで、4年生になってから自分の中で感じている少し暗い内容について書いてきました。しかし、残された2試合ではこれらを払拭したいと思います。自分なりに納得した形で引退したい。大学でもラグビーを続けてきてよかったと自分自身で思えるようなプレーをしたい。このような気持ちが今は湧いてきています。最後の2試合、チームみんなで笑えるよう全力を尽くします。



 



 



最後に、これまでラグビー部でお世話になった方々に感謝を伝えたいと思います。



青山監督・大西コーチをはじめ、4年間で何人もの指導者やトレーナーの方々のお世話になってここまでラグビーを続けることができました。4年間で、ラグビーのことに関わらず多くのことを学ぶことができました。本当にありがとうございます。



チームメイトの皆さんは、感情の起伏が激しく付き合いづらかったであろう自分と仲良くしてくれ、居場所を作ってくださり、とても感謝しています。ありがとうございました。



普段から東大ラグビー部に期待して支援してくださったOB・OG、その他関わってくださった全ての方々にもお礼申し上げます。ありがとうございました。



家族には、普段はあまり言葉にしませんが、大学生にもなってたくさんのわがままを聞いてもらった自覚があります。ありがとうございました。



 



 



次は広報セクションの長として100周年記念事業をはじめ様々なPR活動を進めてくれた、スタッフのえのきにバトンを回します。えのきとは今年に入ってから特に仲良くさせてもらっていて、先輩数人を含めたメンバーで何度か一緒に飲みに行きました。引退したらぜひまた同じメンバーで飲みに行きましょう。

部活動をするということ[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2022/12/11(日) 17:38

玉代勢からバトンを受け取りました、4年の内藤です。玉代勢は練習時、いつも楽しそうです。それは私生活でも同じで、麻雀などではいつも負けているのに明るく、場の雰囲気を盛り上げてくれました。これからも一緒に深みのある会話しましょう。



「ラグビー部で成長したことは何か」

就職活動の中でもよく聞かれた問いだ。私は組織の中で自立した人間に近づけたと答えていたが、正直そこまで実感していない。何が成長したのか、高校時代、まだ野球部にいた頃の自分から振り返ってみた。

高校3年生の最後の夏の大会、私は2試合にフル出場した。チームメイトからの期待、監督からの期待、応援に来てくださったみんなの期待を背に打席に立ったが、一本もヒットを打つことなく試合に負け、私たちの夏大は終わってしまった。もうこんな思いをしたくない。大学ではスポーツから離れようと、そのとき決心した。チームのために責任を持ってプレーする、そんな部活動というものから逃げたかった。

期待に応えられなくて申し訳ない、特に私のせいで試合に出れなかったチームメイトに申し訳ない。試合後に流した涙は悔しさからではなく申し訳なさから流れたものだったかもしれない。

その結果、大学入学後の私はフラフラしていた。色んなサークルの新歓に回る予定だったが、一つも新歓に行けなかった。結局、何かを目指して仲間と切磋琢磨する部活動の方が私には合っていたのだ。先輩の言葉に惹かれ、高校3年生時の決意とは裏腹にラグビー部に入部した。

周りとの遅れを感じながらもラグビーの魅力に気づいた1年生。シニアに混じりさらに自分の不甲斐なさを感じた2年生。初めてスイカジャージを着られた3年生。そして最高学年として迎える今、4年生。

その中で、私には忘れたくても忘れられない試合がある。それは3年生の対抗戦、学習院戦だ。僕はスタメンで出場させてもらったにも関わらず、ひたすらチームに迷惑をかけハーフタイムに交代した。そのまま試合に敗北し入替戦出場というチームの目標まで潰してしまった。申し訳ない気持ちでいっぱいになった。また同じ過ちを繰り返したのだ。高校3年時の自分と重なり、悔しかった。

今年の対抗戦では同じような過ちは繰り返さないと臨んだ。自信はあった。対抗戦のスタメンは3年生のときに経験させてもらった上、直近の慶應戦や早稲田戦での感触は良かった。何よりもラグビーをプレーすることが楽しかった。しかし初戦の上智戦で全くうまくいかず、その自信は不安や焦り、恐怖へと変わった。マインドセットを修正しようともがいたが、1試合も納得がいかないまま対抗戦は終わってしまった。そこには純粋にラグビーを楽しんでいた自分の姿はなかった。

気づけば名大戦と京大戦しか残されていない。このままでは以前と同じで成長したという実感が得られない。全力で練習してジャージを着るに値するプレーヤーになる。そして、チームメイト、監督、コーチ、観に来てくださる方々、自分、全員が悔いの残らない試合にしたい。



最後になりますが、自分の口で直接言うのが苦手なため、この場を借りて感謝の言葉を述べさせてください。

まずは監督、コーチ、先輩といった私に指導してくださった皆さん。1年生の頃、私は正直4年になってもスイカジャージを一度も着られずに終わってもおかしくないと思っていました。言われたことをただ頑張ることしかできない不器用な私に、基礎的なことから親身に教えていただき、結果として試合に出られるようになりました。

次にOBやOG、その他関係者の皆さん。私は不甲斐ないプレーばかりでしたが、東大ラグビー部を応援してくださり、時にはコメントや差し入れといった形でも応援してくださりました。

そして後輩のみんな。練習中や試合中、私が助けるつもりがいつも助けられていました。練習後には一緒に卓を囲むこともあり楽しかったです。今後も期待しています。

そして同期。楽しいときも辛いときも一緒に過ごしてきて、かけがえのない仲間の一員になれたと勝手に思っています。引退しても仲良くしてください。

最後に両親。全然近況とか試合の情報とか伝えず、バイトも全然しない親不孝の子供でしたが、いつも支えてくれました。

このような支えがあって初めて私は部活動を続けてこれました。これまでありがとうございました。



次はしゅうぞうにバトンを渡します。しゅうぞうは怒ると怖いのは確かですが、練習後一緒にグラウンドでだらだらする時間は楽しかったです。よく自転車で帰りながら晩ご飯何にするか相談していましたが、最近は練習後すぐに帰ることが多く悲しいです。

深み[ラグビー部リレー日記]

 written by 玉代勢 弦尚投稿日時:2022/12/10(土) 19:00

鵜飼からバトンを受け取りました、4年の玉代勢です。

鵜飼がマネジメントや分析の部門で活躍してくれたおかげで、ラグビーのプレーに集中できて、僕も活躍することができました。ほんとにありがとう。

また鵜飼とは今年同じスモブラで、つい先日も昼ごはんに行きました。後輩たちに頼まれているので今度は夜にスモブラ飯行きましょう。

 




 

最後のリレー日記なので、ありきたりですが僕のラグビー人生について振り返ろうと思います。
 

僕がラグビーを始めたのは高校からで、兄が同じ高校でラグビーをしていたこともあり、当時の監督から勧められてラグビーを始めました。高校での3年間は、正直楽しいという気持ちより、辛い、大変という気持ちの方が大きかったです。コンタクトスポーツに挑戦するのが初めてで、体をぶつける肉体的な痛みもありましたが、タックルなどのコンタクト自体は嫌いではありませんでした。それ以上に自分の実力不足で試合に負けてしまったり、ミスして怒られたりするのが精神的に辛かったからです。

 

高校の時に見たラグビーのコラムに、「ラグビーは深く、重く、ちょっぴり痛く、どこまでもまとわりつく」と書いてあったのですが、僕にはそのちょっぴりの痛みがどうしても激痛の間違いに感じられました。



 

一年浪人してから大学に入って、ラグビーはもうやらないと思っていたのですが、他にやりたいものもなく気づいたら入部していました。大学でラグビーを再開してからは、ラグビーの楽しさに少しずつ気づいていきました。だんだん練習やウエイトが楽しいと思うようになりました。

 

ありがたいことに一年生の時からスイカジャージを着る機会にも恵まれ、大きな怪我もなかったおかげで、たくさんの試合を経験しました。印象に残ってる試合が多すぎて、ここに書こうにも書ききれないので省略しますが、試合ごとに様々な感情を味わいました。勝って涙が出た試合、無力感を感じて泣いた試合、成長を感じられた試合、自分のせいで負けて情けなさを感じた試合、味方の「魂」を感じた試合。いろいろな経験をする中で、大学3年目のシーズンが終わる頃には、ラグビーというスポーツが好きになるまで成長しました。




 

 

特にラストシーズンでは、ラグビーから多くのものを学ぶことができました。

今年のシーズンが始まる時、チーム目標を入替戦出場ではなく、対抗戦全勝での入替戦出場にしたこと、シーズン初めから行ったCCやBBCなどのトレーニング、新たに取り入れた戦術など、僕は今までと違うものが導入された時に、毎回疑いを持って初めから信じることができませんでした。
 

しかし、シーズンを終えようとする今、掲げた目標やトレーニングが間違っていなかったと自信を持って言えます。

これは、自分の決めた選択が正しかったというより、その選択が正しくなるように進んだ結果だと思います。

体は一回り以上大きくなり、目標だった全勝入替戦は達成できなかったが、対抗戦3位となったこと。これらはもし最初に決めた選択が違っていたら全く異なる結果になっていたはずです。
 

「選んだ道を正解にする」
 

と、よく聞く言葉はまさにこのことだと思いました。



 

あと2週間で引退になりますが、幸いなことにまだ2試合残されています。自分がラグビーを始めた選択が正しかったと言えるように、どちらも納得できる勝ち方をして完全燃焼したいと思います。



 

最後になりますが、ラグビー部の仲間や、関わってくださった関係者の方々、本当にありがとうございました。

家族のみんな、ラグビー部での活動を支援してくれて、見守ってくれてありがとう。

 




 

次は4年間常にオールアウトしてきた内藤にバトンを渡します。

内藤とは同期の中でも仲良くさせてもらいましたが、彼とのいい距離感が僕はとても気楽で楽しかったです。お互い普段からよく考えて話すタイプなので、いつからか「カタ」と「ステイ」の2単語だけで会話出来るようになりました。そんな深みのある内藤のリレー日記が楽しみです。

挫折、そして超克[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2022/12/09(金) 15:30

かわはるからバトンをもらいました、4年スタッフの鵜飼です。かわはるが2年前のお正月に家に来てくれて、家族共々とても楽しい時間を過ごさせてもらいました。はしゃいだ私がかわはるを連れ回して疲れさせてしまい、親に怒られたのもいい思い出です。また、私が院試でつらいときには、かわはるの優しさと気遣いに本当に救われました。ぜひ卒部してもたくさん遊んでください。


さて、この最後のリレー日記において何を書こうか非常に迷いましたが、やはり最後は私のラグビー部での4年間を振り返ろうと思います。



1年生。
大学に入学し、アットホームな雰囲気とラグビーというスポーツの面白さに惹かれてラグビー部に入部した。最初は朝練に間に合うように3時台に起きることで精一杯で、練習中はただ突っ立っているだけの指示待ち人間だった。また、1年生の終わりには、スタッフ全体の仕事(=ジェネラル)と対になる、専門性の高い仕事(=セクション)として、マネジメントと分析を選択した。学年内の仕事のバランスを考えてのことだった。

2年生。
相変わらずあまり仕事に気付けないままで、同期との差を感じ始めていたが、できるようになったこともあった。それが、この年の防衛大戦から試合ビデオに追加された「引き寄りビデオ」を撮ることだった。最初はぶっつけ本番であったためにあまり上手に撮ることができなかったが、分析のために勉強していたラグビーの知識も活かしながら、自分なりに様々な工夫をしつつ練習を重ねた結果、見やすい映像を残すことができるようになった。ここで初めて、自分は部に貢献できているかもしれないと思えた。
しかし、ビデオがうまく撮れるようになって少しずつ自分の存在価値を見いだせるようになった一方で、同時に、チームからの疎外感とスタッフからの疎外感という、二重の疎外感も感じるようになった。ビデオは、グラウンド全体を映す必要があることから、グラウンドから物理的に離れたところで撮るものだが、この物理的な距離によって、グラウンドにいるチームのみんなとの精神的な距離を感じるようになった。換言すれば、チームの一員であるという気持ちを感じることができなくなってしまった。さらに、ビデオというのはスタッフの仕事の中では、ジェネラルに分類される、専門性の高くない仕事である。試合中はビデオ以外にもたくさんの仕事があり、その中にはメディカルなど専門性が高く特定のスタッフしかできない仕事もある。スタッフの人員が限られている以上、ビデオの優先順位は低く、引き寄り以外のビデオ(全体を俯瞰する「引き」、個々のプレーに着目する「寄り」)は、プレーヤーが撮ることも多かった。また、スタッフ内で、ビデオはプレーヤーに撮ってもらい、別のところにスタッフを配置する方がいいのではないかという話になったこともあった。それはスタッフの人数が有限であることから生じる“仕方のないこと”であり、それを私も理解しているつもりだったが、やっと自分が部に貢献できていると思える仕事を見つけたのに、それはプレーヤーでもできるような、あるいはプレーヤーがやったほうがいいような優先順位の低い仕事なのであって、やはり自分はスタッフとして存在価値がないのだと思うようになった。ビデオはプレーヤーがやればいいという話のときは、私がやっていることは無価値だと言われているように感じた。それでも私はメディカルセクションに所属していないし、試合中は他に何か専門性の高い仕事ができるわけでもないため、基本的にビデオを撮ることが続いた。その結果ビデオは上手くなったが、疎外感や劣等感も増大していった。

3年生。
スタッフの先輩方が卒部され、自分たちはスタッフの最高学年となった。それにより、2年生の終わりからはマネジメントの仕事が増えるようになった。マネジメントの仕事では、OB財務やOB名簿の仕事を中心に行っており、その他に会報会計の仕事やスコア管理・会報掲載スコア作成なども行っていた。これらの仕事については、練習中に行うような種類のものではなかったため、基本的に家で部活外の時間で行っていたが、それにより、私はなんの仕事をしているのかよくわからない人になった。当然、なんの仕事をしているかもあまり伝わらない以上、特に評価されることもなく、時には本当に仕事をしているのかという疑念をぶつけられることもあった。自分で選択したセクションの仕事にこそもっとやりがいを感じられなければならないと思う一方、マネジメント系の仕事はコツコツ積み重ねて円滑に部活が運営できることに意味があるのであり、うまくいっていればいっているほど外部に仕事の様子は伝わりづらいため、そこに自分の価値を見出すのは難しいとも感じていた。私はマネジメントの仕事を嫌いだと思ったことはないが、他の同期スタッフと自分を比較しては劣等感を感じるということを繰り返した。このような精神状態であったことで、体調も崩しがちになり、私生活では勉強もすることができなくなり、まさに“どん底”と呼ぶにふさわしい状態だった。22年間の人生でこれほどすべてがうまく行かなかったことは後にも先にもなかった。

4年生。
4年生になってやっと、他人と自分を比べることの無意味さに気づいた。私は私のやるべきことをやっているのだし、ビデオだってやってきたからこそ上達もしたのだと前向きに捉えられるようになった。また、ビデオに関しては、試合中継に対するコメントで評価していただいたり、部内でも見やすいと言ってくれる人たちの意見に耳を傾けられるようになった。いかに自分が卑屈だったかを実感し、反省し、改めて残りの1年間はやれることを全力でやろうと決意した。やるべきことをやることで、少しは部に貢献できるはずだと思えるようになって、どん底からは脱出することができた。櫓の上からビデオを撮っていても、自分がチームの一員ではないと疎外感を感じることもなくなり、やっとグラウンドにいるみんなと同じ気持ちでいられるようになった。チームとしてやりたいラグビーができて試合に勝ったら感動し、やりたいことができずに負ければ悔し涙が溢れた。


ここまで4年間を振り返ってきて、楽しいこともつらいこともたくさんあったが、もし私がもう一度大学入学時に戻れるとしても、また必ずラグビー部に入ると思う。ラグビー部に入るという私の選択は、決して間違っていなかったし、この部活に入って、先輩や後輩、そして同期に出会えて、本当によかったと心から思う。


私はマネジメントの仕事や会報の仕事などを通じて、たくさんのOB・OGの皆様と関わらせていただきました。未熟故にご迷惑をおかけすることも多々ありましたが、皆様のお力添えで、無事に役目を果たすことができました。本当にありがとうございました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

また、大学に入ったら勉強すると言っていたにも関わらず運動部に入った私をずっと応援してくれた両親にも改めて感謝したいです。朝早くまた夜遅くに送り迎えをしてくれたり、試合の応援をリアルタイムでしてくれたり、両親の協力や励ましがなければ4年間部活を続けることはできなかったと思います。本当にありがとうございました。

そして、後輩のみんなへ。
私はそんなに優秀な先輩ではなく、スタッフをはじめ、みんなにたくさん迷惑をかけたと思います。それでもついてきてくれて、一緒に部活をしてくれて、本当にありがとうございました。私は、この4年間を通して、コミュニケーションをとることがとても大事だということを学びました。ラグビーというスポーツ自体も、部活を運営するにあたっても、コミュニケーションは欠かせません。同じタイミングでラグビー部にいる仲間たちと、たくさんコミュニケーションをとって、お互いの考えを伝えあって支え合ってほしいと思います。コミュニケーションを円滑にするには、相手と自分はあくまで違う人間なんだということを理解して、柔軟な思考をすると良いのではないかなと思います。また、変えられるのは自分だけです。考えをすべて変える必要はもちろんありませんが、物事の捉え方を少し変えるだけで、見えてくるものがたくさんあると思います。もし何かうまくいかないことがあったら、視点を少しだけ変えてみるといいかもしれません。これからみんながもっと東大ラグビー部を良くしていってくれるのを楽しみにしています。

最後に同期へ。
私たちの学年は人数も多く、意見の方向性が合わなかったり、衝突したりもしたけど、いろんな人がいて毎日面白かったし、たくさんの思い出を作ることができました。みんなと出会えたことは私にとって一生の財産です。本当にこの学年でよかった。協調性に欠ける私を受け入れてくれてありがとう。


長文となりましたが、最後までお読み下さり、ありがとうございました。


次は、玉代勢にバトンを回します。
玉代勢は、その穏やかで優しい性格から、みんなに好かれている人気者で、誰とでも仲良くできる、私たちの学年に欠かせない存在です。また、ラグビーにおいても、1年生からスイカを着て4年間チームを引っ張り続けてくれました。パスフェイクがうますぎて、ビデオを撮っている私も騙されかけたことがあります。
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ありがとうございました。
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